− 「雪冤−島田事件」−赤堀政夫はいかに殺人犯にされたか −
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〔二四〕凶器の石と犯行順序
 
 佐野久子の殺害に至る凶器の石と犯行順序については、第四次再審請求の中でも大きく
問題にされてきたことなので、改めて検討してみることにしよう。まず赤堀政夫は、供述
調書の中でどのように述べていたのかみてみよう。

第四回供述調書(29・5・31相田兵市員調)
 私はもうどうにも我慢が出来なくなり其の子の正面から肩を押し山の高い所へ頭を向け
て仰向けに倒しました。すると女の子はびっくりして、泣きべそをかきましたので、まづ
いなあと思いましたが、どうにもたまらなくなり子供のズロースを下から手を入れて下に
引下げました。子供は、おうちへいきたい。かあちゃんと言って泣き出しました。私は自
分のズボンを下げ右足はズボンからぬいでその子の上になり女の子のズロースを片足抜い
て股を開かせ余り騷ぐので左手で子供の口を押さえ乍ら自分の大きくなった陰部を女の子
のおまんこにあて右手で持って押しあて腰を使ってグイと差入れました。半分入ったと思
います。女の子はもがき乍ら、痛いおかあちゃん、と力一杯泣くのて左手では押へ切れな
くなり私は構わず腰をつかいましたが余り暴れるので思う様に出来ず私はやっきりしてお
まんこをやめて足の所にあった、握り拳一つ半位の岩石の先のとがったのを拾い腹立まぎ
れに女の子の左胸辺を二、三回力一杯尖った方で殴って仕舞いました。
 子供は私が腹立ちの余り石で二、三回殴ると相当にひどかったと見へて泣くのが止りフ
ーフーと息をし乍ら目をつむり黙っていました。私は気持ちが悪くなり、一そ殺して仕舞
へと思い両手を女の子の首にあて力一杯押へつけました。そして四、五分して手を離すと
もうぐったりしていました。
第十回供述調書(29・6・8相田兵市員調)
 現場で子供をおろしたら子供はしょんぼりして大井川の方を向いていたがここで前申し
た様に裸にしておまんこをやり暴れる子供を石で殴り首をしめて殺したのです。
第二回検事調書(29・6・13阿部太郎検調)
 私は──いきなり両手で女の子の肩を押し倒して手早く女の子の着て居た緑色の洋服を
後の釦を外して頭の方にまくりあげ其の下に着て居た下着類も同じ様に上の方に捲り上げ
たと思います。一番下に着て居たのは桃色のメリヤスシャツで是はすっかり脱がせて仕舞
い傍に置きました。これは物貰いをして歩いて居る女の子にでもやろうと思ったからであ
ります。それから私は女の子がはいて居た白いズロースと毛布の柄の様なズロース両方を
ひっぱって脱がせ、その辺に放り出し女の子の両股を開き自分のズボンを下げて右足だけ
ズボンから抜いて女の子の上に乗りかかり女の子が大きな声で泣き叫ぶので顔の上にかか
った洋服の上から女の子の口を左手で押さえ乍ら自分の陰茎を女の子の陰部にぐっと押し
入れたのでありますが子供の事ですから穴が小さくとても陰茎の根元までは這入らず半分
位もやっと這入ったと思います。
 女の子は両手を振ってもがき乍ら泣くので片手では押さえきれなくなり旨く目的が達せ
られそうもなく癪に障り女の子の上に乗りかかった侭自分の陰茎をぬき右手で其の辺の地
面を石でもないかと思って探して見ましたが見当らず足元の方を見ると石の様な物が見え
たのでのりかかった侭の姿勢で右足を伸し、足のこうや指先を使って其の石を手元にひき
寄せ握り拳より少し大きい位の其の石を右手に握り尖ったところで女の子の胸を数回力一
杯殴り付けたのであります。
 すると女の子は泣き騷ぐのをやめてしまい大きな息をしながらうなり出したのでありま
す。私もこうなっては仕方がないと思い此の侭にして置けば女の子の唸り声で人に見つか
って仕舞っては大変だと思い可哀想だとも思ったがいっその事殺して仕舞おうと思い両手
で女の子の首を力一杯押え付けたのであります。暫くすると女の子はぐったりとして顔を
横の方に向け死んで仕舞った様でした。

