− ケア生活くらぶ −
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1991.11 提 案 し ま す

もう一つの暮しヘのパスポート

『ケア生活くらぶ』 

 わたしたちは、年老いて動けなくなると、それまで営々として築いてきた何十年に及ぶ
 生活が、ほとんど何の力にならない現実にぶつかっています。その一方で、障害を持つ
子供がいると、その将来の生活に不安をいだきます。これは、いまの生活が、同じように
将来の生活に対して、ほとんど無力なまでの力しかない現実があるからです。そこで、そ
んな自分や家族の将来の生活への不安から、ひとはせっせと自分(達)だけは守ろうと、
自分(達)だけの生活に没頭してしまいます。
 しかし、自分(達)だけの生活に没頭すればするほど、そこでは、ひと(他人)からま
すます孤立する生活を築くことになってしまいます。しかもそれまでの生活ができなくな
った時、自分で解決する力もない生活をおくることにしかならないと私たちには思えます
。そこで、ひと(他人)から遠ざかるのではなく、ひと(他人)とどんどん出逢い、その
いのちを最大に生かしあえる関係を、私たちと創り出し、生活していくことを私たちは提
案します。

自分たちの手で

 わたしたちの生活は、食べる物の安全が信頼できなかったり、自分のやりたいことをや
る場が生活の中になかったり、ねたきりの障害者や老人にとって生活しにくい住居(共同
住宅)の中でしか生活が成り立っていなかったりしています。しかも、自分(たち)の責
任の及ばないところで、それらが成り立ってしまっています。それでつい、私たちは、そ
れをひと(他人)や社会のせいにしてすませてきました。
その結果、実は、誰も責任を持ってやっていこうとしない状況になっています。だから
、これまで誰として解決につながる方策を見出せず、場あたり的な方策しか持てないでき
ました。私たちがこれ以上、ひと(他人)や社会のせいにしつづけたところで、何の解決
策も自分の手にできないことは、目に見えています。だとしたらここらで私たちは、自分
たちの手で、自分たちのやりたいことを、やれるところから、自分から始めるしかありま
せん。

 ともに生きあうひとを求めて 

 私たちは、自分たちの責任が及ぶかたちで、自分の食べたいものを自分で作って仲間と
食べたり、自分のやりたいことを自分の責任で 実現できる場を共用したり、ねたきりや
一人ぐらしの障害者や老人にも生活しやすいケアという支え合いを前提に生活しあう共同
住宅(=『ケア生活館』) を創るプラン作りと基金作りのため、ともに生きあうひとを求
めています。
 私たちは1990年4月、西伊豆・松崎の地に2880坪の土地(山林=現状は甘夏みかんの段
々畑)を確保しました。そこを私たちは、ともに生きあうひと(『ケア生活くらぶ』会員
家族)に農場として提供します。そこを私たちは、単に農場として活用するだけでなく、
工房を作り、焼物(それに活用できる粘土も出土しています)をはじめ、木工・染物など
様々な創意工夫のもと、自分の生活用具を含め形にして造り、自分のやりたいことで、そ
こでなら実現できることをやりあえる場として活用したり、さらには伊豆の観光の足場と
して、気楽に宿泊場所にすることもできるでしょう。
 現在、 120坪ほどの平坦な空間を、甘夏の段々畑の中に開き、プレハブ一棟を(1991.1)
建て、簡易洋式トイレ完成(1991.5)、電気も1991年5月に届き、8月には沢からの簡易
水道もでき、天からの貰い水のほか、松崎のおいしい湧き水で、煮炊きは薪の生活。晴れ
た夜には、輝く星の中に運がよければ流れ星をみつけることができます。
 私たちは、この農場『いのちの杜』の土地を出発点に、農場プランの実現をはかるとと
もに都会(街)に共同住宅を建設する資金として、『ケア生活くらぶ』の会員の方には、
基金を提供してもらい、会員の共通の責任で今後プランの実現をはかっていきます。
あなたも、いまの暮しのほかに、もう一つの暮しのパスポートを手にしませんか。『ケア
生活くらぶ』の会員になって、私たちと、ともに生きあうひとの輪を広げよう。

