ケア生活くらぶ『いのちの杜(交流)農場』
建設地の甘夏はいかがですか?
わたしたちは、何年か前、農場を作りたいと思いたち土地を探してきました。そしてこ
の4月に、伊豆・松崎に2880坪の土地を確保できました。
わたしたちの計画は、車いすで生活している人が加わることを前提にこの農場を運営し
、工房〔焼物・木工・染物など〕や農場〔畑・果樹・動物の飼育〕や生活・宿泊棟を作り
、必要に応じて図書室やリサイクル室などを設け、ケア生活くらぶの会員とその家族で活
用する計画です。
そして、農場に滞在するひとは、農場の野菜や山菜を食べてすごし、工房では、自分の
創りたい生活用具などを作れるようにする計画です。そして、いろんな人と交流し合うな
かで、自分たちの人生を自分たちの手で豊かにしたい──と考えます。
わたしたちが確保した土地は現在甘夏のみかん山で、この甘夏を今年の収穫から、これ
までの地主さんから引き継ぎました。そこで、5月〜6月にかけて収穫期に入っている甘
夏みかん(15kg箱入)を3000円で産地直送することにします。また、甘夏のみかん狩りも
受付ます。今年の甘夏をぜひ買ってください、売ってください。そしてあなたも「ケア生
活くらぶ」に参加して、『農場』創りに智恵と肉体を発揮してみませんか?
1990.5.1 発起人 遠藤 滋・白砂 巌
なお、甘夏の産地直送申し込みは、ケア生活くらぶまでお願いします。
『いのちの杜』農場〔1〕 甘夏の報告 1990・7・31
ケア生活くらぶ『いのちの杜』農場建設地の甘夏はいかがですか?で始まった、五月か
らの伊豆のみかん狩り「そうどう」も、七月二十日・二一日の遠藤滋と九人の仲間たちの
旅行でようやく一区切りつけました。収穫したみかんは、だいたい五トン強というところ
でしょうか。それでも、まだ手つかずの甘夏が、これまで収穫した分くらいぶらさがって
いて、朽ちて落ちるに任されている。
四月に、いきなりみかん山の地主になった時、地元の人の話に十トンくらいとれるだろ
うという見立てを聞いていたとはいえ、収穫を控えていたみかんも「どうぞ」ということ
になり、どれくらい採れるやら、どれくらいなっているものやら、皆目見当もつかず、無
理のないところでやれるだけやろうという意志で、始まったみかん狩りでした。そうは言
っても、そこは肉体労働をともなうもの。みかん狩りに参加した、私や私の家族、友人た
ちは、始めの内は、体がついていかず、とにかく疲労だけがたまったものでした。
これからの予定としては、いよいよ土地の造成に着手するために、(1) ショベルカーを
探す(中古を買う線で)。(2) 第一期の工事として、進入道路の高さに、下層部のみかん
畑の一部を、宿泊用プレハブ設置場所と畑用に造成。(3) トラックとワゴン車の購入・宿
泊用プレハブの購入。(4) 井戸掘り。(5) 敷地の上層部の造成。(6) 他の果樹などの苗の
植付け・畑づくりの開始へと作業はひとつひとつステップを踏んでつづけていくことにし
ています。
当初の腹づもりでは、七月いっぱいまでに宿泊用プレハブの設置にこぎつけたかったの
ですが、なにせ、目の前のみかんに目を奪われて、みかん狩りにエネルギーを吸い取られ
てしまった、というのが実情。
さてさて、これからの進展やいかに? 時間をさいて手伝ってくれる人は連絡を。
『いのちの杜』農場〔2〕 農場の先住民
今回は、伊豆の『いのちの杜』農場建設地に息づいている「いのち」たちについて書き
出してみよう。
何はともあれ、元は山林だったもの(杉林だったらしい)をみかん山に開墾したところ
なので、その時に植えつけた甘夏の木が、なんと言っても、ここの主の地位を確保してい
る。一体、何本あるのか見当がつかない。一本の木に平均30kg(約80〜90個)の実がなる
とすると、10tほどの甘夏の収穫が見込まれるので、三百本以上の木が植わっていること
になるが、現実には、それほどの数の木が植わっているという感触は私にはない。実際、
木によっては、40個くらいしか収穫できなかったものもあれば、その三倍くらいの収量が
あったのではと思える木もあったし、木によるバラつきが随分あった。これは、木の植わ
っている場所の日当たりの良し悪しがはっきりとした影響を与えているようである。
次に目につくのは、みかんの木の間から、背高くそびえている杉の木である。この場所
が開墾される時分に植えられた杉の木が、みかんの木と共に25年の歳月を経てきたもの。
