農薬・ダイオキシンとエストロゲン
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2-2.気がつけば エストロゲンの海の中
 
 ダイオキシンと同じかそれ以上に厄介な現象が起きています。わたしたちがいま、深刻
な環境の中で生活していることを、私は最近になって知りました。
 先頃「精子が減っていく」という報道番組(英国BBC放送が作成)がNHKの衛星放
送で放送されました。この番組で、イギリスを始め、ヨーロッパやアメリカの化学者や医
学の研究者の調査で、人間が、農薬や化学物質として消費し、地球環境に放出した物質の
中に、女性ホルモンと同じ作用を及ぼす物質(エストロゲン類似物質)があり、これが人
間や捕食動物にさまざまな影響を及ぼしていることを放送していました。
 NHKの総合放送でもこの問題を取り上げ、衛星放送で再放送もしたので、見られた方
もいたのではないかと思います。

生命機能を破壊するメカニズム
 
 これは人間の精子です。しかし正常なものではありません。頭部が変形したもの。尻尾
のないもの、逆に尻尾だけのもの、尻尾が二本あるもの、動きすぎる精子もあれば、まっ
たく動かないものもあります。5年前デンマークの科学者たちがこうした異常について研
究を始めました。
 コペンハーゲン大学ニールス・スカケべク教授は、健康な若者の精子に50%以上も正常
でないものがあることに気づきました。そこで調査を始めた教授のチームは、1930年代に
まで逆上った精子の数に注目しました。そして過去50年で精子の数が大幅に減っているこ
とが判ったのです。
 コペンハーゲン大学 N・スカケベク教授 精液の質は昔よりかなり劣っていることを
知って、わたしたちは不安になりました。一回の射精ごとの精子の数はこの50年間で、約
半分になっていたのです。精液自体の量も減っていました。
 1996年2月、精子の数の減少に関する新しい事実が公表されました。これは40代男性の
精子です。これを20代男性のものと較べて見てください。
 もし精子がこのまま減りつづけていけば、そう遠くない将来に多くの男性に生殖能力が
なくなってしまうでしょう。そうなる可能性はかなり高いと思います。
 精子の減少傾向を確かめるために数々の調査が行われました。エジンバラではアービン
博士が、18歳〜45歳の男性 500 人以上を対象に調査を行いました。
調査のインタビュー場面
 このイギリスでの調査でも、スカケペック教授の論文を裏付ける結果が出ました。精子
の数は過去20年間で25%減少していたのです。
 この精液のサンプルは、1950年代生まれの男性のものです。多くの精子があり、動きも
活発で、画面の端から端まで泳いでいくのが見えます。
 エジンバラ王立病院 S・アービン これを1970年代生まれの男性のものと較べて見て
ください。精子の数がかなり減っていますね。動いている精子となるとさらに少なくなり
ます。1950年代生まれの男性の場合1ミリリットルあたりの精子の数は1億でした。これ
が1970年代生まれになると平均7500万に減っているのです。この急激な減少傾向がこのま
ま続いていくと、1990年代生まれの男性が成人した時の精子の数は、1ミリリットルあた
り5000万になってしまうでしょう。一般にこの数が2000万以下になるとその男性は生殖能
力を反復できないと考えられています。もしこのままの割合で精子の減少が進めば、次の
21世紀に生まれる男性は、子供を作れないことになりかねません。
地域による差はあるものの、ヨーロッパのいくつかの研究所が、同様の結果を発表して
います。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ プリュッセル、パリ、エジンバラの調査で、精
子の数が減少しているのです。過去20年の間、毎年2%づつ減少しているという報告もあ
ります。精子の数はもうすでにかなり減ってしまっています。男性の生殖能力に影響を及
ぼす限界の数にまで達しようとしているのです。しかもそれは特定の地域に限ったことで
はなく、かなり広い地域にまたがる現象なのです。
