Copylight(c) 株式会社スガハラ
All rights reserved.

 ホータンとは…


中国・新疆ウィグル自治区の西南部、北緯約37度(日本の能登半島とほぼ同緯度)
東経約80度、西域南道に位置し、タクラマカン砂漠を取り囲むオアシスの一つである。

コータン、ホタンとも言うが、現在は 『和田』 と漢字表記する。
かつては于闐(ウテン)、和闐(ホータン)ともいった。

白玉河(ユルン・カシュ)と黒玉河(カラ・カシュ)が流れる
ホータン市の人口は約17万人、県の人口は約26万人(共に2000年調査)である。

「漢書」(後漢時代に編纂された前漢時代の歴史書)西域伝には
戸数3,300戸、人口19,300人と記されている。

 ホータン絨毯とは…


ホータン絨毯は約二千年前から織り続けられてきた。

楼蘭故城北方地区古墳から、漢代(1~3世紀)の「獅子文」絨毯が出土した。
これは木棺の下に敷かれていた。

さらに洛浦(ロプ)県山普拉(サンプラ)1号墓地2号殉馬抗から出土した
鞍覆の小さい正方形の絨毯(漢代)である。

さらに、2世紀から4世紀にかけての楼蘭王国では、
絨毯が税の代わりに物納されていたことが
「カロシュテイ文書」に記されている。

唐代、7世紀に玄奘三蔵はインドからの帰路に立ち寄った瞿薩旦那国
(クスターナ・現在のホータン)は、氍毹(くゆ)・細氈(さいせん)を産出し、
糸を紡ぎ施紬(=しちゅう:つむぎ織、現在の絣のアトラスであろうか)に
巧みであると「大唐西域記」に記されている。

「清代の新疆図誌、実業編」によると、ホータン産の絨毯を
三千枚ほどソ連領の安集延(アンデイシャン)及び浩窂(コーカンド)へ、
千余枚を英領インド及びアフガニスタンへ販売した。

一時衰えたホータン絨毯工業を再興したのは、1909年ホータンにやって来て
絨毯工場と絹工場を1938年88歳で亡くなるまで経営していた
アルメニア人カレキン・モルドヴァック(カレキン・バイ)氏であり、
「ケルクン・ヌスカ」等多くの絨毯の文様を創案した。
ホータン絨毯の中興の祖である。

 ご案内


このたび、ホータン・アンティークカーペット/セミアンティークカーペットを
多数入手致しました。

西域・中国新疆ウイグル自治区、和田(ホータン)周辺で、
主に植物染料(茜・柘榴の外皮・胡桃の外皮・桑の樹皮・葡萄の葉・藍など)を
用いた羊毛の手織絨毯です。

製作された年代は主に1900~30年代で、中にはそれ以前の19世紀末に
製作されたものもあります。

これらの絨毯は現地でも少なくなって貴重なものになっております。
是非ご高覧賜りますようにご案内させていただきます。

尚、商品の特性上、通信販売は行なっておりませんので
当ギャラリーへご来店頂き、商品を御覧になった上で
お買い求め頂きますようお願い申し上げます。

ホータン位置図
(↓クリックすると拡大)