 そして、唯一の物証とされた凶器の石は、次の状況で発見されたというのが、赤堀政夫
の島田事件に関する供述の核心部分とされたのである。

第五回供述調書(29・6・1相田兵市員調)
 問 君は昨日女の子が余り騷ぐので腹がたちそばにあった石ころを拾って子供の胸のあ
たりを殴ったと云ったが、あの場所は土ばかりで石は少ないが実際石で殴ったのに間違い
ありませんか。答 ほんとに石で殴りつけたのです。石は私の足の所にありました。
此の時本職実況見分(昭和二十九年六月一日午前十時二十五分より実施)の際榛原郡初倉
村坂本沼伏原四九二五 植田所有山林内の佐野久子強姦殺人被疑事件死体発見現場より押
収した拳大変形三角型の石一個を提示し、問 此の石は君が子供を殺した現場近くにあっ
たが見覚へがありますか。被疑者は此の際右石一個を右手に取り石を廻して各種の持ち方
をした上 答 現場で子供を殴りつけた折持った石と手にして見て同じで、重さ、恰好、
手ざわりから言って間違いありません。此の石の一番尖った所を子供にあたる様に握って
子供の左胸辺を殴ったのです。

 これらの赤堀政夫の供述調書を受けて、阿部太郎検事は『冒頭陳述』(29・7・2)で
事件の模様を、次の通りに描いていた。

 同所で被告人の背から降ろされた被害者は、全く茫然としてなす処を知らない様子であ
ったが、劣情押さえ難き被告人は矢庭に同女をその場に押し倒して裸体とし同女に乗りか
かって姦淫した。被害者は手足を振り動かし抵抗して意の如くならなかったことから業を
煮した被告人は、同女に乗りかかった侭付近にあった拳大の石を拾い上げ同女の胸部を殴
打したので被害者は殆んど仮死状態となり呻吟し始めた。
 かくて、被告人は被害者の苦痛による呻き声から容易にその所在を発見され延いて犯行
の発覚亦容易なるべきを恐れた結果同女の殺害を決意するに至り両手で同女の頚部を強扼
して窒息させ殺害の目的を遂げたのである。

 そして、第一審の矢部孝裁判長は、その判決文の中で『罪となるべき事実』として「被
告人は、ぼんやりしている佐野久子をその場に降すや、情欲を抑えることができず、やに
わに同女をその場に押し倒し、泣き叫ぶ同女の下半身を裸体にし、その上に乗りかかって
姦淫し、その結果、同女に外陰部裂創等の傷害を負わせたが、同女がなおも泣き叫んで抵
抗し、意のままにならぬのでひどく腹をたて、同女を殺害し、併せて前記犯行の発覚を免
れようと決意し、付近にあった拳大の変形三角形の石を右手に持って、同女の胸部を数回
強打したうえ、両手で同女の頚部を強く締めつけ、同日午後二時頃同所において窒息死さ
せた」と、認定した。
 しかし、赤堀政夫の自供で発見されたとされる石が果たして凶器として使われた証拠物
であったかどうかを公判の中で直接明らかにした形跡は何一つ存在していない。
 例えば、警察・検察が、ルミノール検査などの鑑定をして、殺された佐野久子と同じ血
液型の体液がこの石に付着していたという動かしがたい事実によって裏付けて、初めてこ
の「石」は、凶器としての証拠価値をもつことになる。しかし、警察・検察は、第一審以
降今日まで、証拠として、この「石」に関するルミノール検査などの鑑定結果を法廷に出
していなかった。しかも、その理由は現在でも明らかにされていない。
 ちなみに、第四次再審差し戻し審において、高橋正之裁判長は、事件以来初めて、「本
件石に人の血液及びリンパ液などの体液付着の有無及び付着状況。若し血液等が付着して
いるとすればその血液型」を鑑定事項として、鑑定人西丸與一に鑑定を依頼した。その結
果(59・8・6付鑑定書と59・11・13付鑑定書補遺)明らかになったことは、以下の通り
であった。