 スカケベク教授の論文は、直ちに論争を引き起こしました。
 エジンバラ王立病院 S・アービン その論文は、すでに公表されたデータの統計的分
析にすぎなかったんですが、批判の的になりました。この時の批判の多くが、産業界から
出ていたのは興味深かったです。
 エジンバラ王立病院 S・アービン わたしはこの現象を見過ごしてはならないと思い
ました。これは人類の将来に係わる重大な変化です。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ データを見れば何かか起こっているのは明らか
でした。精子が作られる過程はまだよく判っていませんが、何かが起こっているのです。
大勢の人に影響をもたらす変化が確かに起こっている。なのにわたしたちにはその原因が
何かまったく判らなかったのです。
シャープ博士は、偶然ある論文を目にしました。それはセルトリ細胞に関する論文でし
た。セルトリ細胞というのは、この画面で茶色に染めてある細胞で、精子を作る他の細胞
を保護する働きがあります。発育の重要な段階で形成された、このセルトリ細胞の数が、
成人になってからの精子の生産量を決定するのです。
 シャープ博士はセルトリ細胞について判っていることを調べるために、医学書専門の図
書館へ足を運びました。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ そこでセルトリ細胞が、発育段階において支配
的な役割を果たすことが判ったのです。 セルトリ細胞には、精巣すなわち睾丸を硬化さ
せ、生殖器に男性の特徴を持たせ、尿道を発達させる働きがあります。精巣の発育段階で
は、その細胞分裂をつかさどります。この段階での異常が精巣腫瘍を発生させると考えら
れています。

明らかになった被害の事例と症例
 
1993年、シャープ博士とスカケべク教授は、生殖に関する別の深刻な事態に気づきまし
た。過去30年の間にイギリスとアメリカで精巣腫瘍 (睾丸のガン) の発生率が3倍になっ
ていたのです。
 コペンハーゲン大学 N・スカケベク教授 精巣腫瘍の急激な増加は深刻な問題です。
とくにデンマークでは50年前の3〜4倍に増えており、世界で最高の発病率になっており
ます。おそろしいのはその原因が判らないことです。
 男の赤ちゃんの間で、停留精巣という障害も増えています。精巣つまり睾丸がお腹の中
に止まってしまい、正常な位置に下りてこないのです。
 「さあ診てみようね。右の精巣は正常な位置にあります。ところが左のはお腹の中にあ
る。手術が必要ですね」
 シャープ博士とスカケべク教授は、もう一つの痛ましい障害の増加に気づきました。男
の赤ちゃんに見られる尿道下裂という生殖器の異常です。極端な場合は、男女両方の性の
特徴を併せもった半陰陽の状態になってしまうのです。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ 停留精巣、精巣腫瘍、尿道下裂、これらの間に
は何か関連があるのです。そしてこうした病気の増加は、精子の減少の増加と何か関連が
あるのかと考えました。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ そこですべての断片的な事柄がつながったたの
です。精巣腫瘍・停留精巣・尿道下裂・そして精子の数の減少。こういったことすべてが
セルトリ細胞に着目することによって、みごとに関連づけられたのです。そこで一連の生
殖器の異常や精子の減少を引き起こしている原因を探るためにはセルトリ細胞に悪影響を
与えているものを探ればいいのではないかと考えたのです。
 一方、野性動物の世界でも人類と同じような生殖器官の異常がおこっています。アメリ
カフロリダ州・アポプカ湖で科学者のチームがワニの減少を調査していた時のことです。
科学者たちは、ワニに重大な変化が起きていることを発見しました。彼らはまず沼地のワ
ニの巣を調べて回りました。どの巣にも異常な卵が見つかりました。その多くはすでに死
んでいました。割れているものもある。
 フロリダ大学 L・ギレット これは別の湖から持ってきた健康な卵です。一見して赤
