− 「雪冤−島田事件」−赤堀政夫はいかに殺人犯にされたか −
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〔五〕赤堀政夫の逮捕と新聞報道

 その後、事件から二か月以上たった五月二十四日、島田市出身の赤堀政夫が、岐阜県下
を放浪中に稲葉郡鵜沼町の警察官から職務質問を受け、身柄を拘束された。そして、島田
市署の捜査本部から向かった刑事によって事実上、島田市署へ連行された。この時、赤堀
政夫は岐阜県警から手配されていた。六月二日の『毎日新聞』は赤堀政夫が手配される事
情を次のように伝えている。(この記事は、わたしが手にしていた資料からこれまでもれ
ていたもので、静岡県立中央図書館で一九八六年八月二十四日に見つけたもの。)

29・6・2『毎日新聞』朝刊・静岡版
     感がよかった 殊勲の熊崎巡査 写真【熊崎巡査】
【岐阜発】迷宮入りを伝えられた島田市の久子ちゃん殺し事件解決の端緒をつくった殊勲
の岐阜県稲葉地区署鵜沼町警部派出所勤務熊崎徳金巡査(19)は近く国警岐阜県本部から
表彰される。犯人赤堀は去月二日大垣市内に現われ、はいかいしていたところを大垣市警
員に職務質問され身もと照会の済む前に釈放となり久子ちゃん殺しの容疑者であることが
あとから島田市警の連絡でわかり国警岐阜県本部から県下各署へ手配されていたもので、
熊崎巡査は同月二十四日稲葉郡鵜沼町で張込中検問所前を通りかかった二人づれの男を職
務質問し、その中の一人学生服の青年が「静岡県出身の赤堀」と答えたのですかさず派出
所に連行、本署へ連絡身柄を島田署員に引渡したもの。熊崎巡査は昨年高校を卒業、巡査
になってまだ一年の経験の浅い巡査であるが次のように語った。
 記憶が新しかったので運がよかった。職務質問を履行したまでのことです。

 その後、赤堀政夫は島田市署へ連行される途中、浜松駅で島田市署差し回しの自動車に
移されるところで新聞記者に公開(?)された時には、もう犯人扱いであった。

29・5・25『中部日本新聞』朝刊
     ひさ子ちゃん殺し犯人捕る 岐阜県下で死体発見から三か月目
 【岐阜発】廿四日午前四時三十分ごろ岐阜県稲葉郡鵜沼町犬山橋検問所前付近を通行中
 の怪しいルンペンふうの男二人を稲葉地区署鵜沼警部派出所員が職務質問したところう
 ち一人が静岡県島田市東通○○無職前科二犯赤堀政夫(25)といい、島田市警から手配
 中の幼女誘カイ強カン殺人犯人の人相に似ているので早速同市警に急報、同夜六時半同
 市警から飯田部長刑事ほか一名が来岐、午後九時二十一分発上り東京行普通列車で赤堀
 の任意同行を求め同市警に連行、同夜は簡単な聴取りを行い留置したが、前後の事情か
 ら赤堀を黒とみて二十五日早朝から本格的追求を開始する。
事件は三月十日昼ごろ島田市中央幼稚園で卒業演芸会の出番を待っていた(注・これは事
実と違う。出番の前のお昼前、お遊戯を見に行ってくるといって幼稚園へ行っている)同
市幸町青果物商佐野輝男さん(37)長女ひさ子ちゃん(7っ)が突然行方不明となった。
島田市署では卅歳ぐらい、土工風の男がさそったという手がかりを得て連日付近一帯の大
がかりな山狩りを行った結果、誘カイ後四日目の三月十三日午前九時四十五分ごろ静岡県
榛原郡初倉村の通称地獄沢山中で市消防団捜索隊員によって無残な絞殺暴行死体となった
ひさ子ちゃんが発見された。現場は大井川逢来橋を島田市岸から初倉村岸へ渡りついた所
で逢来橋のタモトから約二百五十・、大井河原から約百廿・、小高い山のクマザサの茂っ
た薄暗いところ。抵抗した形跡はなかったが目ジリには泣いた涙のあとが幾筋もあり見る
人々の目をしばたたかせた。
     カメラにすまし顔  護送の赤堀奇妙な態度
【浜松発】島田市署員二名に付添われ二十五日午前零時四十分浜松駅着列車で下車した赤
堀は学生服に緑色のひさしのついた日除帽といったいでたちで十七、八歳ぐらいに見え丸
坊主の頭に土のような顔色で目ばかりぎょろぎょろ光らせていた。性質はおとなしいらし
く手錠もはめられていない。同駅改札口までくると折柄の豪雨にぬれた駅前路上に一瞬足
をとめたが割に軽い足取りで同署差回しの乗用車へ気軽に乗込んだ。
 カメラを向けると急にとりすました顔つきでポーズをつくるなど大胆なのか精神異常者
か(原文のまま)わからない奇妙な態度で腰掛に深々と腰をおろし、吹きなぐりの雨の中
を一路島田署に向った。写真【護送される犯人赤堀(左)】
29・5・25『中部日本新聞』朝刊
     ひさ子ちゃん殺し犯人捕る 岐阜県稲葉地区署員に
【岐阜発】さる三月十日静岡県島田市中央幼稚園に発生した同市幸町青果商佐野輝男さん
(37)の長女ひさ子ちゃん(7っ)誘カイ暴行事件の有力容疑者が廿四日午前四時三十分
岐阜県稲葉地区署員に捕った。この男は静岡県島田市東通り○丁目住所不定無職赤堀政夫
(24)といい犯行を否認しているが目下追求中。

 また同じ日(5・25)の『中部日本新聞』夕刊では、証拠もない段階で犯人扱いするこ
とに少しは気がとがめたのか、赤堀政夫を容疑者として報道している。だがこの時点で、
犯人と赤堀政夫を結びつける直接の根拠を、捜査当局はまだ何も公表していなかった。し
かも、赤堀政夫が事件に関して最初の自白調書を取られるのは、五月三十日になってから
のことである。そして、捜査報告書によれば、翌五月三一日午後八時頃に至り犯行の一部
を自供し始めるに至ったとある。つまり、この報道がなされた二五日の時点で、赤堀政夫
と犯行を結びつける証拠は、何もなかった。それにもかかわらず当時の新聞は、赤堀政夫
が犯人や重要な容疑者であるとして報道を繰り返していくのである。