『ケア生活くらぶ』の計画

当面の計画

 「第1期」農場『いのちの杜』の拡充
1.静岡県松崎町 (西伊豆)八木山の土地(2880坪の甘夏のみかん山)をあてる。
2.農場の建物『簡易宿泊棟』(10名位が寝泊まりできるもの)や、トイレや『食堂・風呂
 棟』(車イス・寝たきりの生活者も楽に活用できるもの)を創る
3.水の確保(簡易水道を設置・井戸を掘る)、地質調査をする。
4.自分のものを持ち寄るみんなの『図書館/資料館/民具道具館/展示館』などや『子供
 の館(おもちゃの部屋・本の部屋)』、『リサイクル館』、『工房』や『定住者活棟』
 『焼物の窯』などを創る。
5.農場の部(農場内自給の開始)
 放線菌醗酵棟(飼料・肥料の確保/家庭の残飯なども土に返す)、にわとり生活棟を創
 る。畑(野菜の確保)を創る。(うねを高くする緑健農法を採り入れた有機栽培とする
 。畑の地下に簡易糞尿処理施設などを埋設して土に返す。また第2案としてメタンガス
 醗酵塔を地下に埋設して糞尿を処理する。その他)
6.栽培可能な種類の果樹をすべて植える。他(動物の放牧飼育をする)。
7.甘夏みかんの販売をする。 
                       
「第2期」都会(街) に『ケア生活館』を建設する手順
1.日本の住まいや建築物、交通機関の建造物の建築基準に関する調査をする。この調査を
 通して、共同住宅(=『ケア生活館』)を、どんな住まいにしたらよいか、具体的には
 検討していくが、現在『ケア生活館』として考えているイメージは、次のようなもので
 ある。
  「例えば、いまの個人の住居の中でお風呂のスペースなど、自分で動けない人にとっ
 ては大きなネックになっている。そこで、共同住宅の中に適当な広さの浴場ひとつ設け
 ることによって、介助を必要とする障害者や老人などそこでの生活者にとってだけでな
 く、介助を必要とする地域の生活者も活用していけるものになる。無論、介助を必要と
 しない人にとっては何の問題もなく活用できるわけだから、お風呂に入る時間帯を合わ
 せさえすれば、介助を必要とする障害者や老人へのお風呂の介助が、自分の生活の中で
 成り立たせることが可能になる。
  このように、必要とする生活介助の内、お風呂や洗濯や食事作りなど、介助する者の
 生活の中に組み込むことによって介助が成立してしまうものについて、風呂場や調理室
 として共通の場を設けて運営する住宅とすることによって、生活介助の一端をケアして
 しまうシステムとして考えている。
  また『ケア生活館』には、住まいだけでなく、地域に開かれた集会所、共同購入部、
 図書室など、創意工夫に応じて併設することも考える。なお、『ケア生活館』の運営は
 、住む人を主体にした自主的な運営とする。」
2.『ケア生活館建設基金(いのちの杜基金)(仮称)を法人化する。
3.財団法人ないし社会福祉法人として『ケア生活館』を都会(街)に建設する。
 
 今後の計画「第3期」
1.『ケア生活くらぶ』会員へ農産物の自給を開始する。
2.農場においては、各種付属施設〔例えば、生活館や資料館や展示館など〕を本格建物と
 して創る。
 将来の計画「第4期」
1.都会(街)における『ケア生活館』のネットワーク創り。
2.農場『いのちの杜』のネットワーク創り。3.その他、必要に応じて、さまざまな生活用
 品の開発・製造に乗り出す。
 
 『ケア生活くらぶ』の構成について
1.『ケア生活くらぶ』は会員制とする。会員は年会費を納入することで、会員としての資
 格をえ、人種、性別、年齢、能力による どんな制約も設けない。
2.『ケア生活くらぶ』は運営委員により運営し、会員であれば、運営委員会にいつでも参
 加できるものとする。なお、運営委員会事務局(東京)は遠藤滋宅〔・156 東京都世田
 谷区松原6-4-5-701 ・電話(03)3327─1523〕に置く。運営委員会事務局は会員に年1
 回の報告をする。その他の『ケア生活くらぶ』の運営に関する取り決めは、運営委員会
 で検討する。
3.『ケア生活くらぶ』は事務局のもと編集部を設け、会報を発行する。仮称『いのちの杜
 ネットワーク』(会員の発言・メッセージ・作品・その他)は会員に無料で配布できる
 範囲の予算で作る。なお、会員外は有料とする。季刊を計画。
4.『ケア生活くらぶ』は、その出発にあたって、発起人の財政上の債務を引き継ぐ。また
 、法人化の際に、発起人は、伊豆の土地の権利を法人に譲るものとする。