みを帯びているのが判るでしょう。血液が循環しているからです。アポプカ湖の卵を見て
みましょう。アポプカ湖の卵の75%がこんな状態で、死んでしまったか無精卵だったので
す。
 フロリダ大学 L・ギレット わたしたちが目の当たりにしたことはあまりにも衝撃的
でした。多くのワニが性転換していました。雄のワニの少なくとも25%は生殖器が異常で
した。陰茎が極端に小さく、本来の半分かあるいは三分の一くらいになっていたんです。
しかも変形していました。
 この湖の亀も、多くの雄がめすの生殖器を持ち、高い濃度の女性ホルモンを分泌してい
たのです。
 フロリダ大学 L・ギレット 私たちの調査によれば、アポプカ湖に住む動物全体の20
%が雄と雌、両性の状態にありました。こうした変化は各地に広がっています。
世界自然保護基金 T・コルボン博士 五大湖でも主だった捕食動物のうち少なくとも16
種が生殖機能に異常を来しています。アメリカでは、年老いた固体しかいないチョウザメ
の群も見つかりました。つまりその群は子孫を残していないのです。これは五大湖の魚で
すが、雄の魚は性的に成熟していません。半陰陽の状態なのです。注意して見ると雄と雌
両方の性線をもっている魚もいます。特に工場の排水が流れ込むところでこうした異常が
多く見られます。親が汚れた水の中で暮らしていると子孫にその影響が現れるんです。
イギリスの川でも野性動物に変化が現れていました。数年前から下水処理場の下流で雄と
雌の生殖器をもった魚がたくさん見つかっているのです。水の中にやはりエストロゲン類
似物質があるのでしょうか。科学者たちが農業省と共同で調査に乗り出しました。雄の魚
を下水処理場の排水口に3週間放置したのち、血液のサンプルを取るのです。
 科学者たちはその結果を見て愕然としました。雄の魚が大量の卵黄たんぱく質(ビテロ
ゲニン)を生成していたのです。普通このたんぱく質を生成するのは雌だけです。雄には
性の転換がおきていたのです。彼らはイギリスの28箇所の下水処理場で調査を行いましし
た。
 ブルーネル大学 J・サンプター すべての調査地点で同じような結果がでました。こ
れは、特定の地域の特殊な現象ではなく、どの地方にもはっきりと現れている現象なので
す。こんな驚くべき現象が起きるのは、下水処理場から流れ出る排水の中に、魚にとって
女性ホルモンの働きをする物質が含まれているからです。それしか考えられません。
以前(97.2 頃) 摩周湖のザリガニ(アメリカ から輸入) を捕獲して、雄雌の生存比率を調査(
どうぶつ奇想天外(TBS) という番組の中で)したところ、2回ほどの捕獲で1回ごとに雌
68〜70匹に対して雄2匹くらいという生存比率が確認された。これについて、番組ではそ
の原因を追求していなかったが、イギリスやアメリカでの雄の魚やわにが雌化しているの
と同じ現象が、日本のしかも秘境に近いと言ってもいい、人里離れた北海道の山の中の湖
でも起きているのではないでしょうか。
 
女性ホルモンの作用を持つ化学物質
 
 しかし一体何がセルトリ細胞に影響を与えているのでしょうか。セルトリ細胞は、一般
に発育段階に女性ホルモン「エストロゲン」に過剰にさらされると、異常が起きやすいと
考えられています。セルトリ細胞の発育が抑制されたり、さらにはセルトリ細胞の数が少
ないままで固定されてしまうこともあるのです。
 コルボン博士は動物のホルモンの関係が混乱していると考えています。
 これらのエストロゲン類似物質が人類にも影響を及ぼしているのでしょうか。
 このような異常が現れるのは、ホルモンの体系が影響を受けているのではないかと突然
閃きました。これは大変なことになると、わたしは自分の発見に衝撃を受けました。
 母親の体内にあるエストロゲンは、胎児の発育を阻害することはありません。いま疑わ
れているのは、他の化学物質がエストロゲンのような働きをしているのではないかという
ことです。シャープ博士は悲劇的な調査結果を見つけました。
 1950年代〜1980年代にかけて、600 万人もの妊婦にDESという合成のエストロゲンが
流産防止のため投与されていたのです。その薬を投与された母親から生まれた男の子につ