29・5・25『中部日本新聞』夕刊
     『アリバイ』を追求  ひさ子ちゃん殺し容疑者
【静岡発】既報=二十四日岐阜県稲葉地区署員の職務質問にかかり保護された島田市本通
り○無職赤堀政夫(24)は、さる三月十日島田市で起った同市幸町青果商佐野照男(筆者
注・輝男の誤り)さん長女ひさ子ちゃん(7っ)を誘かい、暴行殺害した容疑者として同
日島田市署から駆けつけた飯田、秋山両刑事に伴われ任意連行の形で二十五日午前二時半
島田市署内のひさ子ちゃん殺し合同捜査本部に保護、午前十一時から同署留置場で国警静
岡県本部捜査課羽切警部補、島田市署秋山刑事が取調べを行い午後窃盗容疑で島田簡裁に
逮捕状を請求執行した。
 取調べの焦点は三月三日同人が家出後の足取りと事件発生当日のアリバイに向けられて
 おり、犯人と断定するまでには至っていない。
29・5・25『中部日本新聞』夕刊
     『アリバイ』を追求  ひさ子ちゃん殺し容疑者
【静岡発】既報=ひさ子ちゃん殺し容疑者として二十四日岐阜県稲葉地区署員の不審尋問
にかかり保護された島田市本通り○無職赤堀政夫(24)は同日島田市署から駆けつけた飯
田、秋山両刑事に伴われ任意連行の形で二十五日午前二時半島田市署内のひさ子ちゃん殺
し合同捜査本部に着き、同夜は同署で保護、同十一時から国警静岡県本部捜査課羽切警部
補、島田市署秋山刑事が取調べをはじめたが事件発生当時の三月十日のアリバイに焦点が
むけられている。
 同捜査本部の調べによると同人は最近岐阜県下でサイ銭泥を働いているほか、さる十九
 年一月静岡地裁で一年以上三年未満の不定期刑の判決をうけ松本少年刑務所で二カ年服
 役、更に二十四年九月には島田区裁で窃盗罪で懲役八カ月の判決を受け静岡刑務所で服
 役している。
二十五年五月に出所してからほとんど実家に寄りつかず、各地を転々と放浪生活を続け、
さる三月三日以来行方不明となっていたが、同月十九日島田市祇園町須田神社境内で幼女
に金をやるからおいでと誘っているところを付近の人が発見、さわがれて逃げ五月十日に
は岐阜県大垣市署員に職務質問され新潟県へ行くといって立去ったこともある。
 金子国警静岡県本部刑事部長談 アリバイを追求してみなければはっきりと白黒は断定
 出来ないが、事件発生二、三日前から行方をくらましていたので赤堀の行動調査を行っ
 ていた。いままで赤堀の写真を目撃者などにみせて捜査したが、犯人と合致する点が少
 く現在のところでは黒よりも白とみる方が強い。
 鈴木島田市署員(筆者注・署長の誤り)談 任意出頭の形で調べているが、いまのとこ
 ろ白とも黒とも断定できない。
29・5・26『中部日本新聞』朝刊
     涙新た久子ちゃんの家族 鏡子ちゃんのお母さんから手紙
島田市幸町青果商佐野輝男さん(37)方には長女久子ちゃん(7っ)が殺されていらい全
国各地から同情と犯人逮捕の一日も早いことを祈る手紙が寄せられている。ことに同様愛
児の鏡子ちゃんを殺された東京都文京区元町○○さんからは「見ず知らずの私ですけれど
同じ境遇にあい旧知のような気がします。ひさ子ちゃんも鏡子も永遠のお友達として仲良
く汚れのない天国で遊んでいると思います。この苦しい心は経験のない方にはほんとうに
わかっていただけませんけれども私たちはこれから子供たちのように助けあいましょう」
と書かれた手紙が二十四日届けられ悲しみを新たにしている。
     赤堀は白か ひさ子ちゃん殺しの容疑者
【島田発】既報=島田市署は二十五日幼女暴行殺害事件容疑者として岐阜県稲葉地区署に
保護された島田市本通り○住所不定無職赤堀政夫(24)を任意出頭の形で取調べた結果、
窃盗三件を自供したので同日午後四時半逮捕、引続き三月三日家出してからのアリバイに
ついて同人の自供にもとづき調べているが、同四時「ひさ子ちゃん殺しの犯人ではないと
思う」と発表した。(別の記事には「なお同市署で引続きアリバイを追求している」とあ
る)
 同人は去年一月二十九日(筆者注・二十八年七月五日まで名古屋刑務所で服役していた
)島田市祇園町島田女子高校に浸入、生徒の○○さんほか二名からタオル、黒ギャバ生地
、手芸材料など(価格計三百六十円)を盗み、足取りについては三月一日家出、汽車で静
岡市に行き、静岡から徒歩で東京までいったと自供している。
 一方警察の調べでは家出したのは三月三日で自供と二日間の食違いがあるが、かなり日
がたっているので確実なものと判定できず記憶のズレからみても事件発生日の三月十日に
は東京にいたのではないかと推定、犯人ではないとする材料としている。
29・5・26『静岡民報』朝刊
     久子ちゃん殺し犯人か 島田の男 岐阜県下で逮捕
     窃盗容疑で逮捕状執行 赤堀は札つきの男

 新聞報道では、赤堀政夫は、任意連行・保護・窃盗容疑で逮捕状請求、そして、島田市
署に勾留されたとある。島田市署に連行された時の事情を、赤堀政夫は、六月十五日の阿
部太郎検事の取り調べの時に述べていたので、引用して見てみよう。