 西丸鑑定は、本件石に対する血痕付着の有無を中心になされており、リンパ液等の体液
については独自の検査はなされておらず、西丸証言においても、西丸鑑定によって、リン
パ液等の体液付着の有無についてまで結論が出せるとは断定していない。
 いずれにしても、西丸鑑定によれば、本件石には血痕の付着はなかったわけであるが、
これが、もともと付着していなかったのか、一たん付着したものが何らかの原因によって
現時点では検出できなくなったのかは不明であって、本件石が領置後三○年を経過し、証
拠品として保管されている間にも多数人が手で触れ、或いは原審において太田伸一郎が鑑
定の際、本件石にアルギン酸印象剤を塗って石膏の型をとる措置を施していること等の点
を考慮すると後者の可能性も考えられ、西丸証言もその可能性を否定していないことから
すると、現時点において本件石に血痕の付着がなかったとしても、そのことによって、本
件石が左胸部の成傷用器であることに合理的疑いが生じたとまでいうことはできない。

 この唯一の「物的証拠」とされた「石」の証拠価値についての判断を、第一審の矢部孝
裁判長が何も示していなかったことに関連して、静岡地裁の高橋正之裁判長は、一九八六
年五月三十日の『再審開始決定文』において、次の通り述べている。

 そもそも本件のような事案においては、証人相田兵市が原第一審第四回公判において供
述するように、捜査官が請求人を逮捕し、その自供を得て初めて被害者の左胸部の傷が本
件石によるものであることが判明したというのであるから、これが捜査の結果客観的事実
であると確認されれば、いわゆる「秘密の暴露」になり、請求人の自白の信用性を格段に
高めることになるのであるから、捜査官としては、まず、請求人を犯行現場に連れて行き
請求人に指示させて本件石を押収するのが相当であり、かつ正確を期するゆえんであるの
に、証人相田兵市の原第一審第四回公判における供述、原第二審の同証人に対する尋問調
書の記載によれば、請求人には犯行現場を見せないほうがよいと思い、捜査段階では一度
も現場に連れていかなかった、というのである。そうとすれば、なおさら、請求人の自供
が客観的事実であるか否かを確認しこれを担保するためには、本件石に、はたして血液等
の体液が付着しているか否かの検査、鑑定をすべきであり、これが捜査の常道であると思
われるのに、鈴木証言(二)及び当審における弁護人の照会に対する検察官の回答による
と、本件石については、静岡県警察本部(科学捜査研究所を含む。)、島田警察署、静岡
地方検察庁を対象として残存記録等を鋭意調査し、加えて、鑑定が実施されたとすればそ
の任に当たったことが予想される鈴木完夫(当時国家地方警察静岡県本部鑑識課員)から
も事情聴取した結果、血液、リンパ液その他の体液が付着しているか否かについての鑑定
を行った事実は窺われず、又、その理由は不明である、というのであるから、極めて不可
解といわなければならない。更に、原第一審で取り調べられた司法警察員秋山三郎作成の
昭和二九年六月一日付領置調書、司法警察員山下馨作成の同月三日付領置調書及び鈴木完
夫作成の昭和二九年六月二九日付鑑定書等によると、本件石が発見押収されたのと同じ日
である昭和二九年六月一日に、請求人から、請求人着用の中古鼠色セルジヤンパー一枚の
任意提出を受け同日これを領置していること、同月三日には曽根一郎から、請求人が犯行
当時着用していたとされるチヤック付ジヤンパー一枚、浅黄色古ズボン一着外三点の任意
提出を受け同日これを領置していること、そして、右の中古鼠色セルジヤンパー、チヤッ
ク付ジヤンパー、浅黄色古ズボンの三点については、同月七日付をもって、「血痕付着の
有無、付着するとしたら人血か否か、人血であればその血液型、精液付着の有無、付着す
るとしたらその血液型及び病原菌の有無」をそれぞれ鑑定事項とし、当時の国家地方警察
技官医師鈴木完夫に対して鑑定嘱託をなし、同人は同月二九日付で鑑定書を作成している
こと、右鑑定書によると、前記資料の三点について、ルミノール反応検査やベンチヂン法
、或いは抗A、抗B血清を用いて沈降反応を実施する等精細な鑑定を行っていること、を
それぞれ認めることができ、右鑑定の事実によると、請求人が犯行当時着用していたと思
料されるジヤンパーやズボンでさえ、請求人の自供を裏付けるために、右認定のような鑑
定を実施しているのにかかわらず、もしそれが客観的事実であることが確認されれば、請
求人の自白の信用性を格段に高めるいわゆる「秘密の暴露」になるべき請求人の供述を客
観的に裏付けることになる本件石についての鑑定が、首肯するに足りる特段の事情も認め
られないのに、何ゆえ実施された形跡が窺われないのか、ますます不可解の念を強くする
ものといわなければならない。
 いずれにしても、前記検察官の回答によれば、捜査の結果客観的事実と確認されればい
わゆる「秘密の暴露」になるという請求人の自供の重要な点について、当然あるべきはず
の客観的証拠による裏付けを欠いているものというべきである。

