MAKI'S GALLER Y
 ★幻の爆撃機

【第5章 再出撃】

 夜明け前、夜を徹して整備された爆撃機の一群が、戦列に並んだ。中には部品の不足から、破孔に灯油缶を切って貼りつけたような機体や、大破した機体から引き剥がしたパーツで応急処置をした機体も含まれた。余り誉められたことではないが、出撃を迫られれば、見てくれの善し悪しに構ってもいられなかった。搭乗員のチームが機数分だけ揃っているか、積み込む爆弾や燃料、弾薬が足りるか──と言った問題も含むが、作戦が発動されれば、一機でも多く、爆撃機を空に上げねばならなかった。攻撃目標には少しでも多くの爆弾を注ぎたいが、参加機数が多ければ、対空戦闘で使える機銃も増え、敵機を撃退する確率が高まったのである。
 その結果、ここでもまた必然的なもう一つの戦いが発生した。補修や補給、それに伴う過労との戦いである。英国南東部に出現した王国――ロンドンの北東地域に該当するが、三〇を超える爆撃機の基地を含め、全体では一二八箇所もの軍事施設で暮らす彼等が、直接、敵機の攻撃に晒されることはないものの、代わりに交戦による被災機が突きつけられて、修理や部品の調達、爆弾や機銃弾、オイルに燃料の補充と言った問題が、際限もなく降りかかった。特に整備隊は大変だった。出撃前は徹夜をしてでも修復、点検を済ませ、なるたけ多くの機を出撃させねばならなかった。
 そうした困苦を経て、送り出しても、機が損傷し、時には大破して戻って来ると、またもやうんざりする補修に追われた。希に変わり果てた姿の爆撃機と対面することもあった。勿論、遊覧飛行に出かける訳ではないことは判っていた。高射砲弾が荒れ狂い、敵の戦闘機が暴れ回る中へ飛び込んで行くのだ。或る意味、地獄へ飛び込んで戦うようなもので、満身創痍になって帰還しても、仕方がないと言えた。深手を負って戻って来ると、「修繕か遺棄か」で悩まされるが、機の補充に余裕がない今は、可能な限り手直しする方向で奮闘するよりなかった。次の作戦に備えて準備をする戦いは、こうした労苦を伴いながら繰り返された。
 それゆえ疲弊した整備員が、立ち眩みを起こして主翼から転落したり、機内で眠りこけても、別段、珍しい出来事とは言えなかった。この困憊から生まれる副作用の中で、最悪なのが、不具合な箇所が完全に修復されないことだった。無論、人手や時間に余裕が確保されれば、つまらない弊害も起こりにくくなった。しかし、例によって「戦争は待ってくれない」の公式が、ここでも忌々しく息づいて、彼等を苦しめた。
 微妙な問題だが、爆撃機が不完全な状態で出動し、敵の銃砲火に耐えられなかったとしても、一概に彼等を責められなかった。敵に立ち直る機会を与えてはならない――の既定方針があって、最善を尽くし、徹底攻撃するよう求められたので、整備に余分な時間をかけることは許されなかった。第一、整備が完璧かどうかは、上辺からでは判断しにくかった。また基地で簡単な試験飛行を行っても、問題が露見しないこともあった。もし、慎重や臆病に取り憑かれ、気がかりな機体の出撃を片っ端から止めていたら、爆撃作戦そのものが頻繁に延期されたろう。間延びした呑気な戦いをやったら、敵の回復を誘引した。敵を立ち直らせると、次の空襲で激しい反撃を受けたので、やはり限られた人手と時間の中で、傷ついた機を可能な限り再生し、遮二無二、敵地へ送り込むしか策はなかった。苦しい戦いは承知だが、間断なく第三帝国を攻め立てれば、余力に乏しい敵を更なる窮地へ追い込める目算があった。「我々も苦しいが、敵はもっと苦しい」と言う論理である。
 とは言え、送り出した爆撃機が、ドイツ戦闘機の猛攻や高射砲弾で引き裂かれ、変わり果てた姿になって戻って来ると、変容した姿に対面する彼等を、やはり愕然とさせた。数百の弾痕を穿たれた〈空の要塞〉が、血塗れになっていれば、この悲惨を突きつけられた彼等が悲嘆と絶望の淵に沈んでも不思議はなかった。胴体を裂かれ、主翼に大穴を開けられ、補助翼や下げ翼を失い、銃座を潰され、傷ついたエンジンは黒焦げになり、車輪のタイヤまでもボロボロに撃ち抜かれたりしたのである。猛獣に襲われたような死傷者は、救護班の手で運び出されたが、床や内壁に付着した血痕や小さな肉片、骨片は、機内へ残された。血糊の中に脳味噌の細片がこびりついていることもあったし、機関砲で顎を砕かれた兵士の歯が吹き飛んで、弾丸みたいに内壁へめり込んでいることもあった。指の先や手足の一部、内臓の破片が散乱していても、決して珍しいことではなかった。文字通り血塗られた爆撃機を洗い清めて、大車輪の修理が行われたのである。爆撃効果が不充分な時は再攻撃が下命された。兎に角、一日も早く、飛び立てるように修復しなければならなかった。こうして破壊と修理の繰り返しが、夜を日に次いで続けられた。好い加減、うんざりの経緯だが、それでも機が搭乗員と一緒に撃墜され、二度と戻ってこないよりは増しだった。
 懸命の修理を繰り返す内に、搭乗員と同様、整備員の心にも、何時しか奇妙な愛着が芽生えた。爆撃機は破壊と殺戮を象徴する恐ろしい兵器だが、今は戦争中――それを蒸し返しても始まらなかった。闇雲に平和を振り回す、愚にも付かぬ連中は、まずこの論理が解っていなかった。例えるなら、家が燃えている最中、消防の在り方を論議しても仕方ない。ひとまず消火が最優先で、考えるのは後回しである。同様に、大被害を生んで止まないファシストどもを軍事力で打ち倒すのが先で、一味の手で火炙りにされた世界を、腕尽くでも取り戻すべきだった。それには攻め滅ぼす以外に術がなく、爆撃機を送り出して叩きのめし、息の根を止めるしかなかった。倒すか倒されるか、二者択一しかない現況で、なお魔王ヒトラーの野望を考えもせず、平和を論じるなら、病院へ行くべきだろう。これを「正義の戦い」と呼ぶのは口幅ったいかも知れないが、大義は勝者の足許へ擦り寄るのが常だった。万一、連合国が敗れたりしたら、ヒトラーとナチスが勝者の正義を手に入れてしまう。世界は暗黒の闇に沈むだろう。
 繰り返される戦いの中で、〈空の要塞〉の世話を焼けば焼くほど、安否が気がかりで堪らなくなった。その瞬間に、爆撃機たる飛行機械も、単なる戦争の道具ではなくなった。金属製の心臓が音を立てて鼓動し、オイルやガソリンが血液にも等しく流れ出すと、息遣いする不可思議な生物に接するような錯覚が起こり、無事の帰還を祈らずにはいられなくなった。長く世話をするほど、機体への愛着も深まって、それが帰ってこない時などは、格納庫の前や飛行場の端などに佇んで、暗くなるまで空を見続けた。暮色が迫る中、痛ましい夕陽の残照を浴びつつ、沈痛な面持ちで戻らない爆撃機を待ち続けた。対象は「ただの機械」と割り切ろうにも、保全に心血を注いだ少なくとも努力の結晶には違いなかった。愛着すら知らぬ、知情意を欠く慮外者には、とうてい理解が及ばないと思惟されるが。

 〇五〇〇時、空は菫色だった。周辺の多くの民家は、未だ眠っていたが、第二爆撃師団が展開する幾つもの基地の司令所では、緑色の信号弾が次々に打ち上げられた。この世のものとは思えない閃光が闇を裂いた。マグネシウムが燃える異様な輝きだった。一時的に周辺が明るくなると、駐機場で身を寄せ合う怪鳥たちの不気味な陰影が浮かび上がった。それはB24〈リベレーター〉の一群だった。信号弾の緑色の光芒が、出撃を待つ爆撃機たちに、深海に隠れ住む怪物のような印象を与えた。
 これを合図として、それまで息を潜めていた機械獣の一団が、それぞれの翼から突出するエンジンを始動した。最初に「バン!」と、銃が暴発したような始動音が起こると、排気ガスの塊が一つ二つ、三つと吐き出される。カウルに覆われた中で、金属製の心臓が、クランクやカムやシャフトを動かすと、それぞれのエンジンの先端に備わった櫂型プロペラがゆっくりと回り始める。エンジンの回転が上がると、プロペラが風を切る音も増した。やがて何十と言う空冷星型一四気筒〈サイクロン〉が、耳をつんざく轟々たる唸りを発し、傍らに居るだけで頭がどうにかなりそうな不協和音のコンサートを始める。暁の出撃は、毎度、薄闇を吹き払う爆音から始まった。飛行場だけでなく、周辺の建物や森なども、轟き渡る壮絶な騒音交響楽に呆れ返り、縮み上がった。もしかすると、天をも貫きかねないこの咆哮は、第八航空軍が展開する島国の一部さえ揺り動かし、大地の神まで怒らせたかも知れない。他方、凄まじい騒音にも慣れっこのベテラン整備員やパイロット達は、エンジンが奏でる囁きや唸り、音色を耳にしただけで、今日は金属性の怪鳥が気分良く飛べるかどうかを直ぐ見抜いた。
 第八航空軍の第二爆撃師団は、〈空の要塞〉と〈リベレーター〉の混成部隊だった。数の上では〈リベレーター〉爆撃機の方が多かった。その一群が、まだ闇の帳が色濃く残る滑走路に向かって動き出した。ずんぐりした胴体と細長い主翼、双尾翼を特徴とするB24が、次から次へと駐機位置から這い出して、滑走路を目指すタキシング――地上走行を始めた。
 離陸滑走の開始位置に到達した機は、長大な滑走路に向かって旋回した。ブレーキを強くかけ過ぎた機は、つんのめって機尾を持ち上げた。時として乗員たちが呻き声を発することもあった。一旦、滑走路に正対して止まったら、ブレーキの解除を確認して、エンジンの回転を上げる。ここからは全力運転だ。吸気圧力を一杯にして、回転数も二四〇〇に上げる。〈リベレーター〉が備える四基の〈サイクロン〉エンジンは、合計で四八〇〇馬力の離昇出力を発揮した。ライト社が量産する複列星型一四気筒の〈サイクロン〉は、P&W社の一八気筒〈ダブル・ワスプ〉と双璧をなす信頼性の高いエンジンだった。この二つは「空軍の心臓」と言って過言ではなかった。大戦中、何万と言う機が、これらのエンジンに助けられて、世界の空を飛んだのである。この二つが米軍機を羽ばたかせる原動力になっていた。
 胴体が太く、ずんぐりした印象の〈リベレーター〉は、全備重量が三〇トン近くあった。が、四基の〈サイクロン〉はその巨躯を悠々と持ち上げて空へ運んだ。とは言え、出撃は慌ただしかった。速やかに編隊を組む必要があるので、爆撃隊は短時間に多数機を発進させねばならなかった。一機、また一機と、淡い残月が地上を見下ろす中、太い胴体から長大な主翼を突き出す〈リベレーター〉は、多量の燃料を詰め込んだ翼で闇を裂きながら、長い滑走路を忙しなく駆け抜けて行った。不気味な感じもする仄暗い空へ吸い上げられるようにして、金属の怪物たちは次から次へと飛び立って行った。

 空の菫色が氷みたいに溶け始めた〇六〇〇時、引き続き第一爆撃師団と第三爆撃師団の基地群で、離陸発進を促す信号弾が幾つも撃ち上げられた。星の煌めきが失せたあと、一人淋しく佇む残月は、消えかけた淡い銀色の輝きでこちらの出撃を見守った。すでに目覚めていた感のある〈空の要塞〉の一団が、一斉にエンジンを始動した。こちらの二つの師団が装備する爆撃機は全てB17〈空の要塞〉だった。時間差攻撃を企図して、一時間余り待たされた集団も、次々と忙しない離陸滑走を開始した。トーレス中尉の姿は、「ドラゴン・エクスプレス」の文字と、葉巻を銜えて茶目っ気を振りまく竜のイラストを描いた機の操縦席左にあった。機長のトーレスは火の消えた短い葉巻を銜えたまま、自分の順番を待った。右隣で副操縦士の席に就くフォード少尉は、ひどくゆっくりと舞い落ちる遠くの照明弾を望見していた。くねくねと白煙の尾を引く緑の球体が、滑走路脇の薄暗い地面に落ちて転がった時、小さな燐光が「パッ」と、無数に散った。それは夜の海で跳ねる夜光虫みたいな光を放った。宙に取り残された捻れた白煙は、やがてそよぐ風に掻き回され、運び去られた。
 トーレスは拡散して薄くなる白煙に一瞥をくれた。胃の辺りにそっと手を触れた。黎明の前に取った食事は何処かへ消え失せた気がした。緊張のせいか? いや、緊張しなかったらその方がおかしい。間もなく作戦開始である。気にしている暇もなくなる。彼は待ち時間を利用して、エンジンの調子を耳で推し量った。愛機の計器類も、今一度、点検した。最初、エンジン点火にびっくりして滅裂に踊った計器の針は、今は所定の位置へ収まっていた。飛行用諸計器、動力計器類ともに、特に異常は見られなかった。四基の〈サイクロン〉エンジンは、機内に詰め込んだ装備品も揺らしたが、この振動には目を瞑るよりなかった。他の乗組員はそれぞれの部署で出撃を待った。これ以上、必要な物があるとすれば、修羅場へ飛び込んで行く度胸だけである。

「ドラゴン・エクスプレス」の名の由来は、機首の両側面に描かれた洒落たイラストが端緒だった。副操縦士で画家志望のフォード少尉が描いた如何にも剽軽な「葉巻を銜えた恐竜」が印象的で、訓練ではトーレス中尉がこの機体を特急列車のように素っ飛ばすことから、そう呼ばれた。名前そのものは風評が湧いた後に思いつき、緑色で描かれた竜の下に、赤いペンキで文字が書き足されていた。褐色の機体塗装から浮き上がって見えるよう、最後はイラストも文字も黄色で丹念に縁取りされた。洒落た絵も名前も〈空の要塞〉F型も彼の大のお気に入りだった。
 そんなトーレス中尉も、この画期的な重爆撃機が、当時、財政難に苦しんだボーイング社から、難産の果てに送り出されたことは知らない。ボーイング社の社長クレア・エクタベトが手を引いていたら、〈空の要塞〉は誕生しなかったろう。奇妙な話だが、枢軸側の脅威に怯える国々に、役立たずの軍用機を売り込んで荒稼ぎをする航空機製造会社がある一方で、やがて対ドイツ戦で決定的な役割りを果たす〈空の要塞〉の開発メーカーが、資金繰りや陸軍省との衝突に苦しんだのである。役にも立たない軍用機とは、いざ戦いに臨んだ時、Me109や〈零戦〉に片っ端から叩き落とされる機体のことである。敢えて名前を列挙する必要もなかろう。大戦初期に動員された連合軍機の大部分――空を飛べると言うだけのガラクタが、枢軸側の戦闘機に駆逐されたのだから。それは悲劇にしか寄与しなかった。それらを製造販売して金儲けしたメーカーは、やがて脇へ押しやられる。これも当然の結果だった。
 他方、〈空の要塞〉が戦場で発揮した頑強さは、これに立ち向かったMe109や〈零戦〉を閉口させた。取り分け、欧州へ多く送られて、アメリカが推進する戦略爆撃の中核を為し、ナチス・ドイツの戦争経済を引き裂いた。ヒトラーを抜き差しならない窮状へ追い込んだ。ところが、先駆的な重爆撃機と考えられ、応分の期待もされた〈空の要塞〉だが、一九三四年から始まった開発に纏わる出費や、試作機の墜落事故に見舞われて、こともあろうに製造元たるボーイング社に、倒産の危機をもたらした。大金を注ぎ込んだ試作機〈モデル二九九〉が墜落し、残骸と化したら、発狂してもおかしくないか。もし、戦略爆撃構想を推進する陸軍航空隊(航空軍への改称は四二年)の情熱がなかったら、大破炎上した〈空の要塞〉は、ゴミとして処分されたろう。その結果、強力な爆撃機を持つことなく大戦へ転がり込むアメリカは、大変な事態に直面したと思惟される。今にして思えば、軍用機も兵力も満足にない状態で、「机上の空論にも似た理想を追う航空隊によって計画が延命した」と考えると背筋が寒くなる。だが、試作機が事故で失われたのは無念としても、試験飛行に於ける評価は生き残った。これが幸いだったが、〈モデル二九九〉の価値に対する確かな認識が、開発の継続を許したのである。それでも計画は順風満帆とは行かず、大型爆撃機の高価格に反発する陸軍省や、国民生活優先に汲々とする議会の抵抗があって、実用化に至る過程は波瀾万丈となった。
 差し当たり応援してくれた航空隊だが、三九年、製品の納入単価を値切ろうとしたので、ボーイング社と衝突した。原因は航空隊の懐具合だった。『ニューディール政策』の効果もあり、アメリカは大恐慌から立ち直りつつあったが、軍事費として配分される予算が未だ少なく、この制約下で航空隊が新型爆撃機を多く揃えるとしたら、機体の買い入れ価格は安いほど良かった。〈空の要塞〉の高性能は歴然としていたが、高価が原因で一握りしか入手できないなら、大した意味はなかった。肝心なことは組織力を以て作戦しうる能力で、一定の数量が充たせるかどうかだった。さもなければ、魅惑的な爆撃機も、ただ眺めて楽しむだけの飾り物になってしまう。
 しかしながら、売価が生産に欠かせない限度額を割ると、ボーイング社としても、一機納入する度に、赤字が増える悲惨を見た。そもそも当初発注された機数も数十機単位に過ぎず、絶対数が足りなかった。製造側はここから利益を捻り出さねばならなかった。その後、大戦が勃発し、最終生産数が一万二七三一機に達するが、そんなに量産されるとは、お互い夢にも思わなかったのである。但し、大量生産によって可能になる薄利多売にしても、無制限なコスト・ダウンが出来る筈もなかった。製造原価たる絶対基準は永続したし、設備投資の為の資金や社員に払う給料も捻り出さねばならなかった。これを下回って安価になることは有り得ないのである。現実の問題として、より進化した性能強化型も送り出さねばならず、装備が増えるほど価格も高騰したので、口先で言うほど安くはならなかった。
 当初の売価に話を戻すと、B17初期生産モデルの、一機当たりの納入単価は二〇万五〇〇〇ドルだった。大戦の少し前、一九三八年頃の値段である。いざ納入と言う段階では、試作機墜落の自社負担などが祟って、ボーイング社の財政状態は極度に悪化していた。こうした情況下で、陸軍航空隊が〈空の要塞〉の価格にケチをつけ始める。一機につき二万ドルも値切ろうとしたのである。
「一八万五〇〇〇ドル? 冗談じゃない!」と、ボーイング社も目角を立てた。ここから鬩ぎ合いが起こった。幾度か交渉が持たれたが、反対に決裂寸前の暗澹となった。財政破綻が身近に迫っているボーイング社としては、計画をまるごと放棄するしかなかった。割を食う爆撃機など投げ捨てて、民間旅客機の製造販売に専念した方が、余程増しだった。さりながら、決裂する際どい情況で、航空隊司令官ヘンリー・アーノルド将軍が譲歩し、当初の価格による購入を決定した。切実な問題として、航空隊は多数機による飛行隊の編成を望み、一機でも多くの爆撃機を欲したが、その一方で、ボーイング社にそっぽを向かれたら、空軍の近代化が根底から崩れたのである。
 事態が好転を見た政治的な背景として、欧州で蠢動するナチス・ドイツの脅威があった。この頃、ドイツ空軍は、末端の組織も含めて五〇万人に達する勢いを誇り、世界に先駆けて近代化した実戦稼働機は三七五〇機を数えていた。訓練機関まで含めた全体ともなると、五〇〇〇機を保有していた。一方の英空軍も、第一線機およそ一八〇〇機を、一〇万人に近い兵力で運用した。それに引き替え、アメリカの陸軍航空隊が保有する兵力は、未だ三万人にも及ばずと言う体たらくで、有事に即応可能な軍用機も一六〇〇機に満たなかった。おまけに、この内の半数は、近代戦に生き残れるかどうか怪しい骨董品だった。これらは枢軸側の恐るべき戦闘機――Me109や〈零戦〉に立ち向かっても、撃墜用の餌食にしかならないと思われた。ろくに戦う機会もないまま、火達磨になって燃え落ちたろう。何とか使えそうな残り八〇〇機にしても、対等に戦うのは難しそうだった。遺憾ながら、上辺は超大国に見えるアメリカの空軍力も、未だに航空石器時代から抜け出せない惨状で、実質は三流にも手が届かなかったのである。大国アメリカの空軍力が三流以下? そうした原因の最たるものが議会の抵抗だった。三九年九月一日に大戦が勃発するので、三〇年代中盤は極めて重要な時期に当たるが、軍事費の支出を渋り続けたので、航空隊は近代化の門前で転んだままだったのである。大戦前は「身の毛が弥立つ窮状だった」と断言して良い。そのまま大戦に引きずり込まれていたら悲惨だったろう。
 近代化の曙とも言うべき〈モデル二九九〉の開発が始まった頃は、ルーズベルト大統領(民主党の第三二代アメリカ大統領で、ただ一人四選された傑物。任期一九三三年〜四五年)も、大戦に対しては懐疑的で、その目に映る独裁者ヒトラーの姿も、道化じみた政治屋に過ぎなかった。しかし、第三帝国の総帥が心中で燃やす野望は本物だった。おどろおどろしい妖気が立ち込めるベルリンで、三五年三月に再軍備を宣言すると、大胆不敵に軍備の強化を続けた。世界を叩きのめし、支配する日を、今や遅しと夢見たのである。鉤十字の御旗を掲げて吠える怪人ヒトラーは、間もなく周辺の弱小国や地域を次々に脅し取って行く。ラインラントの武力進駐、オーストリア併合、スロバキアの分割領有にチェコ乗っ取り――目に余る強奪政策を前にして、ルーズベルトもついに堪忍袋の緒を切った。「恐れを知らぬナチスの暴虐に対処するには、取りも直さず空軍力の強化が重要」と。その答えが、遅蒔きながらの緊急予算計上で、一九三九年四月三日に、三億ドルの支出が具現化した。後日、これは増額され、一一億ドルに膨れ上がっている。議会の孤立派が、無駄な抵抗をしなければ、ずっと早くナチス打倒の準備に取りかかれたが。実情がてんで見えないこの一団は、盲滅法に「平和」を喚き続け、「平和」どころか危機への備えを遅らせていた。が、その議会も、やっと第三帝国の野望に気づき、近代化に必要な予算供出を認める。
 B17A型の試作機が初飛行したのは一九三八年四月二九日だった。最高速度は高度二万五〇〇〇フィートで二五六ノットだった。そして、B、C、D、Eと改良が続いて、大戦中期に登場したF型になり、従来のモデルより格段に進化した姿を見せた。以前のモデルは、実はそれほど良くもなかったのである。F型の登場がなければ、B17〈空の要塞〉は、「他の爆撃機より少し増し」と言う程度で終わっていたろう。
 F型が他と違ったのは、従来の先細りのプロペラとは一線を画すパドル・ブレード――幅広の櫂型プロペラを導入したことで、操縦性、及び飛行性能を見違えるほど進歩させていた。排気駆動式のターボ・チャージャーが威力を発揮する二万五〇〇〇フィートの高空では、F型は素晴らしい運動性を発揮し、〈空の要塞〉を駆るパイロット達を魅了した。多くの爆撃機乗りが、各型の中で最も操縦性が良いF型を「女王」と呼んで、こよなく愛した。勿論、トーレス中尉もご多分に漏れず〈空の要塞〉のF型を寵愛した。かつてオランダ上空を飛行中に、双発のMe110駆逐機に追われたことがあったが、F型はそれよりも遙かに軽い〈ツェルシュテラー〉を、二度三度と急旋回で振り切って、ついに逃げ果せたのである。速度に関しては、中高度ではMe110の方が速いが、ターボ・チャージャーが威力を発揮する高空では、F型の方が優っていた。爆弾を投下しての帰還中で、燃料も少なく、機体が身軽だったこともあるが。
 航続性能に関して付言すると、B17のF型は、およそ二トンの爆弾を搭載した時の作戦飛行距離が一四〇〇マイルで、爆弾の代わりに予備のタンクを機内に持ち込めば――この時は、長距離偵察やアメリカ本国からの移動となるが、最大航続距離が四二〇〇マイルに達していた。この長大な航続性能のお陰で、機体は合衆国からラブラドル(カナダの高原地帯)、グリーンランド、アイルランド、スコットランドを経由して、英国南東部に数十か所も設けられた作戦基地へ運ばれた。付帯設備全体ともなると一二八か所に達していた。ロンドンを基点に考えるなら北東地域に当たる。そこに第八航空軍の王国が広がっていた。まるでアメリカ軍に占領されたような雰囲気があって、地域住民はアメリカ合衆国が引っ越して来たような錯覚に捕われた。
 F型は降着装置も頑丈だったので、過大な負荷への耐久力も充分だった。二四・五トンの機体に九トン近い爆弾を詰め込んでの出撃も可能だった。但し、余りにも大量に爆弾を詰め込むと、離陸発進に大きな危難が伴った。燃料に乗員、機銃弾なども詰め込んだ満載重量が三五トンを超えると、今度はエンジンに負荷がかかり過ぎ、舞い上がる時にトラブルなど発生すると、パワー不足に陥る機体が失速し、墜落して、身の毛も弥立つ大爆発を引き起こした。搭載した九トンの爆弾が、文字通り機を木っ端微塵に粉砕し、残骸を空一面に噴き上げた。と言えば、眉を顰めるほど物騒な話に聞こえるが、これは例外的に派生した特殊な場合で、B17の他のタイプも含めて、通常〈空の要塞〉は安全基準とされる二トン前後の爆弾を積載して出撃した。支障なく離陸でき、速度や運動性、航続距離などに、大して影響を及ぼさない搭載量である。
 時々行われた特殊任務について付記すると、防御の頑強なUボート基地や、ロケット基地に対する攻撃が、これに該当した。ドイツの潜水艦基地は、厚さが三〇〜四〇フィートもあるコンクリートの掩蔽壕に覆われたので、この攻撃には四五〇〇ポンド〈デスニー爆弾〉が翼の下に懸吊されて投下された。気圧計と連動したロケットの点火装置がこの爆弾の特徴で、目標を狙って投下すると、所定の高度で気圧信管を用いたブースターが噴射を始め、弾頭は機銃弾に匹敵する猛烈な速度で対象物へ激突した。V1ロケット基地を攻撃する時は、二万ポンド〈トーペックス爆弾〉が使われた。発射前のV1ロケットは、山を刳り抜いて作った防空壕へ隠されたので、これを爆破する為に、大型爆弾を使い古しの機に詰め込んで、誘導機が無線操縦で体当たりさせる方式が採られた。自爆機はBQ7と命名された。これを離陸させるのは命知らずのパイロットと言う物凄さで、空飛ぶ爆弾をどうにか舞い上がらせ、起爆装置を作動させたら、パイロットは落下傘で機から飛び降りた。あとは一緒に飛ぶ誘導機が、この自爆機を無線操縦で目標上空まで運び、所定の場所へ真一文字に突っ込ませたのである。話を聞くと、ちょっと怪しい雰囲気も漂うが、実際、故障で無線操縦を受けつけなくなった機が、メートル法に換算すれば九トンとなる大量の爆薬を抱えたまま迷走飛行し、何処へ墜落するか判らない仰天の事態も起こっている。関係者はこのハプニングに震え上がった。BQ7が人口密集地へ突っ込んだら大変なことになる。が、幸いにも、故障機は海へ墜落し、事なきを得た。大戦中はドイツ軍も無線を使ったスタンド・オフ誘導弾を幾つか──HS293(ロケット推進の飛行爆弾)、Bv246(コンクリート製の翼を持った飛行爆弾)、L10(航空魚雷を改造した誘導弾)などを実用化したが、こと無線操縦に関してはドイツの方が進んでいた。いずれにしても、このような突飛な作戦に実りがなかったことは確かで、「通常爆撃で工場を破壊し、生産を止めるべき」と考えられ、物騒な方式は取り止めになった。

 前掲したように、通常の作戦では、〈空の要塞〉は平均二トンの爆弾を抱えて出撃した。それでも機体が地面を蹴る直前に、前触れもなくエンジンの一つが止まったりすれば、口さがない古参兵たちが冷やかす「羽根の生えた弾薬庫」の乗員たちは、やはり悪寒に襲われた。離陸を素早く諦めて、そのまま巧く着陸できれば一触即発の危機は回避されるが、もし失速から機が地面に突っ込むと、目も眩む大爆発に見舞われて、乗員たちは瞬時に昇天した。爆弾が九トンから二トンに減っても、災難が減るとは言えず、機と乗員の双方を瞬時に抹殺する威力は充分に発揮したのである。微量の火薬を使う軽火器でも、弾丸をかなりの距離まで飛ばせるのだ。爆弾を二トンも積載していれば、破壊の規模は想像されよう。
 ただ、厳密に言うと、これは炸薬としてのアマトール(TNTと硝酸アンモニウムを混合した爆薬)を、二トン積み込むと言う意味ではない。五〇〇ポンド通常爆弾の場合、装薬重量比は概ね五〇パーセントで、一〇〇〇ポンドの準徹甲爆弾では約三〇パーセント、徹甲爆弾になると装薬重量比は一五パーセントに過ぎなかった。厚いコンクリートや軍艦の装甲などを貫通して爆発させる徹甲爆弾には、より強固な弾体構造が必要だったので、先端の鋼鉄の塊が、かなり重量を食ったのである。この固い部分が、場所によっては厚さ二〇インチもある装甲を突き破り、戦艦の弾薬庫などへ飛び込んで、大爆発を引き起こしたのである。
 すなわち、通常爆弾を二トンほど積載しても、炸薬の量は半分か、それを下回ると見做して良かった。とは言え、離陸時の〈空の要塞〉は、燃料二六四二米ガロン(およそ一万リットル)を搭載したので、事故が起こればこれも爆発して、機械も乗員も丸ごと閃光と炎の中へ葬り去った。出撃は「翼と四基のプロペラを備えた火薬樽」に乗り込んで飛び立つようなものとも言えた。そう形容すると、門外漢の耳にはひどく物騒に響くかも知れない。しかし、他方で戦闘機や輸送機が安全かと問うと、必ずしもそうとは言い切れなかった。恐ろしい例えだが、見かけは安全そうな旅客機でも、燃料を満載した状態で離陸に失敗し、墜落すれば、やはり爆発炎上が起こって、乗員や乗客を火達磨にしたのである。
 因みに、大戦の中期までは、爆弾の仕組みも形態も、古くからの決め事みたいに受け継がれたが、重量や形態がさほど重要でないと判った後期になると、英軍はドラム缶みたいな軽容器爆弾〈ブロック・バスター〉を開発して、ドイツの都市爆撃に用いた。炸薬には爆風性能が一・五倍は強烈なRDX(ヘキソゲン)を用いた。学術名トリメチレントリニトロアミンは、遥か以前にドイツで発明されたが、大量生産や製造コストなどの問題があり、なかなか実用化できなかった代物である。従来の硝酸法に代わる無水酢酸法で二倍も生産できることを知った英国は、大型設備を建設し、RDXを量産した。ドイツは自分たちの発明品で吹き飛んだことになる。
 英国は、この炸薬を如何に大量に容器へ詰め込むかに腐心したので、通常爆弾のように細くスマートな形は却って害悪だった。炸薬量を減らす爆弾自体の重量も邪魔だった。ひたすら装薬比率の多さを追及するなら、荒っぽい話だが、ビニール袋に火薬と信管を詰め込んで、投げ落としても構わなかった。これでは運搬や管理が大変だが。しかし、ダム破壊用に開発された〈ダム・バスター〉、太いタイヤみたいな〈ツイン・ハイボール〉爆弾なども、ひどく奇異な代物に見えてしまうが、通常爆弾の形式に余り意味がないと判れば、印象度も激変するだろう。落下傘爆弾にしても、戦前は「落下傘を畳んで取りつけるのが面倒臭い」と、ひどく嫌われたものだが、地面にめり込んで威力を削がれる通常爆弾より、「地表付近で空中爆発させる方が、広範囲に破壊できる」と知れると、各国はこれも当たり前のように使用した。ただ、堅固な軍事目標に対しては、高空から凄まじい勢いで落下し、激突し、深くめり込んでから爆発する徹甲爆弾の方が、威力は大きかった。表面爆発では余り効果がない戦艦や要塞も、内部の深い所へ飛び込んで爆発すると、密閉空間で衝撃波が増幅されることも相俟って、破壊力を大きくしたのである。そうした意味で、コンマ何秒か遅れて作動する遅動信管は、徹甲爆弾の必需品となった。
 また戦闘爆撃機の下腹部や翼下へ剥き出しで装着する際も、流線型のスマートな形状が好まれた。これは空気抵抗が大きくなると、運搬する機の速度や燃費に悪影響を及ぼしたからである。英軍爆撃隊は焼夷弾も多用したが、米軍は対照的に従来方式の爆撃に固執した。末期の対日爆撃では、木造民家に対する焼夷効果が覿面なナパームを導入したが。

 トーレス機からかなり離れた位置で待機する爆撃機の操縦席には、憮然とした表情が冴えないローズフェルトの姿があった。憤懣やるかたない機長を乗せた機体には、表向きは絵も名前もなかった。軍の所有物を看板みたいに塗り立てるのは軍律違反として、彼が許さなかったのだ。気を利かせた部下たちが、ローズフェルトの名に因んで薔薇の花を機首側面に描いたこともあったが――これは爆撃機に乗り込む乗員たちが、機体を見分けやすくする点で効果があった。垂直安定番の如何にも素っ気ない数字の羅列で機体の識別に悩むより、遠目にも判りやすい絵で乗機を識別した方が有効だった。間違って他の機に乗り込むととんだ恥曝しになった。子供にも判る大きな目印があれば、出撃時に迷わず愛機に駆け寄れたろう。が、案に違わず、不謹慎を囀る彼が直ぐにも「戦場の空に咲く薔薇」を塗り潰させたので、「狭量で蕾のまま終わる」の意を込めて、彼の機体は「ローズ・バット」と陰口を叩かれるようになった。言うまでもなく、天才オーソン・ウェルズの傑作『市民ケーン』(一九四一年公開)とは無関係である。
 彼に言わせれば、幼稚な手法に頼らねばならないことが不敬だった。「器量や才覚を磨く方向に努力を振り向けるべき。優秀な兵は横着をしない」たる持論を彼は振り翳した。「安易を求めて堕落するより、進歩の為の困難を求めよ」である。部下たちは不平たらたらだが、その「ローズ・バット」機の操縦席に蹲るローズフェルトの顔には、例のパブで何発かパンチを食った腫れがまだ残っており、殴られてぐらつく歯の痛みで、左の頬から顎が時々疼いた。奥から二番目の臼歯が、歯根の辺りで時たま悲鳴を発し、彼を悩ませた。痛みが顎から頭へじわりと拡がるたびに、彼は「この恨みをどうやって晴らしてくれよう」の、復讐の念にかられた。全くはらわたが煮え滾る悔しさに襲われた。戦争はおぞましい悪夢以外の何物でもないが、今の彼にはトーレス中尉の存在こそが、もっと険悪な凶夢に思えて仕方がなかった。勿論、作戦が発動された以上、編隊が一丸となって攻撃目標に突入し、例の忌々しい操車場を捻り潰さなければならない。しかし、序でに厄災の種とも言うべきトーレス機が撃墜され、彼が地獄へ堕ちてくれたらどんなに嬉しいことか。
 幾ら考えても、ローズフェルトにはこれが驕慢な所願とは思えなかった。罪悪は断固として排撃されるべきだった。外なる罪は、言わずと知れたヒトラーとナチス――暴政を振り回して止まない悪逆非道の第三帝国で、内なる不徳は傲慢で不遜な掟破りの男――ジョン・トーレス中尉だった。規律を蔑ろにし、自分勝手に暴走するばかりでなく、悪評で自分を陥れ、尊厳や存在さえも無慈悲に踏み躙る相手だった。そして秩序を尊ぶべき軍を堕落させかねない男だった。あの男は、何時か粗略や横暴たる特質を振り回して、部隊を窮地に陥れ、隊の全員を纏めて墓場へ送り込むに違いない。撃墜されて海峡に叩き込まれた指揮官リーランド少佐の無念を思い浮かべると、焦燥が募った。「早急に手を打たないまま見過ごしていると、今日か明日には自分も同じ目に追い込まれる」トーレスの存在は強迫観念にも似た不安をローズフェルトの胸中に培養した。これまでのむかつく出来事が幾つも蟠って、腹の底では怒りの導火線すら燃えた。今となっては点じられた火を吹き消すのも不可能だった。それこそ痛恨の極みで、突き上げる憤怒を放棄したら、自分こそ哀れになった。
「ドラゴン・エクスプレス」の操縦席で、離陸の順番を待つトーレス中尉にして見れば、ローズフェルトの思索など知ったことではなかった。今は無事な出撃に集中する時間帯で、機を安全に空へ運ぶことが最優先だった。自分の操縦に乗員の生命がかかっていたのだ。迂闊なミスで死なせることは許されない。やがて離陸の順番が回って来たトーレスは、無線で管制塔に出発を告げると、スロットルを徐々に開いた。駐機位置から滑り出させた愛機を、慎重に滑走路の端へ運んだ。爆弾倉に二トンの厄介な荷物を抱えていることを、彼は片時も忘れなかった。石橋を叩いて渡る用心を怠ると、自分自身、挽肉みたいにバラバラになって、宙を舞ったろう。何処までも慎重を期すトーレスは、滑走路の手前で、「ドラゴン・エクスプレス」をゆっくりと旋回させた。飽くまで慎重に丁寧に、滑走路と対決するように、機首を向けて停止した。諸計器の最終点検をさっと済ませると、ブレーキを完全に外した。さもないと半端な速度しか出ない滑走になり、大惨事に繋がったろう。
「出発する」決意を確認するようにつぶやいた彼は、スロットルを開いた。計器板にはスイッチやメーターの類が、「本当に必要か?」と思えるほど沢山あるが、一度に全てを見る必要はない。重要なのは回転計、吸入圧力計、油圧計で、まずこれらに気を配り、次いでカウル・フラップ(滑油冷却扉)とAMC(自動混合気調整装置)に注意すれば良かった。離陸の前に油圧計を点検するのは奇妙かも知れないが、オイルが供給されなくてもエンジンは勝手に回転し続け、焼けついて壊れたのだ。動力系に生じた障害なら、エンジンが自然停止するので、事なきを得るが、オイルはそうは行かなかった。不親切なオイルは、エンジンがこんがり焼けても、素知らぬ顔なのだ。また、エンジンを全力運転する時は、熱を帯びて高温になるオイルの冷却も必要だった。カウル・フラップ――空気を流入させるシャッターを全開して、冷気を充分に取り込んでやる必要もあった。離陸して高度を上げ、高く飛ぶと、気圧が下がってエンジンの混合気吸入効率が低下するが、こちらはAMCが自動で調整してくれた。
 エンジン回転を上げて行くと、機は自然に離陸滑走を始めた。「計器飛行に移る。離陸後に脚を上げてくれ」トーレスが事務的に指示を与えると、右隣の副操縦士フォード少尉は「了解」と、これまでに限りなく繰り返されて来た承服の意を返した。トーレスは助走を始めた〈空の要塞〉のスロットルを一杯に開き、加速態勢に入った。耳を澄ましてエンジン音を確かめつつ、二トンの爆弾を積んだ「ドラゴン・エクスプレス」を快調に疾走させた。傍目には騒々しいだけ――と思えるエンジンも、異常があれば唸りに微妙な変化を起こし、注意を喚起した。しかし、大空で命を託さねばならぬ四基のライト〈サイクロン〉GR1820・97は、今日もご機嫌で回っていた。合計で四八〇〇馬力が放つ爆音は、さながら怪物の咆哮のようだった。が、エンジンの駆動音を楽しみながら車を飛ばすカー・マニアだったら、さほど苦にはならないだろう。後は滑走路におかしな物が落ちていないことを祈るのみだった。前に飛んだ機が部品など脱落させると、後続機がそれに躓いて、タイヤをパンクさせることがあるのだ。蹌踉めいて腰砕けになり、機を擱座させると、そこで二トンの爆弾が爆発して、一巻の終わりとなる危険があった。
 直ぐに計器飛行に移るのは、夜明け前後の薄暗い滑走路など、幾ら見ても無意味だからだ。離陸を肉眼に頼ると、曖昧な遠近感に裏切られて、何処までも突っ走ってしまう危険がある。滑走路の端が、意表を突くように目の前に現れたら、誰しも慌ててしまう。不整地路面に飛び出して足を取られたり、転倒すれば、やはり大事故が起こったろう。緯度の高い英国でも、〇六〇〇時ともなれば、次第に空が白む気配が忍び寄るが、周辺の景色には見向きもせず、最初から計器を使って飛行した方が安全だった。トーレスは計器類がほんのりと放つ灯りを頼りに、五〇、六〇、七〇と上がって行く対気速度計を注視した。時々、水平儀にも気を配り、機体の姿勢制御に神経を注いだ。
 彼の瞳は真剣そのものだった。つまらないお喋りも今は控えた。通常、「飛行機の離陸は優しく着陸は難しい」と言われるが、ここではその公式が当て嵌まらなかった。爆撃機は起爆信管を組み込んだ爆弾をわんさと抱えて飛び立つのだ。その点では空戦より恐ろしい瞬間がそこにあった。事故が起これば爆撃機は大爆発する。他方、任務を終えて戻る時は、物騒な代物は機内から消えているので、遙かに気楽だった。接地の際に機がバウンドしても、爆弾がなければ取り立てて騒ぐこともなかった。
 また、離陸する時は、前に飛び立った機が残す乱気流に突っ込まねばならない問題があった。機長は操縦桿とフット・バーを操作し、機体が常に水平を保つよう、特に慎重に姿勢を制御しなければならなかった。この乱流を突き抜けて舞い上がる飛行が、毎度ながら煩わしいのだ。これは短時間に於ける多数機の発進に原拠があった。乱流が収まるまで待って居たら、全機の出撃に時間がかかり過ぎてしまう。間断なく舞い上がって編隊を組む為に、爆撃機は次から次へと滑走して離陸しなければならない。この時、それぞれが四基のプロペラを猛烈に回転させる為、あとには四つの偏流が奇妙な渦となって残った。扇風機で風を送る場合、可愛らしいモーターを使うが、〈空の要塞〉のエンジンは一二〇〇馬力だった。それが四つあるので、合計では四八〇〇馬力となる。四八〇〇馬力が残す螺旋後流へ突っ込むと、四発の重爆撃機もよろけたのである。万一、離陸速度が不足し、乱流に弄ばれて墜落したら、一〇人の搭乗員はやはり大爆発とともに四散した。滑走路の上で大火災が起こり、残骸が滅裂に散乱したら、他機の出撃を妨害して、作戦まで腰砕けに追いやる可能性があった。その為、トーレスは普段の倍も慎重を期し、操縦装置をこれ以上ないほど丁寧に操った。
 なら、爆弾の起爆信管を外して離陸すれば良いではないか――と、言えそうだが、離陸後に信管を装填するのは不可能だった。所定の高度を目指す長い上昇飛行の最中、傾いている狭苦しい爆弾倉で作業を行うのは困難だし、水平飛行に移る高空は死ぬほど寒いので、ここでは北極探検隊みたいな分厚い手袋が欠かせなかった。そうした格好でレンチを使い、爆弾の弾頭部を外し、所定の位置に信管を装着し、再び弾頭を元通りに復元するのは不可能である。また、防寒対策から着用する電熱飛行服、それに酸素マスクやヘッドフォン、これらに繋がる各種のコード類も作業を妨害した。エア・ポケット(晴天乱気流)は、異なる速度で動く空気の塊同士が衝突して発生するが、これに嵌まり込むと機体が弄ばれ、乗員が投げ飛ばされたりするので、悪条件が多過ぎると言えた。そして、五〇〇ポンド通常爆弾と一〇〇〇ポンド準徹甲爆弾は、触発信管が弾頭前部に組み込まれたが、一〇〇〇ポンドの徹甲爆弾は遅動信管が尾部に組み込んであった。こちらは弾頭部が堅固な金属構造になっているからだ。頑強な構造物を貫通して炸裂する徹甲爆弾は、弾体後部に炸薬が充填されたのである。こうした諸条件を加味して検討すると、物騒な信管の装填作業は、やはり出撃前の地上――静止状態の爆撃機の中で、出来る限りそっと済ませるよりなかった。担当するのはそれぞれの機の爆撃手である。装填作業を手伝うのは二名の兵器員で、作業中の無駄口も固く禁じられた。通りかかった第三者が話しかけるのも厳禁だった。操作を誤って大爆発を起こしたら、話しかけた者まで木っ端微塵に吹き飛んでしまう。片方の靴くらい形見として残るかも知れないが。
 出撃時の〈空の要塞〉は、翼内に四つある自動防漏式のタンクに、およそ一万リットルの燃料を積み込んだ。機内には一〇名の乗員の他に、数千発の機銃弾も詰め込んだ。弾丸の携行数を曖昧にしたのは、銃手の中には予備の弾薬を勝手に持ち込む者が居て、機体によって弾量がまちまちだったからである。そもそも機銃の数からして曖昧で、中には遺棄される機体から取り外した機銃を勝手に増設したり、万一の故障に備えて予備の機銃まで持ち込む者もあった。正式な仕様書の上では一三挺とされる重機関銃の数が、一五挺だったり一六挺だったりした。戦場へ飛び込んで行く者たちには、規則や帳簿の員数合わせなど知ったことではなかった。空戦に銃弾をたっぷり使えるかどうかが、存命に係わる大事となったのである。従って、離陸する爆撃機は、様々に余分な重量を抱えた状態で、この重さに逆らうようにして、大空へ駆け昇る必要があった。
「ドラゴン・エクスプレス」を疾走させるトーレスは、発動機回転計と吸入圧力計に気を配りながら、前方の薄闇を目指してぐいぐいと突き進んで行った。速度が上がるに連れ、同じく回転をどんどん高めて行くタイヤが、追随に苦しがって、軋る悲鳴を発した。と、思うのも束の間、タイヤが回転し切れなくなる頃には、〈空の要塞〉は限界まで勢いを増しており、トーレスが操縦桿を少し引いてやると、機は滑走路面を蹴るようにして、ゆっくりと浮き上がった。地を離れたタイヤは、苦しい摩擦から解放されて、ほっとしたように空転した。
 前述の如く、機体が地を離れて上昇に移る瞬間は、前に飛んだ機の乱流による妨害があって、機長のトーレスを始め、乗り込んだ全員が緊張した。もし、この時の操縦に粗相があると、機体はおろか他の九名の乗員も絶対に助かりはしなかった。火の点いた火薬樽を抱いて大地へ突っ込むようなもので、脆弱な彼等の肉体は痕跡もなくこの地上から消え失せた。文字通り、めぼしい物など何一つ残らず、魂も昇天する余裕すらなく滅却した。目も眩む閃光の中で、一筋の蒸気がすっと立ち上る感じで消えたろう。遠離る記憶のように去って、その存在を永久に失った筈である。故に滑走路を蹴った機体が、宙に浮くか否かの際どい一瞬は、全員が息を殺して成り行きを見守った。無事に大空へ羽ばたくか、それとも失速による墜落からの大爆発か。もし、操縦装置に問題が発生したり、エンジンが不調を来して止まったりすると、機体はぞっとする浮遊感のあとに滑走路へ突っ込んで、大爆発を起こしたのだ。
 この瞬間は、飛行船〈ヒンデンブルク〉が焼け爛れ、骨組みが崩れ落ちる、おぞましい記録映画の情景などを思い浮かべてしまい、乗員たちの心臓も半分くらいに縮み上がった。素早く且つ滑らかに舞い降りれば、虎口を脱する見込みは勿論あるが、この火急の時に降着装置の動作不良などが伴うと、主脚を降ろせない機体はやはり地面に叩きつけられた。機体がバウンドすることはまず有り得ない。信管に激突の衝撃が伝わって、機体が撥ねる前に二トンの爆弾が弾けるのだ。凄まじい閃光が煌めいて、機と乗員は微塵に砕け散るしかない。離陸の失敗は火葬場の焼却炉へ飛び込むのと同義だった。その為、胸騒ぎと恐怖に固唾を呑む時間は、ある種の拷問と呼んでも良かった。機体が上昇に移るまでの不愉快な気分に比べれば、「敵戦闘機と撃ち合っている方が未だ増し」と嘯く乗員が少なくないのも頷ける。あわや撃墜と言う危機に直面しても、空戦なら未だ落下傘降下による逃げ道があったからである。
 だが、幸いなことに、トーレス機を支える四基の〈サイクロン〉エンジンは、そうはさせじと力強い回転を続け、一二〇〇馬力の複列星型一四気筒が駆動する櫂型プロペラ――従来のペラより幅が広く、肉厚になって、回転効率を一段と高めたパドル・ブレードを猛烈に回し、巨大な翼がその重々しい図体を浮き上がらせるに充分な揚力を与え続けた。機内に積み込まれた様々な備品は相変わらず小刻みに揺れたが、〈サイクロン〉エンジンとプロペラは、小さな振動など歯牙にもかけず、機体をぐいぐいと空に引っ張り上げて行った。恐る恐ると言う意味での、見た目の不格好さよりはうんと逞しく、トーレスが操縦する〈空の要塞〉は、薄闇の彼方に待つ大空を目指して舞い上がって行った。機はそれまで滑走路を引きずっていた分身――暗い影とも訣別した。
 対気速度計の針が八〇、九〇、一〇〇と上がって行くと、高度もそれに比例して上がった。この速度計が示す数値は、主翼から突き出すピトー管が検知した圧力により、指針を動かしているだけの代物で、本当の所は良く判らなかった。通常、実測値より低いことが多かった。詳しく知りたいとして、計器の目盛りを小さく刻んでも、針は圧力変化に反応するだけだ。おまけに高度が上がるほど気圧が低くなり、誤差も大きくなったので、本物の真気速度を知りたければ、航空計算尺を用いて換算しなければならなかった。機に専用のナビゲーター(航法士)が必要とされる所以である。〈空の要塞〉は誘導電波の受信機も備えており、英国から発信される電波を辿って飛行できたが、これにも限界があって、電波はルール地区の辺りまでしか届かなかった。更に奥地へ向かう時は計器飛行が必要になったのである。また機械は故障することがあった。戦闘による被弾により、電波受信機も電子計算機も使えない時は、コンパスと航空計算尺が必要になったのである。
 計器速度が毎時一〇〇ノットを超えた時、トーレスが高度計に目をやると、指針はおよそ三〇〇フイートを示していた。ほぼ教科書通りの見事な離陸と言って良かった。ほっと一安心して、薄暗い操縦席で顔を上げたトーレスは、この高度で操縦席の窓から東の地平に暁を見た。雲量は四で、赤味を帯びた雲の一部が荘厳な黄金色の輝きを放っていた。無事な離陸を祝福しているように思えた。
 空に確実に舞い上がった時の浮遊感は、敢えて細かく説明する必要などない。副操縦士として機長を補佐するフォード少尉は、言われるまでもなく、その感触を確実に肌で受け止めていた。頃合いを見計らって、握り絞めていた主脚主車輪の格納把手を引いた。収納が早いと、緊急着陸の時に困るので、彼は何時も遅過ぎるくらいに余裕を保たせ、車輪を収納した。ぐいと把手を引くと、目覚めた怪物の欠伸みたいなモーター音が機内へ響いた。折り曲げた車輪がしっかり格納されると、操縦席にも「ガクン!」と振動が伝わった。死人も目覚めるような騒音が響き、衝撃も体感するので、特に「上げ」、「下げ」の指示器を目で確かめる必要はなかった。
 脚を畳み込むと、〈空の要塞〉は空中に精悍なシルエットを描き出す。両脚を突き出して地上に這い蹲っている時より、大空を雄々しく飛翔する姿の方が、〈空の要塞〉は遙かに逞しく見える。トーレスは高度が五〇〇フィートを越えた所で機を旋回に入れると、方向探知機が捕捉する誘導信号に添って、機を正しい航路に乗せた。相変わらず轟々と唸り続ける四つの爆音に気を配りながら、彼は更なる上昇を続けた。エンジンは四基とも快調だった。猟場に向かうやんちゃな猟犬のように威勢が良かった。今日も命を託さねばならぬライト社の子供たち――〈サイクロン〉の機嫌は申し分なかった。
 ゆったりとした上昇飛行を続けていると、やがて海峡と大陸の両方が視界に入って来る。朝焼けが徐々に拡がって行く大地の眺めは雄大だ。薄暗い巨大な塊を配したような大陸に、東方から目映い柑橘色の波が拡がって行く。さながら神々しい朝の幕が開くようで、ドイツ方面からオランダやベルギーへ、北フランスへと、じわじわと延び続ける黎明が壮観だった。大陸の夜明けを空から見下ろす格好で、〈空の要塞〉は機の左舷側を濃いオレンジ色に染めながら、南東の空に向かった。東から差し込む早朝の陽光は、機の内部まで朱に染めた。それは窓を透過し、複雑に歪み、様々な変化を見せながら機内を移動した。次に飛び立った機は、上昇しながら先行する機を追った。そして、次の機がやはりその後を追って所定の位置に就き、その後から飛び立った機も、やはり自分の配置場所を目指して突き進んだ。トーレス機もローズフェルト機もその中にあった。左舷側で目映く輝く朝陽に目を細めつつ、それぞれ所定の位置へ着実に機を運んだ。発信局から送り出される誘導信号に導かれて、暁闇を突く機械仕掛けの怪物たちが、同じ空域を目指し、次第にその数を増やしつつ、徐々に飛行編隊を組み上げて行った。
 爆撃機の空中集合では、三機編成の二個小隊からなる中隊六機が三つ集まって、一八機による相互支援の戦闘体形「コンバット・ボックス」を組んだ。これが三隊結集すると、「コンバット・ウイング」なる豪壮な大集団が空中に形成された。一ボックスの常備定数は一八機なので、完全なウイングが構成された時の爆撃機の総数は五四機となる。こうして四発の重爆撃機が緊密に組んだ編隊は圧巻だった。但し、故障で出撃を見合わせる機もあれば、離陸してもその後に発生したトラブルで引き返す機もあるので、必ずしも計算通りの機数を揃えて出撃できる訳でもない。従って、五個大隊を送り出したとか、一〇個大隊を発進させたと言っても、参加する実数は机上の計算より少なくなるのが普通だ。また、敵の戦闘機も定数確保を妨害した。これを無力化しない限り、数を揃えて飛ぶことは難しかった。今は見込みが薄いとしても、敵の空軍を衰退させ、且つ、本国での量産が捗れば、予備機を含めて機数が増える希望はあった。
 この日、第一と第三の二つの爆撃師団が、それぞれ「コンバット・ウイング」を燃えるような朝焼けの空へ送り出したので、〈空の要塞〉の総数はおよそ一〇〇機に達した。混成で〈リベレーター〉の機数が多い第二爆撃師団は、全て〈リベレーター〉で編成された四つの大隊を、すでに夜明け前に出撃させていた。一足早く出発したこちらの任務は、オランダからドイツ湾に沿って展開する敵の空軍基地を分散攻撃し、多方面で混乱を引き起こすことだった。この手法はやや向こう見ずで、航空軍が本旨とする戦略目標への集中爆撃と言う理念に背くが、ドイツ空軍の目を脇へ逸らしたい今回に限っては止むを得なかった。
 電波と無線を駆使した敵の防空機能を乱すか、または敵戦闘機を場違いな空域に誘い出し、無駄に燃料を使わせても良かった。或る意味、それでも事足りたのだ。威嚇行動で誘い出されたドイツ戦闘機が、血気に逸って場違いな方角へ飛んで行けば、迂回してルール地区の鉄道操車場を指向する攻撃隊の主力が、敵機の妨害に晒されることなく、目標を奇襲できたろう。もし、牽制部隊が敵の飛行場まで巧く叩けるなら、孔だらけの滑走路に直面した敵の戦闘機は、その後の作戦行動にも重大な支障を来すと思われた。ここで事故に遭ったり、他の飛行場への分散退避を迫られれば、本隊の帰りを狙う再出撃にも骨を折るからだ。ドイツ戦闘機隊を混乱させる――それだけでも、敵は組織力に機能不全を起こしたのである。再出撃したくても、連絡の不備などから編隊の集結に手間取れば、結局、個人単位で勝手に戦うしかないが、こうした戦法では効果が上がらないのが常だった。

