一、旅先にて
出会ったのは、2008年5月27日の午後4時のこと、
八百年も生きてきた杉の巨木(きょぼく)も繁る森の神社だった。
私のかたわらで、同じように生きてきたであろう近くの杉の大木(たいぼく)を抱きしめ
て若い彼女は、
「(巨木の)パワーをもらいに来たの」と話した。
「どうかしたの?」と私。
「人間関係で落ち込んでいるの」と彼女。
そこで、私は私のことを話し始めた。
「(私を)見ていて歩くのヘンだったでしょ」
私は自分の左足を見せながら
「小さい時、小児マヒという病気でこの(左)足が短く細い足になってね」
「子供の頃は、この足のことで、周りの大人から“足が悪いけど(勉強して)頭でがんば
れば普通の人にまけないんだから頑張れ”と言われたけど、“悪い足”なんて言うのはと
んでもなくて、実は“すごい足”なんだよね。この力の弱い足が、60年近く私の歩みを支
えてくれているんだから」
《この時私は、彼女にナマ足を見せた訳ではなく、はいていたジーパンの裾をめくって、
左足の膝から下を見せたのですが、18歳の時、整形外科の手術で左足のかかとの軟骨を削
って関節をギブスで固定した時、向きが斜めにかしいでいたため、足の裏面が平坦に接地
しなくなりました。それでどんな靴も左足にあわず、足も靴に合わせられないまま靴を履
いて、普段は、右足と短い左足の段差を和らげるために、左足の靴に中敷を入れて歩いて
います。》
「実は、この足で、先週(5月20日)、水俣にいる友人の堀傑君・芳美さん夫婦(※注1
)と屋久島へ行ってね、奥さんの芳美さんと5月21日、健脚の人が10時間で行って帰って
くるところを、この足は悲鳴をあげながら11時間かけて縄文杉まで登って、その先の山小
屋に泊まり、翌日、9時間かけて下りてくるという山歩きをしてきたんだよ」
「彼の方は、10年ちょっと前、脳の出血の後遺症で杖をついて歩くようになって、山歩き
ができない体になってしまったので、宿で待っててもらってね」
「ここの杉もすごいけど、屋久島の杉はもっとすごいよ」といって、私はデジタルカメラ
で写してきたの縄文杉の写真を見せながら、話をすすめた。
※注1 堀君夫妻と知り合ったのは、私が、1976年の全障連(全国障害者解放運動連絡会
議)の結成で取り組むことになった1954年3月に静岡県島田市で起きた幼稚園児の佐野久
子さんが誘拐・殺害された事件で、精神障害を理由に死刑判決を受け、無実を訴えていた
赤堀政夫氏の救援運動にのめり込んだ縁で、他の冤罪事件に関わっていた人とお互いに知
恵を巡らせて協力し合う関わりが生まれて、土田・日赤・ピース缶事件で犯人にされた人
を支援をしていた堀君夫妻と知り合いました。
傑君は、土本典昭さんが水俣の映画「水俣─患者さんとその世界」(1971)を撮った時、
助監督として関わったことがあり、また12年ほど前には、脳の出血で半身不随の後遺症に
見舞われて、当初は寝たきりを余儀なくされたけれど、職場復帰をはたし、定年まで勤め
ました。その後の人生をどう生きるか考えた時、堀君夫妻は水俣への更なる思いを果そう
と移住することにしました。
その堀君夫妻が水俣へ出発する前の2007年9月に会った時「水俣から屋久島は近いよ、
いっしょに行こうか。行こうよ」という話になり、また、芳美さんとは縄文杉まで登ろう
と話していました。
※屋久島までの経過については、「三、これまでの私」にまとめました。
《私にとって、健脚の人が10時間で往復してしまう所を、11時間かけて登り、9時間かけ
て戻ってきたことは、自慢の種で誇りに思って人に話しています。実際、東京に戻って、
ちょっとした用事で出かけて家に戻るたびに、同じような足の疲れを感じて、後は寝ころ
んでいる始末で、普段の外出でもこんな足の状態なのに、よく縄文杉まで行って帰ってこ
れたと、つくづく思います。
現に、荒川登山口から歩き始めて程なく、左の靴に中敷を入れたまま歩き出したことも
災いして、トロッコ道をいくらも歩かないうちに出た、左足のかかとに痛みをカバーして
歩いたので両足に筋肉痛が出て、小刻みに休みながら歩いていきました。10kmはあるので
はと感じた 5.5km表示のトロッコ道を歩き終えた時、疲労で歩けなくなった私は横になっ
て休ませてもらい、40分ほどしたら、改めて歩く気力が出たので、もう少し先へ行けるか