第四回検事調書(29・6・15阿部太郎検調)
 確か五月二十三日だったと思いますが私が三重県生まれのバタ屋、中村信次と一緒に物
貰いをして歩いて居る時岐阜県山田村の駐在所で職務質問され郡上の警察へ同行されまし
たが美濃太田迄の汽車の切符を貰って帰され其の晩美濃太田から鵜沼に向ふ途中の神社で
泊りました。翌二十四日朝鵜沼から出て名古屋へ向う途中鵜沼と犬山の間の検問所で職務
質問を受けました。私は巡査に静岡県島田市の赤堀政夫だと答えると其の巡査は前から私
の名前を知って居るらしく、貴男が赤堀さんですかと云うので私は変な事を云うなと
思いましたが多分郡上の警察からでも連絡があったのだろうと思いました。それから私と
中村は鵜沼の警察に行き更に警察の自動車で稲葉地区警察署に行きました。其の警察の人
は私に静岡から二人でお迎いが来ますからそれまで待って居て下さいと云うので警察
の二階で待っていますと午後八時頃小型自動車で島田市警察署の、飯田部長、秋山刑事、
の二人がやって来ました。私は最初階下から二階の別室に這入る一人が秋山刑事だと云う
事が横顔を見て判り胸がどきっとしました。さては今度の事件が判ったのかと感じたから
であります。
 其の晩確か午後九時三十一分発の東京行列車に乗り私と飯田部長、秋山刑事の三人で浜
松駅に下車しました。中村も途中迄一緒でしたが一人で下車したのであります。
 浜松駅には島田の警察から自動車で迎いに来て居りそれに乗って午前三時頃島田の警察
に行きました。

 赤堀政夫が、阿部太郎検事の取り調べで述べたところによると、島田市署へ連れて来ら
れた理由を、飯田、秋山両刑事から明らかにされなかったというのが実情のようである。
ところが、赤堀政夫は、このあと、いったん釈放されることになる。

29・5・26『静岡新聞』朝刊
     赤堀政夫は白 久子ちゃん殺しに関係はない
【島田発】既報=岐阜県で逮捕された島田市久子ちゃん殺し事件容疑者、島田市本通り○
○無職前科二犯赤堀政夫(26)(ママ)に関し、島田署は廿六日午後四時半取調べの結果
を発表、同人は久子ちゃん事件にまったくの白である事が確実視された。
同人は三月三日家出、事件の発生した十日前後は東京都田園調布で土工をし十九日頃一度
郷里へ立ち回りその後は愛知県方面へ出かけバタやなどで糊口を過していたことが判った
が、さらに一月廿九日夜島田市祇園町島田女子商校へ忍びこみ同校の職員○○さん所有の
タオル一本(価格五十円)○○さん所有のギャバジン一ヤード(価格二百円)○○さん所
有の手芸材料(価格百十円)などを窃盗した容疑が判明したので逮捕状を執行、留置した
が、なお余罪すこぶる多数に上るのでなお厳重取調べを続行する。
29・5・26『毎日新聞』朝刊・静岡版
     赤堀はシロで釈放 久子ちゃん殺し 当日は上京中
二十四日、岐阜県稲葉地区署に島田市の久子ちゃん殺し事件の容疑者として逮捕された島
田市本通り○○生れ住所不定前科二犯赤堀政夫(25)を二十五日島田市署に連行取調べの
結果、去る一月二十九日夜同市祇園町島田女子高校に浸入、洋裁のきれ地など五百円相当
を盗んだほか五件の窃盗を自供したため二十五日夕刻窃盗容疑で逮捕引続き取調べている
が、同人は去る三月三日実兄の島田市本通り○○工員○○(26)方を出て上京、知人宅を
訪れ、久子ちゃんが殺された十日には東京にいたもので島田署では取調べの結果、シロと
なり同三時半釈放した。

 このニュースを知った赤堀政夫の兄が、家に戻ってこない赤堀政夫の所在を確かめに、
島田市署へ出向いた(何日だったかは不明)ことがあった。この時、警察では、ケーキを
出して兄に応対したが、赤堀政夫は、釈放される時、家に帰ると言って出て行ったと言う
だけで、弟の安否を気遣う兄には、弟・赤堀政夫の所在(金谷の民生寮に警察からの紹介
で宿泊させていた)を明らかにしないで、警察は口を閉ざしていた。

29・6・2『静岡新聞』朝刊
     金谷民生寮にも宿泊
【島田発】赤堀は犯行前までは島田市周辺の田圃中で起居しコソ泥を働きつつ付近をうろ
ついていたものであるが、廿四日岐阜県稲葉地区署から連行、一応取調べの上廿五日夕刻
釈放してから廿八日朝再び逮捕されるまでの二昼夜は金谷無料宿泊所民生寮で暮し、当時
の模様について同所では「なんだか変な男だとは思ったが別段ほかに変ったことはなかっ
たので廿八日朝警官が来て連れて行っても別段心にもかけなかった、そんな大物とは全然
感づかなかった」と語っている。

 島田市署に再逮捕された赤堀政夫は、その後の取り調べで自白したとして、供述調書を
作られていったのである。

29・5・28『毎日新聞』朝刊・静岡版
     T(実名)三十件を自供 静岡市内の幼女専門痴漢 写真【T(実名)】
 ──久子ちゃん殺し事件との関連性はいまのところ薄いが──
29・5・29『中部日本新聞』朝刊
     赤堀を再逮捕
島田市署久子ちゃん殺し合同捜査本部は二十八日市内本通り○無職赤堀政夫(24)を窃盗
容疑で再び逮捕した。同人はさる二十日(筆者注・二十四日)岐阜県稲葉地区署に保護さ
れ二十五日同市署に移し取調べの結果、同夜釈放されたものである。