主だった、太く、大きいものは、20本は下らないと思うが、厳密に数えたわけではない。
しかしこれらの杉は、みかんの木の間でみかんの木に影を落とし、空もふさいでいるもの
もあり、十月になってから、大半を、地元の山仕事専門の田口さんに伐採をたのむことに
していた。細い木ならいざしらず、これらの太い大きい杉の木は、とてもにわか山師には
歯がたたないからである。また、十月になってからというのは、十月になってから切らな
いと、杉が材木として使えないという、田口さんのアドバイスによる。やみくもに切って
、何の用途にも使えなくするのは、私たちの主旨でない。
その次に竹について書いてみよう。竹は、孟宗竹と真竹がある。孟宗竹は、下の山の竹
林の孟宗竹が、私たちの農場のみかん畑に根を進出させて育っているものである。真竹は
道沿いの山の斜面に植わっているが、古くからここにあったのか、それとも、前の地主さ
んが植えたものなのかは分からない。他に、直径が1cmほどで身の丈二mを越える細い竹
もあるが、この農場では、雑草に近い形で生えている。この春と、六月にかけて、孟宗竹
と真竹の竹の子を竹の子御飯などにして少しは楽しめた。
1992.年の瀬に
過日(7月19日)わたしたちの結婚に際して、祝う会へご出席してくださいまして、本
当にありがとうございました。
おそくなりましたが、写真ができましたのでお送りいたします。
今年は、4〜6月の甘夏の収穫を軸に、8月5日から9月いっぱいを伊豆で台所などの
板の間作りや水道の配管・排水などの水廻りを整備する作業をしてきましたが、あっとい
う間の年の瀬です。みなさまいかがお過ごしですか?
個人的なことを言えば、9月末に伊豆から東京に帰ってから、ずっと体調がすぐれず、
疲れが抜けなかったこと。また、現在かかわっている袴田事件の再審請求のための無実を
明らかにする証拠を発見する調べ「被害者4人の傷には、4つの刃物が使われた痕跡が残
されている(これまでは、判決では一つの凶器による単独犯行とされてきた)」を、文章
として完成させるべく、分担した作業が重しのようにこの一年の間のしかかっていたもの
ですから、それが終わるまで他のことに気がまわらなかったこと。などで、ついに他のこ
とに取り掛かれずにおわりました。
今年もいくつかの訃報に接しました。でも、今を生きているものにとっては、悲しみに
浸るだけでなく、元気な姿で再会しあえることに感謝しつつ、生きていこうというのが私
のモットーです。
来年は、わたし(たち)としては、1月の下旬を除いて6月までは伊豆での作業に邁進
する予定でいます。みなさまにおかれましては、甘夏のみかん狩りなどを計画して、その
間の休日に、伊豆の山にもお出かけください。山で作業していると、突然見ず知らずの人
が尋ねてくれるだけでも、それだけでうきうきして一日を過ごすことができます。そんな
自分の姿を、新発見することが、山での生活にはあるようです。
山道を登ってくるなつかしい顔に出会える日もあることを祈りつつ──。
では、また、あなたの元気な姿にお目にかかれますように。
1993年の手紙から
ご無沙汰しています。お元気ですか? 去年の甘夏はいかがでしたか? 去年は、伊豆
の4月は雨降りが多かったので、一部の人には、発送が遅れたことや、すっぱいみかんが
届いた人がいたりと、ご不満をおかけしましたが、今年の甘夏は、去年より成育も良く、
味の方もよいようです。
今年は、2月15日から伊豆に来ていて、3月6日に東京へ一旦戻るつもりで作業してい
ましたが、帰京寸前の3月5日、電動の丸のこで作業中、右のふとももを自分で切断して
しまい、急遽、西伊豆の病院に行き手当てを受けたものの、13針縫う、筋肉の切断を伴う
怪我のため、12日間入院をすることになってしまいました。その後も、退院してから、生
活の不便さを考慮して、東京へ帰るのをやめ、伊豆の山で生活を続け、甘夏の収穫時期に
入ってしまい、みなさまから電話でみかんの注文を受けられなくなってしまいました。
幸い、怪我が深手の割りには、傷の方は順調に直り、切断した筋肉の機能も、ほぼ元通
りにくっついてくれました。1ヵ月のブランクとなってしまいましたが、4月からあわた
だしく、みかんの収穫に入ることができました。ところが、みなさまに、電話で問い合わ
せもままならないので、かってながら、今年も甘夏を送らせていただきます。ご賞味のう