もしれないと芳美さんに伝え、険しい登山道の大株歩道へ足を進めたのです。三代杉・翁
杉・ウイルソン株へと休み休み歩き、ここまで来たらもう引き返せない、先へ行くしかな
いねと最後の力を振り絞って、大王杉・夫婦杉・縄文杉へと歩き続け、高塚小屋へ辿り着
けば野宿しないですむからと、最後の登りを歩いていきました。こうして、11時間かけて
くたくたになりながらも、ようよう私を山小屋まで運んでくれたのが私の左足でした。》
《疲れで私が翌日に山を下るのは無理かもしれないので二泊してその間に、芳美さんは宮
之浦岳に登って来て、三日目に山を下りるつもりで出掛けた山登りでしたが、翌22日、山
小屋で一緒になった人がラジオの天気予報を聞いて、三日目には雨が降ると教えてくれた
ので、私たちも一泊で切り上げてその日に山を下りることにしました。けれど、私の後を
歩いていた芳美さんが、絶えず私の足元も見て足運びの頼り無さに二人だけで山下りをす
るのが心配だからと、山小屋で一緒になった、東京から来ていた加藤さんに、大株歩道だ
けでもいっしょに下りてくれるようお願いして、また、朝食を済ませてこれから下るとい
う時に、新高塚小屋から下りてきた若い中島慧君にも同行をお願いして、私は芳美さんと
二人の男性のサポートを受けて山を下りて行きました。》
《山を下る時、私がバランスを崩して足を踏み外しそうになったその度に、同行してもら
った中島君や加藤さんが手を差し延べ、見守ってくれたので、幸い怪我をすることなく大
株歩道を下り切ることができました。同行してもらったお二人は、白谷雲水峡を廻って下
りるというので、トロッコ道の始まるところで別れ、このあと私たちは、ヒイヒイ言って
休み休み歩く私のペースに合わせて、車を置いていた荒川登山口まで結局9時間かかって
下ったので、縄文杉まで往復するのに健脚の人の倍の時間がかかっていました。けれど、
道の途中で運良く屋久鹿や屋久ざるに出会って気分転換しながら、70kgを前後する体重を
支えて、悲鳴をあげながらも、それでも全行程を無難に、ほんとうにけなげに私の左足は
私を運んでくれました。》
「屋久島の杉は、ここの杉よりも(生きるのに)条件が厳しいのに、中には千年二千年と
生きて、縄文杉に至っては七千年も生きてきたと言われている」
「人間の場合、生きるのに条件が厳しいと、長生きできるとは限らないけど、10代の頃に
“あなたは心臓が悪いから長生きできない”と言われて、80歳を迎えて生きてこれた女性
〔青地君子(さちこ)さん〕に、2、3年前にその話を聞いたけど、その人の心臓、実は
“すごい心臓”だよね」
「この縄文杉の場合も、枝がもがれても、それでも生きている」
「実際、すごいと思う」
「だから、小児マヒという病気になって私のいのちは傷ついたけれど、それでも私を支え
てくれてる自分のいのちに、いまではすごく感謝しているし」
「それに、自分のいのちを誇りに思ってるよ」
《私の場合1歳と4か月の時、40度の熱で4日間寝込んで、直後に歩けなくなったと聞い
ています。神経の一部がマヒして萎えた左足でしょっちゅう転びながら歩いていた私は、
健常者と比べて不利で劣っている所があるから、少なくとも負けないために「頑張れ」と
言われて、周りの大人や子供に「足が悪い」「びっこびっこ」と言われるたび嫌な思いを
し、反論できずに反発して母親には「なんでこんな体に生んだんだ」と酷なことを言って
せめたこともありました。反面「自分は足が悪いんだ」と劣等感をつのらせて、自分の障
害からは逃れられないという脅迫観念に囚われていました。けれど、私の「小児マヒの力
の弱い細い足」は隠せないものであり、健脚の人と比べれば圧倒的に劣っている現実から
逃れようがありません。それなら、自分の障害から逃げずにそれを引き受けて生きようと
決めたのが、27歳ごろのこと。その後、37歳の時に、人が否定的なことを言っても、自分
が否定することはなかったのだから、自分のいのちを肯定して、いのちを生かして生きよ
うと決断しました。そして、60年の歳月を障害と共に生きてきた現在の私は、私やほかの
障害者のいのちも、これまでさまざまな困難に出会って傷つき、体の機能が失われたり低
下しても、けなげに自分を支えてくれてるのだから、少なくとも自分のいのちには誰もが
感謝と誇りを持てるはずだと考えるようになりました。》
