こんな本を創ろうとした不純な動機
私とドキメンタリー映画『えんとこ』で紹介された遠藤滋氏は、1985年に「ケアを前提
にした共同住宅の建設」を企画して,その実現を模索してきました。だが21年という時間
を経過して、その間に、伊豆に農場を持とうと、1990年に甘夏のみかん山を手に入れ、段
々畑の一部を崩して谷を埋め、ほんの少しの平地を作って、プレハブの建物を建て寝泊ま
りできるようにし、甘夏の産地直送をほそぼそと続け、野菜畑に使える場所を少々開いた
だけ。それも「いのしし」の出現で、畑作りは頓挫。共同住宅の建設に関しては、遠藤滋
氏が公共の建築物など建物の調査活動を手掛けてはきたものの、具体的には何の進展も出
来ないまま、この21年を過ごしてしまいました。
そんな時間を過ごしてきたさなか、私はヒョンなことから、日本における家族が辿った
旅を、主に創世記から戦国時代までの系図の資料や書物で追いかけました。
そもそものきっかけは、私の父の弟で山梨県甲府市に在住した故白砂義正氏が生前にま
とめた小冊子『白須と白砂』を贈られていたこと。その叔父が亡くなってから、ある時、
改めて目を通したいと思い、父にその所在を尋ねた時、父は、その小冊子の存在をすっか
り忘れていました。1998年8月に父が亡くなり、父の荷物を整理して、改めてその小冊子
を見つけ出して手にしたことから、この家族につながる人たちの記録を少し具体的に追い
かけてみよう、というほんの軽い気持ちが旅の始まり。
現在の私の家族の名字は白砂ですが、明治になるまでは白須姓を受け継いできたと聞い
ています。でも、江戸時代には、武士として召しだされて江戸に出た家族を除いて、農民
でしたから名字を公に名乗っていた訳ではありません。白須姓は『清和源氏武田氏族。甲
斐国北巨摩郡白須』の地に起こっています。一方、山梨県白州町白須の白砂(白須)家で
は、『この地 (白須上・白須下・前沢・竹宇を一村として白須村) の荘司(荘官=荘園領
主の代官)として (鎌倉時代末期に) 白須三郎貞信に分封され、それを相伝して代々白須
清兵衛を襲名し、27代にわたりこの地を守護してきた』(祖父の白砂喜作氏口伝)と言い
伝えられてきたと聞いています。
これまでに2度、3度と放火にあったという話もあってか、残念ながら山梨の白砂家に
は古文書の類は一切残されていませんでした。そこで『白須と白砂』の小冊子を参考に、
手始めに一般に市販されている書籍をたどって、家族のルーツにつながる甲斐源氏や清和
源氏の家族でつながっている人にどんな人がいたのか、また、どこで何をしていたのかを
調べ始めました。
また、これまでの日本では、女性の存在は家系図などでは、ほとんど無視されることが
多く、記録として残る例はまれですが、それでも数少ない記録をたどって、その広がりと
つながりを辿っていった時、系図の記録が『尊卑分脉』という本になっていることを知り
ました。この本に出会ってからは、いっそのこと、日本における生の営みを繰り返してき
た家族の記録を、追いかけられるだけ追いかけて、それを元に、ケアを前提に生活しあう
「支え合う集合住宅」の建設資金(基金)づくりができないか、「まぁ、宝くじよりは確
実だろう」などという遠藤滋氏の甘い殺し文句もあって、ワープロのフロッピーに収めた
データで本を創り、希望する人に提供することで、私たちは集合住宅の建設基金作りを計
画し、それを目標に作業を進めてきました。
『尊卑分脉』全4巻の本文1779頁に記載の人物を完全収録し、現代日本の基礎を作った
人々の主な来歴・事跡を追いかけ、古代氏族の系図の本の指摘により『万葉集』の主だっ
た歌人の系譜や渡来系の家族の記録もある程度追いかけることができました。
でも、取っかかりから新たな資料に出合うたびに、分量は増えていきました。
また『尊卑分脉』などに登場する人の中には、歌人として和歌が勅撰集に収録されてい
るという記事があり、それではその人たちの残した和歌を調べてみようか?と問いかけた
私に「もちろん」と答えたのが『えんとこ』の遠藤滋氏。
そこで、古典文学全集に収録されている『万葉集』『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾
遺和歌集』『後拾遺和歌集』『金葉和歌集』『詞花和歌集』『千載和歌集』『新古今和歌
集』を手に、歌人として和歌集に和歌が載る人は、主に和歌を通してその人の心の息づか
い、また人としての思いや悩みが詠まれている和歌がある場合は、主にそれらを選んで、
個人の事跡と共に記録していきました。それで、系図でも人名辞典でもない、これまでに
ない構成の、全く新しい着想に基づく「家族が歩んだ家族の記録」になりました。
現在の家族につながる人の多くは、奈良時代から戦国時代までの間に、歴史的な背景が
あったとはいえ、時の権力の実権や領地をめぐって、親兄弟・親戚同士であっても敵味方
に分かれて争い、その果てに殺し合っています。また計略・陰謀の類で罪をきせられ、い
のちを絶たれた人もいます。私自身は、こうした家族につながる人の争いや殺し合いを自
慢にする気はありません。
けれど、家族でつながっている人、一人一人の「いとなみ」の幸運なつながりと広がり
がなければ、いまここにいる私という個性を持った人間や私につながる家族が存在しなか
ったのも事実です。この自分誕生の奇跡的なつながりの歴史を紐解いて見て、私というい
のちの誕生をもたらしてくれた偶然(これを必然という人もいますが)のつながりには、
心から驚嘆し、感謝する気持ちを強くしています。
しかし、この作業が、誰にも見向きもされず、単なる、膨大な徒労にしかならないので
はと思うこともしばしば。それでも、生の歴史資料の断片が、系図上のその人に結びつい
た時のひそかな喜びに助けられて、作業を続けてきました。日本の歴史の集大成として永
遠に未完のデータではありますが、この本を手にした人が、日本人の歴史とルーツをたど
る援けになることを願いつつ、ここに送りだすことにしました。
また、本書に収録したデータは、2005.2.5朝日新聞が報道した中国で発見された墓誌の
主「井真成」が「秦真成」であることを示しています。渡来系秦氏一族のたどった歴史に
浮かび上がる新事実となるのかどうか。なお、今回の版では、古田武彦氏が読み解いた『
風土記』や『古事記』の指摘について、触れきれませんでした。
2006年12月28日記す。 白砂 巌
おわりに
これまでの8年を越えた作業で、昨年(2006)末に至って、資料を読み込んでワープロ
に向かう作業を、これ以上続けたいと思えなくなり、とりあえず、いったん切り上げて、
ひと区切りにしたい (終わりにしたい) と、私は痛切に思うようになり、今回、組版した
データには、残念ながら、各県すべての年表の記事や古田武彦氏が読み解いた『風土記』
や『古事記』の指摘を検討して読み込めた訳ではありません。
なお、今回の版では、日本で記録され伝えられた系図の記事と、その記事の大雑把な解
釈については、そのほとんどを、これまでの記録のまま記載してあります。また、本書は
、これまで出会った資料を拾い読みして、その一部を収録してあるにすぎません。
実際、このような形式の記録を、日本の歴史資料の一つとして集大成することは、永遠
に完成することのない作業だと感じています。それでも、日本の古代史に関連する部分を
含め、今回は割愛した各県の年表の記事を読み込んだ改訂版を、いつの日か、用意できれ
ば・・と考えています。
2007年1月18日記す。 白砂 巌