− 「雪冤−島田事件」−赤堀政夫はいかに殺人犯にされたか −
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〔六〕報道された赤堀政夫像
 
 五月二十五日の夜明け前、東海道線の浜松駅で新聞記者に公開(?)された時には、始
めから真犯人扱いであった赤堀政夫が、再逮捕され、犯行を自白していく間に、当時
の新聞は、どのような赤堀政夫像を報道していたか、各紙ごとに追って見てみよう。

・『中部日本新聞』
29・5・25朝刊  カメラにすまし顔  護送の赤堀奇妙な態度
【浜松発】島田市署員二名に付添われ二十五日午前零時四十分浜松駅着列車で下車した赤
堀は学生服に緑色のひさしのついた日除帽といったいでたちで十七、八歳ぐらいに見え丸
坊主の頭に土のような顔色で目ばかりぎょろぎょろ光らせていた。性質はおとなしいらし
く手錠もはめられていない。同駅改札口までくると折柄の豪雨にぬれた駅前路上に一瞬足
をとめたが割に軽い足取りで同署差回しの乗用車へ気軽に乗込んだ。
 カメラを向けると急にとりすました顔つきでポーズをつくるなど大胆なのか精神異常者
か(原文のまま)わからない奇妙な態度で腰掛に深々と腰をおろし、吹きなぐりの雨の中
を一路島田署に向った。写真【護送される犯人赤堀(左)】
29・5・25夕刊  『アリバイ』を追求  ひさ子ちゃん殺し容疑者
捜査本部の調べによると三月初めごろ(筆者注・これは一月中旬から二月初めにかけての
こと)二、三日東京の撮影所(筆者注・日活調布撮影所のこと)に人夫として働いていた
ことがあり、最近岐阜県下でサイ銭ドロを働いているほかさる十九年一月静岡地裁で一年
以上三年未満の不定期刑の判決をうけ松本少年刑務所で二カ年服役、さらに二十四年九月
には島田区裁で窃盗罪で懲役八カ月の判決を受け静岡刑務所で服役している。二十五年五
月出所してからほとんど実家に寄りつかず、各地を転々と放浪生活を続け、さる三月三日
以来行方不明となっていたが、同月十九日島田市祇園町須田神社内で幼女に金をやるから
おいでと誘っているところを付近の人が発見、さわがれて逃げ五月十日には岐阜県大垣市
署員に職務質問され新潟県へ行くといって立去ったこともある。
29・5・25夕刊  『アリバイ』を追求  ひさ子ちゃん殺し容疑者
 同捜査本部の調べによると同人は最近岐阜県下でサイ銭泥を働いているほか、さる十九
 年一月静岡地裁で一年以上三年未満の不定期刑の判決をうけ松本少年刑務所で二カ年服
 役、更に二十四年九月には島田区裁で窃盗罪で懲役八カ月の判決を受け静岡刑務所で服
 役している。
二十五年五月に出所してからほとんど実家に寄りつかず、各地を転々と放浪生活を続け、
さる三月三日以来行方不明となっていたが、同月十九日島田市祇園町須田神社境内で幼女
に金をやるからおいでと誘っているところを付近の人が発見、さわがれて逃げ五月十日に
は岐阜県大垣市署員に職務質問され新潟県へ行くといって立去ったこともある。
     家庭も複雑
29・5・26朝刊  赤堀は白か ひさ子ちゃん殺しの容疑者
【島田発】既報=島田市署は二十五日幼女暴行殺害事件容疑者として岐阜県稲葉地区署に
保護された島田市本通り○住所不定無職赤堀政夫(24)を任意出頭の形で取調べた結果、
窃盗三件を自供したので同日午後四時半逮捕、引続き三月三日家出してからのアリバイに
ついて同人の自供にもとづき調べているが、同四時「ひさ子ちゃん殺しの犯人ではないと
思う」と発表した。(別の記事には「なお同市署で引続きアリバイを追求している」とあ
る)
 同人は去年一月二十九日(筆者注・二八年七月五日まで名古屋刑務所で服役していた)
 島田市祇園町島田女子高校に浸入、生徒の○○さんほか二名からタオル、黒ギャバ生地
 、手芸材料など(価格計三百六十円)を盗み、足取りについては三月一日家出、汽車で
 静岡市に行き、静岡から徒歩で東京までいったと自供している。