え、よろしくお取り計らいください。
今年は、3月に通信をと、計画していましたが、怪我の最中も山でじっとしていること
ができず、通信を編集するどころでなくなってしまいました。そして、4月に入ってのこ
の一ヵ月、葉書で注文をいただいた方に、せっせとミカンを送ってまいりましたが、連休
に突入の最中、少しだけ時間の余裕ができたので、通信の代わりに、この手紙をまとめは
じめました。
伊豆の農場にて 一九九三年記す
すっかりご無沙汰していますが、いかがお過ごしですか。元気でご活躍のことと思いま
すが、お変わりございませんか? 私が伊豆のみかん山と東京を行き来しながら過ごして
いる関係で、最近はお目にかかる機会がめっきり少なくなり残念に思っています。
私が友人の遠藤滋氏と伊豆のみかん山を手に入れてから早3年。それだけの時間にみあ
うものを、この3年の間に刻み込んでこれたかどうか、はなはだ疑問ですが、時には「大
事」に至りかけるあぶない場面に直面することがあっても、これまでどうにかこうにかま
だ無事に過んでいるという実感の中で、一日また一日と自分の時間を刻んでいます。
伊豆の農場では、今年も5月の連休に、私(たち夫婦)は、遠藤滋氏と介助の仲間を含
め10人を超える人を迎え、山の農場で過ごしました。今年は雨にたたられたこともあって
私たち夫婦を残して、2泊で切り上げてそれぞれ帰っていきました。でも、それを迎え見
送った私たち夫婦にはめまぐるしい3日間で嵐の過ぎ去った跡のように、2日ほど虚脱状
態が続きました。
1.甘夏の収穫
今年、農場では、4月〜6月にかけ、甘夏の収穫期となり、慣れないにわか百姓のまね
ごとではあっても、雨の合間をぬいながら、みかんの収穫・荷造り・出荷・枝の剪定・草
刈り・畑つくりと、その合間の土木作業(山の土を削り、谷に石垣を作りながら埋める)
を気長に続けています。私には、体力的にきつい思いをしての作業でしたが、今年も甘夏
の産地直送販売には、130ケースに届く注文をみなさんにしていただき、どうもありが
とうございました。おかげで、伊豆での資材購入・その他の経費の赤字を35万円ほど減ら
すことができました。
しかし、少ない人手では手入れをやりきれず、実も収穫しきれないにしても、毎年、律
儀に実りをもたらしてくれる甘夏を、一つでも収穫して、希望する人には大いに食べても
らおうと思うのも正直なところ。しかし、私たちが夫婦で(時には私の両親の応援もえな
がら)、伊豆で3か月かけて、それでやっと35万円となると、これでは、東京で仕事に精
を出した方が、余程お金になるのも事実。私たち(夫婦)で、苦笑して話しています。
今年は200ケースを目標に、去年までの伊豆での赤字(資材費などでかかった経費)
をすべて解消するつもりで、2月に甘夏注文の葉書やチラシを作り準備していました。
そして2月中旬から、6月20日まで(途中5月下旬の13日間東京に戻っていただけで)
ずっと伊豆の山で生活しながら、体を動かしてきましたが、しかし気持ちとは裏腹に、
「この上100ケースみかんの注文があったら体がもったかな?」「とてももたなかった
かもしれないね──」というのが、私たち夫婦の実感でした。
2.山の中で大けが
しかも、この3月には、伊豆の山での作業中、電動の丸ノコギリで、利き足である右足
の大腿部を13センチ(深さ5センチ)ほど切断するケガをしました。幸い、ケガの大きさ
に比べて、直りは早く、大事には至らなかったのでホッとしているところですが、その日
(3月5日)の午後5時には、病院のベットの上でした。ケガをしてから、「このケガが
大出血サービスをしたら、死んでしまうかもしれない」と、思っていました。ケガをして
からベットに落ちつくまでの2時間ほど、いろんなことが頭の中をめぐりました。
これまでに私も死ぬかもしれない目には何度か会っており、その度に無事生きることが
できている自分を運がいいと思っています。 幸い、この時のケガも、出血が少なく、痛
みもさほどなく、筋肉の一部を切断することはあったものの、傷の洗浄・筋肉と傷の縫合
(13針+筋肉の分を縫いましたが)の手当てを受けたあとは、破傷風などの感染の心配が
あるということで12日間入院しました。そして、ケガから3週間たたない内に、再び自分
で車の運転ができるまで、自分でも予想外の回復を見せてくれました。
3.集中豪雨で崖崩れ