いて調べると、やはり、生殖器官の異常が普通より多く見られました。
 一方、ノースカロライナの研究所では、合成のエストロゲンDESと男性の生殖障害の
関連を調べる実験が進んでいました。マクロクラン教授は、妊娠中のねずみにDES(合
成エストロゲン)投与してみました。すると、胎児の発育に重要な時期にDESを2日間
投与しただけで、深刻な影響があらわれることが判ったのです。
 チューレイン・ザビエル・センター J・マクロクラン この実験で最もショックを受
けたのは、生まれた雄のねずみを観察した時でした。そしてこのねずみたちはは、雄と雌
の生殖器官をつなぎ合わせに持っていて、半陰陽の状態になっていました。ねずみでも、
人間でも、受精した段階では両方の性になる可能性を併せもっていて、そこからどちらか
の一方の性が発達していくのです。ところが、ごく初期の段階で、DESに曝されると、
正常な雄への発達ができなくなってしまうのです。
 シャープ博士はマクロクラン博士の論文を読んで、一連の生殖器官の異常はやはりエス
トロゲンが原因だと確信しました。しかしDESの投与と関係のない一般の男性の場合に
は、どのようにして体内に取り込まれたのでしょうか。現代生活のどのような側面がエス
トロゲンの影響を増大させているのでしょうか。人間のセルトリ細胞は思春期まで発達を
続けるため、胎児の段階から思春期までのあらゆる可能性を考慮しなくてはなりません。
化学者たちはまず食生活の変化に注目しました。過去50年間に食生活は大きく変化しまし
た。脂肪やたんぱく質の摂取量は増加し、食物繊維の摂取量は減少しました。そのため、
体内から排出されるべきエストロゲンが再吸収されるようになってしまったのです。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ 食生活が根本的な原因かもしれないと思いつい
た時には、これで謎が解けるかと思いましたが、これを立証するのは非常に難しいという
ことに気がつきました。どうすれば立証できるでしょう。本人あるいは母親の食生活と男
性の精子の関連を見いだすことなど事実上不可能です。ですから食生活の変化は重要なポ
イントだと思われますが、これでは数値化することができないのです。
 エストロゲンの過剰をもたらしているのは何か。食生活の変化は立証できないとはいえ
一つの答えかも知れません。
そして、フロリダ州のアポプカ湖ではまさにその現象が現れているのです。この湖は10
年前にDDTから作られた殺虫剤によって汚染されました。しかし現在は公式には化学薬
品による汚染はないとされています。エストロゲン類似物質は、湖の水質検査をしてもそ
れほど検出されません。摂取した動物の脂肪に蓄積するという特徴があります。ですから
それらは水の中にではなく、動物の体内に蓄積されているのです。
 エストロゲンと同じ働きをする一連の殺虫剤が川の水から検出されましたが、それほど
大量ではありませんでした。しかし間もなくまた別のエストロゲン類似物質が見つかりま
した。
 では、ホルモンの体系に影響をおよぼしている物質は何か。コルボン博士が最初に考え
たのは、1950年代に広くに散布された殺虫剤DDTでした。まもなく有害性が指摘され多
くの国で使用禁止になりましたが、それは土や水の中に残りました。最近になって、DD
Tを始めとするいくつかの殺虫剤が女性ホルモン・エストロゲンと似たような働きをする
ことがわかりました。殺虫剤による悪影響の広がりを懸念したコルボン博士は専門家によ
る会議を呼びかけました。
 するとこの会議で、エストロゲンと同じ働きをする化学薬品が非常に沢山あることが明
らかになったのです。異なった分子構造を持つ多く物質が結果的にはエストロゲンと同じ
働きを持つことが判明したのです。
 DDT(殺虫剤)DDE(DDTが分解してできる)ケルセン(殺虫剤)ヘプタクロル
(殺虫剤)クロルデコン(殺虫剤)メトキシクロル(殺虫剤)トキサフェン(殺虫剤)エ
ンドスルファン(殺虫剤)ディルドリン(殺虫剤)フェニルフェノール(果実・野菜の防
腐剤)BHC(酸化防止剤)DES(合成エストロゲン)PCBのような悪名高い環境汚