 また、鈴木完夫の鑑定によると、「左胸部の損傷には出血等の生活反応が全く認められ
ない事により、死後のものと考えられる」となっていた点が、赤堀政夫の供述調書にある
「余り暴れるので思う様に出来ず私はやっきりしておまんこをやめて足の所にあった、握
り拳一つ半位の岩石の先のとがったのを拾い腹立まぎれに女の子の左胸辺を二、三回力一
杯尖った方で殴って仕舞いました」という、佐野久子がまだ生きているうちに、その胸を
二、三回力一杯「石」で殴ったことと、食い違っていることに気が付いた第一審の矢部孝
裁判長は、それにもかかわらず、この「石」を凶器としての証拠価値があるものとして認
定したのである。
 その根拠になったものが、古畑種基の鑑定であった。その内容は、

 胸部の損傷は鈍体の作用によるもので、恐らく生前の受傷であると思う。
 一般に創傷の生前、死後の判定を下すに当って生活反応の有無によることは常識である
が、本件の被害者のような幼少のものは、まだ血管の発達が充分でなく、毛細管に於ける
血圧が成人のように大きくないために、生前に受けた損傷であるに拘らず皮下出血が殆ん
どみられないことがある。本件に於ては皮下出血が欠けていたので死後のものと判定した
ことは、一般成人の場合には適当するであるが、幼児に於ては皮下出血を伴わない生前の
損傷のあることを忘れてはならぬ。

というものであった。
 これに対して、弁護側は、第四次再審請求審において、太田伸一郎鑑定書・、・(46・
5・12と47・4・6)ならびに上田政雄鑑定書(49・11・1)を新証拠として、法廷に提
出して事実関係を争って来た。
 そこで、第四次再審請求差し戻し審の静岡地裁・高橋正之裁判長は、次のように判断し
ている。

 鈴木検調(一)及び牧角鑑定書は、本件石が表皮等を介して第四肋間に押し込まれ、そ
の打撲的衝撃と第四肋間の離開による肋間筋の過伸展によってこれが断裂したとするので
あるが、太田鑑定書(二)及び太田証言が、胸廓の一部模型を作りその第四肋間に石膏模
型石の先端部分を当てる実験を行ったうえで指摘するように、肋間の表層(浅層)は本件
石によって挫滅され得る可能性があるが、肋間筋等の下層(深層)まではその影響を受け
ないし、もし肋間筋が断裂する等下層に損傷を生ずるほど深く、本件石が最大幅約一・二
センチメートルしかない第四肋間に押し込まれた場合(もちろん表皮等の組織を介してで
ある)は、前述のとおり、一般的にはいくら幼児肋骨に柔軟性があるといっても、第四、
第五肋骨は挫傷を受けることになるし、仮に柔軟性のため肋骨骨折を生じないで曲ったり
することがあるとしても、本件石の形状からして、第四肋骨下縁及び第五肋骨上縁の部分
の骨膜に部分的な損傷を与えることは避けられないというべきであるから、本件のように
肋骨や骨膜に損傷を伴わないで肋間筋に穿孔が生ずる等下層に損傷を生じさせることは、
本件石ではあり得ない疑いが非常に濃いということができる。又、太田証言も指摘すると
おり、請求人の自白にあるように、約四二○グラムもある本件石で六歳の女児の裸の胸部
を殴打した場合、その作用は、たとえ肋間の下層には達しないとしても、肋間の表層には
当然及ぶとみられるから、少なくとも肋骨をとりまく骨膜に何らかの損傷を与えることは
否定できないと思われるのに、骨膜の表面にも異常が認められなかったというのであるか
ら、外力の程度は極めて弱かったというべきであり、本件石で二、三回或いは数回も力一
杯殴りつけたとする請求人の自白は、この点においても、信用性、真実性に疑念が抱かれ
る。