一方警察の調べでは家出したのは三月三日で自供と二日間の食違いがあるが、かなり日が
たっているので確実なものと判定できず記憶のズレからみても事件発生日の三月十日には
東京にいたのではないかと推定、犯人ではないとする材料としている。
29・6・1朝刊  足取りで割り出す 赤堀確定まで 札付きだった赤堀
赤堀の実家は島田市本通り○○で実兄○○さん(00)兄嫁○○さん(00)と妹二人が同居
しており、両親はすでに亡く、政夫は次男に生れたが、幼いころから手クセが悪く、近所
でも札つきの不良といわれ、小学校卒業後もまじめに働いたことはなく刑務所へ二回入っ
ている。
 今年一月初めまで島田市職安所のあっせんで市の水道工事人夫をしていたが、その間町
 内の幼女を自転車に乗せてやると誘い出したり時々変ないたずらをするという悪い評判
 があった。家庭でも折合いが悪く三月三日家出、事件が発生した当時付近の人々の間で
 「政夫がやったのだろう」ともっぱらのうわさだった。死んだ実母まさえさんは内妻関
 係であっただけに家庭は複雑で自然政夫の育ちもよくなかったのだといわれている。
義姉○○さんは「仕事が見つけるまで家に帰らないと三月三日に家を出たきり何の便りも
ないのでど──以下不明──。
     久子ちゃん殺しやはり赤堀
     足取り追求から自供 一たん釈放、苦心の裏付け 写真【赤堀政夫】
29・6・1朝刊・別版 久子ちゃん殺しやはり赤堀 一たん釈放、苦心の裏付け
     でたらめのアリバイ 逮捕から自供まで 写真【赤堀政夫】
     女性関係はない 無知な青春誤った赤堀
 わずか七歳の幼女を誘カイ、暴行さらに殺害という残酷な事実にたった一言どうもす
 みませんともらしただけだった変質者赤堀政夫(24)の性格はどんなものだろう。付
 近の人々の話を総合、同人の性格を浮彫りにしてみよう。
赤堀は島田市第四小学校を卒業しただけで、教養など全然なく、自分の感情をそのまま表
現し思ったことをずばりとやってのける突飛なところがあるようだ。家へあまり寄りつか
ないので、朝晩のあいさつなどはいたってていねいで、話し方もやさしく近所の人や友人
に会っても遠くから手を振るなど愛想がよかったという。内気の性質でどちらかというと
思ったこともあまり表現しないという二重人格的な性質もあった。
 女性関係はほとんどないでしょうと付近の人々は一致した見方をしているが、その
 半面女性と交際できるほどの教養、趣味もないので若い彼の青春のほとばしりが、たま
 たま久子ちゃんに向けられたのではないかとみられている。実兄の○○さん(00)が嫁
 ○○さん(00)と結婚したのは近所の人の話によると赤堀の実母がなくなった一昨年三
 月から間もない十一月、そのころから兄は結婚したが僕には来てくれるような嫁もな
 いだろう。カイ性なしだからとさびしくもらしていたという。
妻帯するだけの経済力もなく、自分の無知を恥じながら、また一方では青春のたぎりたつ
感情のはけ口が抑え切れなかったようだ。
29・6・1夕刊  発作的に凶行 久子ちゃんの幻影に悩む『赤堀』
 家庭的には非常に恵まれなかったので、寂しく人恋しい生活を送っていた。──いまま
 でも成年、未成年を問わず女を見るとのぼせ上ることがたびたびあった。この点から見
 て捜査本部では犯行は計画的なものでなく、発作的なものとみられる。(筆者注・久子
 ちゃんの幻影に悩む『赤堀』の見出しに関連して、その根拠については記事の中でひと
 こともふれていない。)
29・6・1夕刊・別版 女をみて発作的に凶行 家庭にも恵まれなかった『赤堀』
 父と母が内縁だったという家庭的には非常に恵まれなかったので、いつも一人寂しく人
 恋しい生活を送っていた。──以下前掲版と同文──。
29・6・2朝刊 殴った石を発見 捜査陣 物証固めに全力
     写真【現場から発見された三角石】 A子ちゃんにも関連?
