1989.9 「ケア生活くらぶ」の設立にあたって
今日、わたしたちは商品の洪水の中で生きている。たとえば、自分の部屋を見渡して
みよう。そこには、かつて自分が商品として買ったもの以外は、ほとんどみあたらない
というほどの現状である。なにせ、たとえば「グルメの旅」や、「挙式+披露宴+海外
ハネムーン○日間コース」などといったモノ(ただしこれは、セット商品券)はいうに
およばず、頼めばその日その日の「きょうの献立」そのものまでもが、材料一揃いパッ
クになって、あたりまえに「パック商品」、あるいは「システム商品」として、届けら
れてきてしまう時代だから。
単に必要なものは、すべて商品として買うことができるというだけではない。自分の
欲求そのものが、むしろその商品のがわから、つくられていってしまっている。
たとえば、ひとがなにか新しい商品の恩恵を手にしているのを見ると、いいなァと思
い、なんとなく自分もそれがほしくなる。そこへもってきて、テレビ、ラジオ、新聞、
雑誌など、あらゆる媒体を通じての膨大なコマーシャリズム──。そうした情報媒体そ
のものがすでに商品だが、おまけに「よい商品を選ぶための情報誌」などというものま
でが、これまた立派な商品となって店頭にならんでいる。
ほとんどすべてのひとびとが、「快適な生活を約束する」商品のコマーシャルに、日
々その足元を洗われ、いつのまにかそれらに足をすくわれ、そしてついには身をも流さ
れて、こうして商品の側からつくられた「フツーの生活」のイメージに、せめて世間的
な見栄をかけて自分の「生活」をあわせてゆこうと、少なからずヤッキになっている。
このような中で、ひとびとは、自分のいのちの求め(欲求)がほんとうは何であった
のかを、すっかり見失ってしまっているようにみえる。自分のいのちの裸のありようさ
えも。
自分はいったい、今、なにがしたいのか──。
そこでは、それを実現する「自由」すらも、単に、そうした商品の中から、気に入っ
たひとつを選べる自由であるにすぎない。
商品の姿をとった「生活」を買うためには、カネがいる。そのカネを得るために、ひ
とびとはアクセクする。「安定した」自由を得るためには、なるべく安定した職業、安
定した社会的地位が必要になってくる。
ソノためには、ひとはどんなことでもする。たとえ望むような職業、あるいは地位が
得られなかったとしても、それならばなおのこと、カネのためになら、いまの自分のい
のちが決して求めていないことでも、その、金ヅルになる「相手」の要求にあわせて、
ほとんどなんでも演じてしまう。
したいと思ってするのではなくて、<食う>ために(「生活」を買うために)「しな
ければならない」と思うから、あえてする。
こうして、ついにひとびとは、いわば自分自身を売り込み、あげくの果てに、結局は
みずからが本当に「商品」と変わらぬものに、なりつくしてしまうことになる。
じつは、今日では、どんな「強制力による」、そとがわからの(あるいは「上」から
の)規制、あるいは「不合理な」強制と見えるものも、もはやこうした事実を土台にし
てしか、現実には決してなりたっていない。
もし、障害者もこうした「生活」に連なりたいと望むのなら、それは結局のところ、
たとえば公営アパートの一室などに専用のすみかを与えられ、十分な年金を支給され、
さらに必要に応じてヘルパー、「介護人」などを派遣されて──、という位が、さしあ
たっての理想の生活のかたち、ということになる。
実際、いまや掲げる主張のいかんを問わず、多くの障害者が、そうした「処遇」を求
め、あるいはそうした生活の実現をめざして、ガンバっているようにみえる。
だが仮に、もしそれが完全に実現したとして、実はそこでは、障害者はただコンクリ
ートの壁に囲まれたせせこましい書き割り(大道具)の中で、お仕着せの「消費生活」
を演ずる自由を得るにすぎない。
そこには、できあいの商品を買って、それにむりやり自分をあわせて「生活」しよう
とする自由があるだけである。そんな「自由」など、自分たちにとっては「不自由」で
しかないことは、はじめから明らかなはずなのに──。
介護すらすでに、各種の「在宅福祉サービス事業」として、規格化、システム化され、
いわば「パック商品」、「システム商品」となってゆくきざしがある。そのうち、障害
者や老人は、他人の「介助」を受けたければ、いちいち業者のサービス・メニューの中