《実は姪の娘が2歳のある日、40度近くの熱で4日間ほど寝込んだことがありました。こ
の時、手足を自分で動かせなくなり、最悪の時は首から下の身動きが全くできなくなって
いた彼女は、熱が下がって動けるようになったので、病院に行かず病名も不明でしたが、
少し足をふらつかせて歩いていていました。このふらつきが消えるまで半年近くかかった
ことから、彼女は、小児マヒを引き起こすウイルスに冒され、その後、神経の損傷が回復
できたと私は見ています。だから、お多福風やはしか同様に、すべてのいのちが、小児マ
ヒのウイルスやハンセン病のらい菌や結核菌など他の伝染病にも一度は接触して、ほとん
どの場合、たまたま免疫がまさって発病しなかったり、発病してもいのち(免疫)の力が
まさって後遺症に見舞われることなくやり過ごせたから、無事でいられると、私は理解し
ています。だから、本来なら、健常の体を維持してもらっている健常者であればある程、
健常の自分を支えてくれているいのちに、障害者の何倍も感謝し誇りを持っていいはずな
のに、そういう声をこれまでどうして健常者から聞けなかったのか、私は不思議でなりま
せん。》
《実際、戦前・戦後を通して、小児マヒやハンセン病を発病したり、仮死状態で生まれて
家族に障害者が出現すると、誤った知識や無知から当時の人は、その家系に遺伝病がある
といって、本人以外に家族も差別したので、家族によっては重度の障害者や精神障害者を
座敷牢に入れて、世間から隔離して生涯を送らせたこともありました。また、能力が劣っ
ているといって、他人からさげすみの対象にされ、自力で歩いて学校へ通えない障害者は
、就学免除という名目で公教育から排除される不利益も被っていました。加えて戦時中の
障害者は、国のために兵士として戦場で戦えない役だたず=穀潰しとされ、敗戦が濃厚に
なった混乱期には、いつ死んでもいいと青酸カリを渡された人もいたと聞いています。こ
うした社会状況を経て、戦後も家族の誰かが障害を負うと、本人以上に夢や希望を持てず
に将来を悲観して、子殺しや一家心中に手を染める親がいなくなることはなかっし、現代
も形を変えて引きずっている始末です。》
《若い時に、他人から「お前はダメだ」といわれて「自分はダメ」と思い込んだり、自分
で「自分にはダメなところがある」とダメ出しして、自分のいのちのありようを自分で否
定しているから、本来なら誰もが、劣っているマイナスだとされる部分があっても、無難
に健常の自分を支えてくれている自分のいのちに感謝できたはずなのに、まるごと自分を
引き受けて、自分を支えてくれるいのちに感謝と誇りを持とうとしなかったのです。それ
ばかりか、人が障害を負うことは能力に劣るマイナスなことで、そうした運命を背負うの
はかわいそうなことで、障害を負った自分の姿は想定外でありえない、あってはならない
ことと思っている人が、歳をとって杖をついて歩くようになると、愚痴をこぼす人が少な
くないのが実情です。》
「それに引換え、大抵の人のいのちは、小児マヒやハンセン病という病気を引き起こすウ
イルスや細菌に出会っても発病しないで、これまで曲がりなりにもその人が自由に歩いた
り、見たり聞いたり、しゃべったり考えたりすることを支えてくれている。だから、ほん
らいなら、私やほかの障害をもった人の何倍も自分のいのちに感謝してもいいはずだと思
うけど、あなたは、自分を支えてくれる自分のいのちに感謝している?」
「う〜ん。感謝する気持ちは持っている」と彼女。
「ほんとう?」
「ほんとうに自分のいのちに感謝しているの」
「だったら、自分のいのちも誇りに思えるよね」
「・・・」彼女は少し考えていた。
無題 まだできることがあるのに
まだ生かせる自分がいるのに
自分のいのちに感謝しないのはなぜ
光を感じるのに喜べないのはなぜ
耐えがたい光景しか見ないから
満開の桜に包まれたことはないの
満点の星空を眺めたことはないの
音が聞こえるのに喜べないのはなぜ
耐えがたい音しか聞かないから
鳥のさえずりに耳を傾けることはないの
心に響く言葉に出会うことはないの
声を出せるのに喜べないのはなぜ
耐えがたい言葉をしゃべるから
悔いのない思いを話せばいいじゃない
手が使えるのに喜べないのはなぜ
後ろめたいことに使っているから
悔いのない物を形にすればいいじゃない
何処へでも行けるのに喜べないのはなぜ
耐えがたい道しか歩かないから