 先発した〈リベレーター〉の四個大隊――およそ七〇機は、まず指定空域で作戦に協力してくれる英軍戦闘機隊と合流した。英空軍が六個中隊を送り出してくれたので、〈スピットファイア〉の総数は軽く一〇〇機を超えた。この〈スピットファイア〉の集団は、爆撃機より多い機数で編隊の周辺に展開し、警戒に当たった。しかし、この戦闘機は、最早、恒常化したドロップ・タンクを併用しても、本来、局地戦用に設計された細くしなやかな胴体に大量の燃料を積み込むのが難しく、ドイツ領内まで爆撃隊に随伴するのが難しかった。大気の状態に恵まれても、一〇〇〇マイル飛ぶのが精一杯だった。そもそも設計者レジナルド・ミッチェルは、専守防衛を目的に開発したので、「長距離侵攻が出来ない」と文句を言うのは筋違いとなる。その上、この日はドイツ戦闘航空団も活発に行動し、レーダーによる早期の警報か、若しくは哨戒機の報告によって、大陸を防衛する戦闘機隊を素早く送り出したので、英米の戦爆連合は、オランダに差し掛かる手前で早くもインター・セプト(迎撃)された。こうなると露払いの英軍戦闘機隊は、増櫓を投棄して身軽になるしかなく、飛行距離の激減にも目を瞑って、Me109やFw190の混成編隊に飛びかかって行った。五〜一〇分ほど空戦したら、瑛本土へ引き揚げねばならない。
 空色に塗装されたドロップ・タンクが雨霰と降った。〈スピットファイア〉の機体下面と同じ色だ。フリージア諸島の西方で、沿岸漁業に勤しむ漁船からこの模様を見上げた漁師たちの目には、おかしな場所へ大量の爆弾を投げ捨てていると映ったろう。増槽は爆弾と勘違いされ易い。〈スピットファイア〉の多くは胴体下に平たいタンクを懸吊していたが、一部の機はそれよりも小さめのタンクを抱えていた。大きなタンクの容量は一〇〇英ガロンで、小さい方は四五英ガロンだ。遠出するには容量の大きなタンクが望ましいが、数が足りなかったかも知れない。いずれにしても、容器の内部には未だ燃料が残っており、ここで海に捨てるのは惜しまれた。だが、ドイツ軍の戦闘機が数十機――作戦正面に挑戦的に現れたら、北海洋上での投棄も止むを得なかった。飛行距離の延長に欠かせない増櫓も、余分な重量と空気抵抗が災いして、速度と運動性を著しく悪化させたので、空戦には邪魔だった。それにドロップ・タンクを抱えたまま被弾すると機が火達磨になった。
 偶々、オランダの漁船が何隻か、海面を叩くドロップ・タンクの水飛沫を見つけた。早速、網を鉈で叩き切ると、先を争う猪突猛進を始めた。遠目に見ると、イルカが海面を跳ね回っているように見えたが――現場へ急行する彼等は、その本当の価値を知っていた。容器がまだ海面に浮かんでいるか、遠くへ流されてしまわない内に、出来るだけ多くのタンクを回収したいのだ。この連中にも体験から学んだ知恵があった。投棄される容器は必ずしも空ではない。ハイ・オク燃料を残したまま捨てることも少なくなかったのだ。それを承知の漁民たちは、直ちに漁を中止して、使い古しの網も投げ捨てた。ガソリンを闇市へ運べば高値で取り引きされたからだ。戦時では金銀財宝は余り当てにならず、大いに不足して手に入りにくい物品――食料やガソリンの方がずっと値打ちがあった。落下タンクを出来るだけ回収し、ガソリンを集め、闇市で捌けば、新品の漁網を買っても、未だたっぷりお釣りが来た。空戦の下を彷徨えば、銃砲弾が降り注いで危ないが、天からの授かり物をむざむざと見過ごす手はなかった。眼前に宝の山が浮かんでいれば危難などお構いなしである。この呆れた逞しさには、英独両軍も黙って頭を垂れるしかなかったろう。哨戒任務に就くドイツ海軍のEボート(魚雷艇)から双眼鏡を覗き見れば、先端に鉤をつけた長い棒を振り回して、海面に漂う容器を奪い合う漁民たちの姿が窺えたろう。
 一方、早朝の北海上空では、恒例の「死の舞踏会」が始まった。重量物を投棄して身軽になった〈スピットファイア〉の一団は、唸りを発して向かってくるドイツ戦闘機の群れに躍り込み、彼等を格闘戦に引きずり込んだ。瞬く間に数機のドイツ機が火を噴いて燃え落ちた。上昇、反転、旋回、降下、シャンデルにスプリットS、急横転――それは毎度お馴染みのステップとリズムを刻む華麗な舞だった。洒落た音楽の代わりに、エンジンの爆音と機銃や機関砲の発射音を奏でる地獄のパーティーだった。換言すれば、ロールス・ロイスのエンジンとダイムラー・ベンツの液冷エンジン、加えてFw190戦闘機が搭載する、BMWの空冷エンジンが唸り合う咆哮合戦だった。ブローニング機銃とラインメタル機銃、イスパノ機関砲にモーゼル機関砲の雄叫びまで参加する混声大合唱だった。威勢良く暴れ回る〈スピットファイア〉は総じてドイツ軍戦闘機を圧倒した。
 と言うのも、Me109を例に上げると、大戦初期に活躍したE型までは、まだ容認しうる翼面過重から、多少なりとも格闘性を備えたが、F型、G型への発展過程で重量化が進み、旋回性能を測る目安――ウイング・ロード(翼面荷重)がどんどん悪化して、空戦に重要な旋回性能をひどく貶めていたからである。これはMe109に限らず、フォッケウルフ社のFw190にも共通する問題点で、原因は速度に固執するドイツ空軍全体の偏った戦術思想にあった。概ね「戦闘機は速ければ良い。速度が速けば機先を制して攻撃できる」と決めつけていた。なら速度の妨害要因となる翼面抵抗は少ない方が好ましかった。こうして主翼面積と機体重量比の調和を欠いて誕生したドイツ戦闘機は、必然的に旋回能力が悪くなって、ここから戦術も一撃離脱戦法――主に急降下による速攻と上昇退避を繰り返す方式に偏った。「降下加速を利用して攻撃したら上昇力に訴えて退避する」のである。加速がつき過ぎた時は、そのまま急降下するしかないが。いずれにしろ、この方式を繰り返すなら、旋回性能など無用だった。が、翼面抵抗が少ない分、横転がし易く、高速横転は得意とした。方向転換は横転運動を流用して行った。
 他方で一撃離脱戦法には、攻撃が粗雑になり、目立った成果が上がらない欠陥があった。敵機を確実に撃墜するには、背後へ回り込んで仕留めるのが一番である。「速度があって素早く横転が出来れば良い」などと思い違いをしていたら、ろくな戦闘機は出来ない。実際、旋回性能が蔑ろにされたドイツ戦闘機の撃墜率は、決して良いものではなかった。連合軍機を何万機も撃墜した勇壮な話題は、ゲッベルス率いるドイツ宣伝省の誇大妄想の中にのみ存在したのである。出鱈目な大本営発表など相手にせず、英空軍や米陸軍航空隊の被害を丹念に調べて見ると良い。ドイツ側の言い分よりずっと少ないことが明らかになる。
 そもそも一撃離脱戦法は限られた状況でしか使えない戦法だった。戦う相手が最初から優位な高度にある場合、当然ながら急降下が使えず、勢い、同高度での取っ組み合いに巻き込まれた。旋回性能が悪い戦闘機は、こうした時にもたついて、返り討ちの目に遭った。この段階で物を言うのが、低い翼面荷重に支えられる良好な旋回性能である。くるりと身を翻し、相手の背後へ回り込むには、低速運動に於ける充分な揚力が必要で、この揚力の確保にこそ、大きな翼面積が欠かせなかった。翼面が負担する荷重が小さければ、戦闘機はそれだけ大きな揚力を得て、小さな旋回半径で回れたのである。これと逆な立場にあるドイツ戦闘機は、揚力不足から生じる失速を防ぐ為、どうしても速度を上げて旋回しなければならず、遠心力の作用が強まって、これに振り回される機が必然的に大回りしたのである。旋回時に大回りする戦闘機は、小回りの利く戦闘機に懐へ飛び込まれて、危機に瀕した。
 もう少し詳しく紹介すると、全備重量がおよそ二・五トンだった大戦初期のMe109Eは、主翼面積が一六・四平方メートルだったので、負担荷重は一平方メートル当たり約一五〇キロだった。F型は重量が二・七トンを超えたので、この数値がおよそ一七五キロとなり、ただでさえ格闘戦に苦しむ羽目になったが、三トンを超えたG型ではこれが一九〇キロに達し、もっと後期のモデルになって機体重量が三・五トンを超えると、翼面荷重も二〇〇キロを超過した。性能の善し悪しを論じるのも馬鹿馬鹿しい滅茶苦茶なレベルである。戦闘機は装備の追加や構造強化などで次第に重くなるのが普通で、先を見越した基礎設計が必要だったが。
 さりながら最初から小柄に設計された機体は、その大きさに比例した小さな翼面積しか持てない為、次第に重量が増加して行くと、翼面が負担する荷重は悪化の一途を辿った。主翼の形や面積は、全体の調和を無視した大きさには出来ないので、旋回性能がどんどん劣化しても、この欠点には目を瞑るよりなかった。もう一方の雄――フォッケウルフ社のFw190も、各型によって重量は異なるが、主翼面積が一八平方メートルと小さい割に、機体重量が四トン前後あって、これが翼面を圧迫する荷重もやはりひどかった。翼面荷重は概ね二〇〇キロ前後だった。世界屈指の格闘性を誇った〈零戦〉二一型の翼面荷重が一〇八キロ/平方メートルだったことを考えると、後期のドイツ戦闘機は、その倍近い重荷を背負って飛んでいたことになる。
 判り易く説明するなら山登りが良かろう。片方は一〇〇キロの荷物を背負って登山するが、もう一方は二〇〇キロを背負って登るのだ。途中で二人は仲違いし、殴り合いの喧嘩をする。どっちが勝つか、考えるまでもあるまい。序でに、〈スピットファイア〉も紹介すると、それぞれのモデルの中にも様々な改造バージョンがあって、重量が異なる為、一概には言えないが、Me109のE型と戦った一型、並びに二型がそれぞれ一一七、一二七キロ/平方メートルで、F型と戦った五型が一三七キロ、G型と戦った九型がおよそ一五〇キロだった。どの型を見てもドイツ戦闘機より翼面荷重が小さいことが判る。従って、小回りの効く〈スピットファイア〉と格闘戦に入ると、ドイツ戦闘機はいつも背後を脅かされた。無論、実際の空戦では、飛行士の技量も係わるので、単純に結論を下せる問題ではないが。
 例えばハイ・ヨーヨーのように、上昇して自然に機速が落ちる状況を巧く利用した旋回を行えば、翼面荷重の大きな戦闘機でも、小さく回ることが出来た。但しこれには熟練した腕前が必要で、誰でも簡単に出来る技ではなかった。また翼面荷重が大きな機は、低速運動で失速し易い不利を抱えたので、格闘戦に入る時は注意が必要だった。〈スピットファイア〉の後ろへ回り込もうと焦り、うっかり速度を落とすと、ドイツ戦闘機の方が先に墜落を始めたのである。Me109に関しては、失速予防の自動スラットが備わっており、これが墜落を防いでくれたが――しかし、作動する瞬間に機が揺れた。それ以上、速度を落とすと、機は墜落を始めた。この時に機首を下げ、急降下して速度を稼ぐと、失速から抜け出すことも出来るが、姿勢を回復するまでもたつくので、その間が危険だった。相手が腕の良いパイロットなら、もたつくMe109に飛びかかって、簡単に撃墜したろう。
 名人を多く輩出すれば、機の欠点は技術で補えた。しかし、戦いが大規模になり、消耗も激しいと、どちらも速成教育の新人を大量に送り出す羽目になった。多くは前線で腕を磨く前に死傷した。熾烈な戦いが、名人級の飛行士を育てる猶予を与えなかったのだ。陸続と戦地へ投げ込まれる新人飛行士に、いきなり神業的な技量を期待するのは無理だった。事前にこうした初心者たちが扱い易い戦闘機を設計し、備えて置くのが、賢明な処置だったろう。
 ただ、ドイツ空軍は、扱いにくいMe109を破棄する予定だった。こと操縦に関しては、四年後に登場したフォッケウルフ社のFw190の方が、ずっと優しかった。ところが、Fw190が搭載した空冷のBMWエンジンは、酸素を圧縮供給する過給器が貧弱で、高々度での戦闘を苦手とした。反対に、Me109が使うダイムラー・ベンツのエンジンは、過給器の性能が優秀だったので、高々度戦闘を苦にしなかった。そこで仕方なく使い続ける羽目になったのである。過給器が優秀なダイムラー・ベンツのエンジンと、扱い易いFw190の機体が合体すれば良かったが、今頃、気づいても手遅れだ。
 少し脱線するが、豪州へ派遣された〈スピットファイア〉の八型が、ドイツ戦闘機を翻弄した格闘戦で〈零戦〉に挑んだ結果も興味深い。八型の翼面荷重は一五〇キロ前後だったが、当時、太平洋に配備されていた〈零戦〉の後期型──五二型は、一二八キロ/平方メートルだったので、旋回戦に縺れ込めば、どうしても負荷が小さく軽妙に動き回る〈零戦〉に軍配が上がった。流石の〈スピットファイア〉も〈零戦〉には苦戦した。
 空戦の今一つの要素となる縦方向の運動性に関しては、戦闘時の機体重量と馬力の比率――馬力荷重が密接に係わった。〈零戦〉二一型の二・四トンを一速公称出力の九五〇馬力(一万三七八〇フィート)で割ると一馬力当たりの負担重量が二・五キロとなる。〈零戦〉五二型はちょっと説明が複雑になるが、二速過給器を導入したので、一速公称出力が一一〇〇馬力(九三五〇フィート)、二速公称出力が九八〇馬力(一万九六八五フィート)となり、機体重量も少し重くなって二・七トン強となったので、それぞれの高度に於ける馬力荷重はおよそ二・五キロと二・八キロだった。このように馬力が強化されるなら、重量が増えても上昇力は目立って落ちないことが、二一型と五二型の比較から判る。二万フィートまでの上昇力は二一型が七分三〇秒余りで、重量が増えても馬力が強化された五二型は、ほぼ七分で上がれた。オーストラリアに派遣された〈スピットファイア〉の八型を同様に概算すると、馬力荷重は概ね二・〇キロ前後で、上昇力では負荷の小さい〈スピットファイア〉の方が優っていた。海面上昇率を見ると〈零戦〉が三二八〇フィート/分で、〈スピットファイア〉は四一〇〇フィート/分だ。しかし、三次元の空中戦では斜め方向への運動もあって、総合的な交戦能力では〈零戦〉が優り、隠れたもう一つの威力――操縦索を故意に細くした柔軟性から生まれる絶妙の操舵応答性と相俟って、結果としては〈零戦〉に軍配を上げた。これは計算では測り得ない玄妙な効果で、意図的に細くした操縦索が、独特の張りやしなりを生んで、得も言われぬ操縦性能を〈零戦〉に与えていた。
 但し、英空軍が軽量だった一型や二型をオーストラリアに送っていれば、こちらは馬力荷重も翼面荷重も〈零戦〉五二型と大差ないし、速度が少し速かったので好勝負したろう。さりながら、この時点では〈スピットファイア〉の一型も二型も生産を終了しており、この対戦を実現させるのは不可能だった。一概に性能仕様だけでは決めつけられないが、馬力荷重、翼面荷重、翼面馬力などを計算すると、大戦初期に製造された〈スピットファイア〉が、最強の格闘性能を誇った〈零戦〉と大差ないことが明らかになる。『英本土航空決戦』で活躍した一型や二型が、翼面荷重の悪いドイツ戦闘機を手玉に取ったとしても、別に不思議はない。一方、改造に次ぐ改造を繰り返し、機体重量が三・五トンになった〈スピットファイア〉の八型には、翼面荷重が低下した代わりに、格段に強化された一七二〇馬力の〈マーリン〉エンジンが搭載されていた。速度の面で〈零戦〉を圧倒した。五〇ノット(九二・五キロ)も速い速力を活用した戦法を工夫すれば、結果は自ずと違ったろう。それまでドイツ機を相手に格闘性能を利して戦って来た戦闘機が、ちょっと重苦しくなってから運動性の良い戦闘機に遭遇すると、一転して、撃って逃げる一撃離脱戦法に乗り換えるしか手はなくなったのである。
〈零戦〉や〈スピットファイア〉を図面や写真で眺めると、機体の大きさに比して主翼面積が大きい印象を受ける。旋回に重要な役割を果たす補助翼も大きめだ。だが、これは決してマイナス要因ではない。寧ろ不調和を感じるくらいの大きな翼が揚力を高め、大きめの補助翼と相俟って、旋回能力を引き上げていた。とすれば、後は機体の重量を如何に軽減するかが、翼面荷重低減の問題に置き変わった。強力なエンジンが直ぐ手に入らない情況で、ひとまず上昇力を高めたい場合も、機体を軽量化すれば馬力への負担が軽減され、性能向上に繋がった。ただ、軽量化に偏り過ぎると、機体構造が脆弱になる弊害も生じ、過大な負荷のかかる急降下を初めとして、乱暴な飛行は控えねばならなかった。被弾時の耐性も劣化した。現実に軽量の〈零戦〉は抜群の格闘性を誇った代償に、銃撃された時に壊れやすい欠点を抱えていた。他方、〈スピットファイア〉の主戦場は欧州にあり、概ね、速度優先のドイツ戦闘機との戦いに追われたので、嫌でもエンジンの強化を続けるしかなかった。この振動対策から、機体を頑強に作り替え、重量化することにも、目を瞑るよりなかった。それでも最初から翼面積にたっぷりと余裕があった〈スピットファイア〉は、翼面荷重の劣化を、或る程度の許容範囲に止めている。
 いずれにしても、ドイツ戦闘機の旋回性能が劣悪なこと――かなりひどい荷重値で飛んでいたことは、性能仕様書の上からも明らかだ。ただ、大戦も中期になると、強力だが重いエンジンの搭載、自動防漏式燃料タンクの採用や防弾鋼板の導入が標準化して、戦闘機の重量化が世界的な規模で進捗したことも否めない。総じて主翼にのしかかる負荷も悪化の一途を辿った。しかしながら、優良な旋回性能の確保に必要な翼面荷重の数値は、一六〇〜一八〇キロ/平方メートルが我慢の限界で、大戦の前期なら一五〇キロ、後期は二〇〇キロを超えると、制空を主とする戦闘機としては落第だった。全備重量五・五二トンの巨漢で登場したグラマン社の艦上戦闘機――F6F3〈ヘルキャット〉を見ると、この大変な重量から悪化する荷重を少しでも軽減しようと、同社の設計陣は呆れるほど大きな主翼を持たせている。面積は三一平方メートルもあって、単発形式の戦闘機としては、これまで登場した戦闘機の中では最大規模の大きさになっている。これは小型に作ったせいで、どう仕様もなくなるMe109の、ほぼ二倍に相当する主翼面積だった。〈ヘルキャット〉は巨大な主翼を持つことで、翼面にのしかかる荷重を一七八キロ/平方メートルに抑え、運動性の低下を防いでいた。欠点としては、広い翼面にかかる摩擦抵抗も大きくなり、二〇〇〇馬力のエンジンを搭載した割に、速度が伸びなかったことである。しかし、艦上戦闘機は航空母艦での運用が第一義だった。無闇な高速化を追い求め、着艦速度まで速くなると、母艦へ舞い降りる時に危険を招く問題もあった。高速で飛行甲板へ侵入した場合、ワイヤーにフックを引っ掛けても、機体を破壊して転倒したかも知れないし、勢いが余って飛行甲板の先端から海へ落下したかも知れない。広大な陸上基地を使える戦闘機なら、特に気にしなくて済む問題だが。
 それでも戦闘速度は速いに越したことはなく、四三年四月から生産が始まった改良型のF6F5では、エンジンを水メタノール噴射装置つきのR2800・10Wに換装して、緊急時の最大出力を二二〇〇馬力に引き上げている。ただ、同時に装甲防御まで強化したせいで、全備重量が五・七八トンに増え、最大速度は余り変わり映えのしない三三〇ノットに止まった。上昇力、旋回性能、航続力に関しては、重量が増加した分だけF6F3より悪くなっている。これでは退歩的な処置と言えそうだが、太平洋を主戦場とした〈ヘルキャット〉は、日本の航空隊が極端に速い戦闘機を持たなかったこともあり、パワーを頑強さに振り向けることが出来た。装甲重量が96キロもあって、極めて撃墜しにくい戦闘機となり、多くのパイロットを守っている。後期は日本軍飛行士の技量が低下したことも相俟って、「〈ヘルキャット〉に乗っていれば、まず死なない」と言う状況も生まれた。
 その〈ヘルキャット〉は、終戦までに四九四七機の日本機を撃墜している。米海軍全体の撃墜数は九二八二機となるので、およそ半分が〈ヘルキャット〉の戦果だ。因みに、陸軍航空隊は「追跡」の概念から戦闘機を追撃機と考え、頭文字にPの記号を用いたが、海軍航空隊は「戦闘」の名を好み、記号にはFを使った。
 では、太平洋で暴れ回った〈ヘルキャット〉には、「ドイツ空軍と戦う機会などなかったか?」と言うと、そうでもなく、一九四一年三月一一日に成立した武器援助協定に従って、英海軍に貸与された機体が、英空母から発進し、Me109やFw190と銃火を交えている。興味津々のこの空戦では、速度の不充分な〈ヘルキャット〉が、高速でも旋回性能のひどいドイツ機を一方的に叩きのめしている。因みに、やはり英海軍に貸与された旧式の〈ワイルドキャット〉で、輸出生産型となるF4F4BもMe109と戦った。グラマン社の「キャット・シリーズ」一番手で、概ね一二〇〇馬力だったこの戦闘機は、初戦で〈零戦〉に苦戦し、中期からは姿を消していた機体である。しかし、最強の格闘用戦闘機と比較されては堪らないが、〈ワイルドキャット〉の基本性能も決して悪くはない。速度、馬力荷重、翼面荷重、翼面馬力、余勢を見るバルツァール比などを算出すると、さほど遜色がないことが判る。これらの数値から上出来の部類に属する。就役時の対戦相手が悪過ぎた──と、言うべきだろう。輸出型のF4F4Bを英海軍は〈マートレット〉四型と呼び慣わしたが、それがMe109と戦った事例を調べても、惨敗したのはMe109の方だった。
 速度を重視したMe109は、速攻と退避、時には宙返りなどの縦運動を駆使して戦えば良さそうだが──尤も、縦運動を交えた三次元の戦いを駆使する場合、飛行士に高度な操縦技量が求められるが。大戦後期のドイツ戦闘機隊は、概ね連度不足の搭乗員で占められたので、このレベルの技量では、平凡な旋回戦で戦うことしか出来なかったろう。「快速を利した一撃離脱戦法を使え」と口走るのは簡単だが、人間や動物の喧嘩と同様、空戦も最後は取っ組み合いになり易いので、ここに欠陥を持つ高翼面荷重の戦闘機は、こうした局面で「しまった」と後悔しながら撃墜された。他方、狭い上に揺れ動く飛行甲板から作戦する空母勤務の搭乗員は、一般的に操縦技量が高いので、旧式の〈ワイルドキャット〉でも、この時期のMe109を撃墜するのは造作なかったと思われる。
 枝葉の部分は別にして、ドイツ戦闘機の翼面荷重を他国の戦闘機と対比すれば、概ね旋回能力で歯が立ないことが歴然とする。こうした戦闘機が活路を求めるとすれば、やはり奇襲的に襲って素早く逃げる以外に方法はなく、能率が悪くても、不利な格闘戦は回避するのが賢明だった。スピードは速いので、危うくなったら、後も見ずに逃げ出すべきだ。ドイツ戦闘機は「不意打ち用の攻撃機」としての色彩が濃く、受け身の戦いは苦手なのである。逆に先手を取られて連合軍戦闘機に襲われたり、同高度から縺れ合う展開になると、損害を山積して敗退する事例が多かった。翼面積と機体重量の不調和がもう少し改善されていたら、ある程度まで、こうした不利も補えた筈だが。戦いが守勢一方へ様相を変えたなら、Me109は放棄し、専守防衛に適した制空用の戦闘機――格闘力に秀でた迎撃機を別に製造しても良かったかも知れない。いや、ドイツ空軍と航空産業は、猪突猛進型の攻撃思想に取り憑かれたので、防衛思想を受け容れるのは難しかったかも知れない。ドイツは甚だ効率の悪い攻撃用小型戦闘機を敗戦まで作り続けてしまう。
 他方、「運動性に秀でた防衛用戦闘機」として出発した〈スピットファイア〉は、エンジンの強化に伴って重量が増え続けたが、寧ろ、速度と運動性の両立と言う面で、大戦の中頃には丁度良くなった感があった。速度に拘って調和を崩し続けたMe109とは好対照である。その〈スピットファイア〉の五個中隊およそ一〇〇機が、対決姿勢を露わにする敵の戦闘機隊を蹴散らしたお陰で、B24〈リベレーター〉の各隊は、それぞれ割り当てられた攻撃目標に難なく向かえた。他方、敵機を爆撃機に寄せつけまいと奮闘する英軍の戦闘機隊は、大空を乱舞しながら次第に敵地へ深入りする羽目になった。頻繁にエンジン全開を余儀なくされる空戦では、燃費が巡航飛行時の二〜三倍に増加した。格闘戦は低速旋回が多用されるが、急上昇や宙返り、緊急退避や敵機を猛追する時は、反対にスロットルを一杯に開かねばならないので、エンジンが余分に燃料を消耗した。九型は機内タンクが二つしかない短距離機だったので、帰還用に残したい燃料を差し引くと、やはり長時間の交戦は無理だった。九型より燃料搭載量が多く、中距離を飛べる八型があれば好都合だが、こちらは生産数が少ない上に、殆どが外地へ回されていた。
 対するドイツ空軍は、最初は英軍戦闘機の突進に出鼻を挫かれたが、形勢の不利を見て取ると、直ちに反転してドイツ方面への退避を始めた。空戦を避けて内陸部へ引き下がったのは、英軍戦闘機に遠出させ、燃料を消費させる魂胆があったからだ。燃料が危うくなると護衛戦闘機も諦めて引き返すしかない。大型の獲物の攻撃にはそのあとで取りかかれば良かったろう。そもそも彼等が攻撃すべき主目標は、産業や軍事施設などに破滅をもたらす爆撃機で、戦略の根幹に余り影響を及ぼさない一握りの戦闘機ではなかった。真っ向から空戦に嵌り込むと、血税にも等しい犠牲を強いられたのである。
 その最たるものが四二年八月一九日の『ディエップの戦い』だった。正式名は『ジュビリー作戦』で、英米加の三軍およそ六〇〇〇人がフランスのディエップ(パリ北西一五〇キロ)に奇襲上陸を行った。ちょっと無謀な作戦で、上陸軍は大損害を被り、撤退するが。この時、英独の両空軍も、意地を張り合うように真正面から激突して、どちらも死闘の果てに大損害を被っている。この戦いは痛み分けになった。戦闘機の性能が格段に優っているか、数量で相手を圧倒し得ない場合、また充分な資材と人員の補給が保証されない時は、無茶な戦いは控えるのが正道と言えた。これを無視して無謀な戦いにのめり込めば、戦力が極端に減衰した。怨みの東部戦線に軍事力が振り向けられる昨今、マイナー・リーグにも等しく疎んじられる西部戦線の彼等には、無駄に戦闘機を失う余裕はなかった。
 当初は軽快な運動性を発揮して暴れ回った英軍戦闘機も、やがてオランダの内陸に入った所で行き詰まった。切歯扼腕の情況だが、ここで帰還飛行の燃料まで浪費すると、英本土へ戻れなくなった。下手をすると洋上に着水して戦闘機を沈没させるか、敵地に不時着して捕虜になったろう。〈スピットファイア〉の一団は、不承不承、戦闘を切り上げた。これが短時間しか飛べない九型の宿命だった。舌打ちしながら反転離脱する英軍パイロット達は、次々と英本土の基地を目指して引き揚げて行った。あとは爆撃隊がそれぞれの防御火器で身を守りながら、独力で敵中に血路を切り開くよりない。言わば捨て身の侵攻で突入し、自力で脱出する以外に手はなかった。
 他方、一時間の時差を置いて操車場の攻撃に向かう本隊――すなわち、第一および第三爆撃師団およそ一〇〇機の〈空の要塞〉は、海峡上空で、こちらは友軍のP47戦闘機の一団と合流した。重々しく感じる割に、甲高い爆音が不調和な印象の戦闘機――オリーブ・ドラブに塗られた五個大隊の〈サンダーボルト〉およそ八〇機は、まるで亡霊集団のように何処からともなく現れて、爆撃隊の頭上へ流れ込んだ。二〇〇〇馬力エンジンをわんわん唸らせる戦闘機隊は、爆撃隊を上から押し包むようにして防塞を築いた。主力は少し高い位置で碧空に貼りついたが、一部は斥候みたいに前方へ進出し、蛇行しながら警戒の任に当たった。別な一群は両側面へ回って脇を固めた。概ね高度を高めに保持し、敵機が現れたら直ちに得意の急降下で襲いかかる構えを取った。作戦計画では一時間の時差出動が謳われたが、こちらが空中集合を終えた頃には予定時間を超過しており、実質的な作戦行動の面では一〇分以上遅れていた。大抵の場合に於いて、あらゆる所に忍び寄る時間的ロスの積み重ねは、避けられなかった。
 そのせいか、こちらの戦爆連合が行動を起こした頃には、付近には敵味方の機影はおろか、空戦の痕跡さえ見当たらなかった。お陰でこちらの爆撃隊は『ふとっちょ』こと〈サンダーボルト〉戦闘機の群れに守護されながら、易々と海峡を飛び越え、ベルギー上空へ進入できた。戦爆連合はここから南へ座標を取り、一見すると見当違いの方角へ向かった。ドイツ軍の電探基地や戦闘機隊の根拠地を迂回して、遠回りしながら攻撃目標へ向かう為だった。無理して敵を挑発する必要はない。ただ、爆撃隊には腹立たしいことに、こちらを護衛する〈サンダーボルト〉戦闘機も、航続力に関しては頭の痛い問題を抱えており、無念でも中途半端な所で引き返すよりなかった。
 レパブリック社のアレクサンダー・カルトベリーが設計した〈サンダーボルト〉は、戦闘機とは思えないほどの肥満体に大量の燃料を積載したが、大馬力エンジンR2800の非効率と、戦闘機自身の目を剥く重量から、馬力にかかる負担がことのほか大きく、最も肝心な燃費をひどく悪くしていた。機内に搭載された三〇七米ガロンの燃料は、ドイツ戦闘機との比較ではほぼ三倍に近い量となる。それでも前記の理由から、がっかりするほど航続性能が低い〈サンダーボルト〉は、行動半径二五〇マイルを確保するのが精一杯だった。単純な直線飛行の移動なら、勿論もっと大きく、ざっと一〇〇〇マイル近く飛べたが、戦闘機は縦横無尽に飛び回らねばならず、その上で無事に基地へ帰還することまで計算に含めると、オランダやベルギー界隈を制空範囲に収めるのが限度だった。作戦地図の上で、戦闘機隊基地から行動半径二五〇マイルの半円を描くと、円弧の先端は概ねドイツの国境線付近を掠めるだけだった。自由行動の限界点は敵の玄関先と言って良かった。これでは第三帝国の鉤十字のドアをノックしたら、挨拶もそこそこに、直ぐ引き返さねばならない。更に奥地の攻撃へ向かう爆撃隊は、そこで置き去りにするしかなかった。
「安全圏のみ護衛して、危険地帯に入ったら引き返す? そんな物が護衛戦闘機と言えるのか?」の不手際だった。これでは出撃しても大して意味がなかった。この問題の解決には、是非ともドロップ・タンクが必要で、航続距離の延長は〈サンダーボルト〉に取り焦眉の急務となった。そこで、二〇〇米ガロンのタンクが本国で応急生産され、英国へ送られたが、いざ使って見ると、大慌てで作ったせいか供給弁に欠陥があって、圧力をかけて燃料を機内タンクへ移そうとすると、燃料がゴボゴボ溢れ返った。高々度飛行では特にこの漏洩が激しく、盛大に散布して、目に余る非効率を見せつけた。「これは燃料の空中散布器か?」と見紛うほどで、特急生産して送った増櫓は、まるで散水器のようにガソリンを撒き散らした。もし〈サンダーボルト〉の編隊が、一斉に増櫓から機内へ燃料を移し替える場面に遭遇したら、戦闘機集団の空中放尿みたいな光景を目の当たりにして、誰しも目を疑ったろう。その下を飛行したら、頭からガソリンを浴びたに違いない。結局、供給弁の欠陥から、飛行距離の延長は無惨な失敗を遂げる。
 一九四三年九月になると、英空軍から高品質なドロップ・タンクが提供されるが、華奢な〈スピットファイア〉用に生産される英国製増櫓は小さく、行動半径は三七五マイルまで伸ばすのが精一杯だった。これではハノーバーか、フランクフルトの辺りまで進出するのが限度で、戦闘行動範囲もドイツ領の三割に止まった。ナチの心臓部とも言うべき、ベルリンへの殴り込みが不可能とも言い切れないが、往復するだけでは意味がなかった。現地に留まって戦わねばならないので、行動半径を五〇〇〜六〇〇マイルまで延長する必要があった。その為にはもっと大型の増櫓を使うか、主翼の下に二個備える必要があった。
 一時期、ベルリンまで楽に往復できる双胴双発の〈ライトニング〉Fが英国へ送られ、一九〇〇マイルの航続力を活かして護衛任務を勤めたが、北アフリカで『トーチ作戦』が始まると、この戦闘機を装備した第一および第一四戦闘飛行隊は現地へ引き抜かれ、その後に工場から出荷された数百の機体も、やはり悉く地中海戦域に投入されていた。
 長距離を飛べる〈ライトニング〉戦闘機が、北アフリカへ移動したことで、ドイツ本土爆撃を使命とする第八航空軍は苦しい立場に追い込まれた。処置なしの感もあるこの窮境は、しかし『トーチ作戦』に優先順位を与えたルーズベルトの政治的な配慮にあって、それゆえ第八航空軍としては、不満をぶつける場所にさえ困った。そのルーズベルトから救援の決定を引き出したのはチャーチルで、そのチャーチルを苛立たせた元凶は、北アフリカで暴れるロンメルだった。
 一九四二年四月、英米首脳が額を寄せ合った『ロンドン会議』の席上で、英仏海峡を横断して大陸へ攻め込む『ラウンド・アップ作戦』の実施が決定されたが、この時、上陸侵攻軍が窮地に陥った場合の備えとして、『スレッジ・ハンマー作戦』なるものが付加された。万一の時は、フランス各地の海岸に対する陽動上陸を行って敵を攪乱し、本隊への重圧を緩和するのが目的だった。実情としては、夢を追いかけた『ラウンド・アップ作戦』は泡と消えるが、性急な感を拭えないチャーチルの計画には、東部戦線で苦闘するソ連軍を支えたい焦りがあった。『ロンドン会議』が催されたのは、ヨシフ・スターリンが首都モスクワをドイツ軍の猛攻から守り抜いた後だが、ソ連軍もここまでの戦いで甚だしい損害を被っており、先行きが不透明だった。その赤軍が東部戦線でしぶとく持ち堪えてくれるなら、ドイツ軍も動きが取れず、これはそのまま英国の安全保障となった。万一、ソ連軍が崩壊したら、ヒトラーは賺さず戦力を西へ移動させ、英国に重圧を加えたろう。ソ連の浮沈に英国の運命が係わったのである。ひとまずソ連の負担を軽減する目的から、ドイツ軍の一部を第二戦線へ引きつけたかった。事が巧く運び、ドイツの戦力を三分割できたら、三つの戦線で戦わねばならないヒトラーは余計に苦しんだろう。
 ところが四二年八月、北アフリカの戦場が風雲急を告げ、計画は御破算になる。最初、ロンメルのDAKはクルード・オーキンレックの〈中東派遣軍〉に撃退されたが、直ぐさま逆襲し、エル・アラメインに急迫した。この防衛戦をドイツ軍に抜かれたら、かつてプトレマイオス朝の首都として栄えたアレクサンドリアが風前の灯火となる。そこから余り遠くないカイロも同様だ。北アフリカが火達磨になったら、それこそ欧州第二戦線どころの騒ぎではなくなる。当面、ロンメルが率いる独伊枢軸軍の料理が先だった。ロンメル退治にはアメリカの協力も欠かせなかった。チャーチルはルーズベルトに懇願した。
 四二年初夏のチャーチルは他にも逼迫した問題を抱えていた。英国議会に突如として「戦時内閣への不信任案」を突きつけられたのである。理由は屈辱的な惨敗続きだった。前年一二月の『マレー沖海戦』で、英国の誇る戦艦〈プリンス・オブ・ウェールズ〉(基準排水量三万六七五〇トン)と巡洋戦艦〈レパルス〉(同三万二〇七四トン)が、台湾から発進した日本軍の航空隊に撃沈されたし、香港やシンガポールなどの拠点も、次々と日本軍に攻略されていた。アジアに展開する〈極東派遣軍〉は、日本軍に蹴散らされるばかりで、歯止めの利かない総崩れに陥っていた。年が明けて四月になると、日本海軍の機動部隊がインド洋へ進出し、ここでは小型空母〈ハーミス〉が撃沈された上、二隻の巡洋艦と駆逐艦一隻も海底へ送り込まれていた。セイロン(現スリランカ)にあった〈英国東洋艦隊〉の根拠地も空爆されたのである。豪州に目を転じると、こちらはポートダーウィンが南進を続ける日本軍の脅威に打ち震えていた。この時期、東南アジアからオセアニア方面へ展開する英軍は、破竹の勢いで進撃する日本軍に、袋叩きにされるばかりだった。
 更に北アフリカの戦いへ目を転じると、六月二一日にリビアの要衝トブルクが、ロンメル軍団に攻略されていた。前年、二八週間に渡って持ち堪えたトブルクが、今回はたった一日で陥落していた。一連の負け方が余りにひどいので、議会が怒り狂うのも当然だった。この頃が連合国には最悪の時期で、堅忍不抜のチャーチルも流石に憔悴した。罷り間違うと、戦時内閣首班の座から転げ落ちたかも知れない。起死回生の打開策が早急に必要だった。
 この局面で、ルーズベルトがペンシルベニア通り一六〇〇番地――ホワイト・ハウスから眺めるアフリカ戦は、偶発的に世界大戦から転がり出た番外編に過ぎず、興味をそそるものなど一つもなかった。合衆国の権益には特筆すべき利害がなく、ヒトラー打倒の目は、依然としてドイツ本国を指向した。砂漠でロンメル相手の戦車ごっこに血道を上げるより、第三帝国の産業や経済に空爆を加えるのが、ずっと実際的だった。直接、敵の戦争遂行能力を引き裂いてしまえば、そこから戦況の全般が好転したろう。第三帝国の心臓部へ、戦略爆撃と言う形で太い杭を打ち込めば、世界中の戦線へドイツの血が流れなくなるのである。しかし、チャーチルに哀訴されたルーズベルトは、盟友の機嫌を損ねたくない思惑もあって、僻地の戦術戦に肩入れする気になった。こうして一九四二年一一月、『トーチ作戦』が始まるが、大統領は作戦を空から支援する為に、急遽、第一二航空軍を編成し、エジプトへ送り出すよう下命した。
 この航空軍の指揮を任されたのがルイス・ブレアトン将軍だった。ところが、司令官を拝命した将軍が、取り急ぎ戦場へ駆けつけて見ると、待ち受けていたのは暗澹たる現実だった。「第一二航空軍を率いて戦えと言っても、そんな物が何処にある?」将軍は混迷した。実はこれが曲者で、陸軍航空隊の戦略や戦術も、未だに欧州と太平洋を睨んでおり、北アフリカの戦争など思慮の外にあった。準備など何一つ出来ておらず、頂上会談でアフリカ戦への介入が決定しても、即刻、投入できる戦力など何処にもなかったのである。ブレアトン将軍が直ちに手に入れた物と言えば、使い古しの〈空の要塞〉が僅かに九機だった。部隊編成の一覧に戦力を明記するのも憚られるたったの九機で、それも全て引退を目前にした旧式モデルだった。
「中古の爆撃機がたったの九機?」将軍は我が目を疑った。「超大国の空軍が、たった九機のポンコツ爆撃機でロンメルと戦うのか?」突発的な対応からの見切り発車だったので、止むを得ない面もあったが、それにしてもお粗末だった。「一体、どうする?」将軍は唸った。が、悩んでも仕方がなかった。失望の色は伏せ、ひとまず中古の爆撃機で作戦を始めるしかなかった。
 とは言え、見窄らしい〈空の要塞〉を動かすと、エンジンは洗濯機でも回すようなおかしな音を発したし、他の部分もしょっちゅう故障した。まともに機能しないので、ドイツ軍を爆撃するより、補修作業に追われる方が多かった。これでは第一二航空軍と呼ぶより、「中古爆撃機の修理屋」と呼んだ方が増しなくらいだった。それでも当座は引退目前の老馬を鞭打って、どうにか働かせるよりなかった。問題は戦力の逐次強化だが──当然ながらこれから軍用機を生産していては間に合わないし、飛行隊の訓練や支援組織の編成にしても同じだった。その上で、実体のない第一二航空軍に、どうにかして実を入れるとしたら、方法は一つしかなかった。本国に軍用機も飛行士も見当たらないので、何処かの前線から経験を積んだ部隊を借用するのだ。応急処置として、英本土の第八航空軍から一部を貸り受けることとなり、それも地中海を含めた広大な戦域を賄う必要から、足の長い〈ライトニング〉を使う戦闘機隊は、是非とも必要とされた。
 こうして、戦争と政治の板挟みになった第八航空軍は、北アフリカへ戦力の一部を引き抜かれたのである。大統領を後ろ盾とする、ペンタゴン(国防総省)のアーノルド将軍の大号令があった。英本土駐留軍の司令官だったスパーツ将軍は、歯軋りしながら戦闘機四個大隊、爆撃機二個大隊を北アフリカへ貸し出した。また当時、第八航空軍が欲する爆撃機の多くが、ボーイング社の工場を出た後、日本軍と戦う為に太平洋方面へ回されていた。こうなると、折角、英本土に乗り込み、ドイツ爆撃に意気込む第八航空軍も、哀れな抜け殻と化すよりなかった。野球に例えるなら、有力な選手の大半が他チームへ移籍し、シーズン前半から優勝の望みを絶たれたようなものである。貴重な長距離戦闘機を奪われたことは、リリーフ・エースに逃げられたような大打撃だった。
 それにしても、皆が皆、挙って北アフリカ戦にのめり込み、本国で量産中の〈ライトニング〉まで、北アフリカへ投入しなくても良かったのではないか? 様子を見ながら少数でも英本土に回していれば、ドイツ攻撃に向かう爆撃隊の損害を低減できたろう。やがて、増櫓の問題を解決した〈サンダーボルト〉戦闘機が活躍を始めるが、「ふとっちょ」は基本的に燃費が悪く、大型の増櫓を懸架してもまだ行動半径が不充分だった。ドイツ奥地の重要な施設を叩き潰すなら、爆撃隊にはもっと足の長い戦闘機が必要だった。取り敢えず、第八航空軍が貸し出した〈ライトニング〉の一個大隊――第五五FS(戦闘飛行隊)を英本土へ取り戻すのは、およそ一年を経過した一九四三年一〇月一五日となる。次いで〈ムスタング〉のB型が登場するが、この目覚ましい長距離戦闘機の英国到着は、四三年の終わりだった。呆れたことに、最初は北アフリカの第九航空軍(第一二航空軍を改編)に派遣される有様で、苦闘を続ける英本土駐留部隊はお座なりも同然だった。驚いた第八戦闘機兵団司令官のケプナー大将は、この長距離戦闘機を獲得する為に、各方面を駆け回る羽目になる。ドイツ上空で苦闘する爆撃隊の窮状を訴えつつ。
 P51〈ムスタング〉戦闘機も、後日、欧州航空戦で重要な役割を担うので、これも紹介を省くことは出来ない。一九四〇年の春、殆ど無名だったノース・アメリカン社が英国との契約に基づいて設計を始めたこの戦闘機には、当初、試作番号XP51のナンバーが与えられ、後にP78〈アパッチ〉と呼ばれた。最初、完成しても軍の興味を惹かなかったのは、この機に搭載された一一〇〇馬力のアリソン液冷V型エンジンV1710(Vは気筒形状、数字は総排気量の立法インチを表す)が内蔵した過給器が貧弱で、低空から中空にかけての卓抜な速度や運動性は別にして、エンジンが酸欠で苦しむ高空では息切れを起こし、高々度精密爆撃を提唱する軍の理念にそぐわなかったせいである。〈空の要塞〉や〈リベレーター〉が二万五〇〇〇フィートを作戦高度に選んだのは、定格一二〇〇馬力のライト〈サイクロン〉に組み込まれたGE社の排気駆動式過給器――ターボ・チャージャーが、この高度で最良の性能を発揮したからだが、この作戦高度で性能が劣化する戦闘機なら、「期待するだけ無駄」と軽視したからである。契約相手となる英国政府への遠慮もあったかも知れない。新進の航空会社ノース・アメリカン社への低評価もあったろう。この当時、軍首脳部の関心は、爆撃機と同じターボ・チャージャーを搭載して高々度性能が良い〈サンダーボルト〉に偏っていた。実際には前文で記した通り、燃料浪費型戦闘機の〈サンダーボルト〉は、思ったほど飛行距離を伸ばせず、最初は増櫓の不備から航続力延長にも失敗する不手際で、無念な企画倒れに終わっていた。にも係わらず、ひたすら高々度性能を追及する軍首脳は、何処までも〈サンダーボルト〉に熱中して、執念深く性能改善による解決の途を模索した。〈サンダーボルト〉もD型の後期型になり、やっと生まれ変わったような活躍を始めるが、軍首脳にやや意地っ張りなきらいもあり、最終的に一万五六六〇機も強行生産してしまう。これは米軍戦闘機の中では最多となる生産数だった。一方、低空から中空で快速を発揮し、運動性も素晴らしかった〈アパッチ〉は、間もなく偵察機に改造されてF6Aと呼ばれ、次いで戦闘爆撃機A36A〈インベーター〉に化け、最後には長距離侵攻用の戦闘機となって、英空軍が奉った〈ムスタング〉の名を継承した。
『英本土航空決戦』を控えた英国が、血眼になってアメリカへ駆け込んだことには理由があった。英空軍はすでに新鋭〈スピットファイア〉を防衛の要として配備しており、やがて始まった決戦にも勝利したので、結果論だが慌てる必要はなかったろう。が、内実は〈スピットファイア〉の大量生産が捗らず、数量確保の面で、深刻な情況に直面したのである。ヒトラーの脅威が迫ると、増産の不手際は英国の焦慮を募らせた。英国にはホーカー社が開発する強力な〈タイフーン〉戦闘機も存在したが、時期尚早に採用した二〇〇〇馬力〈セイバー〉エンジンが大乱調で、こちらも即時就役の当て外れとなり、昏倒する有様だった。そこで、「それならば、いっそ他国から完成品の戦闘機を買い入れた方が簡便」と結論して、「軍用機購入委員会」に買い付け用の使節団を創設させ、市場調査なども含めてアメリカへ送り出したのである。元々この委員会は、本国で調達できない機体や備品を海外市場から入手した団体で、ダグラス社のA20〈ハヴォック〉攻撃機、ロッキード社のA28〈ハドソン〉沿岸哨戒機、などを購入した実績があった。
 その委員会から派遣された使節団が、アメリカに赴いて着目したのが、カーチス社が生産するP40戦闘機だった。しかし、当時人気が高かったこの戦闘機は、注文に追われる工場がパンク寸前で、遅れてやって来た英国の新規注文までは捌けなかった。この機体に人気が集中した原因なら簡単で、率直言って、「他にろくな物がなかった」だけである。この戦闘機は、後日、枢軸側の戦闘機――Me109や〈零戦〉に打ちのめされ、役に立たないことを立証する。制空任務は荷が勝ち過ぎるので、中期以降は地上攻撃機などに回されてしまう。無論、四〇年春の段階では、P40戦闘機が枢軸側に蹴散らされる姿は未だ見えない。そこで困った使節団は、苦肉の代替生産案を捻り出し、当時、未だ無名だった社歴六年のノース・アメリカン社(設立一九二八年、事業開始一九三四年)に、P40戦闘機の受注生産を打診した。「無名の会社なら大きな得意先など持たない筈、英国政府の大量注文に喜んで応じてくれる」と独断した。
 その頃、ノース・アメリカン社は、T6〈テキサン〉高等練習機を設計、生産していた。これは大量受注されて有名になるが、当時は未だ無名に等しかった。社長のジェームス・キンデルバーガーは、以前、ダグラス社に勤めたことがあった。独立して会社を興したのである。さて、使節団から相談を受けたキンデルバーガーは、彼等の提案を即座に断った。引き替えに「代案の代案」となる、自社製戦闘機の早期提供を申し入れた。キンデルバーガーは三八年に欧州の航空事情を視察しており、ドイツ空軍の実力を正しく認識していた。焦ってP40戦闘機を買い入れても、「相手がドイツ空軍のMe109では勝ち目がない」と考えた。「ドイツ空軍と互角に渡り合うには、もっと斬新な戦闘機が必要」と、キンデルバーガーは訴えた。ノース・アメリカン社の工場に「空飛ぶ棺桶」の生産ラインを作るくらいなら、早急に新型戦闘機を設計して、こちらの量産ラインを組み立てた方が増しだったろう。問題は逼迫する時間だが――と言うのも、英仏連合軍とドイツ軍が、座り込んで睨み合いを続ける西部戦線は、何時、火を噴くか、余談を許さない情況だったからである。新型戦闘機の供給が間に合わない恐れも多分にあった。が、兎に角、時間が少ないことは百も承知で、ノース・アメリカン社としては、全力を挙げて開発に取り組む以外になかった。ひとまず進化した戦闘機を特急生産する約束で、同社は四〇年四月に英国政府と正式な契約を交わした。早速、同社の技師長ライスの基本構想に基づいて、エドガー・シュミード技師を中心とするスタッフが、新鋭機の設計に着手した。契約に則って一二〇日で試作機を作らねばならなかった。初飛行まで含めると、およそ半年の期間を要するが。
 が、やはり戦争は待ってくれなかった。案の定、五月一〇日には、早くも西部戦線が火を噴いた。ドイツの大軍がマジノ線を突破して、フランスに攻め込んだのである。チェンバレンの内閣は総辞職し、チャーチルが戦時内閣首班に選ばれた。
 圧倒的な攻勢により、英仏軍を一蹴したドイツ軍は、これを北部の港湾都市ダンケルクへ追い詰めた。引き続き、ダンケルクの撤退作戦、ドイツ軍のパリ無血入城、フランス降伏、ペタン元帥を国家主席とするビシー政府の誕生――と、欧州は慌ただしく揺れ動いた。騒動が一段落して、少し余裕が持てたかと思うと、ヒトラーの和平提案、チャーチルの拒絶があって、ドイツ空軍は『英本土侵攻作戦』の火蓋を切る。七月一九日にヒトラーが発した和平提案を、二三日に外相ハリファックス卿が拒絶したのだ。無論、チャーチルが率いる戦時内閣の内命を受けていた。
 取り急ぎ、オランダ、ベルギー、北フランスに展開したドイツ第二航空軍(アルベルト・ケッセルリンク元帥)、及び、第三航空軍(フーゴー・シュペルレ元帥)は、およそ二四四〇機(単発戦闘機八〇〇、双発戦闘機二四〇、急降下爆撃機三〇〇、水平爆撃機一一〇〇)の作戦稼働機を持ち、ノルウエーに展開した第五航空軍(ハンス・ユルゲン・シュツンプ大将)は、単発および双発戦闘機一〇〇、水平爆撃機一二〇を持っていた。総勢では二六六〇機となる戦爆連合だった。この他に一〇〇機以上の偵察機、沿岸哨戒機があった。一方、ヒュー・ダウディング空将が率いる英空軍戦闘機集団が掻き集めた単発の戦闘機は、およそ七〇〇機に過ぎなかった。
 これでは外国から戦闘機を買い入れるどころの騒ぎではない。英国はゲーリングの強大な空軍に猛襲され、死に物狂いで防衛戦を戦う羽目になった。イングランド上空で死闘が演じられたのは、好天が続いた四〇年夏だが、肝心の〈ムスタング〉が完成して初飛行したのは一〇月二六日で、更に改修を続けた試供品が出来上がり、英国へ届いたのは、一九四一年の一一月だった。航空決戦に終幕が引かれてから、すでに一年以上も経過した不本意な時期となる。
 そうなると「使節団は何の為にアメリカへ行ったのか?」の疑念が持たれそうである。この粗相に関しては決定が遅過ぎた当局に非がある。戦闘機の開発には一年近い歳月が必要だし、パテント生産にしても、治具を組み込む生産ラインの設置に少なくとも数か月、若しくはそれ以上の期間が必要だった。メーカーにはそれぞれ顧客の注文に対する生産事情もあって、注文が手に余れば、新工場の建設なども必要になったろう。工場を建設するには土地探しや用地買収の問題まで係わってしまう。従って、決戦を数か月後に控えて買い付けに走り回るなら、はっきり言って醜行と言えた。単に戦闘機を買うだけでなく、受領後の訓練や実戦配備、不具合箇所の洗い出し、改善まで考慮すると、最低でも一年以上前に手を打つべきだったろう。その意味で、時機を逸した「戦闘機購入使節団」の買い入れ騒ぎは、顰蹙ものの珍事だった。さりながら、これはこれで別な運命に重大な影響を及ぼしいる。
 遺憾ながら、折角、完成した〈ムスタング〉も出番は露と消えた。英国は未曾有の危機を自力で凌ぎ切った。それさえも遙か昔の出来事みたいな感があった。新鋭〈スピットファイア〉は量産にもたついたが、古い〈ハリケーン〉の生産は順調で、結果は旧式戦闘機の方が増えてしまうが――戦闘が佳境を迎えた九月の比率は、〈スピットファイア〉が四割で〈ハリケーン〉が六割だった。ところが、数が少ない上に、旧式機が多い戦力で決戦に臨んだ英国は、ゲーリング自慢の空軍を撃退したのである。旧式〈ハリケーン〉の方が数が多かった? では、それに敗北するドイツ空軍の実力とは、一体、如何なるものか? もし、〈スピットファイア〉の量産が順調で、全機が〈スピットファイア〉だったら、ドイツ空軍はボロ負けしたのではないか?
 一応、英空軍も疲弊困憊した。空戦と地上破壊でおよそ一〇〇〇機を失い、一五〇〇人のパイロットが死傷したので、回復の為の時間が必要だった。先行き不安は続いた。しかし、一九四一年六月二二日、ヒトラーが統帥例二一号『バルバロッサ』を発動して、ソ連攻撃へ向かったので、多少のゆとりが持てた。ドイツ軍はその冬の『モスクワ攻略戦』でも躓いた。年が明けた四二年三月、東部前線は雪解けのぬかるみに覆われて、戦線も膠着した。英国で審査を終えた〈ムスタング〉の第一次発注分――三二〇機が量産され、英国へ届き始めたのは、丁度、その頃で、四二年の春だった。この頃には〈スピットファイア〉の大量生産も順調だった。大手のビッカース社が乗り出していたし、スーパー・マリン社の新工場も順調に稼働していた。「新型戦闘機? 今頃、届いてどうする?」の感があった。
 英空軍は受領した〈ムスタング〉一型を、地上偵察や戦闘爆撃の任務に振り向けた。搭載したアリソン社のエンジンV1710は過給器が弱く、高々度性能に難があったので、この段階では低空用の任務でも割り当てるしかなかった。ただ、全備重量三・九トンの〈ムスタング〉一型は、一一〇〇馬力で三三七ノットの快速を発揮した。ほぼ三トンの〈スピットファイア〉五型が、一五〇〇馬力で三二六ノットだったので、重い上に馬力も少ない〈ムスタング〉の方が、反対に速いことになる。これは流体力学的に優れたデザインと、翼面抵抗を三〇パーセントも減殺した画期的な「層流翼」の恩恵だった。
 この結果、英軍機の中では、アメリカ製の〈ムスタング〉が最も速い戦闘機となった。降下加速も利用できる急降下では、最大四三〇ノットを発揮したので、ドイツ戦闘機と鉢合わせしても、急降下で振り切って逃げ延びることが出来た。単独で敵地へ入り込むような偵察任務を宛われても、〈ムスタング〉は難なくこなした。この時期、〈ムスタング〉が北仏を飛び回って撮影した多くの写真は、『ノルマンディ上陸作戦』の検討資料として使われている。敵地の写真撮影には長距離の飛行能力が要求されるが、この面でも〈ムスタング〉は〈スピットファイア〉に優っていた。但し、翼内タンクが二つだった〈ムスタング〉初期型は、ほぼ一〇〇〇マイルしか飛べなかった。それでも〈スピットファイア〉五型の四七五マイルに比べれば、長距離には違いなかった。五型は増櫓を追加すれば一〇〇〇マイル飛行することが出来たが。
 空戦が必要になった時は、英空軍としてはすでに赫々たる実績を持つ〈スピットファイア〉を投入すれば良かった。〈ムスタング〉より速度が低く、行動半径も小さいが、新規に登場したばかりでまだ未知数な機に比べ、祖国防衛で華々しい実績を残した〈スピットファイア〉なら、英軍パイロット達はどんな相手とも自信満々で戦えた。ロールス・ロイスのエンジンは過給器が優秀で、あらゆる高度でこの戦闘機に全力を発揮させた。難を言えば、当時主流だった五型は、ドイツ空軍の改良されたMe109やFw190に苦しみ始めており、更なる高速化が望まれたが。
 そうした意味で、もしアリソン社のエンジンに組み込まれた過給器に問題がなければ、〈ムスタング〉がこの隙間へ割り込み、〈スピットファイア〉の五型を脇へ追いやったかも知れない。だが、快速と俊敏性、長時間の対空能力が魅力でも、エンジンの全開高度が低い〈ムスタング〉には出番がなかった。この戦闘機が三三七ノットの最大速度を発揮するのは一万五〇〇〇フィートの中高度で、もっと高空へ上がると酸欠を起こし、パワー・ダウンして、運動性も劣化したのである。高々度性能に関しては、〈ムスタング〉の初期型よりMe109の方が優ったので、空戦になると〈ムスタング〉が不利だった。また、退避上昇して高々度を去り行くドイツ機を追跡する時も、〈ムスタング〉は苦労した。
 さて、アメリカ国内へ目を戻すと、北アフリカ戦を控えた陸軍航空隊は、この頃、地上軍の支援に欠かせない急降下爆撃機に熱を上げていた。ドイツ電撃戦の立役者──ユンカースJu87〈スツーカ〉の猛威に憧憬して、類似の機体を装備しようと躍起になった。
 その〈スツーカ〉の開発が始まったのは一九三四年で、承知のようにドイツは『ベルサイユ条約』に縛られており、設計は秘密裡に行われた。三五年三月にはヒトラーが条約を破却し、再軍備を宣言したので、その後は公然と開発を続けられたが。アラド社、ハンブルガー社、ハインケル社も、急降下爆撃機の開発競争に割り込んで来た。が、結局、ユンカース社のJu87がこれらを蹴散らして栄冠を射止める。
 初期に活躍したのはB1型で、三九年に一三四機、四〇年に六〇三機が生産された。武装は七・九ミリ前方固定機銃二に、後方旋回機銃が一で、五〇〇キロ爆弾一発か二五〇キロ爆弾一発を搭載した。胴体下に二五〇キロ爆弾を搭載した時は余力があったので、主翼の下に五〇キロ爆弾四発を併せて搭載した。ただ、スボン・スパッツの固定脚は空気抵抗が大きく、乗員二名が乗り込んだこともあって、〈ユモ〉二一〇Dエンジン一四〇〇馬力を搭載しても、最大速度が二一二ノットと遅かった。優秀な戦闘機に妨害されない戦場では活躍したが、『英本土侵攻作戦』では快速・俊敏な〈スピットファイア〉の餌食になるばかりだった。これでは使えない。しかし、初期の東部戦線はソ連空軍が劣弱だったので、四一年以降は東方へ回され、こちらで活躍した。これと言った後継機に恵まれなかったこともあり、四一年に五〇〇機、四二年に九六〇機、四三年に一六七二機、四四年に一〇一二機と生産が続いた。
 前線で目障りな戦術目標を、ピン・ポイントの正確さで爆撃できる機体があれば、歩兵部隊の展開に極めて有利だった。具体的に言うなら、機械化車両の駆逐や砲兵陣地の撃滅、若しくは、道路、鉄道、通信網、物資集積所の攻撃などである。敵の地上軍を大混乱に陥れるには、卓越した運動性で銃爆撃をこなせる機体が望ましく、軍はこうした地上支援機を手に入れようとあくせくした。そして陸軍航空隊が目を付けたのがカーチス社の〈ヘルダイバー〉で、本来は海軍向けの急降下爆撃機だった。このSB2CをA25〈シュライク〉とし、九〇〇機ほど発注している。着艦フックや主翼の折りたたみ装置は撤去された。航空母艦で使う装備は無用だからである。ところが、カーチス社は改造や納入の面で低迷し、当局を苛々させた。寸詰まりの〈ヘルダイバー〉そのものも、飛行が不安定で、期待薄だった。
 その頃、ノース・アメリカン社は、英国でやや評判になった〈ムスタング〉を、米陸軍航空隊の為に一五〇機ほど生産した。これはP78〈アパッチ〉と命名された。続いてノース・アメリカン社は、〈ムスタング〉を急降下爆撃機に改造したモデルを作った。高々度戦闘には向かないとしても、中高度以下の作戦――特に地上攻撃なら、一万五〇〇〇フィート前後の高度から、地上へ急降下突入すれば良いので、過給器の性能などどうでも良かった。低空には酸素が豊富にあるからだ。翼下にエア・ブレーキを取りつけた〈ムスタング〉は、地面へほぼ垂直に突入する急降下もこなした。ノース・アメリカン社がアピールを狙って出しゃばった格好になるが、それに相応しい高性能を発揮して注目を集めた。低迷する〈シュライク〉と対照的に、〈ムスタング〉は対地支攻撃機として注文を獲得した。名称はA36A〈インベーダー〉となった。
 ややこしい経緯だが、どうやら名馬も最初は迷走を繰り返すよりなかったらしい。因みに〈インベーダー〉の名称は、四四年後期から配備が始まった双発の軽爆撃機ダグラスA26に奪われる。陸軍航空隊の記録を調べても、A36A〈インベーダー〉の登録名は見当たらない。〈ムスタング〉を正式に襲名するまで少し空白があるので、登録や取り消しなどの痕跡が残っていて良さそうだが。1948年、機種区分の変更が行われた時、ダグラスA26はマーティン社のB26〈マローダー〉が全機引退していたので、空き番号のB26に改名された。さりながら1966年になると、またA26に戻ってしまう。どうやらA36A〈インベーダー〉の名称は、こうしたどさくさの中へ消えたらしい。