から、必要なものをむりやりセットで選びだして、それらをあらかじめカードで注文し
ておき、それにあわせて「自分の生活」をしなければならない、といった状況が、行政
支給の「介護料」がほんのすこしずつでも増額されてゆく中で、しかしながら意外に急
速に、一般化してゆくかも知れない。
だが、ほんとうは障害者にとって、とりわけ重度障害者にとっては、こうした「商品
世界」、あるいは「健全者」世界は、まったく無縁なのだ。あるいは、たとえ軽度であ
ったとしても、全身的な、そしてまた緊張性の、複雑な不随意運動などという「障害」
を伴った、たとえば「脳性マヒ者」などのような障害者にとっては。
障害者は、結局はみずからのいのちの姿を、ありのままにさらけだして生きるしかな
い。
なぜなら、これらの障害者は、みずからが「商品」としてのスマートさをもって求人
の「市場」に、ましてや現実の職場(労働の現場)になど、決して登場できないだけで
なく、既製の商品の規格にあわせて自分の生活をいとなもうとすることすら、いちじる
しく困難であるか、またはほとんど不可能だからである──。
過ぎし日、わたしたちは障害者による自主出版、『だから人間なんだ』の編集に関わ
った。そして、そこで幸運にも、障害者のほんとうの「声」をさぐりあてた。
そこで得た結論は、次のようなものだった。
ひとびとの間で、みずからのありのままのいのちを、そのまま祝福して生きると決め
て、そのとおりにする──。
それは、もはやどんな世間的なワクづけからも、自由な生き方である。障害者である
という、その存在そのものが、それを要請しているのだ。
そもそも、だれかの「助け」を借りなければ、そのありのままのいのちのいとなみす
ら、維持できない存在である。呼吸をし、休み、眠ることができる条件を確保するコト、
それに、飲むコト、食べるコトから排泄するコト、そして場合によっては性の欲求をみ
たすコトすらも、ひとの手を借りなければ、決して成りたたない。
そこでは、自分のいのちを生かしたいと思えば、あえてそのいのちの欲求を、自分が
心を決めて、だれがなんと言おうと、ありのままに貫くしかない。それがたとえどんな
欲求であったとしても、自分のいのちのすがたをハダカにして、そのための「介助」を、
だれか、自分以外の「他人」(ひと)に求めるしかない。
それならばいっそのこと、自分がそうしたいのちであることを全面肯定して、まさに
そこに立ちきって、生きていってしまったら──。
そう、ちょっと勇気をふるって、一度そこに立ってみさえすれば、──それは思いも
よらず、ほんとうに、なんと素晴らしい生き方であったことか!
すでに、わたしたちはその本、『だから人間なんだ』において、この上なくすなおに、
そうした生き方のすばらしさを、自分のものとして生き始めたことを、伝えた。そして、
障害者のみならず、すべての人々に、そうした生き方こそ、かえって人間らしい生き方
であることを、なんとか伝えようとした。
いま、そうした立場から、障害者と、その「障害者」に係わるすべての人々に、わた
したちは『ケア生活くらぶ』の企画を提起したい。おおかたのご検討をおねがいし、こ
の企画への参加を、呼びかける。
その1 食べよう!
障害者とともに食べよう。たんに「介助」でそうするのではなく、「食べたい」とい
ういのちの欲求をわけあって、手に入れた素材をできるかぎり活かしながら、みんなで
おいしく食べてしまう<祭り>を持とう!
世は、いままさにグルメ・ブーム。でも、わたしたちは、たかい。カネを払ってどこ
かの「お店」に託したり、あるいは旅行会社の「グルメ・ツアー」に頼ったりするので
はなく、自分たちでチエをしぼり、自分たちで料理をし、またいろんなひとたちからそ
の料理法も学んで、豊かな自分たちの食生活を創りだしてゆこう。
なんのタメに(たとえば、あす働くタメに、など)食べるのでもない。ただおいしい
ものを、みんなで作って食べたいから、そうしようと呼びかけるのだ。
その、とりあえずは世田谷における場所づくりも、できるだけ自分たちでやってゆこ
う。
ついでに、その「素材」となるものだけでなく、ひとりひとりの日々の「食生活」に
必要なもの、それぞれの「日常生活」に基本的に必要なものまで含めて、たがいに責任
をもって共同購入するルートを、あちこちに求めていったら──!
その2 拓こう!
