− 論評 殺してもいいいのちと「いのち」を生かし生かしあうこと。−
[戻る]

 
「誇り」をどこに見つけるのか。奇遇殺してもいいいのちと「いのち」を生かし生かしあうこと。「私も障害者よ」。「いのち」の勲章水俣のもやい直し

 
「誇り」をどこに見つけるのか。     2005.8.11

 私たちは、人として誕生し、成長していきます。ところが、現代人の多くは、人として
の存在そのものに「誇り」を見つけることはないようです。自分そのものに「誇り」を見
つけられないことで人は、「誇り」を自分の外に見つけようとしてきました。
 例えば「誇り」という言い方に、「民族の誇り」「日本人の誇り」という捉え方をする
人もいます。この場合の「誇り」は、人の属性に「誇り」を見つけようというものです。
他に、「男の誇り」「女の誇り」なんて言い方をする場合もあります。
 或いは、また、自分が何かをなすこと、成し遂げたことを「誇り」にすることもありま
す。この場合の「誇り」も自分の外から持ってこないと身につかない「誇り」です。そう
したいろいろな「誇り」を、装飾品のように自分に飾りつけて、自分の「誇り」にすると
いう方法です。ほかには、学歴であったり、資格であったり、社会的地位であったりしま
す。時にはブランド品まで「誇り」にする人がいます。
 ところが、病気や事故などの怪我で、体の機能の自由を失う事態に陥った時に、さまざ
まな「誇り」を持っていたはずの人が、「誇り」を失うことがあります。それまでの「健
常」であった時の体の自由を失い、はだかの自分に「誇り」を感じていなかった現実にそ
の人は向き合うからです。
 一方で、生まれた時、すでに体の「健常さ」を失ったり、成長過程の中で、もの心つく
前に出産や病気などで体の「健常さ」を失ってしまうことがあります。これまでの時代、
そういう人は、人としての「誇り」など持つことはとてもできないという認識を、ほとん
どの親となった「健常者」が持っていたといっていいでしょう。
 残念ながら、「健常さ」を失った子供を、そのまま受け入れて「誇り」をもって育てる
ことが、ほとんどの親にできなかったのですから。
 こうした時に、「健常でない」子供にとって、「民族の誇り」「日本人の誇り」という
ものは役に立ちませんでした。むしろ、そうした子供の存在を、「民族の面汚し」「家系
の汚点」として、忌み嫌ってきた時代もあったのです。私のつたない知識では、少なくと
も、1945年代までの戦争をはさんだ日本の社会がそうでしたし、またナチス時代のド
イツもそうでした。
 これとは、逆に、「健常でない」子供の教育の場で、「民族の誇り」「日本人の誇り」
を謳歌する教科書を取り入れる傾向が最近あります。「民族の誇り」「日本人の誇り」を
教え込めば、「健常でない」子供が、「誇り」をもって生きていけるとでも思っているの
でしょう。或いは、また、「健常でない」子供は、とても「誇り」をもって生きていける
存在ではないから、せめて「民族の誇り」「日本人の誇り」という属性を、彼らに教え込
めば、「誇り」を自覚できるようになるというのでしょう。
 でも、現実には、「障害」と向き合って生きている子供は、そのような「誇り」が何の
役にもたたない現実に直面します。あくまでも、「障害」をともなう体であるということ
は、「劣っている」とされるのですから。「劣っている」という認識のもとに置かれてい
る限り、とってつけたどんな「誇り」で飾りたてたところで、自分そのものを「誇る」こ
とにはならないのです。
 そこで「誇り」を持つために、「健常者」以上に頑張って、何かをなすことで「誇り」
を手に入れる人(障害者)も中にはいます。何かをなしとげるということ、それはそれで
すばらしいことだと私も思います。でも、何かを成し遂げたというその「誇り」が、もと
もと自分には「誇り」が持てないという自覚の元で成し遂げるのだとしたら、さぞかし、
その何かをなしていく過程は、言うに言われぬ苦しさをともなうことでしょう。そして、
そうしたことで「誇り」を手にする障害者にとっては、何かをなすことなく過ごしてしま
う障害者が、永遠に「誇り」とは無縁の存在に見えてしまうのでしょう。
 でも、私やドキュメンタリー映画『えんとこ』の遠藤滋氏のつたない体験から自覚して
きたことからすれば、私は、どんな重度の障害であろうと、障害者には、誇るべき事実が
あったのだと思っています。そして、私たちが身体に抱えている障害とは、その誇るべき
事実の証だったのです。
 だからといって「障害がすばらしい」といっている訳ではありません。「障害」はその
人にとっても、軽いほうがいいに決まっています。もっといえば、ないにこしたことはあ
りません。でも、起こってしまった現実、出会ってしまった現実を変えることはできませ
ん。
 では、何が「誇るべき事実」なのか。
私たちは、人として誕生し、成長し、その過程で、さまざまな困難に出会うことがあり
ます。それは、私たちが、「いのち」に拠って存在している、生物であることの宿命であ
るともいえます。そして、私たちの「いのち」の中には、その直面した困難によって、体
の機能の一部を失うことがあっても、生きることを諦あきら めずに生きていく「いのち」も
あります。私たちが人として「生きることを諦あきら めない」と自覚する前に、「いのち」
そのものが意志を働かせて行動しているといってもいいでしょう。
だから逆に、自分では「死にたくない」「生きていたい」と思っても、「いのち」それ
自体がショックに陥って死ぬことさえあるのですから、人としての「意志」ではどうする
こともできない領域の力がそこには存在しているともいえます。
 それぞれの「いのち」が直面した困難を、まさに乗り越えて生きてきた証が、体に現れ
た障害なのです。だから、その人にとって障害とは、自らの体が傷ついても、粘り強く生
き抜いてきた「いのちである」という「勲章」なのだともいえます。私や私に連なる障害
者たちが、諦めずに生きつづけている「いのち」に拠って存在しているということだけで
も、本来は「誇るべき事実」なのだと思います。しかも、障害というはかりしれない労苦
と困難の中を「いのち」は生きつづけていくのですから、これまた、「いのち」の「誇る
べき事実」なのだと思います。
 しかも、私の場合でいえば、他人(ひと)と比べれば確かに「劣っている」という小児
マヒの後遺症によるか細い左足が、健気けなげ に私の「いのち」の歩みを、58年も支えてく
れているのです。自分でいうのも何ですが、『なあ、お前(左足よ)、頑張ってよくやっ
てくれているよな。ありがとう。これからも、まだまだしばらくは、私に付き合って、私
の「歩み」支えてくれよな』と思うのです。私は「劣っている」と見られてきたこの左足
に、感謝こそすれ、忌み嫌うなどもってのほかだと、いまでは思っています。そして、こ
のことに、もっと若い二十歳位の頃に気づいていれば、私はもっとのびのびとした気分で
自分に「自信と誇り」をもって、人生を歩んでこれたと思っています。
 私が「これだけ」といっても私の気持ちなのですから、実際には、ほかの人には目に映
りませんが、「感謝しても感謝したりない」と思っているのですから、たまたま、母親か
ら小児マヒの免疫を受け継いで、小児マヒを引き起こすウイルスに感染しても、発病せず
に済んだ「健常」の人は、さぞかし私以上に、何倍も何十倍も感謝して生きてきたんでし
ょうね、とひるがえって尋ねてみれば、これが、なんと、「感謝」のかの字も聞こえてく
ることは少ないのです。どうしてなんでしょう。
 どうしても、他人(ひと)と比べて「ああはならなくてよかった」とか、「自分はここ
が劣っている」とか、果ては、「自分のここが嫌いだ」なんて聞こえてくる始末。どうし
て、これまで無事に「健常」の体を支えてくれている自分の「いのち」に目を向けて「感
謝」しないのでしょう。当たり前と思いつづけていることで、時には傲慢ごうまんさを生み、
自分より「劣っている」人を蔑さげす んだりもしているのですから、あきれてものがいえま
せん。
 こうしたことに気づかせてくれた「障害」とは、私にとって私の「いのち」の「誇り」
以外の何ものでもありません。私が、時に「健常」の体でこれまで生きてきたとするなら
ば、私もイケスカナイ、無知蒙昧な「健常者」の一人として傲慢ごうまんに振る舞っていたか
もしれないのですから、私は「障害者」になれて、むしろよかったと、いまでは思ってい
ます。「ひと」の「いのち」というものに目を向けて、ものごとを見つめ、考えるきっか
けを与えてくれたのが、私に降って湧いた「障害」なのですから、その面からも「感謝」
はつきないと思っています。
 そして、障害のあるなしに関わらず、自分と向き合って、自らの「いのち」を否定する
ことなく生きている「ひと」に出会う時、私は「いとおしさ」を覚えるのです。

