東京の国宝・重要文化財(建造物)を訪ねて

旧弾正橋「八幡橋」(重要文化財)------江東区富岡1-19〜2-7

江東区

深川富岡八幡宮東側の小道に、遊歩道を跨いで赤い小さな橋が架かっている。
明治11年、東京府の依頼で赤羽製先所が制作した国産第一号の鉄橋で、弾正橋と呼ばれたが、昭和4年に現地に移され八幡橋と改称。
長さ15.2m、幅2m、単径間アーチで、昭和52年に「近代橋梁技術史上価値が高い」理由で重要文化財に指定された。 

(江東区教育委員会) → 『掲示板』

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アメリカ人技師スクワイヤー・ウイップルの特許を基本としたと言われ、鋳鉄製5本の直材を繋げたアーチを、錬鉄製の引張材や部品を独特の構造手法で纏め上げた点が高く評価されている。
菊の紋章も珍しい。


八幡橋の下に整備された短い遊歩道の脇の草むらに、古ぼけた人道橋が転がっている。かって、「新田橋」と呼ばれ、大横川に架かって木場5丁目と6丁目を結ぶ人道橋だった。
木場5葉目の開業医「新田清三郎」が昭和7年に事故で亡くなった夫人のための「橋供養」とし、地域住民の便利性をも考えて造ったもの。当初は「新船橋」と命名されたが、人望厚かった新田医師は死後も住民に愛され、橋はいつの間にか「新田橋」と呼ばれるようになったという。