 赤堀政夫が再逮捕後、事件の犯行を自白した事情を、五月三十一日付『捜査報告書』は
、次のように述べている。

『捜査報告書』
        本籍 島田市本通り○○番地
        住所不定 無職 赤堀政夫 昭和四年五月十八日生 二十五年
右者に係る強姦殺人事件に関して捜査致した状況は左記の通りでありますから報告致しま
す。
     左 記
一、捜査状況
 昭和二十九年五月二十八日右赤堀政夫を窃盗の容疑により検挙し捜査取調べたる処同人
は賽銭窃盗、学校荒し等十数件を自供し右自供に基づき捜査したる処犯罪事実が明らかに
なったが本人の自宅より発見された柔道衣その他賍品らしきものについては言を左右にし
て自供しないので更に追求して容疑者が本年三月三日家出以来の行動に付き捜査取調べを
するに容疑者の自供は頗るあいまいで家出前の行動と家出後の行動とを混同した自供であ
り家出前の行動については自供と合致するものもあるが三月三日家出以後の容疑者の行動
については本人の自供に基き捜査するに該事実がなく自供に疑を持つに至りたるを以て五
月三十日に至り本年三月十日発生の佐野久子強姦殺人事件当日の行動について捜査取調べ
をするに容疑者は同日前夜(三月九日)泊った小笠郡日坂村の八幡神社を出て同神社の西
方国道端のパンヤ(氏名不詳)でコッペパン二ヶを二十円にて買ひ更に賽銭十八、九円を
盗み同神社を立去り国道(旧道)を西に向って歩いて行き道路左側にある駐在所前に差し
かかった時同駐在所前でオートバイを預けた人が受取って東方を向って走って行くのを見
更に歩いて此の日(三月十日)掛川の駅通りより西にある警察署の窓口を訪れ自分は犯罪
をやっておるから処分して貰いたいと申出で取調を受け釈放されたる旨自供したるにつき
該事実に基いて西小笠地区警察署に調査方依頼した処この事実はあるが三月十日に非らず
して三月二十日なることが判明した。ここで赤堀政夫は本件犯行の有力な容疑者と認めら
れる状況になったので更に追求して三月三日後の行動について捜査取調べを為すに容疑者
赤堀政夫は午後八時頃に至り本件犯行の一部を自供し初めるに至ったものである。
自供によると
 本年三月三日午前中当もなく家出し同日島田駅より上り列車に乗車静岡駅に下車し歩い
て国道を由比町まで至り由比駅に於いて所持していった荷物が盗品である関係から職務質
問される虞れがあるので同駅の小荷物扱ひで本籍地に送り返し同日岩淵まで赴き岩淵駅東
方の藁小屋に寝て一夜を明かし、翌三月四日同小屋を出発して原町まで物貰ひして行き同
町から引返して同夜は前記岩淵駅東方の藁小屋に寝て一夜を明かし、翌三月五日は同小屋
を出発して物貰ひをし乍ら西を向って歩いて来たり同夜安倍川の鉄道鉄橋を渡って直ぐの
処の線路工夫の休憩所に寝て一夜を明かし、翌三月六日は付近に於いて終日物貰ひをなし
汽車賃が出来たので用宗駅から汽車に乗り午後五時五分頃島田駅で下車し一旦自宅の裏ま
で行き屋内の様子を窺った処兄の一雄が家におったので入るのをやめて同夜は市内中川町
の静岡大学の寮の上の方の茶畑の中にある農小屋に寝て一夜を明かし、翌三月七日は同小
屋を出て大津村方面に行って終日物貰ひを為し同夜前夜寝た農小屋に寝て一夜を明かし、
よく三月八日は同小屋を出発して旗指大長村方面にいって終日物貰ひを為し同夜大長村伊
太のお堂に寝て一夜を明かし、翌三月九日は同お堂を出て市内中河町、六合村方面に行っ
て終日物貰ひを為し同夜は前記静大寮の上の方にある農小屋に寝て一夜を明かし、翌三月
十日は午前八時三十分頃農小屋を出て家の様子を見に行こうと思って市内に来り、幸町の
公会堂の前から快林寺境内を通って行こうとした処空腹のため快林寺裏の墓地に何かあげ
ものはないかと思って快林寺の西入口手前まで行ったが引返し、同所の公会堂の横を通り
墓地内に入りあげものを探して快林寺本堂の前広場に行った処同日幼稚園講堂で遊戯会を
やっており運動場には、十四、五名の子供が遊んでおったので初めは境内の大きな木の処
で見ておったが境内をぶらぶらして講堂の北側の窓の付近で遊戯会を見たりして一時間位
おり遊戯会を見ている中にきれいな女の子が踊っているのを見てたまらなくなり、むやみ
に女の子をやりたくなり見ると本堂の上り段の処に二人の女の子がまま事をして遊んでお
るのを見かけたので、その中の草色の新しい上下つながった服を着て駒下駄の大きなのを
穿いた女の子の側にいっておじさんが飴玉を買ってやるからいこうと云って誘ひ出し山門
の中側の売店で飴玉を二十円買って女の子に渡し遊びに行こうと云ってその女の子を連れ
出し快林寺小路を通り本通りに出て駅通りから駅前を通り駅西のガードをくぐって真直ぐ
に行き東海パルプ横井工場の横に出て大井川堤防に至り堤防南側のグランドを横切り大井
川の川原に行って女の子をやろうとしていった処石ころで出来ないので新堤防の南側によ
い場所がないかと思って堤防へ上った処堤防の下まで水があって出来ないので川向ふの山
を見て奥へ入ればよいと思って山へ見当を付け新堤防を東へ向って歩き端れから川原にお
りて川原を更に蓬莱橋方面に向って歩き同橋の西方で浅い川を渡って堤防上に上りそこで
背負っておった女の子を一時おろし北方を向いて立小便をなし蓬莱橋に行き金がなかった
ので支払わずに通り過ぎると橋番においおい金を置いていけと云はれ呼止められたので帰
りに払っていくでのうと云って橋を渡り右の坂道を登って二、三丁行った処で細い道を右
側の山の中に入り二丁位行った松林の中で子供をおろし座らせて自分もその横に座って子
供の顔を見ている中に我慢がしきれなくなり肩を押して仰向きに寝かした処女の子が泣き
ぶしをかき初めたがズロースをぬき(ママ)着ていたものを脱がせ自分も右足のズボンを
一本脱いで女の子の口を左手で押さへて強姦したるも女の子がもがき泣くのでやっきりし
て了ひ足元付近にあった拳大の石で女の子の左胸部付近を三、四回殴ぐり女の子がうなっ
て目をつむって了ったので気持が悪くなり両手で女の子の首を前からしめ暫くして手を離
すと女の子はぐったりして了ったので子供をそのままにして女の子の着ておったシャツを
子供に呉れてやろうと思って持って来たが途中投げて蓬莱橋の元におりて来て橋の袖から
川原におりて川下に行き草むらで暗くなるまで寝ておって同夜蓬莱橋を渡り市内静岡大学
寮の入口北側の道路端の小屋に来て寝て一夜を明かしたと云ふ供述があったものである。