 さて、A36Aで訓練した飛行隊が、北アフリカのチュニジアに乗り込んで見ると、ロンメルはすでに帰国しており、DAK(ドイツ・アフリカ軍団)も降伏していた。隊員たちの意気込みとは裏腹に、出番のない拍子抜けが待っていた。但し、この後、地中海の北上に邪魔となる、パンテルレーリア島の攻略戦が始まって、A36Aにはここに活躍の舞台が巡って来た。かつてドイツ空軍が誇った〈スツーカ〉は、エア・ブレーキが発する絶叫で、逃げ惑う人々に更なる恐怖を与えたが、趨勢が逆転した今は、A36Aがその威力をドイツ軍に行使した。エア・ブレーキは、元来は正確な投弾の為の制動板――機の速度を低く抑える道具に過ぎないが、ほど良い減速をもたらす一方で、無数に開けた空気抜きの孔が発する音――これも単なる通風音に過ぎないが、空気との摩擦が耳を劈く雄叫びに化けて、投弾時は機械獣の絶叫みたいに辺りに響き渡った。これは天から降臨した魔物の咆哮か? 襲われる者たちの神経に容易ならざる苦痛を与えた。時として、単純な破壊効果より、志気阻喪の面で猛威をふるった。怯えた新兵の中には、耳を塞いで建物へ逃げ込んでしまい、上官が殴っても蹴っても、外へ出ようとしない者があったと言う。A36Aはこの絶叫音を響かせながら、急降下爆撃と低空からの機銃掃射で暴れ回った。ほどなくして『シチリア島攻略戦』が始まるが、A36Aはここでも大活躍した。
 俊英〈ムスタング〉も、当初は邪険にされ、目まぐるしく名称を変えられつつ、その時々で、その場凌ぎの任務を宛われたと言える。急降下爆撃機の真似事までやらされたとは、驚き入るしかない。しかし、様々な行き違いも、戦時の混乱と無定見が引き起こした騒動と言えばそれまでか。〈ムスタング〉の最大の特徴が「層流翼」にあり、革新的な低抵抗翼を備えることで、翼面にかかる空気抵抗を三〇パーセントも低減していたが。同時代の同程度の馬力を持つ戦闘機と対比すれば、その分だけ性能に恩恵がもたらされる道理で、必然的に〈ムスタング〉との戦いを強いられる相手は苦戦に陥った。普通の主翼を備えた敵機は、この三〇パーセントを補う為に、もう一回り大きなエンジンを搭載しなければならなかった。さりながら、速度は「馬力の三乗根に比例する」ので、出力を二倍にしても速度は二六パーセントしか増えないのが実情だ。もし〈ムスタング〉より優位を得ようと目論むなら、二回りも強大なエンジンを開発する羽目になったろう。そして〈ムスタング〉が普通にエンジンの強化を続けると、これと戦う敵は、途方もなく強大なエンジンを開発しなければならず──いや、最後は作り切れなくなって、屈服したろう。詰まり〈ムスタング〉が登場した時点で、枢軸側の敗北は決まったも同然だった。開発競争での敗北が決まれば、後は悪足掻きを続けつつ、敗戦の運命に拉がれるよりない。従って、この猛威がつまらない任務に乱用され、無駄遣いされたのは、ただもう遺憾としか言いようがない。
 ならば枢軸側も「抵抗の少ない主翼を開発すれば良い」の結論も生まれるか。枢軸側の戦闘機も「層流翼」を採用すれば良く、なら〈ムスタング〉との対決にも困らないと言える。主翼を抵抗の少ないタイプに取り替えるだけで、現役戦闘機の速度が三〇パーセントも向上するなら、大変な利点を得られたろう。これを見逃す手はない。が、生憎と、枢軸側は「層流翼」の基礎研究に欠かせない実験設備を持たなかったので、まともに研究することが出来なかった。
 翼面抵抗について詳述すると、通常、主翼の断面で最も厚みのある部分は、前縁に近い前方へ置かれた。そこからなだらかな曲線を描いて後方へ流れ、後縁で閉じられた。この流線型断面の表裏を流れる空気の層には、後方へ向かって滑らかに移動する小さな層流境界層と、途中から渦巻いて剥がれる大きな乱流境界層があり、後者が生み出す乱流は主翼の摩擦抵抗に悪影響を及ぼした。そこで主翼の最も厚い部分を少し後退させてやれば良いが、すると断面形状が奇形となり、珍妙な印象を受けた。「これで本当に大丈夫か?」と疑念を抱くに違いない。だが、見た目が不自然なこの形状こそ、乱流を著しく減殺する、予想外の効果をもたらした。
 航空機が登場して以降、一度もこうした設計が為されなかったのは、翼面抵抗や流体力学の研究が未成熟だったからだ。「自然な流線型にするのが正解」と誰もが頭から決め込んで慢心した。外観上も物理的にも妥当と思われたのだ。が、こうした常識に疑問を投げかけたのが、層流境界層や乱流境界層の研究で、当たり前に思われた断面形状こそ「大きな空気抵抗を生んでいる」と判る。但し、理論上の効果に関しては、各国ともある程度の知識は持ったが、現実に大成したのは〈ムスタング〉のみだ。実はこの秘密がシアトルのワシントン大学にあって、〈ムスタング〉の成功は、ここに大規模な風洞実験設備が備わっていた恩恵と言える。ノース・アメリカン社もシアトルにあったので、実物大の模型を使って「層流翼」の風洞実験を行うことが出来た。
 風洞実験設備そのものは、無論、各国とも必需品として常備した。ただ問題なのがその大きさで、設備が小規模だと、縮小模型を使ったあやふやな実験しか出来ず、精緻な解析が困難だった。小さな模型飛行機に向かって白煙を流しても、機体にぶつかって流れる後ろの部分が不鮮明だった。日本では川西航空が製作した水上戦闘機〈強風〉、それを改造した戦闘機〈紫電〉などが、層流翼を採用したが、理論と計算だけが頼りで、情けないことに効果不明のまま使っていた。
 日本で最初に層流翼を備えた水上戦闘機〈強風〉が初飛行したのは一九四二年の五月六日だ。原寸大の模型を使って研究できる大型の設備があれば、完成度をもっと高められたに違いない。ドイツでも、メッサーシュミット教授がこの研究に取り組んだが、やはり具体的な効果を掴めないまま、途中で匙を投げた。英国も〈スピットファイア〉に層流翼を導入する基礎研究を行ったが、こちらは多忙な戦時が災いし、計画は立ち消えになった。ただ英国の計画は戦後になって復活し、〈スパイトフル〉が四六年の一一月に完成している。つまり、実物大模型の実験が行えるアメリカだけが抜群の効果を独占し、優秀機開発の恩恵に浴したことになる。その他の国々は、巨大な実験設備を持たない弱点から、〈ムスタング〉より強力な戦闘機を作る夢を、最初から諦めねばならなかった。すなわち「大戦に勝つ見込みは最初からなかった」と言って良い。
 それにしても革命的な新鋭機を、地上攻撃機の代用に使うのは勿体ない話だった。これは燦然と光り輝く王冠のダイヤモンドで、納屋の窓ガラスを切る愚挙だった。〈ムスタング〉ほどの性能は持たずとも、こうした任務を宛える機体は他に幾らもあったのだ。それもこれも、過給器のお粗末さから来る高々度性能の不備が原因なら、この問題点を何とかして克服するしかなかった。四二年春、輸出用の〈ムスタング〉を受け取った英空軍が、まずアリソン社のV1710エンジンにうんざりし、〈マーリン〉エンジンへの換装に踏み切った。
 改造実験を目的に、〈ムスタング〉四機がロールス・ロイスの工場へ送られた。エンジンの換装工事や放熱器の改修などが行われた後の一〇月、新しい心臓を備えた〈ムスタング〉を飛ばして見ると、懸案だった高空性能が飛躍的に改善されたことが判った。エンジンの全開高度が一気に三万フィートに跳ね上がり、改造実験機は高々度を自在に飛び回った。仮死状態の能力が目覚めたのである。ロールス・ロイスのエンジン――いや、正確にはエンジンに組み込まれた「二段二速過給器」の性能と言うべきで、これが〈ムスタング〉の潜在能力を一気に開花させたのだ。
 新しく組み込まれた一三八〇馬力の機械心臓には、混合気を二段圧縮して濃縮できる加圧装置が付帯しており、高々度の薄い空気も、六倍に濃密化して気筒へ供給した。これにより、概ね三万〜三万五〇〇〇フィート辺りの高度まで、地上と変わらない比率でエンジンに酸素を送り込めた。英空軍の実験によると、これまで中高度で三三五ノットだった最大速度も、三五〇ノットに達していた。この速度は少し前の七月に登場した〈スピットファイア〉の最新モデル――実戦配備が始まった一七二〇馬力の九型と同等だった。この両者の対比に於いても、馬力が少なく重量も重い〈ムスタング〉が、意外な速度を発揮していることが判る。旋回性能に関して言うなら、軽量で翼面荷重の低い〈スピットファイア〉が勝ったが、これは当たり前で、およそ四トンとなる〈ムスタング〉が、三トンの機体に勝てる道理がなかった。主翼面積も二二・四八平方メートル対二一・九二平方メートルで、僅かとしても〈ムスタング〉の方が面積が少ないのだ。それで大差がないなら、寧ろ称賛すべき性能と言えた。これは空戦時に二〇度の角度で揚力を稼ぐエルロン・タイプの「空戦フラップ」の威力だった。通常、主翼を傾けて旋回飛行を続けると、傾斜の分だけ揚力が落ちるので、高度は自然に下がるが、空戦フラップを抗力として揚力を稼げる〈ムスタング〉は、旋回しながら上昇することも出来た。
 英国から吉報が届くと、ノース・アメリカン社も、直ちに〈ムスタング〉に米国パッカード社がパテント生産する〈マーリン〉エンジンを載せた。尤も、エンジンはさほど重要ではなかった。肝心なのは付属する過給器の性能だ。四二年一一月の終わり、試験飛行を行うと、エンジンが焼けつく不始末が起こった。パッカードV1650の方が、アリソンV1710より、出力が二三〇馬力ほど大きかったのである。するとアリソンのエンジンは、気筒容積が大きい割に馬力が低いことになる。前にも述べたが、この会社は元々はカスタム・カーのエンジンを作っていた会社で、大戦の少し前に勃興した素人会社で、経験が不充分だったのである。航空エンジンの開発に乗り出したのは一九二九年で、この試作エンジンが初めて空を飛んだのも、三六年一二月だった。これに対し、英国の老舗ロールス・ロイス社は、第一次大戦──戦闘機用エンジンの出力が二〇〇馬力に満たなかった頃から、航空エンジンの開発に携わっており、こちらは豊富な経験を有していた。
 最初の実験でエンジンが焼けたので、〈ムスタング〉の放熱器を大型化し、冷却効率を良くした。この不備を解消して、改めて飛行させると、強力な心臓を搭載した〈ムスタング〉は、乾燥したカリフォルニアの蒼空を、突き抜けるような勢いで雄飛した。余談だが乾燥した大気は速度に影響を与えた。空気密度が薄くなるので、空気抵抗が減少するのだ。ここでは高度三万フィートで三七八ノットの速度を記録した。これはMe109G型よりも早く、高々度で苦しいFw190A型では足下にも及ばない数値だった。無名の会社から生まれ落ちた戦闘機が、総合力でついに英独一流の戦闘機を凌いだ瞬間だった。四二年一二月である。
 突如としてスターが誕生した。見事な変貌を遂げた〈ムスタング〉は、革新の暁鐘を乱打した。銀色に輝く機体に熱視線が注がれて、今後の航空戦に於けるダーク・ホースとしての期待感も膨らんだ。快速の上に高々度性能も抜群、操舵の応答は滑らかで、機動力も充分だった。増槽を使えば二〇〇〇マイルもの長距離飛行が出来たし、離陸時の傾斜も少なかった。一つ一つの性能に関しては、それぞれに傑出した機体があるが、全てを高いレベルで備えた戦闘機となると比類がなかった。十種競技のどの種目でも高得点が取れ、優勝できると言うことである。
 大雑把に述べると、Me109はスピードは速いが短距離しか飛べず、運動性が劣悪だった。Fw190は高々度飛行が全く苦手で、やはり短距離しか飛べなかった。〈スピットファイア〉は中距離までならどうにか飛べたが、遠隔地の攻撃は無理だった。〈零戦〉は格闘性能が抜群で、長距離飛行もこなしたが、速度が遅く、防御力が貧弱だった。その点、〈ムスタング〉は全てをこなし、欠点らしい欠点が見当たらなかったのである。
 ここから大戦終結の決定打になる予感が先走った。顧みるなら、P38〈ライトニング〉やP47〈サンダーボルト〉は、陸軍航空隊の正式な発注機だったこともあり、高性能過給器の〈ターボ・チャージャー〉を当たり前に使えたが、P51〈ムスタング〉はノース・アメリカン社が英国と契約して生産した経緯から、当寺は軍事機密だった〈ターボ・チャージャー〉を使えなかった。この使用を無闇に許したら、秘密兵器が外国へ流出する恐れがあったのだ。英空軍が使う戦闘機が、ドイツ占領地へ不時着したら、その威力をただで枢軸側に教えてしまう。尚、軍事機密そのものは、アメリカの参戦と同時に、封印が解かれるが。これを搭載した米軍機が、何千機となく世界中の空を飛び回れば、遅かれ早かれ敵手に渡ったからである。
 回り諄い迷走だった。ノース・アメリカン社が勝手に製造し、英国へ輸出して、英空軍に不満を与え、ロールス・ロイスのエンジンに換装されて、「二段二速過給器」が利用できるようになり、やっと本来の性能に辿り着いたことになる。如何にもまどろっこしい展開で、この紆余曲折には絶句するしかない。ささやかな想像力があれば、初期に搭載したアリソン社の液冷エンジンが抱えた問題点――こちらの過給器の劣弱は明白だったので、ずっと早い段階で実験だけでも行えたろう。これは決して結果からのこじつけではない。エンジンなら米国パッカード社がパテント生産するパッカード〈マーリン〉があったのだ。同社はロールス・ロイス社と契約を結んでおり、V1650の型番で、四一年九月から生産を始めていた。このエンジンは、カーチス社のP40F〈ウォーホーク〉戦闘機に搭載される予定だった。基本性能が今一つで、地上攻撃など地味な任務に回された機体だ。それが高性能パッカード〈マーリン〉一三八〇馬力を搭載し、やがて必殺の兵器となる〈ムスタング〉に、低性能アリソン一一五〇馬力が宛われたのである。陸軍航空隊が初期にノース・アメリカン社から受領した試作機のXP51二機も、暫くの間、格納庫へ投げ込まれて、侘びしく埃を被っていた。もし、一年前に実験が行われ、この新鋭機の高性能が明らかになっていたら、その後の航空戦も随分と様相が異なったろう。この戦闘機が一年早く欧州戦線へ登場していれば、爆撃隊の被害を激減させて、多くの生命も救った筈である。後日、この奇天烈な経緯を知った総司令官のアールド将軍は、苦々しい顔で、「我が航空軍の重大な過失」と声明を発している。
 効果のほどが歴然とした段階で、それまで〈サンダーボルト〉に血道を上げた陸軍航空隊も、変身した「野生の馬」に目を向け始めた。やがて虜になり、革新の威力に未来を賭ける気になった。大戦前はブリュースターF2〈バッファロー〉、カーチスP36〈ホーク〉、同P40B〈トマホーク〉、ベルP39〈エアラコブラ〉と言った、怪しい戦闘機ばかり作っていたアメリカだが、水面下では技術革新を繰り返しながら、やっと史上最強の戦闘機を手に入れたのである。技術、産業、軍の努力が、漸く一つに結実したと言って良い。こうして正式採用の運びとなり、A型(三一〇機)、B型(三九〇機)、C型(一七五〇機)に次いで、八一〇二機も量産される〈ムスタング〉のD型が登場する。
 シリーズの代表選手と言うべきD型は、全周視界が素晴らしい水滴型風防を備えており、遠方からでも一目でそれと判った。プロペラはハミルトン・スタンダードの櫂型四枚羽根で、三種類作られた内の二種は、内側に洒落たシャンク・カフスを備えていた。エンジンは改良されたV1650・7で、離礁出力は一四九〇馬力だった。D型の五トンを少し超える重量を考慮すると、この数字はパワー不足を感じさせるが、肝心なのは空戦時に発揮する馬力で、水メタノール噴射の緊急出力状態では、ブースト圧六七インチ、プロペラ回転三〇〇〇で、一七二〇〜一七九〇馬力を発揮した。出力に幅があるのは、多種多様に作られた点火栓による変動があるせいだ。この馬力で三七八ノットを発揮したのも奇異な感じだが、効率の高い四枚羽根――櫂型ブレードと、繰り返し述べる「層流翼」の威力だった。機体形状はそれだけで抵抗を生み出したが、特に翼面抵抗が大きな障害となったので、この部分の抵抗を三〇パーセントも減殺した効果は絶大だった。それにもう一つ、余り知られていない威力が〈ムスタング〉にはあった。胴体下部に少し離して組み込んだ、おちょぼ口みたいなエア・スクープの冷却器で、空気の取り入れ口が狭く、奥が広い形態が、冷気の流入効率を高めるラム効果を発揮して、エンジンで熱せられた冷却液やオイルを効率良く冷やすと同時に、ここで暖められた高温空気を後方へ噴射し、この噴射加速によって二七ノット余り、速度を高めていた。これはびっくりする意外な余得で、別な形──エンジンの排気を推進力にも利用する研究は各国とも行ったが、効果は若干と言う程度で、〈ムスタング〉ほど速度を高めることは出来なかった。
 肝心な兵装は五〇口径の重機が六挺で、携行弾数は総計一八八〇発だった。内側の二丁のみ四〇〇発で、連続射撃時間は約三〇秒、他の四挺が二七〇発で、こちらの射撃時間は二〇秒ほどだった。また、三つとなった機内タンクに合計で二七五米ガロンの燃料を搭載し、一一〇ガロンのドロップ・タンクを二個追加した時の最大航続距離は二三〇〇マイルだった。燃費を低く抑えて長距離巡航する際の出力は四〇〇馬力で、エンジン回転は一八〇〇である。戦闘行動半径はドイツ領のほぼ八割を占めたので、英本土から遠出する爆撃機の護衛任務も充分に果たせる戦闘機となった。
 因みに、日本の陸軍航空隊が、中国戦線で不時着した〈ムスタング〉のC型を一機、手に入れている。早速、本国へ持ち帰って、ドイツから購入したFW190A、フイリピンで捕獲したP40E〈キティホーク〉、国産の〈飛燕〉や〈疾風〉などと比較実験を行った。速度の実験では、翼面馬力が大きく瞬発力に優れるFW190Aが先陣を切ったが、〈ムスタング〉C型が直ぐに追い抜いて遙か彼方へ飛び去ってしまい、間もなく〈疾風〉がFW190Aに追いついて、この二機が二着を分け合った。〈飛燕〉が少し遅れて第三位で、古臭いデザインの〈キティホーク〉はやはり最下位だった。実験の結果は概ね設計された年代に準じていた。設計年度の新しいものほど順位が良かった結果になっている。
 初期のB型やC型が前線に登場した頃、〈ムスタング〉は爆撃機に貼りつく直援任務に従事して、ドイツ空軍を訝しく思わせた。自在に活動しなければ戦闘機の威力は半減する。ただこれは量産に纏わる問題で、ノース・アメリカン社は一九四〇年の段階で社歴六年だった。大工場がある筈もなかった。この不備を補う為に、同社はダラスに新工場を建設する。やがて生産が進捗し、前線へ送られるD型の機数にも余裕が出始めると、戦闘機兵団司令官ケプナー大将は、〈ムスタング〉のパイロット達に自由戦闘を命じた。四四年四月、ドイツ空軍が先に覚えた疑念は、配備機数の増加によって払拭された。出動機数が増え始めた〈ムスタング〉は、ドイツ機を発見すると爆撃隊から遊離し、積極果敢な攻撃を挑み始める。護衛機が何時までも爆撃隊に寄り添っていると、ドイツ戦闘機隊も攻撃に有利な態勢を作れたが、自由行動を始めた〈ムスタング〉が縦横無尽に暴れ回ると、ドイツ戦闘機隊は編隊飛行で接近することすら危うくなった。暴れ馬のように集団の中へ飛び込まれ、掻き回されると、迎撃に向かう戦隊が支離滅裂になった。これでは組織的な空戦が挑めない。各機がバラバラに飛びかかっても、攻撃が散発的になって、大した成果は見込めなかった。
 別な〈ムスタング〉の一団は、独立した遊撃隊となって出撃し、手当たり次第にドイツ空軍の飛行場を襲撃した。この為、ドイツ機は空でも地上でも油断が出来なくなった。うっかり飛行場へ航空機を並べて置くと、唸りを発して来襲する〈ムスタング〉の銃掃射に晒されて、機を片っ端から火達磨にされた。これもドイツ空軍には新たな頭痛の種となった。航空機を隠匿する必要が生じ、戦闘機を出撃させる時は隠した場所から引っ張り出し、任務を終えて帰還したら、再び安全な場所へ秘匿する苦役を強いられた。遠隔地なら襲われる心配がない常識が、画期的な長距離戦闘機の登場によって覆されたのである。ドイツにはこの戦闘機の長い足でも届かない領域が五分の一ほどあったが、ドイツ空軍の全てがそこへ逃げ込んで、犇めくように身を寄せ合うことも適わず、大抵のドイツ機はこの戦闘機に空中でも地上でも刈り取られる羽目になった。短距離しか飛べないMe109やFw190を僻地に置くと、本土を襲う爆撃機の迎撃に手が出せなくなったので、ドイツ空軍としては遠隔地への移転もままならない窮状へ追い込まれる。その為、ドイツ戦闘機は〈ムスタング〉の地上掃射に晒される地域へ止まって、隠したり引っ張り出したりしながら、損益の大きな防空戦闘を続けるしか途がなくなった。質量ともに追い詰められて行くドイツ空軍は、遠からず息の根を止められる。
 因みに、この恐るべき戦闘機の生みの親――ノース・アメリカン社の設計主任エドガー・シュミードは、ドイツのフォッカー社やBFW社(メッサーシュミット社の前身)で設計を経験したあと、三〇年代にアメリカへ移住し、帰化したドイツ人だった。開発に協力した技士長レイモンド・ライスの名も特筆すべきだが、辛辣にも第八航空軍の戦略爆撃作戦は、ドイツの俊才が生み出した傑作戦闘機によって援護され、推進されたのである。穿った見方をするなら、これは「自滅の罠も同然に完結した皮肉」と論じられた。ナチス第三帝国はドイツ人設計者の頭脳によって止めを刺されたからである。もし、空軍司令官ゲーリングが戦前にこれを知っていたら、「メッサーシュミットとシュミードを取り替えてくれ」とアメリカに申し入れたのではないだろうか?
 一連の自虐の物語も、ヒトラーが驚異を与えた英国の「戦闘機調達部門」が、無名のノース・アメリカン社に声をかけた時に産声を上げていた。これがドイツの死命を制す猛威に変身したのである。ドイツが英国を脅かさなければ、青くなった「軍用機購入使節団」が、慌ててアメリカへ駆け込むこともなかったろう。大戦の初期に〈スピットファイア〉の量産が低迷した──スーパー・マリン社の失策も原因の一つだった。ホーカー社の〈タイフーン〉戦闘機が乱脈を究めたのも同じである。〈タイフーン〉は故障の多さで有名になった。
 英国政府とノース・アメリカン社の生産契約が取り交わされたのは一九四〇年の四月で、やがてドイツ軍は西部戦線に大攻勢をかけ、フランスを打倒し、英国への空爆も始めるが、ヒトラーが栄光の絶頂にあり、「千年帝国」の見果てぬ夢に酔い知れていた頃、遙か彼方のカリフォルニアでは、そのヒトラーとナチスを抹殺する戦闘機の開発が始動していたことになる。

 間もなく、敵地ドイツの玄関先で「ふとっちょ」こと〈サンダーボルト〉戦闘機の集団が、無念そうに翼を翻すUターンを始めた。現況では鉄道操車場の再攻撃を目指す〈空の要塞〉の編隊も、燃料が怪しくなった戦闘機隊が引き返してしまうと、あとは自力で自身の身を守る覚悟を固め、ひたすら攻撃目標へ突き進むよりなくなった。途中で護衛戦闘機に撤収されることほど気の滅入ることはないが、不調に見舞われて引き返した数機の爆撃機を除く本隊は、やがて一丸となって国境を越え、ドイツ領のルール地方に侵空した。
「ここまでは、一応、無事だったな」愛機の操縦席から周辺に視線を投げるトーレスは、ぼそりとつぶやいた。目を細める彼は、操縦正面や左横の窓から見える限りの範囲を偵察した。もやって眼下に広がる広大な欧州大陸と、抜けるような青空――無限に思えるほどの冷気と風の住処をぐるりと見回したが、敵機の姿は何処にも見当たらなかった。
「こちらが無事だと言うことは、第二爆撃師団の連中が難儀をしているかも知れませんね」フォード少尉がその方角を見やりながら、心配そうに付言した。実際、一時間を超える時間差を以て出撃し、こちらは南下してから迂回したせいか、未だに一機の敵機とも遭遇しなかった。とすれば、敵戦闘機の反撃は、先発した第二爆撃師団が一手に引き受けていると考えられる。彼の脳裡に不意にドイツ機と交戦する〈リベレーター〉の姿が浮かんだ。第二爆撃師団の連中は、今頃、苦闘に喘いでいるだろう。
 とは言いながらも、絵画が趣味のフォード少尉は、心配を断ち切るように肩を竦めると、座席の横から鉛筆を紐で結わえたスケッチ・ブックを取り出して、徐にラフな下絵を描き始めた。同じ飛行士として憂いは覚えたが、ここで彼等の身を案じても始まらなかった。場合によっては、こちらが死線をのたうっている間に、彼等が基地で惰眠を貪ることもある――そう結論することで、ある種の負い目を相殺した。それぞれがその時々に直面する運命に、自力で立ち向かうより仕方がないと言える。
 彼は開いたスケッチ・ブックの白い紙面に鉛筆をさらさらと走らせた。帰路に操縦を任されることが多いが、それまでは手持ち無沙汰だ。が、どんな達人であれ、爆撃機の座席でまともな絵を描くのは至難だった。機体は小刻みに揺れるし、始終、詰め込んだ様々な装備が振動と軋みの混じった金属音の唄を奏でたのだ。おまけに、ただでさえ冷え冷えとする冷蔵庫みたいな機内では、厚い手袋が欠かせなかった。フォード少尉は二つ重ねにした外側の手袋を外し、内側の革手袋をした手で鉛筆を走らせたが、少し経つと寒さに手が震え始めた。精々、構想を練るだけの下書きや、ふと思い出したメッサーシュミットやフォッケウルフの特徴などを書き留めて置くか、或いは、周辺を飛翔する〈空の要塞〉の、様々な角度から見た構図を大雑把にデッサンする程度が関の山となる。しかし、フォード少尉が地上で仕上げる細密画は素晴らしく、頁を捲っている内に現れたMe109の勇姿なども、惚れ惚れとする迫真の出来映えだった。

 そのメッサーシュミット戦闘機の生々しい実物は、同じ頃、大陸の北方で、第二爆撃師団の〈リベレーター〉隊と交戦していた。米軍爆撃隊のもう一方の雄、コンソリデーテッド社のB24〈リベレーター〉爆撃機は、〈空の要塞〉より何トンも重かったが、速度に関しては〈空の要塞〉と大差がなかった。断面抵抗の大きな太い胴体と三〇トン近い重量にも係わらず、〈空の要塞〉に匹敵する速度を保てたのは、翼面抵抗が少ない「デービス翼」のお陰である。開発者の名を冠してそう呼ばれたが、「層流翼」のことだ。主翼の内部構造も特徴的で、〈リベレーター〉の長い「デービス翼」には縦通材がふんだんに使われており、通常より肉厚のジュラルミンを貼って補強していた。この翼の内部には多量の燃料を積み込むことが出来た。ただ、翼面抵抗を減らしての高速化は、別な問題を引き起こし、着陸速度を物騒なレベルにまで引き上げた。しかし、この難点に関しては、下方に大きく下がって展開するファウラー・フラップを導入して対処した。
 航続性能は〈リベレーター〉の方が優れていた。爆弾搭載量もそうだ。なら、B17より新しいこちらが主役を演じれば良かろう。が、生憎と、細長い主翼の揚力係数が低い問題があって、〈リベレーター〉は空気密度が希薄な高々度での飛行が苦手だった。高空で浮力をたっぷり得るには、大きな翼面積が必要だが、すると翼面抵抗も大きくなって、〈リベレーター〉の速度を低下させたろう。これは工学上の厄介な問題点だった。速度を上げるには面積の少ない低抵抗の主翼が良いが、空気が薄い高々度では揚力が不足し、困ったのである。反対に面積を大きく取れば、高々度飛行が楽だったが、翼面抵抗が増える為に、通常飛行時の速度が低下した。
〈リベレーター〉は高々度戦略爆撃を標榜する第八航空軍には不向きな機体だった。これは配備機数を見れば一目瞭然である。第八航空軍の爆撃三個師団の内、一個師団のみ〈リベレーター〉を混在使用したが、後は全部〈空の要塞〉を使用した。被弾耐性を含めた防御力、操縦性に関しては、〈空の要塞〉の方が優っていた。こうした特質から、やがて〈リベレーター〉は、順次、太平洋の戦場へ回されて行く。長大な航続性能は、海また海が続いてだだっ広い太平洋の戦場に向いたし、余り良い過給器を持たない日本機も、高々度飛行を苦手としたので、この分野では特に問題が起きなかった。
 日本が高々度飛行を可能にする〈ターボ・チャージャー〉を知ったのは、南方へ攻めかかった一九四二年だった。『ジャワ攻略戦』で〈空の要塞〉D、E型を手に入れ、初めて目にする有様だった。アメリカが開発してから二〇年も経って、やっと存在を知ったのである。当然ながら日本は複製化に取り組んだ。どうにかしてコピーしようと目論んだが、マグネシウム耐熱合金の整形技術が未熟だったので、模造も困難を極めた。どうにか完成したのは戦後になってからだ。無論、間に合わなかった。
 他方、ドイツ戦闘機の激しい抵抗を考えると、こちらでは頑強さに秀でて機銃も多い〈空の要塞〉が適任だった。B24より製作年度が古い〈空の要塞〉だが、油圧作動部の多い古めかしい構造は機銃や機関砲の打撃に強く、簡単には撃墜されない頑丈さで主役の地位を保った。それでも連装機銃の動力砲塔四基を含め、〈リベレーター〉は合計で一〇挺の重機を猛射しながら戦えた。機銃の数は〈空の要塞〉より少ないが、動力駆動式の砲塔が多いので、必ずしも不利とは言えない。
 この日、ドイツ空軍は、オランダ方面からドイツ北部に向けて、久し振りに分散して来襲した牽制部隊に攪乱され、半ば混乱した。あたふたして有効な防空戦闘を果たせなかった。一旦は内陸に退き、爆撃隊を誘い込んで迎撃しようと試みたが、小編隊に分散したB24〈リベレーター〉がそれぞれ好き勝手な方角に散逸したせいで、いつもとは違う勝手に戸惑い、組織的に迎撃する機会を逸した。地上に展開する支援組織も、小編隊に分散した爆撃機が余りにも多くの場所に散らばったせいで、戦闘機隊をそれぞれの空域に導く管制誘導にもまごついた。
 英国は『英本土航空決戦』の直前に、電波機材と無線を活用した防空管制の体系を確立していた。丁度、ドイツ軍の攻勢に間に合ったような際どさで、技術的にもまだ細々と問題を抱えたが、大体に於いて防衛戦を良く運営し、祖国防衛に貢献させた。一方、大陸にあって逆に当処もなく広大な地域を守らねばならない立場のドイツは、英国よりも早く電波探知機を開発していながら、攻勢に狂ったヒトラーの方針から、防衛努力への真剣な取り組みを蔑ろにした。短期決戦で勝利し、早々と祝杯を挙げる予定だったので、「防衛機器など無用の長物」と卑見したことに因がある。
 世界に先駆けて電波探知機を活用したのはドイツと言わねばならない。北欧神話で美の女神とされる〈フレイヤ〉の名を冠したこの装置は、三九年の一二月一八日、『英本土航空決戦』が始まる半年以上も前に、ドイツ湾の防衛でその有効性を実証している。この日、ブリストル〈ブレニム〉双発爆撃機の編隊がドイツ湾へ侵入した際、ドイツ空軍が「電波邀撃」に先鞭をつけ、戦闘機隊を巧く導いて、英軍爆撃隊を袋叩きの目に遭わせている。Me109二機が撃墜され、他に数機が被害を受けたが、来襲した二四機の〈ブレニム〉の内、半数に当たる一二機を叩き落としている。その後、〈スツーカ〉を使用する急降下爆撃航空団が、ダンケルク戦以降、英仏海峡の艦船攻撃で目覚ましい成果を上げたのも、この〈フレイヤ〉レーダーの功績だった。ところが、四三年の夏までにドイツが築き上げた本土の防衛機構たるや、未だに攻勢に麻痺する首脳部の無関心に毒されて、決して満足すべき状態になかった。〈フレイヤ〉に続く次世代レーダーとして、〈ヴュルツブルク〉が開発された(これは日本にも売却され、潜水艦で運ばれている)が、そもそも索敵の範囲が狭く、これを改良した〈ヴュルツブルク・ジャイアント〉を以てしても、探知可能距離は僅か三七・五マイルに過ぎなかった。古くなった〈フレイヤ〉まで動員して隙間を埋めるとしても、防衛地域を完全に賄うには大変な量を配備する必要があった。
 一見すると、電波探知機があれば、防空戦闘の発令も簡便そうに思える。が、現実はそれほど単純ではない。多量に建設するには莫大な資金が必要だし、通信網や管理体系も含めて、それに見合う人員の訓練や配備も欠かすことが出来なかった。また、新しい装置が次々に開発され、対応を迫られる教育にも混乱が生じた。運営者の育成が終わらない内に新しい技術が飛び出す皮肉で、最新版のマニュアルを作成して印刷に取りかかる頃には、それは最早、最新ではなくなっていた。例えば〈フレイヤ〉を機能させる組織形態を作り上げたと思ったら、〈ヴュルツブルク〉が登場したので、これに見合うよう組織を改編しなければならなかったし、その最中に〈ヴュルツブルク・ジャイアント〉が登場すると、またもや変更を余儀なくされる始末だった。ここから教育、人材の確保、経費の捻出に悩まされ、そうした混乱が加わって、煩わしさと繁忙が組織を半ば麻痺させた。「戦争中なのに戦争をやってる暇がない」状態になってしまう。また「お座なりにされている」と感じやすい前線部隊――戦闘機隊から見れば、戦闘機の量産や搭乗員の増強にこそ、力を入れて欲しかったろう。資金や人員を地上の設備に食われてしまうと、「一体、誰が敵機と戦うのか?」と言った不満も噴出した。「贅沢な地上設備と劣弱な戦闘機隊で、果たしてどんな防衛が出来るのか?」のジレンマに悩まされ、どちらも不満足なまま配備され、防空戦闘に最大効率を期待するのが難しくなった。
 しかし根源的な問題としては、ドイツ全体に蔓延って混乱を招いた攻撃偏重思想に大きな非があった。元凶を辿れば、行き着く先に大概は姿を現す御仁――アドルフ・ヒトラーだった。「レーダーなるものは、設置場所に蹲っているだけではないか。どうやって敵を倒し、戦争に勝つのか? 爆撃を受けたら断固として報復すべき。敵の懐へ飛び込んで打ち倒さない限り勝てる道理がない。守りを固めて待つのは敗北主義である」と、ほざいた。それが受け身の嫌いな暴君の毎度変わらぬ口癖だった。攻勢が次第に困難になりつつある現況に於いて尚、この御仁は仮借なき攻撃を渇望して止まず、保守的な提案にはさっぱり耳を貸さなかった。帝国の前途はすでに怪しくなっていたが、守勢を顧みようともせず、非現実的な攻撃の夢ばかり追いかけた。「一にも攻撃、二にも攻撃、白熱した攻撃こそが勝利の切り札である!」
 保守は必ずしも悪ではなく、切実な内容を含んだり、他に対策が見当たらず、仕方なく採決を迫られる場合もあるが、大体に於いて、ヒトラーは保守を退歩と決めつけ、提言への迎合も忌み嫌った。せっかちに輪をかけた攻撃的な性分から、軍には勇猛果敢な攻撃ばかりを希求し、本土防衛に必須の戦闘機を邪険に扱って、生産すら抑圧した。大好きな殴り込み兵器――爆撃機の生産に支障が及ぶと懸念したからだ。こうした背景が仇になって、純粋な防衛努力に精励する人々は、色々な足枷を嵌められて苦しんだ。また、指導部が空の防衛に無知だったこともあって、本土防空を司る組織の司令官に、「高射砲部隊の出身者を据える」失態となって具現化した。これはどんな国の空軍関係者も呆れて引っ繰り返る政策だが、「ドイツの空は高射砲で守れば良い。戦闘機はおまけみたいなもの」と言う首脳部の勘違いを明白に表象していた。
 第一次大戦後、世界に先駆けて近代空軍――攻撃的戦術軍を誕生させたドイツだが、防空に関しては、未だに第一次大戦当時を彷徨っていた。第一次大戦では、蹴飛ばせば壊れそうな木製の複葉機が、欠伸が出そうなスピードで飛んだので、高射砲も有効だったが、第二次大戦では三倍も速い全金属製の航空機が高々度を飛翔したので、高射砲は砲弾を浪費することが多かった。例えるなら一九四〇年夏、ロンドンが初めてドイツ空軍に攻撃された時だが、英軍の高射砲部隊が一万発の砲弾を撃ちまくったが、一機も撃墜できず、赤っ恥を掻いた。戦争を始めたばかりと言う条件を割り引いても、これはちょっとお粗末だった。他には攻撃機に襲われる艦船の対空砲が、特に目立った働きをしないまま、敢えなく撃沈される悲哀が無数にあった。
 高射砲や高角砲が殆ど役に立っていない――ここから連合国は「近接電波信管」の開発に取り組み、砲弾に電波発信器と受信器、跳ね返って来た電波の唸りに感応する信管を内蔵して、常に敵機の至近で自爆する砲弾を完成させた。この砲弾は大雑把に発射して良かった。敵機が電波を跳ね返し、自爆を誘って、弾幕を形作り、その中へ自分から飛び込んで、吹き飛んでくれたのである。この秘密兵器を使い始めたのは戦争の後期だった。ところが攻撃に熱中するドイツは、それまで死に物狂いの防戦をしたことがなく、「高射砲が火薬を無駄遣いするだけ」と知らないまま、本土防衛戦を迎えていた。前述したように、高射砲部隊の出身者を、防空部隊の司令官に据えたのが証拠だった。
 最後に、大きな問題として、戦いが次第に科学戦争へ推移しつつある中、レーダーや通信のネット・ワーク、無線機だの複雑な暗号だのに接すると、珍紛漢紛になる将校が多かったことを挙げねばならない。こうした連中は、眼前にはっきり見える敵と戦うのは得意だが、レーダーで探知し、予測し、迎撃管制を空想世界で行う戦いを強いられると混迷して、最後はノイローゼに陥った。ずっと後世になって、コンピュータが普及を始めた時、社会や職場が混乱に陥ったか、それと同じ状況が、戦時中のドイツでも見られたのである。「レーダー、無線、暗号、誘導……さっぱり判らん」と匙を投げられると、爆撃される国民は集団で昏倒するしかない。これでは本土防衛に苦戦を強いられて当然だし、その辛辣なツケは決まって最前線で右往左往する兵士、爆弾を浴びる国民などが支払わされた。戦闘機隊は結果論からこじつけた怠慢をヒトラーに痛罵されることもあった。「敢闘精神が足りない」と言うのである。防衛戦略の貧困が原因で、帝国の前途を険しくしたのは、誰でもない当のご本尊だったが。

