歌謡としての「君が代」と「国歌」の間
もともと日本には歌垣(うたがき) という伝統があり、奈良・平安時代以降の日本にあ
っても、民間で歌われた歌謡が平安時代、雅楽の影響を受け宮廷歌謡となった催馬楽(さ
いばら)や東国地方の人々に歌い継がれた民謡風の東歌が東遊びと共に取り入れられ、中
国などから伝えられ田楽や猿楽に影響した散楽(さんがく)や百済人が伝えた伎楽(ぎが
く)の影響もあって、『古事記』や『日本書紀』の記紀歌謡や『万葉集』の中にもある歌
謡(短歌などの歌詞)を生の声で節をつけて歌い、時には楽器の生演奏のもとで、それに
合わせて舞うことや、平安中期に貴族の間に流行し主に宴席で行われた漢詩文の秀句に節
をつけて朗吟した朗詠が最高の楽しみや娯楽として、古代人の間ではふんだんに行われて
いたのだと思います。
そうした歌謡の一つとして誕生したのが「君が代は」の歌謡でした。この歌の元歌は、
『古今和歌集905 紀貫之』(1223.7.22藤原定家書写) の「吾 (あ)が君は千代に八千代に
細さざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」で、40、50、60歳などになったことを祝福して
節 (曲) をつけて歌われた作者は不明の賀の歌=いま風に言えば、ハピーバースデーと歌
う誕生日の歌詞として、九百年代には、たぶん多くの人の間で歌われた有名な歌だったか
ら、紀貫之は賀の歌のトップにこの短歌を撰 (えら) んだのでしょう。また、広く流布し
ていたから、「吾 (あ)が君 (わが君とも)は千代に八千代に (千代にましませとも)細
さざれ石のいはほとなりて苔のむすまで (苔むすまでにとも)」などと替え歌も誕生したの
だと思います。九四五年、壬生忠岑撰の『和歌體十首』では 「わが君は千代にましませ細
さざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」とあり、『和漢朗詠集1013藤原公任』(775番) は
『古今和歌集』と同じで、第一句が初めて「君が代は」になるのは『和漢朗詠集1228版』
からで、これらの歌詞は、室町時代には『曽我物語』巻六「五郎大磯へ行きし事」の条や
『結城戦場物語』にも引用され歌われている。また、江戸時代にも、謡曲、浄瑠璃、小唄
にまで引用されている(『君が代の歴史』山田孝雄著を参照)。
また「君が代は」の「細さざれ石がいはほとなりて」は、中国の『酉陽雑俎ゆうようざっそ 』段
成式だんせいしき撰 (今村与志雄訳・平凡社発行東洋文庫401)の「江かわに望んで寺があって、寺
の前は、漁師や釣り人が集まった。ある漁師が、網を下ろし、それを引き上げたところ、
重くて網が痛んだ。よく視ると、挙こぶし ぐらいの石が一つあった。そこで、寺の僧にたの
んで仏殿に置いてもらった。石はそのまま成長し、一年たって、重さが四十斤 (日本の尺
度から推計すると23.36 ・または70・) になった」話から来ているという。
魯迅によれば、『酉陽雑俎』は「中国の伝奇集および雑俎」で、「酉陽(地名)」の逸
典を訪ねた「雑俎」=雑録、文集という意味で、本当にあった話のように装った「小説」
すなわち怪異譚や戯作で、段成式は「正統的な学問とはいうもおこがましく」と記してい
る。それでも、たぶん仏教信仰の御利益の逸話として日本には取り入れられ、「小石 (細
れ石) 」が「巌 (いはほ=岩秀の意か。高くそびえ立つ大きな岩) 」になるなど、さらに
誇張されたにもかかわらず、ことほぐ (言祝ぐ・寿ぐ=祝福する) 歌の歌詞として歌われ
たのが、「あが君は」や「君が代は」であった。
もともと日本人の潜在意識の中に、巨石に対する信仰や畏敬の感情があって、日本語が
形成されてきた結果、「細さざれ石がいはほとなる」ことに矛盾があっても、40歳、50歳代
で亡くなる人が少なくなかった時代、千年、万年も生きることはないと判っていながら、
いま風に言えば、胡麻すりのおべんちゃらの表現であっても、あなたのいのちが千年もあ
るようにとか、それでも足りずに八千年も続くようになんて願ったり、「死んでもあなた
を愛します」と誓うのと同じで、「いはほとなりて」と歌われることにも喜びを感じてき
たのが日本人の「君が代は」の歌謡だったといえる。
また「苔のむすまで」は『万葉集』「(228)妹が名は千代に流れむ姫島の小松がうれに苔
生こけむ すまでに」の影響もあるという。だが、「君が代は」の歌詞が、日本の伝統だ、日
本の国の誇るべき歌だと思っているとしたら、中国の作り話まで模倣することも日本の伝
統になってしまう。けれど、奈良・平安時代を中心に、盛んに中国の文物や風俗・習慣を
取り入れてきたことを思えば、そもそも、日本の伝統とは、中国から取り入れた文物や風
俗・習慣の物真似なのだから、それでいいんだというのであれば、民俗歌謡の祝い歌の歌
詞として江戸時代になっても日本の津々浦々で引用されて歌われた「吾が君は」や「君が
代は」の歌詞が「国の歌」になったとしても不思議ではない。
だからなのか、古代人が尊敬をこめて語った御前 (おまへ) や貴様(きさま) を、御前
=おめえ、手前=てめえ、貴様=きさま、などと捨てぜりふに使っている現代に、「君、