 会員の権利など
 [1] 『ケア生活くらぶ』の会員
1.会員は、運営委員会に自由に参加して、諸々の企画の立案・運営にあたる。
2.会員は、『ケア生活くらぶ』のあらゆる催しに参加できる。
3.会員は、農場『いのちの杜』の建設と運営にあたる。
4.会員は、農場の建設に参加して、自分のやりたいことをやる。(例. 食べたい作物を育
 てる。育てたい植物を植える。農場の作物を食べる。焼物・染物・織物・その他の生活
 用具作りの設備を使って作品を造り、自分の生活に還元できる。)
5.『ケア生活くらぶ』会員は、会員の家庭で出た野菜くず・残飯・落葉など土に返せるも
 のを農場の土に返すこともできる。
6.農場に介助の必要な人(障害者や老人)がいる時は優先して介助に参加する。
7.会員は、介助を必要とする人の生活を基本にした『ケア生活館(共同住宅)』の建設に
 参加できる。
8.会員は、介助が必要になった時、希望によって『ケア生活館』での介助を受けられる。
 また、この『ケア生活館』に家族で居住することも認められる。
9.会員は、『ケア生活館』のネットワーク創りに参加できる。
 [2] 『ケア生活くらぶ』地域の会 
1.『ケア生活くらぶ』の会員は、地域において自主的に地域ごとの会を結成できる。
2.『ケア生活くらぶ』の会員は、自分の望む地域の会に参加できる。
3.地域の会は役割分担により、全体の運営に参加したり、地域での自由な企画に基づいて
 活動する。

 『ケア生活くらぶ』の活動について
1.「いのち」をテーマにした『いのち』展(絵画など作品展)を開催し、会員は、企画・
 運営に参加できる。『いのち』展は(毎年)11月1日から11月23日(山下菊二さん命日
 )にかけて開催(予定)したい。
2.グルメの旅や交流キャンプを企画し、実行する。
3.『ケア生活くらぶ』として出版・資料の蒐集・調査・研究をする。
4.印刷や自費出版の仲介をする。
5.各種リサイクルやバザーをする。〔本・不要衣料・家具など〕
6.障害者の医療研修を医者・看護婦むけに行ない、カルテの本人保持を進める。
 など、会員相互の企画により、さまざまな部門をもうけ、その部門をになう会員の主体
 的な行動に基づき実行することとする。
 
 「ケア生活くらぶ」の設立にあたって

 今日、わたしたちは商品の洪水の中で生きている。たとえば、自分の部屋を見渡してみ
よう。そこには、かつて自分が商品として買ったもの以外は、ほとんどみあたらないとい
うほどの現状である。なにせ、たとえば「グルメの旅」や、「挙式+披露宴+海外ハネム
ーン○日間コース」などといったモノ(ただしこれは、セット商品券)はいうにおよばず
、頼めばその日その日の「きょうの献立」そのものまでもが、材料一揃いパックになって
、あたりまえに「パック商品」、あるいは「システム商品」として、届けられてきてしま
う時代なのだから。
 単に必要なものは、すべて商品として買うことができるというだけではない。自分の欲
求そのものが、むしろその商品のがわから、つくられていってしまっているほどなのだ。
 たとえば、ひとがなにか新しい商品の恩恵を手にしているのを見ると、いいなァと思い
、なんとなく自分もそれがほしくなる。そこへもってきて、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌
など、あらゆる媒体を通じての膨大なコマーシャリズム──。そうした情報媒体そのもの
がすでに商品なのだが、おまけに「よい商品を選ぶための情報誌」などというものまでが
、これまた立派な商品となって店頭にならんでいる。
ほとんどすべてのひとびとが、「快適な生活を約束する」商品のコマーシャルに、日々
その足元を洗われ、いつのまにかそれらに足をすくわれ、そしてついには身をも流されて
、こうして商品の側からつくられた「フツーの生活」のイメージに、せめて世間的な見栄
をかけて自分の「生活」をあわせてゆこうと、少なからずヤッキになっているのだ。
 このような中で、ひとびとは、自分のいのちの求め(欲求)がほんとうは何であったの
かを、すっかり見失ってしまっているようにみえる。自分のいのちの裸のありようさえも