     服役の実績?も 赤堀
赤堀は島田市第四小学校高等科を卒業後、豊橋市内の軍需工場に入社したが、一週間で逃
げ出し、島田市の日本光学島田工場で砂利運搬をし終戦とともに退社した。このころから
持前の放浪性を発揮して盗みを働くよううになり、昭和二十一年九月三十日窃盗で静岡地
裁から一年六カ月三年間執行猶予の判決を受け、また同様窃盗で同年十一月二十二日同地
裁で一年以上三年未満の判決、さらに二十四年九月二十日窃盗、詐欺で島田簡裁で八カ月
の実刑を言渡され名古屋刑務所で服役した。
     冗談まじりで天どんペロリ 調べ室の赤堀、落着き取戻す
取調べ室の赤堀は罪業をぶちまけて良心のかしゃくから逃れたためかこれまでと打って変
ったように表情も明るくなり署長官舎に移され差入れの天どんをペロリと平げけしまい「
まだ十ぱいぐらいは食えます」と冗談を飛ばしていた。そばにいた捜査本部員も三度三度
の食事を半分ぐらい必ず食べ残しているのに赤堀がこうも自供後変るものかとそのあまり
の変りように驚いていた。
 自供を終った赤堀はつめかけた報道陣の目を避けて一日午前二時半署長官舎から署内保
 護室に移された。黒の詰えりの福を頭からすっぽりとかぶった赤堀は自供したという肩
 の重荷をおろした安心感と極度の疲れのためかそのままぐっすりと寝込み、目をさまし
 たのが午前八時過ぎ、看守もこんなに赤堀がぐっすり寝たのははじめてだ。いつも保
 護室のすみにまんじりともしないでうずくまっていたのに──と語っている。
こうして自供第一夜はあけた。
     盗品売って転々 犯行後の足取
取調べの中心とみられる長グツの捨場所、犯行後の足取りについてまだのらりくらり供述
しており一言いっては・(一字不明)え、また一言いうという始末で時折自供の一部を翻
したり係官をいらだたせている。赤堀の自供による犯行後の足取りはつぎのとおり。三月
十日午後久子ちゃんを惨殺した同夜七時半から八時までの間に大井川蓬莱橋の橋番があか
りを消していなくなるのを見極めてから橋を渡って島田市へ入り一夜を市内元島田地内の
山小屋で明かした。ついで十一日夜は小笠郡日坂村の山小屋に泊り十八日まで掛川市付近
をうろついていたが十九日昼ごろ島田市内へふたたび舞いもどって同夜七時半ごろ市内祇
園町那須神社境内で少女にお金をやるからおいでと誘っているところを通りすがりの人に
発見され騷がれて逃走、山づたいに小笠郡山口村へでて国道を歩いて三月二十三日ごろ名
古屋市にゆき駅裏を根城に中村某と野宿しながらバタ屋をはじめた。それから一カ月岐阜
、大垣、名古屋などの各地でバタ屋生活を続けていたがその生活にもあきて岐阜県郡上郡
へ土方生活にでかけた。その後暮しのあてもなくさまよっていかところを稲沢(注・稲葉
の誤り)地区署員に保護されたもので持金がなくなるとでたらめをいい警察や町村役場で
旅費を狩りまた食事をふるまわれていた。
 なお赤堀は本年一月からさる五月二十四日岐阜県稲葉地区署員に保護されるまで蒲原郡
 由比町の東海道線トンネル付近の一軒家からゴム長グツを盗んだのをはじめ十三足のゴ
 ム長グツを盗み他に転売して食費などにあてていた。
29・6・2夕刊  凶行の石発見 久子ちゃん殺し

・『静岡民報』
29・5・26朝刊  久子ちゃん殺し犯人か 島田の男 岐阜県下で逮捕
     窃盗容疑で逮捕状執行 赤堀は札つきの男
【島田発】久子ちゃん殺害事件容疑者として島田市署に留置された同市本通り○○生れ赤
堀政夫(25)は、兄妹六人のうち二番目に生れたが、父母は既に死亡、兄妹も──以下24
字略──、子供のころから手クセが悪く窃盗前科二犯もあるという札つきの男。
 赤堀は三月三日自宅に舞い戻ったが、その日のうちに家出し東京に出稼ぎに行ったとも
いわれているが、事件発生後の十五日藤枝市内をはいかいしていたこともあるという。同
月十九日午後五時半ごろ同市ギ(ママ)園町須田神社境内で同人の妹(12)がお友達二人