 
奇遇  2005.9.9

 今年(2005.4)初めて出会った人に、ふれあい倶楽部という移動サービスを文京区で始め
た人で安倍さんという人がいる。安倍さんは、出会ってからこれまでに、私と遠藤滋氏の
構想である「ケアを前提にした共同住宅」を創ろうという話に、いま、積極的にかんでく
れています。
 その共同住宅の構想の文京区編ともいうべき白山上の土地を候補地にあてて(実は、こ
の安倍さん、私たちの構想とは規模は違うが、同じような構想をもって、それを実現でき
ないか考えていて、この土地に食指を感じていたそうです)、「やっちゃば(江戸時代、
この白山周辺は農民が住んでいて、江戸市中の野菜の供給地で、〔やっちゃば〕といわれ
ていた)共同住宅」のイメージやアウトライン作りにお互いのアイデアをぶつけあって、
お互いの家を行き来して話をするようになった中で、ふと私が以前に同棲結婚をしていた
時に、実は、八百屋お七の墓のそばのアパートに3年ばかり(1979〜1981)暮らしていた
ことをもらしました。
 そうすると、安倍さんは、その後に、お七の墓のあるお寺の入口にある家の一階を借り
て住んでいて、奥さんが「赤ちょうちん」の店をやっていたというのです。
 私は、当時、白山のアパートから、西台の都営住宅に引っ越しても、実家で写植を仕事
にしていて、仕事先に、お七の墓の前の坂をあがった所に住んでいて、デザインを仕事に
していた人がいて、時々、写植をたのまれていたので、仕上がったものを届けに、バイク
でこの坂道を何度も通っていました。
 その日の夜、寝る段になって思い出したことは、午前中によくこの坂を通る時、赤ちょ
うちんの家の入口の石段を掃除していた女性を何度となく見かけていたことを思い出しま
した。また、引っ越してからも、この寺の参道横にあったガラス屋さんのおじさんたちと
は挨拶をかわす中だったので、そのガラス屋さんにもたまには立ち寄ったものでした。
 住んでいた時から数えて24年もたって、今年、出会ったのが、その「赤ちょうちん」の
店を奥さんがやっていたという安倍さんだったのです。これが、縁というものなのでしょ
う。でも、すべてを見て、知っている人がいるとすれば、そういう人は笑ってしまうかも
しれませんね。