 自分はいったい、今、なにがしたいのか──。
 そこでは、それを実現する「自由」すらも、単に、そうした商品の中から、気に入った
ひとつを選べる自由であるにすぎない。
 商品の姿をとった「生活」を買うためには、カネがいる。そのカネを得るために、ひと
びとはアクセクする。「安定した」自由を得るためには、なるべく安定した職業、安定し
た社会的地位が必要なのだ。
 ソノためには、ひとはどんなことでもする。たとえ望むような職業、あるいは地位が得
られなかったとしても、それならばなおのこと、カネのためになら、いまの自分のいのち
が決して求めていないことでも、その、金ヅルになる「相手」の要求にあわせて、ほとん
どなんでも演じてしまう。したいと思ってするのではなくて、<食う>ために(「生活」
を買うために)「しなければならない」と思うから、あえてするのだ。
こうして、ついにひとびとは、いわば自分自身をも、すっかり「商品」としてのよそお
いに包み、磨きをかけてそうした「自分」を売り込み、あげくの果てに、結局はみずから
が本当に「商品」と変わらぬものに、なりつくしてしまうことになる。
 じつは、今日では、どんな「強制力による」、そとがわからの(あるいは「上」からの
)規制、あるいは「不合理な」強制と見えるものも、もはやこうした事実を土台にしてし
か、現実には決してなりたちえないのである。
もし、障害者もこうした「生活」に連なりたいと望むのなら、それは結局のところ、た
とえば公営アパートの一室などに専用のすみかを与えられ、十分な年金を支給され、さら
に必要に応じてヘルパー、「介護人」などを派遣されて──、という位が、さしあたって
の理想の生活のかたち、ということにもなろう。
 実際、いまや掲げる主張のいかんを問わず、多くの障害者が、そうした「処遇」を求め
、あるいはそうした生活の実現をめざして、ガンバっているようにさえみえる。
 だが、仮にもしそれが完全に実現したとして、実はそこでは、障害者はただコンクリー
トの壁に囲まれたせせこましい書き割り(大道具)の中で、お仕着せの「消費生活」を演
ずる自由を得るにすぎないのだ。
 そこには、できあいの商品を買って、それにむりやり自分をあわせて「生活」しようと
する自由があるだけである。そんな「自由」など、自分たちにとっては「不自由」でしか
ないことは、はじめから明らかなはずなのに──。
 介護すらすでに、各種の「在宅福祉サービス事業」として、規格化、システム化され、
いわば「パック商品」、「システム商品」となってゆくきざしがあるのだ。そのうち、障
害者や老人は、他人の「介助」を受けたければ、いちいち業者のサービス・メニューの中
から、必要なものをむりやりセットで選びだして、それらをあらかじめカードで注文して
おき、それにあわせて「自分の生活」をしなければならない、といった状況が、行政支給
の「介護料」がほんのすこしずつでも増額されてゆく中で、しかしながら意外に急速に、
一般化してゆくかも知れない。
だが、ほんとうは障害者にとって、とりわけ重度障害者にとっては、こうした「商品世
界」、あるいは「健全者」世界は、まったく無縁なのだ。あるいは、たとえ軽度であった
としても、全身的な、そしてまた緊張性の、複雑な不随意運動などという「障害」を伴っ
た、たとえば「脳性マヒ者」などのような障害者にとっては。
 障害者は、結局はみずからのいのちの姿を、ありのままにさらけだして生きるしかない
。 なぜなら、これらの障害者は、みずからが「商品」としてのスマートさをもって求人
の「市場」に、ましてや現実の職場(労働の現場)になど、決して登場できないだけでな
く、既製の商品の規格にあわせて自分の生活をいとなもうとすることすら、いちじるしく
困難であるか、またはほとんど不可能だからである──。
 過ぎし日、わたしたちは障害者による自主出版、『だから人間なんだ』の編集に関わっ
た。そして、そこで幸運にも、障害者のほんとうの「声」をさぐりあてた。
 そこで得た結論は、次のようなものだった。
 ひとびとの間で、みずからのありのままのいのちを、そのまま祝福して生きると決めて
、そのとおりにする──。
それは、もはやどんな世間的なワクづけからも、自由な生き方である。障害者であると
いう、その存在そのものが、それを要請しているのだ。
 そもそも、だれかの「助け」を借りなければ、そのありのままのいのちのいとなみすら
、維持できない存在である。呼吸をし、休み、眠ることができる条件を確保するコト、そ
れに、飲むコト、食べるコトから排泄するコト、そして場合によっては性の欲求をみたす
コトすらも、ひとの手を借りなければ、決して成りたつはずがないのだ。
 そこでは、自分のいのちを生かしたいと思えば、あえてそのいのちの欲求を、自分が心
を決めて、だれがなんと言おうと、ありのままに貫くしかない。それがたとえどんな欲求
であったとしても、自分のいのちのすがたをハダカにして、そのための「介助」を、だれ
か、自分以外の「他人」(ひと)に求めるしかないのだ。
 それならばいっそのこと、自分がそうしたいのちであることを全面肯定して、まさにそ
こに立ちきって、生きていってしまったら──。
 そう、ちょっと勇気をふるって、一度そこに立ってみさえすれば、──それは思いもよ
らず、ほんとうに、なんと素晴らしい生き方であったことか!
 すでに、わたしたちはその本、『だから人間なんだ』において、この上なくすなおに、
そうした生き方のすばらしさを、自分のものとして生き始めたことを、伝えた。そして、
障害者のみならず、すべての人々に、そうした生き方こそ、かえって人間らしい生き方で
あることを、なんとか伝えようとした。
 いま、そうした立場から、障害者と、その「障害者」に係わるすべての人々に、わたし
たちは『ケア生活くらぶ』の企画を提起したい。おおかたのご検討をおねがいし、この企
画への参加を、呼びかける。