染物質もあります。わたしたちはエストロゲンの海の中で生きているのです。
 ホルモンは人間の体に非常に多くの影響を及ぼします。環境の中にあふれているエスト
ロゲンは私たちの発育や生殖に非常に大きな影響を及ぼすでしょう。しかもその影響につ
いてはまだ予測が不可能なのです。これは人類だけでなくあらゆる生き物の将来にとって
非常に深刻な事態です。
 アメリカのタフツ大学で乳がんの研究をしていた科学者が殺虫剤とは全く別のエストロ
ゲン類似物質を偶然発見したのです。
 タフツ大学 A・ソト教授 私は乳がんの研究のために乳がん細胞を培養していました
。それが突然増殖しはじめたのです。この増殖を促したのは、エストロゲンとしか考えら
れませんでした。わたしたちはエストロゲンによる汚染が起きたと仮定して徹底的な調査
に乗り出したのです。
 エストロゲンは乳がん細胞の増殖に決定的な役割を果たします。そのような重大なホル
モンが実験室にあるどのようなものから出できたのでしょうか。
 タフツ大学 A・ソト教授 4か月後血清を入れていたプラスチックの試験管を入れて
いた容器からエストロゲンの働きをする物質がしみだしていることを発見しました。製造
会社に連絡をすると何ケースか試験管を提供してくれました。その原材料を確認しようと
したんですが、彼らは企業秘密だといって教えてくれませんでした。
 ソト教授は分析を続けました。そしてついにプラスチックからしみだしている物質を突
き止めたのです。それはノニルフェノールという化学物質でした。
 タフツ大学 A・ソト教授 ノニルフェノールは、プラスチック産業で酸化防止剤とし
て広く使用されている化学物質です。洗剤や避妊用の殺精子剤にも使われています。これ
までこの物質はエストロゲンの働きをするとは考えられてきませんでした。安全な原材料
として非常に幅広く使われてきたんです。
 ノニルフェノールは、魚の異常が見つかったイギリスの川でも検出されました。その濃
度は1・あたりわずか50マイクロ・でした。
 ブルーネル大学J・サンプター 私たちはこれと同じ濃度のノニルフェノールを加えた
水の中に、正常な魚を入れてみました。すると川に魚を放置した時と同じ現象が起こりま
した。雄の魚が大量の卵黄たんぱく質を生成したのです。
 人間の男性もこの魚の雄と同じようにノニルフェノールの影響を受けているのではない
でしょうか。
 ブルーネル大学J・サンプター 私は飲料水を通してこの現象が人間にも広がっている
のではないかと思いました。人間の男性の生殖能力が落ちているようだということは、私
も気がついていましたが、私はこの問題に詳しいシャープ博士に電話をしました。彼と話
しはじめてすぐに私たちは同じ問題を別の側面から扱っていて、お互いの知識を交換すれ
ば非常に役に立つことが判りました。
 そして全くの偶然からカリフォルニアの研究室で別のエストロゲン類似物質が見つかり
ました。この物質もプラスチックからしみだしていたのです。それはビスフェノールAと
いう物質でした。
 さらにサンプター教授のチームは、プラスチックに含まれエストロゲンの働きをする第
三の大きなグループを発見しました。フタル酸エステルと呼ばれる一連の化合物です。
 フタル酸エステルというのは、フタル酸とさまざまなアルコールとの結合によってでき
る化合物で、あらゆる種類のプラスチックに広く使われています。この影響を避けるのは
非常に困難です。
 これらの化学物質は哺乳類の精子の数に影響を与えるのでしょうか。これらの化学物質
をごく僅かな量、妊娠中のねずみの飲み水に加えてみました。その結果プラスチックに含
まれる三つのグループのエストロゲン類似物質すべてが、生まれた雄のねずみに重大な影
響を及ぼすことが判りました。精巣の大きさは15%縮小し、精子の数は20%減少したので
す。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ この結果にはかなり驚きました。なぜなら私た
ちはこれらの化学物質をごく僅かな量加えただけだったからです。1・あたり1mgねずみ