  昭和二十九年五月三十一日
          国家地方警察静岡県本部 刑事部捜査課 司法警察員
                       国家地方警察巡査部長 清水初平
          島田市警察署 司法警察員 巡査部長       山下 馨
 島田市警察署署長 司法警察員 警視 鈴木喜代平殿

 赤堀政夫が犯行を自白したという警察発表は、翌日の新聞で次のように伝えられ、その
後も、赤堀政夫の取り調べの推移が、連日、新聞をにぎわすことになる。

29・6・1『中部日本新聞』朝刊
     久子よ・安心したろう 呼掛けて、あとは涙 心なしか写真もニッコリ
     足取りで割り出す 赤堀確定まで 札付きだった赤堀
     悪いおじさんはもういないわよ お友達も墓まいり
     ほっとしました 久子ちゃんの母語る 容疑者実に200名 捜査経過
     【写真は久子ちゃんの墓に参るお友だちたち】
     久子ちゃん殺しやはり赤堀
     足取り追求から自供 一たん釈放、苦心の裏付け 写真【赤堀政夫】
29・6・1『中部日本新聞』朝刊・別版
     久子ちゃん殺しやはり赤堀 一たん釈放、苦心の裏付け
     でたらめのアリバイ 逮捕から自供まで 写真【赤堀政夫】
     ほっとしました 久子ちゃんの母語る
    無知な青春誤った赤堀 写真【久子ちゃんの仏前の祖父と母】
29・6・1『静岡民報』朝刊
     久子ちゃん殺し解決 八十三日目 赤堀、犯行を自供
     久子の霊をきっと──涙の両親語る ほっとしました 森市長語る
     不遇な家庭の赤堀 写真【在りし日の久子ちゃん】【犯人赤堀政夫】
29・6・1『毎日新聞』朝刊
     久子ちゃん殺し自供 無銭飲食の男 写真【自供した赤堀】
29・6・1『毎日新聞』朝刊・静岡版
     久子ちゃん殺し 犯人は赤堀だった 上京中のアリバイ崩る
     83日目捜査陣切換予定日に
 別面既報、迷宮入りを伝えられた島田市の久子ちゃん殺し事件は事件発生後八十三日目
でついに犯人を逮捕、捜査陣にがい歌が上った。この事件は暴行絞殺のうえ死体を土中深
く埋めている点など東京の鏡子ちゃん殺し事件以上の残虐性を持ち、犯人の速やかな逮捕
は全県民の熱願だったもので捜査当局も、この捜査には全力を傾けて捜査に従事、人員は
延べ四千名を突破、容疑者として逮捕されたものだけでも三十数名に達したが確実な犯人
の目ボシがつかぬままついに捜査本部は三十一日をもって国警県本部捜査課に移し持久体
制に入る予定だったやさき犯人を逮捕したものである。
     釈放後の聞込み奏功 評判の不良者 「あいつの仕業だ」と風評が高かった
     事件の経過 顔に汗し自供 写真【ありし日の久子ちゃん】
     せめてもの慰め 仏壇の前で母親すずさん
29・6・1『読売新聞』朝刊・全国版
     久子ちゃん殺し自供 島田署で検挙 家出の不良青年
     写真【久子ちゃん】 【犯人赤堀政夫】
29・6・1『読売新聞』朝刊・静岡読売版
     少女殺し、八十三日目に解決 アリバイ成立せず 追求に隠しきれず自供
引きつづき取調を受けている赤堀は先月二十四日挙動不審で岐阜県稲葉地区署員の職務質
問の結果検挙され久子ちゃん殺しの疑いがあると同夜島田署内合同本部に身柄を送られ同
本部で取調の結果
 ・蓬莱橋の番人など久子ちゃん殺し犯人の目撃者があり赤堀と違うようだと申立てた・
 三月十日(凶行の日)東京に行っていたと主張した点から容疑は薄くなり同日一たん釈
 放したものの二十八日同本部はアリバイになお疑問があるとして再び窃盗容疑で逮捕追
 求していたものである。
赤堀は三月三日家出以来行方不明になっていたが本部での取調に対しては
 『三月十日は汽車で静岡に行き静岡から東京まで歩いて行った』と申立てていたもの。
なお窃盗容疑とはさる一月二十九日夜同市祇園町島田女子高校に忍び込み生徒の洋服生地
など三百六十円相当を盗んだ疑いである。自供と同時に国警県本部捜査課金子捜査課長、
佐野鑑識課次席(前捜査本部班長)は現地に急行、栗山合同捜査班長と協力傍証固めに乗
出した。
     三千名が苦心の捜査 召喚した者も二百名に及ぶ
     「私が殺した」自供して顔伏せた赤堀
 合同捜査本部談『赤堀は取調に包みきれず三十一日夕刻久子ちゃんはわたしが殺しま
した。まことに申訳ありませんと自供して顔を伏せた。犯行の模様、足取りについては
引きつゞき取調べているが赤堀には窃盗前科二犯がある』
 江口国警県本部隊長談『アリバイの点に疑問の点があるので再逮捕以来厳重追求するよ
う指令しておいた。自供の詳細についてはまだ報告をうけていないがいま傍証固めを行な
っている。発生以来捜査員は鏡子ちゃんは逮捕されたのに久子ちゃん殺しはまだかの声を
あびながら黙々と懸命の努力をつづけて来た。赤堀が真犯人と断定されれば久子ちゃ
んの霊もやわらぐだろう』
 島田市婦人会長加藤つなさん談『関係各方面のお力や市民の御協力で犯人が捕まったの
でほっとしました。全国的に同ケースの事件が起きているときだけに犯人逮捕で肩の荷が
下りたような気がします。幼女を持つ世の母親たちもこれで安心することでしょう』
     家人とも折合悪かった赤堀
     久子も成仏できる うれし涙の母親すずさん 写真【喜び語る母すずさん】
29・6・1『朝日新聞』朝刊
  久子ちゃん殺しを自供九分九厘まで本物容疑者赤堀 当局、物証固めに全力
 島田市の久子ちゃん殺しを、家出人として保護されていた青年が突然自供した。去る三
月十日に事件が発生してから島田市署に捜査本部をおき県下各署の腕利き刑事三十?数名
が動員されて捜査に当り、その後発生した東京の鏡子ちゃん殺しが解決してもなお何の手
掛りもなく、一時は迷宮入りさえ伝えられていたところ、先月二十四日未明、岐阜県稲葉
地区署に家出人として保護され島田市署が身柄を引取った島田市本通り○○生れ無職赤堀
政夫(24)を窃盗の疑いで取調べる一方、久子ちゃん殺しにも関係ありと見て追求中、三
十一日午後五時すぎに至り久子ちゃん殺しは自分だと犯行を自供した。捜査本部はにわか
に活気づき、自供を裏づける物証などを行っているが、これが真犯人とすれば、事件が発
生してから八十二日目でようやく解決したことになる。
     暴行殺人に切替える 国警県本部江口隊長の話 一度は白で釈放
     問題は裏付捜査 金子刑事部長の話
島田市署に急行した国警県本部金子刑事部長は語る。
 久子ちゃんを殺してすまなかったとはっきり自供しているので、赤堀が久子ちゃん殺し
 の真犯人であることはまず間違いないが、犯行当時の模様についてはまだ深く追求して
 いない。問題は裏付けとなる物的証拠であるから、今後物証固めに全力をあげるつもり
 だ。
     霊前に報告 久子ちゃんの両親 写真【久子ちゃん】
     赤堀は子供に好かれる男だった 写真【久子ちゃんのメイ福祈る家族】
     罪を悔いて丸坊主に? 赤堀 申訳ないと泣き伏す
     事件以来姿を消す 浮浪者生活の容疑者
29・6・1『静岡新聞』朝刊
     窃盗で逮捕の赤堀政夫 犯行の一部を自供 82日目、捜査本部に凱歌
     申訳ないと政夫 裏付け捜査に全力 【写真は赤堀政夫】
【島田発】赤堀政夫はこの日黒の背広服、国防色ズボン、白ズック靴、坊主刈りという格
好で卅一日午後五時過ぎ頃捜査本部で主任羽切警部と島田市署相田刑事課長の両氏がアリ
バイを追求中、同人は「十日午前十一時頃、島田市中央幼稚園付近をうろうろと通りかか
って久子ちゃんを誘い出したところ、そのままつれだし、初め「そのような気持はなかっ
たが、初倉村山林地内で伴れこみ、あのような暴行を加えた上暴行したことに対して私は
本当に申訳ない、と昂奮したような表情で犯行の一部を自供した。
このため捜査本部では今後アリバイと物的証拠品の裏付け捜査を行うが、同日強姦殺人の
逮捕状請求を行った、これにつこて鈴木署長と羽切主任は語る。
 「面通しの結果、極めてよく似ているといっているので、これからが本格的取調べと詳
細な捜査でまだ真犯人と断定は出来ないが、自供を裏づけたいと思っている、なお一日逮
捕状も切りかえられることになると思う」
かくて事件発生以来八十二日にして初めて朗色を見せた島田署の捜査本部では直ちに物的
証拠鬼集のため刑事が八方に飛ぶものものしい光景を見せているが卅一日午後四時急ぎ来
島した金子刑事部長は
 「物的証拠がなく捜査にも困難を極めていたが、卅一日午後五時頃、犯行の一部を自供
した。赤堀の態度から見て犯人に間違いはない」
と語り、栗山県本部捜査係長も次のように語っている
 「事件発生以来、六十何人という容疑者をあげ捜査中であったが赤堀もその一人として
いた、ところが所在不明のため捜査が困難を極めていたところ廿四日岐阜市南署(ママ)
で職務質問にかかり、その後窃盗の疑いで逮捕、取調べた結果、アリバイの点について不
審があり追求したところ午後五時頃、犯行を自供した」
     放浪性の政夫 各地を転々 捜査の延人員約四千 諸経費六十万円による
     久子ちゃんの霊前に家族合掌 【写真は久子ちゃんの霊前に集まった家族】