と通行中を呼びとめようとしているところを同神社境内に住む接骨師大田原操(43)さん
に発見され、一目散に逃げたため同所の畳製造業小林正平(43)さん同所表具師池谷善夫
(43)さんの三人に追いかけられた。小路をぬって逃げのび、自宅付近まできたところを
近所のものに見られ立寄らずにそのまま以後の消息を断ったが、本月中旬ごろ大垣市内で
同市署員に職務質問され島田市署に身許照会があったことがそれ以後の唯一の足掛りとな
っていた。
 近所の人達の話では赤堀は家を開けることが多いため口をきいたことも少く、この態度
から押してとても久子ちゃんを殺害するような悪い人ではないといっているが、反面相手
にされない様子もあった。歩くことが早く島田から東京まで歩いたこともあったといわれ
、足音をさせないことと鳥を盗むことも上手だったという。
29・6・1朝刊  久子ちゃん殺し解決 八十三日目 赤堀、犯行を自供
     不遇な家庭の赤堀【犯人赤堀政夫】
29・6・2朝刊  色白の顔に魅せられ─ 赤堀政夫・犯行の一切を自供
     フラッと入った幼稚園 仇になった遊戯会の賑い 犯行後の足どり
     赤堀政夫という男
赤堀は去る昭和十八年三月同市第四小学校卒業後徴用で豊橋市某軍需工場に働いたが一周
間で逃げ出しその後日本光学島田工場で砂利運搬に雇われたこともあったがこのころから
悪事を働くようになり放浪性も身に付き家に寄りつかなくなることも度かさなった廿一年
九月卅日窃盗罪で静岡地裁から一年六カ月執行ゆうよ三年の判決を受けた。さらに同年十
一月廿二日詐欺窃盗で一年以上三年以下の不定期の判決で懲役に服務廿四年九月廿日三度
島田簡裁でこれも窃盗罪で八カ月の判決を喰い服役した。その後さらに罪を犯し昨年七月
五日名古屋刑務所を出所したという詐欺窃盗前科三犯の持主だった。
     友だちを避けていた 元の雇主北川さんの話
赤堀は一定の職業もなく、また職についても長続きしなかった。同人が昨年十一月廿二日
から約廿日間雇われていた島田市幸町井戸掘業北川政雄(44)さんは当時の赤堀を思い浮
かべその横顔をつぎのように語った。
 昨年の秋市内が水がれでテンテコ舞しているとき赤堀は職安の紹介できた。日給三百五
 十円だったがよく働いているようだった。しっかりしているようでもありニヤけている
 ようなところもみえ、女遊びなどはあまり話さなかった。無駄口をきかなかったという
 よりむしろ友だちを避けていたという方が適当かもしれない。
     ニヤけた三重人格者 島田市署秋山刑事の話
また同市署の秋山刑事は赤堀がさる二十四年九月窃盗をはたらき懲役八カ月の判決を受け
たときその捜査にあたったが、同刑事が見る赤堀の横顔は
 「テキパキとしはっきりしたところがある反面女のようにニヤけており、さらに一面に
 はウソを事実のように言い出すこともあるという三重人格の男だ」
ときめつけている。
29・6・3朝刊  殺害に使った石発見 地獄沢付近で 赤堀もこれを確認
     きょう検事勾留 時間経過で傍証固めの苦心
     相模原の事件も赤堀? 神奈川県国警強力係長ら島田へ
     にくい犯人ですが── 留置場に花をと三少女
     飛びこんだ幸運の鳥 逮捕より捜査打切りの前日

・『毎日新聞』
29・6・1朝刊  久子ちゃん殺し自供 無銭飲食の男 写真【自供した赤堀】
29・6・1朝刊・静岡版  久子ちゃん殺し 犯人は赤堀だった
    上京中のアリバイ崩る 83日目捜査陣切換予定日に 釈放後の聞込み奏功
     評判の不良者 「あいつの仕業だ」と風評が高かった
犯人赤堀政夫(25)の実家島田市本通り○○には──以下24字略──同居しており両親は
すでに死亡して政夫は幼時から手くせが悪く町でも評判の不良で小学校卒業後まともな職
業に従事したことはなく、去る十九年一月窃盗で松本少年刑務所に二カ年服役、さらに二
十四年九月再び窃盗罪で八カ月間静岡刑務所に服役、二十五年五月出所してからはほとん
