■注意事項■
注1・『尊卑分脉』にしても、伝えられている系図にしても、原本からの写本を繰り返して伝
えられたものなので、現在では何が本当の事実か、どれが正しいか間違っているかの判
断するのは、参考にした資料からは不可能なので、ともかく併記してあります。
注2・和暦の年号は基本的に省き、西暦年の表記にしました。また、年月日「1290(1291).4(5
).23(22)」や年齢「45(35)歳」のように (かっこ) 内の数字は、こちらの資料では(129
0)だけど別の資料では(1291)になっているという意味です。
注3・誕生年月日の表記は、○○(年)誕生としたところ以外は、一部○○(年)生まれ、と
した以外は、省略して、○○(年)生。としてあります。
注4・『尊卑分脉』名前で、源頼朝とある場合に、本の名は亅政、或いは為亅 (本来は縦書き
) という記載があり、この場合、『尊卑分脉』を通して見た時の私の目には、本の名は
頼政、或いは為朝と書くところを、本の名は亅政、或いは為亅と書いているのではない
かと判断するに至ったので、本の名は頼政、或いは為朝としてあります。間違えている
かもしれませんが悪しからず。
注5・伝えられている記録の中、人物の履歴に関して、表現の違いや記録された年代の違いか
ら、また原資料を誤記した場合に食い違いが生じる場合もあるでしょうから、他の資料
に散見された役職で、結果として『尊卑分脉』にない役職であっても個人の履歴として
基本的に併記して載せています。例えば、その記事の根拠になった資料によっては、「
甲斐守」或いは「甲斐権守」というようになっていたりします。記録が詳しく残されて
いる人の事例から見ると、同じ役職でも「甲斐権守」だったけれど、のちに「権」がと
れて、「甲斐守」になったり、また、別の時期に再任されて、その時は、「権守」だっ
たりということもあるので、併記したり、「甲斐守(権守)」などとしてあります。
注6・『尊卑分脉』の個人の記事(事跡)は漢文で書かれていて、ここでは、おおよそこうだ
ろうという現代文にしてあります。私にとって理解不能な部分を誤って訳しているかも
しれません。また意味を把握しきれない記事は省いたり、原文のまま記載しました。中
には誤記した部分もあるかと思います。その点はご容赦ください。
注7・家族のつながりのもと、「○○卿」「○○公」などの敬称・尊称は基本的に省きました
。家族の関係に上下・優劣は必要ないというのがその理由です。
注8・養子には、婿養子・養子・猶子とある。婿養子は、子供が娘だけでその女性が跡継ぎと
なって、入り婿した男性が、その家の家督を継いだ場合に表現されたようだ。ただ養子
とある場合は、親が早く亡くなったり、配流されたりして、親がいなくなった子が義理
の子として養育された場合や、養子先の一族の運営にも加わり家族として扱われたり、
またその家督を継いだりした場合もあったらしい。猶子は、実の子供として育てられた
か扱われた子の場合に表現されたらしい。見落として記入もれもあると思うので、必ず
しも完璧に校正したという保証はしません。
注9・役職の中で、左馬助・左馬頭とある中で左馬「フト」と草書で略して書いてある文字が
ありましたが、調べてみると「頭」の草書体と似ていた上、《○○の地頭》というとこ
ろでも《地「フト」》と出てきたので、「フト」は「頭」という字の略字であることが
確認でき、すべて「頭」に置き換えました。また、中務少輔・中務大甫や宮内少甫・宮
内大輔のように、輔と甫の字がまちまちに登場していましたが、輔の字を略して甫と表
記したものなので、字の意味は同じ「輔」です。この本では役職名の「甫」を「輔」に
統一しました。
注10・異体字については、判明した範囲内で『異体字解読字典』柏書房・刊を参考に同義文字
に変更して記載してあります。また、どうしてもワープロにない漢字は言葉書きでどう
いう文字か「・・」でくくった説明文で表示しました。
注11・またルーツにつながる人の流れから、様々な姓氏が誕生・派生していますが、伝えられ
る事柄が大雑把だったりする姓氏については割愛したので、ルーツにつながる人の姓氏
のすべてを網羅しているわけではありません。
注12・近藤敏喬氏の古代豪族系図集覧(東京堂出版・1993. 9.25発行)の指摘を参考に、『尊
卑分脉』の中で疑義のある氏族については私の判断で組み替えをしました。
注13・兄弟姉妹は、女性を先に記載し、あとは、後継者の少ない順に並べていて、長男・二男
・三男という順にこだわってはいません。現実問題として、『尊卑分脉』の記載の順位
も、必ずしも、長男・二男・三男という順位になっていないと判るところもあり、特に
、長男・二男・三男や○○の兄、または弟などと明確な記載がある人に関して、同文の
内容で記載してあります。
注14・僧になった人は、本来は名字を名乗っていませんが、現代はすべての人が名字を名乗っ
ていることからも、便宜的に一律に名字を冠してあります。
注15・歌人とある人の和歌を引用した初めの『勅撰和歌集』以下は、文書の文字量(行数)を
減らす目的で、原則として『新古今和歌集1205藤原定家他』は『新古今和歌集』などと
略しましたが、結果的には行数の削減にそれほど貢献しませんでした。
注16・名前には、名付けた人の思いがこもっているので、その思いを壊さないために、名前は
旧字の所はなるべく旧字にしてあります。本書では漢字の「邏の糸のない文字」と「り
っしんべんに豈」の漢字は作字によりひと文字で表記しました。また、参考にした『尊
卑分脉』の索引では「邏の糸のない文字」をすべて「暹」にしていますが、本書では区
別して、本文に記載のまま表記しました。
注17・今回の版では、古田武彦氏が指摘している古代九州政権や古事記などとの関連について
、深く触れきれていません。しかし、古代氏族の系図にある、県(あがた=縣。大和政権は
郡こおり 制をとっている) や評督の役職名が、大和政権以外の、倭国 (つくし=九州王朝
) の政権時代の呼称であるとうかがい知ることができます。
注18・なお、お気づきの点があればご連絡ください。今後、より充実したものにするための参
考にいたします。