29・6・1『中部日本新聞』夕刊
     発作的に凶行 久子ちゃんの幻影に悩む『赤堀』
29・6・1『中部日本新聞』夕刊・別版
     女をみて発作的に凶行 家庭にも恵まれなかった『赤堀』
29・6・1『毎日新聞』夕刊
     色白の姿に犯意 久子ちゃん殺しの赤堀 怠け者で窃盗の前科
29・6・1『静岡新聞』夕刊
     久子ちゃんの仇討ちと 墓前に可憐な合掌 漸く生気取戻した島田
【島田発】朝刊既報=島田市中央幼稚園児久子ちゃん殺しに犯行後八十三日目、犯せる罪
のおそろしさに慄えながら捜査当局の前に「私がやりました、申訳ありません」と悔恨の
涙をうかべて自供した、同市本通り○○前科二犯赤堀政夫(24)によって凶行の行われた
ことが明かとなり一時は全く迷宮入りかと思わせたこの事件も解決の曙光が見え全県民を
ほっとさせた。
一部を自供した赤堀はその夜当局が本人の昂奮の結果を恐れて身柄を某所にかくしたまま
厳重な警戒のうちに取調べが続行された模様で一日午前九時五十分捜査当局は同人の犯行
当時の模様についてつぎのように発表した。以下略。
     犯行後山にひそむ 顔を見られた橋番を避けて
     留置場で一夜苦悩
事件発生以来実に八十二日間、子供を持つお母さんを不安に陥入れていたこの事件もよう
やく一段落とみられ、(3字不明)ともに何ともいえぬ問(5字不明)ているが、自供後
島田市署の留置場で一夜を明かした赤堀はなお昂奮がさめきれないのか、看守巡査の話に
よると「一晩中聞きとれない小声で何かをいいつづけていた。恐らくうわ言だったでしょ
う」と語っていた。
     性来の怠け者 一夜を署長宅
【島田発】島田市署は廿八日久子ちゃん殺し犯行を自白した赤堀政夫の取調べに当っては
幸浦事件、二俣事件の事例もあるので極めて慎重な態度を取っており、廿八日以来報道陣
を完全にシャット・アウトし、鈴木署長宅奥八畳間に同人を連れ出し犯行当時の動き模様
などを聴取したといわれる。
     朝飯も咽喉を通らず 神妙を極めたけさの赤堀
卅一日午後五時島田市捜査本部で久子ちゃん殺しを自供した島田市本通り○○無職赤堀政
夫(24)は、自供後の一夜を同留置場ですごした一日朝、自己のおかした大罪を自供した
が、幾分気が滅入ったか朝食の丼飯、味噌汁も全部は平らげず、同午前九時から栗山捜査
係長、羽切主任、島田市署捜査係長の取調べを受け犯行の動機、当日の模様など細部にわ
たり調べているが、赤堀の自供だけで物的証拠となるべきものが全然なく、裏付捜査に困
難を極め同本部刑事が四方八方に飛び証拠固めを行っている。──以下略──。