ど実家に寄り付かなかったが本年一月ごろ帰郷、島田市の水道工事人夫として働いており
その間幼女を誘かいしようとしたことがあり事件発生直後から市民の間に「久子ちゃん殺
し犯人」の風評が高まっていた。
 去る三月三日ごろから再び家出、行方不明となっていたが十九日同市祇園町細(誤植)
 田神社境内で幼女に「金をやるからおいで」とさそったが近所の人々に発見され逃走し
 た事実なども判明、久子ちゃん殺しの容疑はいよいよ濃厚となっていたものである。
     事件の経過 顔に汗し自供
29・6・1夕刊  色白の姿に犯意 久子ちゃん殺しの赤堀 怠け者で窃盗の前科
【焼津発】静岡県島田市久子ちゃん殺しを自供した同市本通り○○無職赤堀政夫(25)は
三十一日夜十一時ごろ強かん殺人の逮捕状により身柄を拘置された。同事件は自供のみで
物的証拠がないので公判でくつがえされるおそれがあるため慎重な裏づけ捜査を行ってい
る。
 捜査本部では一日午前九時半、自供内容、性格、生いたちなどについて次の発表を行っ
 た。
性格、経歴 赤堀は島田市第四小学校高等科二年を卒業後徴用工として豊橋の軍需工場
に勤めたが、一週間で自宅に逃げ帰ったのち日本光学島田工場の砂利運搬工として終戦ま
で働いていたが、そのころから悪事を始め放浪性があり、非常になまけものであった。去
る二十一年九月三十日静岡地裁から窃盗罪で懲役一年六月(執行猶予三年)同年十一月二
十二日窃盗詐欺で懲役一年以上三年以下、二十四年九月二十日島田簡裁で窃盗罪で懲役八
月の判決を受け去る二十八年七月五日名古屋刑務所を出所したもの。
犯罪動機 自供によると家庭的に恵まれないところから、去る三月九日夜静岡大学島田
分校北の山小屋に泊り、犯行当日の午前九時ごろ起きてフラフラ街に出て同市幸町中央幼
稚園へ出て来たところその日はちょうど遊戯会があってたくさんの子供が遊んでいたが、
その中でことに久子ちゃんが色白くきれいだったので急に頭がカッとして久子ちゃんをさ
そい出しいたずらしたくなった。いままでにも女をみてカッとなるということがたびたび
あったということから、典型的な変質者で計画的なものではなく衝動的なものである。久
子ちゃんをつれ出してから島田市内を通って大井川堤防に出て蓬莱橋(島田市横井町から
榛原郡初倉村湯田に至る)を渡り初倉村沼伏原通称地獄沢の山林までつれて行き暴行、殺
害した。その日は牧の原の山にかくれていて暗くなって蓬莱橋の橋番小屋の電灯が消える
のを見届けて橋を渡り島田市内へまいもどった。
29・6・2朝刊・静岡版  やっと自供した赤堀 アリバイ追求にソワソワ
     さすが殺害状況によどむ 一度舞い戻る その後の自供 暗い生いたち
赤堀は典型的な変質者で近所の人や少年時代の友だちの話によると子供のころからボンヤ
リして成績も悪く何か陰気な性質で友人もなくいつも一人で遊んでいた。複雑な家庭環境
に育ち温い人の情を知らず年とともに悪の道に入って行ったようだ。ふだんからウソがう
まく取調べに対してもヤクザな口調を使うなど不良青年だった。しかし鶏を鳴かせないで
捕まえることと音を立てないで忍ぶことについては正に名人芸だったという。久子ちゃん
殺しについては「色の白いきれいな久子ちゃんを見たとき急に頭がカッとなった。いまま
でにも女を見てカッとなったことはたびたびある」と自供しているところからみても発作
的に理性を失う彼の変態性を如実に物語っている。仕事も一つのものに長く勤まらず二、
三日でいやになりルンペン、バタヤをして各地を歩くなど放浪性を帯びていた。
29・6・3朝刊・静岡版
     赤堀の調査依頼 神奈川少年院長二女殺し 少女の贈ったバラに泣く
29・6・4朝刊・静岡版
     市民のバ声のうちに 赤堀を静岡地検へ護送 身柄は再び島田へ
 ──赤堀が姿を現わした一瞬「ワー」という喚声とともに群衆は「気違い」「殺してし
 まえ」とば声をあびせた、──の記事を報道。
29・6・6朝刊・静岡版  物的裏付け進む 赤堀 神奈川の事件は無関係?