 その1 食べよう!

 障害者とともに食べよう。たんに「介助」でそうするのではなく、「食べたい」という
いのちの欲求をわけあって、手に入れた素材をできるかぎり活かしながら、みんなでおい
しく食べてしまう<祭り>を持とう!
世は、いままさにグルメ・ブーム。でも、わたしたちは、たかいカネを払ってどこかの
「お店」に託したり、あるいは旅行会社の「グルメ・ツアー」に頼ったりするのではなく
、自分たちでチエをしぼり、自分たちで料理をし、またいろんなひとたちからその料理法
も学んで、豊かな自分たちの食生活を創りだしてゆこう。
 なんのタメに(たとえば、明日働くタメに、など)食べるのでもない。ただおいしいも
のを、みんなで作って食べたいから、そうしようと呼びかけるのだ。
 その、とりあえずは世田谷における場所づくりも、できるだけ自分たちでやってゆこう
。ついでに、その「素材」となるものだけでなく、ひとりひとりの日々の「食生活」に必
要なもの、それぞれの「日常生活」に基本的に必要なものまで含めて、たがいに責任をも
って共同購入するルートを、あちこちに求めていったら──!

その2 拓こう!

 障害者とともに、農場『いのちの杜』をひらこう!
 そしてそこで、すくなくとも自分たちの作りたい食糧だけは、なんとか自分たちで作り
だせるようにしていってしまおう。なんでも好きなものを作ればいい。直接に大地との、
そしてひととのかかわりの中で──。(また、できれば海とのかかわりにおいても。) そ
こは同時に、都会の「商品世界」に倦(う)み疲れた(=いやになった)ひとびとの、休
息の場、「憩い」の場でもある。なにせ、自分が自然界の中の、ひとつのいのちにすぎな
いということ、いや、むしろ逆に、自分もありのままにそうしたいのちのひとつであると
いうことの、このうえない素晴らしさをも、ほんとうに実感できる場に、そこは必ずなる
はずだから──。
 だれもが、いつでもそこに来て、リゾート・ライフを楽しめる。リクリエーションでき
る。大地(あるいは海!)との関係だけでなく、そこにいて、それを必要とするすべての
ひとびとの「介助」をとおしても、ひととひととの関係、いのちといのちとの関係を、直
接に実感できてしまうのだ。
 そこに来たひとびとのいのちのいとなみが、またおおいにその土地を肥やす。──
 都会での<祭り>にも材料を供給できるだけでなく、そこでさらに、食糧以外のものも
、どんどん造りだしていってしまったら──!

その3 建てよう!