また7月5日(1993年)の集中豪雨では、伊豆の各所で山(崖)崩れ・土砂崩れが
ありました。この日の豪雨の影響で下の集落から山の農場に至る山道でも崖崩れが5箇所
も発生し、農場内の山でも早朝、山道から農場に入って15・の入口付近の、これまで削っ
てきた山の斜面の土砂が、雨がしみ込んでできる地下水の湧きだし口から湧きだした水の
勢いに押されて、湧きだし口の周辺で崩れて通路の入口(車の出入り口)が、丸一日ふさ
がってしまいました。 次の日、水を含んだ土砂を取り除く(谷のみかん畑に移動して谷
を埋める土砂にする)作業をしました。この作業の時にも私は、土砂を運ぶ土木用キャリ
ーごと崖下にひっくり返るという危ない目に遇いましたが、かすり傷を負っただけで、こ
のあと、一日の作業でなんとか車が農場の外へ出れるようにしました。
これまで山の農場で私は、機械(バックホーと土木用キャリー)の力を借りて、谷を埋
めて平地を拡げる作業をベースにしてやってきました。作業とはいっても、山の土砂を削
り・出てきた石で谷に石垣作り・削った土砂を石垣の手前に落とすことの繰り返しの作業
です。この作業をしながら私は、「人は縄文の昔から自分たちの生活空間として平らな土
地を求めて、この地球に手を加えてきたのではないか─」とつくづく感じます。
しかし人が昔からそうしてきたとしても、この地球の自然の力の前では人は無力です。
大雨・地震・山崩れなどの自然の力を前にすると、私たち人間には成す術がありません。
けれど地球が、人の生活やいのちを土台からひっくり返してしまうことを繰り返すことが
あっても、私たちが、この地球の自然の恵みによって生かしてもらっていることも事実。
人によっては、できるだけこの地球の自然に人の手を加えないほうがいいという人もい
ます。確かに、全くの自然に任せておいた方がよい自然環境もあります。実際、30年前に
みかんの段々畑に開墾された山は、人の手が入った結果かどうかは知りませんが、各所で
土砂崩れの跡が散見され、現在でも大雨の時には段々畑の土砂が流されて崩れている箇所
をあとで発見することがあります。
しかし、人の手が加わる加わっていないのいかんにかかわらず、自然が猛威をふるった
時には、どんな山も成す術もなく崩れるに任せるしかありません。そこで、時には自分で
も自問自答してみることがあります。「これ以上、私もこの山に人の手を加えない方がよ
いのかも」と。しかし、私たちがここを農場として活用していく以上は、もっと平らな空
間(土地)がほしいという私の気持ちに変わりはない。そこでこれからも、山の土砂を削
り、石を積んで石垣を作り、土砂を運び谷を埋めていく、という作業の繰り返しを、いま
しばらく私は続けていきます。
4.山の上にも3年
ご存知のように、私と遠藤滋氏が、伊豆の甘夏のみかん山を手に入れてから、もう3年
という月日がたっています。ところが、年々体力が低下していくという現実からは逃れら
れません。私も遠藤氏も、今年46を数える歳になりました。年配の人からは「まだ若い」
と言われるでしょうが、つくづく、体力というか、体を動かすことへのねばりが、二十歳
のころとは格段の差が出てきたなぁ──と感じてしまうこの頃です。「まだまだ若い」と
思う反面、「もう若くはない」というのが実感です。
この年齢のなせる業なのかも知れませんが近頃、私は夜眠れないことがあります。伊豆
の山にいる時は、外にあるトイレで、夜中の一時、二時頃まで、空の星を眺めて、もの思
いにふけることがあります。東京に戻っている時も、夜中にまんじりともせず、もの思い
にふけることさえあります。
最近、伊豆の山にいる時も、テレビの電波を通して「改革、改革」という合唱が伝わっ
てきます。この合唱の熱気(?)に、うなされている訳じゃないが、一人チリチリとした
ジレッタサ(これを〔ジレンマ〕とでも言うのでしょうが)に、私は体を引き裂かれそう
な気分になったりしています。だからと言って、あせっているやっているつもりはないの
ですが──。
私の3月のケガにしても、入院中の検査で血糖値が高くなることが判って感謝している
くらいです。以後、食事のカロリー量を減らして生活するようになり、3月〜6月の間に
体重を7Kg減らしました。これから先、自分がどれだけ生きれるか知らないが、どれ
だけ生きれるにせよ、自分の運のままに、これから先の時間の中で、自分がいま実現した