 一方のトーレス中尉は、比較的のんびりと座席にくつろいで、腹部に二トンの爆弾を抱えるB17を飛ばした。まるでハイウエイを軽快に飛ばす貨物トラックにも等しい――とは行かないが、これは編隊飛行での巡航速度一八〇ノットが定められているせいで、止むを得なかった。第二中隊の指揮官として、今は大隊の中で定められた位置と速度を守って、低燃費飛行を続けるよりなかった。任務が終わったら帰還しなければならない問題もあって、無闇に飛ばして燃料を無駄遣いすることは出来なかった。それにしても千切れ飛ぶ雲を遙かに見下ろす高空で、〈空の要塞〉F型が発揮する操縦性は素晴らしく、重爆撃機の重苦しい概念を忘れさせるほど軽やかに飛んだ。とは言え「軽やか」と言う表現を、戦闘機と比較されても困る。
 トーレスは明澄な夏の青空に抱かれる飛行を楽しんだ。敵地上空であることと、底冷えのする寒さを除けば、高々度飛行は極めて快調だった。無論、心配が皆無だった訳ではない。彼は敵影のない大空を見渡しながら言った。「多分、第二爆撃師団の連中は危ない橋を渡っているだろう。或いは大きな犠牲を強いられているかも知れない。しかし、連中も馬鹿じゃない。戦い方は学んでいるし、敵にもそれなりの代償を支払わせているだろう。そして、俺の予見では、いつかは判らないにせよ、ナチスの方が支払うべき犠牲を我々より早く使い果たして倒れると思うね」
「その時にこの戦争が終わる……と言う次第ですね」フォード少尉は鉛筆を走らせる手を止めた。身を乗り出すように話に乗って来た。右手がひどく冷たくなったので、まず手袋を二重にして保温した。彼は周辺を飛ぶ〈空の要塞〉をモデルとして、ラフな構図を描いていたスケッチ・ブックも閉じた。爆撃機の中で絵を描くのは、必ずしも狂った趣味の為せる業ではない。じわじわと修羅の世界へ迫る緊張感を紛らわす意図も含まれたのだ。「それは何時頃だと思いますか?」と聞く彼の表情は一転して期待感に充ちていた。
 少し戸惑ったトーレスは曖昧に答えた。「さあな、アメリカとロシアの大変な国力を相手に消耗戦をやってるんだから、ドイツ軍がどんなにしぶとく頑張っても、そう長くは保たないだろう。恐らく二〜三年てとこかな?」
「うーん、二〜三年ですか」フォード少尉はがっかりした。「もっと早くなりませんか?」
「不満か? でも、それは俺の決めることじゃないぞ。こちらの国力が予想以上に強大で、奴等の方が思ったよりも貧弱なら、この絶滅競争の時間がもっと短縮される望みはあると思うが」
「絶滅競争ですか……確かにね。戦争は美化する余地など微塵もない人肉消耗戦だ。そんな不愉快な戦争は早く終わって欲しいですよ。恐怖市場で犠牲者を競り落とす馬鹿な真似はさっさと止めて、どうせ負ける連中には早く降伏して貰いたいです。そうなったら、ドイツに乗り込んで親衛隊員なんかの絵も描きたいな。故郷へ帰ったら個展を開き、こんな連中をやっつけたと自慢するんです」
 トーレスは苦笑した。「親衛隊員が絵のモデルになってくれるかどうかは怪しいな……ヒトラーとその手下どもは、戦争犯罪人として縛り首だろう?」
「縛り首?」フォード少尉は目を丸くした。「まるで西部劇ですね。そうかも知れません。裁判はあるでしょうが……」彼は肩を竦めた。少尉はふと思い当たって気がかりなことを口に出した。「そうなると、裁判はやはり連合国がやるんでしょうね」
「……」トーレスは少し沈思したあと、機転を利かせて言った。「勝者の復讐裁判のことか?」
「ええ」フォード少尉は気遣わしげに頷いた。「またおかしな具合になって、それが後世に尾を引かなければいいんですが……軽薄な『ベルサイユ条約』が、今回の大戦の火種になったようにね。余りにもドイツを締めつけたので、狡猾なヒトラーに逆利用されたんです」
「今度はそんなにひどいことにはならないだろう」トーレスは楽観的に言った。「アホ条約の苦々しい経験があるし、今度こそ禍根を残したくない思いも働くだろう。待てよ、その影響から却ってやりにくいかな。さりとて枢軸側に裁判を任せるのは論外だろう。確かに、勝者が裁判を取り仕切れば、制裁の念が反映されるだろう。しかし、だからと言って枢軸側にこの後始末を任せると、そっちは罪を庇い合う出鱈目裁判に陥りかねないぞ。戦争を仕掛けた果てに、骨抜き裁判でお茶を濁そうものなら、そいつが原因でまた戦争が始まるかも知れない。今度は怒り狂った連合国が連中に戦争を仕掛け、終わったら責任を忌避するんだ。そうなった時に、連中がこの逆転の構図を素直に承服するかどうか怪しいもんだ。結局、どちらに転んでも、奴等は自己本位の能書きを好き勝手に並べるだけだろう。いや待て……」トーレスはふと思いついた疑念を顧慮した。考えた末に、彼は後悔の念を浮かべながら渋々と訂正した。「この見解は不公平だな。敗戦国にも勝者への気兼ねが働くことを忘れていた。そうなると、勝者への機嫌を窺うようなご機嫌取りの裁判になるかも知れない。つまり、連合国がそこまでやらなくても……と言い出すほど、敗戦国が戦犯の大量処刑へ暴走するんだ」トーレスは自分から言い出した冗談に苦笑した。
 フォード少尉も苦笑しながら同調した。「確かに、ドイツの国内には、ナチスを恨んでいる連中が少なくないでしょう。今度はナチに恨みを抱く連中が権力を手に入れ、彼等の虐待を始めるかも知れません。ナチ党員は一人残らず処刑するとか言い出して……連合国が青くなって止めさせねばならないほどの大量処刑を行うんです。彼等だって非道を極めたナチには復讐したいでしょうから」
「確かに鬱陶しい問題だな。勝者の裁判は不公平だからお断りとほざくナチスどもが、自国での裁判に身を委ねれば、怒り狂った反ナチ派に仕返しをされて、やはり悲鳴を上げるんだ。改めて勝者に泣きつくかも知れない。やっぱり勝者の裁判に身を任せた方が有利と、その場のご都合主義で勝手なことをほざくだろう」トーレスは破顔一笑した。
「なら、中立国に任せるのはどうでしょう?」
「中立国か……」トーレスは溜息混じりに言った。「誰が担当しようと、所詮は人間がやることに変わりはないだろう。結局は人間の質の問題だと思うな。中立国だって手厳しいかも知れないぞ。中立国の連中が戦争犯罪人を処刑しまくったりしてね。と言うのは、中立国だって、その後の外交問題などを憂慮すれば、自発的に連合国との対立を避ける方向に向かうだろう。貿易とか債務とかで、今はないとしても、後世に外交上の摩擦が発生する可能性まで考えると、そうした不利益は被りたくないだろう。特別な圧力などかけなくても、自発的にそちらへ傾く恐れがある。つまり、利害が完全に無関係なものなど、この世には存在しないと言える。そうなると箸にも棒にもかからなくなるが、罷り間違えれば、関係もないまま引っ張り出された中立国が、最後は両方の恨みを買って四面楚歌に陥るかも知れない。すると厄介事を押しつけられる側はとんだ傍迷惑だ。関係のない中立国まで連累の苦しみを味わう羽目になる。第一、連合国自体が裁く権利を放棄するとは思えない。連合国を初めとして、沢山の国が枢軸側に不意打ちされ、大勢の死者を出しているんだ。この現実に目を瞑るなら、攻撃されて死んだ奴は不運でも呪えと言って、それぞれの政府が自国民の死に責任を持てない事態になってしまう。ふざけるなと言う感じだね。国際連盟が裁くとしても、奴等は不都合な時に平然と脱退している。一方的に踏み躙っておいて、自分たちが苦しくなったらそれをまた引っ張り出す……と言うのもおかしなものだ。神が裁判を引き受けくれれば……いや、信仰が違えばこれも無意味か。となると、結局は人間がやるしかないだろう。不公平であろうとなかろうとね。いやなら内戦にでも現を抜かせば良かったんだ。好戦派と反戦派が内戦を始め、国内問題として処理すれば良かった。これなら外国に干渉されることもなかったろう。自国で勝手な戦争裁判を開き、気に食わない連中を片っ端から銃殺すればいいんだ」
「気に食わない連中は片っ端から銃殺するんですか?」フォード少尉は再び目を丸くした。
「単なる言葉の綾だよ。しかし、似たようなものだろう。ナチスは気に食わない連中を大量処刑している。そうした情況で反対派が勝てば、厳密な公平が維持されるとはとても信じられない。報復の嵐が吹き荒れるに決まっている」
「うーん。確かに、公平の原則を守るのも難しそうですね」
「どっちにしても、世界のあちこちを侵略し、破壊と殺戮をやり尽くした揚げ句、自分が危うくなってから公明正大な権利を認めろと言うのも馬鹿げてる。まるで居直り強盗の台詞だ。侵略の犠牲になって墓場へ追い込まれた人々の権利はどうしてくれる? ひどい不公平を味わった者たちの権利は誰が代弁するんだ? そんなことを許せば、弱者が虐待される世界を黙認する無責任にも繋がり兼ねない……これでは堂々巡りか?」
「やはり難問です。本職の政治家に任せるよりなさそうです」
「腹黒い政治家にね」
「……」フォード少尉は苦笑しながら頭を振った。「政治家にも答えは見つからない気がします。結局、不公平がこの世界の特質かも知れません。不公平な暴力を貪った連中もまた不公平に裁かれる。一部には幸運な者が居るかも知れませんが、それを除けば誰もその不公平からは逃れられないんです」
「確かに……」頷くトーレスは断を下した。「連中がそれを理解してくれれば助かる。我々はそんなことも判らない間抜けと戦って犠牲を払ったのか……の自己嫌悪に陥らなくて済む。恐ろしい戦争だが、敬意まで損なう戦いは願い下げだ。戦後に軽蔑だけが残ってはやり切れない」
 機首の先端に陣取る爆撃手のウエインは、持ち込んだ小形カメラのレンズを通して下界を眺望し、時たまシャッターを切っていた。眼下の雄大な景色を見下ろせるここは特等席で、写真撮影には最適の場所だった。しかし、ロンドン見物の途中にふと思いついて買った安物のカメラはレンズの精度が低かった。写真偵察機が用いる撮影機材と違い、解像度の低い写真しか撮れないので、高空から地上を写し取っても現像されるのは曖昧模糊とした風物ばかりだ。航空写真などどれも同じなのでもう要らない――と、フロリダに住む家族をうんざりさせていたが、彼は写真を撮っては故郷に送り続けた。写真の裏側に書く説明は「フランスの北」、「ベルギーの何処か」、「ドイツ西部」と言う曖昧な調子だった。低空での撮影なら建物や景色が具体的に映り込み、移り変わる様々な変化を楽しめるが、二万フィートの高々度撮影では低空を覆う靄や雲などが邪魔をする上に、地表の小さな造形物が渾然一体となった大きな塊になってしまい、どの写真も似たり寄ったりでさっぱり要領を得なかった。エッフェル塔や凱旋門の識別さえ出来ない写真にロンドンと記しても、素人には判定不能だったかも知れない。セーヌ川とテムズ川の形態の違いを知っていればまだしも。
 爆撃手の背後に位置する航空士兼銃手のレニーは、大抵は無線機にかかり切りだ。この無線装置は航法援助装置の一環で、各地の放送局などから発信される電波を利用して方位を測定し、機の現在位置を割り出す参考に用いられた。フランス上空に出撃すれば、彼には滑稽な感じのシャンソンが聴けたが、ドイツ本土への侵攻では堅苦しいドイツ放送が飛び込んで来た。全体主義国家に洒落を要求しても無理な注文だったろう。外国語をまるで解さないレニーには、放送を聞いても理解不能だ。機の位置を照合するだけの存在となる。時々、ヒトラーの好きなワーグナーの交響曲にぶつかったが、彼は古典音楽のファンでもなかった。〈空の要塞〉は高価な電子計算機も積み込んでいたが、今は小さな航法テーブルの上に投げ出されている時代遅れの計算尺――スライドと回転式対数尺を用いた推測航法も、決して疎かには出来なかった。対気速度と方位に偏流と向かい風を加味し、相関数値を弾き出さないと、真気速度や実際の飛行距離、残りの飛行時間などは算出できなかった。電子計算機を使えば話は簡単だが、どんなに優秀でも機械には故障する欠点があったし、高射砲や敵機の攻撃で損壊することもあった。「計算機が吹き飛んだので現在地が判りません」では困ったことになる。その時の用心に、古めかしい測定も常に行い、忘れないようにした。
 爆弾倉の後ろに設けられた無線室では、ハリソンが通信機を乗せた机の前で椅子に座り、漠然と雑誌を眺めていた。寒い高空では分厚い手袋を外せない為に、頁を捲るのに骨を折った。一度に四〜五頁も飛んでしまったり、何度も捲り戻したりだ。爆撃機の機内は所詮は読書などには不向きと言える。ただ、気を紛らわせてくれる材料があれば、地獄へ飛び込む前の緊張感を多少なりとも緩和できた。後側部のモーガン伍長なら、機内に引っ込めている機銃の点検に余念がなかった。空戦が始まれば窓を引き開けて銃身を外へ突き出すが、その窓ガラスも今は閉めてあり、機の外を流れる単調な風の音も小さかった。
 マックは弾薬箱を開けて弾帯の数を点検していた。「畜生、弾帯が一本足りないぞ。誰かくすねやがったな」
 振り向いたモーガン伍長が無愛想に言った。「俺は知らないぞ」
「誰もお前だとは言ってない」マックは弁解しながら応えた。怪力のモーガンを怒らせて喧嘩になっても拙い。ぶつぶつと不平を言いながら、マックは改めて弾帯の数を数え直した。
 後尾のスティンガー銃座を担当するラブ一等兵は、銃座の近くで床に敷いた小型のマット――勝手に持ち込んだものだが、その上に泰然自若と寝転んでいた。が、これは決して不真面目ではない。戦闘が始まれば、彼は床に両膝をついた窮屈な姿勢で銃座に跪り、機銃を発射しなければならない。姿勢の面で最も不自由を強いられるのがこの場所で、両膝や下半身に痺れを来しては、対空戦闘も覚束無くなったのだ。従って、その必要が生じるまでは、なるべく異なった楽な姿勢でくつろぐのが賢明だった。最後に、腹部の球形砲塔に潜り込むデルは、時々、遊園地の乗り物でも楽しむ気分で砲塔を旋回させ、遙かな下界に拡がる欧州大陸を漫然と眺めた。雲海の上を飛ぶ時は雲しか見えなかったが。三〇〇〇フィート辺りの低空飛行だと、地上の壮観な景色をとくと楽しめたが、高度が二万フィートにも達すると何もかもごちゃ混ぜになってしまい、眺望絶佳と形容するよりも、もやった地球そのものと対面する気分になった。もし、敵の戦闘機に奇襲され、火達磨になるのが嫌だったら、景観に気を奪われるよりも、中空を高速で移動する黒点を警戒したほうがずっと利口と言える。先触れもなく突き上げて来て、銃砲弾を叩き込まれては堪らなかった。
 単調で退屈な飛行が続いた。空は身も心も吸い取ってしまうほどに凛として清冽だった。高空の強風が機体に当たり、爆音の合間を縫って侘びしく啜り泣いた。物悲しい挽歌を奏でるようで、場合によっては乗員たちの気分をひどく鬱にした。他には取り立てて騒ぐような問題もなく、二群に分かれた爆撃機の編隊は攻撃目標を目指してひたすら突き進んだ。これを遠方より眺めると、機械仕掛けの巨大な渡り鳥の大群が、整然と営巣地へ旅する姿とも映った。一方、寒々とした機内に閉じ込められた乗員たちは、周囲に流れる雲や沸き立つ雲が絡み合う舞踏がなければ、天空に貼りついて静止したまま、その場に永遠に止まっているかのような錯覚に捕われたろう。戦場へ飛び込んで行くことを思えば、このまま天に留まって夢想に浸っている方が遙かに幸せだったかも知れない。幾千の天使や妖精と戯れる夢を追うのも良いし、無の安らぎに身を委ね、戦場では一時でも貴重な平穏を満喫するのも一興だった。だが、冷えた爆撃機の機内では、沢山の時計が否応もなく時を刻んでいた。それぞれの手首や懐中で、或いは、計器板に埋め込まれた時計の中で、様々な形の針が絶え間なく動き続け、時局の刻々とした変化を彼等に思い起こさせた。彼等の心臓が鼓動を止めることはあっても、時が止まることはあり得なかった。操縦士たちは計器の微妙な変動から、この世界が決して凝結などしていないと思い知ったし、時計など持たずに銃座に就く銃手たちも、徐々に高まる自然な緊張から、それを感じ取ることが出来た。眠っている恐怖を呼び覚まそうとする意識を止めたくても、次第に近づく敵地が胸中の動悸を早め、警鐘のように各人に知らせて止まなかった。
 通常〈空の要塞〉には一〇人の乗員が乗り込んだ。従って、一〇〇機の編隊ともなれば、これに搭乗する兵士の数は一〇〇〇人にも達した。作戦が発動されればそれが逃げ場のない檻に閉じこめられて、様々な思いを抱いて刻一刻と地獄が待つ空に引き寄せられて行くのだ。出撃はいつも漠とした不安から始まった。夜明けに向かって舞い上がり、朝焼けを抜けて紫紺の空へ出るが、やがて目に染みる大空に顔を出した太陽が、一際、高く昇って行く位置も刻々と変化して、空の青さも柔らかい水色に移り変わった。こうした変化が時間の経過や敵地への接近を告げ、緊迫の度合いも徐々に深めた。時が経つほど攻撃目標に迫っていることが痛感され、搭乗員たちの焦燥を募らせた。四〇〇のエンジンが爆音を轟かせていなければ、青空に浮かぶ一〇〇〇の心臓が、天をも揺さぶる鼓動を空一面に響かせたかも知れない。しかし、いつしか機内に漲った緊張もゆっくりと凍りつき、諦めや開き直り、或いは任務を全うしたい思いなどがこれに取って代わる。乗員たちは出撃の都度、こうしたジレンマを繰り返すが、最後は観念するよりなかったのだ。覚悟を決めた者の多くはまんじりともせずに決定的な瞬間を迎えようとした。
 間もなく、空を圧する編隊は、僅かにもやった攻撃目標を北西から見下ろせる位置にまで迫った。編隊は徐々に高度を下げ始めた。〈空の要塞〉は二万五〇〇〇フィートの高度で最高性能を発揮したが、より正確を期して、今回に限り、爆撃侵入高度が一万二千フィートと低く設定されたからだ。例えて言うなら、望遠照準器を備えたライフルで八〇〇ヤード先の目標を正確に狙っても、弾丸は長い距離を飛翔する間に風や空気密度の抵抗を受け、弾道を微妙に狂わせるので、有効射程八〇〇ヤードを保証するライフルを使うとしても、名目上の保証に頼るより、半分の四〇〇ヤードで狙った方が命中率が高くなったからである。
 低空から俯瞰すると、ルール工業地帯の一角に居座る鉄道操車場は、田舎芝居の殺風景な舞台に添えられる安っぽい書き割りみたいに見えた。広大な敷地の北方には可愛らしい小山が見えたが、麓の森林に今にも埋もれそうで、山と呼ぶほどの高さはなかった。東方に見える曲がりくねった川は、柔らかい靄に包まれて眠る銀色の蛇を想わせた。ずっと南の平地には、工場らしき建物が群居し、無数の煙突から夥しい煤煙を立ち上がらせていた。あくせく兵器を生産する黒煙だった。それが空で一つに繋がり、薄汚れたスモッグを形成していた。平時は人々の暮らしに役立つ製品を生むのだろうが、戦時の今は陸続と兵器を送り出していた。それは見なくても判った。ルールはドイツ最大の工業地帯である。
 改めて攻撃目標──鉄道操車場に目をやると、人の気配はなかった。今回も早期に空襲警報が発令されたらしい。従って、招かれざる訪問者を出迎えたのは、毎度うんざりする高射砲の弾幕のみだ。例によって、前方に幾つかの爆煙が空に薄汚れた染みを作ったかと思うと、その数は数十になり、次いで数百となって、その数を飛躍的に増加させながら大空に溢れ返った。何千とも何万ともつかぬ大小の黒煙が、空一面を覆い尽くして混ざり合い、人工の暗雲を爆撃隊の正面に出現させた。芝居がかった雰囲気は消し飛んだ。
 高度一万二千フィートで水平飛行に移った爆撃隊が操車場に近づくに連れ、「ドン! ドン!」と低く鈍い、雑音が混じったような割れた音も、次第に大きくなり始めた。榴散弾の爆発音と噴煙が合致しない珍妙さは、音が大気を震わせて伝わってくるまでに、少し時間がかかるせいだ。この光景は多少なりとも間の抜けた印象を与えた。しかし、沸騰する泡みたいに滾る褐色の弾幕の内部へ突入し、巨大な怪物のはらわたでも眺めるような情況に陥ると、見た目ほど気楽に構えても居られない。至る所に発生する衝撃波が機体を叩いたし、気流も乱した。それが幾つも重なり合って派生する偏流に、機体を荒々しく弄ばれることもあった。機の応力外皮構造を支える肋材が、呻き声のような軋みを発し、あちこちで激震する装備も不快な金属音を発した。外では時限信管で爆発する各種口径の砲弾が、恐ろしい弾片と内包した弾子を至る所で飛散させていた。遠くで爆発した砲弾の欠片は、ゆったりとした弧を描いて機体に降りかかるが、至近で高射砲弾が炸裂すると、弾丸よりも高速で飛翔する熱い弾子が唸りを発しながら機を貫通した。無論、直撃弾を食らったら一巻の終わりだ。頑健無比な〈空の要塞〉と言えど、全焼家屋の崩落みたいに倒壊する。あとは機械と乗員の残骸がバラバラになって地表へ降り注ぐ。近代火器の凄まじい爆発力こそがこの地獄の支配者で、暴威を振るう高性能火薬の前には、例えそれが戦車や軍艦であろうとも、頭を垂れて屈服するしかないのである。
 夥しい爆煙が狂気を象徴するように溢れ返った。高射砲弾の炸裂は目を眩ますほど激しかった。それでも弾幕の妨害など物ともしない第一爆撃師団の編隊は、ひとまず所定の爆撃針路に乗った。北西から南東へ、攻撃目標を斜めに横切る態勢だ。第三爆撃師団は少し遅れて続いた。これが四度目の攻撃で、すっかり馴染みになった目標への爆撃照準は造作もなかった。編隊はじりじりと操車場へ迫った。緯度と経度の交錯する投弾の座標点を目指して――乗員たちは暴れる衝撃波に弄ばれ、幾度となく機内で蹌踉めいたが、これは投弾を終えるまでは我慢し、ひたすら耐え抜く以外になかった。
「間もなく、爆撃侵入基準点に到達するぞ。爆弾倉を開け!」指揮官機からの無線指令で、〈空の要塞〉の集団は一斉に胴体下の爆弾倉を開いた。じわりと下腹部の扉を左右に開放すると、高射砲弾の炸裂音が一際大きくなった。爆発のあとで流れる生暖かい煙が機内にも吹き込んで来た。
 無数の爆煙と爆発音が、引きも切らず威嚇したが、これに挑むようにエンジンを猛々しく唸らせる怪鳥軍団は、攻撃目標を目指して猛然と突き進んだ。操車場の上空には、特に爆撃の障害となるような大きな雲はなかった。代わりに哀調を帯びた薄いミルクのような靄がかかるのみで、これが操車場を舞台の書き割りに見せる元凶だった。しかし、大部分が透けて見えるような靄なら、爆撃照準のさしたる支障にはならない。高度一万二〇〇〇フィートから目標を眺めると、操車場がいつもより大きく見え、玩具の箱庭に首を伸ばすような錯覚を与えた。侵入高度が低いことが改めて痛感された。ミニチュア模型とも思える可愛らしい貨物列車などが、呑気に出入りする姿もはっきりと望見された。機関車から立ち上る煙さえもが、空の上からでは玩具で作った煙かと思えるほど愛らしく見えた。運転士や火夫はさぞかし泡を食っているに違いないのだが──いきなり空襲警報を鳴らされても、たまたま走行中だった列車は、手で掴み上げて玩具箱へ片づける訳には行かない。ふと上空を見上げると、今日に限っては侵入高度を低くした戸惑いからか、編隊よりもかなり高い位置で爆発している高射砲弾も少なくなかった。一部の高射砲は高度の判定を誤っていたらしい。それとも時限信管を通常の侵入高度に設定したまま――弾頭部を「キリキリ」と回転させ、指標を希望の数字に合わせて決定するが、普段の調子で惰性で撃っているだけか? 或いは高度の測定が正確だったにせよ、炸裂時間の調整を誤って発砲していたか? 指示された高度がいつもの半分しかないので、「そんな筈はない」と、報告を信用しない砲術指揮官も居たかも知れない。いずれにしても、爆撃針路の入り口を通過したら、あとは三角測量を応用した爆撃照準に従って、予測照準に移動指針が重なる投下点まで、爆撃隊は脇目も振らず突き進むのみである。高度と速度さえきちんと設定してやれば、緩やかな放物線を描いて落下する爆弾の最適投下位置で、破壊の卵たちは勝手に爆弾倉から巣立って行く。
 衝撃波と煙と破片が散り乱れる中を、爆撃隊は航空図に記された一点を目指してひたすら飛び続けた。
 何故そこが選ばれたか、それとも如何なる意志に基づいて決定されたかなど、ここまでくれば問題にもならなかった。あとは空輸した爆弾の有りっ丈を操車場へ叩き込むのみである。策定された目標物を完膚なきまでに撃砕するだけ──それが爆撃隊の唯一の使命だった。是非もなく、見るべき成果が上がらなければ、後日、再攻撃が発令されるだけである。多分、粉砕が何日か遅れるだけで、操車場が灰燼に帰す運命は変わらなかったろう。軍令の辞退も有り得ず、幾度もしくじれば、指揮官の首が飛ぶだけだった。或いは他の爆撃隊が任務を代行したろう。これは、その意味では世界大戦と呼ばれる爆薬の導火線に、何処かの間抜けが迂闊にも点火した時に定められた、逃れようにも逃れ得ぬ運命だった。この場所が廃墟と化す運命は、実際にはその瞬間――ずっと前に遡るが、狂った野望に取り憑かれた男が、世界大戦に踏み出した時に、決していたのである。そして、今、夥しい量の爆弾を抱えて突き進む戦争の申し子たちが、その非情な定めに止めを刺そうと目論んで、一途な突進を試みていた。ナチス・ドイツが別な選択を採用していれば、今日、この操車場が悲惨な目に遭うことはなかったろう。爆撃隊員たちも生死を危うくしてまでこんな所へ現れる理由などなかったのだ。誰しもそれぞれの故郷でそれぞれに平穏な人生を謳歌している方が良いに決まっていた。長い長い紆余曲折が招いた一つの結末として、不本意にも彼等はここ──戦略的要地へ引き寄せられたのである。
「カン、カン!」と、甲高い金属音を発しながら、高射砲の爆煙を突き抜けて進む機体のあちこちに、落下する高射砲弾の鉄片が当たった。時として薄い煙の尾を引く砲弾の一片が、爆撃機の屋根で跳ねることもあったが、神経に障ろうと心臓が縮もうと、爆撃隊はこれも無視する他はなかった。最終行程の途上に撃ち上げられる高射砲の榴弾が、爆撃機の直ぐ近くで爆発し、内包された弾子が弾け飛んでエンジンや機体を貫通したり、乗員を引き裂いて死傷させようとも、今は真一文字に突進する他はなかった。もしも、飛散する弾片の直撃を受け、操縦士の頭が微塵に砕け散ろうものなら、その時は副操縦士が操縦を引き継ぐのみだ。投弾を誘導する先導機のみ、爆撃手が照準器に連動した自動操縦で進路を維持したが。
 銃弾を凌ぐ勢いで弾子がめり込み、エンジンが火を噴けば、炭酸ガスを放出する自動消化装置で速やかに火災を鎮める。エンジンが停止すれば、空転するプロペラの空気抵抗を減らす為に、羽根の角度を変えて固定し、やはり攻撃目標を目指す。例え燃料タンクが火を噴いていても、飛行が続く限り、爆撃機は炎を背負ったままでも投弾点へ突き進んだ。乗員が負傷すれば、誰かが手当に駆けつけて応急処置でも施すだろう。空には軍医も野戦病院もなく、延命の選択肢は極めて乏しいが――作戦中の機内では、乗員の外科手術など出来よう筈がなかった。手術室や医師を積み込んで飛ぶことが出来ない以上、倒れた兵士が泣き叫び、重傷で死にかけていても、ここでは簡単な消毒と止血をし、モルヒネを打って祈るだけとなる。これも止むを得なかった。大空の戦場ではそれで我慢するしかないのだ。機体が爆撃侵入基準点から投弾位置に延びる針路を少しでも外したら、その瞬間を狙って注がれた大変な努力が水泡に帰した。飛行しているのは一〇〇機に過ぎないとしても、これを送り出す為に数千人の人々が手を煩わせていた。銃後まで含めると、何万人もの人々が、大なり小なり、何らかの形でこの行程に係わっていたろう。それらの全てが二〜三分の決定的な短い時間に集約されることになる。
「爆弾を落とすまでは当たらないでくれ」揺れる機内では誰もが祈った。息を殺して拷問のような苦痛に耐えた。爆弾投下の有無に係わらず、高射砲弾など命中しない方が良く、撃墜だってされないに越したことはないが。その為、乗員は一瞬でも早く過ぎ去って欲しい行程の無事を、天地のあらゆる神に祈りたい心境になった。短い時間だが最大の緊張を強いられるせいで、異常に長く感じられた。痺れを切らした強迫観念が、勝手に自制の檻を突き破って叫び出しそうな予感にも苛まれた。他方、鋭い音を立て、飛び込んで来た破片の直撃を受け、突然の不運な死に見舞われた乗員は、その瞬間にあらゆる物から切り離された。死後の世界には苦痛も恐怖もなかった。されど死にたい者など一人も居ない。
 誰が生き、誰が負傷し、誰が死んだか? しかし、死傷者の有無や数、機体の損壊も、ここでは問題にならなかった。遙々、英本土から飛来して、仕上げまで一息の所へ迫っていた。一旦、爆撃針路に乗った編隊は、後はもうひたすら投弾点に突進するしかない。この地を殲滅しなければ、ここを経由して送り出される武器や弾薬が、各前線のドイツ軍に活況を与える。それだけ友軍が苦しむのだ。連合軍の死傷者の増加を手を拱いて眺めてはいられなかった。ゆえに万難を排してこの地を破砕する覚悟の爆撃隊は、有無を言わさず操車場へ襲いかかった。チェスの試合に例えるなら、チェック・メイトの最後の一手を打つ瞬間である。何者にも邪魔はさせられない。もしも、前途に雷を振り翳す巨神が出現して、爆撃隊の行く手を遮るなら、彼等はその巨神にさえ銃弾を浴びせ、体当たりし、力尽くにその身体を突き抜けて目標に猪突したろう。
 と、その時、あと一歩で肝心の瞬間に到達する場面で、不意に浮き上がった指揮官機の下腹から、流線型の黒い物体が落下し始めた。直前に一際大きな爆煙が指揮官機の右舷下で湧き上がっていた。飛散した高射砲の弾片が、機の中央部に飛び込み、緊張に身を固くしていた通信士を人形でも引き裂くように倒した。爆発は爆弾倉の開閉扉も引き千切ったが、同時に機を貫いて爆弾倉へ飛び込んだ別な鉄片は、懸架装置の固定具を欠損させた。機内で爆発が起きなかったのは幸いだが、歯止めを失った一〇〇〇ポンドの準徹甲爆弾が、予定よりも早くレールから滑り落ちて行った。尾部を小羽根で飾った重々しい物体が、機体の陰から明るい空の下に現れた。軍艦のような鉄灰色の鈍い光沢が、この時を待ち侘びていた皆の注意を惹いた。
「今だ。爆弾投下!」先導機を凝視していた各機の爆撃手たちが、次々とスイッチに手を伸ばした。
 次の瞬間、「駄目だ……早過ぎる!」と、自分なりに爆撃行程を目で追っていた第二中隊の先導トーレス機の爆撃手ウエインが怒って叫んだ。第一中隊の背後で左上を飛ぶ第二中隊からは、事故を見下ろす格好になった。操縦席のトーレスは直感的に妙だと思った。指揮官機が爆煙に乗り上げて浮いたように見えたのだ。
 編隊は混乱した。指揮官機の至近で高射砲弾が暴れた場面――爆弾倉の扉が吹き飛んで、爆弾が自然落下する経緯を事故と受け止めた機は、咄嗟に投弾を思い止まった。気が逸っている機の爆撃手は、爆弾の落下に攣られて手動で投弾スイッチを入れた。ここから大隊の支離滅裂な爆弾投下が始まった。
「しまった!」指揮官機の爆撃手は悲嘆の叫びを発した。照準器の指針はまだ目標に達していないが、突如として二トンの重量が失われると、機が軽くなるのでそれと判った。
「何ごとだ?」編隊を先導する大隊指揮官のジョンソン機長も、矢庭に浮き上がった機に泡を食った。爆撃手からはまだ何の報告もなかった。爆撃手は爆撃照準器に連動する操縦に専念した。風による偏流に苛まれる機体を懸命に抑えつつ、針路の維持に努めた。一呼吸おいて彼は機長に答えた。「爆弾架の故障です! 投下点までまだ一七秒!」爆撃手はかっとしながら吠えるように告げた。「糞ったれ!」
「むっ」とするジョンソン大尉だが、この雑言は事故に対する憤りだった。大尉は賺さず短距離無線で大隊に指示した。「故障発生、投弾するな。投下点までまだ一七秒!」大尉は臍を噛んだ。「さっきの高射砲弾か? 爆弾架が壊れたな……」彼は爆撃手に命令した。「投弾は無線で指示する。投下点に達する三秒前に知らせろ」
「了解。投下点まであと一四秒!」
 トーレスも乗機の爆撃手に待ったをかけた。「待て、投弾するな!」と。無論、自己流に爆撃行程をなぞっていた爆撃手のウエインは、投弾にはまだ早いと察知していた。各機の機長たちもそれぞれの爆撃手に急いで指示を与えたが、気の早い投弾を始めた機はどう仕様もなかった。大隊の右下に位置を占める第三中隊は、第一中隊を見上げる格好になるが、ローズフェルト中尉も「待て、爆弾を落とすな!」と、取り急ぎ爆撃手に中止命令を発した。しかし、ローズフェルト機の爆撃手は、指揮官機の投弾に攣られて手動投下スイッチを押していた。同時に、ローズフェルト機の前方下方で高射砲弾が炸裂し、真っ黒な煙が噴き上がった。強い衝撃波に襲われて機が蹌踉めいたせいで、ローズフェルトは思わず操縦桿を取られそうになった。「畜生、暴れるな」
 トーレス中尉もフォード少尉も、戸惑いながら愛機の窓から周辺を見回した。高射砲弾が炸裂する中、編隊は混乱していた。空に「戸惑い」や「しまった」と言う文字が浮かんでいる筈もないが、雰囲気から判った。「ここまで来て何をやってるんだ?」と、爆撃機のエンジンが拗ねているようにも感じられた。事故による爆弾の自然落下に引きずられて、大隊の半数近くが投弾したと思えた。但し、編隊を組む味方機そのものも、吹き荒れる爆煙とともに周囲の視界を妨げたので、どの機の機長も操縦席の限られた視界からでは、仔細を知ることが出来なかった。今はただ、突発した事故と違う勝手に狼狽するばかりである。が、その間にも秒針は着実に時を刻んだ。
 一二秒が経過した。三秒の余裕を見て爆撃手がジョンソン機長に合図を送った。「了解、投弾しろ! 投弾だ!」指揮官機から慌ただしく無線指令が発せられた。各機の機長からそれぞれの爆撃手に伝達される時間差を考慮してあった。この連絡で、辛うじて爆弾投下を思い止まった機の爆撃手たちが、手動で電源スイッチを入れ始めた。判断に迷った残りの爆撃機は、その後を追いかけて爆弾を投下した。投弾は支離滅裂になった。
「拙い!」トーレスは唇を噛んだ。狭い操縦席からでは、一連の混乱を細部まで見極めることが出来ないが、要領の悪さは直感できた。「こんな筈ではない。こんな筈では……土壇場でへまをやる為にわざわざやって来たのか?」の思いが頭を過ぎった。気まぐれな高射砲弾が起こした事故にせよ、ドタバタ喜劇にも似た失態が、良い結果を生んだ試しがなかった。長きに渡って蓄積した経験が、紛れもない手落ちを弔鐘のように告げた。爆弾は広範囲に散布してはならないのだ。破壊のエネルギーは一斉投弾で攻撃目標に密集させなければ効果がなかった。数百発の爆弾を一纏めに目標へ叩き込んでこそ、敵の重要施設を完膚無きまでに撃砕できたのだ。散発的な投弾は存外に効果が乏しく、戦時の動員力が破格なことまで考えると、敵は直ぐにも被災地を復旧したろう。
 最早、取り返しはつかなかった。予期せぬ不祥事が、図らずも第一爆撃師団の決死の努力を台無しにした観があった。無念な結末だが、こうなれば一刻も早くこの場を退いて、少し遅れて侵入してくる第三爆撃師団の健闘に望みを繋ぐしかない。
「投弾完了」爆弾の投下が終わると、トーレスに報告した爆撃手ウエインは爆弾倉の扉を閉めた。「糞っ!」ウエインは毒づいて高射砲の爆煙を見下ろした。彼は腹立たしげに舌打ちした。ウエインは自分なりに行った方式で、かなり正確な爆撃をした積もりだった。しかし、個々の爆撃の上首尾などここでは問題外だった。集団が一丸となって投弾し、数百発の爆弾を密集させないと、到底、成功とは言えなかった。因みに、五〇機が全て五〇〇ポンド通常爆弾を投下したら、一八発×五〇で総数は九〇〇発となるが、実際には様々な効果を考え、もっと小型の破片爆弾や更に大型の徹甲爆弾など搭載した機も混じるので、総数を掴むのは難しい。
 ジョンソン大隊が退場の左旋回をしている最中に、沈痛にも第三中隊の爆撃機が一機、下腹部に高射砲弾の直撃を受けた。きらびやかな閃光の後、被災機の腹部球形砲塔が存在した辺りは、一瞬にして消し飛んだ。銃手の五体は微塵に砕け散ったろう。被弾箇所の前後に陣取る通信士と後側部銃手の二名も一緒に吹き飛んでしまい、機内に千切れた手足や臓物を散乱させながら倒れた。機は腹部に大穴を開けられただけでなく、床や内壁が吹き飛んだ血と肉の切れ端により、食肉加工場みたいになった。上部旋回砲塔の銃手も爆風に飛ばされ、操縦席背後の床に叩きつけられた。
 この機の操縦士たちはぞっとした。主翼の直ぐ後ろ――付近の胴体部分で、メリメリと音を立てる断裂が起こって、仰天する間もなく機体が前後に分離したのである。こちらは構造破壊だった。損傷が大き過ぎて、持ち堪えられなくなったのだ。尾部銃座の銃手は愕然としながら振り返った。出し抜けに大穴が開いた場所を基点として、胴体後部が切り離されたのだ。尾部が高く持ち上がり、切断部が下がると、機の後半部は滑り台と化す。真っ青な顔の尾部銃手は、半ば呆れながら、傾斜した床を開口部へ向かって滑り落ちる格好になった。電熱服や酸素マスクのコードが抜け、或いは千切れ、インターコムのプラグが外れた。滑り落ちながら側部機銃の支柱に掴まろうと藻掻いたが、防寒用の分厚い手袋が滑って無駄だった。彼は他の銃手たちの死体、肉片、弾薬箱、弾帯、落下傘の収納袋などと一緒くたに、輪切りにされたような開口部から機外へこぼれ落ちた。放り出された直後に、頭上に降って来た落下傘の収納袋を夢中で右手に掴んだものの、墜落しながら縛帯を身に纏い、金具を固定して、それから落下傘を開くのは至難の技だ。縛帯の一部を左腕に巻き込んで、収納袋と縛帯の間に右足でも突っ込み、何とも奇抜な格好で開傘環を引くのが精々である。白絹の傘が全開すると、落下を制動する衝撃が必死の彼を襲った。身体を強く引き止められた後は、空中へ高く持ち上げられる。この衝撃で強かに仰け反らされた彼は、足と腕を折られるような激痛に襲われたが、歯を食いしばって痛みに耐えた。何とも奇抜な格好になるが、落下傘の縛帯だけは死んでも離さない覚悟だった。
 機体の前半部は白煙に包まれて蹌踉めいた。「脱出だ。脱出しろ!」喚く機長は懸命に操縦桿と格闘したが、胴体の後半部が消滅したので、まともに飛べる事由がなかった。どうにか現状を維持しつつ、錐揉み落下に陥る時間を多少遅らせる程度が精々となる。爆撃手と航空士は取り急ぎ落下傘を装着し、機首下部の脱出用ハッチから飛び降りたが、シート・ベルトを外して立ち上がった副操縦士は、突然、螺旋降下を始めた機に振り回されて、側壁に頭を叩きつけられた。その身体が反動から機長の上に倒れかかって来た。機長には満足にベルトを外す猶予も与えられなかった。失神した副操縦士の身体を突き飛ばすが、機体が裏返しになると目が回る。旋転する機内でベルトを外しても、何処かへ叩きつけられるだけだ。再び、失神した副操縦士の身体が覆い被さって来た。崖から転がり落ちる車の中と変わらない情況である。これでは機に閉じ込められて一緒に墜落するしかない。爆撃手と航空士は、ひとまず落下傘で飛び降りたが、慌てて傘を開いたこちらも大失敗を悔いる羽目になった。高射砲の弾幕が荒れ狂っていたのである。連続する爆発音で頭は割れそうになるし、肉眼では見えない津波――衝撃波も、皮膚を切るように襲って来た。何よりも恐ろしい榴散弾が滅裂に飛び交っていた。爆撃手は落下傘にぶら下がった状態で、飛散する弾子の雨を浴びた。巨大なショット・ガンで引き裂かれたような、ボロボの死骸と化した。少し離れた場所で頭を抱えていた航空士は、次の瞬間には壮絶な爆発の餌食となって、五体は木っ端微塵に四散した。長靴が一つ回転しながら飛んだ。ふらふらと宙を漂うのは臓物の一部か? 落下傘の制御索から下は完全に消滅したので、傘の下の吊索も、水母の足みたいにてんでに吊り下がった。無数に穴の開いた白絹の傘は、やがて風に巻かれて縺れながら飛び去った。
「第三中隊に被害……高射砲弾の直撃です!」旋回砲塔のガブレスキーが、この爆発を目撃していた。「一機墜落しました」
「誰の機か判るか?」トーレスは思わず右を向いた。右舷側へ目をやっても、彼の位置からだと副操縦士のフォード少尉が邪魔になる。代わりにフォード少尉が右横の窓から下方を見下ろした。「弾幕で良く判りません」うんざりしながら報告した。事実、機の外は、数百もの黒煙が大小様々な形で溢れ返っていた。爆撃機は飛び続けるので、褐色の煙の集団が、汚れた綿の川みたいに流れて行く感じがした。引きも切らず、新しい爆発が起こって、噴煙が盛り上がる為、濃淡取り混ぜて変化する黒や灰色の煙が犇めき合い、視界を妨げていた。羽根のような身軽さがあれば、綿菓子で埋めたような弾幕の上を歩いて渡れたかも取れない。
 トーレス機の下方でも害意を痛感させる高射砲弾が破裂した。津波のような爆風が機体を揺さぶると、乗員たちも機と一緒に翻弄された。機は荒波に揉まれる船も同然だった。一旦は蹌踉めいたガブレスキーだが、しがみつく機銃を支えとして態勢を立て直すと、上部の旋回砲塔から首を伸ばし、改めて第三中隊に目を凝らした。墜落機を確かめようとしたが、やはり多すぎる弾幕――どす黒い爆煙に視界を遮られた。旋回砲塔の周りで二つほど火花が散ったが、小さな破片が掠めて飛び去ったものに違いない。彼は気後れしながら通報した。「高射砲弾の煙が一杯で視界が不良……詳しいことは判りません」
 第一爆撃師団の三個大隊は、英本土へ引き返す為の、一八〇度のゆったりした旋回を終えた。成否は別にして、投弾を終えたら一刻も早く現場から遠離るべきだった。これと入れ替わって、後続の第三爆撃師団が目標上空に現れた。後は彼等に任せるしかなかった。こちらの三個大隊も、やはり激しい砲弾の威圧に遭遇した。第三爆撃師団の編隊およそ五〇機も、荒れ狂う噴煙が合体して作る人工の暗雲に呑み込まれた。操車場の周辺に展開するドイツ軍の高射砲部隊も、血眼になって反撃の砲弾を撃ち上げていた。ルール工業地帯が近いので、砲弾の供給には不自由しなかったろう。爆撃機の侵入を阻止したい一念から、ドイツ軍は各種火砲を三〇〇門は取り揃えており、狂気のように猛射した。
 新たに爆撃針路へ入る編隊には、恒常的に照準の不利がつき纏った。敵の対空射撃も次第に正確になるし、弾幕の密度が濃くなる上に、最初の爆撃で起こった地上の噴煙までもが視界を妨げるからだ。尤も、噴煙や爆煙が多いと、地上の高射砲部隊の照準を妨害する効果も発揮したが。この面から見ると、「自分たちだけ不利」と考えるのは不公平だ。ともあれ、ノルデン式爆撃照準器の上に屈み込んで、望遠レンズに刻まれた十字照準を睨む先導機の爆撃手は、すでに必要な設定を済ませた所だった。これが完了すれば、後は爆撃進路を維持するだけだ。照準器の移動指針がじわじわと照準に迫って行き、合致すれば、投弾は自動で行われるので、後は機械任せとなる。水平制御もジャイロ安定装置が勝手にやってくれた。ただ高空で荒れ狂う偏流の影響から、機が左右へ流されるのは拙く、肉眼で目標点へ照準を合わせ続ける作業だけは等閑に出来なかった。爆撃手の目は操車の管理センターがある四階建てのビルの手前を狙った。周辺の一〇棟ばかりの大小の付帯施設には目もくれなかった。
 それはそれで一向に構わなかった。彼の頭の中は五〇機の爆撃機が一斉に投弾する爆弾の散布界で占められていた。目標を行き過ぎてしまわない用心も働いた。今日までうんざりするほど地図や航空写真を検討して来たのもその為だ。自分の機が投下する爆弾はどうなっても構わない。ここでは五〇機の全体が投下する爆弾が、目標地域をすっぽりと包み込むことが肝要だった。弾幕に加えて最初の滅裂な爆撃による噴煙が鬱陶しく、ややもすると目標を見失いがちだったが、爆撃手は照準を狙った場所から動かさないように、全神経を注いだ。照準と連動した自動操縦装置は、機体を刻々とその地点へ向かわせた。移動指針が照準線へ重なれば、通電機構が作動する。爆弾の固定具を解除する投下装置には勝手に電流が走るのだ。直前に弾幕の妨害があって、視界が遮られたが、煙が流れ去ると、目標が待ちに待った姿を現した。照準に殆ど狂いはなかった。「良し、投弾!」
 先導機の爆弾倉から爆弾が落下し始めると、これに倣って第三爆撃師団の〈空の要塞〉も次々と爆弾を落とし始めた。他の機は全て手動で投弾した。全員が呼吸を合わせてこそ絨毯爆撃も成功する。数百発の爆弾が辺り一面を隙間なく破壊して、爆撃が終わって見れば草一本、残って居ないだろう。それが理想だ。その姿は、さながら空飛ぶ怪物どもの産卵だった。無塗装の鉄灰色の卵も有れば、薄汚い感じがするオリーブ・ドラブのペンキを塗った卵もあった。こちらの一斉投下の指令は絶妙だった。一〇〇トンに近い数百発の各種爆弾が、どす黒い弾幕の雲へ注ぎ込まれ、それを突き抜けてから落下した。風を切って目標に注ぎ込まれる爆弾の雨は、連続的に発生する閃光と爆発の帯となり、目標地帯を忙しなく駆け巡った。通常、標準爆撃高度二万五〇〇〇フィートを維持し、五ヤード間隔で投弾した場合、着弾の間隔は約三〇ヤードだが、今回は投下高度がその半分だったので、それよりもずっと短い間隔で密集する爆発が、操車場を走り回った。間隔の狭い連続爆発は、ほぼ狙い通りに攻撃目標に指定された北部を襲った。地表では閃光と衝撃波が生み出す紋様が次々と生まれては消えた。閃光の後を追いかけるように、数え切れないほどの黒煙も噴き上がった。何百もの小型火山が一斉噴火して地上を駆け回る趣もあった。
 灰色や白っぽい煙、炎も噴出して、空中で黒煙と絡み合う醜悪な舞踏を踊った。こうなると高射砲の炸裂音も何やら虚しく響く。所々では火災も発生して、めらめらと燃え上がる赤黒い炎が建物を包み込む光景も見られた。崩れた木造の家屋が発火する様子や、炎の塊が小さなビルの窓ガラスを突き破って噴き出す場面も望まれた。爆弾が降り注いだ辺りの地面は穴だらけで、さながらクレーターに覆われた月面の一部がここへ引っ越して来た観もあった。
 操車を集中管理する四階建ての司令所は、コンクリートの堅固なビルで作られていたが、その屋上をぶち抜いて飛び込んだ一〇〇〇ポンド徹甲爆弾が、各層を突き破って一階の床に激突し、ここで炸裂した。瞬時に天井や壁が四方へ吹き飛んでしまい、瓦礫が辺り一面に飛び散った。家具、調度品、事務机などの端くれが、砕かれた玄関や窓から大量のゴミに化けて噴き出した。管理設備が占める三階部分は、爆発に打ちのめされたと言うよりも、階下の支えを失って崩れ落ち、更にその上へ崩落した瓦礫の下敷きとなって全壊した。爆発による毀損は半分で、後は建物の崩壊によって潰れた。
 これで近代的な操車設備は灰燼に帰した。また、付近にあった職員用の二階建て木造官舎は、五〇〇ポンドの通常爆弾に屋根を直撃され、一旦、風船が膨張するような感じから、いきなり弾け飛ぶ爆発を引き起こした。通常爆弾は触発信管で作動するが、古びた木造屋根は柔らかく、信管への衝撃が足りなかったらしい。爆弾は一階の固い床に激突した時点で爆発した。爆風で壁材と屋根瓦が支離滅裂に四散した。二〇ヤードの間隔を置いて並ぶ残りの二棟は、爆弾の直撃そのものは免れたが、それぞれ至近で起こった爆発に建物の壁面をもぎ取られ、家具や什器の類を辺り一面に散乱させた。最も古い一棟に至っては、至近弾の爆風で傾き、木材が軋む歯の浮く唸りを発しながら倒壊した。マッチ箱がひしゃげるように潰れると、数十年に渡って蓄積した塵埃が大量に噴き出した。空襲警報の発令が早かったので、周辺に人影がなかったのは幸いだった。操車場はしきりに狙われたので、ここで働く人々は避難にも熟練していたようである。
 操車場そのものを避難させるのは不可能でも、重要設備は要塞化するか、地下へでも埋設する配慮があって然るべきだったろう。不便を囲っても、離れた場所へ偽装して建設する手もあった。しかし、攻撃的なヒトラーに唆され、攻勢に熱中して大戦に突入したドイツは、「防衛など無駄な努力。勝って終われば必要ない」の独断から、防御には全く関心を払わなかった。第三帝国は電光石火の勝利を獲得し、栄光に包まれて繁栄する予定になっていた。無論、ヒトラーの狂った予定など、途中で転覆してしまうが。従って、この地も当て外れの被害を蒙った一つと言える。
 線路のレールや枕木を吹き飛ばす爆発が、盛んに土砂を巻き上げつつ、居並ぶ貨車の方へ伸びて行った。砂利も弾丸のように飛び、あちこちを破壊した。七五ミリ砲を搭載した四号F2型戦車が二両づつ、無蓋貨車三台に乗せられていたが、作業員たちが避難してはどうにもならず、これも爆弾の餌食になる瞬間をただ待つしかなかった。落下加速の勢いを伴う徹甲爆弾が、屋根をぶち抜いて四号戦車を捻り潰すと、車内の弾薬庫まで一緒に爆発して、このF2型は原形を留めないほど粉々に砕け散った。正に瓦礫である。重金属の中では比重が最大となるクロム族元素──タングステンと対比すると、鉄の分子構造は意外なほど粗雑なのだ。骨粗鬆症に侵された朽ちた骨を想起させるくらいで、この隙間だらけの空間へ自在に入り込む熱を利用して、折り曲げる加工が簡単に出来るとも言えるが、脆い耐久力を上回る衝撃波に襲われたら、所詮は無惨に砕けて散るしかなかった。直撃弾を食らった戦車は、実際、玩具だったのかと思えるほど、呆気なくスクラップになった。
 隣の戦車は砲塔を砕かれたし、別な貨車の戦車は長い七五ミリの戦車砲をもど取られた。貨車自体も被弾して傾くと、その上に載っていた戦車も脇へ滑り落ち、横倒しになった。後続の貨車に乗せてあった二両の戦車は無事だったが、次の貨車が砲弾を満載しており、これが大爆発したせいで、その二両も巻き添えで吹き飛んだ。この爆発は仰け反るような火柱を立ち昇らせた後、一際大きなキノコ雲を空に噴き上げた。弾薬を満載した貨車の爆発は凄まじく、周辺の貨車を何両も巻き込んで粉砕したので、バラバラになった破片が空高く舞った。
 爆弾はまた、古めかしい機関車の整備工場にも落下した。至近弾で鉄骨の支柱をへし折り、帝政時代に立てられたと思える古い屋根を傾かせた。凹んで崩れかけた屋根の下から白い蒸気のような煙が噴き上がったのは、引き込まれて修理中だった機関車が損壊したものだ。続いて落下した二発の爆弾も工場の屋根を突き刺した。鋭い鋼鉄の杭でも打ち込むように、落下加速で勢いを増した二発の徹甲爆弾は、その一〇〇〇ポンドの重量と相俟って、木造の薄い屋根を苦もなくぶち抜いた。構内へ着弾したあと、修繕を待つ三両の機関車や貨車などを道連れにし、工場そのものを跡形もないほどに爆砕した。内臓も裂けるかと思える重低音の爆発音が、地下深くにまで浸透した。激烈な衝撃波は地層すら歪めたかも知れない。爆煙が風に追い立てられた後、姿を現した物は、熱せられてねじくれた鉄の残骸と、大小無数のコンクリート塊だった。
 渡り廊下で連結された三つの簡易駅舎もそれぞれに被害を受けた。間を二組のレールが走り、この下に止まった機関車に中央の給水タンクから水を補給する設備だったが、連結された渡り廊下の一つは、直撃弾が木造の箱形構造を呆気もなく貫通し、真下の線路上で爆発したせいで、下からの爆風で上に持ち上げられた時に切断され、それから給水タンクとともに、支えを失った積み木みたいに崩れ落ちた。もう一方は中央の建物が直撃弾で砕けた時、渡り廊下の連結部を裂かれてしまい、ねじ切られるようにして崩れ落ちた。こちらの哀れな構造物は、その下に停車していた貨車の上に落下した。長きに渡って煤煙に汚れた渡り廊下は、貨車の屋根にぶつかってから分断され、その左右に崩れ落ちた。その先では、爆発で尻を跳ね上げた貨車が直ぐ横の変電所へ倒れ込み、次いでそこに落下した爆弾が、双方を粉砕した。操車場の北東で貨車ばかり多量に並べられた草むす区域では、軽火器用の弾薬を詰め込んだ貨車が炎上して、花火倉庫の火事を思わせるほど盛んに火花を撒き散らしていた。ここにはまた、戦車や大口径砲などの重量物を積み降ろす大小の起重機が数基、設置されていたが、クレーンの一つは命中弾を浴びて鉄骨構造を崩しながら自壊し、もう一基の小型の荷役機械は脚部の大破で軋みながら傾いたあと、自重を支え切れなくなって貨車の上に転倒した。貨車は屋根が無惨に潰された。太いケーブルが、平台貨車の上の装甲車にかけられたままだったが、クレーンが転倒した方角へこれも引きずり落とされて横倒しになった。
 西に密集する倉庫群やトラックのターミナルでは、火災が我が物顔で暴れていた。意外にも、こちらは先の第一爆撃師団が投下した爆弾による二次災害である。軍需品の集配所には多量の燃料と弾薬が持ち込まれたので、必然的に火薬庫と変わらない劣悪な環境になった。先ほどの不本意な投弾が、数十棟の倉庫に与えた打撃そのものは小さかったが、一旦、火災が発生すると、急速な誘爆と延焼が手に負えない規模と速度で拡がった。二次被害によって、こちらは半ば自滅的な破壊に打ちのめされそうな形勢となった。誘爆と延焼の見事な競演が、勝手に施設を踏み躙ってくれそうだった。ここへ備蓄された大量の燃料や弾薬に火が回ったら、ついには手が着けられなくなったろう。従来の消火作業では間尺に合わないと思えた。大型爆弾でも爆発させ、周辺の酸素を一瞬で奪ってしまえば鎮火が可能かも知れないが――無論、物騒なこの手法には、惨害を拡大させる危険もあった。弾薬庫の誘爆はまた、倉庫の近くに陣地を構えていた高射砲部隊の一部も巻き添えに吹き飛ばす副次的な被害を与え、僅かながらも対空防御の威力を弱めた。弾薬の倉庫が近いと、間断なく撃ち上げる砲弾の供給には便利だが、つい誘惑に負けた横着が、大きな災いを呼ぶことを痛感させた。弾薬倉庫の爆発は、天を仰いで射撃中だった重高射砲四門を転倒させるほど強烈な爆風を巻き起こした。周辺に群がって砲撃に熱中していた砲兵たちも悉く薙ぎ倒した。
 破壊は手の施しようもない規模で場内を荒れ狂ったが、間の悪いことに、北方に居座る小山の裾を回り込んで、軍用列車が近づいて来た。この操車場はルールの工業地帯と西部、南部の戦線を繋ぐ補給の中継基地だった。軍需貨物を扱う列車が頻繁に出入りした。東部のシュレジン工業地帯で生産された軍需品や、ルーマニアから輸入した原油を精製して作る航空燃料なども、ここを経由してフランスやイタリア、地中海戦域へ配送された。もし見通しの良い平地を走行していたら、運転士ももっと早く危難を発見したろうが、被爆地が小山に遮蔽されていたので、事前に見通すことが出来なかった。爆発の騒音は、機関車が疾走するけたたましい轟音が掻き消した。爆発の地響きも機関車が振動していては、推し量る術がなかった。やがて、両方の騒音が入り混じって聞こえ始めるが、減速した機関車がカーブを曲がり切った時、正面に姿を現した操車場は惨憺たる有様――林立する爆発や噴煙があらゆる物を引き裂く修羅場と化していた。閃光や煙、火炎が入り乱れて、奔雷の巣窟を想起させた。土砂に加えて線路に敷き詰めた砂利、枕木、そして元は何かしらの施設だったものの残骸が、盛んに飛び散っては宙を舞い踊っていた。
 軍用列車は大口を開けて待つ地獄へ驀進していた。仰天した運転士は、機関車の横の窓から精一杯に身を乗り出して被災地を凝視した。構内の線路上には様々な瓦礫が散らかっていた。壊れた貨車から転がり落ちた砲弾さえレールの上には散らかっていた。何よりも爆撃で吹き飛ばされたレール自体が途中から消え失せていた。その先で火山の噴火口みたいにぽっかりと口を開けているのは大型爆弾が穿った大穴だ。このまま操車場へ列車を乗り入れたら破滅だ。惨状を望見した運転士は、一際大きく剥いた目の中に、この列車が辿るべき末路を早々と見出した。「飛び降りろ!」
 無茶な命令に、屈み込んで罐を焚いていた火夫が狼狽えた。赤熱した石炭で満杯の罐はさながら溶鉱炉だった。このままではボイラーが水蒸気爆発を起こしたか? 夏は熱さで汗みどろになる火夫は、今にも脱水症状を起こしそうだった。「ふうっ」と玉のような汗を満面に浮かべてふらふらと立ち上がると、理不尽な顔を運転士に向けた。思考が鈍っているらしく、取り乱す運転士の真意を測りかねて、その顔を漫然と眺めるのみだった。「血相を変えて飛び降りろとは、気でも違ったか?」漠として感じた。
 もどかしく口論している場合ではなかった。苛立った運転士は、火夫の手から罐に石炭をくべるスコップを取り上げると、見もせずに遠くへ投げ捨てた。「死にたくなければ飛べ!」がなり立てながら、おろおろする火夫を昇降口に急き立てて突き飛ばした。運転士もあとを追って機関車から飛んだ。操車場の入り口より半マイルほど手前だ。線路の横は低い土手で、雑草に覆われた斜面の先には畑地が拡がっていた。二人は土手の斜面で回転した時に目を回しかけたが、何とか無事に畑へ転がり込んだ。どちらも地盤が軟らかく、羽布団のような役を果たしてくれた。緊急停止などの悠長な手段を試すより、手足を骨折しても飛び降りた方が利口だったろう。
 こうして、無人となった列車は、自殺志願のように操車場へ飛び込んで行った。阿修羅のように暴れる爆発は場内を着実に廃墟へ変えつつあった。目も眩む閃光と噴煙が引っ切り無しに沸き立っていた。駆け足をする炸裂と言って良い景観で、それは爆撃隊が飛ぶ南東を目指して少し遅れて続いた。尤も三個大隊の爆撃機が投じた爆弾にも多少のムラがあり、必ずしも規則正しく爆発が移動したとも言えない。北東から場内へ入って来た列車は、これを斜めに突っ切る態勢になった。駆け抜ける爆発の中を無傷で突破するのは至難だった。五〇〇ポンドの通常爆弾が唸りを上げて落下して来た。機関車の後ろ二両目の貨車が直撃され、爆発が起こると、ここに満載されていたドラム缶――航空団の基地へ送られるハイ・オクタンの燃料だったが、これが爆発して火達磨となった。火炎の渦が幾層にも連なり、膨張しながら噴き上がった。かと思う間もなく、後続の貨車二両も立て続けに誘爆した。貨車の屋根が吹き飛ぶと、燃えるドラム缶が幾つか飛び上がり、液体のような炎を迸らせながら、不規則な回転で宙を踊った。後ろの貨車は断末魔の蛇となって身をくねらせると、レールを踏み外したあとに転覆した。これらの壊れた貨車を千切り捨てた機関車は、直後の一両だけを牽引して、相も変わらぬ暴走を続けた。レールの上にもたれかかっていた砲弾が一つあったが、機関車は猛烈に回転する鉄輪で跳ね飛ばした。まだ信管が組み込まれていないすべすべした鋼鉄の塊は一〇五ミリの榴弾だった。それは転轍機の側に立てられた小さな番小屋の側壁をぶち抜いて中へ飛び込み、粗末な板壁を突き抜けて飛び出した。哀れな木造の小屋は驚いて飛び上がるかと思われたが、それは物言わぬままゆっくりと傾いたあと、観念したように倒壊した。一方、無人の機関車は、待ち受ける厄災など歯牙にもかけない驀進を続けた。レール上に散乱した板きれなどを踏み潰し、瓦礫を力尽くに押しのけながら突進した。レールの上に乗っていた小石などは、機関車の鉄輪が踏み潰して粉末に変えた。機関車の大変な重量が直撃弾によって切断されたレールにのしかかると、レールは驚いて跳ねた。ボルトが飛び、枕木が割れ、割れた枕木のギザギザの裂け目が幾つも浮き上がった。レールが奇妙な角度に拡がって浮き上がると、機関車もついには脱線するよりなくなった。直ぐにも一〇〇〇ポンド爆弾が穿った窪地の中へ頭から突っ込んだ機関車は、ボイラーの蒸気爆発を引き起こして息絶えた。
 全体では四度目、彼等に取っては二度目となる第三爆撃師団の投弾は、極めて順調に捗った。こちらの編隊でも、爆撃機が一機、高射砲の不発弾に翼の半分を叩き折られ、ふらふらと蹌踉めきながら落伍して行く被害を受けた。しかし、今回の低空爆撃は目標を的確に捉えており、彼等の投下した数百発の爆弾は、操車場の北部に多い地上施設を総嘗めにした。軍需品保管の倉庫群にも延焼による甚大な被災が与えられた。第一爆撃師団の投弾は要領が悪く、直接、与えた被害は小規模だったが、火災が拡がって手が着けられなくなる二次災害を大きくした。今回の痛撃で、前線で戦う兵士のどれほどが助かるか知れないが、重圧が緩和されることだけは確実と思えた。操車場が破孔と残骸の山に変わり果てれば、ドイツ軍が昼夜兼行で復旧に努めたとしても、失った機能を回復するまでには数か月を要するだろう。もし数か月を経て復旧したら、再び出張して、爆撃侵入基準点から投弾まで僅か二〜三分の攻撃で再び叩き潰せば良いのだ。数か月の辛苦がたったそれだけのことで滅茶苦茶に吹き飛ぶ。これほど人を惨めな気分にするものは他になかったろう。
「第三爆撃師団の連中は、巧くやったようです。一機が編隊から脱落しましたが……落伍機はゆっくり高度を落としています。何処か不時着の場所でも探している模様」後方視界が抜群の機尾の銃手――ラブ一等兵が、自分の部署から概観した個人的な所見をインターコムで知らせて来た。
 第一爆撃師団はすでに高射砲の弾幕をあとにしていた。綺麗な空の下へ抜け出すと、衝撃波による激しい振動も止み、一息つけた。トーレスが計器類を点検している時に、不意にヘッドフォンに聞き覚えのある声が飛び込んで来た。声の主は直ぐに判った。「ラブか、爆撃は成功か?」トーレスは機内通信で確認を求めた。
「多分……」ラブ一等兵は少し戸惑った。強く念を押されると、つい弱気の虫が目覚めた。「ここからでは、詳しいことまでは判りませんが……ビルの上から玩具の箱庭を見下ろしいるようなものですからね」ラブ一等兵は弁解した。安請け合いが間違っていたら、あとで罰の悪い思いをしたろう。が、逡巡したあとに、改めて爆撃地点をじっくりと見回したラブ一等兵は、自分を得心させてから報じた。「ここから見る限りでは、爆発と火災が操車場を蹂躙しています。閃光が幾つも見えます。弾薬が次々と誘爆している証拠でしょう。貨物のターミナルみたいな場所で、ドイツ軍のトラックや装甲車両も燃えています。これまでの爆撃と違って、今回はそこらじゅうが吹き飛んでいるようです。燃料や弾薬の誘爆が続いているせいでしょうが……高温の大気が煙を盛んに噴き上げて、周りの風を呼び込んで火災を煽っている様子も判ります。今度こそ完全なストライクですよ。どんなヘボ審判でもこの判定は覆せないでしょう」
「そうか、良かった」報告の中に満足感を見出したトーレスは安堵した。「第三爆撃師団の連中が成功したなら一安心だ。これで胸の支えを下ろせる」と思ったが、次の瞬間には頭から冷水を浴びた。
「中尉!」フォード少尉が怒鳴った。「敵機です。二時の方向……」拙い物を見つけて申し訳ない声だった。
「はっ」としたトーレスは、正面のやや右――副操縦士が示唆した二時の方位へ視線をやった。彼も被爆地より数マイル北方で待ち構えている黒点の一群を見つけた。水色の明るい空を背景に滞空するのはドイツ軍の戦闘機だ。姿ははっきりしないものの、友軍戦闘機の航続力の問題から考えて、この場所へ姿を現す単発機ならドイツの戦闘機と相場が決まっていた。トーレスは憮然とした。「連中もまるっきり馬鹿じゃないらしい。陽動作戦に簡単には騙されてくれなかったか」戦闘機との歓迎されざる対面に、トーレスは無念なつぶやきを発した。
「牽制部隊と一戦交えてから、再出撃したのかも知れません」フォード少尉が憶測を述べた。
「最初からこっちへ向かったかも知れない。囮の餌など無視してね。利口な奴だったら、いつもと勝手が違えば疑念を抱いて当然だ」敵機の動静を窺うトーレスの意見も同様に推量だった。
 旋回を終わって帰路に就く早々、ドイツ空軍の戦闘機隊が痺れを切らしたように迫って来た。彼等は爆撃隊が高射砲の弾幕から遠ざかるのを待ち侘びていたのだ。爆撃隊とは距離を置いて、爆撃の行程を遠くから見守ったのである。味方陣営が眼前で引き裂かれても、下手に近寄ると、自分たちこそ味方の高射砲に撃墜される恐れがあったので、彼等もそれは我慢して耐えるよりなかった。
 北方で陽動作戦を実施した第二爆撃師団の連中が、ドイツ戦闘機隊をどれほど攪乱したかは知る由もない。だが、ここに敵機が出現したことにより、少なくとも牽制作戦が完璧に機能しなかったことだけは明白になった。恨めしいものの、過剰な期待を寄せるのもまた虫が良すぎた。〈リベレーター〉隊だって敵と交戦したろうし、それなりに犠牲も払ったろう。しきりに誘惑しても、敵が迂闊には誘いに乗らなかったかも知れない。どんなに緻密で周到な作戦を準備しても、怪しむ敵が模様眺めに徹したり、双方に予期せぬ不手際が起こったりして、必ずしも成就するとは限らないのである。それが戦争だ。魔法のような効果が得られる保証は何処にもなかった。こうなると新しく持ち上がった局面の対応に全力を傾注するのみである。例によって例の如し──これまで呆れるほど繰り返して来たように、剣の代わりに機銃を振り回して、死中に活を見い出す逃避行に訴えるだけだった。最後は銃砲弾で叩き合う格闘戦に血道を上げるしかない。機銃の数と機体の耐弾力に賭けて、立ちはだかる敵機を払い除け、或いは爆砕する、それが半狂乱の空戦になったとしても。
 好ましからざる歓迎式典を企てるのは、円形の機首前面が示す通り、空冷式の星型エンジンを搭載したドイツ戦闘機だった。機胴の上に視界の良いスマートな風防を乗せていれば、その正体はフォッケウルフFw190となる。事実この集団はおよそ三〇機からなるFw190の編隊だった。分散した〈リベレーター〉による陽動作戦が行われた時、ドイツ空軍の司令部が別に待機を命じていた戦隊だ。混沌とした情況を見極めようとして、ひとまず予備戦力として温存した部隊である。やがて、レーダーが別行動の集団を捕捉したことで、米軍の本来の攻撃目標は鉄道操車場と判断して、急遽、こちらの邀撃に振り向けた一団だった。
 Me109と並ぶドイツ空軍の雄――フォッケウルフFw190戦闘機が、BMWの空冷エンジンを咆哮させながら迫って来た。敵機は機体の下地に艶消しのくすんだ灰色を塗り、その上に濃い褐色の迷彩塗装を施していた。大半はちょっと古いA3型だったが、一部にA6型やA7型も混じっていた。数の多いA3型は、機首の上部に二挺のラインメタルMG17機銃を備えた他に、両翼に口径二サンチの機関砲を四門搭載していた。外側の二門は初速も発射速度も低い旧式なイカリアMGFF/M(各五五発)だが、翼の付け根に近い内側の二門――長砲身の二サンチ機関砲は、モーゼル製のMG151-20(各二五〇発)だった。火力に関しては標準兵装のMe109を遙かに凌いでいた。飛行性能に関しては、突進力と横転率の良さが特徴的な戦闘機だった。横転に優れた機体なら、裏返せば旋回性能は悪いことになる。と言うのも、高速戦闘機が素早く横転する時、主翼は抵抗の少ない形状ほど好ましいが、ここから必然的に小さくなる主翼は揚力の不足も起こし、旋回時に足を引っ張ったのである。この問題は両立が難しい物理上の矛盾で、設計者や用兵側をしばしば苦悩させた。「快速で横転しやすい戦闘機が欲しい」と注文されれば、翼面抵抗を少なく設計すれば事足りるが、「加えて旋回性能も良くしたい」と追加注文を出されると、はたと困った。旋回性能の良い機体には揚力を稼ぐ大きな翼面が必要だからである。これら既知の矛盾する問題から、横転が得意な機体なら旋回性能は悪いと見て良く、旋回性能に優れた機体なら、高速横転が苦手と判断して差し支えなかった。
 この問題を一言で論じるなら一長一短となった。長所があればその裏側に欠陥も含んだ。実例で紹介するなら、全体的なバランスから見ても主翼面積が大きめの〈スピットファイア〉は、やはり大きめの操縦舵面──更には補助翼の助けを借りて、素晴らしい旋回性能を発揮したが、引き替えに風圧に対して抵抗面積が大きいせいで、高速時の横転を苦手とした。無理にも横転しようとすれば、異常な力で操縦桿を倒さねばならなかった。激しい空戦で疲れたパイロットには、これは苦役だった。そこでこの問題を改善したい一念から、〈スピットファイア〉の一部のモデルは翼端を短く切り落とし、面積を低減する工夫を行った。ところが翼面積を減らすと、格闘戦には重要な旋回性能が劣化したので、「ドッグ・ファイト」を好むパイロット達を不機嫌にした。その結果、必ずしも横転しやすい短主翼が標準型とはならなかった。また、大きな翼面には他にも長所があった。〈スピットファイア〉もより強力なエンジンの換装と構造強化を繰り返したので、後期のモデルになるほど重量が過大となり、初期の軽快な運動性を失って行ったが、最初から大きめの主翼を備えたので、翼面荷重が極端に悪化することはなく、ドイツ戦闘機みたいにひどい数値にはならなかったことである。
 事の次いでに〈零戦〉も紹介すると、大戦前期に大活躍した二一型は、全幅が一二メートルで主翼面積は二二・四四平方メートルだったが、やはり高速横転に難があって、三二型では翼幅を一一メートルに切り詰め、主翼面積を二一・四四平方メートルとした。このあとに登場する二一型の改良型二二型は、また元へ戻るが、後期標準の五二型は翼幅一一メートル、主翼面積二一・三平方メートルを採用した。「高速横転が難しい」の抗議は、翼幅が一一メートルになったモデルからは出ていない。
 巡航速から全速戦闘への加速性が素晴らしく、横転率にも優れたFw190だが、小さな主翼と重い機体重量のせいで必然的に翼面荷重が過大となり、旋回性能が悪化した。Fw190も各型それぞれに重量が異なるので、一概には言えないが、およそ三・九トンの全備重量を約一八平方メートルの翼面積で割ると、翼面一平方メートルが分担する荷重は二一六キロとなり、〈スピットファイア〉との格闘戦に苦しんだMe109より更にひどかった。揚力係数が悪くなるほど、失速に陥りやすくなった。ただ、機体が抱える問題点は、熟練した飛行士の技量、また戦術である程度まで補えたので、Fw190の欠陥を挙げるとすれば、寧ろお粗末な過給器を取り上げるべきだろう。この弱点は名人でも手の施しようがない大きな問題で、酸素密度が薄くなる高空では、Fw190は充分に加圧された濃縮混合気をエンジンに送ることが出来ず、酸欠症状に陥って、概ね二万フィートより高い高度で性能が劣化した。お粗末な過給器のせいでエンジン出力が低下すると、あらゆる運動の基本となる速力が落ちて、性能全般を著しく貶めた。初期の〈ムスタング〉が、アリソン社のエンジンに使われた過給器の貧しさから高空戦闘を不得手とし、陸軍航空隊から疎略にされたように、或いは、大戦初期に英国へ輸出されたロッキード社の〈ライトニング〉が、ターボ・チャージャー未装備の問題から「使い物にならない」として商談を破棄されたように、Fw190も高空では満足に働けない戦闘機となったのである。これらの全てが希薄な空気の圧縮と言う問題と関わっていた。BMW801空冷エンジンに業を煮やしたドイツ空軍は、後日、過給器の性能が良いユンカース社の液冷式エンジンに乗り換える。縦長の〈ユモ〉エンジンを詰め込んだせいで、機首が長くなって生まれ変わったのがD型である。ひとまず、Fw190のA型を相手とした戦いでは、なるべく高い高度へ誘い込むのが良く、爆撃隊は高度を上げる戦法を採った。

