若さをカビらすな
若さをカビらすな/
母なるガンジスに/
いつまでも居ると思っていた/
小山洋子ちゃんへ。/
理不尽な死と怒りの連鎖/
河島英五の歌を聞く/
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若さをカビらすな 1987年6月24日
ありのままのいのちを肯定し
いのちを生かしあって生きようという
わたしたちのメッセージにふれた
若さを生きる二十代の仲間へひとこと伝えたい
わたしたちは、仲間のひとり
佐久間康志くんの野辺送りという
事実を突きつけられた
彼のあまりに突然の死に
同じ世代の君たちとしては
ショックで動揺したり
別れの悲しさに打ちのめされたことだろう
それは、わたしとしても同じである
わたしたちは、彼と
ほんのわずかな時間しか持てず
いのちを共に生かしあえたとはいえない
だからといってわたしたちは
彼の分を生きることはできないし
このまま彼を死なせてしまうこともできない
わたしたちのいのちがある間
わたしは、君たちにも常に
彼といっしょにたちむかって
いのちを生かしあって生きてほしい
だからいつも君たちのとなりに彼をおいて
君たちのぶつかることに
常に彼とたちむかってほしい
そして彼がひとりガンにたちむかった勇気を前に
いのちを生かしあえなかった
自分たちのおろかさをなげいて
あたら若さを費やし
若さにカビを生やしてしまわないで
わたしたちも自分の勇気を示そう
二度と同じおろかさを繰り返さないと
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母なるガンジスに 1988年5月15日
(馬場康行くんに贈る)
あてもなく生きることにあきたらず
若さの向うに求めた旅。
母なるガンジスの流れに向かって
君は何を見たのですか
教えてください
生まれることと死ぬことが となりあわせに
一日をくり返す大地
母なるガンジスのみなもとをたどり
君は何を感じたのですか
伝えてください
君は旅の途上でやまいの果てに
生きて帰れぬ日々を送る
母なるガンジスの朝焼けの影は
今も映していますか
君の足跡を
旅のおわりのヒマラヤは歌ってくれますか
今も君の心に
母なるガンジスの
息づく大地がささやくやすらかな唄
聞かせてください
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いつまでも居ると思っていた 1989年12月25日
まんが家をこころざしていた関口慎吾君。
彼はひとりでよく広告紙の裏に絵を書いていた。
だが、そうして書かれたものは、今は何一つ残っていない。
彼がイラストを意識して書きはじめたのは、14、15歳からである。
わすか7、8年のことで、
しかも彼が本腰を入れて書いていたのはここ5年のことである。
ここには、その彼が書き残した7、8年の作品を収めてある。
翼をひろげ、まさに飛びたとうとした途上の22歳と6ケ月。
彼を知る誰もが、いつまでも続くと思っていた。
いつまでも居ると思っていた。
1966.6 東京・新宿で生まれる。
1973.2 慶応大学病院で進行性筋ジストロフィーと診断される。
1977.12 母を肺ガンで失う。
1979.9 病状進行により2学期より車椅子生活に入る。
1982.3 新宿区立四谷第二中学校を卒業。
1982.4 東京都立光明養護学校高等部に入学。
1988.12.20 風邪より肺炎を患い、救急車で東京女子医大病院に入院。
1988.12.25 同病院にて呼吸不全におちいり死亡。享年22歳。
1989.12.25 関口慎吾イラスト集『SHINGO』発行。
1994. 9. 7 父関口金保氏、呼吸不全で死亡。享年71歳。
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小山洋子ちゃんへ。 1991年10月25日
伊豆の旅行(1991.10.7〜9)で、あんなに元気にはしゃいでいた君が
いのちの歩みをとめてしまったという知らせ、病院で聞きました。
信じられない、信じたくない話に、ひとりで君のことを思っています。
まだ少女のままでいたい気の、はたちの多感な舞台の中で
時々わたしたちをビックリさせ、話を聞けば筋の通らないことに
全身でぶつかって、決してひるむことはしなかった君が
突然、自分の舞台で自分を演じることをやめ
もうわたしたちの前に、二度と登場してくれないという。
この間の伊豆への旅行をたのしかったよと喜んでくれたという話に