悔いのない道を歩けばいいじゃない
支えられてるいのちに感謝しないのはなぜ
自分をみじめだと思っているから
悔いのない時を過ごせばいいじゃない
まだできることがあるのに
まだ生かせる自分がいるのに
感謝しない人生を不安と苦しみの色が染めている
《あなたも言いかけたように、周りの人の手助けや自然の恵みを実感して「自分は生かさ
れている」と気付いて感謝する人や、日本人という属性を誇ったり肩書を誇りにする人も
います。でも、こうした感謝や誇りが、自分自身のいのちへの感謝と誇りを持つことに直
結しているなら、事故や急な病気でいのちが損なわれない限り、頭が良くないことや世渡
りべたを愚痴ることなく、頭の回転がにぶくて世渡りがへたでもそんな自分を引き受けて
、一所懸命自分を支えてくれているいのちなのですから、自分に何ができてもできなくて
も、人はどんなことにぶつかっても難なく乗り越えていけると私は思います。でも、自分
はダメなところもあるけど、いまは何かができているから感謝し自分に誇りが持てると思
ったり、何かで自分を勲章のように着飾れるからまだましだと思い込んでいると、病気や
怪我で体に障害や後遺症を負ってこれまで通りに動けなくなって、それまでの社会的地位
や個人的立場を失うと、改めてダメな自分に戻って「何も悪いことをしていないのに、な
んで自分がこんな目にあうんだ」と嘆くことになるのです。》
《つまり、自分のいのち以外の何かに感謝したり、いのち以外のものを誇りにしても、自
分のいのちに感謝し誇りを持つことに結びつかないから、自分が主人公として自分のいの
ちに真っ正面に向き合い、そのいのちを丸ごと生きているという実感を持てないのです。
だから、自分で自分を律(自律)しているという自覚も持てず、自分はまわりの状況に支
配されていると思い込み、すべては人のセイだから自分の行動に責任を持とうとしなくな
り、律することができない自分を他人に守ってもらおうとしたり、自分以外の何かに依存
して安心を得ようとします。けれど挫折を重ねていくと、自分はダメだという思いをこう
じさせ自暴自棄に陥って自死を招いたり、他人や社会(政治)のセイにして逆恨みし、逆
恨みをこうじさせて他人に矛先を向けて、理不尽な通り魔殺人と呼ばれる事件や家族内の
殺人が起こしているのだと私は思います。つまり、自分を支えてくれるいのちに感謝しそ
のいのちを誇りにしないで、自分のいのちを生かせないので、いのちを否定しあって人の
いのちも生かすことができないので、人を殺すことまで繰り返されていると私には思える
のです。》
《また、自分のいのちに感謝し誇りを持っている人は、他人の姿や能力が自分より劣って
いるからといじめて喜ぶ必要はないので、そもそもいじめようなんてことはしないでしょ
う。でも、自分に自信もなく、自分が人より優位にたっていないと気が済まなかったり、
過去に「自分はダメな人間だ」と思い込んで劣等感にさいなまれた経験があって、自分を
支えてくれている自分のいのちに感謝することなく、自分のいのちを誇りにできないから
、人を落とし込めて、「ざまあ見ろ」といっていじけた感情を発散させて優越感や喜びを
感じる人がいじめをすると私は思っています。逆に、いじめられる人が、自分を支えてく
れるいのちに感謝し、そのいのちを誇りにできることを発見していれば、自分に自信を持
てて不安にならないので、いじめがいじめとして成立しなくなると私は思っています。だ
から私は、いじめの関係に引き込まれないために、自分を支えてくれる自分のいのちに感
謝し、そのいのちを誇りにして、自分に真っ正面に向き合い、自分がいままた何かできる
ことに感謝して、いのちを丸ごと生かすことを意識し、他人ともいのちを生かし合うこと
を念頭に生きるよう、自分に言い聞かせています。》
これから熊本まで帰るという彼女に、私は結論を急いだ。
「自分のいのちを誇りに思えるなら、それだけでいいんじゃない」
「自分に自信をもって生きていけるんだから」
「でも自分に自信がないから、まわりに振り回されて自分を見失って、不安に思ったり、
いやな思いをしたり、自分をダメだと思い込んで悩むんだから」
「ちゃんと、自分のいのちにも感謝して、自分のいのちに誇りをもっていけばいいだけじ
ゃない・・自分のいのちを生かして・・」
別れ際に握手を求められた時の彼女の手は力強かった。