 火力と火力を叩きつける戦いが始まろうとしていた。単純に攻撃力のみを取り上げるなら、機関砲を多く持つFw190は確かに手強い相手だった。集中弾による破壊力には驚愕を禁じ得ないものがあった。だが、どんな物にも必ず欠点がつき纏うように、口径の大きな火器にも搭載弾量が少ない問題が裏側に隠れていた。例えば、旧式の二サンチFFだと、装弾数は嘆かわしいまでに少ない六〇発で、新型のMG151-20高速機関砲でも、弾量は一門当たり一五〇発しか搭載できなかった。大きさと重さゆえに嵩張る砲弾が、反作用として携行数を減じたのである。
 今では次第に姿を消しつつあるエリコンFF(他にFFLとFFSと言うモデルがあるが、これらは使用する弾薬が異なる)は、給弾部に小型の円型弾倉を嵌め込む構造上、弾倉の着脱が簡便至極だった。これにはこれで傑出した魅力があり、戦いの合間を見て給弾に立ち寄った戦闘機の弾倉交換は、この機関砲に関しては呆気ないほど簡単だった。主翼のアクセス扉を開け、空になった円型弾倉を取り外したら、予め用意してある装填済みの弾倉を所定の場所に嵌め込むだけである。円型弾倉に弾薬六〇発を加えた総重量は六九ポンド──メートル法では三一・三キログラムとなった。直ぐに弾倉交換を終えた戦闘機は、それだけ素早い再発進が可能になり、戦場へ戻って戦えたろう。ただ、機首にも軽機関銃を搭載した戦闘機の場合、ここには薄い主翼よりも多くの弾薬が搭載できる収容力があったので、だらだらと長い弾帯を丁寧に畳みながら収める時間を奪われた。その他にも、給油にかかる時間も考慮する必要があったし、場合によっては酸素ボンベの交換なども強いられた。この場合の再発進にはひどく手間取るので、機関砲の弾倉交換だけが簡単に終わっても大して役には立たない。
 話が少し遡るが、スイスのエリコン社が開発した口径二サンチのFFは、極東では〈零戦〉、欧州ではMe109が採用して活躍した。三〇年代の中期に同社から売り込みがあり、日本海軍とドイツ空軍はともにパテントを購入して生産に励んだ。航空機への搭載用として軽量化され、小型化されたこの機関砲の性能は、発射速度が毎分五二〇発で、初速は一八〇〇フィート/秒だった。小型のドラム・マガジンを使った弾倉の着脱方式が至便で、前言したように取り扱いは極めて簡略だった。ところが、兵器員にはお手軽だった弾倉交換も、肝心の弾薬がたったの六〇発と僅少なせいで、生死を賭けて修羅場を飛び回るパイロット達からは不興を買った。六〇発足らずの弾薬は、空戦で瞬く間に撃ち尽くしたからである。理論値での発射速度は毎秒八・六発となるが、この機関砲を連続して発射すると、弾薬は七秒以内に消滅した。一回の射撃を二秒弱で換算すれば、発射の回数は三〜四回が精々で、よほど巧く節約しても四〜五回の射撃が限度だった。無論、目が回り、気も動転する乱戦で、数回の斉射の悉くを敵機に命中させるのは不可能だ。実際には外れも多いので、撃ち惜しんでいる内に、逆に撃墜されることも少なくなかったろう。一般的な機銃弾との根本的な違いは、砲弾内部に炸薬が充填されることで、着弾点で爆発を起こすと強烈な破壊力を発揮した。この威力には確かに目覚ましいものがあって、一連射する内の二〜三発を巧く敵機に命中させると、小型機なら空中分解に追い込むほどの猛威を発揮した。
 エリコンFFは日本海軍では『九九式一号一型銃』と呼ばれた。一九三七年に〈大日本兵器株式会社〉が設立され、ここで生産が始まっている。九九式と呼ばれたのは正式な採用年度が皇紀一五九九年に当たったからだ。因みに、日本陸軍は英国ビッカースの機関砲を使っており、興味を示さなかった。それは兎も角も、やはり搭載弾量の少なさが隘路となって、〈零戦〉の長時間作戦能力や抜群の格闘性能も、こうした面で皮肉な宝の持ち腐れとなった。翼内へ搭載された二門の機関砲に、それぞれ六〇発しかない弾薬を七秒で消耗したあとは、機首上部に備えられた豆鉄砲のような軽機関銃が二挺だけとなったので、これを頼って戦うのは如何にも苦しかった。「九七式」三〇口径七・六二ミリの機銃には、弾薬がそれぞれ七〇〇発常備されたが、命中しても小口径弾は威力に乏しく、機体構造の強靱な敵機と戦う場合は殆ど役に立たなかった。第一次大戦に活躍した複葉機――木製で羽布張りの戦闘機なら、思いっきり蹴飛ばせば壊れたので、軽機関銃の掃射でも撃墜は可能だったが、全金属製の航空機が主流になった上、防弾装備まで発達する第二次大戦では、軽機関銃は単なる「飾り物」程度の役にしか立たなかった。英空軍も初期には三〇三口径のブローニング軽機に頼ったが、こちらは〈スピットファイア〉と〈ハリケーン〉戦闘機の両翼に八挺も装備して、弾量の多さで威力不足を補った。大戦初期に航空機が備えた防御力はまだ未熟で、この段階ではそれで間に合ったのである。英空軍は『バトル・オブ・ブリテン』でドイツ空軍に一七三三機を喪失させる大打撃を与えている。
〈ハリケーン〉や〈タイフーン〉戦闘機の中には、機銃を両翼に一二挺も装備したモデルもあって、文字通り敵機を蜂の巣みたいな穴だらけにして撃墜した。〈ハリケーン〉二型Bと〈タイフーン〉一型がそうだ。機銃を一二挺も搭載するなら、戦闘機の名称を『銃弾散布機』とでも改称した方が良さそうな気もする。これなら暴風雨も顔負けに弾丸を浴びせられるので、相当な威力を発揮したろう。但し、航空機の防御力が次第に強化されて行く中期以降は、軽機関銃による敵機の撃墜が次第に難しくなって、英空軍もついに放棄する。飛行士の背中や重要な部分を守る装甲板、多層構造にした自動防漏式の燃料タンクなどが導入されると、ライフル口径の軽機関銃は豆鉄砲に等しくなったので、後期の英軍戦闘機は機関砲や重機関銃を多用した。一方、〈零戦〉の軽機関銃は、機首の上に二挺しかなかったので、これでは「無いより増し」の気休めとしかならなかった。となれば、両翼二門の機関砲は、六〇発の弾薬を節約しながら戦う以外になく、ここから飛行士たちに欲求不満が高じ、のべつ幕なしの文句の言い通しとなった。もし〈零戦〉が大戦の末期に出現する〈紫電改〉と同様、両翼に四門の機関砲を備え、弾薬も一門当たり二〇〇発――合計で八〇〇発を備えていたら、この威力からもっと強烈な精彩を放ったろう。兵装総馬力で見る〈紫電改〉の破壊力は、初期の〈零戦〉の六・七倍も強大だったのである。
 一方、『英本土侵攻作戦』の主役を勤めたMe109のE3型は、モーター・カノンとしてイカリアMGFFをプロペラ軸に仕込んだ他に、翼内砲としても各一門を左右の翼に備えたので、機関砲の合計は三門になった。常備弾量は勿論それぞれの円型弾倉にたったの六〇発だ。しかし、E3型は機関砲三門から射撃が行えたので、一斉射した時の破壊力は〈零戦〉よりも大きかった。それでも、射撃時間そのものには些かの変化もなく、やはり七秒余り連射すると弾薬は底を突いた。Me109も機関砲の弾薬を消耗すると、〈零戦〉同様に残りは機首の軽機関銃が二挺のみとなった。ラインメタル製のMG17は口径七・九二ミリで、携行弾数は各五〇〇発だった。ところが、決戦の途中から加わった若干の改良型E4では、モーター・カノンが撤去されて、機関砲は翼内の各一門のみとなる。初期のモーター・カノンにはシリンダーに難があり、誤作動や物騒な爆発事故などもあって、E4型ではこれが廃止となったのだ。
 砲弾が詰まった状態にも係わらず発射を続けると、内部で炸薬弾が爆発して危険だった。モーター・カノンは液冷式V型エンジンに駆動力を頼ったので、エンジンと抱き合わせて使用しなければならず、この内部で機関砲が自爆すると、エンジンの一部を吹き飛ばしたり、急停止や火災事故、または背後に設置された計器板の損壊に加えて、飛び散る鉄片がパイロットの負傷なども引き起こした。これが原因で、E3型のプロペラ軸に仕込まれたモーター・カノンを嫌うパイロットも少なくなかったのである。
 危ない目に遭うのは不愉快だが、機関砲を二門に減らしたE4型は、一般的には退歩的な処置と受け止められて、概ね不人気だった。火力が弱まると一撃必殺の撃墜が難しくなり、空戦時に二度、三度と発砲する必要に迫られた。一機の撃墜に手間取って反復射撃を繰り返すと、ただでさえ乏しい発砲の機会は瞬く内に費えた。余程の達人を除けば、精々二〜三機の敵機を撃墜、もしくは撃破するのが精一杯で、射撃の下手なパイロットなら、一機も撃破できずに弾薬を浪費する確率が高まった。弾量の乏しさに対する不平や不満は、ドイツ戦闘機隊にも恒常的に蔓延った。やがて次の量産モデルF型が登場するが、こちらは主翼構造を簡略化した機体生産に重点が置かれて、今度は翼内砲が廃止された代わりに、意外にも物騒だったモーター・カノンが復活した。数は一門のみだ。F型も前期のE型と同様に、機首上面にはラインメタル製の軽機関銃MG17を備え、弾薬各五〇〇発を搭載したが、軽機関銃はやはり威力過小の飾り物でしかなかった。大戦の前期から中期、後期へと、航空機が搭載した火器の推移を見て行くと、搭載しても無意味な証のように、玩具のような軽火器の使用率が減少の一途を辿り、後期になると軽機関銃の搭載機など見当たらなくなっている。Me109には好敵手となった〈スピットファイア〉の防御面を見ると、二型以降は操縦席やエンジンなどを装甲板で覆った上、座席の背後にも防弾鋼板を組み込んで、被害を低減する工夫を凝らしていた。この〈スピットファイア〉二型を守る装甲の重量は七〇ポンドを超え、後期の型になるほど防弾重量が増えて行った。こうなると、軽機関銃の弾丸は跳ね返されるばかりで、小口径のMG17だけで敵機を撃墜するのは至難となった。とすれば、撃砕効果の強烈な機関砲がますます重視されるが、E3型の三門からE4型の二門、ついにはF1型の一門へと、喫驚すべきことに、他国の戦闘機が血眼で火力の強化を図っている風潮に逆らって、Me109は呆れた後退を加速して行く。攻撃力の衰退は前線で戦うパイロット達に血相を変えさせた。「設計者や技術局は気でも狂ったのか?」
 機首の軽機MG17が玩具も同然で、殆ど役に立たないなら、Me109F1のパイロットは、たった六〇発しかない機関砲一門で戦わねばならず、射撃の下手なパイロット、或いは新人たちが、空戦で成果を上げる見込みは絶望的に低くなった。また、F型の量産ラインは、機関砲を持たない主翼を製造する前提で治具が組み立てられた為、今後にどんな改良型が出現するとしても、火力に乏しい戦闘機しか現れないことも併せて予測できた。そればかりか、次の量産モデルとなったG型でも、やはり翼内砲の復活は見られず、軽機二挺に機関砲一門の呆れる貧弱さを標準仕様に生産が始められる始末だった。他の多くの戦闘機が軽機関銃なら八〜一二挺、重機関銃なら六〜八挺、機関砲なら四門の搭載を標準としたことから考えると、Me109FとG型の初期モデル――軽機二挺に機関砲が一門しかない武装は、不可解にして非常識なまでにお粗末だった。
 話は変わるがここから奇妙な事が想起される。火器や弾量の貧しさから推して、余程の達人でも精々二〜三機を撃墜もしくは撃破できれば上等の戦闘機を駆って、一度の空戦で五〜六機、若しくはそれ以上の撃墜数を平然と報告したパイロットが多かったことだ。大戦中に凄まじい数の敵機を撃墜したとして、ドイツでは大量の勲章――鉄十字章が大盤振る舞いされた。これが暗示するところは全く不明で、常人の理解を超えているとしか思えない。恐らく世界中の航空火器の専門家たちには難解を極める話となろう。防弾装備が発達した中期以降の空戦では、軽機関銃の非力さが至る所で立証されており、前述の通り、Me109はモーター・カノンの弾薬六〇発、発砲時間七秒で戦わねばならないが、三〜四回も射撃すればたちどころに撃ち止めとなる機関砲を使って、どうやって七機も八機も撃墜したのだろう。おまけに、後述するモーゼルの電動式高速機関砲に比べると、エリコンFFは初速も発射速度も低い、はっきり言えば性能に疑問符がつく時代遅れの代物だった。この火器に対する米軍パイロット達の評価だったら極めて低い。現実の目まぐるしい空戦では、一瞬の隙を突いて射撃しなければならないことが多く、米軍は短時間に多弾量を浴びせる発射速度を重視したので、この面でお粗末なエリコンFFには興味を示さなかった。但し、陸軍や海軍の他の部門は、地上や艦船から敵機を狙い撃つ対空機関砲として、エリコンSSを使用した。
 もしかすると、六〇発しかない旧式機関砲の砲弾を撃ち尽くしたあと、ドイツ戦闘機のパイロット達は、操縦席から足でも伸ばし、敵機を空から蹴り落としたのか? 日に何度も出撃した場合に限っては、多数機の撃墜も可能だが。しかし、体力的な問題から、連日に渡って日に三度も四度も出撃するのは大変で、無理を祟らせればパイロットは過労死に直面した。低気圧と寒さ、酸素マスクによる窮屈な呼吸、身体にのしかかる重力の影響、死の恐怖がもたらす緊張と心痛――それを推して出撃を繰り返す戦闘機搭乗員の衰弱は甚だしく、飛行中に失神から墜落したり、離着陸で無用の事故を起こす弊害までもたらした。通常、こうした超過勤務を重ねると、極度の疲労から心身に機能不全を起こしやすくなり、撃墜数を稼ぐどころか、逆に撃墜される確率こそ高めた。疲弊困憊から生まれる錯乱は、敵機撃墜の妄想に血迷う確率なら高めたかも知れない。嫌味な事例を拾い出すなら、空軍司令官のゲーリングが、戦闘機隊の出撃回数を不服とし、癇癪を起こした記録が残っている。「一日に三度とは言わぬが、せめて二度は出撃しろ!」と。戦闘機隊が一日に一回しか出撃しないことに腹を立てての叱責だった。無論、これはある一時期の現象――悪天候に悩まされて出撃頻度が減った情況を短絡的に揶揄したもので、事実は少し異なる。ドイツ軍パイロットの中には、大戦中、数百回から一〇〇〇回近くの出撃をこなした猛者も決して少なくなかったのである。
 ドイツ戦闘機隊のもう一方の雄Fw190は、Me109に遅れること四年――三八年の夏から開発の始まった空冷星型エンジン搭載機で、クルト・タンク主導のもとにブラザー社によって設計された。初飛行は三九年六月だ。兵装は軽機関銃が四挺だった。三八年の夏と言えば、英国ではすでに就役を始めた〈スピットファイア〉が機銃を八挺も備えていたが――こうした情勢を全く知らなかったとは思えないのだが。しかし、結果を見る限り不学だったらしい。そう言えば、二年前の一九三六年に、ドイツ空軍省が英国の新型戦闘機に関する情報を入手したことがあった。この時は初期の〈スピットファイア〉が、四挺の機銃を備えていることが判っていた。もしかすると、この古めかしい情報に毒されたままだったかも知れない。それにしても、これから新規に開発する戦闘機が、豆鉄砲──いや、軽機関銃が四挺では余りにも惨めだった。戦闘機の装備に責任を負う空軍技術局は、余り先進的とは言えなかったようである。三六年に生産を予定したメッサーシュミットMe109Aも、軽機関銃二挺の装備だったが、これでは前大戦の複葉機と少しも変わらなかった。このあと、前掲したように、〈スピットファイア〉が四挺の機銃を備えている情報が入ったので、A型は机上計画だけで破棄される運命となった。慌てて機関銃の追加を検討する不手際である。当面、他に押し込む所が見当たらない為、軽機関銃一挺をプロペラ軸へねじ込んで合計三挺にした。大幅な改造の暇がなかったので、不満足なB型として生産を始めている。三八年夏ともなると、のちにMe109E型となる原型試作機が、機首に二丁の機銃を搭載した他に、主翼に二門の機関砲を搭載して試験飛行を始めていた。こちらは友軍戦闘機なので、どのような兵装を採用したか、教えて貰えば良さそうなものである。明らかな技術行政の失態と言えた。
 案の定、そうした配慮もなく生産へ移行したフォッケウルフ戦闘機の初期生産型は、直ぐにも火力が時代遅れと判定された。Me109の時と同じ愚かな顛末だが、機関銃四挺のFw190A0は二八機の製造で打ち切られてしまう。これでは近代戦に通用しなかったろう。一度ならず二度までも間抜けな失敗を重ねていた。そこで主翼の機銃を機関砲と交換したA1型へと転換生産される。機首の二挺の機銃は七・九二ミリのラインメタルMG17で、弾数各九〇〇発を搭載した。
主翼の機銃は2サンチのイカリアMGFF機関砲と交換された。弾薬はそれぞれ五五発だ。MGFFは円型弾倉を使用しており、脱着は簡便だったが、弾数が余りにも少なかった。一〇二機生産される。
 機関砲を搭載しても未だ非力で、続いて、主翼付け根にモーゼルのMG151-20電動式高速機関砲(弾数各二五〇発)を追加したA2型が登場する。このエンジンをBMW801Dg一八〇〇馬力に変更したのがA3型で、五〇九機生産される。四二年頃から量産も軌道に乗り始め、Me109の生産に肩を並べた。このFw190の登場は、一時的には英空軍を悩ませて、〈スピットファイア〉の更なる改良を促した。
 次いでこの年の中期――ロンメルのDAK(北アフリカ軍団)がトブルクに猛攻を加えていた頃、緊急出力を用いて一時的に二〇〇〇馬力を発揮するBMW801D2エンジンを搭載したA4型が登場した。水メタノール噴射装置のMW50を追加したモデルだ。これを改造したA4TROPは熱帯地域に適した戦闘爆撃機で、北アフリカの戦場へ送られた。A4U8は五〇〇キロ爆弾、A4R6はロケット・ランチャーを搭載した攻撃機だった。
 次のA5型は主に夜間戦闘機として量産された。イカリアMGFFの円型弾倉が大きくなり、九〇発を装填した。A6型になるとこのイカリアMGFFが、MG151-20(弾数各一二五発)と交換され、A7型では機首の軽機関銃ラインメタルMG17が、ラインメタル社のより強力なMG131(弾数各四七五発)重機関銃と交換された。A8型では機関砲ポッドを翼下に追加装備して、重機関銃が二挺に二サンチの機関砲が六門となった。Fw190もここに至って最強の攻撃力を持つ戦闘機に変貌する。但し、火力の強化に溺れる余り、重い機関砲ポッドまで翼の下に吊り下げると、性能が全般的に低下する由々しき反動が起こったので、この方式は必ずしも定着しなかった。ジェット戦闘機なら数万馬力の途方もないパワーを利用できるので、さほど気にかける必要もないが、二〇〇〇馬力そこそこの非力なレシプロ・エンジンは、重量の超過に敏感だったので、余計な物を積み込んだりぶら下げたりすると、直ぐに性能低下が表面化した。可能な限り軽快な状態で空戦に臨みたいパイロットには、機関砲ポッドは本来の性能を阻む害毒でしかなかった。火器のやたらな増強は、爆撃機や戦車の攻撃には有効でも、身軽な敵の戦闘機と戦う時に著しい不利を招き、生命が危うくなったのである。
 呆れるほど目まぐるしい兵装の変遷は、Me109と大同小異だが、M2重機を標準仕様に定め、火力に関しては特に面倒な変更をしなかった米軍戦闘機と比べると、Me109、Fw190ともに、揃いも揃って発狂するほどの改造に追い回されている。その度に生産ラインも変更しなければならなかった。ドイツ空軍技術局の根底に蔓延った古臭い思考と、救い難い動脈硬化ぶりが、日々変化する趨勢に振り回された狂態と言うべきか。その場を凌ぐ泥縄式改造は、近未来に起こりうる変化を適切に予測しなかった短絡思想の証左でもある。三八年の設計開始時点で、最初から重機関銃二挺に機関砲四門の装備を標準仕様に定め、不要なら取り外すか、必要なら軽火器への換装も変幻自在とする柔軟な発想力があれば、戦時中に繁忙を極めた無駄仕事も、かなりの割合で減らせたろうに。
 Fw190の初期型に話を戻すと、機首に二挺、主翼に二挺と、豆鉄砲を四挺しか持たない為、生産しても役に立たなかった。〈スピットファイア〉の二型が装甲板を導入し、防御力を高めていたので、Fw190が僅か四挺の機銃から小口径弾を撃っても、撃墜に追い込むのは難しかった。飽くまで軽機関銃に拘るなら、英軍機と同様に八挺から一二挺の多銃装備とし、嵐のように銃弾を発射する必要があった。軽機関銃が四挺では、「第一次大戦の複葉機より増し」程度の効果しか得られなかったので、勇んで出撃しても、可愛らしい弾丸を無駄撃ちして引き揚げる羽目になったろう。そこで代わりに登場したA1型は、ひとまず主翼の機銃二挺を機関砲と交換したが、携行弾数五五発を六〜七秒ほどで撃ち尽くすと、残りは機首の軽機関銃が二挺のみとなり、やはりMe109が陥ったのと同じ苦境に立たされた。残った二挺の豆鉄砲を頼りとして、複葉機時代の惨めったらしい空戦を戦わねばならなかった。然も近代航空工学の先端を行く戦闘機でだ。効果がないまま英軍機と態勢が入れ替わると、自機が吹き飛ばされて墜落する悲惨を見た。当然ながら、機関砲の弾量増加が切望された。「機関砲の砲弾が全然足りない。もっと弾薬を!」の声は、戦闘機隊の悲痛な叫びとなった。しかし、闇雲に弾量を増やすとしても、そもそも小柄に作ってしまった戦闘機の、それも薄い主翼に大型のドラム・マガジンを押し込むのは至難で、主翼の内部構造も考慮すると最初から難しかった。
 ここで他の機関砲搭載機に目を移して見ると、大体、同様の経過を辿っている。エリコンFFの標準仕様――再三指摘する六〇発の弾薬では、敵機を大量撃墜するどころか、満足に戦えもしなかった。〈零戦〉のパイロット達から苦情が殺到した日本海軍の兵器廠は、一〇〇発入りの円形弾倉を開発して、どうにか〈零戦〉の翼内へ押し込んだ。一回り大きくなった円形の弾倉部分に関しては、どうやっても翼の表面へ飛び出したので、主翼の整形が面倒になっても、駱駝の瘤のような膨らみをもたせて処理している。言わば瘤つきだ。同様に〈スピットファイア〉もスペイン製のイスパノ・スイザ機関砲――やはり装弾数六〇発を導入した時に、薄い翼内に納め切れなくて、表面に給弾機構を覆い隠す膨らみを設けて処理した。こちらは細長い瘤つきとなった。無論、どちらもその程度では満足せず、結局、搭載量が少ない円型弾倉を見限ってしまう。
 英空軍は〈スピットファイア〉の五型から弾帯供給式を導入して、弾量を一二〇発に増やしたし、〈零戦〉も五二型の七四八号機――全体では四六五一号機となる五二型甲から弾帯供給式を採用し、機関砲一門当たりの搭載弾量を一二五発に増量している。日本海軍が〈二号四型銃〉と呼称したエリコンFFLの改造型は、砲弾の初速は引き上げたものの、代わりに弾帯供給式への変更が足を引っ張って、原型で毎分五二〇発だった発射速度が四七〇発に落ちている。円形弾倉を剥ぎ取った箇所へ給弾器を付加したが、最初から設計した訳ではないので段違いになり、弾薬を装填したあと発射位置へ叩き込む行程が余分に増えたこともある。一般的な火器の水準から言うと、この発射速度はひどい代物である。通常、連続発射のとろい機関砲しか使えない場合、砲の数量を増すことで弱点を補うのが常だった。五二型丙では機関砲ならぬ重機関銃を二挺、二四〇発の弾薬とともに機関砲の外側に追加装備している。
 円型弾倉は着脱が自在──ワン・タッチの簡便さを主旨に採用されたが、第二次大戦の空戦は、寧ろ、多くの弾数を求めた。なら、逆な面倒がつき纏っても、回転式の弾倉など投げ捨てて、弾薬を帯状に連結した弾帯供給式として、戦闘機の薄い主翼に丁寧に折り畳んで収めるしかなくなった。この長ったらしい弾帯の収納がひどく面倒で、兵器員には余計な手を煩わせると嫌われたが、戦闘機搭乗員が飽くなき弾量増加を求めるなら、砲弾を装弾子連結器で一つ一つ繋ぎ止めた形態で、細長い箱形の弾倉に格納するしか手はなかった。しかし、もう一つ起こった問題が重量で、重機関銃の弾薬なら、発射ガスの反動から遊底が後退する時の引張力を利用し、連結された銃弾を概ね三〜四〇〇発くらいまで牽引できたが、機関砲は一弾当たりの重量が何倍も重いので、全体重量が極端に重くなり、弾帯の牽引そのものが困難になった。二サンチ砲弾を二五〇発も連結すると、重量はそれだけで一二〇ポンド(五四・五キロ)を少し上回った。弾帯がこんなにも重くなると、兵器員が一人で持ち運ぶのも大仕事となり、弾薬箱へ折り畳みながら収納する作業も苦役になった。また、機関砲の引張力だけでは重い弾帯を引き寄せられず、砲がまともに作動しなかった。別に弾帯牽引用のモーターを組み込んで、この重量を力任せに引き寄せながら装填する方法もあるが、一方で薄っぺらな主翼構造に伴う収納容積の問題があって、これも最終的には装弾数を増やせない障害となった。結局、嵩張る大きさと重さのせいで、物足りない弾数で我慢するしかないのである。逆説的に考えるなら、三八年の企画段階で、最初から多弾量の収納を配慮した想定で、弾薬をたっぷり詰め込める主翼の構造まで研究して置くべきだったろう。数年後に後悔しても手遅れだが。
 序でに言うと、この機関砲の初速の低さも看過できない大きな問題だった。弾体重量が四・四オンス(一二五グラム)もあるので、初速は一八〇〇フィート/秒足らずしかなかった。有効射程はほぼ六〇〇ヤードとなる。その後、砲弾は緩やかな放物線を描いて落下した。戦闘機同士の戦い――それこそ密着して撃ち合う格闘戦では影響ないが、大型機に遠距離から発砲する場合は、命中精度に疑念を募らせる数値と言えた。六〇〇ヤードを超える遠距離から射撃すると、目標物を照準器の真ん中に置いて猛射しても、お辞儀を始める砲弾は対象物に一発も命中しなかった。現実に〈空の要塞〉や〈リベレーター〉に対する攻撃で、経験の浅いパイロット達が、射程距離の判定を誤って、遠距離から無駄撃ちすることが多かったのだ。帰還してから機関砲の設置方式を疑ったり、照準器の調整を怪しむ者まで現れた。戦闘機同士の空戦なら、六〇〇ヤードも離れると、敵機の照準象が虫のように小さくなるので、実際にはその半分以下の距離――二〇〇〜三〇〇ヤード、若しくは、時として追突も辞さない至近距離から発砲したが。敵機の爆発に巻き込まれて、愛機が損傷することも珍しくなかったのである。
 では、近距離で撃ち合う戦闘機が相手なら、「機関砲の初速や有効射程はこの程度で充分か?」となるが、まだ発射速度と言う大きな問題が残っており、重量弾は短時間に多弾量を射出できない欠点もあって、必ずしも有効とは言えなかった。一分間の発射弾量は五二〇発に過ぎないのである。
 参考の為に軽機関銃も引き合いに出すと、大戦初期に〈スピットファイア〉が装備した三〇三口径コルト・ブローニング機銃の発射速度は、毎分一二六〇発だった。どうせなら、標準的な三〇口径を使った方が利口そうだが、英国は縁金のついた自国製三〇三口径の機銃弾を使いたがり、アメリカのコルト社がこれに口径を合わせる形で、M1919を改造している。英連邦は三〇三口径を前大戦から使っており、弾薬の余剰が大量にあったのだ。また弾薬の製造ラインも活かしたかった。コルト社がこの弾丸に合う航空機関銃を提供してくれたら、在庫と工場の生産ラインをそのまま使えたのである。
 対するドイツのラインメタルMG15は毎分一一〇〇発、モーゼルMG八一は毎分一三〇〇発だった。一クラス上の、五〇口径の重機関銃になると、発射速度は毎分七〇〇〜八〇〇発が相場だ。こうした点を考慮すると、重量弾は遊底の往復運動に負担をかけ、速射の面で難渋する欠点を孕むものの、エリコンFFの毎分五二〇発と言う発射速度は、余りにも低い数値に思われた。快速の戦闘機が目まぐるしく大空を駆け回る戦いでは、一瞬の隙を突いて発砲しなければならないが、まどろっこしい機関砲を悠長に撃っていると、すばしっこい敵機を取り逃がす機会も増えた。何よりも、エリコン社が一九二一年から生産を始めたこの機関砲は、完成当初は画期的だったにせよ、空気圧利用の時代がかった装填機構にも問題があり、空戦でいざと言う時に沈黙し、役に立たないこともしばしば起こった。空戦で決め手となる主役は飽くまで火器である。戦闘機の速度や運動性は、機を優位な位置へ運ぶだけで、敵機の撃墜に関する限り何の役にも立たない。体当たりで決着をつけるならこの限りではないものの、結論として、乏しい弾量に短めの射程、遅い発射速度、おまけに故障しやすい構造――こうした欠点を列挙すると、ちょっと情けない印象があった。機関砲の性能仕様書に書き込まれた数値を読み取れるなら、「敵機を効率良く撃破する目的に添っていない」と、直ぐに理解したろう。しかしながら、お手軽に扱える大きさと重量の面で、大戦前期のMe109やFw190、〈零戦〉などは、このエリコン社の機関砲に頼って戦ったのである。その後はどちらも堪りかねて改良に取り組むが――製造後、20年以上も経ち、時代遅れになっていたからだ。例えば、日本海軍の場合、弾薬砲の重量を大きくし、初速を引き上げ、砲身長の方も長くして、ひどかった命中率を改善している。
 ところで、エリコンFFのこうした欠点――命中率が悪い、故障し易い問題を、一方的に非難するのも適正ではない。まずそれが企画された時代、設計が始まった当時の背景も顧慮すべきだ。完成時を検討しても無意味である。肝心なことは、設計に取りかかる以前の段階で、この時点の思惑が製造方針に繁栄されるからだ。序でに航空火器の変遷を辿ると、やはり第一次大戦まで遡る羽目になる。当初、航空機同士の戦いが起こると、拳銃、ライフル、ショットガンの撃ち合いに始まって、煉瓦や石、槍まで投げつけたが、結局、軽機関銃が導入された。シュパンダウ、ホッチキス、ビッカースなどの製品が試験的に用いられ、マキシム、パラベラム、ルイス、ブローニングなどの、もっと信頼性の高い機関銃が相次いで登場し、凧に毛が生えたような単葉、複葉、三葉機などに積載された。焼夷弾や曳光弾が開発されたのもこの頃で、通常弾にこれらを混ぜて使用することも、終戦の頃には当たり前になっていた。
 発射速度も次第に進化し、一九一四年当時に毎分五〇〇発くらいだった呑気な軽機関銃も、大戦が終わる一九一八年になると、一〇〇〇〜一五〇〇発にまで高速化していた。ロータリー・レボルバーの実験が行われたのもこの頃だ。ドイツのシーメンス社は銃身回転式の機関銃を試作しており、実験では「発射速度毎分七二〇〇発を達成した」と言う。一九一八年と言う時代を考えると、この数値には疑問も覚えるが。例え本当だとしても、ガトリング・ガンのような多銃身の機関銃を、大量の弾薬と一緒に小柄で壊れ易い複葉機に搭載するのは不可能だったろう。第二次大戦の後期にドイツで試みられた「バルカン計画」も不完全燃焼だった。戦後、実験データがアメリカへ持ち去られ、電動式で毎分六〇〇〇発(実戦用)、油圧式で毎分四〇〇〇発(訓練用)を発射する、所謂〈バルカン砲〉が誕生することになる。これにも銃身が直ぐ摩耗する弱点があり、頻繁な交換を強いられるが。四〜五回、空戦を戦うと、六本の砲身を交換しなければならない。
 さて、機銃弾の威力に不満を覚えるようになると、次は大口径砲へ興味が移るが、ドイツは二種類の二サンチ機関砲を開発した。しかし、武器と弾薬を合わせた総量が大きく、単発の複葉機に積み込むのが難しかった。馬力に余裕のある双発機に搭載している。イギリスは航空機に搭載する一ポンド砲を開発し、これを地上の敵に向かってぶっ放そうと企んだし、フランスは三・七サンチ砲を開発した後、複葉戦闘機のプロペラ軸から発射する短砲身の大砲まで考案した。スイスのエリコン社は、ドイツで開発されたベッカー機関砲に着目して、ライセンスを獲得し、軽量な機関砲の開発に取りかかっている。しかし、一九一八年一一月一一日、コンピエーニュの森に集まった連合国とドイツ軍の間で休戦協定が成立して、大戦は終了した。

 戦争が終わってしまえば、航空機関砲を開発しても無駄だった。各国は赤字財政に苦しみ、軍備も大幅に縮小するよりなくなった。だが、戦後、暫くすると、混乱と不況が渦巻いて、政情不安を醸した。このカタストロフィからファシズムが台頭して、ムッソリーニやヒトラーを登場させた。険悪な臭いが芬々と漂い、近い将来、一大事が起こりそうな予感を高めた。こうした時勢の下で、スイス・エリコン社は、機関砲の売り込みに精を出したのである。さりながら、低速の複葉機が飛び回った時代に開発が始まった代物だったので、如何にも古臭かった。第二次世界大戦が始まる頃には、撃ち落とすべき軍用機は、格段の進化を遂げていたのである。はっきり言えば時代遅れになっていた。
 その為、真に近代的な航空機関砲の出現は、大戦の中期まで待たねばならなかった。それはドイツ・モーゼル社が心血を注いで完成させた、「電動式高速機関砲」と言う形で具現化した。MG151-20の型番で呼ばれるモーゼル砲は、初速が二五〇〇フィート/秒にまで高められており、発射速度も毎分七五〇発と速かった。弾体重量を三・五オンスと軽くすることで、砲弾の連射能力と直進性を高めた製品だった。弾薬の装填を空気圧方式に頼り、故障も多かったエリコンFFに比べて、電動式を採用したモーゼル砲は動作が確実で、殆ど故障しなかった。不発弾の摘出と再装填も、ボタン一つで行えて、実に簡単便利だった。ただ、弾体重量を軽減したことで、当然ながら一弾当たりの威力が小さくなった。しかし、総合的な射撃実効の観点から見るなら、明らかにモーゼル砲が優れていた。と言うのも、発射速度が一・五倍と大きくなり、その分だけ目標への集弾効果も高まったからである。これまでエリコンFFが一秒間に八〜九発を発射していた時間内に、モーゼル砲は一二〜一三発の発射が可能になっている。しかもFFは有効射程が短めで、命中精度そのものが悪かった。一方、初速も発射速度も向上しているモーゼル砲は、相乗効果がもたらす高い実効を発揮した。
 因みに、英空軍はスペインのイスパノ機関砲を採用した。この機関砲弾の弾量は四・四オンスで、初速が二七五〇フィート/秒で、発射速度は七五〇発だった。ここに挙げた三種の中では最も優秀と言える。こちらも一応の完成を見たのは第一次大戦の頃で、英空軍が第二次大戦になって本格的に使い始めるまで、長く燻っていた。いずれにしろ、連続発射する火器は、発射速度の大きさに依存する面が強いので、単純に砲弾一発の威力を比較しても無意味である。実質的な火力を検討する時は、初速、発射速度、一定時間内に命中する弾数の総合破壊力含めた、「兵装総馬力」を計算しなければ優劣は判らない。
 高品質な機関砲が手に入ったことで、Me109とFw190は、大戦の中期からやっと本物の威力を実戦で使えるようになった。惜しむらくは、常備弾薬が一門につき、決して多いと言えない一五〇発だったことか。モーゼル社の機関砲は論理値で毎秒一二・五発を発射できたが、常備弾薬が一五〇発しかないので、二秒間の一連射で六回も撃てば弾薬は底を突いた。戦闘機を相手とした戦いなら、一応の許容範囲と言って良い。しかし、ドイツ戦闘機が阻止しなければならない本当の敵は、執拗な反復攻撃に訴えないと撃墜の難しい重爆撃機だった。〈空の要塞〉と〈リベレーター〉の大群が、怒濤の勢いでドイツに押し寄せる運命が控えていたのである。ドイツ空軍が驚愕と対面するのは、もっと後の四四年七月七日だが、この日、第八および第一五航空軍の協同作戦は、実に二一〇〇機もの重爆撃機をドイツの空に送り出す。これに随行する戦闘機も優に一〇〇〇機を超えた。合計では三一〇〇機に及ぶ戦爆連合の大編隊が、第三帝国を巨大な暗雲で覆うように殺到したのである。
 これは極端な例だが、大戦後期に於ける米軍の戦略航空作戦は、概ね一〇〇〇機前後の重爆撃機と、数百機から一〇〇〇機の護衛戦闘機を送り出したので、一五〇〇〜二〇〇〇機の戦爆連合が当たり前のように来襲する賑わいとなった。一機のドイツ戦闘機が何機もの敵機を駆逐しようと目論むなら、機関砲の携行弾数が一五〇発では全く足りなかった。迎撃する戦闘機を二〇〇〇機も三〇〇〇機も送り出せれば対応も可能だが、大抵の場合、西部戦線のドイツ戦闘機隊は、概ね三〜四〇〇機の、惨めな戦力で戦わねばならなかったので、弾量の少なさも防空戦闘の大きな足枷となった。短時間しか飛べない上に携行弾数も少ない戦闘機──これで奮闘を求められても、物量に任せて殺到する大編隊を食い止めるのは至難だった。戦後の資料の散逸などで、細々としたことは判らないが、判明している限りでドイツ空軍の戦闘記録を調べると、八〇〇機近い戦闘機を発進させたこともあるが、こうした大兵力で苛烈な迎撃戦を展開できたのは、指折り数えられるほどの回数しかなかった。
 もしも、押し寄せる二〇〇〇機の戦爆連合に対し、二〇〇〇機の戦闘機を繰り出して戦えるなら、連合軍に大打撃を与えること、戦略爆撃攻勢を押し戻すことも、決して夢ではなかったろう。迎撃機が一機必殺の覚悟で戦いに臨めば、爆撃機の相当数を撃墜できた筈だ。米軍の戦略は根幹から揺さぶられ、本国の議会も紛糾して、即時中止の声が上がったかも知れない。ところが、実態はその何分の一かを送り出すのが精一杯で、攻撃力の弱さまで祟り、ごく希に竹篦返しを食らわせる程度が関の山だった。西部方面で戦われた航空戦の全期間を見渡しても、ドイツ空軍が一度の空戦で三桁――つまり一〇〇機を超えて連合軍機を撃墜したことは一度としてなく、それに近い成果も僅かに数回と言う惨めさで、一度の空戦に於ける出動機数の全体から見た撃墜率はひどい代物だった。勿論、日々の細かい消耗を積み重ねた累積被害は、決して生易しくなかったが──多忙な戦中は呑気に修理している暇がなく、手っ取り早く遺棄された機体も多いので、総合的にはかなりの痛手を与えている。但し、アメリカにはその程度の損失なら補って余りある生産力があり、結果として、ドイツ戦闘機隊は連合軍の作戦を遅らせることも満足に出来なかった。ドイツ空軍やナチ宣伝省が、天文学的な撃墜数を誇示しても、連合軍の航空戦力は一向に減る様子がなく、それどころか飽きもせず増え続けて行ったのである。例えば、四四年末期の西部戦線を眺めると、連合軍はおよそ四七〇〇の戦闘機、六〇〇〇の爆撃機を配備していた。これに対してドイツ空軍が使える戦闘機は一〇〇〇機にも充たなかった。おまけに衰弱が加速する一方なので、寧ろ、戦わない方が増しな雰囲気さえあった。腕の良いパイロットを揃えるのも難しい隘路があって、仕方なく訓練未了の新人を送り出すと、ますます機材と人命を浪費する悪循環を形成した。敵機を大量撃墜しながら尻窄みに萎んで行く? 奇妙な戦争だが、後期にドイツ空軍を最も悩ませたのが、長大な滞空時間を誇って暴れ回ったP51〈ムスタング〉の存在で、この新鋭機に蹴散らされ、追い回されるようになると、運動性が悪い上に滞空時間が短く、機関砲の搭載弾量が少ない小型戦闘機を送り出しても、爆撃機の編隊にまともに噛みつくことも難しい窮境となった。だが、それはまだ先のことだ。
 因みに、機関砲をMG(マシン・ガン)と表記するのは奇妙な話だ。通常、国際的な慣例では、口径が二サンチ以上の火器は火砲に分類され、英語での略号表記にはMC(マシン・カノン)が用いられた。火薬を充填した弾体を着弾点で爆発させるならそれは砲弾である。「砲弾を発射する火器なら火砲として類別するのが妥当」と定められていた。しかし、ドイツはこの定義や慣例を頭から取り合わず、口径が三サンチ以上の火器を独善的に火砲と分類し、これをMK(マシン・カノン)と呼んだ。従って、それより口径の小さな武器は、ドイツでは全て機関銃となり、MGの符号が用いられた。因みに、大砲を示す『カノン』の語源はオランダ語で、綴りはKで始まる。
 ややこしいことに、これとは逆に米軍の重爆撃機が装備する動力砲塔は、恰も戦艦の砲塔を想起させる外見的特徴がそう呼ばせるもので、こちらが搭載した火器は重機関銃であり、実験的なものを除けば、ここに機関砲が搭載されたことはない。また〈空の要塞〉と呼ばれるちょっと紛らわしい名称も、開発時に「合衆国を守る砦」となる期待を込めて命名されたもので、機体構造が「要塞みたいに強靱」とする概念から生まれたものではなかった。計画案に見られるB17の主目標は、合衆国本土を脅かす仮想敵国の艦隊で、任務は洋上爆撃だった。言わば海上へ出張する砦――伸縮自在の「空の要塞」である。その後に起こった第二次大戦は、世界情勢にも激変をもたらし、結果的には英本土へ出張して、ドイツ本土を爆撃する任を負わされたが、設計が始まった当時は夢想だにしない展開だった。しかし、実戦に投入されたB17は、従来の爆撃機が持っていた脆い概念を超越する頑強さを発揮し、こうした語彙の違いを殊更めいて蒸し返す意義を消沈させた。
 この砲塔に搭載されたM2は、アメリカ・コルト社がベルギーのFN(ファブリック・ナショナル)社から特許を得て生産した五〇口径の重機関銃だった。基礎設計はFN社のジョン・ブローニングだ。発射速度は毎分八〇〇発とまずまずで、一・六四オンスの弾丸初速は二七五〇フィート/秒と速かった。弾体重量が二倍も重いモーゼル機関砲が、毎分七五〇発の発射速度を達成したことを考えると、弾体重量が一・六四オンスで毎分八〇〇発は物足りない気もするが、銃弾の直進性が良好で、命中精度に関する限り優秀な火器だった。この威力に物を言わせるM2重機は、様々な場所で活躍し、枢軸側を苦しめた。軍用航空機に限らず、ジープ、半装軌車、戦車、各種の艦艇にも膨大な量が使用され、戦術面から枢軸側の戦争遂行能力を壊滅に追い込んでいる。近代戦は航空戦に依存し、航空戦力を撃破されると全ての戦いで敗退したが、枢軸側航空機の大部分がこのM2重機――遠隔制御が必要となる戦闘機用は、陸軍航空隊ではMG五三、海軍航空隊はANM三と呼称したが、これを搭載した戦闘機の猛攻によって葬られている。
 単純に破壊力を比較するなら、モーゼル機関砲の威力がM2に勝るのは当然だが、実戦でのより実情に即した対比となると、そうした単純な比較論に意味はなかった。なぜなら、爆撃機の大編隊は圧倒的な数量でこれを補い、周囲に夥しい弾雨の防壁を築いて対抗したからである。即ち、一対一に限定して比較すること自体が大きな過りで、実戦では一〇門の機関砲と一〇〇挺の機銃が激突する場面が頻繁に起こった。これが現実の姿である。実際に機関砲に頼った枢軸側が、機関銃に頼った米軍に敗北している。従って、戦闘の実際面を重視すると、機関砲の威力もやや疑わしいと言わねばならない。確かに、機関砲の炸薬弾が命中し、敵機が派手に爆発する場面を垣間見ると、極めて鮮烈な印象を与えたが、総じて搭載弾量が少ない欠陥を抱えていた。大抵の場合、弾薬の浪費を惜しみながら攻撃する羽目になったので、実戦ではマイナス貢献する面も少なくなかった。ただ、四発重爆撃機の大群に押しかけられる側――ドイツ空軍としては、これに立ち向かう火器の破壊力追求へ、ひたすら邁進するより選択肢はなかったろう。
 他方、M2重機で気がかりなのが、一・六四オンスの銃弾の重さで、対航空機用の戦闘を想定すると、多少、心許ない印象も残る。しかし、実戦では無闇に撃たれたくない敵機が、無茶な高速運動を試みるケースが多く、その情況を逆手に取って銃弾を注ぎ込んでやると、半ば自動的な空中分解を引き出す相応の威力を発揮した。例えば、宙返りの頂点や激しい急旋回では、戦闘機の機体にはおよそ五〜六Gの重力負荷がかかったし、一Gの水平飛行の最中でも、主翼が反り上がった機体の裏側には強い引張力が作用していた。飛行方向に向かって傾斜する主翼の下面には、飛行中は恒常的に揚力が発生し、それ自身が浮き上がろうとしたが、遙かに重い胴体部分は逆に沈下しようとした。この主翼の裏側に銃弾を叩き込んでやると、単に銃撃被害で損壊させる以上の破壊力が期待できた。特に主翼を支える内部構造部材──すなわち翼桁に傷害が生じると、全体重量がそこへのしかかって、一気に主翼を破断することもあった。また、航空機は丸框を固定する縦通材の作用で、機首から尾部方向――前後から加わる圧力に対しては、かなりの耐性を発揮したが、横方向から加わる捻れには意外と脆く、急旋回や横滑りで歪な負荷がかかった時に被弾すると、機体が壊れやすくなった。強く張った布地に鋭利なナイフを刺し込むと、勝手に裂けてしまう現象に似ている。つまり、必ずしも敵機を銃弾の威力だけに頼る必要はなかったのである。手傷を負わせ、機体の構造強度を弱めてやれば、仕上げの破壊は引張力や重力負荷の恐ろしい威力が引き受けてくれた。被弾に驚いた敵のパイロットが、焦って急旋回や急降下で逃げ去ろうとする刹那、強度の弱った機体を自分から損壊させて吹き飛ぶことも多かったのである。
 勿論、手傷を負わせる以上に多くの弾丸を叩き込んでやれば、被害は決して生易しいものではなくなった。硬化鋼で整形された徹甲弾にはかなりの貫徹力があり、特別に分厚い装甲板──厚さ半インチ程度の鋼板を除けば、機体の大概の部分は滅茶苦茶に撃ち壊した。では、戦闘機を装甲板で覆えば対抗できそうに思えるが、これには凄まじい重量負担の問題が係わったので、舞い上がることにも四苦八苦したろう。やはり、快速と機動力を確保する為に、薄っぺらな軽合金の外皮で全体を覆うしかなかった。精々、操縦員の背中を守る程度にしか、装甲板は使えなかった。中には操縦席やエンジンなどを鋼板で防護しようとした機体もあるが、重量超過は飛行性能を著しく妨げる難点があったので、厚くて重い防弾鋼板の乱用は難しかった。
 他には、充電池を撃ち壊しても、スパーク・プラグ(点火栓)への電流の供給を断ち、エンジンを急停止に追い込めたし、操縦桿やフット・バーに繋がるケーブル類を切断しても、敵機を飛行不能に追い込めた。所謂、三舵(補助翼、方向舵、昇降舵)は、中間の滑車などを通して、細い鋼索で操縦装置と連結されているが、これが切断しても機は制御不能に陥り、それだけで墜落することがあった。また酸素ボンベが壊れるとパイロットは呼吸に苦しんだし、燃料が漏れた場所へ焼夷弾が飛び込めば、引火して派手に燃え上がった。有り触れた通常弾にしても飛行士に命中すれば殺傷力を発揮した。たった一発の通常弾でも、操縦者の頭や心臓などを撃ち抜けば、それで事は足りたのである。機体は多少の損傷に耐えられても、生身の肉体はそうは行かなかった。最後に、爆撃隊に取って何よりも心丈夫だったことは、機銃の発射母機とも言うべき〈空の要塞〉が堅牢で、簡単には撃墜されないことだった。それはこれまで航空史を飾ったどんな機体よりも強靱な構造を誇っていた。となれば、結局、どちらがより多くの弾量を相手に叩き込むか、若しくは、耐久力が優越かを巡る戦いとなる。