お前さん」と、軽蔑の意を含んで人を呼んだ「わ先生=わせんじゃう」を、「先生=セン
セイ」と呼び変えて喜んでいる人が、「君が代は」の歌詞を「国歌」だと決めた。
でも、『古今和歌集』の賀の歌の中に「天皇」を「君」と呼んだものはなく、そもそも
賀の歌=「あが君は」がのちに「君が代は」と変わった、現代風に悪く言えば盗作、良く
言えば替え歌が、広く日本の歌謡の歌詞として歌われてきた歴史があるのは確かだが、そ
の歌詞を、明治以降、昭和初期の1945年までの間に、「君」が「天皇」を象徴し、「君が
代」が「天皇のみ世」を意味していると思い込ませて、むりやり「君=天皇」と「君が代
=天皇の治世」を意味すると曲解させたことが、日本の伝統に叶うことであり、しかも、
中国の作り話を真似た歌詞を、日本の誇るべき「国歌」だとして何の疑問も感じない、言
わば、中国の単なる伝奇小説の「太鼓持ち」の、わ「先生=せんじゃう」が、日本の伝統
や日本の誇りなどと語る可笑しな話ではある。
そもそも、私たち人間は、いのちに支えられて生きています。このいのちに支えられて
生きるということは、その究極の姿が死である限り、本来、いのちは傷つき、その体の機
能は失われていくものです。でも、自分が傷つき、体の機能が失われることに対する不安
からか、自分自身や自分のいのちに誇りを持たない人、持てない人は、日本人だから日本
人である自分を「誇る」というように、自分自身にではなく、自分の属性に誇りを求めた
り、何かをなすことでしか人は自分に誇りを持てないと思っています。
例えば、自分はこれこれのことをしてきたとか、また、「君が代」を唱和すれば、その
ことに依存して自分に誇りを持てない人でも、みんなが同じように愛国心や日本人として
の誇りを持てるようになると思っているのか、日本の誇るべき「国歌」だとして唱和する
ことを、繰り返し強制しようとしています。
破廉恥にも、「君が代は」が、中国の作り話をもとに歌っていることも、恐らく知らな
いのでしょう。こんな「君が代は」でも、他人から強制されて歌ったりすることで、日本
の社会は良くなると思い込んでいるのでしょうか。しかし、自分の属性や他者に依存する
ことで得られる誇りが、自律した人間を創り出さないことは、すでに証明ずみで、裁判所
や検事・警察組織の人や一般の官僚組織の人や弁護士・教師・建築家に至るまで、自分の
欲望を満たすために犯罪に手を染めたり、自分 (たち) の利益を得るために陰でこそこそ
謀る人間を、繰り返し輩出している事実を見れば明らかである。
人のいのちは、さまざまなウイルスや細菌にさらされています。そして、それらのウイ
ルスや細菌は、時として、人の体の中に侵入してきます。しかし、多くの場合、その人が
母親から受け継いだ免疫をもとに、自らの体も培った免疫の力によって、発病しないです
みます。でも、ポリオのウイルスやハンセン病の細菌のように、その人の免疫の力がたま
たま弱かった時には、発病してしまいます。また、幼い時の病気や出産時の事故で、いの
ちが傷つくことや、加齢からくる病気やケガによって、歩行が困難になったり、自由な行
動が出来なくなったりします。
そうして、体の機能を失い、障害をともなって生きることになる人が、生きることにお
いて制約された状況の中を、ケナゲにその人を支え続けている「いのち」に敬意を払いこ
そすれ、ジャマな存在、厄介ものとして扱ったり、子供によく見られるようにバカにした
り、或いは大人になってもさげすんだりするということは、そうしているすべての人が、
実は、将来の自分が傷つき失うことのあるいのちを、厄介ものとして扱ったり、バカにし
たり、さげすんだりしているにすぎません。
つまりは、自分のいのちさえも否定して生きているのです。
それに対して、私は、ポリオによる軽度の障害を伴って、すでに57年生きてしまいまし
たが、腰痛に見舞われながらも、健気に自分の歩みを未だに支えてくれるか細い左足に、
どうしてもっと早く感謝する気持ちを持てなかったのか、と、いまでは思っています。私
のいのちは、40度というボリオウイルスによる高熱に4日間さらされ、死の淵に立たされ
た時、神経の機能の一部を失っても、生きることを選んで生きてくれたいのちです。この
いのちは、いまでは私の誇り以外の何ものでもないし、そのいのちがいまも私を支えてく
れることに私は感謝しています。
しかし、障害をともなって生きている「いのち」に敬意を払うどころか、ぞんざいに扱
い、侮蔑さえしてしまう浅はかな人は、これまで無事に自分を支えてくれている自分のい
のちにすら誇りを持つこともなく、そのいのちに感謝するのでもなく、逆に「ああなった
らお終いだ」と言って、自分で自分のいのちのありようを否定してしまうから、自分が自
分の主人公になれず、他人 (ひと)や回りの状況に流されて「こうなったのはすべて人の
セイだ」として、他人の存在 (いのち) を否定し、その結果として人を殺すようなことも
起きてしまう。
でも、自分を支えてくれている自分の「いのち」に気づき、その「いのち」を何よりも
誇りに思い、自分を支えてくれる「いのち」に感謝する気持ちを持てれば、人は、「いの
ちを生かし生かしあう」人の絆と、「いのちを生かし生かしあう」社会の絆を手にするこ
とができるはずです。
2006.4.23 白砂 巌