よかったねという思いと、ホッとした思いを感じています。
信じられない、信じたくない夜に、
ひとりで君のにぎやかな声と笑顔と笑いと
そしてこまやかな心づかいを思い出しています。
伊豆の旅行の、明日は帰るという晩、一人で外に出ていて
トイレに起きた私をびっくりさせ、あれがホタルの光だよと
みかんの木の葉かげで小さく点滅する光を教えてやると
夜中の3時まで、そのホタルの光を見つめていた二つのひとみ。
あの時の
君のひとみの中で点滅をくりかえしたいくつもの小さな光は、
君の心に何を語りつづけていたのだろう。
少女の多感な夢の中で、おとなを意識し始めたばかりの
君の時計は、君の時をきざむのをやめたという。
信じられない、信じたくない事実に、私は
君に語りかける言葉をこの先も知らない。
たぶん、これからもずっと、きみには私たちと
生きつづけてくれることを願わずにはいられない。
生きつづけてくれることを求めずにはいられない。
はたちの死。急性心不全。 入院中の病室にて。
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理不尽な死と怒りの連鎖 2001年9月16日
アメリカで、大きなビル(貿易センタービル)に
飛行機(旅客機)が、乗っ取られ、突っ込んだ。
そこには飛行機の乗員・乗客も
ビルにいた人たちも、乗っ取り犯もいた。
飛行機の突っ込んだビルは燃え、
そのあげく、ビルは崩れ落ち、
大勢の人が戻らない。
乗っ取り犯を別にすれば、
多くの人が理不尽な目に遇った。
多くの人が理不尽な死を迎えた。
悲しみと怒りが広がっている。
いま、イスラムの戦闘員が、
聖戦といって、アラーの思し召しといって
英雄になるといって、自らのいのちを投げ捨て、
爆弾と共に突っ込んでいく。
繰り返される殺しでのあがない。
罪のない人たちを巻き込む
許せないテロだという。
かつて日本の軍隊は小さい飛行機や船を使って、
若者を訓練し、爆弾をかかえてさせ、
アメリカの船に突っ込ませた。
死んだら神として靖国に祀るといって、
名誉の死だ、天皇のためだといって、
多くの若者が理不尽な死を迎えた。
かつて南京で中国の人々を日本軍が
かつてユダヤ人をナチスが
かつてアフガニスタンでソビィエトが
かつてイラクでアメリカが
かつてアルバニア人をセルビア人が
戦争行為で市民を標的にして殺してきたことも
理不尽な死ではないのか。
罪のない人たちを巻き込み
そこには深い悲しみと憤りと怒りが蓄積されている。
これも許せないテロではなかったか。
けんか・いじめ・虐待、そして、
銃やナイフで無差別にまわりの人を狙う殺人。
これも罪のない人を巻き込む
許せないテロではないのか。
戦争を終わらせるためだといって
かつてアメリカも原子爆弾を
広島と長崎に落とした。
実は新型爆弾の試し撃ち。
そして多くの市民や子供が理不尽な死を迎え
多くの人が理不尽な傷を負った。
世界のあちらこちらでアメリカは
自分(自国)の利益のために
敵の敵は味方だといって
兵器を平気でばらまいて
敵に味方する市民憎しと市民の殺し方も教えた。
飛行機の操縦も教えてやった。
いまだにその兵器で市民が、子供が、
理不尽にもいのちを奪われている。
地雷も無数に与え使い方も教えた。
いまだにその地雷で市民が、子供が、
地雷を踏んで死なないですんだとしても
足などに深手を負い、体の自由を失っている。
これらも許せないテロではないのか。
非難できるだけの反省を私はしているか。
非難できるだけの反省を日本はしてきたか。
非難できるだけの反省をあなたはしたのか。
非難できるだけの反省をアメリカはしたのか。
非難できるだけの反省を人間としてしたのか。
怒りにまかせて兵器を使えば (戦闘をすれば)
理不尽に巻き込まれた人々の心にまた
やり場のない悲しみと怒りを増殖させていく、
悲しみと怒りの連鎖を続けるだけだ。
この「理不尽な死と怒りの連鎖」の詩は、「障害者が語る現代人のいきざま─あなたの
いのちが世界をひらく」に収録したものです。
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河島英五の歌を聞く 2005年7月27日
語らいと雄叫びの私唱説。
なにかいいことないかな。
若い頃の口癖も歌う。
生きてりゃいいさと
優しく歌いかけもするが
熱く生きることを熱く歌い
駆け抜けた人生。
いいことたくさんありましたか。
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