・『読売新聞』
29・6・1朝刊・全国版  久子ちゃん殺し自供 島田署で検挙 家出の不良青年
29・6・1朝刊・静岡読売版
     少女殺し、八十三日目に解決 アリバイ成立せず 追求に隠しきれず自供
     「私が殺した」自供して顔伏せた赤堀 家人とも折合悪かった赤堀
29・6・2朝刊  犯行後も暴行企つ 少女殺し赤堀 声かけた少女は妹
     証拠三点発見  学校でも要注意 乱暴者の赤堀
犯人赤堀は十九年三月島田市第四小学校高等科二年を卒業したが在学当時は平凡な目立た
ぬ生徒で成績は中の下、良と可が半半というところ。とくに理数科、国史、地理が劣って
いた。当時担任の栗山越平教諭(現志太郡大津村中学勤務)の話によると彼は三、四歳の
ころ脳膜炎を患いその後物事に熱中できず友だちもできぬところからときどきかっとなっ
て乱暴をはたらき要注意の少年であった。
 またその家庭は複雑でさる二十六年死亡した母まささんと亡父は──以下略──。
同家は近所付合いもなくまた赤堀は付近の青年から相手にされず長い間植えつけられた劣
等感が裏返しに作用し幼女を相手に欲望を満足しようとしたもの。
     他に三件のいたずら  どんな厳罰でも 観念した赤堀
合同捜査本部は二十八日赤堀逮捕以来報道陣の目をくらますため同署裏の鈴木署長官舎八
畳間に移し尋問を続けたが、隣家の写真業石野誠一さんの話によると二十九日夕刻から説
教するような声がもれ三十、三十一日と続いたがときどきしのび泣くような声もまじって
いたという。三十一日夕刻ついに自供したときは『実に申訳ない』と泣き伏し『お手数を
かけましたがスッカリ観念した』と反省の色をみせ同夜同署留置場に移されたのち食事は
大半残し気味で面長の顔も青ざめ自責の苦しみをみせていた。
 しかし自供した安心から同夜はグッスリ眠った様子で係官に対して『この償いは必ずす
 る。どんな厳罰にでも処してもらいたい』と述べている。
29・6・3朝刊  クリ拾いの少女殺しも追求 久子ちゃん殺し赤堀送検

・『朝日新聞』
29・6・1朝刊  久子ちゃん殺しを自供 九分九厘まで本物
     容疑者赤堀 当局、物証固めに全力
     暴行殺人に切替える 国警件本部江口隊長の話
     一度は白で釈放 問題は裏付捜査 金子刑事部長の話
     赤堀は子供に好かれる男だった写真【久子ちゃんのメイ福祈る家族】
     罪を悔いて丸坊主に? 赤堀 申訳ないと泣き伏す
赤堀は国警県本部羽切捜査主任と島田市署相田刑事課長の調べに対し、三十一日午後五時
ごろ「申訳なかった」と久子ちゃん殺しの犯行を自供した。黒の詰エリ服に国防色のズボ
ンをはいた赤堀は、犯行を自供すると同時に当時の状態を思い出したものか泣き伏し、市
署から差入れのあった上等の天どんを黙々と食べ終ると、煙草を吸いながらうなだれて考
え込んでいたという。
 また赤堀はさる十五日ごろ岐阜で頭を丸刈りにしたことを自供したが、当時犯行を悔い
 て罪滅ぼしに丸坊主にしたのだという。同日赤堀に面通しした島田市大井町増野豆腐店
 店員長谷川睦君(17)は、当日みかけた時はうしろ姿だったので面通した結果、赤堀が
 犯人であるかどうかハッキリ判らなかったと証言した。
久子ちゃんが誘かいされた時みかけたという島田市六丁目地獄橋(注・蓬莱橋のこと)橋
守鈴木鉄蔵さん(73)は次のように語っている。「明けても暮れても久子ちゃん殺しの犯
人が捕ることを願ってきました。これで久子ちゃんもきっと成仏できるでしょう。赤堀は
六、七年前小糸製作所の工員をしていた当時に知っていた、それからずっと会わず、犯行
当日は私が金を持っているかと呼びかけても私の方を見ないで、横顔だけをみた、その時
は赤堀とは知らなかったが、いまいわれてみると赤堀だったような気もする。
     事件以来姿を消す 浮浪者生活の容疑者
29・6・2朝刊・静岡版  「赤堀自供」の傍証固めへ 久子ちゃん殺し
     足取り追求に重点 既に有力な物証を握る?