 障害者とともに、共同生活館(『ケア生活館』)を建てよう!
 そしてそれを、たとえばこの東京(世田谷)の街の中でも、ひととひととが互いにその
いのちを活かしあって生きる、そのネットワークづくりの拠点にしよう。
 もはや、どんな「差別」も、そこにはありえない。コノ、商品世界の規格による「制約
」はおろか、自分(他人)による「規制」も、もとより世間的な常識、または因習のたぐ
いによる生活の「束縛」などというものも、そこではまったく無意味なのだ。
 障害者をはじめ、ここに関わるすべてのひとびとは、お互いに自分のいのちを、生かせ
るだけ生かしあいながら、自由に「自分」を生き、そしてそれができる生活空間を、道具
を、ひとびととともに思う存分に創り出し、それをそのまま残してゆけばいい。
 <食べる祭り>をソノ展開のままに引きつぎ、<いのちを生かしあう農場>に支えられ
ているからこそ、それに基づいて、さらに多様な展開が可能なのだ。
 あとは、自分たちがそれなりに(あくまで家族の「保護」のもとで)「恩恵」を蒙って
いる、「商品世界」の産物、あるいはその実際の生産工程まで含めて、自分たちが生かせ
るものは、可能なかぎり、ソックリそのままに自分たちのものとして確保し、どんどん生
かしていってしまえたら──!
 これこそが、障害者がひとびととともに実現する世界。障害者をぬきにしては、決して
成り立ちえない世界──!
 なお、『ケア生活くらぶ』は、<会員制>とする。
                    1987年3月1日    遠藤 滋


 『ケア生活くらぶ』の会員になるには

A.会員は、会費(通信事務費、会報の発行費用など)として年3000円と共済費(当面3
 年毎)1000円を負担する。
1.会費の納入は、当面年会費3年分と共済費をまとめて10,000円を納めるものとする。以
 降も会員は事務処理を軽減するため3年分の会費と共済費を納入するものとする。
2.共済費は、会員の共済基金として積立、活用する。

B.会員は、農場『いのちの杜』や『ケア生活館』建設資金として基金を拠出する。
1.会員は、農場『いのちの杜』の拡充と『ケア生活館』建設資金の基金として一口24万円
 を拠出する。(一口以上何口でもよい) 相談によって、基金の拠出は猶予できるものと
 する。なお、基金一口の額は、農場建設の進行状況によって増額することとし、後から
 の会員は、増額された額を基金として拠出する。
2.学生については、将来、収入を得るようになった時点で基金を拠出してもよい。
3.基金の拠出は、本人の可能な方法(分割も可)で決定、実行するものとする。
4.拠出された基金は、農場の建設費にその一部を当てるほか、財団法人の設立にあたって
 、その基金とする。
5.基金の拠出に基づく権利は、相続の対象としない。が、夫婦間において、その権利は引
 き継がれるものとする。
6.親から独立した子供は、はたち過ぎたら自らの意志によって、新たに会員の登録をする
 ものとする。
7.『ケア生活くらぶ』から退会を希望する会員は、拠出した基金の返還を次の計算式に基
 づいて求めることができる。〔24−会員として在籍した年数〕×1万円×出資数。ただ
 し、24年以上会員として在籍した場合は、基金の返還を求める権利を失う。

C.会員は、農場『いのちの杜』の宿泊施設を利用する時、農場の運営費を負担する。
 基金会員とその家族は一人一日あたり 600円。ただし独立している兄弟家族については
会員外扱いとする。一般会員1600円。会員外3000円。ただし、小学生〜高校生は半額、学
齢期までは無料とする。また、障害者とそのグループついては、会員の同伴があれば会員
に準ずる扱いをする。なお、この運営費には食費は一切含まないものとする。
                               1991・8現在 
 ☆問い合わせ・東京事務局 略
 ☆農場『いのちの杜』連絡先
  ◆〒410-36静岡県松崎町八木山3281(松崎町岩科南側字小枕木片3281)
 ☆会費/基金の送金先  銀行口座 『ケア生活くらぶ』 略
             郵便振替 『ケア生活くらぶ』 略
   
〔発起人〕     遠藤 滋・白砂 巌 
〔賛同人〕     削除
〔心の賛同人(故人) 〕
 関口慎吾、佐久間(森田)康志、山下菊二

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