障害者とともに、『いのちの森交流農場』をひらこう! そしてそこで、すくなくと
も自分たちの作りたい食糧だけは、なんとか自分たちで作りだせるようにしていってし
まおう。なんでも好きなものを作ればいい。直接に大地との、そしてひととのかかわり
の中で──。(また、できれば海とのかかわりにおいても。)
そこは同時に、都会の「商品世界」に倦(う)み疲れた(=いやになる)ひとびとの、
休息の場、「憩い」の場でもある。なにせ、自分が自然界の中の、ひとつのいのちにす
ぎないということ、いや、むしろ逆に、自分もありのままにそうしたいのちのひとつで
あるということの、このうえない素晴らしさをも、ほんとうに実感できる場に、そこは
必ずなるはずだから──。
だれもが、いつでもそこに来て、リゾート・ライフを楽しめる。リクリエーションで
きる。大地(あるいは海!)との関係だけでなく、そこにいて、それを必要とするすべ
てのひとびとに「介助」をとおしても、ひととひととの関係、いのちといのちとの関係
を、直接に実感できてしまうだろう。
そこに来たひとびとのいのちのいとなみが、またおおいにその土地を肥やす。──
都会での<祭り>にも材料を供給できるだけでなく、そこでさらに、食糧以外のもの
も、どんどん造りだしていってしまったら──!
その3 建てよう!
障害者とともに、共同生活館(『ケア生活館』)を建てよう! そしてそれを、たと
えばこの東京(世田谷)の街の中でも、ひととひととが互いにそのいのちを活かしあっ
て生きる、そのネットワークづくりの拠点にしよう。
もはや、どんな「差別」も、そこにはありえない。コノ、商品世界の規格による「制
約」はおろか、自分(他人)による「規制」も、もとより世間的な常識、または因習の
たぐいによる生活の「束縛」などというものも、そこではまったく意味を失うだろう。
障害者をはじめ、ここに関わるすべてのひとびとは、お互いに自分のいのちを、生か
せるだけ生かしあいながら、自由に「自分」を生き、そしてそれができる生活空間を、
道具を、ひとびととともに思う存分に創り出し、それをそのまま残してゆけばいい。
<食べる祭り>をソノ展開のままに引きつぎ、<いのちを生かしあう農場>に支えら
れているからこそ、それに基づいて、さらに多様な展開が可能なのだ。
あとは、自分たちがそれなりに(あくまで家族の「保護」のもとで)「恩恵」を蒙っ
ている、「商品世界」の産物、あるいはその実際の生産工程まで含めて、自分たちが生
かせるものは、可能なかぎり、ソックリそのままに自分たちのものとして確保し、どん
どん生かしていってしまえれば──!
これこそが、障害者がひとびととともに実現する世界。障害者をぬきにしては、決し
て成り立ちえない世界──!
なお、『ケア生活くらぶ』は、<会員制>とする。
1987年3月1日 遠藤 滋
わたしたちの計画
わたしたちは、広い意味で、だれもがケアを受けて、その生活を成り立たせている。そ
んなことを言いだすと、「えっ、そんな。わたしは自分で自立しているよ。だれの世話に
もなっていない」という言葉が聞こえてきそうですね。はたしてそうでしょうか。どんな
ケアも受けないで生きているといえる人が、この地球上に一人としているでしょうか。す
でに、わたしたち人間は、炭水化物や蛋白質をほかの生命体に生成をゆだねて生きている
訳だし、この意味で、ほかの生命のケアなしに、一日たりとも生きていない。
そればかりか、障害者にとってみれば、生活上の物理的なケアなしに、生活することは
不可能であるし、障害者ばかりか、健常者にとってみても、現代の分業社会にあっては、
ひとのケアを必要としないで生きている人はほとんどいない。そうであるなら、いっその
こと、このケアを前提にして、生活をしあう関係をおおっぴらに創ってしまったほうが、
わたしたちは、もっと安心して、楽に生きていけることになるのではないだろうか?