 
殺してもいいいのちと「いのち」を生かし生かしあうこと。

 梅雨の季節とはいえ、梅雨晴れ(陰暦でいう五月晴れ)の蒸し暑い日、私がよく利用す
る地下鉄の駅のホームで、盲導犬と一緒の女性に会いました。犬がこの日の暑さにまいっ
ていて、駅のベンチで休んでいた女性の足元で、ホームの床に目一杯腹這いになって、体
温を下げようとしていました。私にとっては、この駅で、盲導犬と一緒の人と会うのは始
めてだったので、その女性が座っていたベンチの横に私も腰を掛けて話をしました。
 その女性は、二十歳頃に失明したということでした。私の場合、右足の大人の足に対し
て、私の左足は小児マヒで子どもの足というアンバランスであること。子どもの頃は、自
分の足を「悪い」という意識でとらえ、感謝することになるなど考えてもいなかったが、
いまでは、このか細い、いたいけな左足をもったこの体が、私のいのちの歩みを支えてく
れて、58歳になる私の歩くという行動を支えつづけてくれているという自覚ができ、この
足(この体)に感謝して生きていることを話ししました。
 翻っていえば、人は自分では自覚することはほとんどないけれど、私たちの体は、肺を
通して呼吸して酸素を採り入れ、炭酸ガスを吐き出し、心臓では黙々と、血液の中に溶け
込ませた酸素や体の養分を体のすみずみまで運び出して、体の細胞に溜まった炭酸ガスや
養分などの燃えかすを「おしっこ」として体の外に送りだす仕事を休みなくしてくれてい
ることで、私たちは「いのち」を支えてもらっているのですから、本当は誰でも、自分の
体に感謝して感謝したりないということはないはずなのに。現実は、自分の体に不満たら
たらだし、自分の体の一部であれ「嫌いだ」といってはばからないという浅ましさ。
 でも、例え、光を見たり、音を聞いたり、手や足や体を動かせなくなったとしても、ま
た、心が「いのち」としての自分の「生きる行為」を否定することがあっても、それでも
黙々と、私たちの体は文句一ついわず「いのち」を支えるために働いてくれている。
 だから、目で光が見えないというハンディがあっても、自分の体が、それでもめげずに
「いのち」を支えるために働いてくれていることに感謝していることを、自分から言って
いき、自分の体に不満たらたら言い、自分の体の一部であれ「嫌いだ」といってはばから
ない人に、私たちより恵まれた体でいられることに感謝してしたりないということはない
ことに気づいてもらおうじゃないか。という私の思いを話し、電車がホームに入ってきた
ので、電車には乗らなかったその女性とは「握手」をして別れました。
「他人(ひと)をさげすむこと」よく見聞きしますよね。子どもだけでなく、大人の世
界でも。時には、自分でも言ってしまったりということがありませんか。私の場合、子ど
もの頃のけんかの時に、「びっこ、びっこ」と言われ、蔑まされた側にいました。言われ
たことをいまでも恨んでいるとかいうことはないにしても、言われた側は、言われたこと
を忘れることはありません。戦時中、日本人が「朝鮮人」「中国人」といって蔑んできた
ことを、いまだに、言われた側の人が忘れていないように。
 でも、蔑まれた側の人の中には、蔑まれたことで抱いた恨みの感情をそのまま引きずっ
てしまうことがあります。そして、いつか、この恨みを晴らしてやろうと。こうした、感
情が爆発して、起こってしまう殺人などの事件を、最近立て続けに見聞きしています。
 また、現実に、いま子どもたちに見せている日本は、気に入らない、気に入らなければ
力づくで押さえ込んで従わせてしまおうというアメリカの戦争を、正しいといい、支援す
るといって「軍隊」を送り込んでいる姿を見せています。こうした国の姿に、子どもだけ
でなく人は何を学んでいるのでしょう。「ああ、自分の気に入らなければ、また自分の欲
求を満たすために、他人(ひと)を殺して解決するという手段があるのだ」と。それが正
しいかどうかは別にして、当面の自分の置かれている状況を打破する簡単な方法があった
のだと、それをしてもかまわないのだと思ってしまう人がいるから、こうして、日本ばか
りか、アメリカのみならず、様々な国の中で、理由なき殺人や、理不尽な殺人が蔓延する
のだと、私は思います。
 そして、この殺人などの事件が、少年などの間で起きるたびに、学校などの教育関係者
から、いのちを大切に「しなければならない」、という発言をよく聞きます。でもそもそ
も、いのちを大切にする?とは、どういうことなのか。また、いのちを守るという言い方
をする人もいます。大切にすることと守ることは同じなのでしょうか。
 「大切」とは、・重要で貴重なさま。・ぜひ必要なさま。・注意して扱うさま。だいじ
にするさま。とある。さしずめ、いのちを大切にするとは、いのちを大事にするというこ
となのだろう。大事にするの大事とは、形容動詞の説明では、・たいせつ。・ていねい。
とある。言葉からは、判っているつもりになれる表現ではあっても、私にはいま一つピン
とこないというか、意味がはっきりしない。
 ところで、いのちを大切に「しなければならない」という言い方をする人は、ほんとう
に、いのちを大切にしたいと思っているのだろうか。大切にしたいと思っているなら、大
切にすればいいだけです。でも、いのちを大切に「していない」から、いのちを大切に「
しなければならない」という枠づけ(規制・強制ともいえる)の中に人の意識を放り込め
ば、いのちを大切に「できる(していける)」とでも思っているのでしょう。
 そもそも、いのちを大切に「しなければならない」とは、別の言い方をすれば、いのち
を貴重なものとして扱わなければならないということなのでしょう。でも、貴重なものと
して扱うことでいいのだろうか。また、いのちを守るでいいのだろうか。どんな人も、い
つの日か、いのちの鼓動を止める時はやってくる。そもそも、いのちを守ることなどでき
ないではないか。