いと思っていることを、一つ一つ実現して生活できるよう、自分の体の状態についても少
しは気を配って生きていく必要を改めて知っただけでも、ケガの光明と思っています。
5.難問を前に
しかし、現実には、ぶつかっている難問も小さくありません。こうした難問は、内容の
差こそあれ、誰彼なくぶつかることですが、いまほど自分の力と体力のなさに、私は立ち
往生してしまいそうになります。
わが、盟友である遠藤滋氏にしても、8年くらい前から、頸椎にある神経の骨からの圧
迫によって、しびれや緊張による痛みの出現に、それまで自分で歩いていた生活ができな
くなり、現在では、椅子に座っていることもできない状態で、寝たきりの生活を余儀なく
されています。場所が場所だけに、簡単に手術にふみきることもできず、さりとて、この
まま状態が悪くなるのを黙って見過ごしているわけではありませんが、実際は打つ手がほ
とんど限られているのが現状です。
彼はいま、他人(ひと)の介助を得て、一人ぐらしを続けていますが、介助の手は充分
ではありません。最近、大学が都心から郊外に移転する傾向が続いており、それに輪をか
けて、最近の東京の住宅事情から、学生の生活の場が、都心からどんどん離れていってし
まうことから、現在世田谷で生活している彼は、慢性的な介助者不足に陥っています。幸
い両親が健在で、近所に家がある関係から、介助をしてくれていますが、もうお二人とも
若くはありません。いつまでも、お二人の負担に負うこともできないでしょう。
4年くらい前までは、私も少しは彼の介助をしてきたのですが、伊豆の土地を手に入れ
てから伊豆と東京を行き来する生活をしていることと、自分自身の体力の低下から実際の
介助をすることができなくなっています。
つくづく、生活の場が近ければよいのにと思います。東京にいる間だけでも少しは手を
出せるのに。だが文京と世田谷では、ちょっと自転車で行ってどうこうできるという距離
ではないし、彼のところへ顔を見せることさえ、普段の生活の中で実行できなくなってい
ます。これでも以前は、1、2週間に一度は顔を会わせていたのに──。
6.日本の住宅事情
彼の生活から言えば、現在の住宅は経費の点からも、介助をしてくれる人を募る点から
も利点は少ないということもあって、去年から今年にかけて、立川周辺で、都営住宅など
の公営住宅を申し込むことも含め、住まいを探してみたのですが、結局、現在までのとこ
ろ、新しい住まいを借りることもできず、さりとて、いまいる住まいを寝たきりの状態で
も生活しやすくすることもできないままでいます。
こうした住宅事情はご存知のように、障害者だけが味あわされていることではありませ
ん。一人暮らしの年配の人や、外国からの留学生や出稼ぎの人・日系人も、そうしたあか
らさまな閉め出し(差別)を受けています。 そればかりでなく、こんなことも起きてい
ます。それは、去年のことですが、愛知県の公団住宅に長年暮らしてきた年配の夫婦が、
家賃の滞納などを理由に裁判にされ、明け渡しの決定が出て、追い出される事態に至って
自殺するという事件が報道されました。
新聞記事以上の細かい事情を知りませんがこのことを知った頃、私は「日本の社会はす
でにシステムとして腐ってしまった」と感じ強い怒りを覚えたものでした。これが20年も
前のことなら、「政治や社会が悪い」のひとことで、私も片づけてしまっていたことでし
ょう。ところが、こうした状況に怒りをぶつけたところで、私たちは、未だに政治や行政
の責任とは別の、自分の責任を感じて、そうした事態に自分たちで対処し、解決する「自
分たちの場」を作っていません。
また、伊豆と東京を行き来している人間には、突然ふってわいたように、自分の住んで
いる文京区のなかにも空き地が出現していることがあります。空き地となっていく土地を
見かけると、最近、バブル経済がはじけたとはいえ、未だに地上げが続いていることを実
感します。
でも、そうした空き地には、必ずといっていいほど、第二次大戦前後の一時期、空き地
や雑木林であったなごりの、その当時繁茂していたと見られる雑草や雑木・桐の木などが
忽然と姿を見せ、植物のたくましさに感動を覚えることがあります。
7.今こそ共同住宅を
その反面、またここで年老いた人たちが、生活の場を追われ、理不尽な扱いに、いやな
思いを味わったのでなければいいのだが──という思いに駆られます。
こんなニュースを耳や目にするにつけ、自前の「共同住宅」を一日も早く作りたい──