の母親の飲み水に加えただけでしたから、まったく影響が出ないことを期待していたので
す。ところがそんな僅かな量与えただけでも、子供に影響が現れたのです。何度も実験を
繰り返しましたが、結果は同じでした。この実験結果から、人間の場合も、同じ化学物質
を同じ程度の割合で摂取すれば生殖機能に同様の影響が現れることが予測されます。
 人間がこれらの化学物質を摂取しているとすればそれはどのようにしてでしょうか。
 ソト教授はスペインを訪れた際に、非常に身近な食品に問題の化学物質が含まれている
可能性があるのを知って驚きました。多くの缶詰の内側には、プラスチックのコーテング
が施されています。そこにビスフェノールAが含まれていたのです。それが缶詰の中身に
溶けだしているということはないでしょうか。
 タフツ大学 A・ソト教授 これは憂慮すべき事態です。わたしたちは人工のエストロ
ゲンを含んだ食品を食べているのです。
 ビスフェノールAがプラスチック類から溶けだすという情報は、グラナダの歯科学校に
伝わりました。子供の歯を虫歯から守るために使われるシーラントや虫歯の詰め物に使わ
れる白い樹脂にもビスフェノールAが含まれています。それが口の中に溶けだしていると
いうことはないでしょうか。シーラントを施す前と後の患者の唾液を分析し、ビスフェノ
ールAが含まれているかどうかを調べてみました。
 タフツ大学 C・ソネンシャイン その結果かなりの量のビスフェノールAがシーラン
トを施した後の唾液から検出されました。これは非常に心配なことです。エストロゲン類
似物質が多量に唾液に含まれているということは、いずれそれが、血液に吸収されるとい
うことを意味するのですから。
 私たちが口にしているエストロゲン類似物質はビスフェノールAだけではありません。
 ですから農業省は検査した包装材の名前や食品名、そしてそれに含まれていたフタル酸
エステルの量をすべて公表すべきだと思います。
 イギリスの農業省は、取材班に対していますぐ問題が起きるとは考えられず、食品名の
公表は必要ないと語っています。では私たちはどのような自衛策をとればいいのでしょう
か。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ もっとも気掛かりなのは、これらの化学物質の
作用は累積するという証拠が出ている点です。ですからこれらの化学物質の影響を個々に
考えるのではなく、すべての化学物質によってもたらされる総合的な影響を考慮しなくて
はならないのです。しかし実際にはそんなことはできません。化学物質の複雑な混合物が
人体に与えるリスクを数値化することは不可能です。
 ソト教授のチームはその不可能に挑戦しています。乳がん細胞の成長の度合いを測定す
ることによって化学物質中のエストロゲンの強さを数値化するのです。こうすれば、個々
の化学物質と混合物とで数値を比較することもできます。
 タフツ大学 A・ソト教授 わたしたちは、一連の化学物質をごく僅かな量ずつ使って
実験しました。それはエストロゲンの反応が現れないほどに僅かな量です。ところがそれ
らの化学物質10種類を混ぜ合わせると、完全なエストロゲンの反応が現れました。乳がん
細胞が増殖したのです。場合によってはその作用は単に個々の化学物質の作用を累積した
だけではなく、各物質の作用の合計より大きいこともありました。
 さらに心配なのは、実験室の乳がん細胞に起こったことが、女性の体の中でも起こるか
もしれないということです。ニューヨークの科学者たちは、過去50年間に、乳がんが劇的
に増加したのは、これらの化学物質と何らかの関係があると考えています。
 マウント・サイナイ医科大学 M・ウルフ エストロゲンが乳がんと関係あることは明
らかですから、環境の中に存在する大量のエストロゲン類似物質が、生殖器のガンに影響
を与えないはずがないと思います。
 これを検証するため、乳がん患者の血液と健康な女性の血液を分析し、エストロゲン類
似物質の一つであるDDTの濃度を比較しました。
 マウント・サイナイ医科大学 M・ウルフ 私たちはまずその女性が乳がんかどうかと
いう知識を持たずに、DDT濃度を調べました。そしてそれを統計的に分析したところ乳