 ところで、初めの話に戻りますが、いのちを大切に「しなければならない」と口にする
人は、「いのち」を支えてくれている自分の体に感謝する心を持って生きているのだろう
か。「いのち」を支えてくれている自分の体のすみずみにまで感謝しているのであれば、
その人は、自分の体(いのち)を否定して生きていない訳ですから、他人(ひと)の「い
のち」も生かして生きていくことができるでしょう。ところが、自分の体に不満たらたら
言い、自分の体の一部であれ「嫌いだ」といってはばからない、自分で自分の「いのち(
体)」のありようを否定する人は、残念ながら、他人(ひと)の「いのち」を生かすこと
などできないのです。他人(ひと)の「いのち」を生かすことができないだけでなく、逆
に他人(ひと)の体の一部であれ他人と比べて劣っていると評価したり、劣っていること
を蔑んだりして、「いのち」を否定して生きてしまうのです。そして、「いのち」を否定
し続けている人だから、「(せめて殺し合うことのないように)いのちは大切にしなけれ
ばならない」と語ることしかできないのです。
 「いのちを生かす」には、自分を支えている「いのちの営み」を黙々と休まずに続けて
くれている自分の体に感謝することだ私は思う。「いのちの営み」を黙々と続けてくれる
自分の体に感謝するのであれば、自分がどんな体でいても、その自分の体をもう否定する
ことはしない訳ですから、あとは、その体が「いのち」の歩みを止める時が来るまでは、
「いのちの営み」の害になるようなことは自分からはしないで、その「いのち」を生かす
ことだけを考えて、あなたも私も自分を生かして、自分のやりたいことをやって生きてい
けばいいのです。こうして自分を生かすことができれば、他人(ひと)との関係において
も、「いのちを生かし生かしあって」生きていくことができると私は考えています。
 私も含め多くの人が、縄文時代の遺物に興味をひかれ、憧れさえいだくのは何故だろう
と思います。もし、縄文時代にあの発想豊かな縄文土器の出土がなく、石や骨を加工した
道具類や装飾品などの出土しかなかったならば、果して、人は縄文文化に心をひかれただ
ろうか。たぶん、いまほど見向きはされなかったでしょう。
 縄文文化にひかれる理由は、縄文文化を営んだ人びとが、お互いに補い合う集落の絆で
結ばれ「いのちを生かし生かしあう」生活をすることで、あの発想豊かな土器に象徴され
る文化を創造できたのではないのかということを、人はうすうす感じ取っているからでは
ないだろうか。それは、現代の人びとの生活から失われた、人と人とが「いのちを生かし
生かしあう」絆が、あの時代に存在していたのだろうとうすうす感じているから、懐かし
さとともに、憧れさえいだくのだと思うし、かつてこの日本列島では、「いのちを生かし
生かしあう」絆で結ばれた人と人の生活が、実際に営まれていた証拠が縄文土器なのだと
私は思う。
ところで、「死にたい」というその人の意志が有ろうと無かろうと、他人のいのちを勝
手に奪う人の心理には、自分のいのちは他人によって否定されたり、理不尽に扱われてき
たという思いが根底にあるようです。でも、現実には、他人(ひと)によって自分を否定
されたり、自分が理不尽に扱われてきたとする以前に、自分の「いのち」を支えてくれて
いる自分の体に感謝する気持ちを持つ前に、自分の体の一部であれ「嫌いだ」といっては
ばからず、自分の体や社会的な境遇に不満たらたら言い、自分で自分を否定して生きてし
まっているのです。おまけに、他人のセイにして生きているのです。
 また、自分のいのちは守るけれど、他人(ひと)のいのちはどうなっても構わないとす
ることも、他人からすれば「あなたのいのちなどどうなっても知るものか。例え殺されよ
うが勝手にしてくれ」と思われたり、言われたりすることになるのです。
 確かに「愛する人を殺されたら死刑制度に対してどう考えるかわからない」と思う人も
いる。もちろん、そんな事件などに遭遇しないに越したことはない。でも、現実には、ど
こかで、誰かが、そんな事件に遭遇しているのも事実。「殺されてもいいいのち」も「殺
してもいいいのち」も作らない人と人の絆を、毎日の生活の中に改めて「自分から」作っ
ていくしか、根本的な解決法はない時代にあると私は思う。
 要は、私たちは、これまでの社会生活をつづけ、どこかで、誰かが、事件に遭遇してい
くのをこのまま見過ごして生きてしまうのか、それとも「いのちを生かし生かしあう」絆
に基づいた生活を実現することにより、「いのちを否定し、否定しあってやまない」生活
から抜け出していく方策を求めて生きていくのかということが問われているのです。この
ことに関しては、私はあくまでも「いのちを生かし生かしあう」絆を取り戻す生活を、ど
こまで、どんなふうにできるか判らないにしても、とりあえずは自分の周りから築いてい
きます。
 その、一歩が、自分の「いのち」を支えてくれている自分の体に感謝していることを、
人に伝えることなのです。こんな私でさえ、自分の体に有り余るほどの感謝をしてもした
りないと思う感謝の気持ちで生きていることを。こんな話を聞かされたあなたはどうなの
でしょう。そして、せっかく(よりによって)、この時代に、この地球に、人としてのい
のちを持って登場し、出会うことのできた私たちだから、お互いに「いのち」を生かし生
かしあって生きていこうと。
 ここで私たちが、しっかり出会うことをするならば、自分と他人という垣根を越えて、
私たちは、自分たちをとりまく他人(ひと)の手に委ねられている生活を自分たちの手に
取り戻せるのです。自分たちの生活の置かれている状況を自分たちで変えない限り、社会
が変えてくれることなどないし、自分たちの手で生活を変えて初めて、「いのち」を生か
し生かしあう姿に社会に変わるのです。
 それでもあなたは、まだ立ち止まり、傍観者なのですか。 2005.7.7