 少しの間、Fw190の編隊は一定の距離を保った。帰路の方角へゆっくりと上昇して行く爆撃隊と被災地の両方をじっくりと見比べた。が、やがて意を決したように爆撃隊に機首を巡らすと、攻撃態勢に移った。彼等は高射砲陣地や操車場から離れた位置での空戦を望んだ。重要な施設の至近で空戦を演じれば、敵味方に係わらず、墜落機がその上に落下して、大害をもたらす恐れもあった。とは言え、今回の爆撃は大成功で、重要施設は概ね灰燼に帰しており、これ以上、害を与えられそうな場所は余り残っていなかった。しかし、高空を遊弋するドイツ戦闘機隊は、まだその仔細を知らない。爆発や火災の噴煙に覆われた操車場は暗幕でも引いたようで、廃墟はその下に隠されていた。ドイツ軍も損害の大きさを知るのは、調査が終わったあとになるだろう。今は本来の任務――迎撃戦闘が先だ。
 各銃座に就く射手たちは、編隊の周辺で不気味な徘徊を始めたFw190に警戒心を募らせた。このドイツ軍戦闘機は、灰色の機体に施した濃い褐色の斑模様が鮮やかで、これが死骸を漁るブチ・ハイエナのような雰囲気を醸し出した。Fw190はしきりに獲物を物色した。大空に死の臭いでも嗅ぐように。
「上五時に敵機!」
「下六時方向……二機!」
「水平四時の方向からも二機が接近中!」
 敵機の気になる挙動を見つけ次第、爆撃隊の銃手たちは口々にその位置や勢力を仲間と通報し合った。同時に火器の安全装置を解除して、これから始まるであろう戦闘に備えた。試し撃ちはすでに英仏海峡の上空で済ませていた。戦端は未だ開かれていないが、足元にはすでに試射で弾き飛ばした空の薬莢が幾つか転がっていた。「冥土へ送ってやる」と、中にはしたり顔で機銃を撫す豪胆な者もいたし、不具合な機銃を「ガチャガチャ」騒がせて悪態をつく者も居た。「畜生、肝心なショー・タイムだってのに、故障なんかしやがって、糞ったれめ!」焦って喚きながら、ついには思慮も分別もかなぐり捨てて機銃を叩く始末だ。が、M2は優秀な重機である。滅多なことでは故障しなかった。高々度に特有の厳しい寒のせいで、機銃に塗布したグリースが凍結し、一時的な作動不良を起こしていただけだ。
 トーレスも交戦の覚悟を固めた。改めて操縦桿を強く握り直した。が、腹を括っても自然と愚痴がこぼれた。「癪な奴等だ。投弾を終えたばかりだと言うのに」
 フォード少尉は努めて剽軽に言った。「彼等も給料分の仕事はしたいんでしょ……」気を紛らわせる冗談のつもりでも、少し青ざめた顔に笑顔はなかった。澄んだ碧眼にも不安の翳りが差し込んだ。その言葉も、「ダダダダッ!」と、背後の頭上でいきなり吠え始めた重機関銃の咆哮に掻き消された。腹に響く騒音と振動が、機体を伝わって操縦席にまで押し寄せた。背後の屋根に突出した上部の旋回砲塔が機銃掃射を始めたのだ。ベンディックス製の砲塔を駆動するガブレスキーの瞳なら戦意に燃えていた。彼は砲塔から突出する二本の触角のような機銃で敵機を狙い撃った。「お勤めの時間か……」とつぶやくデルが腹部の球形砲塔を旋回させるモーター音も、歯の浮く甲高い音となって機内へ響いた。尾部でラブ一等兵が扱う機銃の発射音も、機内の冷気を震わせながら操縦席へ伝わって来た。
 順次、編隊の背後へ回り込んだFw190が、次々と突入して来た。敵機の来襲に呼応して、爆撃隊の防御砲火も至る所で真っ赤な火を噴き始めた。ついに空戦が開演した。連装機銃に単装の機銃──取りつけ方や設置場所による影響から、異なった音響が中空に響き渡った。爆撃機の様々な場所が振動した。およそ五〇機の〈空の要塞〉は二〇〇基のエンジンも轟々と唸らせていた。爆音に装備の振動、銃手たちの怒号と機銃の発射音が入り混じり、さながら騒音の凝集体が大移動する観を呈した。
 周辺で乱舞する敵機を追って、爆撃機の至る所で機銃が火を噴いた。火線が縦横に空を走った。時として、曳光弾が幻想的な輝きを放ちながら、大空のキャンバスに鮮やかな赤い網目の模様を描いた。発砲に伴って溢れ返る硝煙もてんでに空を流れた。三個大隊の〈空の要塞〉が搭載する重機関銃は、合計では七〇〇挺に近かった。大雑把な表記になるが、毎度のことながら、銃手たちが好き勝手に改造したので、この数量を正確に把握するのは至難だった。いずれにしても、機外に突出した大量の機銃が火を噴きながら空中を移動すると、火の棘を斉射するヤマアラシ集団の暴走と映った。爆音と銃声が絡み合う半狂乱の大合唱も、群青の空を刻々と移動した。飛び交う火の玉は群がり迫る敵機を容赦もなく突き刺した。灰色と褐色で斑模様にしたFw190も、これに負けじと火網へ飛び込んでは発砲した。
 高空を目指して緩やかに上昇する大隊の中に、忽然と二機のFw190が紛れ込んで来た。敵機はいつも意表を突いて現れる。右側面へ回り込んでいたFw190が、思いついたように横合いから突入して来た。二番機は必死であとを追う。これは危機を孕む混乱の予兆だった。爆撃機の集団はやや隊形を乱していた。高射砲の被害を受けた機は、エンジンや操縦機器の不調から、編隊飛行への追従に苦しんでいた。背後の上方からも同時に二機のFw190が降下して来た。爆撃機に集中弾を浴びせようとして、少しでも距離を詰めようと目論んでいた。乱れた爆撃機の集団に、二方向からそれぞれ二機――敵の戦闘機が殴り込む形勢になった。爆撃機を狙って降下する二機のFw190は射撃を始めたが、そこへ先ほどのFw190二機が、正しく横槍を入れた。瞬時だが双方に狼狽が走った。狙われた〈空の要塞〉の後側部で、窓から突出する単装機銃を撃っていた銃手が、乗機の側頭部へ向かう敵機に気づいて、思わず「危ない!」と叫んだが、爆発的に吹き飛ばせば兎も角も、敵機の突入阻止が出来ないなら、彼にはどう仕様もなかった。右側面からの攻撃を仕掛けたFw190一番機のパイロットは、曳光弾が飛んでくる中、爆撃隊の背後へ覆い被さろうとする二機のFw190に気を奪われた。後続の二番機もそうだ。「邪魔するな!」と怒鳴りつける暇はない。Fw190の二番機もやはり「危ない!」と叫んで操縦桿を左へ鋭く切り、急旋回で逃れようとした。接近を続ける一番機の正面には、真横から巨体を眺める格好で〈空の要塞〉があった。飛行眼鏡に覆われた目に、進路を遮る爆撃機の巨体と恐怖が大きく浮かんだ。後続の二番機が、背後から飛び退くように左へ急旋回し、続く降下で巧みに逃れた気配があった。一番機のパイロットは急上昇すべきかどうか迷った。爆撃隊の背後から突入したFw190の二機が正面で急上昇していたのだ。「友軍機へ体当たりするか?」と思う間もなく、目の前は爆撃機の姿で一杯になった。ぞっとして操縦桿を握り直した瞬間に、「ドーン!」と宙を揺るがす衝突音が轟いて、このFw190の一番機は出会したB17の側頭部に頭から突っ込んだ。ぶつけられた〈空の要塞〉の乗員たちは機内で激しく揺さぶられた。Fw190は敵味方二つの障害物を前にして焦り、行き場を失う格好から、不可避的に体当たりした。発砲して上昇退避する手筈だったので、いきなりの急降下は無理だった。背後から真っ直ぐ降下して発砲したFw190の一番機は、前方上方へ離脱したのでこの事故を見ることはなかった。驚いたのは後続の二番機で、万一、爆発などに巻き込まれたら大変と、途中から飛び跳ねるように斜め前方へ急上昇して難を逃れた。
 混乱の中の思わぬ鉢合わせで、敵機に体当たりされたのは、第一中隊の爆撃機だった。側面から現れた二機の敵機と、背後から肉薄した二機の敵機が入り乱れる場面は、左上のやや後ろ――第二中隊の指定位置から見下ろす格好のトーレス達も驚かせた。不可抗力の所産に決まっているが、側面からの肉薄攻撃を企んだFw190は、どうやら爆撃機の群れに深入りし過ぎたらしい。発砲して編隊の中を這い抜けるつもりが、そこへ割り込んで来た味方戦闘機の進路妨害に驚いて、出会した〈空の要塞〉の側頭部にぶち当たったのだ。衝撃は〈空の要塞〉の機首を破壊した。半ば潰されながらもぎ取られた機首区画から、引っ繰り返った爆撃手、もんどり打った航空士がそのまま宙へ放り出された。機銃や弾薬、機の備品などもバラバラと散った。他の乗員も衝撃に弄ばれ、通信士はもんどりうって転倒したし、後部の銃手たちも機内で転げ回った。衝突場所に近い右舷側の副操縦士は即死で、左座席の機長も重傷を負った。
 熟練したパイロットの腕前でも、ナイフのような勢いで飛んでくる小型戦闘機の突進は交わせるものではない。〈空の要塞〉のF型は極めて運動性が良かったが、所詮は戦闘機のような曲芸飛行には向かなかった。ましてや編隊飛行で高空を目指す緩上昇の最中では、妄りに姿勢を変えることも出来ない。となれば、〈空の要塞〉に迅速な回避を望むのは酷となり、敵機に身を交わして貰うよりないのだが。思わず身を竦めるこの場面は、恰も船の舳先に暴走魚雷が突入したみたいに映った。トーレス中尉とフォード少尉――二人ともただ唖然とするばかりだった。事故機の空冷星型エンジンは衝撃で停止した模様だった。衝突時に爆発しなかったのがせめてもの救いか。Fw190が〈空の要塞〉の右側頭部に食い込んだ際、右翼内側第三エンジンのプロペラが敵機の尾部に触れ、三枚羽根の内の一翼が折れた。これは付け根から剪断して吹き飛んでしまい、残る二翼もひん曲がった。一方、図らずも体当たりを演じたFw190は、破断した左翼を付け根からもぎ取られ、これは爆撃機の屋根に乗り上げてから跳ね飛んだ。間が悪ければ、左翼は操縦席の背後で屋根に突出する旋回砲塔に激突したかも知れない。ここの銃手は転倒して床に尻餅をついたので、砲塔は空だったが。しかし、胴体と泣き別れた翼は、自分から衝突を交わしながら高く舞い上がると、嵐の日に弄ばれる看板みたいに宙を舞った。迷彩塗装の一際濃い場所に描かれた黒い十字のマークが、白い縁取りのせいでやけにくっきりと浮き上がった。この千切れた翼は編隊の中を支離滅裂に舞い、他の爆撃機の乗員たちをはらはらさせた。これが別な機に衝突すると、そこでも二次被害が発生する恐れがあった。
 フォード少尉は不規則に旋転する看板を目で追った。破断した敵機の片翼が、新たな事故を起こさないように祈った。他方、首を伸ばして見下ろすトーレスの視線は、衝突で勢いが余ったFw190の機体に釘づけだ。片翼を失った上に歪んだFw190の機体が、被災機の頭上で奇妙に倒立する姿を見守った。激突の衝撃で、この戦闘機の胴体の後部から尾部にかけて、機体に捻れが発生して歪んでいた。敵機は〈空の要塞〉の操縦席の屋根で、緩慢に転倒しながらもんどり打った。が、斜めに裏返ったそのあとは、せっかちに〈空の要塞〉の反対側――今度は左翼の付け根の辺りへ転がり落ちて行った。Fw190の風防は裏返って押し潰された時に潰れてしまい、見る影もなかった。転倒の途中で胴体の後部が切断され、切り離された。
「敵機が落下します!」視線を事故現場に戻したフォード少尉が呆れた声で告げた。Fw190は跳馬にでもしくじったような態勢から倒立し、転倒し、力尽きて、二つに分離しながら転がり落ちた。一部始終を見守るトーレスには被災した〈空の要塞〉の身が案じられた。「誰の機か判るか?」
「ニコルズ中尉の機です」垂直安定板の横に記された機体番号は小さくて曖昧だったが、機首の側面に描かれた『フラッシュ・ゴードン』のイラストからフォード少尉は察しをつけた。それも模糊としていたが、絵の雰囲気から判断することが出来た。
 前後に泣き別れて墜落するFw190の胴体切断面から内容物が溢れ出た。操縦席の少し後ろから尾翼の辺りが崩れかけていたので、無線機、酸素ボンベ、救急箱、小型のボストン・バッグなどが次々に落下した。バッグは奇異な印象を与えるが、これには身の回りの小物が納めてあった。被弾や故障に煩わされる機を操って、何処か別な基地へ滑り込んだ時に、一晩の止宿を余儀なくされることもあったからだ。その為の用心である。切り離された機体前部を見ると、外皮に無数の皺が寄っており、ひび割れが幾つも走っていた。衝突の捻れによる歪みに堪りかねたらしく、外板の幾つかが剥がれ落ちていた。ひしゃげた機首上部のカバーも吹き飛んで姿はなかった。計器板に頭から突っ込んだ飛行士は即死したに相違ない。首の骨――頭蓋と脊椎の接合部をへし折ったろう。下手をすると、頭突きで叩き割った計器板の奥へ頭を突っ込んで、裏側の配線に首を絡めて死んだかも知れない。パイロットの頭を計器板から引き抜いても、多分、顔面は血塗れだろう。頭蓋骨の前部が陥没する他に、眼球や鼻が潰れ、前歯もかなり折れたと思われる。
 残骸は惨めに落下した。大空の戦場には踏み留まれる場所など存在しなかった。機体の前部は頭を下に向け、残った片翼をゆっくり回転させながら落ちて行った。その姿を陰気な顔で見下すフォード少尉は、この飛行士も戦没者の仲間入りを果たすと察した。改めて切断された機体後部へ目をやると、左の水平尾翼が半壊していた。これは爆撃機のプロペラに叩かれた時に壊れたものだ。機体の後部は階段から転がり落ちるような格好で旋転落下するよりなかった。
 敵も必死だった。衝突の危険を冒してまで肉薄するのは、強靱な爆撃機になるべく近寄って、必殺の集中砲火を浴びせたいからだ。ところが低速で呑気に接近すると、クレー射撃の標的みたいに狙い撃ちされた。空中で吹き飛ぶのがいやなら、無茶でも高速で突入するしかない。電光石火で襲撃し、素早く飛び去れば、被弾する確率もそれだけ低くなったのだ。他方で、高速になるほど三舵(補助翼、方向舵、昇降舵)にのしかかる風圧が増し、大型機であれ複葉機であれ、操縦に異様な力を強いられた。この風圧に逆らって操縦桿やフット・バーを操作し、方向舵や昇降舵を動かすのは機械ではない。操縦者個人の腕力であり、脚力である。
 その意味で、機体のデザインや構造、翼面荷重の大小、運動性に係わらず、適正速度を超越した機が制御不能を来す――オーバー・スピード現象は恒常的に起こった。一般論で言えば、降下加速が加わって異常な高速になりやすい急降下の時が、こうした現象が発生する確率が最も高かった。無論、水平飛行でも全速力を出すと、機体は猛烈な風圧に晒され、三舵が重苦しくなった。この時、機体に加わる風圧が人力を凌駕して、一時的に操舵応答が失われた。操縦を一言で言うなら風圧に立ち向かう抵抗で、三舵を組み合わせて抵抗力を生み、その加減で機の姿勢を必要なだけ変化させたのである。この時に恐ろしい風圧がのしかかっていると、操縦桿は逆に押し戻され、フット・バーを踏み込む足は跳ね上げられた。特に操舵反応に鋭敏さを求め、三舵の面積を大きくした機ほど、舵にかかる抵抗も大きくなった。蛇足だが三舵の面積を小さく設計すれば、高速時に動かす負担も小さくなった。当然、姿勢変化も小さくなり、運動性が悪くなった。こうした機体は格闘戦の際に鋭く動けず、呆気なく撃墜されたろう。また、三舵や駆動部に金属疲労や損傷などが発生している状態で、凄まじい風圧に逆らって強引にねじ入れると、姿勢の変化が起こるより早く、これらが堪り兼ねたように破壊されて、壊れたパーツが吹き飛んでしまったろう。
 一番厄介なのが、敵味方の多数がてんでに動き回ることで、次が距離感や反射神経の限界だった。危ないと感じても余地を残して擦れ違うこともあれば、逆に大丈夫と思っても、愕然としながら体当たりすることがあった。土壇場で判断の誤りに気づいても、大概、気づいた時は手遅れなことが多い。衝突事故の危険性が常につき纏う──それが空戦である。
「陸でも空でもスピード違反は恐ろしい」フォード少尉がつぶやいた。
「全くだ」トーレスは無愛想に答えた。「戦闘機は自動車の何倍も速く飛ぶからな。反射神経が追いつかないだろう」今更どう仕様もない──と言うならその通りだった。
 他方、乱暴に衝突された〈空の要塞〉も、機首部分を切り落とされるひどい打撃を被った。背後の上方から望見するトーレス達には、詳しいことは判らないが。恐らく右舷側の席に着く副操縦士は即死した――と推測する程度だ。事実、体当たりの衝撃をもろに食らった副操縦士は、限界を超えて捻った首の骨を折って死んでいた。操縦席の右半分も奇妙な格好に陥没した。コック・ピットの中は、割れた窓ガラスの破片やジュラルミンの欠片が飛び散り、悲惨な情況だった。その前から先端の部分は消滅し、計器板の向こう側は滅茶苦茶に壊れていた。操縦席の左舷側に就く機長は、ガラスの細片を浴びて顔を血に染めながら朦朧としていた。衝突の瞬間には目の前が真っ暗になったが、間もなく意識が少し回復した。周辺を見回すと、右隣にはぐったりした副操縦士の死体、眼前にはひび割れて半壊した計器板があった。衝突の皺寄せで計器板にも歪みが生じ、各種計器のガラスは殆ど亀裂が生じるか割れていた。頭を強く振って目眩を振り払った機長は、ひとまず操縦に集中した。捻れた感じもする操縦桿だが、まだ操縦の機能は失っていなかった。〈空の要塞〉は、一旦はふらふらと蹌踉めいたものの、ふわりと浮き上がったあとに、どうにか姿勢を回復した。機の鼻先が消え失せ、右側頭部が潰れかけていても、爆撃機は何事もなかったかのように飛び続けた。この呆れたしぶとさもまた〈空の要塞〉の威力だった。
「驚いた。まだ飛んでいますよ!」フォード少尉が感嘆の声を上げた。
「ああ、敵機のエンジンが停止して幸いだった」相槌を打つトーレスは、爆発の光景を勝手に想像しながら身震いした。敵機の燃料タンクが火を噴いていれば、ぶつけられた〈空の要塞〉も、燃えるガソリンを浴びて頭が火達磨になったかも知れない。操縦席が火の海になれば、乗員たちも機を放棄するよりなかったろう。その時ふと、気になった左舷側に目をやったトーレスは、そこに一機のFw190を見つけた。忍び寄る影のような気配を感じたのは、決して思い違いではなかった。二〇ヤードばかりの距離を置いて、敵機が愛機に並びかけていた。交戦中にドイツ戦闘機Fw190と仲良く編隊を組む格好になった。下からふわりと浮き上がって来た敵機との雁行は、飽くまで偶然の所産に過ぎないが。スマートな風防の中で、ドイツ軍パイロットがこちらを見て冷淡に笑った気もした。飛行眼鏡と酸素マスクが邪魔をして、はっきりとは判らなかったが、トーレスは冷たく醒めたいやな感じを覚えた。トーレスは咄嗟に懐に忍ばせた〈ガバメント・ガン〉を思い浮かべた。敵地への不時着に備えて携行する四五口径の自動拳銃だ。二〇ヤードの距離なら二〜三発はお見舞いしてやれる。一発くらい敵兵の側頭部に命中するかも知れない。しかし、両手は操縦で塞がっていたし、側面の窓を引き開けて、機内に冷気を招じ入れるのも真っ平だった。トーレスは「ふん」と侮蔑の視線を投げ帰したが、素知らぬ振りの敵パイロットは、直ぐに左への鋭い半横転から降下して、逆落としに下方へ離脱して行った。
 真横へ発砲する武器を持たない戦闘機が、攻撃目標へ接近中、うっかり並びかけては為す術もない。航空機は真横や後ろへ飛ぶことが出来ないし、垂直方向への移動も論外だった。方向舵や昇降舵、補助翼などの可動範囲にも限度はあって、行動範囲は正面円錐の中にしかない。従って空戦の最中に、操縦ミス、判断の誤りなどが係わって、不本意ながら奇妙な態勢に陥ることも屡々あった。そのFw190がトーレス機に並びかけたのも、戦闘でしょっちゅう見られる偶然の一つに過ぎなかった。この時、上部旋回砲塔のガブレスキーは、逆方向となる右舷側の敵機を狙っており、左後側部の機銃を担当するモーガンも、斜め後ろを徘徊する別な敵機に銃口を向けていた。側部の銃手は窓から少し下がった内側で機銃を身構えるので、射撃窓があっても視界は余り広くなく、そもそも突き出す機銃と給弾機構、弾帯などが邪魔をして、身を乗り出すのは論外だった。仮に冷気の吹きすさぶ大気の中へ頭を突き出そうものなら、脳髄の芯まで凍りつく寒さに目を回したろう。周辺を飛ぶ〈空の要塞〉にしても、このFw190に迂闊な発砲をすれば、トーレス機に流れ弾を浴びせる危険があった。腹部に突出した球形砲塔のデルが、砲塔を旋回させる途中でこのFw190に気づいたが、背面へ切り換えして急降下する相手の速度が速く、とても狙い切れなかった。
 敵機の放つ銃砲声も次第に賑やかになって来た。双方の放つ火器が、天空の狭間に爆ぜるようなスタッカートを刻んだ。機関砲の発砲音は重低音で轟いた。機銃の甲高い発射音に、機関砲の低い唸りが重なると――敵機が全砲火を開いた場合だが、混ざり合った銃砲声が、暴走機関車の騒音みたいに聞こえることもあった。その発射音が、トーレス機の背後で不意に響いた。いつの間にか二機のFw190が忍び寄っていたのだ。距離は四〇〇ヤード余りだった。音の大きさから察して、危険なほどの至近距離ではないと思われた。このFw190は出力が落ち気味のエンジンを叱咤しつつ、彼の機に懸命に追い縋る最中に、辛抱し切れない発砲を試みたのだ。
「後ろ上方に敵機!」ラブ一等兵とガブレスキーが異口同音に喚いた。敵機が背後に現れた瞬間は、昆虫と見紛うほど小さく見えるが、うかうかしていると見る間に大きくなって迫って来る。それはトーレス機を狙っていた。敵の戦闘機が二機、浅い角度の降下で背後から挑みかかって来た。
「俺は右だ。左のを頼む!」ガブレスキーはこのFw190を近くに寄せつけまいとして、三〇〇ヤードの距離から連装機銃を撃ち始めた。振動と銃声が全身を揺さぶった。
「了解!」ラブ一等兵は向かって左側の敵機に環形照準器を合わせた。照準中心を敵機の前へずらしながら、突進してくる敵機の鼻先を狙い、威嚇するように弾丸を送り出した。
 右側の敵機が天空に轟かせた銃砲声の木霊は、ガブレスキーが応戦する重機の発射音に掻き消された。この歯の浮くような騒音と振動は、相も変わらず少し前の操縦席に鎮座するトーレス達を悩ませた。「活発な反撃は安心感に繋がる」と言えなくもないが、背後頭上での機関銃の猛射には閉口させられた。尤も、〈空の要塞〉を飛ばす飛行士たちは皆、これにも耐えねばならない。
 尾部から発射される機銃の銃声も、少し遅れて機内を伝わって来た。トンネル工事でも始まったような錯覚に捕われるが、これが防御戦闘だ。その騒々しさと来たら――と思ったのも束の間、次の瞬間には爆発音に続いて「グシャッ!」と金属の潰れるような音がして、トーレスを驚かせた。機体がやや左に傾いたが、ちょっと慌てたトーレスは急いで機体を水平に戻した。Fw190の放った機関砲弾が、左翼外側のエンジンに命中して、翼桁に組み込まれた発動機架を損壊させたのだ。この懸架装置から脱落しかけたエンジンが、奇妙な角度で下へ傾いた。前のめりになったその姿は最前線で敵弾に倒れた兵士のようでもあった。
 振動と傾きは下部球形砲塔のデルも感じた。機が左へ傾斜すると、彼の身体も同様に傾いた。砲塔を右回りに左翼側へ旋回させ、翼から外れかけて傾いた哀れなエンジンを認めたデルが、驚いて報告した。「中尉、第一エンジンが落ちかかっています!」破損部からは奇妙な形の金属の棒などが突き出していた。エンジンの懸架装置の一部らしい。短いケーブルも馬蹄形にぶら下がっていた。続いて左翼の上で火花が散ったかと思うと、金属の破片がもぎ取られて後方へ飛んで行った。敵機の放つ機銃弾も命中したらしい。曳光弾が左翼の下――斜め下方へ飛び去って行くのも見えた。
「判ってる!」当面、トーレスは機の水平維持に努めた。さもないと、銃手たちが抗戦に困難を来した。機が傾いてしまうと、彼等も一緒に傾くので、まともな射撃すら出来なくなったのだ。ところが、反対方向へ操縦桿を切り過ぎて、今度は機が右傾した。この時、右の操縦席に就くフォード少尉の視界に、機首部分を失った〈空の要塞〉の姿が飛び込んだ。それは右斜め前方の下位にあったので、乗機が右傾すると見やすくなった。被災機は第一中隊から遅れ始めていたが、操縦席より前の区画が切り飛ばされており、断面抵抗が増大したせいだろう。「こんな状態でいつまで飛べるか?」と危惧していると、Fw190が一機、背後から飛びかかって、首がない爆撃機の背に機関砲を撃ち込んだ。金属片が幾つか飛び散った。攻撃目標に急接近したFw190は、勢いが余って〈空の要塞〉の背中へぶつかりそうになり、まるで飛び跳ねるような急上昇で危難から逃れて行った。被災機は傾斜しながら降下し始めた。だが、トーレスが愛機を水平に戻したので、その行方が判らなくなった。他機の心配をしている場合でもなかったが。
 ラブ一等兵は乗機の傾きにも負けず、機銃の照準を外さなかった。機が微妙に揺れても、自分が引き受けたFw190の鼻先に、パンチを送るように銃弾を浴びせた。環形照準器の中を忙しなく走る曳光弾に、敵機の方から衝突させる射撃を試みた。両者が見事に重なった時、接近する敵機のカウル右から右翼の付け根にかけて、連続した赤い閃光が煌めいた。細かい破片が次々と剥がれ飛んで、カメラのフラッシュを焚くような閃光の中に、無数の黒点となって垣間見えた。敵機のパイロットは、トーレス機の右翼つけ根の辺りを狙ったが、被害に焦りながら機関砲を発射した途端に、自分の右翼の肩口を爆発させた。ラブ一等兵の放った機銃弾が、右翼内に格納されたモーゼル機関砲の弾薬箱に命中したのだ。装弾子に連結されて整然と並んでいる砲弾の幾つかが、この巻き添えになって誘爆した。爆発と同時に装弾扉や機関砲の点検窓が上に吹き飛んだ。主翼の下からは、爆発で壊れた主脚の収納カバーが飛び散った。これらの開口部から白煙や炎が溢れ出したが、寸秒ののちに、弾薬箱の誘爆まで起こると、ただでさえ強度の怪しくなった右翼が剪断し、滅裂に回転しながら後方へ飛び去った。右翼の大半を消失した敵機は、主翼がひどく短くなった側へ急激に傾いた。無事な左翼の機関砲は火を噴いたが、機体が急傾斜から勝手な旋転を始めた今は、奇妙な方角へ曳光弾を放散させるよりなかった。敵機は態勢を立て直す暇もなく、機を捻り込むような格好から錐揉み降下に陥った。
「糞っ!」右側の敵機を阻止し損ねたガブレスキーは、思わず悪態をついた。自分がこの敵機を撃破していれば、第一エンジンに被害は受けなかったろう。自己嫌悪に陥った彼は、狙うFw190の機首正面に、今一度、射角を修正した機銃から弾雨を放った。上部旋回砲塔の連装機銃を猛射して、今度は銃弾の奔流を的確にその前面へ叩き込んだ。火線が空中を走ると、昆虫の二つの触角がするすると伸びて、ぐいぐい迫る獲物を光る毒針で刺し貫くように見える。忽ち、敵機のプロペラ――三枚羽根の一部が折れ、遊離した部分が他の羽根に引っぱたかれて、あらぬ方角へ飛んで行った。機首の突端で空気抵抗を減らすスピナ・キャップも、二つに割れて左右へ剥がれ飛んだ。整流カバーが消滅すると、Fw190のプロペラ取りつけ部が剥き出しとなった。空冷式のエンジンを冷却する目的で、冷気を取り込む吸気ファンにも弾丸が命中して、オレンジ色の火花と金属片を飛び散らせた。Fw190は機首の横で小さく突出する排気管から真っ黒な煙を噴き出した。鼻先を撃ち砕かれた敵機は小刻みに揺れた。だが、直ぐさま毒々しい排気煙を思いっきり捻るように左へ半横転すると、背面姿勢になった機を降下態勢に入れた。エンジンを損壊した敵機は、黒煙を引きずりながらトーレス機の直ぐ後ろで急降下に入った。エンジンに被弾したFw190は、気筒内の混合比配分に支障を来したらしい。排気煙を異常に多く噴き出すのは、混合気が濃密化しているからだ。
 咄嗟の急降下で迅速な退避はしたものの、Fw190は機体が小刻みに振動する窮地に陥った。気化器の不調による濃い混合気のせいで、気筒の燃焼温度が急上昇すると、ピストンが焼損事故を起こすことがあった。ただでさえ高温の中で、ピストンは発狂寸前の往復運動を繰り返すが、酷使の上に高熱まで加わると、この相乗作用から自滅的な破壊を引き起こした。結果として、気筒の幾つかが損壊すると、エンジンは支離滅裂なデトネーション(爆燃)を起こし、必然的なノッキングに陥った。機械仕掛けの心臓が咳き込む姿は、手傷を負った獣が痛みに耐えかねて悶絶する醜態にも見えた。Fw190は黒煙に包まれながらの降下を続け、やがて戦闘圏から姿を消した。完璧に撃墜したかどうかは定かでない。それでも銃手のガブレスキーは、自身八機めの撃墜を報告するつもりで、直ちに別な獲物を探しにかかった。
 銃手は五機の撃墜が認められると、エースの称号を獲得し、英雄として受勲された。ガブレスキーもとっくに勲章を授かっていたが、その時の晴れがましさに想いを巡らすと、少し面映ゆくなった。点数稼ぎをするつもりはないし、正否もどうでも良かった。感覚的にそれらしく見えたなら、戦果集計の担当官にそう報告して、それで良しとする以外に手はない。ドイツ空軍のパイロット達が、何百機も撃墜したとホラを吹きまくっている呆れた実態も、多分、似たような概況だろう。撃墜も撃破も被弾に驚いて遁走した相手も、どれもこれもお構いなしに、まるごと戦果に組み入れているに違いない。爆撃のあとで聞かされるナチの対敵宣伝放送と来たら、毎度呆れる代物だが、これもお互い様だった。第八航空軍も途方もない撃墜数を捏造したので、敵ばかり悪し様に罵ったら不公平となる。そもそも撃墜の有無を血眼で見届けていたら、生命の予備を幾つ用意して戦いに臨んでも、直ぐにも足りなくなった。その隙を突かれて撃墜されるに決まっているからだ。「次から次へと敵機に襲われる乱戦の中で、本当に確認が出来るのか?」と詰問されたら答えようがない。これは子供にも判る幼稚な理屈である。兎にも角にも、まず生き残ることが先決で、報告のいい加減さなど知ったことではなかった。成果が公認されるかどうかは、判断の甘い担当官や猜疑心の強い係官によっても異なったが、戦果は競馬の予想にも等しく、判然としないまま印象や予想を報告するしかないのである。傷を負った相手が五マイル先で墜落するか、一〇マイル先で爆発するか、それとも一〇〇マイルを飛んで無事に基地へ帰るかなど、判る道理がなかった。まずは息つく暇もなく来襲する敵機に機銃を撃ち続け、撃退し、生還することが優先だった。
 ドイツ軍戦闘機は、相も変わらず編隊の周辺を我が物顔に飛び回った。様々な角度から攻撃してくるので、機銃弾と機関砲弾が滅裂に乱れ飛んだ。火の雨が降りかかるたびに、狙われた機の乗組員たちをぞっとさせた。敵味方無数のエンジンが奏でる爆音の和音と、高く低く吠える銃砲声が、毎分三マイルの速度で刻々と空中を移動し続けた。
 次なる脅威は斜め後方から滑って来たFw190だった。過給器の弱点から高空で出力が落ちるFw190は、Me109に比べれば動作が緩慢だった。左舷後側部の機銃を油断なく身構えるモーガン伍長が、これを狙い澄ました単装機銃で出迎えた。次々と送り出されて空を流れる火の玉が、もたつく感じの敵機を遮った。モーガンは射撃の名手だった。肝っ玉も座っていて、空戦の恐怖にも動じなかった。彼は敵機の動きを予測しつつ、その前方へ抜け目のない射弾を放った。流れる曳光弾と敵機の位置関係を見極めて照準を微調整すると、ここぞと言う場所では止めを刺すように銃弾を注ぎ込んだ。Fw190はバランスを崩して斜めに滑っていた。出力が落ちて思い通りに動けない上、無理な旋回を強行する途上にあり、方向蛇と補助翼の調和を欠いていた。トーレス機に強引に照準を合わせて発砲しようとしたが、その直前でモーガンの放った弾雨の壁に激突し、風防が爆発的に飛び散った。殺到した各種銃弾の立て続けの命中だった。火花が散り、亀裂が走り、ひび割れ、まるで水晶が砕けるように風防ガラスが飛び散って、破片がキラキラと目映い光彩を放った。飛行士が仰け反った瞬間には、艶めかしい深紅の血煙も舞った。蹌踉めいたFw190は、機首左舷の弾痕からも黒煙の塊を噴き出した。どうやら熱気が充満するカウルの中で、エンジンから漏れた燃料に引火し、燻り始めたらしい。敵機は幾つか派生した弾痕や外郭の裂け目から、幾筋もの細い煙を噴き出しながら、モーガン伍長の下方を反対側へ斜めに飛び去った。空中で痙攣の発作を演じ、小刻みにのたうちながら。
「マック、そっちへ行ったぞ!」彼は相棒に注意を促した。
「何もそこまで暴れなくても……」足下から右舷側へ飛び出して行く敵機に、賺さず機銃を向けたマックだが、血の海と化した操縦席を一望して射撃を控えた。Fw190の風防は大半が砕けていた。防弾ガラスを使用――と言えば聞こえは良いが、実相は単に圧縮強化処理を施して、ガラスの耐性を強めた気休めの代物に過ぎなかった。風防正面は他より厚みがあったものの、額面通りの防弾機能など見込める道理がなかった。銃弾を跳ね返せるのは、長距離を飛んだ弾丸の勢いがガラスの耐性に負けるほど劣化しているか、着弾した銃弾の撃角が不足して上滑りした場合のみだ。近距離で正面からまともに機銃弾を浴び続けると、分厚い風防正面も亀裂を大きくし、強度を脆くして、ついには粉々に砕け散った。鋼鉄で覆われた戦車なら、外を覗き見る銃眼が極端に狭いので、厚さが五インチもあるガラス・ブロックを加工して嵌め込めば良かったが、戦闘機の風防を全てこれで覆い尽くすとなると狂気の沙汰だ。極端に重くなると風防の開閉に困り、乗り降りする時や緊急脱出の際に難儀する。
「何だって?」機銃を斜め後ろに向け、別な敵機の動向に目を移すモーガン伍長は、振り向きもせずに聞いた。
「乗り手の死んだ馬が暴れていたのさ!」右舷側の斜め前方でふらつく敵機は、断末魔の苦しみに悶えていた。マックは敵機の哀れな末路を見送りながら叫んだ。敢えて止めを刺す必要はないと判断した。
「馬?」モーガン伍長は、半ば呆れながら怪訝な声を発した。今は左舷側の斜め後方を遊弋する敵機の動きを、機銃で追跡していた。相棒の返答は意味不明だった。意味不明なら無視する。彼は自分が受け持つ区域から、鋭く細めた目を決して反らせたりしなかった。
 モーガン伍長にサンデー・パンチ(強打)を浴びた敵機のパイロットは、すでに頭の一部を撃ち飛ばされて機上戦死を遂げていた。Fw190はじたばたと暴れた末に、機首を上に向けて振動し、続いて痙攣しながら沈下した。この機も被弾したエンジンがノッキングを起こしていて、ハンマーで叩くような音を発しつつ、喘息を病んだみたいに苦しがった。咳き込む排気管は真っ黒な煙の塊を間欠的に噴き出した。だが、それも束の間で、唐突に機首を落とすと、Fw190は空中で心臓麻痺を起こした鳥みたいに動きを停止し、最後は諦めの墜落を始めた。斜めに傾いた哀れっぽい落下を続け、下方へ姿を消した。姿態もあやふやになったその先で、爆発と思しき十字形の閃光を煌めかせた。金属片が無数に散逸したらしく、陽光を反射する刺々しい輝きを幾つか放った。どうやらそこがこの敵機の辿る運命の終点だったらしい。
「モーガン。奴は完全にくたばった。俺が証人になる。撃墜を一機加えて受勲しろ!」腹部球形砲塔から下方の爆発を確認したデルが自信満々に言った。
 その声は雑音が混じって割れていた。痛んだレコードのような音だった。最初は困惑したモーガンだが、やっと内容を理解した。「少し音量を下げてくれ。本当か?」
「ああ、待ってくれ」デルは通話装置の音量を少し落とした。「他に射撃した奴は居ない。曳光弾は見えなかったからな。噴煙の先で起こった爆発を確認した。あれじゃ間違いなくバラバラだ」
「それでも……」ちょっと辟易するモーガンは、誰とはなしに言った。「勲章なんて願い下げだ。俺は自分と仲間の命を守る為に戦っているだけだ。人殺しを自慢するような勲章なんか欲しくない」彼は背後へ近寄ろうとするFw190に機銃の一連射を放った。敵機は秘かに忍び寄るつもりでいたものの、風防の少し上を斜めに過ぎった真っ赤な火の棒に驚いた。このドイツ軍パイロットは、思わず身を反らした拍子に操縦桿を右へ倒してしまい、機を迂闊な急旋回に入れてしまった。冷や汗を掻きながらも、一度、浮き上がった機を抑え込み、蹌踉ける旋回退避で後方へ去って行った。ここは改めて接近をやり直した方が良さそうだ。
 名手のモーガンは、少なくともその二倍は敵機を仕留めていた。ところが律儀な上に勲章にも懐疑的な彼は、これまで謙虚な報告ばかりを繰り返したので、公認記録となる撃墜数は四で止まったまま──さっぴり伸びなかった。眼前で大爆発した敵機を、写真にでも撮って提出すれば決定的な証拠となるが、噴煙を吐き出しながら去った敵機がどうなったかは知る術もないので、偽証になりかねない無責任な報告は一切控えていたのだ。しかし、例え受勲を強制され、恬淡な彼が拒んだとしても、それもまた彼に保証されて然るべき疑いもなく正当な権利と言えた。
 新手のFw190が一機、斜め前方に出現した。まるで大気中から泡のように生まれ出たかと思えた。右へ左へと小刻みに両翼を揺さぶりながら、中隊の左側面を反航して、一旦は後方へ飛び去る構えを見せた。しかし、去ると見せかけて、出し抜けに左七〇度の強引なバンク旋回に入ると、トーレス機の背後へ大胆に回り込んで来た。その動きを怪しんでいたモーガン伍長は、窓から突き出す機銃を斜め後方一杯に向けて備えた。敵機が回り込む途上から銃弾を送り、この機の尾部を掠め飛ばした。だが生憎と射撃窓の縁に銃身がぶつかって、それ以上には撃てなくなった。銃弾は敵機の垂直尾翼――方向舵を少し食い千切ったのみだ。一方、際どい所でモーガンの銃撃を振り切った敵機は、旋回しながら彼の射界の外へ抜け出すと、それからトーレス機の背後に食いつこうとした。
 この時、尾部銃座のラブ一等兵は、反対側の斜め後方から第二中隊第二小隊へ近寄る別な敵機を追い払おうと奮闘していた。斑模様が鮮烈な印象のFw190は塗装したばかりだった。艶々した光沢に見蕩れている場合ではない。賺さずこの敵機に連装機銃を振り向けたラブ一等兵は、小刻みに曳光弾を放った。向かってくる敵機の鼻先へ、火の玉の集合を流し送って接近を妨害した。第二小隊への攻撃の矛先を交わせるか? 距離は四〇〇ヤード以上あった。しかし、ここでも彼の抜群の視力が物を言った。短い二連射目で飛びかかった十数個の曳光弾が、第二小隊への接近に勤しむFw190に衝突すると、一呼吸を置いたあと、エンジンが出し抜けに真っ赤な火を噴いた。暴れるように噴出する炎が後方へ流れ、Fw190の突出した風防で左右に分けられた。泡を食って横転したFw190は、長い炎の尾を引きながら降下して行った。パイロットは爆撃機の攻撃どころではなくなった。二股に別れた火炎が、操縦席の左右を洪水みたいに流れていれば、機外への脱出も苦しい。どちらへ飛び出しても火炙りになりそうだ。
 この時、第二小隊を構成する三機の内、小隊長機の旋回砲塔と後側部の機銃が、トーレス機に迫って行くFw190を目敏く見つけていた。ここの機銃は方向舵に傷を負った敵機の動きをなぞった。放たれる曳光弾が描く紅の火線を放ちつつ、これを火矢のように敵機へ突き刺そうとした。中隊の背後で遊弋する敵機に、あくせくと火炎を放つ機銃もあったし、側面へ流れて行く敵機に、慌てたように発砲する者も居た。爆撃機の腹部に飛び出した球形砲塔は、下方へ退避する敵機を見つけては撃ち下ろしの機銃掃射を浴びせていた。相変わらず混迷を招くひどい情況だがそれこそが空戦だった。あとで戦果を聴取する担当官がノイローゼに陥っても仕様がなかった。フランスの小説にも似て難解な話を、混乱した報告を基にどうにか纏め上げねばならない。報告書の体裁に整えて司令部に提出される時、敵機撃墜の戦果が一〇機だったり一〇〇機だったりしても止むを得ないか?
 モーガンの銃撃を受けたFw190は、何十もの怪しげな撃墜マークを記した垂直尾翼の一部を欠いていた。この敵機は旋回しながらトーレス機に迫ると、機首の二挺の機銃と主翼前縁の四門の機関砲を一斉に発射した。斜め後方からの射撃となったが、トーレス機の胴体上面から左翼にかけて、幾つもの小爆発が走った。機銃弾も一緒に降り注ぎ、その内の何発かは通信室を貫通した。上部の機銃を撃っていた通信士のハリソンは、周辺を通過したこの機銃弾の実害は受けなかったものの、思わず首を竦めた時に、付近の屋根で炸裂した機関砲弾の弾片を浴びた。炸裂で飛び散った欠片の一部は機内に飛び込んで、彼の右脇腹を深く抉った。血の飛沫が飛んだ。呻きながら蹌踉めいたハリソンは、下肢の力を奪われて床に崩れ落ちた。「畜生。まただ!」前回の出撃に続いて再び被弾したハリソンは、左手と右肘で焼けるように痛む右脇の傷口を押さえ込みながら苦しがった。「糞っ、いてて……」右肘で押さえ込んだ左手を抜いて見ると、革の手袋が鮮血に染まっていた。右脇が朱に染まっていた。改めて痛みと怒りに逆上したハリソンは、血塗られた拳で床を叩いた。身体を捻って仰け反りながら彼は歯を食い縛った。「畜生!」激痛が心臓の鼓動に同調して体内を駆け巡った。痛みで意識が混濁した。今は苦痛以外に何も考えられなかった。
 トーレス機の左翼が火を噴いてめらめらと燃え上がった。左翼の表面には三つの大きな穴と無数の小さな弾痕が認められた。外側の翼内タンク――第一エンジンに燃料を供給するタンクの上に直径が二フィートを越す大きな穴が開き、この破孔からタンクとひび割れが剥き出しになった。機関砲で引き裂かれては堪らない。裂け目から溢れた燃料に引火して、邪気を孕んだ赤黒い炎が噴き出した。火炎はこの災難を笑って楽しむように踊った。高熱に炙られる翼表面の塗料が泡立ち、小さな膨らみを無数に作って弾けた。そして、黒く焼け焦げる醜い爪痕をその周辺に拡げて行った。
「この野郎!」上部の旋回砲塔に陣取るガブレスキーは、左翼の燃料タンクが火を噴く姿を横目に見て逆上した。愛機を傷つけた敵機に罵声を放つと、彼は憤怒に憑かれたように連装機銃を敵機へ向けた。中央の環形照準器にFw190を重ねると、発射ボタンをぐいと押し込んだ。機銃も照準器も反動で暴れたが、彼はこのリズムに同調しながら機銃を撃った。なるべく標的を外さないよう配意して、少しでも多くの銃弾を敵機に注ぎ込もうとした。銃身の被筒に開けられた無数のガス抜き孔から薄い白煙が溢れ返り、逆巻きながら風に千切り飛ばされた。
 そのFw190戦闘機は、トーレス機に近寄ってなお、追い打ちの一連射を浴びせようと図ったが、ガブレスキーが怒りを込めて放つ銃弾とは別に、他の爆撃機が放つ銃弾にも晒された。火線が幾本も宙を走り、複雑に交錯すると、肉薄攻撃を目論むドイツ機は、逆に行き場を失った。これに引き込まれる感じになったFw190は、殺到する曳光弾の交差点に頭を突っ込んだ。赤熱してギラリと輝く曳光弾は、ジュラルミンの薄い表皮を苦もなく食い破った。Fw190のエンジン・カバー前部には、薄いが装甲鋼板で防御された部分があり、この固い部分に当たった弾丸は妙な角度で跳ね飛んだ。無論、全ての弾丸を跳ね除けることは出来ない。機銃弾は雨霰と飛んでくる。その為、あちこちに被弾して、無数の火花が散り、噴煙が舞うのが定番となる。撃ち壊されたFw190のカウル左側面がドアのように開いたかと思うと、畳みかける銃弾に打ち拉がれて跳ね飛んだ。この空間からエンジン・ルームにまで機銃弾が飛び込むと、壊れた幾つかの機械部品が外へ弾け飛んだ。敵機は激しく振動した。潤滑油も黒い出血となって噴き出し、霧に化けた。かなりの打撃を与えたと見たが、烈火の如く怒れるガブレスキーは容赦をしなかった。出力が落ちて蹌踉めく敵機を執拗に狙うと、彼はなお怒りを込めた銃弾を浴びせ続けた。更に多数の弾丸が、猛って吠える二つの銃口から吐き出され、Fw190を斜め下方から突き上げた。他の爆撃機からも盛んに銃撃が浴びせられており、着弾を重ねる曳光弾や焼夷弾が、敵機の様々な場所で追い打ちの閃光と火花を散らした。あちこちが裂けた機体からは、細々とした破片が休む間もなく剥がれ落ちた。硬化鋼の徹甲弾はFw190の機胴や翼を容赦もなく貫通した。
 続いて、トーレス機の頭上やや右で、斜交いに上昇退避しようとする直前で、Fw190の風防ガラスが砕け、機首の上部を覆うエンジン・カバーまでが吹き飛んだ。今やエンジンの大半が剥き出しとなった機首の上――前部固定風防の前に備わった機銃の一つにも銃弾が命中して、跳ね上がった銃身が妙な角度を向き、弾帯が踊った。エンジンの左側面からは、赤黒い炎がドロリと噴き出した。烈火に焼かれる弾帯が爆竹みたいに弾け、小さな白煙を連続して巻き上げた。ガブレスキーは砲塔を急旋回させた。一歩先んじて敵の移動が想定される位置へ、まだ硝煙の尾を引く銃口を向けた。砲塔の旋回も敵機の通過も待ち切れないガブレスキーは、その途中から機銃を撃ち始めた。斜め下から見上げる格好では、操縦席内部の仔細までは判らないが、一瞬間だが、半壊した敵機の風防側面ガラスに、血飛沫が吹きつけられるのが見えた。これは他機の放った機銃弾の一発が、パイロットの頭を斜め後ろからぶち抜いたものと思えた。銃弾は反対側の斜め前方へ突き抜けたと思ったが。鮮血が脳液や脳味噌と一緒に前へ飛散したものの、割れた風防から侵入する強風に押し戻されて、風防の側面へ叩きつけられたらしい。パイロットは電気椅子の処刑も同然に仰け反って、寸暇をおいて項垂れたが、下位のガブレスキーにはその姿までは見えなかった。
 ガブレスキーとしては、斜め下方から敵機の下腹を狙って連装機銃を猛射するだけだ。すでに空飛ぶ残骸に近くなっているFw190は、この弾雨の中も通過した。再び多くの銃弾がFw190の機胴に斜め下方から飛び込んだ。反対側の外壁に窺える単なる破孔は、機内空間を突き抜けて飛び出した弾丸が穿った穴だ。血塗られた破孔は、機体とパイロットの両方を貫通した銃弾の仕業だった。パイロットの体内に食い込んで止まった弾丸もあったに違いない。エンジン・カバーの剥がれた箇所から出火する敵機は、紅蓮の炎を引きずりながらトーレス機の傍を斜めに飛び去った。ガブレスキーは燃える残骸の追跡をしなかった。これ以上「銃弾を撃ち込む値打ちはない」と即断したのだ。それよりも味方機の放つ曳光弾が頭上を過ぎって驚かされた。彼は慌てて首を竦めた。数個の曳光弾が、それぞれに前を飛ぶ弾丸のあとを追って流れて去り、ずっと先で次々に弧を描きながら落下した。
「危ないじゃないか!」思わず口走る彼は反対側を睨んだ。乱戦の中では誰が撃ったか判らず、機内交信専用のマイクに怒鳴っても、物騒な何者か――他機の銃手に聞こえる筈もなかったが。これには機内の乗員たちが目を丸くして、「何だろう?」と顔を見合わせただけだ。
 第二中隊の斜め前方へふらふらと彷徨い出したFw190の操縦席では、力を失った死者の手が、命運が尽きたように操縦桿から離れていた。機首の火災は次第にひどくなり、エンジン部品の一部も強風に煽られて赤く熱していた。不意に満身創痍の機体が左傾した。驚くべきことに、急角度で左への旋回反転を始めると、ゆっくりとトーレス機の方へ舞い戻って来た。死んだパイロットを乗せた機が、垂直旋回に近い姿勢から、衝突でもしようかの構えを見せた。ガブレスキーは砲塔を後ろへ戻すと、早くも別な敵機に備えた。エンジン音の急接近で、反射的に首をねじ曲げたガブレスキーは唖然とした。咄嗟に砲塔を旋回させようとしたが、射撃で敵機を粉砕して突入を阻むだけの余裕がなかった。異様な急接近で彼を驚かせた炎上機は、しかし、急角度の旋回から渦の中心へでも向かうように高度を落とした。勝手な螺旋降下を始めた機に愕然とするガブレスキーの眼前で、被災機は衝突にしくじる急旋回を演じ、続いて離れて行った。頭を深く突っ込み過ぎてから背面へ引っ繰りると、黒煙の尾で螺旋を描く旋回を繰り返しながら、何処までも高度を落として行った。「脅かしやがって」ガブレスキーは冷や汗を掻きながら安堵した。しかし、ほっとして溜息と遊んでいる暇もなかった。危機一髪の局面を反芻する暇もないままに、直ちに別な獲物を探し始める。
 他方、墜落機を視認した球形砲塔のデルは、砲塔を素早く右へ旋回させ、これを追った。モーターの唸りが癇に障るが、突き出した二本の銃身で墜落機をなぞるように追った。出し抜けに蘇り、下から突き上げるように発砲されたくなかった。以前、燃え落ちると独断して眺めていた敵機が、焼け爛れながらの急反転で刃向かって来て、冷や汗を掻かされたことがあったのだ。迂闊に撃墜を決め込むと命取りになりかねない。デルは被災機に止めの一連射を浴びせた。そのFw190の戦闘力喪失は確実に思われたが、念には念を入れた。手応えがあったと思った直後に、Fw190の機首全体が、毒々しい油絵みたいな紅蓮の炎に包まれた。火の粉を派手に散らしながら、敵機は一際明るい流星みたいに燃え落ちて行った。見送るデルの目には、奇妙なことにその姿がひどく優美に見えた。もしかすると、敵機は大地に激突するよりも早く、大気圏で良く見られる隕石の消滅と同じに、空中で跡形もなく燃え尽きたかも知れない。渦巻く炎に抱かれながら滅却して、あとには何も残さないかも知れなかった。
 Fw190Aの戦隊は、高空ではエンジン出力の低下に苦しんだ。とは言え、米軍の爆撃隊を前にして、尻尾を巻いて逃げ帰ることも許されない彼等は、苦し紛れにでも戦いを挑むしかなかった。主にトーレスの第二中隊が狙われたが、この一群は敵前に効果的な弾幕を張り、更に接近する敵機には容赦もない火の雨を潜らせた。「トーレスの中隊は射撃練習をやり過ぎる。弾丸の浪費だ」と、兵器部からしょっちゅう苦情を言われたが、彼等を拝み倒したり、賄賂を使ってでも練習を積み重ねた効果は覿面だった。鍛え抜かれた彼等はその成果を披露し、ドイツ戦闘機隊に手痛い代償を支払わせた。
 続いて現れたのは、第二小隊後尾の〈空の要塞〉を狙う二機のFw190A3型だった。このタイプは主翼の肩口よりも内──奇妙な場所からモーゼル砲の長い砲身を突き出しているので直ぐに判った。これでは翼内砲が発射する砲弾が、プロペラの回転圏内を通過するので、発射に連動する同調装置まで必要になる。こうした無駄を省く為、翼内砲はもっと遠ざけた位置へ装備するのが常識だが。その常識を覆して胴体に近い場所へモーゼル砲をねじ込んだのは、最初、主翼に機関砲を一門しか搭載しなかった浅知恵の反動だ。後から慌てて追加する時、嵩張る給弾機構と一五〇発の弾薬の処置に困り、これを翼の付け根のフィレットの中へ押し込んだ為、それに繋がった砲身が、奇妙な場所から外へ突き出す格好になったのだ。主翼内側の胴体に近い場所から発砲すると、砲弾がプロペラを毀損するので、仕方もなく同調発射システムを組み込んだのである。「どうしてこんな無駄な細工をする?」と指摘すべきだろう。ドイツ戦闘機の奇妙な改造史を見ても、空軍技術当局が「近代戦の有るべき姿を適切に見通していなかった」ことが判然とする。最初から適切な指導を行って居れば、失態と無駄仕事の両方を省けた筈である。
 そのFw190の二機は、後方から緩やかな長い降下をして、空を滑り降りて来た。相次いで第二中隊に挑みかかるが、ここでも彼等は中隊が構築する弾雨の壁に阻まれた。先導機の右翼外側から突出する砲身の短いFFの内部に、無数に襲いかかる銃弾の一発が飛び込んだ。が、攻撃に熱中して気づきもしないFw190のパイロットは、潰れて変形した金属片が詰まった機関砲を、強引に発砲した。一瞬の遅れだったので、思い止まることが出来なかったか? 途端に、翼の内部で機関砲の機関部が爆裂する事故が起こった。間髪を入れず、六〇発の回転弾倉に残っていた砲弾が誘爆し、右翼の外半分が轟音とともに吹き飛んだ。半壊した機関砲や砕けた弾倉などが、鉄屑かと思える惨めな姿で落下した。爆発で切り落とされた切断面が、桁材と肋材を組み合わせた主翼の内部構造を剥き出しにした。
 Fw190は構造の堅牢さに関しては定評があった。さもなければあっと言う間に片翼が全損して、墜落したろう。事故に驚いたパイロットは、泡を食いながらも賺さず退散を決意すると、銃弾が飛び交う中、右翼が三分の一ばかり消滅したFw190を翻した。左へ九〇度水平に旋回し、戦場の側面へ機首を向けた。高速と無謀な運動も損傷機に大きな負荷をかけるので、ゆったりした速度と緩やかな降下で安全圏を目指した。操縦席のパイロットには、隠れた部分の損傷まで知ることは出来ないが、被弾した直後は、機を労ってやるのが利口だった。目が回りそうになる急旋回でも、五G程度の重力が加わるので、内部損傷が激しい場合、翼桁などを自分から断裂させる恐れがあった。捻れなどのおかしな負荷をかけたら、屈曲する構造部分が剪断を起こして、最後は空中分解に至ったろう。自分から分解事故を引き起こしたら、目も当てられないので、損傷機は殊更に慎重かつ丁寧に扱うべきだった。これも空戦を生き伸びる一つの手段だった。不利な態勢のFw190は、破損部から薄い白煙の尾を引きながら静かに退場して行った。
 一方、これに続いたFw190の二番機は、発砲しながら出迎えの火網に飛び込んでしまった。武器の発射と被弾の閃光が同時に湧き起こって、硝煙や噴煙が、瞬く間に一ダースも溢れ返った。どれが発砲の発射炎で、どれが被弾の火花や炎か判然としない様相になった。狙われた〈空の要塞〉にも、このFw190から放たれた機関砲弾が降り注いだが、命中弾は三発のみで、爆弾倉の屋根と右翼で小爆発が起こっただけだった。被害を受けたのは第二小隊の三番機だが、実害はさほど深刻ではなかった。これと反対に、多数の銃弾で熱烈な歓迎を受けたFw190の両翼表面からは、翼を貫通した銃弾が、何発も斜め上方へ飛び出して行った。弾倉のカバーや機関砲の点検窓、主脚の収納カバーなどが、目まぐるしい火花や噴煙とともに主翼の上下へ乱れ飛んだ。激しく打ち据えられたFw190はふらふらと蹌踉めいた。一旦は前のめりになったが、どうにか態勢を立て直すと、深手を負った機を左方向へ半旋回させて離脱を図った。ひとまず爆撃隊の側面へ――最初の機とは逆方向へ退避しようと目論んだ。
 ところが、素早く旋回したまでは良かったが、急に進路を変えたことで、斜め後方から第二中隊に突進して来た別なFw190を驚かせた。被災機は目先の回避運動に夢中で、味方機の進路妨害など気にもかけていなかった。他方、爆撃隊に斜め背後から襲いかかり、機関砲を撃つ積もりだったFw190も、パイロットの神経は照準器の中で次第に大きくなる爆撃機に注がれており、いきなり反転した友軍機が、突然、目の前を突っ切ることまでは予想しなかった。その為、双方の空中衝突は吸い寄せられるようにして起こった。パイロットが機銃の発射ボタンを押し、「ダダッ!」と撃ち始めた直後だった。そのFw190――胴体後部に細い黄色の帯が入った戦闘機は、蹌踉めいて左旋回しながら前を横切ろうとするFw190の機胴左へ、機銃弾を撃ち込み、味方パイロットを射殺した。次の瞬間、「あっ」と悲鳴を発する間もなく、Fw190は、無数の弾痕が生じた場所へ突き刺さった。ぶつけられた側の飛行士は、すでに撃ち殺されていたので、体当たりに驚くこともなかったろう。ぶつけたパイロットは、燃料タンクが爆発する火炎の中に飛び込んだ。間髪を居れず、計器版に激しく顔面を叩き付けて、頭蓋骨を砕いた。即死だった。
 二機のFw190の大部分は脂ぎった炎と黒煙に包まれた。衝突したFw190は、ぶつかった勢いが余って、切断した尾部を前方へ投げ飛ばした。一方、ぶつけられたFw190は、損壊した右翼を完全に潰され、ひしゃげたそれはグロテスクな塊となって墜落した。一瞬、空中で絡み合った二機のFw190だが、爆発が収まると別々の残骸に別れ、筆舌に尽くし難い、詳述不能な奇態で空から転げ落ちて行った。飛び散った無数の破片もその後を追った。落下する残骸が壊れて泣き別れた箇所から、人の形をした黒いものが転がり落ちた。それは煙の尾を引きながら落ちて行ったが、間もなく姿は見えなくなった。
 実際、空の戦いは、攻撃に退避、おまけにこのような事故まで交えた、駭然すべき連続だった。波状攻撃や小康状態を取り混ぜながら、戦闘はこれを幾層にも積み重ねるようにして行われた。攻撃が整然と行われれば、未だ秩序も保てるだろうが、水平飛行の追尾で呑気な接近を試みれば、攻撃する側も集中砲火の好餌になるので、多少は正確さを欠いても、多方面から電光石火に襲って一気に退避することが望ましかった。序でに、敵の火力を分散させられたら、襲撃する戦闘機の損耗率も低い水準に保てた。そうした面でも多方向から立体的な同時攻撃を仕掛けるのが好ましく、相手を混乱に追い込む利点も得られたが、自分たちまで混乱して、味方同士の衝突事故を起こす危険も大きくなったのである。
 一つだけ明瞭なことは、空には決して悲劇が残らないことだった。地上の激戦では、犠牲者が殺戮の舞台に亡骸を留め置き、暫くはこれに対面する者の記憶に、醜悪な印象など刻んだが、空戦の餌食になった犠牲者は、全て下界へ去ったので、大空は何時も美しかった。時には最初から何事もなかったようにさえ思えた。衝突も爆発も炎上も、全ては夢の中の物語に過ぎないと錯覚できた。それぞれが、限られた窮屈な場所で限られた方角にのみ接することで、別な空間で起こった悲劇の断面を見もしない場合も多かった。逆に間近で死と破壊の凄惨な場面を目撃した者も、光陰のように過ぎ去って夢幻の切れ端と化す、記憶の断片を呼び覚まして、思い返すゆとりもなかった。不幸を運ぶ翼は何時また何処から忍び寄るか知れたものではなかった。そして無感動に待ち続ける必要もなかった。掠れた迷彩塗装が渋い色調のFw190が一機、またもや青空を二つに割って背後に飛び出して来た。
「敵機七時上!」風の啜り泣く音を耳に、一息ついていたラブ一等兵が、小型機を視認した途端に大声で叫んだ。「少しは休ませろ」愚痴を零しつつ、賺さず敵機の機先を制する射撃を始めた。距離はおよそ三〇〇ヤードか。爆撃隊に突進するFw190も、これに呼応して砲火を開いた。「今度は死を運んで来るか? いやいや、そうはさせるものか……覚悟しな」ラブ一等兵は機銃の照準を調整した。ところがこのドイツ戦闘機は、機首先端の上で凄まじい火花を散らし始め、彼を呆れさせた。反撃の機銃を一斉に振り向ける中隊の他の銃手たちも、それぞれに驚愕の目を剥いた。
 機首上部に設置される二挺の機銃は、絶え間なく回転するプロペラを避ける為、複雑な形のカムを使った同調発射装置と連動し、プロペラ回転の隙間を縫って弾丸を送り出した。換言するなら、プロペラが銃口の前に来た時は、電気発火による撃発が行われてはならない。また戦闘機には、速度と姿勢に応じて様々な重力が加わり、同調装置にも負荷をかけるので、変化する重力変動が及ぼす誤差分──このプラスとマイナスまで考慮した上で、調整しなければならなかった。例えば、急降下すればマイナスの重力が作用するが、急上昇する時はプラスの重力が働いた。急降下しながら発砲すれば、ちゃんと撃てるが、急上昇しながら発砲するとプロペラに当たり、壊してしまう――では困ってしまう。プラスの重力とマイナスの重力、どちらが作用しても安全に機銃を発射できるよう、調節して置く必要があったのだ。
 ところがこのFw190は、装置の働きが思わしくないのか、コンマ何秒かの微妙なずれで、あろうことか、自分で自分のプロペラを撃ち壊していた。逆な見方をするなら、プロペラが孔を穿たれつつ、調子外れの機銃弾を滅裂に跳ね飛ばしていたとも言える。無論、合間を縫って前方へ送り出される弾丸の量も少なくなかった。だが、ここはやはり、プロペラを傷める方が大問題で、軽機関銃の小さな弾丸でも、引っ切り無しに命中し続ければ、羽根を折損する恐れがあった。これが威力の大きな重機関銃なら、忽ちプロペラを撃ち砕いて、自分で自分を撃墜したろう。
 この同調発射装置の異変は、機銃弾が跳ね飛ぶ火花から、パイロットにも判った。驚いたパイロットは直ぐさま射撃を中止すると、急上昇しての旋回反転を試み、脱兎の如く逃げ出した。上部旋回砲塔のガブレスキーは、そんなFw190の火花に気を惹かれて砲塔を向けたが、機銃は撃たなかった。数瞬の短い時間でも、この敵機に銃弾を浴びせる機会はあったが。「銃撃すべきか否か? いや、不調で引き返すなら無視すべきだ。限りある弾薬は、襲って来る敵機に使うのが利口」と判断し、肩の力を抜いて一息ついた。因みに、ガブレスキーが受け持つ上部旋回砲塔にも、発射機構には複雑な形状のカムが組み込まれていた。この砲塔の真後ろには、〈空の要塞〉の巨大な垂直尾翼が聳え立っており、自分で撃ち壊さない為の措置だった。銃口が垂直尾翼の位置に来ると、射撃は自動的に停止する仕掛けになっていた。無論、システムに支障がなければの話である。
「人騒がせな奴め」ちょっと腹立たしくつぶやくガブレスキーの瞳に、後続の大隊から脱落する〈空の要塞〉が一機、火難に苦しみつつ降下する姿として映った。左翼に幾つかの大きな破孔も見えた。左の二基のエンジンは激しく燃え盛っており、それが二筋の長く恨めしい炎の尾を引いていた。指人形より小さく見える人影が五つ、立て続けに機体から落下し、間もなく白絹の落下傘がその数だけ開いた。真っ白な傘は空に漂うマッシュルームを連想させた。「パラシュートが五つ? ならあとの五人はどうしたろう? 死傷して燃える機内に閉じ込められ、藻掻いているだろうか? 場合によっては生きたまま火葬されているか?」
 向かって右方向へ流れて行く被災機の背後に、執拗な攻撃を止めないFw190の小さな姿があった。彼の位置からだと、この敵機は玩具のように見えた。Fw190は被災機から五〇ヤードの距離に迫っていた。深手を負った〈空の要塞〉の巨体に止めを刺そうとして、猛然と主翼の機関砲を撃っていた。破壊をつぶてのように叩きつけて、ただでさえ悲惨な機体を何処までも蹂躙し続けた。目を凝らすと爆撃機の尾部に機銃の発射炎が見えた。炎上機に踏み止まった銃手が未だ反撃していたのだ。だが、尾部が噴煙に包まれると、それも止んだ。出来れば援護射撃で敵機を払い除けてやりたいが、彼の位置からでは距離が遠過ぎた。第一、〈空の要塞〉の屋根に突出する旋回砲塔は、水平より下側には機銃を向けることが出来なかった。痛ましいが、彼はその情景を黙して傍観するよりなかった。燃え落ちる爆撃機は、哀れみに充ちた長い炎の尾を引きながら消えて行った。

 Fw190の戦隊が、苦手な高空戦闘や事故などで、どちらかと言えば散々な目に遭っている頃、北方から高速で南下してくるMe109の小さな集団――二個中隊があった。この姿を横から眺めると、腹を空かせて餌場に向かう鮫の競走みたいに見えた。
 今日、最初の出撃では、勇んで立ち向かったドイツ戦闘機隊も、撹乱を企図して散逸したB24爆撃隊に翻弄された。英軍戦闘機隊の攻撃を回避した後、彼等の手が届かない場所で、爆撃機集団だけを攻撃しようと目論むと、〈リベレーター〉で編成された牽制部隊は、集団による単一目標への指向をせず、小さな集団に枝分かれし、それぞれが好き勝手な方角へ向かったのである。迂回しながら攻撃目標へ向かうものもあれば、異なった方角へ突き進むもの、一旦は回避行動を取った後、様子を見ながら針路を変更して、それから本来の攻撃目標へ向かう編隊もあった。ある中隊などは本当に航路を誤って、まるで見当違いな方角へ飛び去る有様で、ドイツ空軍の戦闘機隊を発見すると早めに反転し、敵が邀撃を断念して引き返すと、改めて目的地を探すような喜劇を演じた。それならばと、敵の戦闘機隊が再反転して攻撃の構えを見せると、爆撃隊も急いで翼を翻し、距離を置いた。滑稽なイタチごっこになったが、結局は燃料が怪しくなったドイツ戦闘機隊を追い返した。
 長大な航続力を持つ〈リベレーター〉ならばこそ、敵機の行動圏外の空域を利用して、気長に相手が燃料を消耗する頃合いを見計らうことも出来た。この中隊六機は、引き返した敵機の後を追うと、相手が飛行場に着陸し始める虚を突いて、背後の低空からその頭上へ侵入した。六機の爆撃機はそれぞれ五〇〇ポンドの破片爆弾や一〇〇〇ポンドの準徹甲爆弾を搭載していた。破片爆弾は航空機や付帯施設への打撃に有効で、準徹甲爆弾は滑走路に大穴を開けるのが目的だった。〈リベレーター〉の中隊は、レーダーを避けて敵飛行場へ侵入すると、完璧な奇襲を実演した。遠目にもそれと判る滑走路を目指して覆い被さった六機は、一本しかない滑走路の上をほぼ正確に通過して爆弾を投下した。呑気に着陸滑走するMe109二機の頭上も平然と通過した。他に二機のMe109が着陸の順番待ちで上空にあったが、間の悪いことにゆったりした巡航速度で周回飛行の途上にあり、剰へ、爆撃機の侵入方向に背を向けていた。
 突然、賑やかになった爆音が奇妙に思えた。帰着した安堵から、気楽に機を地上滑走させるドイツ軍パイロット達は周りを見回し、最後に頭上を見上げた。見慣れぬ形の大きな影が六つ、彼等の視界を遮って前方へ飛び去った。腹部からいやにゆっくりと離れて落ちる小さな黒い影は爆弾だった。「空襲だ。管制塔、こちらは……」一番機のパイロットが奇襲攻撃に愕然とした時、背後で爆発が起こった。首をねじ曲げて肩越しに振り向けば、滑走路を掘り返して噴き上げる爆発に追い立てられる現状が判ったろう。不意打ちの爆撃に驚き、慌ててスロットルを噴かしても手遅れだ。五〇ノット以下に落ちている滑走速度を、離陸に必要な一〇〇ノットに引き上げる時間はなかった。矢羽根をつけた重々しい爆弾が、彼の周りに糸を引くように落ちる方が早かった。機の周辺で閃光と爆発が重複しながら湧き起こった。噴煙が林立した。低速で滑走するMe109には逃れる術がなかった。先導機は直ぐ背後で起こった爆発により、土砂まで叩きつける爆風に跳ね飛ばされた。機体はカンガルーみたいに飛び上がった。爆風で機尾が高く浮いた為、裏返しになって滑走路に叩きつけられ、プロペラ、風防、垂直尾翼がぐしゃりと潰れた。その斜め後ろ――少し距離を置いて着陸滑走していたMe109の二番機も、焦ってエンジンを全開し、全速力で爆煙の中を駆け抜けようと目論んだが、先に滑走路に大穴を開けられては為す術もなかった。エンジンの回転が上がり切らない内に、二番機は爆弾が穿った破孔へ頭を突っ込んで、プロペラをひん曲げながら擱座した。続いて、この上に爆弾が落下すると、猛烈な衝撃波で引き裂かれた機体の残骸が四方に飛び散った。二発の爆弾の破孔が重なり合って、滑走路に雪だるまの形をした穴が生じた。繋がった二つの穴とその周囲で目につくのは、飛散した機械部品ばかりだった。パイロットは挽肉になって散らかったらしい。
 着陸の順番待ちで基地の上空を旋回していた二機のMe109は、機首の向きを変えた時、滑走路から噴き上がった火柱や黒煙に対面して仰天した。正確な数は知る由もないが、少なくとも数十発の爆弾が連続爆発したように思えた。旋回を続けながら飛行場の上空を一回りして、爆煙が駆け抜けた先の空へ目をやると、彼等とは入れ違いに遠離って行く四発重爆撃機の小編隊が見えた。双尾翼の形からB24と判断された。「おのれ!」激昂して然るべき場面だった。怒りの追撃に走るのが当然だろう。さりながら、任務からの帰りで、燃料計の針は左一杯に偏っていた。今にもゼロを指し示そうとしていた。座席背後の小さなタンクには、コップ一杯分の燃料が残っているかどうかも怪しかった。燃料が底を突く寸前では、敵機の追跡どころか、別な基地へ緊急避難する余地もなかった。忌々しいが、彼等は穴だらけになった飛行場に舞い降りねばならなかった。残り少ない燃料で周回飛行を続ける彼等は嘆息した。爆弾の破孔に脚を掬われて転倒──機体を壊して怪我をするくらいなら、野外へ不時着するか、近くの道路に着陸した方が増しに思えた。
 ハートを射抜く爆弾のマークで有名な〈リベレーター〉の一隊は、混乱した敵機の間隙を突いて、こちらも与えられた攻撃目標に巧く忍び寄った。小高い丘の斜面に身を隠しながら回り込んで、裾野の開けた場所に建設された戦闘機隊の基地に急接近した。イラストの下に書き込まれた『ハート・ブレイク・ボンバー』の由来は、「戦争のせいで失恋した腹癒せ」と噂されたが、真偽のほどは兎も角として、この中隊は給油中だったドイツ軍戦闘機隊の頭上へ忍び寄り、爆弾を雨と浴びせた。低空で侵入したこちらも完璧な不意打ちとなり、ドイツ軍には警報を発令する機会も、対空火器で応戦するゆとりもなかった。飛行場の手前の隅──空き地へ設置された対空陣地では、四連装の二サンチ高射機関砲を三基ならべた傍らで兵士たちがお喋りに興じていたし、対角する位置に据えられた二両の半装軌車の荷台でも、ここに設置された対空機銃は、悠長な分解掃除の最中だった。荷台には山ほど弾薬が積まれていたが、肝心の機銃がバラバラに分解され、清掃されていては、どうにもならない。但し、爆撃高度が余りにも低かったせいで、傾斜角が浅いまま落下した爆弾の多くは撃角が不足し、不発となった。滑走路を斜めに通過する格好で投下された爆弾の多くが、不発弾に化けて飛行場を跳ね回った。
 滑走路の直ぐ脇には、斜め向きで一六機のMe109が観兵式のように並べてあった。周りには整備員たちが群がって、それぞれに不具合箇所を修繕していた。そこに不発弾が降り注いで、機を叩き潰した。その内の一機の横に脚立を置いて、屋根から突出するアンテナ支柱を取り替えていた整備員が、バウンドした五〇〇ポンドの鋼鉄の塊に脚立を弾き飛ばされて、交換用のアンテナ支柱を持ったまま飛び上がった。弧を描いて落下し、スリップした不発弾は、浮き上がった後に緩やかな放物線を描き、Me109の機首側面に衝突し、この機の首を見事に切り落とした。このMe109の左翼の付け根に上がり、ひび割れた風防ガラスを交換していた整備員は、機体が飛び上がった反動で、操縦席の中へ頭から転げ込んでしまった。機首のカバーを開けてエンジンを点検していた者、弾帯を外して機銃の作動具合を調べていた者、潤滑油を交換していた者たちは、スリップする不発弾が周辺で高く跳ね上がったり転げ回ったりする光景に震え上がった。生きた心地もしなかった。殆ど横向きの状態でぶつかり、Me109の主脚を叩き折った一弾は、機体をどすんと這い蹲らせただけだが、その隣の機の傍らで、工具箱を足下に落としながら、思わず爆弾のゴール・キーパーを演じてしまった整備員は、発止と受け止めた瞬間に弾き飛ばされ、空中で一回転して地面に叩きつけられた。即死だった。
 少数だが発火した爆弾もあった。燃料庫の前に留め置かれた給油車の大きなタンクを破裂させ、燃料を噴水のように撒き散らした爆弾は不発だったが、ボンネットに弾頭をぶつけた爆弾は撃発し、爆発を起こした。ボンネットの薄い覆いは簡単に突き破ったが、その下には固いエンジンがあった。触発信管に強烈な衝撃が伝われば、炸薬は猛り狂ったように弾ける。ボンネットが爆発した給油車は、忽ち全体が火達磨になった。この時に燃えるガソリンが飛び散って、火気厳禁の燃料庫の壁が燃え始めた。中は航空燃料を詰めたドラム缶で満杯だった。急いで消火しないと手の施しようもない大火となる。そこから少し離れた格納庫では、エンジンを抜き取られた二機のMe109が、オーバー・ホールの途上だったが、分解掃除したエンジンを組み込んで貰うこともなく、爆弾の餌食となって消し飛んだ。滑走路面で跳ねた爆弾が、地を這うような低い弾道で格納庫へ飛び込み、爆発したのである。
 緩い傾斜角で滑走路を突き刺した後、半ばめり込んで停止しながらも、「ぐわっ」と爆煙を噴き上げる爆弾もあった。落下速度や撃発角度が足りず、傾斜したまま接地すれば、爆弾は柔らかい土を削って跳ね飛んだだけかも知れない。しかし、上からでは見えないが、地中に埋もれている岩石などに衝突したら、強烈な衝撃が弾頭の触発信管に伝播し、爆発が起こる。
 食堂で腹拵えをしていたパイロット達が、大地震にでも襲われたような気分で外へ蹌踉めき出て見ると、戦闘機の半分は油断を嘲笑う炎に焼かれていた。または擱座して地べたにへたり込んでいた。大童で未だ無事な機の退避に駆け回る羽目になる。消防隊や救護隊もやっと動き出し、蜂の巣を突くような騒ぎになった。時機を失して鳴り響く空襲警報は単にやかましいだけだ。苛立ちを刺激して無性に腹が立つ。
 中には不運な〈リベレーター〉の中隊もあった。攻撃目標に達する手前で、Me109の小隊に遭遇したのである。目標を定めて爆撃針路に乗ると、回避行動は難しい。早々と諦めて逃亡するか、爆撃を続行するかの判断も微妙だった。が、この中隊は爆撃を続行した。その為、Me109の小隊が背後へ回り込み、攻撃して来た。
 後ろを飛ぶ二機の〈リベレーター〉は、背後至近からの機関砲射撃に引き裂かれ、相次いで墜落し、大地に激突したそれぞれの場所で爆発し、砕け散った。別な一機は爆弾倉の爆弾が誘爆し、空中で木っ端微塵に四散し、地上の葡萄園の上へ、夥しい大小の残骸を振り撒いた。この機の搭載爆弾が爆裂した破壊力は凄まじく、追突寸前まで追い縋って発砲したMe109まで巻き添えにして、機首全体を火達磨にした。良く見るとエンジン・カバーが吹き飛んでおり、DB601エンジンが剥き出しになっていた。そのエンジンが燃料を噴出し、火災を起こしていた。
 強烈な衝撃波を浴びた風防ガラスも木っ端微塵で、破片の雨に襲われた操縦席のパイロットも、血塗れになって朦朧としていた。機首を燃やしつつ、ゆったりと降下するMe109は、葡萄園の中へ緊急着陸――と言っても、パイロットが失神状態の為、脚を降ろすことも出来なかったが。胴体着陸したMe109は、樹木を薙ぎ払ったり両翼や尾翼を跳ね飛ばしたりで、散々な目に遭った揚げ句、三枚羽根のプロペラ全てを後ろへひん曲げた状態で、ボブスレーみたいに葡萄園の中を滑り続けた。最後に機体が地面から突き出す尖った岩に乗り上げて、前後二つに泣き別れた。火の回った燃料タンクも爆発して火を噴いた。機体の前部は斜めに飛び、葡萄の木に激突し、これをへし折って絡み付いた。跳ね上がった後部は別な樹木の茂みに落下し、枝を折りながら地面に落ちた。パイロットは計器板に頭を叩きつけて死んだ。頭蓋骨が砕けたら助からない。計器板も血塗れになった。
 Me109の攻撃は続いた。四番目に襲われた〈リベレーター〉は、機関砲弾の命中で大破した第二エンジンから赤く長い炎の尾を引いて降下した。昇降舵にも損害を受け、上昇が難しくなった機は、Me109に追跡されながら、ドイツ軍の巡察隊が駐屯する近くの小さな町へ向かった。飛行正面に、この町の大きさには不釣り合いな木造四階建ての大きな家具工場が出現したが、昇降舵が壊れて上昇できない〈リベレーター〉は、この建物へ一直線に飛び込んだ。旋回しても半円を描くように螺旋降下し、住宅地へ突入したろう。直進降下を続けて空き地でも探すしかなかったが、負傷した機長が目測を誤ったらしい。衝突前に仕留め損ねたMe109は、仕方もなく急上昇に移って、工場の上を飛び越えた。背後から執拗に発砲を続ければ、流れ弾でこの工場の壁や窓を撃ち壊したに違いない。爆撃機の機首が三階部分の板壁を突き破った時、それぞれ二基のエンジンを備えた両翼は、プロペラが邪魔をして壁に弾き飛ばされた。凄まじい衝突音が辺りに轟いた。双尾翼も削ぎ落とされた。ずんぐりした胴体部分のみが半壊しつつ、三階の工場内へ乱入する格好となり、歯の浮く軋みを発しながら板張りの床を滑った。巨大な芋虫とも見える怪物は、木工機械や製造中の家具部品、加えて、そこで作業していた数人の工員までも跳ね飛ばした。跳ね上げられた工員の一人は、高い天井から吊り下げられた照明器具に激突したほどである。機首のひしゃげた〈リベレーター〉は、床を二〇ヤード以上も滑ってから、反対側の壁を突き破った。出し抜けに飛び込んで来た機械獣は、その巨体を三分の一ばかり、ぬっと外へ突き出したところで漸く停止した。この人騒がせな怪物に突き飛ばされた小型の機械や組み立て中の調度品、板壁の切れ端などが、どっと下の道路に降り注いだ。これらの残骸は三階から飛び散りながら落下して、表通りを往来中だった町民やドイツ兵たちを仰天させた。
 二基のエンジンに被弾したもう一機は、炎や煙の尾を引きながら、町から逸れるように南へ向かった。住居の密集地や人が参集する場所へ突っ込めば大惨事になったろう。これを避けたい〈リベレーター〉は、町外れに川縁の土手を走る道路を見つけ、ゆったりした湾曲に添うように緩い旋回を続けながら不時着を試みて、その上に巧く覆い被さり、車輪をどうにか狭い路面に乗せた。機を無事な滑走態勢に入れることには成功した。〈リベレーター〉は狭い道路から逸脱しないよう、慎重に走った。右の車輪が道路から落ちたら川へ転がり込むかも知れないし、左の車輪が外れたら土手の斜面へ転落したろう。ところが一〇〇ヤード余りの正面に、ドイツ軍の装甲部隊が現れた。SS装甲師団の一群で、装甲戦闘車両の十数両を、訓練地へ運ぶ途上だった。それが傾斜した脇道から土手道へ、流れるように駆け上がって来たのである。ここでも双方に大混乱が起こった。
 先頭を行くオープン・カーで横柄にふんぞり返るドイツ将校は休暇の申請書を眺めていた。申請者の項目にはロベルト・ホフマン大尉と記入してあった。所属はSS第2装甲師団の第2輸送大隊だ。家族や親戚と一緒にオーストリア・アルプスへ夏スキーに出かける予定だった。記入に落ち度があれば休暇が台無しになる。が、「大尉。大変です!」と言う運転手の声で、目を剥く羽目になる。土手道に駆け上がって見ると、あろうことか、四発の重爆撃機が路上を突っ走って来たのである。〈リベレーター〉の第一エンジンは真っ黒な煙を噴き出しており、第四エンジンは赤々と燃えていた。ホフマン大尉は目を剥いた。「止まれ!」将校専用車の後部座席から身を乗り出す大尉は、運転手に大声で緊急停止を命じた。同様に驚いた運転手が無作為に急ブレーキをかけると、前へ投げ出される格好の大尉は、助手席の背もたれに胸をぶつけ、これを乗り越えて前部座席へ倒れ込んだ。背後には兵員輸送車、装甲偵察車、対空自走砲などが続いていた。先頭車が急停止した為に、これらが次々と追突事故を起こした。玉突き衝突になって、運転手や乗員たちは装甲車や偵察車、対空自走砲車の中で激しく揺さぶられ、あちこちにぶつかった。先導のオープン・カーは背後の装甲車――九トンはある重量級の車体に突き押されて、反対側の土手へはみ出すと、水嵩の多い川に向かって斜面を滑り落ちて行った。運転手は渾身の力でサイド・ブレーキを引き絞るが、タイヤは引っかかりのない雑草の上を、無情に滑り続けた。前の座席へ半分倒れ込む格好の大尉は、斜面の凹みで車がバウンドした際に飛び上がり、奇妙な格好で土手に投げ飛ばされた。オープン・カーは川へ飛び込み、休暇の申請書は宙を舞った。
 他方、路上を突っ走る〈リベレーター〉は、混乱する車列に突入する態勢になった。ここでの選択肢は二つしかなかった。このまま、混乱する装甲部隊の車列へ突っ込むか、土手を滑り降りて脇を流れる川へ飛び込むかである。翼面荷重の高い〈リベレーター〉は、高速の着陸に備え、抑止効果の大きいファウラー・フラップを備えたが、このフラップを全開しても、速度はななかなか緩まなかった。機長は取り敢えず無茶な急ブレーキをかけた。制動装置がタイヤを締め付け、急激な摩擦に耐え兼ねるような絶叫を発した。車輪は白煙を噴き出した。また舗装のない道が、濛々たる土煙を舞わせた。その後で、機長は、可能な限り減速させた機体を土手の斜面へはみ出させた。爆撃機は雑草が生い茂る緩やかな斜面を斜行したが、歪な負荷のかかった両脚が損壊すると、機は「ドスン!」と轟音を発し、土手の斜面へ腹這いになって、それから雑草の上をスルスルと滑った。後は川へ飛び込むしかない。
 先に川へ飛び込んだオープン・カーの運転手が、泡を食いながら立ち泳ぎしていた。すると、そこへ燃える爆撃機が突っ込んで来た。運転手は大急ぎで水に潜り危機を交わした。〈リベレーター〉がその後を追うように水面へ突っ込むと、派手な水飛沫が上がった。機内の乗員たちは七転八倒するしかない。
 これで爆撃を敢行しうるのは、生き残って町の上を通過したただ一機となった。ところが、この指揮官機は攻撃すべき目標――ドイツ空軍の基地を最初から間違えていた。そこにあったのは、東部戦線で疲弊したドイツ軍歩兵部隊の休息地だった。遠目には長閑な田園地帯に居座る飛行場と見えたが、そこは粗末な滑走路に簡易付帯設備を添えただけの衛星基地で、かつては故障機などの緊急避難の場として使われたものだった。しかし、多くの空軍部隊が東部戦線へ移動した今、滅多に使われなくなって、前線で疲弊した部隊の保養地に姿を変えていた。遠方から航空機と見えたのは、使い古された〈シュトルヒ〉連絡機や、ユンカース製の旧式なJu52輸送機など四〜五機で、補修の価値なしとして見捨てられた廃棄物だった。この指揮官機は、飛行場らしきものと、遺棄された旧式機を見つけたことで、割り当てられた攻撃目標と勘違いし、突入した。投下された爆弾は、しかし廃棄された航空機や滑走路には一発も命中せず、休息部隊の兵舎や寂れた格納庫を爆砕した。折角、東部戦線から休養にやって来たドイツ軍の歩兵部隊も、大騒ぎをしながら逃げ惑った揚げ句、消火と後片づけに死に物狂いで働く羽目になった。