そして、ひとりでしょいきれない荷物を、自分で抱え込まないで、わたしたちは、仲間
として、もっとみんなでしょいあえるものを、しょいあっていこう。ひとが、それぞれに
自分のいのちを自分で引き受けて、そのいのちを生かそうとし、また、おたがいにいのち
を生かしあうことができれば──。そうした処し方も、ひとつの生き方だし、ひとつの方
法だと思う。
わたしたちは、そうしたケアで取り結ぶ生活を、むしろ自分から積極的に創りあげてい
こう。そして、人間として、もっともっといのちを生かしあう生活を共有し、仲間として
生きていこう。
ケア生活くらぶの計画
ケアをしあう『ケア生活くらぶ』を設立し、手はじめに、いのちを生かしあう『いのち
の森交流農場』や、モデルケースに東京・世田谷に『ケア生活館』や『ケア生活くらぶ地
域の家』を創ろう。
そして、障害者と<生活くらぶ>して、いっしょに、食べたいものをみんなで料理し、
おいしく食べあう<祭り>を開き、居ながらにしてグルメを楽しもう。
また、障害者をはじめとし、老人・子供のありのままのいのちを肯定(祝福)して、い
のちを生かしあう、いのちのネットワーク創りをはじめよう。このネットワークの土台と
して、動物も植物も含めて、いのちをとことん生かしあう交流農場を創り、自分たちの食
べ物を、自分たちの手で創ってみよう。そして、将来は、寝たきりの障害者も含めた会員
の食べ物の自給をめざした農場を、自分たちの共通の生活として担っていこう。
そして、大地(自然)とのかかわりを土台にして、地域(都会)での生活の中に、どん
ないのちも生かしあう人の関係を、自分たち自身の手で創ろう。こればかりは、ひとが創
ってくれたものは、自分で生かせるものにならないのだから──。
あなたも、『ケア生活くらぶ』の会員になって、ありのままのいのちを生かしあう仲間
として、いっしょに生き合いませんか。
当面の計画「第1期」
〔1〕いのちの森交流農場』の建設
1.『いのちの森交流農場』の土地確保(静岡県・南伊豆町に)。
農場の建設可能な用地(土地)を手に入れる。
2.水の確保(井戸を掘る)、地質調査をする。
3.農場の建物『簡易宿泊棟』(10名位がとりあえず寝泊まりできるもの)、『食堂・
風呂棟』(車イス・寝たきりの生活者も楽に活用できるもの)、自分のものを持ち
寄るみんなの『図書館/資料館/民具道具館/展示館』などや、『子供の館(おも
ちゃの部屋・本の部屋)』、『リサイクル館』、『工房』や『定住者生活棟』『焼
物の窯』『ふとんの丸洗い設備』などを創る。
4.農場の部(農場内自給の開始)
放線菌醗酵棟(飼料・肥料の確保/家庭の残飯なども土に返す)、にわとり生活棟
(食糧の確保)を創る。畑(野菜の確保)を創る。(たかうね式で南北配列を単位
として、将来は野菜の成育条件に合わせたうねにする。畑の地下に簡易糞尿処理施
設を埋設して土に返す。また第2案としてメタンガス醗酵塔を地下に埋設して糞尿
を処理する。その他)
栽培可能な種類の果樹をすべて植える。動物の放牧飼育をする。その他。
当面の予定
1.『ケア生活くらぶ』を設立する。会員は会費を納入することで、会員としての資格
をえられる。
2.事務局の設置。振替・銀行口座の開設。事務局は、会員に年1回の報告をする。
事務局は会員の求めに応じて会員によって運営する。
3.『いのちの森交流農場』や『ケア生活館』建設基金の拠出をよびかける。
4.編集部を設け、『いのちの森ネットワーク』(仮称)を発行する。
(会員の発言・メッセージ・作品・その他)会員は無料。会員外は有料とする。
季刊を計画。
5.「ケア生活くらぶ地域の家」の設置ないし建設。モデルとして世田谷に。
(「ケア生活くらぶ」の地域の家は、実現性があれば他の地域にも創る。)
会員の分担
1.会員は会費として年会費3000円(2年目から2000円?)を分担する。
2.会員は運営委員会に自由に参加して、諸々の企画の運営にあたる。
基金について/
1.とりあえず計画のおおすじにおいて賛同する会員から、『いのちの森交流農場』や
『地域の家』ないし『ケア生活館』建設運営資金の基金として一口24万円を拠出す
る。基金を拠出した会員は、基金会員として、『いのちの森交流農場』を一般会員
の半額で利用でき、将来、『ケア生活館』の活用を認められる。余裕のある人は何
口でも良い。ただし、基金一口の額は、状況によって変更するものとし、後からの
会員は、変更された額を基金として拠出する。
2.学生や経済的に分担の困難な障害者についても、できる限り基金の拠出者になる。
学生は、将来、収入を得るようになった時点で基金を拠出してもよい。
3.基金の拠出は、本人の可能な方法(分割など)で決定、実行するものとする。
今後の計画「第2期」
〔1〕1.「ケア生活くらぶ」会員への自給を開始する。