 
 「私も障害者よ」。

 最近は、こうした言い方を耳にすることは、私の場合はまれですが、以前、人と話をし
ている時、よく「私も障害者よ」と言われたものでした。確かに、あらゆる能力も具備し
ていて、完璧であるという人はまずいない。どこかに、欠点や自分の気に入らないところ
を抱えていることのほうが多い。だから「私も障害者よ」というのである。
 でも、近頃の私の理解の仕方では、ほんとうに、自分に対してそんな評価をしていてい
いの?と、疑問に思っています。確かに、他人(ひと)から、自分の身体的な特徴をから
かわれたり、蔑まされたりすることがあったとしても、自らの、哀れな体験に慰めを求め
るだけでいいの?と。また、自分もあなたのいう「障害者」と同じなのよ、みんな同じじ
ゃないということで、私があえて「障害者」という言葉に依拠してものごとを考えたり、
語るのがよく分からないという。
 「障害者」が、日本社会の中で歩まされた歴史や、現在の社会での扱われ方をみれば、
そこには、いまだに「差別」や人間性をないがしろにされるという不当な扱いがなくなっ
てはいません。だから「障害者」は特別なんだと、私がいいたいのではありません。いま
の私が「障害者」という時、自分の体に現れた機能障害を引き受けて、自分から逃げずに
生きていくという、前向きの姿勢をそこには見ています。しかも、最近の私の認識では、
「悪い」とか「劣っている」といったイメージがある「障害」があったとしても、それで
も、私(たち)の「いのち」は、残されたあらゆる感覚や機能で、健気にも私(たち)を
支えてくれている。それだけでも、私の「機能障害」をともなった体に感謝してもしたり
ないと考えているのです。
 ところが、私もあなたと同じ「障害者よ」と、健常な人がいう時、では、私たち「障害
者」よりもより優れた機能を持ち合わせているその体に、その人は果して感謝しているの
だろうかと、疑問に思ってしまう。本来なら、私が私の「いのち」を支えてくれている体
に対して感謝する以上の感謝をするのが当たり前と思うのですが、どうなのでしょう。私
には、私もあなたと同じ「障害者よ」という人からは、これまでのところ、自分の「いの
ち」を支えてくれている「体」に「感謝」する思いの断片さえ伝わってきません。
 その最たる例が、これまで、社会的にも経済的にも肉体的にも、なんの問題もかかえる
ことなく過ごしてきた人が、癌になったり、腰や足の痛みで歩けなくなった時に見せる姿
です。「なんで私(だけ)がこんな目にあってしまうのか」と。病気になったり、歩けな
くなったことへの「恨み、つらみ」が聞こえてきます。ということは、これまで、順風満
帆に過ごしてきた自分にさえ、感謝していなかったということになるのです。そして、時
には、自分より「劣っている」人を見て、蔑んだり、差別したりもしてきたのです。
 したがって、健常な人が「私もあなたと同じ障害者よ」という時、実は、自分の「いの
ち」を支えてくれている「体」に対して「否定的な評価」をしているのです。現在の私が
「障害者」という時、自分の体の機能障害を「ダメ」なものとしてはみていません。その
まま(自分の体から逃げようもない、しょうがないということであっても)、そうした自
分を真正面に引き受けて生きていく、ということなのですから、健常な人がいう、「私に
も劣っているところがあるのよ」という話と訳が違うのです。
 確かに、他人と比べれば「劣っている」ということであっても、「劣っていようがいま
いが」いまの自分に感謝して生きているのですから。ましてや、「劣っている」とされる
体の機能が、それでも、いまの私を支えてくれているのですから、まさに「健気に頑張っ
ている」その機能に感謝しているのです。もう、悪いなんて一言も思っていないし、他人
が「劣っている、悪い」なんて評価したり、いったりするのであれば、『まだあんなこと
をいっている。〔バカ〕じゃないの』、そのうち、自分になんかあった時には、とんでも
ない落ち込みを味わうという「しっぺ返し」を自分で食らうしか生き方を知らないんだか
らと、哀れみさえ覚えるのです。
その一方で、他人(ひと)のどんな「劣っている」とされる姿の人に出会っても、「あ
あ、すごい、そんなになっても、生きることを選んで生きて、いのちを支えてくれている
んだね」と、その人を抱きしめたくなるのです。
 『よくぞ頑張ってる「いのち」の人よ、お互いもっともっと胸張って生きていこうよ』
って。ところが、現在の日本の社会では、初対面の人をいきなり「抱きしめる」なんてこ
とができないのが現実です。したがって私は、せめて「こんにちは」と挨拶したり、出会
った人と握手して別れることで、とりあえず我慢してはいますが。
 それでも、「私も劣っているのよ」なんて、自分を卑下してあなたも生きていくのです
か。ましてや、最近の若い人の口から『私は、自分のここが嫌いだ』なんて、飛び出して
きます。よくそんなことを人前でいいふらして、平気でいられるな、と関心すらしてしま
います。「嫌いだ」といってはばからない人を、ほんとうに好きだって思ってくれる他人
(ひと)がいると思っているのだろうかと。「嫌いだ」といってはばからない人を、好き
だなんていうのは、ほんとうの好きだになりっこないと私は思ってしまうのですが、どう
なのでしょう。自分から他人を遠ざける「バリヤー」を張るものだと、私には思えるので
す。
 実は、いま生きていられるすべての人が、本来は、『よくぞ頑張ってる「いのち」の人
よ、もっともっと胸張って生きていこう』と、お互いに讃え合うことができるはずだし、
そうすることでお互いに「いのちを生かし生かしあう」ことができると私は思うのです。
ムゲに他人のいのちを奪ったり、否定したり、しかも、自分で自分を否定して生きるなん
て、まさに「バカ」なことだと思いませんか。            2005.7.15