〈リベレーター〉の標準的な防御火器は重機関銃一〇挺だった。たかだか一個中隊六機の小集団にしても、防御戦闘を始めれば六〇挺の機銃から周辺に火の雨を撒き散らして戦えた。然も、今回の陽動作戦では、〈リベレーター〉隊は少しでも動きやすいよう爆弾の搭載量を減らした上、普段より多くの銃弾を機内へ詰め込んでいた。故に、対空戦闘を強いられた爆撃隊は、盛大な弾雨をドイツ軍の戦闘機隊にサービス出来た。この雨霰と飛び交う機銃弾の中を飛び回って戦えば、攻撃する側も完全に無傷で切り抜けるのは容易ではなくなった。戦闘でのこうした大小の損害も、頻度を重ねると、損耗の累計は次第に耐え難いものになった。ドイツ空軍にも消耗戦の手厳しい現実を突きつけたのである。
 その意味では、決して派手な撃墜ばかりが空戦ではなかった。機体の損耗と飛行要員の負傷が続出すれば、虚弱化した戦隊はついには任務に適さなくなった。これが原因で、司令部に於ける机上の計算と実質的な戦力が異なる珍妙な情況も生まれた。安穏な後方で呑気になり易い司令部は、概ね前線部隊の戦力を過大評価しがちで、例えば基地に戦闘機が一〇〇機あれば、その数字を判断材料に都合の良い夢物語を独創した。内実は一〇機が長期間を要する修理中で、別に一〇機が不足した部品の到着待ち、一〇機はエンジンのオーバー・ホール中と言う具合だが。また、搭乗員も一〇名が戦死して一〇名は入院加療中、何人かは幾日後に戦闘に復帰しうるものの、その間にも、別な何人かが戦闘や訓練中の事故で失われると言った調子で、最前線の戦力は日々刻々と変動した。これを各地に展開する多数の航空団が繰り返すので、ベルリンの総司令部で前線部隊全般の情況を把握するのは夙に難しくなり、そこから様々な勘違いが派生した。
 例えば、「西部方面には五〇〇に近い戦闘機が配備されている。どうして三〇〇機しか出動できない?」と単純な疑問を発した。取り分け、パイロットの負傷は厄介な問題で、機体なら数時間の修復が可能でも、部品を取り替えるような手当が効かないパイロットは、傷が癒えるまでに数か月の期間を要することがあった。戦争神経症に陥った場合、患者がいつ完治して戦闘に復帰できるかは、医師にも正確には判らなかった。負傷兵が戦隊へ復帰する前に衰亡した部隊が解散し、隊員が回復しても戻る場所を失うこともあった。こうした段階を迎えて、改めて補充を間断なく継続することの難しさが身に染みて感じられる。
 新たに出現したMe109の一団も、機体のあちこちに見られる生々しい被弾の傷跡から、〈リベレーター〉隊と一戦を交えたことが即座に察せられた。編隊の中に眉を顰めるような機体も含まれていたのである。翼前縁の自動スラットが半分壊れたような機や、主翼や胴体、垂直尾翼などに幾つかの小孔を穿たれた機体、風防ガラスの醜いひび割れもそのままに、鮮血が飛び散った操縦席に、交代要員が乗り込んで出撃した機も中には混じっていた。丁寧に探したなら、コック・ピットの隅っこから、血に塗れた肉片や銃弾の欠片なども見つかったかも知れない。これもまた戦争が垣間見せる一つの顔だった。手傷を負ったまま、改めて出動したこの戦隊は、別働隊が操車場を爆撃した急報に追い立てられて、急いで現場に向かったらしい。差し当たり動ける機体を掻き集めて、新たな獲物を求めて再出撃したのである。
 前の小集団で戦隊を率いるMe109は、とっくに生産が中止された古いタイプのF4型だった。この中隊指揮官は、G型よりは運動性の良好なこの機を今でも好んで使っていた。他の機と後続の集団は、全てその後に量産を始めたこぶつきのG型各種だ。操縦席の少し前――機首上部の両側に、駱駝の瘤のような目立った二つの膨らみが突出しているので、G型以降のモデルはこの特徴から直ぐにそれと判る。速度は勿論F型より速い。
 四二年の中期から量産が始まったG型は、Fシリーズより強力になった一四七五馬力のDB605Aを搭載した。エンジンの強化によって速度と上昇力は確かに向上した。しかし、主翼面積に対する重量超過はひどくなる一方で、旋回性能はこれまでで最悪の戦闘機になっていた。おまけに貧しかったF型の兵装をそのまま引き継いだせいで、最終的には二万三〇〇〇機も生産されるG型の初期モデルは、依然として火力が劣弱なままだった。G1の標準兵装は、機首上部に軽火器が二挺と、プロペラ軸から発砲する高速機関砲が一門だ。機関砲を四門搭載するC型翼の〈スピットファイア〉との比較では、火力で四倍に近い格差をつけられたことになる。然も翼面の負荷が小さな〈スピットファイア〉は身軽に飛び回っており、速度も大して変わらないのだ。どう考えても不満足な戦闘機だが、取り分け問題だったのが機首上部のMG17で、火器の紹介でもくどくどと述べたが、機体の構造強化や防弾装備が発達した今日では、小口径の火器は玩具と変わらずで、搭載しても自己欺瞞の慰めとしかならなかった。軍用機は多発形式で馬力に余裕のある爆撃機に止まらず、単発の戦闘機も含めて、およそ戦闘圏を飛び回る機体の多くが耐弾性の強化に勤めたので、所謂、ライフル口径弾――第一次大戦から使われている三〇口径の銃弾を利用した軽機関銃は、今や「豆鉄砲より増し」と言う程度の、自嘲の対象でしかなく、小型の戦闘機と戦う場合でも、狙撃兵のような正確さでパイロットを死傷させない限り、撃墜の足しとはならなかった。更に大型の重爆撃機ともなると、防御用に搭載される装甲板の重量が極端に跳ね上がり、総量は優に二〇〇〇ポンド(約九〇〇キロ)を超えたので、軽機関銃の銃弾を猛射しても、大部分は虚しく跳ね返されるばかりだった。とすれば、実戦で役立つのはモーター・カノンが一門だけとなる。これで「戦いに望め」と言うなら、はっきり言って非常識と誹られたろう。戦闘の現場から厳しく責められても反論の余地はなかった。
 この欠陥は〈空の要塞〉が欧州に出現した頃――四二年の夏から秋にかけてだが、初期の重爆撃機との対戦で早くも露見した。四〇年に活躍したMe109E3型なら、両翼にもそれぞれ一門の機関砲を備えたので、合計では三門となり、〈空の要塞〉を相手とした戦いでも、それなりの威力を示せたが。当時使われた機関砲は、初速も発射速度も低い旧式のFF型だった。だが、相手は直線飛行が専門の大型機だ。旧式の機関砲でも三門から一斉に発射すれば、それなりの効果を上げたろう。ところが、Me109F型からは主翼の火器が撤廃され、機関砲はモーター・カノンがたったの一門になる。空気抵抗や重量を軽減して性能を追及したのか? 主翼に各一門の機関砲を備えてどれだけ抵抗が増えるだろう? イカリアMGFFの重量にしても、砲、弾倉、弾薬を含めて一門につき三〇キロほどだったが。
 F型を企画した段階で、単純に今後に控えた重要な課題――つまり大量生産を考慮すると、主翼の内部には邪魔物などない方が良かった。それだけ翼内構造が簡略化され、生産には都合が良かった。主翼に機関砲を内蔵する場合、砲身を貫通させて固定する必要から、構造的には極めて重要な主桁に穴を開ける羽目になるが、これには面倒が増える上に桁材の強度を弱める弊害が伴った。主翼全体の強度まで弱くした。他には弾薬箱の確保、弾帯を装填する為に必要な扉、機関砲そのものを点検するアクセス・ドアも必要だったし、おまけに電気発火の配線、装弾子の処理や、空薬莢の排出処理までも併せて考えねばならなかった。役にも立たない空の薬莢は、射撃時に空中へ遺棄して構わないが、砲弾を連結する装弾子は、回収すれば再利用できたので、こちらは翼内へ貯め込んで持ち帰っても良かった。こうした問題から、機関砲を組み込んだ主翼は内部構造が複雑化し、重量負担も大きくなった。何よりも製造行程が増え、経費まで余分にかかった。そこで、量産に比重を置いたF型からは、この面倒が省かれてしまい、武装は機首だけに止められた。基本となる兵装は、上部に玩具のような軽機関銃が二挺と、プロペラ軸から発射する機関砲――モーター・カノンが一門だけだ。
「実用に値するのは機関砲が一門のみか? 生産者には合理的な処置だって?」火力の強化を求める戦場から見れば、これは狂気の沙汰とも言える本末転倒だった。「翼内砲の搭載を非合理と勝手に決めつけて良いものか?」いや、この時代、世界の多くの航空機製造会社が、主翼に火器を備えた戦闘機を当たり前のように設計したし量産もした。多くの設計者や会社、空軍当局が、これを非合理などとは夢にも思わなかった。火力の優劣は戦いの勝敗を左右したので、多くの軍やメーカーが、これを妥当な処置と受け止めている。そうした大勢を基準として、メッサーシュミット教授と空軍技術局が選んだ措置を吟味するなら、それこそ誤った合理性の追求と処断されるべきだった。率直に言うなら無知と非常識だ。
 この為、F型は飛行性能が向上したが、火力面で大きく退歩した。当初はエンジンにも問題があって、一三〇〇馬力のDB601Eの生産が間に合わず、一時的な馬力の上昇装置をつけたDB601Aでお茶を濁した。火力に不安を感じさせる新鋭機だが、東部戦線へ配備されたF1、F2が、一九四一年の六月に始まった独ソ戦の初期に大活躍したのは、ソ連空軍機の大半が年代物の旧式機だったお陰だ。東部戦線でMe109Fの前に現れたのは、呆れる骨董品の大群だった。従って、中古の敵機を蹴散らせば良いロシアでは、火力の非力なF型でも特に問題は起きなかった。ドイツ戦闘機隊は空飛ぶがらくたを駆逐して、初戦の大勝利に花を添えている。
 が、西部戦線に屈強無比なB17〈空の要塞〉が現れると戦況は一変した。F型の機首を飾る軽機関銃は役に立たず、ここでは実質的な効果と言う面で、たった一門のモーター・カノンに頼って戦わねばならなかった。その結果、強靱な重爆撃機が相手では、呆れるほど軽武装のMe109Fは、殆ど役に立たない戦闘機となった。この時代の先端を行く戦闘機が、重機関銃なら六〜八挺、機関砲なら四門を標準装備したことを考えると、F型の火力は惨めなまでに劣弱だった。F2の生産途中から、発射速度が大きくて有効射程も長いモーゼル社の重機関銃――口径一五ミリのMG151-15が導入されるが、やはり威力の面で不満が残り、問題の払拭には至らなかった。四二年になると、DB601Eエンジンの生産が軌道に乗り、F3型以降は一三〇〇馬力のエンジンが標準搭載される。F4からモーゼル社の電動式高速機関砲が搭載されて、六〇発しかなかった常備弾薬も、一五〇発に増量された。だが、機関砲そのものは相変わらず一門のままだった。
 このF型の後で、全生産の七割を占めるG型が登場するが、火力に対する現場の不満は無視されたまま、四二年の五月から生産が始まる。最初のG型が搭載したエンジンは、DB605Aの一四七五馬力で、これはG型の戦闘最大速度を三三〇ノットに引き上げた。如上したように、モーター・カノンに常備される弾薬の量も増えている。しかし、決して充分とは言えない一五〇発の砲弾を撃ち尽くすか、戦闘被害などを含めて機能不全に陥ると、残りは機首に搭載した軽機関銃が二挺だけの惨めさとなった。こちらは各五〇〇発が常備されているが、繰り返し述べたように、盛んに乱射しても、弾丸そのものに威力がない為、虚仮威しの役にしか立たなかった。複葉機を撃墜するなら未だしも、遙かに巨大で頑強な〈空の要塞〉が相手となると、その巨躯に引っ掻き傷をつけるのが関の山だった。これでは撃墜など夢のまた夢で、絵空事に堕ちてしまう。
 B24〈リベレーター〉も含めて、二五〜三〇トンに達する大型機への攻撃を優先するなら、今やお粗末の極みとなった火力の改善こそがMe109の死活問題となった。そこでG型への重機関銃の導入が図られて、玩具に等しいラインメタル製のMG17を、同社の重機関銃MG131と交換することになった。メッサーシュミット社が、火力を強化しないので、改造は現地の戦闘航空団が勝手に実施している。ただ、重機関銃と換装して見ると、MG131は機関部に弾薬を導く給弾機構が大きく、機首の上へ飛び出す格好になった。そこで機首を覆うカバーに駱駝の瘤のような膨らみを設け、突出部を巧みに覆った。機体表面を流れる気流も、空気抵抗が最小になるよう滑らかに整えられた。これが『瘤つき』――G型が〈グスタフ〉と渾名されるようになった由縁である。因みにE型の愛称は〈エミール〉、F型は〈フリードリヒ〉、最終モデルのK型は〈クーアフュルスト〉だった。
 G1に続いて登場したG2は、主に威力偵察を兼ねた戦闘偵察機として生産され、一部は爆撃の任務も果たせるよう、胴体下に爆弾の懸架装置まで追加された。戦闘、偵察、爆撃の兼任である。純然たる偵察機は余りにも非力で、敵の戦闘機に補足されると危うかったが、戦闘力を併せ持った偵察機なら生存の確率も高まった。同時に爆撃任務もこなせると、一機種を多目的に使えて便利だった。ただ、最初から小柄に作られた上、奇妙な角度を持った主脚の構造まで弱かったMe109には、大型爆弾を懸架することが難しく、地上攻撃を行っても威力は過小だった。怪物級の〈サンダーボルト〉と比較しては不公平だが、こちらがその四倍の積載量を誇ったことと対比すると、やはり貧弱に見えた。
 G3はG1の機体に新型の高出力無線機を搭載した型で、G4は操縦席の与圧装置を撤去した軽量化モデルだった。元々、翼面荷重が高くて旋回能力が低いMe109は、重量増加に伴ってこの数値もどんどん大きくなり、運動能力を悪化させたが、低空から中高度での任務に特化するなら、高々度用の装備など無用の長物だった。余計なお荷物は撤去して軽量化し、空戦能力を少しでも高めるのが上策だったろう。G5型になると、一段と強力になったDB605Dエンジンが積載され、緊急時には制爆効果を高めて吸気圧を引き上げる水メタノール噴射装置を利用して、一時的でも最大出力を一八〇〇馬力まで引き上げられた。この型から機首上部に装備される機銃が、正式に重機関銃のMG131となる。やっとのことで、少しは増しな兵装の戦闘機になったと言う感じか――現地部隊が勝手に改造してしまうなら、最初から工場で組み込んだ方が利口と結論したようである。重機関銃を導入する実験そのものは、四一年の初期から行われていたが、正式採用まで如何に長かったことか。無論、重機関銃が二挺に機関砲が一門でも、決して充分とは言えなかった。他国で活躍する戦闘機と対比すると、やはり火力は下位にランクされた。その後に量産されるG6型では、執拗に叫ばれる兵装強化に根負けする格好で、モーター・カノンに口径三サンチのラインメタルMK108機関砲が導入されている。しかし、日増しに多くなる新人パイロット――全般的な射撃技量の低下を念慮すると、何よりも肝心なことは、火器の数量を如何に増やすかだったが。
 ことMK108に関する限り、三サンチ砲弾が引き起こす爆発力は激烈だった。弾体重量が一一オンスと重くなった砲弾は、内蔵される炸薬量も増え、威力は二サンチ砲弾の三倍近くあった。被弾する場所によって効果は異なるが、概ね二〜三発の命中で、頑強な〈空の要塞〉に致命傷を与えることが出来た。その反面、やはり問題だったのが重い砲弾につき纏う低い初速で、MK108の一七五〇フィート/秒の威力では、米軍爆撃機が搭載するM2の二七五〇フィート/秒と戦う時、有効射程五八三ヤード対九一六ヤードの差――不足分の三三三ヤードが、交戦の少なからぬ障害となった。有効射程が時代遅れのエリコンFFと大差なかったので、発射母機は相も変わらず攻撃対象へ肉薄する羽目になった。当然ながらG6が激しい反撃を浴びる時間もそれだけ長くなった。
 迎撃する側から見た場合、通常は四〇〇ヤードも離れると、襲いかかる戦闘機は虫ほどの小さな存在になった。こんなに小さな移動標的に集中弾を叩き込むのは、決して生易しくない。それなら、攻撃する側の機関砲の有効射程が五八三ヤードあれば、敵に捕捉されない位置からの発砲が可能になり、見かけ上の距離は充分とも予想される。だが、この結論は早計で、発砲する戦闘機自身も高速で対象物へ突進しており、この余勢に突き押されるG6が、爆撃機に異常接近する確率が高くなった。戦闘速度そのものが、低速の機関砲を搭載したE型の頃よりも速くなっていたのである。必殺の一撃を放つのと引き替えに、爆撃機に近寄り過ぎたG6が、防御砲火を浴びて撃破される危険も大きくなった。射撃後、反転離脱し、安全圏へ退避するまでに被弾する確率が、口径二サンチのモーゼル砲を使って攻撃する場合より、逆に高くなってしまう。モーゼルMG151-20なら、有効射程が八三三ヤードあったので、多少の余裕を持って発砲し、早めに身を翻すことが出来たが。ただ、こちらは三サンチの機関砲に比べて威力が弱いので、弾量を多く撃ち込むか、反復攻撃を繰り返さねばならなかった。二サンチの機関砲で〈空の要塞〉を撃墜に追い込むには、少なくとも二〇〜三〇発――若しくはそれ以上の命中弾が必要だった。因みに、ここに挙げた撃墜の弾数は極めて大雑把な目安である。側面から飛来した一発の機銃弾が、並列座席に並ぶ二人の操縦者を一辺に撃ち倒すと、操縦者不在の〈空の要塞〉が呆気もなく墜落する可能性があり、これなら一発で事足りた。しかし、他方で、一〇〇箇所以上も被弾した〈空の要塞〉が、平然と飛び続けて基地に舞い戻った例も少なくなかった。念の為に付言すると、これは「一〇〇発の命中弾を受けた」と言う意味ではない。機銃弾が機体を貫通すると、一発で二つの穴が開くし、機関砲弾は内臓火薬で破壊した弾体を四散させるので、命中弾は一発でも、あちこちに多くの破孔を生じた。物凄いのは一〇〇〇箇所を超える弾痕を穿たれた〈空の要塞〉が、「白蟻に食い荒らされたあばら屋」みたいな奇態で帰着した珍事で、呆れた乗員が弾痕を数えて見たが、被害箇所が多過ぎて、途中で勘定を諦めている。ゆえに正確な記録は残っていない。
 Me109の火力に話を戻すと、命中すれば強烈な威力を放つ三サンチ機関砲も、たった一門しかなく、有効射程が短いこともあって、攻撃力は不充分と見なされた。メッサーシュミット社や空軍技術局に翼内砲の装備を無視されては、数量の問題が解決される見込みも立たなかった。重機二挺と機関砲一門を機首に集めると、狭い範囲への集弾しか期待できず、ここから狙撃兵のような撃ち方を強いられて、射弾が外れることも多くなった。両翼にも機関砲があれば、重機二挺に機関砲が三門となり、砲弾の散布界も拡がって、命中弾を得る確率も高まったが。戦闘の現場では、新人の占める割合が大きくなっており、経験不足の彼等に、いきなり名人級の射撃を期待するのは酷だった。現実に即応するなら「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式に頼った方が利口で、今や武器の性能より数量が問題だった。こうした欲求に答える形で、ドイツ空軍は戦闘機の主翼の下へ貼りつけるバスタブ(浴槽)形式の機関砲ポッドを開発した。主翼の内部へ火器を組み込むと、いやでも構造が複雑化し、大量生産に不向きの問題を蒸し返したので、この面倒を避けて火力を増強するなら、機関砲内蔵ポッドを別に製造し、これを主翼の下に取りつけるしか手はなかった。これなら操縦席の火器管制装置に配線だけ繋ぎ、ポッドに収めた機関砲を遠隔操作して、電気発火させれば良かった。Me109はこのポッドに二サンチのモーゼルMG151機関砲、または三サンチのラインメタルMK108機関砲を搭載して出撃した。
 もし、評価を攻撃力のみに限定するなら、機関砲ポッドを追加したMe109は、やっとまともな攻撃力を備えたと明言できた。機種とポッドの種類から、様々な組み合わせが考えられるが、G6型にMK108のポッドを追加装備した場合、火力は重機関銃が二挺に三サンチの機関砲が三門となった。この組み合わせなら、他国の戦闘機の破壊力を凌駕した。これまで惨めな兵装に泣かされて来た戦闘機が、突如として重武装の戦闘機に変身したように見える。翼下のポッドから黒々とした機関砲の砲身を突出させ、猪突猛進して行く様は圧巻で、その勇猛な姿は空飛ぶ高射機関砲──多連装の対空火器と戦闘機を合体させた風情を醸し出し、傍観者たちに目を見張らせた。一斉射撃で爆撃機を破壊する姿も迫力満点――と、ここまでは調子が良かったが。
 勿論、欠点もあった。不始末なことに、武装強化と引き替えに、大きくなった空気抵抗と重量が、肝心な飛行性能を著しく妨げたのである。空戦には欠かせない運動能力を劣化させ、これが死活問題となった。戦闘機が俊敏かつ軽快に戦うには、身軽なことが絶対条件で、重量は徹底的に軽減されることが望ましかったのである。力学的に無駄のない美しさも、空気抵抗の低減には極めて重要だった。勿論、所詮は単なる戦争の道具でしかない兵器を、「優美なデザインで装飾しても仕様がない」と一蹴すればそれまでで、速やかな敵の撃破と言う名目が適うなら、兵器の役目はそれで充分となる。しかしながら、効率の極致を求めれば、自然に洗練された機能美などが派生して、そこから得も言われぬ雰囲気が滲み出るものだ。特に空力特性と呼ばれる繊細な世界は、無様な体裁には美観の欠如を嘲るように罰を与えることが多かった。帝国に降り注ぐ爆弾の雨と言った窮境から、対爆撃機戦闘が重視されたのは止むを得ないが、即物的にお荷物を抱えたMe109の性能低下は、戦闘機との空戦に巻き込まれた条件下で極めて深刻な危地を招来した。
 爆撃隊に護衛の戦闘機が随伴しない情況では安楽だったが、長距離を飛べる〈ライトニング〉、〈サンダーボルト〉、〈ムスタング〉などの戦闘機と鉢合わせすると、動作が愚鈍な火力増強型のMe109は困窮した。対戦闘機戦闘が始まると、重量超過のMe109はいいように蹴散らされ、追い回され、簡単に捕捉されては撃ち砕かれた。手も足も出せないままに撃墜されて燃え落ちる無様さで、これでは羽の生えた棺桶と変わらず、爆撃機の攻撃など論外となった。結局、火力を増強したモデルは、ただでさえ不人気だったG型の中でも最悪の代物となった。劣化した運動性は致命的で、連合軍の戦闘機と遭遇した時は、Me109は脇目も振らずに逃げ出すより手がなくなった。「敵の戦闘機と遭遇したら逃げ出さねばならない? これで戦闘機と呼べるのか?」の惨めな状況だが、重爆撃機の編隊に接近する前に撃破されては元も子もなかった。欠陥が暴露された時点で、機関砲ポッドを増設する意義も根底から失せた。その結果、対戦闘機戦闘では命取りになるポッドを撤去するか、兵装の軽い戦闘機を別に同伴させ、助勢に頼るかの、またもや厳しい選択が戦闘機隊に突きつけられた。軽装備のMe109が敵の戦闘機と戦っている間に、最初から武装の強力なFw190が爆撃機の攻撃に向かう選択肢もあったが、フォッケウルフの戦闘機には過給器に重大な欠陥があり、米軍の戦爆連合が飛翔する高度での交戦が苦しかった。
 邪魔なポッドを取り去れば、戦闘機との空戦はどうにか行えた。しかし、この段階で弾薬を消耗すると、護衛戦闘機の群れを突き抜けて爆撃機に追い縋った時、肝心の弾薬が足りないか、すでに撃ち尽くして皆無の情況に陥った。こうなると手が届く位置まで爆撃機に近寄っても仕様がない。となれば、戦爆連合の来襲を迎え撃つ側も、攻撃機に護衛機を同行させる――重火力のMe109と軽装備のMe109が協同して戦うより手はなくなった。爆撃隊が護衛戦闘機を伴って現れるなら、専用の迎撃機も、軽快な戦闘機の護衛を伴って立ち向かう込み入った戦争だ。双方を支援する戦闘機が丁々発止と戦っている隙に、重武装のMe109が〈空の要塞〉や〈リベレーター〉を攻撃すれば良い。理屈の上ではそうだった。ところが、中隊規模の小競り合いならいざ知らず、二〇〇機、三〇〇機を超える大集団が空中で激突すると、一旦、戦端が開かれたあとは収拾のつかない大混乱に陥って、大抵の場合、密接な援護行動は有名無実と化した。こうした局面での護衛戦闘機の立場は微妙で、お荷物に足を引っ張られて身軽に動けないことが多く、代わりに銃撃を浴びて火を噴く悲運を囲った。一度に二つの異なった任務を遂行するのは難しく、通常、護衛戦闘機は敵機との攻防に忙殺されて、守護する対象が屠殺場に引き出された家畜のように抹殺されても、まず防げないことが多かった。攻撃機を戦闘機が守り抜ける条件が一つあるとすれば、それは膨大な数量が整った時だけである。自由に活動できる前衛部隊が露払いを勤め、敵機を本隊に寄せつけないこと――すなわち、制空権の完全な支配が枢要となった。もし前衛部隊が乱戦に巻き込まれ、空の最前線が突破されると、背後に控える爆撃機の攻撃隊も我が身が危うくなった。敵機に突入されて攪乱されると防御隊形は済し崩しに壊れるので、結局、組織的な援護行動は霧消した。地上戦なら立ち止まって戦況を概観し、改めて部隊を立て直せるが、空中に停止して隊列を整えることが出来ない航空戦は、各機がてんでに好き勝手な方角へ飛び去ってしまうので、一度乱れた隊形の復元は至難だ。迎撃機と護衛機──この機数を多く取り揃える課題にしても、大軍を必要とする東部戦線への配備がいつも優先されたので、補充が二の次となる西部方面は、常に戦闘機が足りない窮状だった。おまけに首脳部の石頭どもは、空の戦いが決定的な段階を迎えるまで、「米軍機にはドイツの心臓部へ踏み込む能力などない。心配は無用」の一点張りだったのである。楽観論を振り回して得意顔の張本人は、主に空軍司令官のゲーリングだったが、こんな状態でどうやって防空戦を戦えば良かったのだろう?
 憂慮は他にもあった。終始Me109につき纏った搭載燃料が乏しい弱点だ。この恒常的な欠陥はMe109の秘めたる能力をかなりの割合で削ぎ、非効率を生んだ。英本土で苦汁を呑んだあと、着脱式の増櫓(ドロップ・タンク)をE7型から標準装備としたが、作戦距離を伸ばしたことで問題が片づいたかと言うと、答えは遺憾ながら「否」だ。問題の根本は決してそうした短絡的な場所には存在しなかった。一方で足手纏いになる増櫓は、戦闘直前に切り離すので、空戦と帰還は機内燃料で賄わねばならない。ここが肝心な点で、機内燃料が少ないと、やはり交戦時間が少なくなったのである。ドイツ本土に押しかけた〈ライトニング〉、〈サンダーボルト〉、〈ムスタング〉も、当然ながら増櫓を使ったが、投棄して戦闘状態に入っても、Me109の倍以上の燃料を積んでいたので、たっぷり空戦して帰還することが出来た。ある戦闘の後、〈ムスタング〉は空からベルリンを見物して帰って行った。すでに撤収しているドイツ戦闘機隊には情けない話だが、もし米軍機の機内燃料がMe109と同等だったら、手合わせの後、直ぐに引き揚げねばならず、威力も半減して、戦争の趨勢も変わっていたろう。
 機内燃料が乏しいと満足に戦えない──これには重大な意味があった。極論を言えば、ドイツは「勝てない戦闘機を開発して戦争を始めた」ことになる。地球規模の世界大戦に乗り出せば、地球規模で飛び回れる作戦機が必要になるが、ドイツ空軍はこの思想を持たず、短距離戦闘機の開発に血道を上げた。武士道に置き換えるなら、決闘に赴く侍が、脇差しだけ持参するようなもので、これでは非常識と言われたろう。
 開発の背景を探って見ると興味深い。Me109が登場した時代――三〇年代中期を振り返って見ると、航空の分野から見た世界はまだ狭小で、近代化の曙が到来し始めた戦闘機にしても、複葉機から低翼単葉機への移行がやっと活発化し始めたばかりだった。当時の世界を眺めると、アメリカでは三三年に禁酒法が廃止され、ニューディール政策が始まっている。三五年は独裁者ヒトラーが再軍備を宣言した年で、『日独防共協定』が締結されたのは三六年だった。こうした時代、手に入った戦闘機用エンジンは数百馬力が精々で、この馬力に頼らざるを得ない機体は、速度が遅い上に行動半径も狭かった。全般的な搭載力そのものも小さかった。もし燃料の大量搭載を企て、機体を途轍もなく大型化すれば、非力なエンジンはこの重さに苦しんでのたうち、低速で愚鈍な機体――言うなれば「うすのろの燃料運搬機」に化けたろう。寧ろ、限られたエンジンの馬力を徹底して活かすなら、機体は小柄で軽い方が好ましかった。小さな機体は表面積が少なく、空気抵抗を減らしたし、軽い機体はエンジンへの負担も低減した。ここから小型戦闘機として生まれ落ちたMe109は、或る意味、「登場が早過ぎた英雄」となる。
 そうした情勢の中で勃然と台頭したドイツ空軍が、第三帝国の「剣」となる運命に挑む。ゲルマン英雄伝説の現代版とも言うべきナチスの世界制覇に挑むなら、取り分け、近代的な戦闘機の開発と装備が必要だった。卓越した戦闘機を開発できるか否か──これは国家の浮沈に係わった。ここから新時代を担う戦闘機の競争試作が行われ、メッサーシュミット教授の設計したMe109が革新の産声を上げる。この時、アラド社は固定脚のAr80、フォッケ・ウルフ社はパラソル翼のFw159、ハインケル社は開放座席のHe112を送り出した。他社の作品はいずれも旧弊な設計だったが、ハインケルの試作機は存外に性能が良く、Me109と大差なかった。しかし、ハインケルは民間輸送機の生産と、これを転用した爆撃機の開発、更にユンカース社のJu87急降下爆撃機に対抗してHe118まで開発しており、戦闘機まで量産する余力がなかった。こうして勝ち残ったMe109は、デザイン的にも洗練されており、上辺は未来の英雄を彷彿とさせた。
 空軍上層部には意外な結果だった。当時、教授が勤めていたBFW社は、外国からも航空機製造の注文を受けたので、病的な国粋主義を標榜するナチスと厳しい対立関係にあったのだ。ナチス・ドイツから見れば、国家への奉仕を第一義としないなら、「会社も教授も国策に刃向かう反動分子」に該当した。教授は教授で、上層部と特定の航空機会社の癒着を手厳しく痛罵したので、双方の間には仇同士みたいな雰囲気も生じていた。しかし、Me109が勝ち残ったので、当局もその才能を認めざるを得なくなる。が、いずれにしても、三〇年代前期の一般論として、地球的な規模の航空戦が訪れる未来を予測した者はなく、技術や産業の一般的な水準も未成熟で、それを賄うだけの実力を備えていなかった。これは当時の外界を見渡せば一目瞭然となる。木材や鋼管構造の胴体に羽布を張った戦闘機が、まだ数多く飛び回っていたし、漸く流行し始めた全金属製の機体にしても、固定脚の機体や風防を持たない小型機が多かった。半分茶化して評すと、雨が降ったら傘を差して飛ばねばならない戦闘機が、第一線の機体として君臨したのである。三〇年代前期に羽振りを利かせた戦闘機の飛行時間は、長くても精々二時間だった。そうした意味で、この時代に製造された戦闘機は、須く狭い地域でしか使えない局地戦闘機の範疇に押し込めて良い。この時代に七〜八時間の巡航飛行――距離にして「二〇〇〇マイル飛ぶ戦闘機を作る」などと公言すれば、きっと「気が触れている」と笑い飛ばされたろう。
 太平洋戦争が始まる少し前の一九四〇年夏――絶妙な時期に登場した〈零戦〉や、大戦後期に本格化する〈ムスタング〉は、その二〇〇〇マイルを平然と飛んだが、登場の早過ぎたMe109(試作機の完成は一九三五年九月)が、短距離しか飛べない局地戦闘機に成り果てても、その時点では少しも不思議はなかった。航続距離五〇〇マイル足らずは、当時の常識に適っていたのである。使える戦闘機用エンジンの出力が七〇〇馬力しかなかったので、設計者はここから最大限の性能――戦闘力を限界まで引き出す工夫を凝らすしかなかった。
 完成したMe109は最大速度二五三ノットを発揮したが、試作機V1の全長は八・三七メートル、翼幅が九・七一メートルで、全備重量は二トンに充たなかった。大きさとしては、その後に覇を競う好敵手の〈スピットファイア〉より一回り小さい。大戦以降に登場した各国の主力戦闘機と比較するなら、Me109の機体外形は最小レベルと言って良く、大戦の後半に登場して暴れ回った巨漢戦闘機の〈サンダーボルト〉や〈ヘルキャット〉から見れば、Me109は「お子様用の戦闘機か?」と見紛うほど小さく見えた。後者は二〇〇〇馬力エンジンの実用化が見込める時代に設計が始まったので、乾燥重量一トンの怪物エンジンを積み込まねばならず、ここから機体は仕方もなく巨大化し、呆れるほど重い戦闘機となったが、アメリカには高馬力エンジンを幾らでも量産でき、更なる馬力の向上も可能と言う下地があったので、五〜六トン級の戦闘機開発にも特別な抵抗はなかった。恣意的な比較になるが、主翼面積が三〇平方メートルもある巨漢戦闘機〈ヘルキャット〉と比べると、Me109のそれは半分程度しかなかった。これでは「お子様用の戦闘機」と見られても不思議はなかったろう。
 平和な時代に試作機V1が搭載したエンジンは、英国から輸入したロールス・ロイス〈ケストレル〉六九五馬力で、失速を防ぐ為に導入された主翼前縁の自動スラットはハンドレ・ページの製品だった。エンジン同様にこちらも英国製だ。最初に使用したドイツ製のシュワルツ型木製プロペラは不評だったので、米国ハミルトン・スタンダード社とライセンス契約を結んで製造した、金属製の可変ピッチ・プロペラに変更した。つまり英米独の製品が合体して、Me109の原型一号機が完成したことになる。この頃には英国でも初代〈スピットファイア〉が完成していた。これは余り見栄えのしない無骨な戦闘機で、ごつい固定脚が冴えない上に、異様に分厚い逆ガル翼を突き出した、世にも怪奇な感じの戦闘機だった。落胆を誘う雰囲気さえあって、後に有名になる流麗さは影も形も見当たらなかった。英独航空決戦に颯爽と登場する流麗な〈スピットファイア〉は、設計を抜本からやり直した二代目である。陳腐な先代から名前だけ継承したものだった。因みに二代目の〈スピットファイア〉が初飛行したのは一九三六年三月五日で、三〇二ノットを発揮し、〈ハリケーン〉は三五年一一月六日に二七二ノットを記録している。
 Me109に話を戻すと、見かけは精悍な雰囲気を醸すものの、競争自動車みたいに機体が小さかったので、機内へ搭載できる燃料櫓もこれに比例して小さくなった。英本土航空決戦に登場した運命のE3型で紹介するなら、容量はたったの三三三リットルだ。その二倍から三倍の容量を持つ戦闘機を開発した日米の設計者たちから見ると、この数字は信じ難いほどの少なさだった。容量は航続性能だけでなく、交戦可能時間にも重大な影響を及ぼすので、事前にこの量を知ったら、「それっぽっちの燃料で、一体、どうやって作戦行動を行い、空戦を戦うのか?」と呆れ返ったに違いない。大戦が始まる直前になると、一〇〇〇馬力を超えるエンジンも登場し始めるが、数年前に、六九五馬力の〈ケストレル〉を前提に作ったMe109の外形には目立った変化もなく、概ね速度追求の偏った思想から、小柄な機体へ新型エンジンを積み込む方式で、性能向上が続けられた。もし、一〇〇〇馬力級のエンジンが登場する時代に設計を始めていたら、メッサーシュミット教授も、もっと余裕のある大きさで機体を設計したかも知れない。戦闘機の発達史を眺めると、三〇年代の後期――Me109の正式採用が決まったあとだが、この頃から、それまでより一回り大きな戦闘機が続々と登場し始める。大戦も後半になると、肝を潰すような怪物級の戦闘機まで出現した。P47〈サンダーボルト〉、F4U〈コルセア〉、F6F〈ヘルキャット〉などは、全備重量、主翼面積とも、Me109の二倍近くあった。
 P47〈サンダーボルト〉と比較すると、Me109は遊園地の飛行機みたいに小さく見えた。小型の戦闘機ばかり飛び回っていた時代に設計されたことも前にも述べた。やはり時期的に不運だったろうか? いや、そうした理由づけだけでは単純に済まされない面があった。パイロットが眉を顰めるほど小型にしても、空気抵抗はさほど減らないことが、その後に登場する多くの機体によって証明されているからだ。Me109と同様、液冷式エンジンを搭載した機体で言うなら、英軍の〈スピットファイア〉、米軍の〈ムスタング〉、日本の陸軍戦闘機〈飛燕〉などがあり、これらはいずれもMe109より大きく重かったが、それらが登場した時代に飛んでいたMe109よりも、速度は同等か寧ろ速かったし、運動性の面でもずっと良好だったのである。
 日本陸軍の三式戦闘機〈飛燕〉は、ドイツから輸入したDB601Aをパワー・プラントとして、川崎航空が設計した戦闘機だ。同じエンジンを使ったE型が二・五トンで三〇八ノットだったのに対し、こちらは三トンの重量を持ちながら三一九ノットを発揮している。速度だけでなく、運動性でもMe109を凌いでいた。重いと翼面荷重が悪くなり、不利を被るが、〈飛燕〉は長い主翼(一二メートル)と大きな面積(二〇平方メートル)を備えたので、一平方メートル辺りの荷重は大差なくなった。その上で主翼のアスペクト・レシオ(縦横比)を大きく取り、上昇旋回率の向上を狙ったので、この設計に軍配が上がった。但し、比較試験で好成績を収めたあと、軍から戦闘力強化の注文が出され、もっと重くなったので、量産型では全般的に性能が低下した。〈飛燕〉一型では最大速度が三〇二ノットになり、Me109よりやや遅くなった。が、燃料の搭載力に関しては、Me109E型が機内タンク一つに三三三リットルだったのに対し、〈飛燕〉は機内に三つのタンクを持ち、五三五リットルを積載した。増櫓は二〇〇リットル二つを翼下へ懸架したので、総容量では九三五リットルになった。巨大な戦線で使用する目的から、軍から更なる航続力延長が求められると、一型改では内部容量を六四〇リットルまで増量し、総容量を一〇四五リットルに高めている。〈飛燕〉はこれで六時間近く飛行することが出来た。
 こうして比較して見ると、小さく軽く作った割に、速度が充分に出ていない上、運動性能も悪いMe109の設計に疑問符がつく。メッサーシュミット教授の作品は、上辺は空気抵抗軽減の合理性を追求して、小さく纏め上げた設計に見えるが、寧ろ小さく作り過ぎた反動から、翼面荷重が高い、燃料、火器、弾薬などが充分に積めないなど、欠点ばかり目立つ格好になっている。七〇〇馬力程度のエンジンしか手に入らなかった時代、他国に優る高速戦闘機を開発しようと思えば、馬力を徹底して活かす小型化は避けられなかったかも知れないが──大きく作れば重くなり、その重量が馬力を食って、速度も遅くなったからである。理論上はそうだった。間もなく国産ダイムラー・ベンツのエンジンが一〇〇〇馬力に達するが、これを載せて大戦に踏み出すE型の最大速度は三〇八ノットだった。英国ロールス・ロイスの〈マーリン〉も一〇〇〇馬力を上回り、これを搭載した〈スピットファイア〉一型の最大速度は三一四ノットを発揮した。が、速度は性能仕様書を作った時の大気の状態、計測方法によっても変わるので、小さな差には拘らなくて良い。肝心なことは〈スピットファイア〉もMe109より大きく重かったことである。大きければ表面積が増え、空気抵抗も増えるし、重ければ馬力に負担がかかって損をする。従って、軽く小さい機体のMe109は〈飛燕〉や〈スピットファイア〉より、ずっと速ければならない。ところが、速度は大差ないか、寧ろ遅いのである。小型軽量にして速度を稼ぐ積もりでも、これでは企画倒れと言えそうだ。一回り大きくしても同等の性能を発揮する設計力があれば、燃料、武器、弾薬などもたっぷり搭載できたろうに──さりながら、出生から大戦までの成長期を、Me109は外形に目立った変化がないまま、B型、C型、D型、E型と変遷して行く。馬力が上がった分、速度も速くなったが、他方で装備の追加や構造強化により、次第に重量を増やし、運動性が悪くなるに任せ、航続力も情けないほど短い戦闘機のまま過ごしてしまう。短距離しか飛べないと大変なことになる──と、数年の間、ただの一度も考えなかったのだろうか?
 特に滞空時間が乏しい欠点は致命的で、ドイツ空軍全体の足枷となって航空作戦の全般を阻害した。いざ戦いが始まって見ると、地中海、アフリカ、ロシアと、燎原に野火が拡がる勢いで広大な地域が戦場となり、空戦空間は途轍もなく巨大化して行ったが、機内に燃料タンクが一つしかなく、容量も三三三リットルしかない戦闘機で地球規模の大戦に乗り出せば、暗澹とした未来に突き当たることは最初から決まっていた。結局、ろくに戦う時間もないMe109を抱えて、第三帝国は墓穴へ飛び込んだことになる。戦争を始めてから後悔しても手遅れだが、この欠陥が、やがて長距離作戦や徹底した空戦が出来ない障害となって、ドイツ戦闘機隊に尽きぬ欲求不満を育む。小国同士が狭い地域で小競り合う戦術戦なら、すぐに息切れする短距離戦闘機でも間に合ったろうが。この範疇に限って言うなら、Me109も強力な戦闘機の一つではあった。しかし、広大無辺の戦闘空間を創出し、長距離の航空戦が欠かせなくなった第二次大戦は、こうした戦略環境に適合する中・長距離タイプの戦闘機に微笑みかけたのである。
 この深長な意味を考察すると、Me109はジークフリートの伝説を想起させる。中世ドイツの余りにも有名な叙事詩『ニーベルンゲンの歌』の主人公は、退治した竜の血を浴びて不死身となるが、背中に張りついていた一枚の枯葉の為に、最初から致命的な弱点を抱えた英雄となる。相応に活躍はするが、最後はここを逆臣ハーゲンに剣で刺し貫かれ、殺されるのだ。
 余談じみた話題で恐縮だが、これと類似した切実なケースが、当時の海軍にも見て取れた。大戦前の各国は戦艦の保有に精魂を傾け、大艦巨砲の豪壮な夢に酔い知れた。ところが、いざ戦いが始まって見ると、航空母艦が台頭して、海戦に於ける主役の座を掠め取ってしまう。戦艦など幾ら作っても役に立たない──戦艦至上主義に凝り固まった保守派には震駭すべき事態となっている。海戦には空母機動部隊が出動して、爆弾や魚雷を抱えた艦載機の大群を送り出し、敵を攻撃したのである。戦艦が攻撃可能な距離と言えば、四〇サンチ砲でも精々二五マイルだが、艦載機の攻撃力はその一〇倍の距離を誇った。これでは戦艦が空母の攻撃に向かっても、射程距離に達するまでに幾度となく爆弾と航空魚雷の雨を浴び、満身創痍となって、敵の姿を見ることなく撃沈されてしまう。結果として、嬉々として戦艦を建造しても、巨弾を発砲する機会は殆どなく、撃沈用の標的にされて敢えない最期を遂げるばかりだった。莫大な経費を投じて建造した弩級艦も、一〇〇機、二〇〇機の艦載機に攻撃されると、哀れ海の藻屑となって沈没したのである。これは札束の山を海へ投げ込む愚挙としかならなかった。
 長く栄光の玉座を守って来た戦艦も、ついに滅び行く運命の時を迎えた。先見の明を持つ一部の革新派には必然の帰結でも、旧態依然の保守派から見れば、この衝撃の事実たるや、長年に渡って憧憬の的だった『高額弩級艦』の価値が、ウオール街の株価にも等しく暴落して、いきなり紙屑になったような悲劇だった。黎明期の艦載機はお笑い種なまでに貧相で、小さな馬力と脆弱な木製構造から、小型の爆弾や魚雷しか搭載できず、玩具じみた非力さが戦艦至上主義者たちの鼻を白ませたが、エンジンや機体構造が目覚ましい勢いで発達すると、これが装備する爆弾や魚雷も四〇サンチ砲弾に劣らない威力を見せ始め、ついには巨大戦艦を撃沈するまでに成長した。近代的な攻撃機が大群で飛び回るようになると、かつては威容を誇った大艦も、爆弾や魚雷に追い立てられ、泡を食って逃げ回るだけの惨めな存在に落ちぶれ果てる。日本海軍の〈大和〉や〈武蔵〉などがその好例だ。巨額の資金を注ぎ込んだ「超戦艦」も、飽くなき発展を続ける海軍航空の威力には歯が立たず、深海へ送り込まれる贅沢三昧な墓標と成り果てたのである。
 海洋では航空母艦が主役へ躍り出たように、大空では中・長距離を飛べる戦闘機が脚光を浴びた。戦火が欧州から北アフリカ、ロシア、アジア、太平洋へと広がり続けたので、戦場は途方もなく茫漠化した。これは最初から予見できたことで、長距離戦闘機が主役を演じる未来は定まっていた。その為、短距離しか飛べないMe109を設計・製造しても、「大艦巨砲主義」と同じ運命を辿ることを、最初から見通して置くべきだったろう。が、『ベルサイユ条約』によって軍備を禁止されたドイツでは、ヒトラーがこれをぶち壊すまでの十数年に渡り、軍用機を公に研究、開発することが出来なかった。戦術、戦略などの思想が充分に育たず、設計者もまた同じだった。一九三五年三月になって、やっとヒトラーが再軍備を宣言し、お陰で空軍は創設できたが、如何にも素人臭い集団で、この空軍に軍用機を提供したメーカーも大同小異だった。
 ナチス・ドイツが大戦の幕を上げたのは三九年九月一日だが、大陸内部の弱小国が相手だった初期は、この問題も表面化しなかったが、海峡越えを迫られた『英本土侵攻作戦』で予定通り挫折した。作戦に投入されたMe109のE3、及び、若干の改良型となるE4の航続力が余りにも乏しかったせいで、作戦行動の全般がひどく狭小になり、ドイツ空軍は英本土の一割の地区でしか活動できなかった。おまけに狭い空間への密集を余儀なくされて、待ち受ける英空軍に効率良く叩かれた。一・五時間しか飛べないMe109は、常に帰りの燃料を心配しなければならず、航続の限界に達したら直ぐにも戦闘を放棄して、一目散に大陸側へ逃げ戻らねばならなかった。特にロンドン上空まで足を伸ばし、帰りの燃料を差し引くと、英軍機と交戦できる時間は五分に狭められた。たったの五分である。巡航飛行で計算すれば二〇分ほど時間が取れるが、エンジン全開の空戦に入れば燃費が激増するので、その程度が精一杯だった。極論だが五分で勝てる戦争がこの世界の何処にあるだろう? 然もロンドンに最も近い北仏カレー地区の戦闘機隊の話である。他の基地の戦闘機隊は更に条件が悪くなった。この交戦時間の乏しさによる援護行動の不徹底こそが、企画倒れの駆逐機Me110や遅鈍な急降下爆撃機Ju87、民間輸送機を改造したハインケルHe111、郵便輸送機を転用したドルニエDo17爆撃機などに甚大な被害をもたらす。『ベルサイユ条約』失効後に設計されたユンカースのJu88に関しては、本格的な双発の高速爆撃機として生産されたが、戦闘機の援護が不充分だと、やはり苦戦を免れなかった。
 陸続きだった欧州では、空軍設営隊や補給部隊が奮闘し、足の短いMe109の為に、次々と飛行場を建設し、前進させて補佐したが、英国との戦いではそれも通用しなかった。英仏海峡の上に中継基地を浮かべることは、如何に優秀な彼等でも手に負えなかった。お陰でドイツ戦闘機隊の戦いは、海峡を往復するだけでかなりの燃料を食われる惨めな戦いとなり、肝心要の交戦現場──英本土上空でいつも燃料が足りなくなった。秋から冬に季節が変わっても、英軍の戦闘機集団は依然として強力で、敗北したり和を乞うような気配は微塵も見えなかった。英軍の損失九一五機に対し、ドイツ空軍の被害は一七三三機の多きに上った。当初は三・五倍の戦力を結集して息巻いたものの、打撃の余りの大きさから意気も消沈した。特に高価で手間のかかる爆撃機の補充は生易しいものではなかった。こうした不始末の積み重ねから、勇壮にして響きの良い侵攻作戦も、欠陥を暴露する『損害山積作戦』に姿を変え、虚しく失墜した。取り分け経験豊かな飛行士を五〇〇〇人も失ったことが大きな痛手だった。
 ドイツ空軍が抱えた問題は他にもあった。多座機の防御力で、英本土上空では近代航空戦に通用しない弱点を晒け出した。取り扱いの至便なラインメタル製の機銃MG15は、それ自体は優秀だったが、当初、各銃座に設置されたのは一挺のみで、おまけに弾倉も七五発入りのサドル型が宛われていた。僅かな弾薬──威力不足の小口径弾を使い果たしたら、銃手は交戦の最中に、降り注ぐ弾雨を浴びながら手で弾倉を交換しなければならなかった。英軍戦闘機は弾帯供給式による八挺の機銃から、銃弾を雨霰と射出していたが。これは撃ち返せる弾量が、来襲する戦闘機の火器に比して一割しかないと言う、殆ど信じ難いまでに前時代的な防備だった。〈スピットファイア〉や〈ハリケーン〉が装備した三〇三口径ブローニング機銃は、発射速度もMG15より大きかったので、実質的には一対八以上の比率で、銃弾がドイツ機に降り注いだ。
 複葉機が相手なら、MG15でも応分の対処は可能だったろう。古めかしい機銃を二挺しか持たず、速度も一〇〇ノット程度しか出ない戦闘機なら、爆撃機の後方銃手も敵機を巧くあしらえたろう。『スペイン内乱』(一九三六〜三九年)ではそうした場面も見られた。しかし四〇年夏の今、英本土の上空には、近代的な戦闘機が三〇〇ノットの快速を駆使して乱舞していた。ひとたび襲いかかると、八挺の機銃から暴風雨みたいに弾丸を乱射した。こうして激変した環境では、後方銃手の戦闘も自殺に等しくなった。特に運動性の劣悪な駆逐機〈ツェルシュテラー〉や、低速の〈スツーカ〉ともなると、空戦に巻き込まれたらプロペラをつけた『金属製の棺桶』と変わらなくなり、一方的に叩きのめされた。余りの被害に驚いたドイツ空軍は、これらを前線から撤収させねばならなかった。それもこれも、大陸の内部には強敵となる空軍がなく、過去に激烈な反撃を被らなかった災いから生じた手抜かりだった。奇妙な言い回しだが、スペイン内乱に次ぐポーランド戦、フランス侵攻作戦などで、目を剥くような被害に打ちのめされていれば、ドイツ空軍ももっと早く有効な対抗手段を講じられたろう。だがしかし、劣弱な空軍ばかりを相手に圧勝したせいで、欠陥に気づかず、反省もないまま、英本土で牙を研く災難に、頭から飛び込んでしまう結果となる。こうなると電撃戦による勝利も考え物だ。一方的な先制攻撃で勝つと、自軍の弱点が表面化せず、何処かで破綻を見る。急遽、付け焼き刃のように若干の改善を施すが、即興的に弾帯供給や連装機銃を導入しても、所詮は焼け石に水だった。もともと小口径弾は威力が過小で、近代的な戦闘機を撃退する能力に欠けたし、爆撃機が装備した銃座の数も少なかったのである。
 もしMe109が窮屈な小型化などせず、相応の大きさを得て、倍近い燃料を搭載していたら、爆撃隊の援護は完全に遂行され、かつ英軍戦闘機を圧倒する時間も確保できたろう。ドイツ空軍全体に広範な地域での自由行動も保証した筈だ。守る側の英国からすれば、防衛地域が拡大するほど不利になったのである。数の少ない戦闘機を細切れに分散配備しなければならず、防御の網が隙間だらけとなり、組織力や集中力も欠いて、最後は空襲への対応が追いつかなくなった筈である。南部に二〇箇所ほど建設され、ドイツ機に睨みを利かせたレーダーの威力も無視できないが、攻める側がその意義を充分に認識していれば、囮部隊を使った牽制陽動などの神経戦や頭脳戦を行えたし、これを巧みに逆用して、英軍を大混乱に陥れることも可能だった。
 国立物理学研究所のワトソン・ワット博士が開発したレーダーは、一見すると画期的な発明に思えるが、反面、補足対象の高度がさっぱり判らない弱点もあり、これは別に配置された対空監視員の目視報告に頼らねばならなかった。この欠陥――当て推量に悩まされて、英空軍が邀撃管制の非効率に苦しんだこともまた事実だった。従って、英国が単純に科学兵器のレーダーで祖国を守ったとするのは誤り――若しくは説明不足と言わねばならない。空戦は三次元の戦いであり、迎撃高度が判らないと、知らずに擦れ違ったり、敵機に頭上を抑えられた時に、危機に陥ったのである。三次元レーダーが登場するのはずっとあとだ。そこで原始的な肉眼の助けを借り、祖国を防衛するしか手がなかったのである。当時イングランドに配備されていた五万人もの対空監視員は、切り捨てるには余りにも大きな数字だ。これらの人々が観測器材を使って、連日、肉眼を酷使して空を睨んだのである。されど邀撃高度の指定が曖昧、または出鱈目だったこともしょっちゅうで、戦闘機隊が敵編隊の下方に誘導されると、Me109集団の急降下攻撃に晒されて、著しく不利な空戦を強いられた。概ね、指定高度が低く伝達される傾向にあったので、気の利いた戦闘機隊は、わざと高く飛ぶことで、そうした不利を補った。機械も情報も決して万能ではない。肝心なことはそれを活用する才気や煥発である。
 そもそも電波探知機はマイクロ・ウエーブ(超短波)を利用した単なる目に過ぎなかった。電波がドイツ機を撃墜する訳ではない。鉄塔が見える場所に住まう人々は、初めて耳にする「レーダー」なるものを、瞬時に敵機を撃墜する『破壊光線』と勘違いしたらしいが。これはトルストイの著作『技師ガーリン』の影響と思われる。小説から空想を逞しくし、手元のボタンを押すだけで、空には目も眩む熱線が張り巡らされ、これに引っ掛かったドイツ機が「火を噴いて墜落する」と思い違っていた。本当にそうなれば喜ばしいが、現実の問題として肝心なことは、各地から寄せられる報告を一元管理する通信のネット・ワークと、集められた情報の適切な分析および活用、更には戦闘機隊の誘導と奮戦にあった。特に「一元管理された情報の適正な運用」を見誤ったら本末転倒だ。もし英国にレーダーがなかったら、英軍は多くの哨戒機を飛ばし、これらを電波機器の代用として、やはり似たような結果を引き出したろう。防空戦で戦闘機隊は獅子奮迅の活躍を強いられたが、爆撃隊や偵察隊などは暇だったのだ。レーダーが存在しなければ、効率には多少の疑問が残るとしても、英国はこれらの航空機を大量に飛ばし、今日、重視される、AWACS(空中早期警戒管制機)の分野を発達させたに違いない。地上からの対空監視も同様で、恐らく様々な光学機器を改良して、正確な測量の技法なども同様に発展させたことだろう。未熟なレーダー技術よりもっと原始的だが、大編隊の爆音を探知する聴音器なども利用して英軍は空襲に備えた。英国は空襲を探知する代替技術を総動員して、やはり本土防衛戦を果敢に戦った筈である。単純にレーダーの勝利とは言い切れない。そもそも戦闘機隊が空戦に敗れていたら、文明の利器も無用の長物と化す。
 更にレーダーの有無が、勝敗を分ける決定的な要因とはならないことを、戦闘機の生産状況からも見て取れる。ドイツは戦時転換もしないまま、この頃、月産二〇〇機ほどのMe109を生産したが、迎撃に必要な戦闘機のみ生産すれば良い英国は、月平均四五〇機を送り出して対抗した。上辺からは判りにくいがこうした背景も意味深長である。速攻で英国を降伏に追い込めないなら、戦いは必然的に持久戦となるが、もし損害の比率に大きな差がなく、二対四・五の戦闘機生産が三〜四か月も続くと、やがて英空軍の方が戦闘機の大兵力を持ち、逆に戦闘機が不足するドイツ空軍が困窮したろう。戦いが長引く──それだけのことで、ドイツ空軍が勝つ見込みは吹き飛んだのである。ドイツは大戦も押し詰まった四四年の秋、総力戦態勢で月産二五〇〇機の戦闘機を叩き出すが、四〇年夏の戦闘機生産は、前記した通り二〇〇機余りに過ぎなかった。信じ難い話だが、この時期、英仏海峡より遙かな南東となるアウグスブルクでは、メッサーシュミット社が「戦争など何処吹く風」の六時間操業を厳守し、Me109を呑気に製造していた。戦いが消耗戦の様相を見せ始めれば、三交代制二四時間の操業に切り換えて、ひたすら戦闘機を増産すべきだが、そうした雰囲気は露ほども見当たらなかった。今回も楽勝すると高を括ったか?
 いや、この原因──ドイツが総力戦体制へ変わらなかった最大の元凶はヒトラー本人だった。食料や石鹸、衣類など、一部は配給制にしたものの、「全面戦時態勢への移行は国民の気分を害する」と恐れ、手控えていた。前大戦の末期、一九一八年一一月三日に、キール軍港で起こった反乱の悪夢に魘されたのだろう。この時、水兵たちが起こした騒動は、厭戦気分から生じたものだった。今また国民に不安を与えたら、暴動や内乱が起こったろうか? ヒトラーが疑心暗鬼だったことは間違いない。総力戦態勢を取らなかったせいで、戦闘機ばかりでなく、重砲の砲弾なども、在庫が乏しかった。一九四〇年の夏、ドイツ砲兵隊の中で弾薬をたっぷり持っていたのは、軽曲射砲の部隊のみだった。ドイツ装甲師団も中型戦車が主力だったので、攻撃力としては寧ろ貧弱だった。電撃戦に於ける急降下爆撃機と戦車の活躍は虚仮威しで、本当の打撃力は砲兵隊が担ったのである。
 砲兵隊の援護が不十分な状態で、英本土へ乗り込んで戦えるかどうか──内情を具に知る高級将校たちの一部は、ヒトラーの英国攻撃は単なる威嚇、若しくは東方のスターリンを欺く偽装としか考えなかった。また、再建途上で大戦に突入したドイツ海軍の戦力は、英国海軍の五分の一に過ぎなかった。
 無論、ハッタリでも戦争は出来た。ポーカーと同様、ろくな手がないにも係わらず、芝居がかった態度で優位と思わせ、相手の戦意を喪失させて、勝ちに繋げる遣り方である。本当の底力はなくても、見せ掛けの大兵力を動員して、慌てた敵がさっさと降伏すれば、実力などなくても勝てたのである。実際、ポーランド戦に端を発するこれまでの戦争がそうだった。先制奇襲攻撃を仕掛け、混乱と動揺、戦意喪失を引き出して、一気に降伏文書調印へと追い込んでいた。ノルウェー、デンマーク、ベネルクス三国、フランス――皆、そうである。その為、ドイツは最後の一兵、最後の一弾まで戦うような死闘を、未だ経験していなかった。陸海空三軍の内情は欠陥だらけだったが、それが暴露されて困窮する戦争は未経験だったのである。その一つがこれから起ころうとしていた。さりながら、ベルリンを初めとして、国内には危機感と言った物が見られず、「クリスマスの頃には英国も降伏して、大戦は終わるのではないか?」の呆れた楽観論さえ漂っていた。やがて戦いは底なしの消耗戦へ嵌り込み、身動き出来なくなって、ついには第三帝国も破滅するが、この頃のドイツは楽天世界を彷徨っていた。「早く前線に出て活躍しないと、勲章を貰えない内に終戦となる」と、浮かれ気分で軍に志願する者も多かった。すでに世界を征服したような気分になった者も少なくなかったのである。
 一方、守勢の英国は他の機種などうっちゃって、戦闘機の増産に力を注げば良かった。戦いが始まった時点では、英国も絶壁へ追い詰められた感があったが、当面、負けない戦いに根気を注げば良かった。苦しくても、だらだらと長引かせれば、やがて戦闘機が不足するドイツ空軍が、先に腰砕けに陥ったろう。護衛戦闘機が欠乏すれば、爆撃隊はもっと悲惨な目に遭ったのだ。航空燃料の備蓄に関しては正確な資料が見当たらないが、大戦前のドイツは国内年間需要七五〇万トンの内、およそ五〇〇万トンを輸入に頼ったし、備蓄にしても半年分しかなかったので、航空作戦に欠かせない燃料の蓄えも、不充分だったと思われる。石油資源に恵まれない国は、大規模な航空作戦を継続することが難しい。ドイツはこの穴を埋めようとして、石炭液化法による合成燃料の生産に力を入れたが、こちらの量産が軌道に乗るのは、『英本土侵攻作戦』よりずっと後だった。やがて航空燃料まで足りなくなることを考慮すれば、短期決戦に躓けば、ドイツが勝利する見込みは自然消滅した。
 序でに言うなら、レーダーに頼らない方式にも実は大きな利点が見出せた。対空監視、聴音哨、スパイ船、早期警戒機などを用いれば、不規則にして流動的な配備が可能になったろう。攻撃側が補足に困難を来す特典があった。地面にへばりついて動けないレーダー基地は、場所を教示する鉄塔のせいで、簡単に爆撃目標になったし、復旧しても反復攻撃されたら、結局は使い物にならなかったろう。固定式の装置に依存するならそれこそ良識を疑われるべきだ。他方、自由に移動できる監視員や哨戒機なら、非効率でも捕捉や根絶が不可能だった。極論を言うなら、英国南部に展開する五万人の対空監視員を、一人残らず抹殺するのは不可能だった。管制本部には電話や無線が繋がっていれば良く、情報が一か所に集められて適正に処理されるなら、それでも戦闘は行えた。他には各戦闘機隊に指令を出す通信網──これも重要だが、情報が間断なく出入りするネット・ワークが完備していれば、戦いは組織的に行えたのである。現実には、楽観ドイツ空軍が、レーダー局への反復攻撃に無頓着だったので、レーダーのお陰で勝ったような幻想が生まれたが。
 反復攻撃をしないのも奇妙な話だが、ドイツ側は一度攻撃を行っただけで、恰もそれが「永久に使用不能になった」みたいに錯誤し、作戦地図の上に×印をつけた。攻撃力を過信したらしい。やはり「楽観空軍」だったようである。レーダー基地、飛行場、航空機工場、港湾施設その他に、片っ端から×印をつけて喜ぶ狂態で、この作戦地図を眺めれば、恰も「英国は大打撃を被った」ように見えた。空軍上層部は敵が「必死の修理をせず、指を銜えて眺めている」とでも考えたのか? そもそも「目につく物を取っ替え引っ替えに爆撃する」乱脈ぶりで、明確な戦略がなかった。日付や爆撃地点、その変遷を分析すれば、「行き当たりばったりの作戦」と、専門家は見抜くだろう。フランス侵攻作戦が呆気ないほど早く終わった直後で、ろくな検討期間もなかったので、余勢に任せて取り掛かった作戦だった。
 振り返れば、ポーランド戦の準備命令は内示が四月中旬で、正式な下達は五月二三日だった。実施の九月一日までにはたっぷり時間があった。対フランス戦も一冬を越した五月に行ったので、こちらも検討期間、リハーサルの大演習を行う余裕まであった。尤も西部戦線の攻勢は、最初四〇年一月一七日に予定されたが、一〇日に参謀将校ラインベルガーの乗った連絡機がベルギーへ不時着し、作戦計画書が敵の手に渡った為、一月一七日の攻勢は延期になったが。このラインベルガー少佐には愛人が居て、情事の為に回り道をして、ベルギー上空を飛んだと言われている。
 それは兎も角、英本土への空からの侵攻は、ダンケルク戦から六週間、フランス降伏から四週間後に早くも始まっていた。そもそもフランスが呆気なく降伏することも、ドイツは夢想だにしなかった。フランスは第一次大戦で四年も戦ったのだが。それが一か月ほどで降伏し、応援する英軍も慌てて本土へ逃げ帰ったので、ヒトラーも拍子抜けしつつ、「孤立した英国は和を乞うしかあるまい」と、勝手に予想した。その和平提案を七月二二日、英外相ハリファックスに蹴られたことで、ヒトラーは面目を失い、対英攻撃を命じたのである。この為、入念な作戦を立案する暇などなく、ドイツ空軍は『英本土航空決戦』の泥沼へのめり込んでしまう。
 とは言え、どのような攻撃に晒されようと、英空軍は管区の戦闘機隊を素早く発進させ、所定の位置に就かせて、首尾良く敵を撃破しなければならなかった。ここで挫けては話にならなかった。それこそ迎撃管制も笑い話に墜ちたろう。多勢に無勢の窮境も些かも変わらなかった。さりながら、旧式な〈ハリケーン〉戦闘機の方が多い英空軍戦闘機集団は良く奮闘した。勢いを頼りに押し寄せるドイツ空軍を打ちのめして、英国の門前から追い払ってしまう。
〈ハリケーン〉の名が登場したところで、この戦いで勇戦奮闘したホーカー社の戦闘機にも触れねばならない。設計はシドニー・カムだ。空軍の仕様F36/34に基づいて製造された一号機は、三五年一一月六日に初飛行し、二七二ノットの速度を発揮して好評を得た。翌年度に第一次発注として六〇〇機の注文を受け、三八年にこの数字は一〇〇〇機に増加された。生産開始が〈スピットファイア〉と一年しか違わない〈ハリケーン〉を旧式と呼ぶのは気の毒だが、胴体は鋼管構造で羽布張り、主翼だけジュラルミンの応力外皮とした機体構造が旧弊で、美観の面でも取り立てて洗練された印象はなかった。近代化の過渡期に基礎設計が始まった不運もあったろう。もしも優美で流麗な〈スピットファイア〉が登場した後、この姿を参考に、改めて設計に取り組んでいたら、恐らくホーカー社の戦闘機も違った姿態を見せたろう。ただ、それでは危急存亡の秋に間に合わなくなるが。
 英国はスーパー・マリン社に新鋭〈スピットファイア〉を開発させ、どうにか実戦配備に漕ぎ着けたが、肝心な量産面で躓いたので、速度も運動性も劣る旧式〈ハリケーン〉が、この戦いでは多量に動員されたのである。従って、〈ハリケーン〉の奮闘も記憶に留めねば、『英本土航空決戦』を真に理解したとは言えない。
 この事実は英空軍の記録──戦闘時の配備情況を調べれば一目瞭然となる。決戦が頂点に達した頃、前線に展開していた〈ハリケーン〉は三三個中隊で総勢七〇〇機に達していたが、〈スピットファイア〉は一九個中隊に過ぎず、機数も三七〇機くらいだった。どちらも修理中の機体まで含めた登録数で、実際に稼働していた機数はこれより少ない。開戦時のそれぞれ一七個中隊、一四個中隊と比較すると興味深い。〈ハリケーン〉は一六個中隊が追加され、ほぼ倍増しているが、〈スピットファイア〉は五個中隊しか漸増していないのだ。
 こうした数字から、〈スピットファイア〉の少なさに意表を突かれるかも知れない。空軍から量産の開始命令が出たのは三六年の六月だが、決戦が頂点を極めた九月――この最も重要な時期に、前線にあった〈スピットファイア〉が三七〇機足らずとは、腑に落ちない話である。「四年近くも何をしていたのか?」と、怒りに近い疑問が生じて当然だろう。実はこの不手際には、量産に伴って派生した大混乱が係わっていた。第一次発注で三一〇機だった〈スピットファイア〉の数は、第二次、第三次と、立て続けの追加発注を畳みかけられて、総注文数は二〇〇〇機に膨れ上がった。驚愕したのは製造元のスーパー・マリン社で、破天荒な数に慌てた同社は、その内の一五〇〇機を賄う予定で新工場の建設に取り掛かるが、これに伴う混乱と狂騒に振り回されて、量産化に失敗したのである。スーパー・マリン社は下請けを使った分業化も試みたが、各部品の出来上がりと納品が滅裂で、これも生産現場に混乱ばかり持ち込んだ。流れ作業の組み立て工程に従って、必要な部品がそれぞれの部署へ最適の時期に届かなければならないが、この管理体制が巧くなかった。
 製品デザインの面から考えても〈スピットファイア〉には問題があった。大量生産には直線的な設計が好適だが、〈スピットファイア〉を象徴する優美な楕円翼は、やはり大至急の量産には不向きだった。主翼ばかりでなく、〈スピットファイア〉は水平尾翼や垂直尾翼まで流麗な曲線で構成されており、こうした難点が緊急時の即時量産を困難にした。〈スピットファイア〉の美麗さがここでは大きな障害になったのである。そこで、急遽、ウエストランド社やビッカース社に応援が求められたが、こちらも呑気に遊んでいた訳ではなく、てんてこ舞いを強いられて、やはり量産が間に合わなかった。〈スピットファイア〉全体の生産数なら大戦の数年間で二万機を超えている。が、量産が軌道に乗るのは『英本土航空決戦』が終わってからである。この為、四〇年夏の段階では、ホーカー社の〈ハリケーン〉戦闘機が奮闘するよりなかった。
 もし〈スピットファイア〉の量産が進捗していたら、全般的に性能の低い〈ハリケーン〉は、その時点で引退の涙を呑んだか、練習機に格下げされていたろう。しかし、前述した不始末から脚光を浴びた〈ハリケーン〉はどんどん増産され、不利は承知の前線へ駆り出された。しかし、〈ハリケーン〉は意外に頑丈で、修理も余り難しくなく、〈スピットファイア〉より前線に循環させる条件が良かった。単純に両者の稼働率を比較すると、やや無骨な感じの〈ハリケーン〉戦闘機は、社交界の花形にも似てお上品な新鋭〈スピットファイア〉に勝っていた。肝心なMe109との性能比較となると、流石に空力的な洗練性の面で見劣りがし、換言すれば互角に渡り合うのが辛かった。設計の古い〈ハリケーン〉には暖房もなく、高空を飛ぶパイロットは寒さに震えた。旋回性能は兎も角として、戦闘速度が低いので、Me109に真っ向から戦いを挑むのは苦しかった。勿論、ひとたび空戦が始まると、不満を上げ諂って嘆いても居られず、パイロット達は時代遅れの機体を鞭打って、祖国に降りかかる危難に敢然と挑まねばならなかった。単純に英独戦闘機の数を比較すると、大差ないが、英軍側は旧式〈ハリケーン〉が六割を占めたので、対等な防衛戦の展開が難しく思えた。ところがそれでも戦いに勝ったのである。
 開戦の少し前、およそ八〇〇機のMe109を集結させて、「〈ハリケーン〉など撃墜用の餌食に過ぎない」と豪語したドイツの「楽観空軍」こそ、結果としては予想もしなかった敗退に打ちのめされた。無論、配備数が四割しかないにせよ、〈スピットファイア〉の奮戦がなければ英国は大変な結末を迎えたろう。戦術の基本としては、互角に戦える〈スピットファイア〉がMe109を引き受け、その隙に〈ハリケーン〉がドイツ軍の爆撃機を攻撃した。しかし、基本的に〈スピットファイア〉の絶対数が足りないので、必ずしも思い通りに戦えた訳ではない。戦闘の現場では、古い〈ハリケーン〉がMe109との空戦に嵌り込む例も少なくなかった。とすれば、この現象から奇妙な疑問が湧き上がる。大量のエースを抱え、世界最強と謳われたドイツ空軍が、旧式戦闘機の多い英空軍に屈した事実である。馬鹿馬鹿しいほど大袈裟なナチスの宣伝は論外だが、「これではドイツ戦闘機隊の実力も疑わしい」と、引き替えに疑問を提示しなければならない。「英空軍など二週間で撃滅して見せる」と豪語したゲーリングの公約も、何処へ消し飛んだのか? 見えない壁にでも衝突したようなドイツ空軍の愁傷を、もしかすると旧式〈ハリケーン〉は内心で嘲笑ったかも知れない。ここからドイツ空軍もMe109も大した代物ではない――或る意味では、寧ろ御粗末だったことが歴然とする。もし、英軍が〈スピットファイア〉ばかり取り揃えていたら、ドイツ空軍はもっと酷い目に遭った筈である。
「六割が旧式機だった英空軍に勝てないとは、全く情けない」と断じるのが正解だが、取り分け、Me109の滞空時間が乏しく、戦う暇がなくて、制空権を確保できなかったのが敗因――と論じるなら、この件に関連して、ただでさえ短時間しか飛べないMe109に増櫓を持たせなかった責任を、駆逐機Me110の幻想に取り憑かれたドイツ空軍首脳部が甘受しなければならない。
 では落下式増櫓はドイツになかったのか? いや、機内タンクへ燃料を移した後、空になった懸架容器を投棄する方式は、『スペイン内乱』(一九三六〜三九年)に参加したハインケル社の複葉戦闘機He51が、すでに実戦で使っていた。四〇年春に行われたノルウェー戦では、ユンカース社の急降下爆撃機Ju87Rも使っている。急降下爆撃航空団が距離延長の恩恵に預かって、長距離の侵攻作戦を見事に実演した。航続力延長の有効性は疑うべくもなく、短距離しか飛べないMe109には是非とも欠かせない装備だったろう。もっと早くMe109の足を、一・五〜二倍に延ばしていれば、初期の電撃戦で前進基地の建設に追われた空軍設営隊の苦心、引っ切り無しの補給を迫られた輸送隊の疲弊、不時着機の元へ駆けつける回収班の困憊なども、半分以下──ややもすると三分の一程度に緩和できた筈である。その意味では、メッサーシュミット教授の短距離戦闘機Me109は、支援隊に大迷惑を及ぼす戦闘機だった。戦闘機そのものは合理的な設計だったかも知れないが、運営に係わる水面下で非合理を極め、大変な無駄を生んだのである。
 加えて空軍の首脳部――特に司令官のゲーリングは、「長距離の戦闘任務なら、その目的に添って開発したMe110〈ツェルシュテラー〉がある」として、お得意の尊大さに諂う取り巻き連中を道連れに、「Me109への増櫓追加など無駄な努力」と決めつけた。長距離を飛ぶ爆撃機の護衛が必要なら、その時こそ「滞空時間の長い双発Me110が援護すれば良い」と悦に入って、ドイツの命運に係わる大問題を笑止千万と退けた。Me109E〈エミール〉が増櫓を懸架して飛ぶ姿は、当初より空軍首脳部の頭にはなかったのである。
 勿論、現実がやがて冷酷かつ無惨な証明をしたように、「心配無用」の高笑いは、作戦の開始とともに凍りついた。彼等が溺愛する〈ツェルシュテラー〉が活躍する夢物語は、雷鳴を伴う痛撃に見舞われてひび割れた。幻想は首脳部の傲慢とともに爆発し、粉塵となって消失したのである。大柄で愚鈍、速度も不充分なMe110は、所詮、軽快無比に乱舞する英軍戦闘機の敵ではなかった。そもそも双発の複座機は、必然的に大きく重くなったので、どうしても運動性が劣弱になるが、これを軽快無比な単発戦闘機に対抗させようとしたこと自体、滅茶苦茶な話だった。実際、英軍戦闘機と交戦すると、速度、上昇力、旋回性能の全てに於いて劣る〈ツェルシュテラー〉は、大概は嘲弄されるように銃撃され、蜂の巣になって、燃え落ちた。見るも無惨な損害を計上した。
 元来、長距離飛行には大量の燃料が必要で、燃料の運搬機に化けやすい機体はどうしても大型化し、重量化した。単発機に大量の燃料を詰め込んだ場合、エンジンに負担がかかり過ぎ、全般的に飛行性能が低下した。そうなると馬力不足を補う必要から、双発形式へ走りたくなるが、二基のエンジンを組み込んだ機体は殊更に大型化し、やはり割の合わない愚鈍化を招いた。一応、見た目の馬力は二倍になるが、速度や運動性まで倍加することはあり得ず、重いエンジンが一つ余計に増える反動と、大型化した機体が単発戦闘の二倍以上重くなることから、馬力の負担過重は大差がなくなった。その上で機体が大きい為、摩擦係数――空気抵抗ばかり増加した。単発機にしても、理論上「速度は馬力の三乗根に比例する」ので、出力を二倍にしても、速度は二六パーセントしか増えない。
 こうした問題から、双発機に戦闘機の役割を与えようと奮闘しても、拍子抜けする程度の飛行性能しか得られないことが多かった。寧ろこの種の航空機は、低速で運動性も悪い、「自殺機」に化ける不穏すら孕んだ。デザインが斬新だったロッキード社の〈ライトニング〉や、デ・ハビランド社の〈モスキート〉は、例外的に大成した希有な例で、大戦前の一時期、各国が傾倒した双発戦闘機機なるものの大多数は、無念の企画倒れに終わっている。鈍重な駆逐機Me110も、英国上空ではやはり「撃墜用の生け贄」としかならなかった。対戦した英軍飛行士たちに奉られた蔑称は『テーブルの上の肉』だった。撃墜用の餌食として、「いらっしゃいませ」と来襲を歓迎されたほどである。
 図らずも断頭台へ首を突っ込む格好になったMe110だが、まず戦闘最大速度の二九五ノットが不充分で、態勢が不利になった時、三一五ノットで襲いかかる〈スピットファイア〉を振り切る能力を欠いた。〈ハリケーン〉の速度とは大差なかったが、上昇力、旋回性能を含めた総合力で、やはり遠く及ばなかった。こと攻撃力に関しては、機関砲二門と機銃四挺を機首に集めた火力が強力で、これが発揮する集中射撃にはそれなりの威力があったが――さりながら、基本的な交戦能力が低いせいで、滅多に発砲する機会がなかったのである。一方、背後へ敵機が迫った時の用心として、複座形式の後部に機銃が備えられたが、アラド式自在銃架に設置されたのは、これも七五発入りの弾倉を手で取り替えるラインメタル製MG15が一挺のみだった。この一挺の軽火器を頼りに、機銃を八挺も備えた英軍戦闘機に立ち向かうのは狂気の沙汰で、前にも記した他の爆撃機たちと同様、乗員はここでも勝ち目のない苦闘を強いられた。俊敏な英軍機に後方へ回り込まれると、銃手は雨霰と降り注ぐ銃弾を浴びたのである。この恐ろしい場面は極めて単純な計算から想像できる。ラインメタルMG15そのものは優秀で、発射速度毎分一一〇〇発のこの軽機関銃は、口径七・九二ミリの銃弾を一秒間に一八発ほど撃てたが、対する英軍戦闘機は三〇三口径ブローニング機銃を八挺も備えていた。こちらの発射速度は毎分一二六〇発だったので、二秒間ほど撃ち合えば、銃手が三六発を撃っている間に、八挺の機銃から三三六発の銃弾を浴びせられた。機銃の数では八倍だが、実質的な発射弾量に九・三倍の開きがあったのだ。この数字を見ただけで勝敗の行方は明らかだろう。
 然も、もっと重大な問題があった。まともに撃ち合えない場合の窮状である。僅か一挺の軽機にしても、後方旋回機銃なるものは可動範囲が狭く、背後の下方や急角度の上方、或いは側面には、機銃を全く向けられない欠陥があった。英軍戦闘機にこの死角を突いて攻撃された時は、後方銃手は手も足も出せなかった。この問題はMe110に限ったことではないが、複座形式の航空機が後方に備えた旋回機銃は非力なだけでなく、射界が狭く、極めて不便だったのである。そもそも銃手は狭くて窮屈な場所に押し込められ、シート・ベルトにも縛られて、余り動けなかった。床をぶち抜いて機の下方へでも飛び出せれば、銃手は高角度に機銃を身構えることが出来たろうし、飛行中の機外に降りて、機胴の横で空中に立つ器用な芸当が出来るなら、横へ回り込んだ敵機にも銃弾を浴びせることが適ったろう。勿論、いずれも実行不可能な所行である。後ろ下方から突き上げられた場合も、機体尾部が邪魔になって射撃が出来なかった。その上、母機が傾斜角の大きな旋回に入ると、銃手の身体も斜めに大きく傾いた。後ろ向きでジェット・コースターに乗り、カーブを振り回される場面を思い描けば良い。遠心力が働く方角へ身体を押しつけられた姿勢で、後方の敵機にまともな射撃が出来るか──を考察すれば良い。すなわち複座機の後方防御として設置される機銃は、実際にはまともに反撃できない場合が多く、ここの備えは「ないより増し」の気休めに過ぎなかった。対する英軍戦闘機は、自由自在、勝手放題に飛び回れたので、Me110が機銃を向けられない高角度から急降下するか、背後の下方、或いは斜め後方へ回り込んで、有利な態勢からじっくり攻撃すれば良かった。これなら撃ち返される心配もなく、安全かつ簡単に料理して離脱することが出来た。
 前大戦と変わらぬ概念――背後をたった一挺の機銃で守ろうとする戦術は、相手が蹴飛ばせば壊れそうな複葉機ならいざ知らず、近代的な戦闘機の前には机上の空論にさえならなかった。そうした戦場へ乗員を送り出すとすれば、「自殺の奨励に等しい無責任」と言えた。「重戦闘機」だの「駆逐機」だのと言った勇壮な言葉は耳に心地良いが、修羅場へ投げ出されたMe110の実際の姿は、「乗員の空中処刑機」とでも呼んだ方が適切で、この機体を宛われた飛行士たちを悲惨な目に遭わせた。彼等に言わせれば「墓場行きの予約切符を買わされた」ようなものだった。空戦に巻き込まれたら、無駄な抵抗を試みるより、落下傘で飛び降りた方が利口だったろう。〈零戦〉や〈ムスタング〉が定説を覆す以前の航空界は、「単発戦闘機による長距離飛行は不可能」の意見が支配的で、ここから「双発形式の長距離戦闘機」なる怪しげな思想が生まれ、癌細胞みたいに蔓延ったが、結局は「愚鈍な大型機は俊敏な戦闘機に太刀打ち出来ない」とする別な定説を、見事なまでに顕現した。結果として、ドン・キホーテにも似たゲーリングの愚かな挑戦は覆され、正論が少なからぬ流血を以て証明された。正しい戦闘理論の提唱者たちには滑稽なだけだが、Me110には最初から成功する見込みがなかった。
 こうして〈ツェルシュテラー〉の幻想は儚く滅却した。当初はゲーリングの血迷った妄想から、「勝利を開拓する先駆者」と位置づけられたが、敵の駆逐どころか一方的に屠殺されるばかりで、空戦には不適格の烙印が押される。どんなに優秀な弁護士を頼んでも、この失策を庇い立てるのは不可能だったろう。そもそも操縦が難しい機体だったのだ。後日、ナチの副総統ルドルフ・ヴァルター・リヒャルト・ヘスがMe110による飛行を希望し、アウグスブルクの本社を訪れた時も、設計したメッサーシュミット教授自身が「扱いにくい」と飛行に反対している。乗るのが難しいとはどんな航空機か? 重要人物が墜死したら困るので、教授も過分な用心を働かせたかも知れないが、通常、空戦に優れた機体は、総じて運動性が良いだけでなく、調和が素晴らしい上に操縦も極めて優しいのが定番だった。身体に翼が生えたような感覚で、機は手足も同然に反応するのが普通である。さもなければ空戦に全力を注ぐことなど論外で、操縦に四苦八苦している内に撃墜されたろう。三大傑作機と呼んで構わない〈零戦〉、〈スピットファイア〉、〈ムスタング〉は、巡航速での水平飛行なら手放しで飛べたし、エンジンがいきなり故障して止まっても、飛行場が近くにあれば、滑空だけで易々と舞い降りることが出来た。
 概ね「扱いに窮する機体にはろくな物がない」のが相場だった。話が逸脱するが、副総統のルドルフ・ヘスは、まず四人乗りの小型旅客機Me一〇八で初等訓練をやらされ、戦闘機Me109も飛ばした上で、やっとMe110への搭乗をメッサーシュミット教授に許して貰っている。驚いたことに、〈ツェルシュテラー〉の操縦に慣熟した四一年五月一〇日の夕刻、副総統ヘスは英国との単独和平交渉に飛び立ってしまう。仰天の事態だが、講和の妄想に取り憑かれた副総統は、アウグスブルク郊外ハウンシュテッテンにあったメッサーシュミ社の飛行場から、一路、スコットランドを目指したのである。この途轍もない冒険飛行――罷り間違えば、逃亡や裏切りとも曲解されかねない暴挙に関しては、短距離しか飛べないMe109では役不足だった。どんなに操縦が難しくても、長距離を飛べるMe110が必要だったのである。