2.農場においては、各種付属施設〔例えば、生活館や資料館や展示館など〕を本格
建物として創る。
〔2〕ケア生活くらぶ・地域の家
1.障害者とケアで取り結ぶ関係を軸に集まってみんなでおいしく食べてしまう<祭
り>を開く。会員の出身地の特産・名産を使った産地直送のグルメの会をパーテ
ー形式で開く。海外出身者を講師に呼んでその出身地の料理を作って食べる会を
開き交流する。
2.生活用品の共同購入をする。
3.障害者など会員の創った作品の展示・即売コーナーを設ける。本の販売をする。
4.障害者の一時宿泊や会員に1階フロアーを貸し出す。
5.ケア生活くらぶ実験農場を設け、堆肥による野菜などの栽培をする。場所・世田
谷区内・他に予定。
6.かんたんな修理や工具・台所用品の貸出をする。補助具の開発をする。
7.車イスなどの貸出をする。
8.「ケア生活くらぶ」として出版・資料の蒐集・研究会をする。
9.会員を中心の作品展や、11月に『いのち』をテーマに「文化展」を開催する。
10.障害者グルメの旅や交流キャンプを企画し、実行する。
11.印刷・自費出版の仲介をする。
12.各種リサイクルやバザーをする。〔本・不要衣料・家具・新聞など〕
13.障害者医療研修を医者・看護婦むけに行ない、カルテの本人保持を進める。
地域の家のイメージ/
1.『ケア生活くらぶ地域の家』は───に置く。
2.2階建を予定。基礎/棟上げ/屋根工事・水道/ガス/電気工事を除いて、後の工
事には障害者も建設に参加して創る。
3.1階/入口と土間・板のフロアー・中央部の板敷き床下にこんろ・水道・収納部を
置く。地下に収納スペース。障害者向きの洋式・和式トイレ、窓際に椅子式
台、手動エレベーター、階段。電話を置く。
2階/事務室として障害者関係を中心に本・資料と収納書庫、机、ワープロ、コピ
ー機、録音室、倉庫、宿泊室などを置く。屋根裏を収納室として活用。
その後の計画「第3期」
1.財団法人『ケア生活館建設基金(いのちの森基金)』を設立する。
2.財団法人ないし社会福祉法人として『ケア生活館』を建設する。
介助を必要とする生活者の介助の内、共有して活用できるもの、例えば、風呂や
調理室などを設ける。「現在の日本の住居の中でお風呂の問題が自分で動けない
人にとっては重大問題になっている。それに対して、共同住宅の中に大きな広い
浴場ひとつ設置することによって、ひとりの障害者のみならず、介助を必要とす
るほかの障害者や老人などそこでの生活者にとってだけでなく、介助を必要とす
る地域の生活者も活用していけることになる。当然、介助を必要としない人にと
っては何の問題もなく活用できる。」
『ケア生活館』には、住居だけでなく、地域に開放される「ケア生活くらぶ」の
集会所、購入部、図書室、交流部(旅行者の受け入れもする)なども必要に応じ
て併設する。運営に関しては、社会福祉法人『ケア生活館』は、法人ではない地
域の各「ケア生活くらぶ」に委託するものとする。
将来の計画「第4期」
1.『ケア生活館』のネットワーク創り。
2.『いのちの森交流農場』のネットワーク創り。
3.その他、必要に応じて、さまざまな生活用品の開発・製造もする。
会員の権利/
1.「ケア生活くらぶ」のあらゆる催しを企画・運営できる。
2.「ケア生活くらぶ」のあらゆる催しに参加できる。
3.「ケア生活くらぶ」での交流を通して、地域に帰って、介助の必要な会員と、い
のちを生かしあうネットワークを創れる。
4.『いのちの森交流農場』や『実験農場』の建設と運営に参加できる。
5.安い運営費を負担して家族やグループでキャンプなど1年を通して『いのちの森
交流農場』を活用できる。ただし、基金会員は、一般会員の半額とする。
6.農場に行って、自分のやりたいことをやる。(例えば、食べたい作物を育てる。
育てたい植物を植える。農場の作物を食べる。焼物創り・染物・織物・その他の
生活用具創りの設備を使って作品を創り、自分や障害者の生活に還元する。)
7.会員は、会員の家庭で出た野菜くず・残飯・落葉など土に返せるあらゆるものを
交流農場や実験農場の土に返すこともできる。
8.農場に介助の必要な人(障害者や老人)がいる時は優先して介助に参加できる。
9.将来は、山下菊二記念館として、『いのち』展(絵画など作品展)を開催し、会
員は、企画・運営に参加できる。『いのち』展は(毎年)11月1日から11月23日
(山下菊二さん命日)にかけて開催(予定)したい。
10.介助を必要とする人の生活を基本にした『ケア生活館(共同住宅)』の建設に参
加できる。
11.介助が必要になった時、会員は、希望によって『ケア生活館』での介助を受けら
れる。また、この『ケア生活館』に家族で居住することも認められる。
12.『ケア生活館』のネットワーク創りに参加できる。
『ケア生活くらぶ』設立企画者
遠藤 滋・白砂 巌