 
「いのち」の勲章

 「障害は個性」という捉え方をする人もいます。この捉え方を悪いといって、批判する
つもりはありません。でも「障害」をもっと「誇り」高いものとして捉えることができる
と、最近、私は思うようになりました。では、「障害」を何と捉えるのか。
「障害」について、「いのち」が自らの困難な状況に陥った時や、また現に困難な状況
が続いている時に、それでも生きることを健気にも選んで生きている「いのち」たちの、
困難な状況のバロメーターという理解をすることができます。つまり、その「いのち」た
ちが、どれだけ大変な困難に巡り合っているか、また巡り合ってきたのかという象徴であ
り、そのどれだけ大変な困難な状況の中で、それでも健気に生きている「いのち」のたく
ましさを表すものが、「障害」だったのだと私は思うようになりました。
 つまり「障害」とは、その「いのち」のたくましさそのものなのです。障害の程度が重
ければ重いほど、その「いのち」は困難な状況をしたたかに生きている証であり、誇るべ
き「いのち」であることの「しるし」が「障害」なのですから、それを「いのち」の「勲
章」と呼ばずに、なんと呼べはいいのでしょう。そんな訳で、私は「障害」を「個性」な
んて位置づけておくのは、もったいないことだと思うようになりました。
 確かに、その「勲章」がとてつもなく大きなものであればあるほど、その「いのち」は
困難な状況にさらされ、本人もまわりの家族たちも大変です。それでも、健気に生きてい
る「いのち」に触れる時、その「いのち」たちが、応え、投げかけてくれる無心の笑顔の
すばらしさを私も知っています。だから、どんな状況に「いのち」が置かれている、どん
な「障害」であっても、それは「いのち」の「勲章」なのだと私は思います。
 あなたも「障害」を「勲章」なのだと理解した時には、そうした「いのち」たちを、い
とおしく、だきしめることができるようになるのです。もっといえば、抱きしめたくなる
のです。そして、そうした「いのち」たちをだきしめることが、実は自分の「いのち」も
だきしめることになると、きっとあなたも実感するはずです。  2005.7.15pm7:00
 でも、健常である人が、自分の何々が劣っているから「私も障害者よ」などといって、
障害者が「障害」にもめげず「いのち」を支えてくれている体に感謝する気持ち以上の感
謝を、「いのち」を支えてくれている自らの「体」にしないのであれば、結局は自分の「
いのち」さえも「いとおしく」思えなくなってしまうのです。
 そして、自分が生きていることに感謝できない訳ですから、自分の体を、その一部であ
れ自分で悪くいったり、自分で自分を嫌いになったり、自分で自分を否定して生きること
になるばかりか、他人(ひと)を羨うらや んだり、他人(ひと)を妬ねたましく思ったり、
他人(ひと)が自分より「劣っている」なんてことになると喜んだり、また「劣っている」
とする人を蔑さげす んだりという感情や価値観しか持てなくなってしまうのです。そうした
状況に落ち込んでいく心は、さらに、こうなったのは「ひとのセイ」と、責任を転化する
ことしかしないのです。もともと、自分の責任で自分を生きていないのですから。

 ところで、「自己責任」という言い方があります。自分の責任で自分を生きる時にだけ
使うのでしたら、問題はありません。しかし、この「自己責任」を、まわりの人がその人
に責任を押しつけるために乱用するとどうなるか、考えたことがありますか。しかも、こ
うした乱用をする人は、大抵の場合、自分の責任で自分を生きていないばかりか、「ひと
のセイ」に責任を転化することしかしない人たちなのですから始末におえません。
 例えば、私や他の障害者が障害をもったことも「自分の責任」にされてしまいます。わ
が身に伴うことになった「障害」を引き受けて生きるのは、確かに自分の責任です。でも
私がポリオウイルスに感染したこと。また、他の障害者が、仮死状態で生まれたこと、失
明したこと、耳が聞こえなかったこと、歩けなくなったこと、これらも、そうなった本人
の責任ということになり、引いては家族、そういう劣悪な遺伝子をもった家系の責任とま
で拡大解釈されることになるのです。かつて、日本でも、そうした拡大解釈によって、障
害者家族が差別されたり、蔑まされてきた時代がありました。

 
水俣の「もやい直し」
 
 2005年7月16日〜18日にかけて、国内旅行では初めての飛行機に乗って、九州の水俣に
行ってきました。私自身、ポリオ (小児マヒ) による後遺症で左足に障害を伴って生きて
きた障害者ですが、水俣の工場排水 (有機水銀) 中毒による被害者の運動には、関心はも
っていても、これまで直接かかわったり、訪ねたことはありませんでした。その直接の理
由は、水俣が、水俣病による患者運動として、原因企業であるチッソや行政の責任を追求
する被害者としての立場を全面に出して運動していたからです。
 私たち病気や仮死状態で生まれて障害を負うことになる障害者は、他人の責任による事
故や薬害や医療過誤、工場災害や公害などによって障害を負うことになる人たちとは違っ
て、その原因の責任を他人に求めることはできません。逆にかつては、私たち障害者が生
まれることは、自分や家族の責任、家系の遺伝のセイにされました。だが、自分や家族や
家系の遺伝子のセイでもありません。
 他人 (ひと)の「セイ」にできない障害者として生きてきた私にとって、障害を負うこ
とになった責任を追求する被害者としての「患者」運動には、心情的な応援はしても、止
む終えず距離をおいてきました。私や他の障害者にとって、この起きてしまった障害を前
提に、この我が身の元、主体的に生きていく術を取り戻すにはどうしたらよいかというこ
とが大問題だったからです。
 今回、水俣へ行って、「もやい直し」という言葉を初めて聞きました。もともとの「も
やい直し」とは、漁船をつなぎ合う縄が絡み合ってしまった時、それを元の絡んでいない
状態に直すことをいうそうです。患者とチッソという企業に依存して生きていた水俣市民
との間で絡み合った人間関係を結び直すための「もやい直し」をしようというのです。
 でも、現在の日本の社会の心の風土にあっては、すべての人にとって「心といのち」の
「もやい直し」が必要なのだと私は思います。そこで私が感じている、それぞれの立場か
らの「心といのち」の「もやい直し」をする術 (すべ)について書いてみます。
 