 ここで、興味津々のこの事件――戦時中にも係わらず、ナチの副総統ヘスが敵対する英国へ飛んだ、文字通り「突飛な事件」をもう少し詳しく紹介したい。この物語でMe110が果たした役割は些細だが、ナチ首脳部のお粗末な迷走ぶり、当時の背景などが窺い知れて興味深い。
 副総統が夢中になったMe110による訓練飛行は、結末からこの奇妙な事件の予行演習だったと判るが、表向きは憂さ晴らしと考えられた副総統の飛行は、実はナチ親衛隊も早くから探知していた。副総統のヘスには副官が二人いて、一人はライトゲン、もう一人はピンチュだったが、後者は親衛隊から出向した保安要員だったのである。政府要人の警護は親衛隊RSHA(国家公安本部)が管轄したのだ。重要人物の事故死は政治的な混乱など招くので、専属操縦士を伴わない飛行は、第三帝国では禁止が建前になっていた。空軍を司る国家元帥ゲーリングでさえ、自分で勝手に飛行機を飛ばすことは許されなかった。それゆえ副総統がメッサーシュミット社の飛行場へ赴いて、気晴らしと称しながらMe110を乗り回すので、身辺警護を仰せつかるピンチュは苦慮した。相手は副総統である。無碍に「規則です。止めなさい」と反対も出来なかった。そこでピンチュは直属の上司たる公安本部長ハイドリヒに指示を仰いだ。相談されたベルリン本部のハイドリヒも即断しかね、当座の静観を命じる。総統のお抱えパイロットの一人だったハンス・バウルも、この飛行訓練に担ぎ出されて、ヘスの操縦するMe110に無理矢理(?)同乗させられた。何処から聞き込んだか知れないが、総統副官のアルベルト・ボルマン(総統秘書マルチン・ボルマンの弟に当たる)も、副総統の奇行を知っていた。内緒で英国へ向かうとしても、飛行禁止区域などを記した航空図の入手や、当日の気象情況、誘導電波の使用情況にも精通する必要があり、いずれも軍事機密に係わったので、少なからぬ人々が副総統の挙動を怪しんだろう。気象情報が軍事機密とは奇異に思われるかも知れないが、航空作戦は天候に左右されたので、当局の手で厳しく管理されたのである。無闇に問い合わせれば、「スパイ活動か?」と、憲兵隊が押しかけて来た。そもそも不審な行動を完全に覆い隠すことは最初から難しかった。
 取り分け、英国への飛行に重要だったのが航法援助装置で、夜間に英国侵入を企図するなら、電波誘導装置〈クニッケ・バイン〉の航法支援が欠かせなかった。これは〈ロレンツ・ビーム〉と呼ばれる電波──ビーコンを組み合わせて受信しながら飛行する仕掛けで、一時、ドイツ爆撃航空団が夜間作戦に良く使用したものだ。有効半径が一四〇マイルほどあって、爆撃機は北仏の複数の発信局から送り出される電波を受信しながら飛び、それが空中で交差する点へ差しかかった瞬間に爆弾を投下した。原始的だが思いの外に精度が高く、星のない暗夜の爆撃任務に於いても、狙った座標点からほぼ八〇〇ヤードの円内へ投弾することが加納だった。この電波に乗って飛べば、夜間飛行になっても目標への到達が簡便だったのである。だが、ドイツ脱出時に発信局が沈黙していると、闇夜だった場合に手探りの盲目飛行となり、機位を見失ったかも知れない。ベテラン・パイロットなら兎も角も、副総統は唐突に練習を始めた俄飛行士だった。万一、航法を誤って暗夜の北海上空を彷徨う羽目になったら、燃料が尽きたあと海へ墜落して、哀れな溺死となったろう。真っ昼間の無粋な英国訪問なら問題外で、交戦能力が怪しげなMe110で領空を侵犯すれば、間違いなく緊急発進した〈スピットファイア〉に撃墜されたろう。副総統ヘスの空戦経験はたったの一回で、それも前大戦の時だった。元は陸軍だったが、戦闘で負傷したのち航空隊へ志願して、空の騎士道に憧れる若き少尉として、帝政空軍の第三五戦闘機中隊に配属されている。やっとの思いで任地に着いたのが一九一八年一一月一日で、その一〇日後には終戦となった。この間に一度だけ空戦を体験したが、敵機は一機も撃墜していない。
 その若き少尉も一九四一年の今、四六歳になっていた。身分は第三帝国の副総統だ。総統ヒトラーを凌ぐのは恐れ多い──と悟っていたので、栄光の頂点を極めていたと言える。しかしルドルフ・ヘスの胸中では、間近に迫った独ソ戦が重大な脅威として蟠った。「ソ戦との戦いがどうしても避けられぬなら、せめて英国とは講和すべき」の思いは、病的な脅迫観念にまで膨れ上がった。先の大戦で東西両側に戦線を抱えたドイツは、兵力を二分して戦う不利に苦しんだが、最初に歩兵として従軍体験したヘス自身、それを熟知していた。前大戦ではロシアで革命騒ぎが起こり、途中で脱落したので、ドイツは西部戦線にのみ集中すれば良かったが。いずれにしても、西部と東部の両方で、同時に事を構えるのは救い難い暴挙には違いなかった。今次の大戦では北アフリカも火を噴いており、南部戦線まで新たに追加されたので、一度に三つの戦線で戦う羽目になっていた。これは狂気の沙汰だろう。また、ひとたび戦争が始まると、軍人の活躍ばかり持て囃される時代となり、副総統の存在感が薄れていた。表向きは第三帝国の後継者に指名されたものの、「ヘスが権力を手にすると、ヘスが迷惑するかドイツが迷惑するか判らん」と陰口を叩かれる背景もあった。VIPとしての値打ちが没落する前に、画期的な何か──「例えば世界が腰を抜かすような壮挙」に、挑まずにはいられなくなった。
 そこで副総統ヘスは、親独派と目される英国貴族ハミルトン公爵の助力を当て込んで、英国との和平に挑もうと奇想した。公爵とはベルリン・オリンピック(一九三五年八月)の歓迎晩餐会で一度面識があった。公爵は外交顧問としてヘスが個人的に登用したアルブレヒト・ハウスホーファー博士とも親密だった。取り分け、ハミルトン公爵は王族と姻戚関係にある有力な貴族で、英国では強い発言力を持つと思惟された。これはヘスの勝手な思い込みだったが。
 例え公爵が王族と姻戚関係にあろうと、国王ジョージ六世に気安く会える筈もなかった。申し入れと承諾を得るまで、一か月でも二か月でも、やはり待たねばならないのである。第一、英国憲法の下では、国王は単に国家の象徴でしかなく、チャーチルの政権には如何なる影響も及ぼせなかった。さりながらヘスは恰も国王に支配権があるかのように錯覚した。かつて、ドイツ軍のラインラント進駐で英国議会が紛糾した時、エドワード八世が首相ボールドウィンを叱責して、対独制裁を阻む一件が持ち上がったが、この出来事がヘスの記憶の中へ住み着き、勘違いを育んだ。結論から言えば、平和ボケしたエドワード八世の横槍こそ、「君臨すれど統治せず」の禁を犯す越権行為で、一言で言うなら憲法違反だった。剰へ軍事制裁を謳った『ロカルノ条約』を骨抜きにして、「いずれ世界をぶちのめそう」と企てるヒトラーを大喜びさせる大失態にもなっていた。尤も、立場が変われば評価も逆転し、ヘスの目にはエドワード八世が第三帝国を救った大恩人に見えた。思い込みで塗り固められた世界では、英国国王がドイツ救済への夢の架け橋となった。副総統はナチスが侵略戦争に現を抜かしている現状など忘れ果て、「ジョージ六世がドイツを助けてくれるかも知れない」の希望的観測を強くした。三六年の三月当時、エドワード八世対ボールドウィンだった図式が、四一年五月の今はジョージ六世対チャーチルに置き換わり、環境は激変していたのだが。いずれにせよ、副総統ヘスが思い描く英戦時内閣首班チャーチルは、「病的な戦争党の党首にして半狂人」だったので、思惑は「英独両国民を地獄へ投げ込む乱心者は、国王ジョージ六世の手で排撃して貰う」の、驚天動地の物語へ暴走した。
 やがてヒトラーの操縦士ハンス・バウルから、封鎖空域などを記した最新の航空図を手に入れた副総統は、好天が見込める五月一〇日を計画の実行日に選んだ。空軍大尉の制服を用意して英国へ飛んだのは、スパイと誤認されるのを防ぐ意図だった。これも事前に計画しており、ホルン大尉の名前と格好で、ヘスは日頃の訓練飛行を行った。「私が飛行機を飛ばしていることは内密に頼む」メッサーシュミット社の飛行日誌には、いつもそう言ってホルン大尉の名を記したので、誰も疑わなかった。
 一〇日の午後六時一〇分、単身勇躍として灰色のMe110に乗り込んだヘスは、洋服屋への代金未払いのまま、メッサーシュミット社の専用飛行場を飛び立つ。洋服屋への代金未払い? 空軍大尉の制服のことである。やはり興奮していたのだろう。この使命の為にわざわざ制服を仕立てたが、副総統は料金を踏み倒したまま英国へ向かったのである。
 ドイツ空軍の戦闘機隊基地やレーダー局の近くはなるべく避けて飛んだ。電波発信局の協力には副総統の権限を利用した。ただ、一〇日の夜は爆撃航空団が英国への夜間爆撃を企図し、およそ五〇〇機を出動させていた。秘密の計画がこれと鉢合わせしたので、電波発信局の約束も曖昧になった。英本土を目指して侵攻する爆撃隊も、攻撃目標への誘導電波を欲したのである。そこで副官ピンチュが発信局に掛け合い、爆撃隊の誘導に取り掛かるまでの一時間だけ、スコットランド方面へ電波を流して貰うことにした。お陰でこの電波に乗って飛べた副総統のMe110は、どうにかスコットランドの上空へ辿り着けた。しかし、領空侵犯は際どいタイミングで、英本土へ接近する直前に、副総統の駆るMe110は、インヴァネスのレーダー局に未確認の侵入機として捕捉された。英国機ならIFF(敵味方識別装置)の電波――味方機を示すパルス信号を発していなければならない。初夏の英国の黄昏は遅く、軍用時刻二二〇〇(午後一〇時)にならないと、辺りは暗くならなかった。夕陽がまだ真っ赤に輝いていた。未確認機接近の急報を受けた戦闘機隊司令部は、直ちに〈スピットファイア〉を緊急発進させた。副総統のMe110は風前の灯火か?
 本国では騒ぎが持ち上がっていた。「副総統ヘスが発狂した。Me110で英国へ向かったらしい。全力を挙げて食い止めよ!」第二六戦闘航空団のガーランド中佐に国家元帥ゲーリンクは下命した。黄昏の一〇分ほど前だった。間もなく日が暮れ、辺りは真っ暗になるが。夜間の捜索は不可能だ。飛行航路も判らないMe110をどうやって阻止するのか? が、命令は命令で、ガーランド中佐としてはこれを実行するしかなかった。とは言え、当時、Me110はドイツ各地を飛んでおり、副総統がどれに乗っているか知る術もなかった。無線で呼びかけても応じる道理がない。そもそも副総統が英国に向かったこと自体、破天荒な話で、俄には信じられなかった。
「各戦闘機中隊は、それぞれ一機、若しくは二機を発進させよ」ガーランドは有無を言わさぬ命令を発した。「日暮れだと言うのに緊急発進?」困惑する各基地の戦闘機隊は、取り敢えず夕闇が迫る空へ戦闘機を送り出した。追って無線指令が届くか? いや、梨の礫だった。任務の主旨は伏せられたままだった。ガーランドは仔細を伝えなかったが、「副総統が英国へ向かって飛んでいる」話を持ち出したら説明に困った。第一、この件は高度に政治的な問題で、何時どんな形で公表するかは、総統ヒトラーの判断を仰がねばならなかった。無闇に騒ぎ立てたら不謹慎の誹りを受けたろう。
「何の為の緊急発進か? 総監は気でも触れたか?」まともな指示を得られない戦闘機隊は右往左往した。任務説明も方位の指示もないと、何処へ飛んで行けば良いかも判らない。
 一方、副総統ヘスが英国上空へ到着した時刻は、当初の予定より早かった。おまけに緊急発進した〈スピットファイア〉が背後に迫っていた。これとは別に、旧式なボールトンポール社の〈デファイアント〉複座戦闘機も在空したが、こちらはまだ遠くにあった。〈デファイアント〉の最大速度は二六〇ノットに過ぎないので、見つかっても振り切って逃げられたろう。問題なのが三一三ノットの高速で追って来る〈スピットファイア〉で、こちらに補足されたら一巻の終わりだった。Me110は木っ端微塵に砕かれて墜落した筈だ。しかし、一つ幸いなことに、イングランド上空は厚い靄に覆われており、夕陽を赤々と照り返していた。迎撃機の赤黒い機影を察知したヘスは、高度二万フィートから溶鉱炉みたいなガスの塊へ飛び込んで、その中へ姿を眩ました。あと一息と、侵犯機を追跡した〈スピットファイア〉のパイロットは、血のように赤い反射光に目が眩み、撃墜用の獲物を取り逃がした。幸運の加護が働いたか? それとも運命の悪戯か? 靄の照り返しがなければ、ヘスの操縦するMe110は紛れもなく撃墜されて、騒動も起こらなかった筈である。
 行方を眩ましたMe110は、降下加速の勢いに乗って四〇〇ノットまで速度を高め、猛然と大地を目指した。このままでは地面に突き刺さって爆発する。ヘスは必死で機首を引き起こし、家屋の屋根を掠めた。どうにか態勢を立て直すと、その後は低空飛行を続け、グラスゴーの近辺へ辿り着いた。最後に高度を上げて落下傘で飛び降りた。農場らしい場所へ舞い降りたのは、午後一一時を少し回った頃で、辺りはすっかり暗くなっていた。メッサーシュミット社の飛行場を飛び立ったのが六時一〇分だったので、五時間ほどかかったことになる。初体験となる落下傘降下で大地に着地した際、左の足首を痛めて唸る羽目になったが。空を見上げると天空には満月が輝いていた。間もなく農夫デビッド・マクリーンが駆けつけた。数百ヤード先に墜落したMe110の爆発炎上に肝を潰し、「何事か?」と様子を見に来たのだ。この男は農場で働く農夫頭だった。ヘスはマクリーンに肩を借りて、ひとまず彼が住む家へ向かった。
「ドイツ将校が面会を求めている?」打診されたハミルトン公爵は目を丸くした。国際派らしく、平時には公然と親独派を吹聴したが、無論、戦争になれば様子も変わった。空軍中佐でもある公爵は、ターンハウスの戦闘機隊基地に赴任しており、ドイツ空軍と戦っていた。傍迷惑にも闖入者の身元確認に駆り出された公爵は、そのドイツ将校が連行されたグラスゴーの兵営まで出かける羽目になった。左の踝を挫いた副総統ヘスは、病室で公爵の到来を待ち侘びていた。乞われるままに面会したものの、唐突な感じで、公爵にはルドルフ・ヘスがどうしても思い出せなかった。一方的に「面識がある」と言われても、五年も前だったし、オリンピックを祝うナチの晩餐会で儀礼的に会っただけなのだ。おまけに当人は空軍大尉の制服を着用していた。所持する偽物の身分証もホルン大尉と記されていた。「最初からナチの副総統を名乗ると、いきなり暴行される恐れがあるので、名士に会うまで身分を隠すつもりだった」と説明した。この予防処置は却って混乱を生んだ。「副総統ヘスだと言い張って止まないホルン大尉? 捕虜になったドイツ将校が取り乱しているだけか? それとも悪意ある撹乱か? ひょっとして本物か?」判断に悩む公爵は、しばしの猶予を貰うと、週末をディチュリー・パークの別荘で過ごすチャーチルに会いに行った。居場所を探し出すのに骨を折ったが、急行して面会を求めると、意外にも映画に誘われた。演目は『マルクス兄弟西部へ行く』だった。「ナチの副総統かも知れない人物が押しかけて来たと言うのに……」ハミルトン公爵は、首相と一緒にドタバタ喜劇を鑑賞する羽目になった。尤も、奇想天外な出来事に加え、あちこち駆け回ったせいで、公爵はくたびれ果てており、映画の途中で寝込んでしまった。物語はさっぱり判らなかった。
「ナチの副総統が空から降って来たとおっしゃるのか?」以前から楽しみだった映画を観たあと、目覚めた公爵の前でチャーチルが見せた反応も当惑だった。首相の視線は苦渋に充ちて虚空を追った。チャーチルは別な問題を危惧した。大英連邦は今、ヒトラーとの戦いに総力を挙げていたのだ。その総本山へ、ナチの高官が平和の使者などと嘯いて舞い込んで来たら面倒なことになる。下手をすると厭戦派や平和団体などが騒ぎ出して、国家的な使命を腰砕けに追い込んだかも知れない。万一、国論がナチス・ドイツとの平和共存に傾いたりすれば、紛糾の収拾にそれこそ骨を折ったろう。これは笑い事では済まされなかった。前年夏の『英本土航空決戦』には輝かしい勝利を収めたが、執拗なドイツ空軍の夜間爆撃が続いて、首都ロンドンや工業地帯が喘いでいたし、耐久生活が続く国民の不満も募っていた。戦時内閣が「パンより大砲、バターより戦闘機を求めた」ので、結果的に国民を虐げる羽目になっていた。「戦争はもう懲り懲りだ!」の大合唱が湧き起こっても不思議はなかったろう。
「卑屈な平和を得る為に、悪魔に魂を売るか?」いや、チャーチルには言語道断だった。一国家や一民族の利害の問題ではなかった。自由世界全体を死守する戦いだったのである。「英国は助かりたい。周辺国はヒトラーに滅ぼされろ」などと言える公理がなかった。我欲の為に同義に背けば、将来、見捨てた国々から復讐されたろう。これが次の戦争に繋がったら本末転倒となる。「事件を隠すか?」とも思ったが、これにも問題があって、全体主義国家のような隠蔽工作が出来る筈もなかった。ドイツ側から何らかの発表があるだろうし、中立国も事件を知り、やがて騒ぎ立てるに決まっていた。つまらない隠し立ては「何かあったに違いない」と、却って国民の疑惑を大きくしたろう。「ヘスを第三帝国へ送り返すとしたら?」これも埒外の問題だった。戦時中、勝手に和平工作へ走れば、送還した途端にヘスは軍法会議にかけられたろう。恐らく銃殺された筈で、人道的な措置とはならなかった。あとで「銃殺させる為に追い返したのか」などと、皮肉られる恐れもあった。多忙な戦時に難題を突きつけられたチャーチルは嘆息した。
 一方、ベルリンのヒトラーも焦燥に駆られた。迅速に対応しない英国側の態度は、せっかちな独裁者をますます苛立たせた。チャーチルとしては、ナチの副総統が落下傘で降ってくるなど思いも寄らぬ珍事で、まずルドルフ・ヘスと名乗る人物が、本物かどうかを見極めねばならなかった。当初は「何らかの欺瞞行為かも知れない」とさえ邪推した。当人の注文で最初に接見したハミルトン公爵が、その場で認知できなかったので、余計に手間取った。英国としては、ヘスを間違いなく確認できる人材を捜さねばならなかった。これには外交官が適任と考えられ、BBC(英国放送協会)欧州部長の任にあったカークパトリック氏に白羽の矢が立った。人相見に選ばれた同氏は、大使館の参事官を務めたことがあって、戦前はベルリンで暮らしたのである。ナチの高官たちと交遊があったので、同氏なら副総統ヘスを見分けられたろう。呑気な対応か? いや、ドイツとの和平に一片の幻想も持たないチャーチルは、別して急がなかった。仮に副総統ヘスがヒトラーを撃ち殺して訪英したにせよ、チャーチルが気を惹かれることはなかったろう。
 首相は反ヒトラー派からも和平の打診があったことを知っていた。相手は旧ライプチヒ市長のカール・ゲルデラーを中心とする一派だ。手先の一人を勤める駐伊ドイツ大使ウルリヒ・フォン・ハッセルの言い分によると、独裁者を追放したあと、その人物が略取した世界はそっくり頂戴して、利得的な世界平和を創造する予定になっていた。四一年二月、スイスで密会した英国のブライアンズにそう語っているのだ。ヨーゼフ・ミュラー博士も、やはりバチカンで英国の使者と会談した時、同じようなことを伝えた。
 こんな条件では、虐げられた人々が、泣くに泣けなかった。ところがこの連中は、そうした平和の実現が可能と思い込んでいた。ドイツ優先主義に凝り固まっていたようである。隣家に押し入って、食物や酒を勝手に貪り、金を奪い、家具なども散々ぶち壊した揚げ句、「仲良くしましょう」と手を差し出す気だ。本物の誠意を知らない低級な人種だった。交渉など問題外で、チャーチルの考えによると、「これら居直り強盗みたいな連中こそ、一纏めにして、流氷が浮かぶ北海へ投げ込むべき」だった。英国が総力を挙げて取り組む戦争は、決して蛮人ヒトラーの打倒だけが目的ではなかった。ドイツの掃き溜めを一掃し、良識に基づく世界を再建することが主旨だったのである。
 厄介な問題だったが、突発した奇天烈な事件の中にも、一つだけ有利な材料が見つかった。間の抜けたことに、独断専行して対英和平に熱中した副総統ヘスは、指導者ヒトラーの信任状を持たなかった。仮に英国が血迷って交渉の席に就くとしても、一個人を相手に条約が結べる道理がなかった。副総統の訪英は個人的な冒険の域を出るものではなく、効力など最初からなかったのである。「最高権力者の委任状がない?」この大失態に気づき、茫然自失する副総統ヘスは、立ち所に戦時捕虜に格下げされた。
 空白の時間が過ぎた。結果を待ち切れないヒトラーに別な問題が持ち上がった。事件が同盟国に及ぼす影響である。徒に時が経てば、疑心暗鬼が波紋のように拡がったろう。「盟友イタリアはどう出るか? ともに英国と戦う身だった。ドイツだけ抜け駆けで英国と単独講和を結んだら、一体、どんな反応を示すだろう? 下手に成功すればムッソリーニが発狂するか?」
 四一年五月初旬のイタリア軍は、ロンメルが率いるDAK(ドイツ・アフリカ軍団)の傘下にあり、リビアの要衝トブルクを攻めていた。第一次の攻勢は作戦を英軍に見抜かれて失敗し、一旦、エル・ガザラへ撤退する羽目になるが。ここでもしヒトラーの命を受けたDAKが帰国すれば、戦場に取り残されるイタリア軍が惨敗するのは、火を見るよりも明らかだった。おまけにイタリアの植民地リビアまで風前の灯火になった。追い詰められるムッソリーニが、半狂乱の発作を起こすのは必至に思えた。そればかりか極東で『太平洋戦争』の準備に勤しむ日本も、ドイツの対外政策を怪しんだろう。四〇年九月二七日、『日独伊防共協定』の強化版と言える『三国同盟』を締結しつつ、日露戦争を戦って以来、日本が永年の宿敵としたソ連と独断で『不可侵条約』を結んだ経緯もあった。それが今度は副総統の訪英である。「ドイツは舞台裏で何を画策しているのか? ドイツ外交は出鱈目か? 一体、誰が敵で誰が味方か?」と不信を募らせたろう。呑気に成り行きを見守れないヒトラーは、同盟国との板挟み、若しくは軋轢を恐れ、「ルドルフ・ヘスは発狂した!」と公表するよりなくなった。英国との講和が成立する見込みなど、万に一つもなかったが、焦ったヒトラーが「精神錯乱」を持ち出したので、世界を戸惑わせた奇想天外な茶番劇は、さっぱり進展を見ないままに幕切れとなった。この件に付随して外相ヨアヒム・フォン・リッベントロップが慌ててローマへ飛んだ。「副総統は妄想の犠牲になられたのです」リッベントロップは不機嫌なムッソリーニに大汗を掻きながら釈明した。
 後日、事件に大仰に驚いて見せたヒトラーを、ボーデンシャッツ空将が「実に見事な芝居だった」と評した。空将はゲーリングの副官である。なら、苦々しく対策会議に馳せ参じたゲーリングも、当然ながらこの事件を知っていたろう。戦争の最中に、副総統ごときが独断で対英和平交渉に向かっても、決して相手にされないことも含めて。ヘスの愛妻イルゼ、女性秘書のヒルデガルトも、総統の了解事項と考えていた。ヘスの旧師カール・ハウスホーファー教授(アルブレヒトの父親)もそうだったし、ナチ党でAO(外国組織)を率いるエルンスト・ボーレも「公然の秘密」と受け止めていた。
 では、ヒトラーは承知だったのか? となると、実はヒトラーも副総統の愚計を事前に知っていた。まるで見込みのない計画をヒトラーが黙認した証拠なら、ヘスの直接の副官ライトゲンを証人として挙げられる。ヒトラーとヘスが、この問題について話し合った紛れもない会話の一部を、彼は小耳に挟んでいる。ヒトラーとヘスはライトゲンを遠ざけて話し込んだので、興奮した時の大声しか耳に入らなかったが、態度で判った。副総統の和平工作は黙許された愚行だったのだ。間接的な証明としては、事件後、副総統ヘスの周辺に居た関係者で、拷問された者や処刑された者が一人も居ないことを挙げられる。全体主義国家で国家的な不始末があれば、「大量投獄や大量処刑が行われるのが相場」だ。実際には殆どの者が、簡単な事情聴取の後、放免されている。副官ライトゲンと、親衛隊から派遣された護衛のピンチュが強制収容所へ送られたが、これは由々しき騒動に激昂した総統秘書マルチン・ボルマンの「個人的な差し金」だった。「けしからん、誰かに責任を取らせねば」と、ボルマン一人が熱り立ったのである。
 そして、何とも陳腐な顛末となった事件の発端は、「道化たちの不才と魯鈍から生まれた」と評するよりなかった。急迫する独ソ戦を前に、底知れぬ戦火の拡大を恐れた副総統は、「せめて英国とは講和すべき」と焦ったが、「成功の見込みなど皆目ない」ことを失念したばかりか、総統の体面に配慮して「成果が得られない場合、個人の暴走で片づけるべし」と献言して飛び立っていた。失敗を個人の暴走で片づけるなら、最高権力者の委任状を貰うことは出来ないし、委任状を持たなければ尚のこと、英国政府に相手にされなかった。要するに「失敗の下拵えをして出かけた」ようなものである。気が利いて間が抜けている――この現実に全く気づかなかったらしい。
 副総統の知慮はその程度だったのか? 合衆国国務長官代理サムナー・ウエルズの手記を見ると興味深い。一九四〇年、コーデル・ハル長官の代理としてベルリンを訪問した氏は、三月三日、副総統と面談した。「知性が低い印象を受けた。伝聞を繰り返すばかりで話に主体性がない。自己の思想、哲学がないのだ。この人物と議論しても無意味」とウエルズはノートに記した。報告書作成の覚え書きとする為に。
 他方、ヘスの独断専行を放任したヒトラーもヒトラーで、ここでは現実主義者らしからぬ迷走を見せつけた。常軌を逸した計画の黙許はどうしたことか? ヘスの道化芝居に振り回されて、流石のヒトラーも血迷ったか?
「血迷った」と言うなら確かにそうだろう。理解に苦しむのは、ドイツが独断でおかしな裏工作を行えば、枢軸同盟が分裂の破局を迎えることで、これは最初から明々白々に判り切っていたことだ。「なら、この反動を彼等は考えもしなかったのか?」と問わざるを得ないが、愚計に狂ったヘス同様、不意打ちの奇談に面食らったヒトラーも、混乱したせいか、眼中になかったと言えそうである。直後に同盟の破綻に思い当たり、慌てて「精神錯乱」を引っ張り出した所に、その狼狽ぶりが良く表象されている。「万一の時は精神錯乱で片づければ宜しい」は、交渉決裂の事後処置としてヘスが用意した逃げ口上だが、実際には枢軸同盟の破綻を防止する目的から、ヒトラーが大童で持ち出す羽目になった。四一年五月は対ソ侵攻を発動する直前で、ファシズムと共産主義が抱き合って踊る奇怪な『独ソ不可侵条約』もまだ効力を持っていた。ソ連の神経まで逆撫でする結果だが、これもヒトラーには考慮の対象外だったらしい。「副総統ヘスが錯乱して英国へ飛んだ? 一体全体、何をしでかす積もりだったのか?」当然ながら憮然が顔に張りついたようなスターリンも事件を怪しんだ。幾ら自問自答しようと答えは一つしかなかった。「英独が手を組んで、ロシアを片づける相談に行ったのではないか?」モスクワのスターリンはえらく不機嫌になった。それでも未だロシアの独裁者はヒトラーを見くびった。ドイツ当局の公式発表たる「精神錯乱」を受け入れて、安心路線に立ち戻った。
「考えるに、副総統ヘスはゲシュタポの追求を交わす為、亡命を求めたらしい」これは英国側の報道だが、この時点ではBBC欧州部長のカークパトリックも、国内厭戦派への配慮から真相を明かせなかった。
 いずれにせよ、第三帝国が副総統を狂人扱いした瞬間に、英国政府が交渉を検討する余地も費えた。どんな国の政府であれ、「精神に錯乱を来した狂人」と、まともな交渉をする謂われがなかった。交渉相手の政府まで発狂していれば話は別だろうが。結果として、在り来たりの捕虜として収容所へ送られたヘスは、無念な思いで終戦の日を待つしかなくなった。最初から暗愚だった計画は、不首尾に終わった際の対応処置だけが的中する、「出来損ないの狂言」で終わった。ところが歴史の暗黒面は、本件の呆気ない落着を易々と許さず、後日、この滑稽談に、引き続き間の抜けた笑劇を付加する。赤面の総統閣下は、ヘスとの絶縁を公表し、自ら招いた不快と訣別したが、親衛隊長官ヒムラーと国家公安本部長官ハイドリヒ、それに情報部のシェレンベルクは我慢がならず、副総統暗殺を秘密裏に画策した。その彼等は、六月に予定されたソ連侵攻の『バルバロッサ作戦』が、副総統の口から英国へ漏れることを危惧した。逃亡者となったヘスを散々に罵倒した宣伝相ゲッベルスに至っては、その知りうる所を英国の政治宣伝に悪用されることを懸念して、幾晩も眠れぬ夜を過ごした。ヘスの名や写真を勝手に使われて、世界的な反ナチ・キャンペーンを展開されたら一大事だった。週刊誌の猥雑な記事も顔負けに、「副総統、ナチ高官の密謀を告白」などとした醜聞を暴露されると、ドイツ国内や枢軸側指導部が騒然となったろう。第三帝国の権威は地獄の底まで真っ逆さまに墜ちた筈である。国会放火事件に政敵の謀殺、SAの粛正騒ぎ、オーストリアの乗っ取りにスロバキアの横領、チェコの恐喝、ポーランドでの蛮行の数々――ナチスが繰り広げた悪行は数知れずだった。
 その一端を紹介しよう。一九三八年八月、ナチスが排外を目論む数千人のポーランド系ユダヤ人を、同国政府に押しつける事件があったが、ポーランドが引き取りを拒むと、親衛隊は彼等をトラックに乗せて国境へ運び、荒野に投げ捨てた。呆れた話だが、狩り集めた人々をゴミ同然に不法投棄したのである。指揮したのは親衛隊の獣人ハイドリヒだった。呆れる ?いや、暴力と陰謀に官能したこの男の意識下では、病的平和に狂った連中の卑俗な理念など、およそ憎悪や侮蔑の対象でしかなかった。ハイドリヒはこの下劣を引き裂き、踏みしだくことに無上の快楽を覚えた。「平和、暴力反対? そう言うお前たちが暴力行動をしないから、我々が繁栄するのだ。世界に一番迷惑をかけているのは、お前たちだろう」と宣うこの男は、卑屈の本性を知得しており、愚弄を楽しんだ。その主人と言う形で第三帝国に君臨したヒトラーはもっと狂っていて、ポーランド社会の頭脳階級を皆殺しにし、国体を無能化して、問答無用で支配する肚だった。まず抵抗の主幹となる知恵を根こそぎ奪ってしまい、次いで奴隷支配する夢想に耽ったのである。
 第二次大戦の開幕も仕組まれた陰謀だった。東部国境近くのグライビツ国営放送局がポーランドに攻撃され、表向きはこれを大戦の契機とし、ヒトラーは「防衛的行動」を宣しつつ軍事行動を命じたが、実際に襲撃と占拠を行ったのは、ポーランド兵に扮した親衛隊員ヘルムート・ナウヨクスSS中佐(当時中尉、二七歳)で、長官の名を冠した『ヒムラー工作』の準備に当たったのは、この頃、親衛隊SD(情報部)を率いたラインハルト・ハイドリヒ、それに秘密警察ゲシュタポの長官ハインリヒ・ミュラーだった。ナウヨクス本人は、戦後、ニュールンベルクの国際軍事法廷で、「下命されたのは八月一〇日、襲撃を行ったのは三一日午後七時二七分」と証言し、米軍捕虜収容所から逃亡してしまう。
 この捏造工作には注射で仮死状態とした死刑囚の遺体が一つ提供された。銃撃戦で死んだと見せかけるのが目的だった。血塗られた死体を現場に残す──ナウヨクスの証言によると、材料はこの段階では生きていたそうだが。仕掛けが滞りなく済むと、ポーランド兵に変装したナウヨクス中尉とその部下六人が、武器を振り回して放送スタジオへ乱入し、ドイツを愚弄する声明文を読み上げた。この作戦に於ける実際面はひどい手抜きで、当初、一個中隊(およそ二〇〇人)の参加が検討されたものの、実際に行動したのはナウヨクスを含むたったの数人で、一ダースほど提供される予定だった死体も一つしか用意できず、ポーランド兵に化けさせるどころか私服のままだった。華々しい銃撃戦が行われたと見せかけるには、死体に無数の機銃弾を撃ち込むのが至当だが、現地でナウヨクスが検分した限りでは銃創など見当たらず、薬物注射で重態に陥れた囚人の顔に「ただ血が塗りたくってあっただけ」らしい。「戦争に勝ってしまえば些事などどうでも良い」と即断したか? 多分、準備期間が足りず、中途半端になったのだろう。ナチ親衛隊の陰謀とは思えない杜撰な代物だった。
 さりながら『缶詰作戦』は誤り伝えられる結果になる。オラニエンブルグ収容所から死刑囚四三人が連行され、毒物注射をし、ポーランド兵の軍服を着せたとか、一人を放送局の階段前で射殺したとか、他に一二人を撃ち殺して死体を散布した――と言った類の話である。指揮官ナウヨクスのニュールンベルクに於ける法廷証言が、「全く違う」と言うのに、奇妙な話である。いずれにせよ、この瞬間を待ち侘びたヒトラーは、手筈通り「国益が侵された」と嘯いて、待機するドイツ軍にポーランド侵攻作戦「ファル・ヴァイス」を下命した。一〇年の有効期限で締結してあった不可侵条約も踏み倒した。
 こうした一連の不祥事が、捕虜になった副総統ヘスの口を借りて、英国側へ筒抜けになることをゲッベルスは恐れた。必ずしも副総統が全てを知っていた訳でもないが、抜け目のないSIS(英国秘密情報部)なら、委細構わず副総統の名を利用して、三文小説顔負けの醜聞を、如何にもそれらしく捏造する可能性があった。極論を言えば事実関係はどうでも良かった。宣伝が本業のゲッベルスはそれを熟知していた。事実無根でも大衆の間に動揺が拡がり疑心暗鬼に陥る――この「心理効果」が恐ろしかった。一旦、不信感が植えつけられると、あとで幾ら誤魔化そうとしても、完全払拭は難しい。時として事実無根にも係わらず、暴動や反乱、革命が起こることもあった。
「爆弾のようなプロパガンダが、いつ頭上で炸裂するか?」暫くの間、ゲッベルスは、第三帝国を罵り倒すデマが来襲する凶夢に魘された。皮肉を言うなら、嘘をついた方が得と言う一面があった。しかし、実際には何事も起こらず、ゲッベルスの杞憂は空振りで終わった。と言うのも、副総統ヘスの扱いを誤ると、「ドイツに囚われている英軍捕虜がどんな仕返しをされるか、判ったものではない」と懸念するチャーチルが、捕虜として扱う以上のことを許さなかったからだ。
 他方、親衛隊は副総統の身柄を英国に預け置くことを快く思わず、五月一九日の夜、刺客二名を空から送り込んだ。暗殺者たちが降下目標としたロンドン北郊ルートンには、ハミルトン公爵の屋敷があった。ヘスの身柄はすでに憲兵隊へ移されていたが、親衛隊は「標的が公爵邸に滞在する」と独り善がりに決めつけた。時間的に余裕のない焦りからか、流石の親衛隊も「標的の居場所」を確認せず、間の抜けた暗殺計画を暴走させる。おまけに秘かに潜入する予定だった二人の殺し屋も、夜空を切り裂く探照灯の光芒に、落下傘をくっきりと浮き上がらせる失態まで重ねた。この夜も英国に対する夜間爆撃が行われたので、暗殺者たちは爆撃騒ぎに紛れて潜入する予定だった。ところが、高射砲部隊の射撃照準を目的に、照空隊が活動することを失念していた。夜空にドイツの爆撃機を追い回す探照灯は、その最中に、二つの怪しい落下傘を発見した。これは秘密任務を暴露する児戯だったか? 道化芝居の添景としては相応しい手抜かりだったろう。「恐るべき親衛隊」の評判をぶち壊す、底なしの間抜けさと言う形で、計略は失敗した。罰の悪いSSコマンド二名は、着地したその場で逮捕された。正規の軍装を身につけていなかったので、スパイとして扱われ、即刻、銃殺された。

 戦後、「英国へ飛んだヘスは影武者だった」とする珍説が飛び出した。が、これは「空想の狂人が悪夢にでも魘されて思いついた世迷い言」だろう。一九四五年一一月二〇日、午前一〇時から始まった『ニュールンベルク裁判』は、四〇七回の審理を行い、翌年九月末に結審した。A級戦犯ルドルフ・ヘスには終身禁固の判決が下った。これでベルリン・シュパンダウ国際戦犯刑務所の第七監房が、この男の生涯の住処となる。独房に隔離されたので、近寄り難い存在となるが、ヘスは母親のクララやイルゼ夫人と手紙を遣り取りしている。特にヘスが愛妻に書き送った手紙は多い。その後の三〇年間で数百通にも及ぶ。ずっと後だが妻子と面会もしている。親族や夫婦間には情愛の機微や秘事──第三者には計り知れない逸話がごまんとあるので、影武者を仕立てて欺くことなど不可能だ。声や話し方、アクセントの癖、手紙の書き方から筆跡を真似るのが難しいだけでなく、中味はもっと厄介である。そもそも、遙かな昔、アレクサンドリアでどんな幼少時代を送ったか、両親や兄弟との細々とした家族関係はどうだったか、など、他人には知りようがない。第一歩兵・親衛連隊に勤務する軍医の娘で、哲学を専攻したイルゼ夫人との仲もそうで、結婚前の交際や結婚に至った経緯、彼女の家族のこと、二人でスキーや登山に熱中したこと、子供の誕生や子育て、その他の家庭内に於ける出来事も、第三者には謎だらけである。
 他にも問題があった。複雑怪奇な趣味の世界である。ヘスは音楽通で特に室内楽に造詣が深かった。好きなのはモーツァルトとベートーベンで、総統ヒトラーや第三帝国が好んだワーグナーは嫌いだった。そしてユダヤ人のヴァイオリニスト──デビッド・オイストラフを尊敬した。ところが、オイストラフがユダヤ人とは知らなかった。また、人知学、神知学なども研究し、占星術や自然療法、夢占いにも凝った。ルドルフ・シュタイナー学派なる怪しげな団体を贔屓にした。この自然療法に関し、奇妙な料理を自分で作り、総統官邸へ持ち込んで、帝国の首脳部とは別に食事を取った。副総統には一風変わった所もあったのだ。そうした人物に化けるとすれば、同じように「風変わりな」人物でなければ難しいだろう。交友関係も独特で、ヘス個人のパーティーに集まる客の中には、熱狂的なナチスは一人も居なかった。更に言うなら時間もなかった。副総統は数か月の準備期間を経て英国行きを実行したので、影武者を仕立てる側も、秘計に気づいたら、直ちにそっくりな人物を見つけ、あらゆる情報を詰め込まねばならなかったろう。前掲したように、音楽通と言うだけでなく、人知学、神知学、占星術、自然療法、夢占いにも凝ったのである。自家用機を飛ばした他に、Me109やMe110の訓練飛行も行った。登山にスキー、スポーツ・カーを乗り回すのも好きだった。おまけにヘスは海軍に熱中した時期があって、殆どの軍艦の排水量や兵装を丸暗記していた。
 ヘス副総統は、父親が貿易商だった関係で、アレキサンドリアで生まれ育っている。が、アラビア語は少ししか喋れず、英語も英国行きに備えて数か月ほど学んだだけだ。繰り返すが、ヘスはオイストラフがユダヤ人とは知らずに尊敬した。何より難しいのが、「半端な知識を持った人間に化ける」ことと言える。
 そもそも母親や妻には理由など要らなかった。本物かどうか、高感度のレーダーみたいに感受するからだ。影武者などと言うものは、漫画の世界に存在する代物で、こうした妄想に取り憑かれるのは、「幼稚な漫画家か、半狂乱の映画監督、金儲けに狂った作家」くらいなものだろう。前世紀に、一国一城の主などが影武者を用いたが、これには近寄り難い存在で、尋問が出来ない環境があった。家臣や敵のスパイも、遠くから眺めることしか出来ない曖昧な状況が、それを可能にした。このように隔離することが出来ないなら、影武者を仕立てるのは不可能だ。そもそも、「自分の家族が他人と入れ替わっても気がつかないか?」と自問すれば、答えは直ぐ知れよう。妻子が別人とすり替わっても気づかない主人が居るとすれば、それは一家の主人たる資格もない「ただの馬鹿」である。
 思いもよらぬ敗戦、崇拝の対象だった総統の死、極刑が濃厚な戦犯裁判の窮状から、ヘスは一時期ノイローゼに陥った──平静で居られる道理もないが、そうした症状を別人と思い違う、小学生並の判断力が原因かも知れない。この方式で言うなら、世界中の何十万人と言う精神病患者が、みな影武者にされそうだ。元々、副総統には奇行癖があったが、戦前にヘスと交遊したナチの高官たちは、当たり前のように知悉した。
「奇行癖」もまた曲者で、逆な意味で警戒を要する。奇妙な逸話の中に「捏造」が少なくないからだ。ヘスが英国へ飛んだ時、第3帝国は「発狂」を公式見解としたので、それを国民に信じ込ませる必要があった。この件に関連して、ゲッベルスの宣伝省が、馬鹿げた話を幾つもでっち上げている。例えば「総統代理は旅行先で地下の放射能を探し、頻繁にベッドの位置を変えさせた」と言うのがそうだ。ゲッベルスは嫉妬心も激しく、出世の競争相手を貶めることに熱中した。この「捏造」を真に受けて、著作やドキュメンタリー番組に取り入れて笑う者があるが、プロパガンダを玩具にする連中に、誑かされているだけである。これでは「大した器ではない」と自己宣伝してしまう。陰険無比なマルチン・ボルマンも、出世の妨げになる人物を貶めようと策動したので、こうしたろくでなしどもの言い草は、迂闊に信用してはならない。

 その手の馬鹿話より、戦後、ドイツで流行った冗談の方が、遙かに気が利いていて辛辣だ。娯楽性も格段に優れている。終戦の日、ヒトラーがソ連軍の最高司令部に出頭して、敬礼しながら報告するのだ。「ヒトラー伍長、ただ今戻りました。ドイツはもうお終いです」