29・6・2『中部日本新聞』朝刊
     殴った石を発見 捜査陣物証固めに全力 写真【現場から発見された三角石】
     服役の実績?も 赤堀 A子ちゃんにも関連? 冗談まじりで天どんペロリ
     調べ室の赤堀、落着き取戻す 盗品売って転々 犯行後の足取
29・6・2『静岡民報』朝刊
     色白の顔に魅せられ─ 赤堀政夫・犯行の一切を自供 フラッと入った幼稚園
     仇になった遊戯会の賑い 犯行後の足どり 赤堀政夫という男
     墓前の花に涙も新た 鈴木島田署長交え 冥福祈る幼稚園児ら
     【写真は久子ちゃんの墓前に冥福を祈る鈴木署長と母すゞさんに園児ら】
29・6・2『毎日新聞』朝刊・静岡版
     やっと自供した赤堀 アリバイ追求にソワソワ さすが殺害状況によどむ
     久子ちゃんよかったわ 墓前に小さい字
     苦しかった82日間 羽切強力犯係の感想
 苦しかった八十二日間のあとを振返り羽切国警県本部捜査課強力犯係は次のように語っ
た。
本当にホッとした気持です。この事件は何一つ手がかりとなる捜査資料がないため捜査本
部では初め立てた「犯人は近郷の変質者である」との方針を最後まで投げず世間で知られ
ていない変質者の聞込みに主力を注ぎ、赤堀は事件発生時の三月十三日早くも捜査線上に
浮かび捜査を続けていたが、消息がわからなかったもので他の容疑者はアリバイがつきリ
ストから氏名が次々に消されていったのに彼だけは最後まで残っていた。事件が長びくに
つれ捜査陣の中には「犯人は流し=よそからきたもの=」と捜査方針に疑いを持つものも
出てきたほどだったが結局国警、自治警(筆者注・当時国家警察と自治体警察に別れてい
た)が一本となり事件に体当たりした努力が実を結んだものだった。(殊勲の捜査陣=写
真)
     一度舞い戻る その後の自供 暗い生いたち
29・6・2『読売新聞』朝刊
     犯行後も暴行企つ 少女殺し赤堀 声かけた少女は妹 証拠三点発見
     他に三件のいたずら どんな厳罰でも 観念した赤堀
29・6・2『朝日新聞』朝刊・静岡版
     「赤堀自供」の傍証固めへ 久子ちゃん殺し
     足取り追求に重点 既に有力な物証を握る?
     お友達が墓参り 鈴木署長も霊前に報告
29・6・2『静岡新聞』朝刊
     犯行の一切自供 久子ちゃん殺しの赤堀 金谷民生寮にも宿泊
29・6・2『中部日本新聞』夕刊
     凶行の石発見 久子ちゃん殺し
29・6・2『静岡新聞』夕刊
     廿五人目の容疑者 苦心を極めた赤堀逮捕まで

29・6・3『静岡民報』朝刊
     殺害に使った石発見 地獄沢付近で 赤堀もこれを確認 きょう検事勾留
     時間経過で傍証固めの苦心 捜査本部へ感謝の清酒 島田の母の会有志が
     相模原の事件も赤堀? 神奈川県国警強力係長ら島田へ
     にくい犯人ですが── 留置場に花をと三少女
     飛びこんだ幸運の鳥 逮捕より捜査打切りの前日
29・6・3『毎日新聞』朝刊・静岡版
     赤堀の調査依頼 神奈川少年院長二女殺し 少女の贈ったバラに泣く
29・6・3『読売新聞』朝刊
     クリ拾いの少女殺しも追求 久子ちゃん殺し赤堀送検
29・6・3『静岡新聞』朝刊
     久子ちゃん殺し 厳重な裏付捜査 捜査本部に感謝状殺到
     母親代表から二千円
29・6・3『静岡新聞』夕刊
     裏付け証拠纏まる 少女殺し赤堀を送検 少女たちの思いやり

29・6・4『毎日新聞』朝刊・静岡版
     市民のバ声のうちに 赤堀を静岡地検へ護送
既報、島田市久子ちゃん殺し犯人として同市署の取調べを受けていた同市本通り○生れ住
所不定無職前科三犯赤堀政夫(25)は犯行の一切を自供、裏付捜査によって暴行後殴り殺
した石や、はいていたゴム長ぐつ、衣類など有力な物的証拠を発見押収したため三日午前
九時十分自動車で身柄を静岡地検に送検した。
赤堀の顔を見ようと朝早くから数百名の市民がつめかけ、警察前は人で埋まり午前九時二
十分相田刑事課長、県本部捜査課清水部長、島田市署小島部長、山崎巡査に護られ市署横
口から黒のジャンパー、国防色のズボンに白いズックをはいた赤堀が姿を現わした一瞬「
ワー」という喚声とともに群衆は「気違い」「殺してしまえ」とば声をあびせた。面やつ
れした赤堀は手で顔をおおい自動車にかけこみシートの上に泣きくずれた。
     身柄は再び島田へ 写真【顔かくし島田署を出る赤堀(電送)】
なお赤堀は午前十時半静岡地検に出頭、第十号調室で同十一時から阿部検事の勾留尋問を
受けた。赤堀は阿部検事の尋問に対して頭をうなだれた犯行の一部を肯定したが、調べの
終ったあとは調室の片隅で流行歌を口ずさみ護衛の刑事たちと四方山話に笑顔をみせてい
た。また護送の途中、食い下がる報道陣には黒詰めえりの学生服で顔をおおいながら「ご
苦労さん、ご苦労さん」と声をかける元気な赤堀だった。午後一時半静岡地裁小川判事の
勾留尋問を受けたのち同三時ごろ検事勾留のまま身柄を再び島田市署の合同捜査本部に移
し、さらに自供に基く裏付け捜査を続けることとなった。
29・6・4『静岡民報』朝刊  赤堀、静地検へ送らる 島田市署前は黒山の人
     四件の有力物証掴む 久子ちゃん事件一段落
29・6・4『静岡新聞』朝刊
     検事勾留の手続き 久子ちゃん殺しの赤堀
     【写真は連行される赤堀─顔をかくしている】
     羽切捜査主任に花束 第三小学校の三少女