 この判断にあたっての細かな論証過程については省くとして、その結論は、「犯行順序
に関する新証拠と旧証拠、原審及び当審において取り調べられたその余の各証拠を総合し
て検討すると、被害者の陰部に損傷が生じた時期と左胸部に損傷が生じた時期は、被害者
の頚部が絞殺された後であるとする合理的な疑いがあるものというべきである。なお、陰
部に傷害を与えた行為と左胸部に傷害を与えた行為の先後関係は、犯行順序に関する新証
拠によっても明確ではなく、これらの行為が扼頚後のどの段階でなされたかを確定し得る
資料は十分でない」というものであった。
 さらに、高橋裁判長は「八 請求人の自白の任意性、信用性について」の中で、

1 確定判決が、請求人の自白調書に任意性(確定判決は前記のとおり「任意性」の観点
 から説示しているが、右説示に照らすと、この点はむしろ供述内容の信用性の問題とし
 て検討すべき事項であると思われる)を認めた有力な論拠のうち、(一)請求人が被害
 者の死亡前にその胸部を石で殴ったとする犯行順序についての供述が古畑鑑定と一致す
 るとの点については、胸部損傷の時期が生前に生じたものとは断定し難く、頚部絞殺以
 後のものであるとする合理的疑いが生じたし、(二)被害者の左胸部の傷が請求人の供
 述によって初めて本件石で殴打したことによるものであることが判明したとの点につい
 ては、そもそも本件石では肋骨や骨膜に損傷を伴わないで肋間筋に穿孔が生ずる等下層
 に損傷を与えることはあり得ない疑いが濃く、本件石が胸部損傷の成傷用器として適合
 しない疑いがあるうえ、請求人の右供述を裏付けることになる本件石についての鑑定が
 なされた形跡が窺われず当然あるべきはずの客観的証拠による裏付けを欠いており、い
 わゆる「秘密の暴露」にあたらない等の問題点が存することが明らかになり、その他、
 先にも指摘したとおり、陰部損傷の時期が自白と異なり頚部絞殺よりも後ではないかと
 の疑いがあること、陰部損傷の状況は、請求人の自白のように陰茎を半分くらい挿入し
 ただけにしてはあまりにもその程度がひどく右自白の内容と符合しないこと、又、性行
 に伴う陰茎の疼痛や損傷については、本件が幼児強姦という特殊なじあんであることに
 鑑みれば、当然右の点に言及されかつ請求人においてもこれを容易に説明できる事柄で
 あるのに、自白調書において説明が欠落していること、胸部損傷については、本件のよ
 うな重量のある石で六歳の女児の裸を殴打すれば少なくとも肋骨をとりまく骨膜に何ら
 かの損傷を与えることは否定できないと思われるのに、骨膜の表面にも異常が認められ
 ないということは外力の程度が極めて弱かったと考えられるから、本件石で二、三回或
 いは数回も力一杯殴りつけたとする請求人の自白内容は、胸部損傷の客観的状況に符合
 しないこと、等数々の疑点が存することに照らすと、請求人の自白調書は再検討をする
 必要があるものといわなければならない。