とつくづく思います。少なくとも、私たちが自分たちで作り上げた空間では、人をはじき
出すことだけはしない──のに。
私たちの「計画」に、人がどんな感想を持つにしても、私たちは、この「共同住宅」作
りを何とか実現したいと考えている。私は、これを実現するために、いま自分の体が2つ
も3つもあればいいと思う。そうすれば、もう少し今より一歩でも二歩でも何か進展させ
ることができるかもしれない。と思う反面、そうであったとしても、自分たちだけの力量
ではどうにもならない現実があります。
私たちは、いまこのジレンマの中で、はっきり言ってもがいています。あきらめるには
早すぎる。さじを投げるほどは何もしていない。しかし、「そのうち──(なんとかしよ
う)」では遅すぎる。
8.いのちを生かす
そもそも、私たちが、この「共同住宅」作りと「伊豆の農場」作りをスタートさせたキ
ッカケは、二人の間でそれまでそれぞれに異なった空間を生きてきた体験の中で感じてき
たことを突き合わせ、議論して、これからの人生をどう生きていくのかを、決めたことに
よります。
それは、これまでの自分の生き方や処し方がどんなものであったにしても、これからは
ともかく、『自分自身がどんな「生命(いのち)」のあり様をしていても、この自分の「
生命(いのち)」を自分で否定することなくとことん生かして生きていこう』。
そして、『「他人(ひと)」のどんな「生命(いのち)」のあり様も否定することなく
「他人(ひと)」との間でもこの「生命(いのち)」をとことん生かしあって生きていこ
う』ということでした。
私たちは、他人(ひと)や社会のどんな状況や場面にあっても、「生命(いのち)」を
生かしあうことだけを貫いて生きていくことで、自分の「生命(いのち)」を否定せずに
生きることを貫いていこう、としています。 そこで、それを体現するものとして、私た
ちは、「生命(いのち)」を生かしあう生活の場として「共同住宅」の建設を考え、「生
命(いのち)」を生かす自分たちの農場として手始めに「伊豆の農場」を作り上げようと
しています。
私たちは、自分たちの体験を通した、障害者が置かれてきた状況から「共同住宅」の建
設を発想するようになりました。だが、障害者の生活のための場として「共同住宅」を考
えているわけではありません。年配の人や若者はもちろんのこと、一人ぐらしの人や夫婦
・子供と暮らしている家族も含め、自分の生活の場を通して「生命(いのち)」を生かし
あい、さまざまな介助の手助けをしあえる場を、共同の仕事(「共同住宅」の建設)とし
て実現したいと思っています。
さらにこの「共同住宅」では、留学生など海外からの人にも開かれた空間を確保し、こ
れまで、街からさまざまな事情で排除され、行き場をなくした人にも開かれた生活の場と
してこの空間を確保したいと思っています。
そして、このことがキッカケとなって、新たな地域・新たな街を、日本のあちこちに実
現できれば──と思うのです。
1996.4. おことわり
今年も甘夏の注文どうもありがとうございます。
今年は、当初予想していた以上に甘夏の生育が悪く、甘夏を試食した2・3月の時点で
は、想像できなかったほどに痛手を受けたようです。
まず、去年の夏の渇水かこの冬の渇水で、実の一部がすかすかになったりして、未だに
玉伸びしない(甘夏の実が大きくならない)実が大量に発生していて、こうした実は出荷
分から除外するので出荷できる実が少なくなってしまいました。おまけに、去年の甘夏の
収穫が多かった分、今年は収穫できる実の量が落ちたこともあって、出荷に回せる甘夏の
量が格段に少なくなっていました。
そうとは知らず、甘夏の注文とりをしたものですから、注文通りに出荷できるかどうか
あぶない状態です。今年は出荷を取り止めてしまおうかとも考えましたが、中には大きく
育った実もあるものですから、とりあえず、収穫しながら、出荷できる分は箱詰めしてお
送りすることにしました。出荷できる甘夏がなくなり次第、出荷を取り止めますので、何
箱か注文していただいた方には次の発送ができないと思います。また、すかすかの実がま
じっている甘夏をはじくようにしていますが、何分にも外から見ての判断なので、ひょっ
としてすかすかの部分が入った実が混じってしまうことがあるかもしれません。その折は
ご容赦ください。 ケア生活くらぶ『いのちの杜』農場