海老原博幸・ポーン戦

『若武者ファィティング原田』
7年ぶりに世界王座を日本へ 弱冠19歳の原田は
タイの王者ポーン・ キングピッチを初回から圧倒、
持ち前の ラッシュ戦法でついに11回KO勝ち。
白井義男が失った世界フライ級のタイトルを
日本にもたらした。

昭和37年10月10日 蔵前国技館


『世界戦、初の日本人対決は小林が沼田をKO』
エロルデから世界フライ級の王座を奪った沼田義明は
初防衛戦を同胞の小林弘の挑戦を受けた。
中南米遠征から帰った小林は逞しく変貌していた。
四回にダウンを奪った小林は12回右フック一発で沼田をKO。
この試合は年間最高試合に選ばれた。
小林はこの後、王座を六度防衛、
沼田もWBC同級王座に返り咲いた。

昭和42年12月14日 蔵前国技館


関光徳・ベラニド戦

『大場、チャチャイを逆転KO
       五度目の防衛。だが・・・』
大場政夫はタイの老雄チャチャイ・チオノイと対戦、
前の防衛戦と同様に初回にダウンを喫し、
苦しいスタート。
持ち前の根性と闘志で乗り切り、中盤から盛り返し、
ついに12回連打でチャチャイを再三ダウン、
逆転KOで防衛した。
だがその一週間後、自らが運転するスポーツ・カーが
首都高でダンプカーと正面衝突、
23歳の若さでこの世を去った。

昭和48年1月2日 日大講堂

 

 

『昭和のプロボクシング
           名勝負50番』

 

ファイティング原田・ジョフレ戦

『藤 猛、ロポポロをKO、ついに世界王座に』

藤のハンマーパンチはイタリアから来た
世界王者サンドロ・ロポポロとて敵では無かった。
二回藤の右スウィングを喰らった王者は頭からふっとばされた。
立ち上がったロポポロは二度、三度・・とダウンを喫しKO。
無残に玉座からころげ落ちた。試合後藤が語った

「ヤマトダマシイ」「勝ってもカブッても・・」は
流行語となった。

昭和42年4月30日 蔵前国技館


ちばてつや先生

『昭和最後の英雄、具志堅世界王座に!』
新設の世界Jフライ級タイトル戦。
具志堅用高はドミニカの王者ファン・グズマンに挑戦。
サウスポーの強打で王者を圧倒。
見事七回KOで王座に着く。防衛記録は13度の
日本記録を打ち立てた。

昭和51年10月10日 山梨学院大体育館

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