障害者としての「もやい直し」
 
 私についていえば、物心ついて二十歳 (はたち)までの頃ですから、1957〜1965年にか
けて、「おまえは足が悪いけれど、頭はいいんだから、頑張れば他の人に負けない、だか
ら頑張って勉強しなさい」と親や親戚の人からなげかけらた言葉に象徴されるように、当
時は、「障害」は「劣っている」というイメージで捉えられていました。そして、それを
散々聞かされた私や他の障害者も、「自分は劣っている」というイメージで自分を捉える
ようになってしまいました。
 ここでは、詳しい、心の葛藤の過程について述べることは省きますが、58歳になった今
では、「このか細い私の左足が、健気にも私のいのちの歩みを支えてくれている」のです
から、健常の人以上に何倍も苦労して頑張ってきたこの足に、またこれからも頑張って、
私のいのちの歩みを支えてもらう訳ですから、どんなに感謝してもしたりないことはない
と思っています。だから、「悪い」といわれ、「悪い」と思われたこの足も含めて、私の
「いのち」を支えてくれているこの私の「体」のすべてにいまでは感謝しています。
同様に重度の障害に巡り合った「いのち」たちにしてみれば、どんなに「いのち」とし
て生きることに酷い制約を受け、痛めつけられても、それでも生きることを選んで、「い
のち」を支えてくれている「体」なのです。そうした「いのち」としてのたくましさ、し
ぶとさを現しているのが「障害」なのですから、「障害」とは、私は「いのち」の勲章だ
と考えるようにしました。「障害」を個性という人も、障害者の中にはいますが、個性と
いう表現に止めておくのは勿体ないと考えています。もっと、評価の基準をあげてやって
もいいのが「障害」なのだと思います。
 現実には、まだ、私のように考える障害者は日本でも、数少ないと思いますが、重度の
障害であればあるほど、この「いのち」の勲章をいっぱい持っているのですから、重度の
障害者であればある程、私は自分の「いのち」に誇りをもって、自信を持って生きていっ
てほしいと願っています。また、私の目には、「障害」にもめげず生きている「いのち」
であればあるほど、いとおしく見え、「よくぞ生きてきたね」と抱きしめたくなるのは、
私一人ではないと信じています。
 
健常の人の「もやい直し」
 
 ところで、私たち障害を伴って生きている者が、こんなふうに「自分の体」に感謝しな
がら生きはじめているのだから、健常の体で生きてこられたあなたは、自分の「いのち」
を支えてくれている「自分の体」に、私たちの何倍も何十倍もさぞかし感謝しているのだ
と思いますが、どうでしょう。
 ところが、最近よく健常の若い人の中から、「私は自分のここが嫌いよ」なんて言葉が
聞こえてきます。さてさて、どうしたことでしょう。また、「私のここが劣っている、だ
から私も障害者といっしょよ」なんて話が出たこともありました。私たちは、「劣ってい
る」とされる自分の体そのものに感謝して生きはじめているというのに。健常の人は、自
分で自分を嫌い、ひとと比べて自分の劣っている部分を競っているのですから、そうした
人を見ると、私の目には、いま「いのち」を支えてくれている自分の体への「感謝」の念
のかけらすら映りません。そればかりか、自分の境遇に「恨み、つらみ」をいい、世間の
「セイ」にして生きてしまっている人もいるのです。どこで、そういう人は、自分の体を
生きるのは自分という、自分が自分の主人公になる術を見つけるのでしょう。
 
患者・被害者の「もやい直し」
 
 現在、水俣の水銀中毒で障害を負わされた人は、水俣病の患者という言い方がされてい
ます。これは、ハンセン病の人にも共通することだと思いますが、患者が患者のままでい
る限りは、医療の対象として、医師の管理の元に置かれ、一人一人の人間としての主体的
な自己形成がおろそかにされてしまいます。この指摘は、今回の旅行でいっしょになった
東京の脳性マヒの須田雅之君の指摘でもあるのですが、例えば、私たち子供の頃からの障
害者が、訓練こそが唯一の解決手段であるかのように、「歩く」ことを強要され、大人に
なってみれば何の役にもたたなかったという結果を目にして、子供の頃の訓練は何だった
のかと思う障害者が少なくないし、そうした障害者が、主体的に自分を生きる術を身につ
ける方法を学ぶということがおろそかにされてきたように、患者さんという扱いの中では
同様の扱いがあったのではないかという危惧を感じます。
 障害をもたされた原因が他人にあり、その人たちの責任であるということは、水俣の水
銀で障害を負った人にとっては当然のことですが、それとは別に、水銀による神経障害で
体の「機能障害」を負ってしまった体を目の前にして、常に、いま、自分のやりたいこと
を持ち、それを実現する手だてを自分から切り開いていくという生活を、一人一人の人が
実現できていればそれでいいのです。いまさら、患者という言い方を変えることで変わる
というものではないので、言葉はこれまでのままでもいいのです。でも、自分が自分の主
人公であるという生き方を一人一人の人が出来ていないのであれば、それを一人一人の人
が実現できるようにすることが、これからはこれまで以上に重要だと私は考えています。
そうした「こころ」の「もやい直し」が、これからも水俣の患者や地域の障害者のみなら
ず、日本の障害者全般にいえることはいうまでもありません。
 水俣の杉本栄子さんも語っているように「(私たちは)生かされている」という表現を
することがあります。私たちは、地球の生命によって「生かされている」のは、紛れもな
い事実です。海や山野の生命の存在があればこそ、こうして、人は、呼吸もできるし、食
べ物も手に入れられる訳ですから。だからといって、私たちは人間関係においても「生か
されている」とはいわないほうがいいと、私は考えています。確かに、人としての謙虚な
姿は、うつくしいと思います。しかし、重度の障害を持つ人であればある程、自分は「生
かされている」といってしまうと、その人が、自分が自分の主人公であるとして積極的に
生きる姿が、私には見えなくなってしまうからです。
 人間関係の中では、「いのちを生かし生かしあう」という絆を築くのがいいと、私は考
えるようになりました。そこでは、健常者が障害者にやってやるという一方的な関わりが
成立しているのではなく、健常者が障害者とかかわることで、障害者によって健常者も生
かされるという、相互の関係を自覚して、お互いに主体的な立場に立って生きていく姿を
現す言葉だからです。そして、これからの時代を生きる「もやい直し」としては、どんな
人も自分が自分の主人公として生きる生き方を切り開くことが重要だからです。
 もう、これ以上、ムゲに他人のいのちを奪ったり、否定したり、しかも、自分で自分を
否定して生きるなんて、やめにしませんか。現実に、いま生きていられるすべての人が、
本来は、『よくぞ頑張って「いのち」を支えてくれている「体」よありがとう』といえる
訳だし、その「体」で生きられる「いのち」としての「誇り」を持って、もっともっと胸
張って生きて、お互いに生きていることを讃え合うことができるはずだし、そうすること
でお互いに「いのちを生かし生かしあう」ことができるのですから。
 