     女性的で気が小さい 家庭に恵まれない赤堀
久子ちゃん殺しを自供した赤堀政夫は自供に安心したものか、卅一日夜はぐっすり眠り、
一日は午前九時ごろから留置場内の・(一字不明)室で国警県本部の羽切強力主任らの取
調べを受けた。赤堀が久子ちゃん事件を自供したことを聞いた近所の人は「あのおとなし
いマーちゃんが──」と驚いたという。学校時代女性的といわれた同人がなぜこんな
大それた犯興(ママ)を犯したか。
 赤堀は昭和十一年、当時の島田町第四小学校に入学、同十九年同校高等科を卒業してい
る。小学校時代、赤堀の受持だった同校百々保蔵先生(42)の話によると、赤堀は幼い時
脳膜炎にかかったためか成績は中ぐらいだった。性格は怠け性でおとなしいというより気
が小さかった。無口で友達関係はあまりなく、どちらかといえば女性的で、かげでコソコ
ソする方だったが、時にはカッとなり思い切ったことをすることもあった。また在学中戦
争のため動員、疎開で教育をほとんど落着いて受けていなかったし、ゲタ商をしていた実
家も経済的に行き詰って両親が夫婦別れをしたことなども赤堀の性格を一層暗いものにし
た。卒業後彼は横浜で風太郎、豊橋の軍需工場、島田で砂利工事と終戦まで転々とし
たが、これは彼の冷い家族、冷い世間の眼から逸れたいという内気な反面、思いがけない
ことをする彼の性格からで、怠けグセが強まり放浪性がしみついてしまった。家に帰って
も面白くなく、戦後近所の鶏を盗んだことから盗ヘキがつき、刑務所に入ったのは世間の
白い眼を一層強くするだけだった。女性関係は学校時代は女生徒に対していたずらをした
ことはなかったが、学校卒業後のころから女性に対して異常な衝動を抱くようになり、冷
たい家庭、戦後の混乱、放浪性と結びついて今度の事件を起こしたものと思うと語ってい
た。
 なお今年に入ってから島田市内で二件の婦女暴行未遂も自供している。
     三千人を動員 事件の捜査に

・『静岡新聞』
29・5・26朝刊  赤堀政夫は白 久子ちゃん殺しに関係はない
29・6・1朝刊  窃盗で逮捕の赤堀政夫 犯行の一部を自供
     82日目、捜査本部に凱歌 申訳ないと政夫 裏付け捜査に全力
     放浪性の政夫 各地を転々 捜査の延人員約四千 諸経費六十万円による
29・6・1夕刊  犯行後山にひそむ 顔を見られた橋番を避けて 留置場で一夜苦悩
     性来の怠け者 一夜を署長宅 朝飯も咽喉を通らず 神妙を極めたけさの赤堀
29・6・2朝刊  犯行の一切自供 久子ちゃん殺しの赤堀 金谷民生寮にも宿泊
29・6・2夕刊  廿五人目の容疑者 苦心を極めた赤堀逮捕まで
29・6・3朝刊  久子ちゃん殺し 厳重な裏付捜査
29・6・3夕刊  裏付け証拠纏まる 少女殺し赤堀を送検 少女たちの思いやり
29・6・4朝刊  検事勾留の手続き 久子ちゃん殺しの赤堀
     【写真は連行される赤堀─顔をかくしている】
29・6・6朝刊  久子ちゃん殺し捜査本部解散 【写真は犯人赤堀】
 

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