と結んでいる。
 だが、赤堀政夫の「自白」は、これまでの検討の結果、各目撃者が証言した客観的事実
の核心部分と多くの点で食い違っていたことが明らかになっている。それによると、この
事件の各目撃者が目撃した犯人と久子は、赤堀政夫の「自白」通りの行動をしていなかっ
たのである。赤堀政夫の「自白」は、佐野久子を快林寺から連れ出して犯行現場に至るま
での間、各目撃者の証言した犯人の行動に関する重要部分(特に公判において各目撃者に
よって明らかにされた事実)を供述していないものであったり、あるいはまた、各目撃者
の目撃事実と明確に食い違ったものであったりした。したがって、この事件の各目撃者た
ちは、各自が見た犯人が赤堀政夫ではなかったことを、実は、ことごとく証言していたこ
とにもなる。
 しかも、赤堀政夫は、自供によると、この日、公会堂の前まで歩いて行っている。この
時、道の反対側の前方斜め右手に、本来なら、八百屋の存在に気がつくことになる。それ
は、とりもなおさず、佐野家の八百屋の店なのである。ところが、赤堀政夫は、検事調書
(第五回29・6・15)において、この八百屋の存在には気付きもせず、佐野家の店の場所
については、二十九年一月末まであった場所(北川ポンプ屋の二軒か三軒目)を供述して
いるのである。また、赤堀政夫は、蓬莱橋の橋銭について「大人が十円小人が五円」と供
述していて、三月当時の橋銭を供述しておらず、自分が知らなかった、四月から値上げさ
れた橋銭を検事に供述(29・6・13)していたのである。
 さらに、この「自白」に基づいて発見されたとされる「石」の証拠価値の判断をした根
拠として、本来なら、当初から指摘されていい問題(凶器として使われた証拠がルミノー
ル反応などによって証明されたか)についてさえ、警察は明らかにしてこなかった。
 それに加えて、凶器の石も犯行順序も客観的事実にそぐわないものであった。ただ、赤
堀政夫の「自白」が、島田事件の客観的事実と一致している点は、確定判決でも述べてい
る通り、犯人が佐野久子を連れ歩いた道路の道筋の部分だけである。
 それにもかかわらず当時の新聞は、「赤堀政夫=真犯人」であると図式化して、様々な
角度の記事を報道していた。その上、ある新聞は、赤堀政夫を「九分九厘まで本物」とま
でいって「真犯人」として報道したこともある。そして、赤堀政夫は、「真犯人」として
「死刑囚」にされたのである。これは、単に、新聞社が独走してやったといえるものでは
なく、「赤堀政夫=真犯人」であるということを、すでに、間違いのない真実であるかの
ような「報道ソース」を流した者が当然いたことになる。
 それは、いうまでもなく、赤堀政夫を逮捕した当事者である警察の捜査官たちである。
この捜査当局が、赤堀政夫が真犯人であるということが、すでに揺るぎない事実であるか
のような情報として流すことで、犯人の目撃者に何の先入観も与えなかったというわけに
はいかない。裁判の結末を待たずに、当時の新聞は、こぞって、犯人は赤堀政夫だったと
いう報道を繰り返していたからである。
 このことが、事件の目撃者に、「犯人は赤堀政夫であったか?」という疑問を持つ余
裕すら奪うものになったことは否めない。すでに「赤堀政夫が真犯人である」というこ
とは、確定的な事実にされていたからである。その上で当時の人々は、報道された「赤堀
政夫の人間像」の記事にさらされていた。それが、当時の人々に対して、「赤堀政夫は犯
人に間違いない」というより強い先入観を与え、さらに確信させることになる。このこと
に関しては、事件の各目撃者においても同じことがいえる。六月六日の面通しを前に、す
でに、彼らは、犯人=赤堀政夫として報道された赤堀政夫の顔写真を含めた記事に幾度と
なく接する機会に恵まれていたからである。
 最後に、これまで島田事件の定説にされていた「佐野久子が三月十日午後二時頃に殺害
された」(第一審判決)とする説の根拠について、改めて問題にし、わたしたちは、島田
事件の真相に、さらに迫っていくことにしよう。
 

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