支援者・健常者としての「もやい直し」
 
健常の体を持つあなたも「障害」を「勲章」なのだと理解した時には、そうした「いの
ち」たちを、いとおしく、だきしめたくなることでしょう。そして、そうした「いのち」
たちをだきしめることが、実は自分の「いのち」もだきしめることになると、きっとあな
たも実感するはずです。
でも、健常である人が、自分の何々が劣っているから「私も障害者よ」などといって、
自分の「いのち」を支えてくれている自らの「体」に感謝しないのであれば、結局は自分
の「いのち」さえも「いとおしく」思えなくなってしまうのです。本来なら、健常であれ
ばあるほど、障害者が「障害」にもめげず「いのち」を支えてくれているその体に感謝す
る気持ちを持つ以上の感謝の気持ちを持って当たり前だと私は思うのです。そして、そう
した感謝の念に絶えない人であれば、「いのちを生かし生かしあう」生き方ができるはず
だし、そうした発言を聞けるはずなのに、残念ながら私はこれまでの人生の中で、まだそ
ういう人に出会ったことがありませんでした。
さまざまな市民活動の中で、よく「共生」という言葉を耳にします。特に障害者も健常
者も「共に生きよう」とか、また、政策のスローガンとして地域社会の人の間で「共に生
きよう」という呼びかけをしています。でも、ほんとうにそうしたいというなら、いま、
実際に「いのちを生かし生かしあう」ことを自分の生活の中で、人とのかかわり合いを通
してやればいいのです。でも、いうだけで、やっていないから、相変わらず「共生」とい
う言葉を繰り返すだけで、「共に生きる」という具体的な話が出てこないのです。
いずれにしても、いまの自分を支えてくれている「いのち」の営みに感謝して、自らの
「いのち」を生かして生きることで、「こころ」の「もやい直し」をし、その上で人 (ひ
と)との間で「いのちを生かし生かし合う」生活を実現しているのであれば、何もいうこ
とはありません。でも、そうした生活を実現するためには、障害者・健常者の区別なく生
活の基盤である「住居」においても、お互いに「住まう」ことを支え合う「ケアを前提に
した共同住宅(ケアつき共同住宅)」が欠かせないと、私と私の友人でもある『ドキュメ
ンタリーえんとこ』の遠藤滋氏とは、20年前から考えて、「ケアつき共同住宅」を創りた
いと試行錯誤しながら生きてきました。
ところが、これまでの19年間に、私たちのメッセージを聞いたことのある健常の人たち
からでさえ、自分の生活の場としても、いっしょに「ケアを前提にした共同住宅」を創ろ
うという具体的な声は聞こえてきませんでした。
共同住宅といえば、これまでにも住む人が集まって建てるものがあったではないかとい
う話が聞こえてきますが、これまでの共同住宅というものは、経済的には自立し、持てる
ものが集まって作るというものが相場で、例えば重度で、これまで働いたこともない、経
済的にはどうにもならない人に扉を開いているかというと、そういう共同住宅は、私の知
る限り皆無です。
結局は、多くの人がそうであるように「自分を生きる」という枠の中で生き、普遍的な
「いのち」に基づいて生きるという生き方を他人 (ひと) との関係においてやっていなか
ったという訳で、相変わらず「共生」という言葉を繰り返すことはしても、具体的には何
一つ聞こえてきません。だから、こういう人たちは、ほんとうに「共に生きたい」と思っ
ているのか、と、時々疑問に思うことさえあります。
まして、自分が生きていることに感謝しない訳ですから、自分の体を、その一部であれ
自分で悪くいったり、自分で自分を嫌いになったり、自分で自分を否定して生きることに
なるばかりか、他人(ひと)を羨うらや んだり、他人(ひと)を妬ねたましく思ったり、
他人(ひと)が自分より「劣っている」なんてことになると喜んだり、また「劣っている」と
する人を蔑さげす んだりという感情や価値観しか持てなくなってしまうのです。そうした状
況に落ち込んでいく心は、さらに、こうなったのは「ひとのセイ」と、責任を転化するこ
としかしないのです。もともと、自分が自分の主人公になれるのにならないで、自分の責
任で自分を生きていないのですから。
その意味で「こころといのち」の「もやい直し」は、障害者以上に健常の人にとっては
重要です。そして、具体的に「いのちを生かし生かしあう」生活を実現するにはどうする
のか、私たちの方策と違ってもいいのですから、少なくとも自分の術を持ってくれること
を私たちは願っています。
 でも、多くの人は、相変わらず「障害」を目にすると、「ああはならなくてよかった」
「ああなったら自分はおしまいだ」といって、自分のいのちを支えてくれている「体」に
障害者以上に感謝することさえしないのです。逆に「ああはならなくてよかった」といっ
て「感謝?」する始末。だが、これまで順風満帆に人生を歩んできた健常の人であればあ
るほど、病気や事故で自分の体に障害を負うことになると「なんで自分がこんな目にあう
のか」と、これまでのように自分のいうことを聞いてくれなくなった自分の体を目の当た
りにして、自分の運命を呪ったり、自分の不運を嘆くことになるのです。翻っていえば、
これまで、そういう人は、いかに応用能力に欠けた生き方をしていたのかという証にしか
なりません。でも、そういう人でも、事故や病気の手術などの眠りから目覚めた時に、失
った体の一部を嘆くのではなく、失った部分があっても、まだ生きることを選んで、健気
に頑張っている「いのち」の存在に気づき、「ああ自分はまだ生きていてもいいっていっ
てくれているんだ」という受け止め方で、感謝の念が持てるようになることを、子供の頃
から一人一人孤独な中を障害と向き合って生きてきた、私たち障害者としては願ってやみ
ません。                                         2005.7.21

[戻る]