29・6・6『毎日新聞』朝刊・静岡版
     物的裏付け進む 赤堀 神奈川の事件は無関係?
29・6・6『静岡新聞』朝刊
     久子ちゃん殺し捜査本部解散 道場に毎夜ゴロ寝 涙ぐましい署員の苦労
【島田発】残酷な殺害と難事件から県民注視の的となり子供を持つ家庭を不安に陥れ入れ
注目の的となっていた島田市の久子ちゃん惨殺事件は容疑者である島田市本通り○○無職
前科三犯赤堀政夫(25)の自供とその裏付け捜査により全く一段落をつげるに至ったので
五日午後三時から江口国警隊長をはじめ関係各署長や第一線に活躍した警察官および来賓
など約百五十名が島田市警察署楼上に参集、事件発生以来八十八日目でめでたく犯人捜査
本部の解散式を挙行し血のにじむような捜査苦心談に花をさかせた。
 ここに事件をたどって今後の犯罪防止への指針としよう。
三月十日午前十一時半頃その日のお遊戯会を楽しんで家を出た久子ちゃんが姿を消した、
それを知って島田市署へ届け出たのが午後五時少し前であった。これを受けつけた警察も
遅くなってどこからか出て来るのではなかろうかと半信半疑で、同夜各方面へ捜査の手を
延ばした、ところが翌十一日になっても杳として行方が不明である、これはテッキリ誘拐
されたものに相違なしと断定、警察、消防団、町内幼稚園など一丸となって付近をくまな
く捜索・(一字不明)の結果、十三日午前九時五十分頃、榛原郡初倉村谷口原土砂止保安
林内に無残な死体となって発見された。
島田市署では直ちに隣接各署や消防団の協力を求めて水も洩らさぬ犯人捜査に乗り出した
が、兇行現場からの足取りが全く不明でしかも物的証拠品として一つも出て来ない、そし
て漸く探しあてたのが横井町地先大井川原砂地に残された犯人のはいたらしい馬蹄形ゴム
靴の跡であった、この難事件に直面し十七日には島田、大井川、志太、榛原、東小笠、西
小笠の地区自治六署合同による捜査本部が島田市署内に設けられ、県下屈指の刑事達も区
域を分担してシラミつぶしの捜査が開始されたが、物的証拠品が何一つない苦しさから西
に飛び、東へ駈け幾分臭いと思われる者は一人残らず片っぱしから洗った、そして島田市
内の如きは同時目撃者の話しを参考として廿才台の者については一人一人の動静を詳細に
調べあげ、ついに二百卅名という多数を俎上に乗せたが、その中の大部分は全くの白とな
り、幾分黒がかっているのは僅かに数名で赤堀は性行その他から廿五番目であった。
 赤堀については風説が高いので万全の策を講じ、彼のアリバイなどについて専任者を配
したが容易に同行することが出来ずにいるうちに姿を消してしまった、捜査本部ではこの
ため陣容を立て直し国警本部および周辺の各署から腕利きを選んで犯人捜査の特別班を設
け、再度のふり出しにもどって捜査を開始した、しかも容疑者はようとしてその足跡をみ
せない、このため世間からはようやく警察無能の陰口すら出てきた。
そのうち五月廿四日になって岐阜県秋葉(筆者注・稲葉の誤記)地区署から赤堀を不審尋
問で逮捕したとの通報に接したので時を移さず島田市署から飯田部長刑事、秋山刑事の両
氏が出向、身柄を連行して取調べたところ言葉巧みに逃げて僅かに今春一月市内祇園町島
田女子高校内に忍び込み僅かな窃盗を働いたことだけが出たので一応釈放した、しかしな
お不審な点が多々あるのでアリバイを調査したところ、それが完全に崩れたので廿八日再
逮捕し、捜査の方針立て直しを目論んだ卅日になってついに久子ちゃん惨殺の一部を自供
、翌卅一日に至り全貌を自供するに至って八十二日間にわたる苦心の努力が実って捜査陣
に凱歌があがったものである。
赤堀の自供によると中央幼稚園で久子ちゃんを誘拐し市内を横断、横井町地先で大井川へ
出てさらに蓬莱橋を渡り現場へ着いてから兇行後一度河原に降り、山と河原の中間に忍び
蓬莱橋の番小屋の電気が消えたのをみて市内へもどったという、この彼の自供を思う時、
捜査陣が事件発生以来犯人は渡り者でなく必ず土地カンであり兇行現場から市内へもどっ
たものであるに相違ないという方針は正に適中していたものであったといえる、そして捜
査本部を設置してから全責任を負う鈴木市署長や羽切主任、相田課長などを全員が終始一
貫最後まで同じ気構えで活動をつづけつくして来たこと、更に専任警官は市署の道場に毎
夜ゴロ寝をしながら協議していたという涙の捜査苦心が犯人自供の実を結んだものといえ
る、なおこの事件のため付近一帯の不良やチンピラが一人残らずリストに乗るに至ったこ
とは大きな収穫であるとともに警察は厳として健在であるということが明らに示された。
 鈴木島田市署長談 この事件では全く言い知れない苦労をしました、一切が片づいたら
過去の事としてこの様にお話ししたいと考えている。【写真は犯人赤堀】
 

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