がんと深い因果関係があることが判ったのです。血液中のDDT濃度が上位10%に入るグ
ループは、乳がんにかかる確率が4倍になるという結果がでたのです。
 この結果を見ればDDTのようなエストロゲン類似物質は、乳がんの発病に大きく関与
していると言えるのではないでしょうか。
 マウント・サイナイ医科大学 M・ウルフ 乳がんの発病に関してDDTが新しい危険
因子であることは十分考えられます。DDTのレベルは、女性が本来生成するエストロゲ
ンに比べて非常に低く、影響を与えるほどではないという意見もあります。しかし、DD
Tが分解されてできるDDEの血中濃度は、本来体内を循環しているエストロゲンの10倍
から100 倍もあります。これらの化学物質は本来のエストロゲンよりもずっと長く体内に
止まり、繰り返し作用する可能性もあるのです。
 
エストロゲン類似物質に関する対策
 
 米厚生省元顧問 D・ディビス この問題は現在のワシントンではかなり真剣に受け止
められています。アメリカの環境保護庁は、ホルモンに悪影響を与える化学物質の徹底調
査を最優先課題に据えています。さらに厚生省の長官も乳がんに関する大規模な実行計画
を発表しました。その計画では、環境と乳がんとの関係だけでなく、ホルモンの異常に起
因する他の疾患との関係も調査することになっています。
 アメリカの議会は、エストロゲン類似物質の可能性があるものにはすべて審査が必要で
あるという法案を可決しました。審査の費用は化学物質の製造業者が負担し、それに応じ
なければその業者の製品は市場から回収されることになっています。
 イギリスでは、そのような法案はまだ可決されていませんが、化学工業の業界は、この
問題にはさらなる調査が必要だと認めています。しかし、イギリスの保健省は、静観して
います。いますぐ問題がおきる心配はない。EUの委員会が2年後に調査結果を発表する
まで、対策は講じられないというのです。
 エジンバラ王立病院 S・アービン もし精子の減少傾向が続くとしたら、80年代・90
年代に生まれた男子が成人する頃、精子の数がどうなってしまうのか誰にも判りません。
しかし、このまま様子を見ていて20年先30年先に精子の数が減っていることを確認すると
いうようなことだけは避けなくてはなりません。わたしたちはいますぐこの問題に着手し
なくてはならないのです。
 タフツ大学 ソト教授 しばらく様子を見るというのでは危険すぎます。20年後に孫が
わたしの所へやってきて、動物たちに異常が起きていることを知っていたのに、どうして
手を打たなかったのか詰め寄る光景が目に浮かびます。その時、この現象が人間にも起き
るのを確認しようとまっていたのですと言えますか。答えはノーでしょう。わたしたちは
いますぐ手を打たなくてはならないのです。
 しかし、この問題の規模は想像を超えるものです。世界経済のかなりの部分が、化学工
業やそこから派生した製品によって支えられています。
 エジンバラ医学研究所 R・シャープ この問題は、疑わしい化学物質をすべて禁止す
ればいいというような単純なものではありません。問題の化学物質は、現代の日常生活に
欠かすことのできない多種多様な製品に使用されているのです。これらの物質をすべて排
除するということは、生活様式を根底から変えなくてはならないということなのです。
 米厚生省元顧問 D・ディビス わたしたちは、不本意ながら、便利さの代償を払わさ
れるハメに陥ってしまったのです。つまり乳がんや精巣腫瘍が増え、生殖能力が衰えてき
たのは、豊かな現代生活の代償だということです。早い車とかプラスチックとかいった便
利なものを享受する変わりに、病気を引き受けなければならないのです。わたしはそんな
取引には応じません。乳がんを患っている女性もそうでしょう。これから父親になりたい
男性も、便利さと引換えにそのチャンスを諦めるつもりはないでしょう。これは地球上す
べての生物の危機です。生物の存続を脅かす証拠を見過ごすのはあまりにも危険です。
  

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