− 食べ物の風土記 −
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現在の「食べ物の風土記」は未完成です。そこで、ここにあげた「食べ物」たちの原
産地・日本に入ってきた経過・食べられてきた歴史・食べられ方・その他関連する事
項を調べて原稿にする作業に、あなたも参加しませんか。原稿には、参考文献や執筆
者の名前を明記して送っていただければ、表現に不備がない限りそのまま掲載したい
と思います。こんなプロジェクトをインターネットを通じて共同作業で進行させてみ
ませんか。どんなものに仕上がるのかを楽しみに。   白砂巌

 
食べ物の風土記 1
 
五穀
 日本の五穀(五穀豊饒の五穀)の起原は、『古事記』によれば、「また食(をし)物を
おおげつひめの神に乞いき。ここにおおけつひめ、鼻口また尻より、種種(くさぐさ)の
味物(ためつもの=おいしい食べ物)を取り出して、種種作り具えてたてまつる時に、す
さのおの命、その態(しわざ)を立ち伺ひて、けがしてたてまつるとおもひて、すなわち
そのおおげつのひめの神を殺した。故(かれ)、殺された神の身に生(な)れる物は、頭
に蚕(かいこ)生り、二つの目に稲種(いなだね)生り、二つの耳に粟(あわ)生り、鼻
に小豆生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆生りき。故(かれ)ここに神むすびのみおや
の命、これを取らしめて、種(たね)と成しき。」とあり、稲・粟・小豆・麦・大豆の五
つの作物が採り上げられていた。また、『神代紀』では、稲・麦・粟・稗・豆の五種を主
食農作物に上げている。なお、岩波の広辞苑では、五穀として、米・麦・粟・きび・豆の
五種類を説明している。
 また、『出雲の国の風土記』には、「此(出雲の大川)は則(すなは)ち、謂(い)は
ゆる斐伊(ひ)の川の下(しも)なり。河の両邊(みぎひだり)は、或るは土地(つち)
豊沃(こ)えて、五穀(たなつもの)、桑、麻稔(みの)りて枝を頗(かたぶ)け、百姓
(おほみたから)の膏腴(ゆたか)なる薗(その)なり。」とあるが、五穀が何を指して
いるのか明らかでない。
穀類
 
 稲・稲科。原産地、インド・アッサムや中国雲南地方。米の種類としては、インディカ
(実が長身型)とジャポニカ(これはずんどう型)がある。日本には、楊子江系列で渡来
した。また、水田で栽培するものを水稲(すいとう)、畑で栽培するものを陸稲(おかぼ
)という。うるちともちがある。精米段階で、玄米・三分づき・五分づき・白米などと区
別する。昭和30年代には、白米を食べていることが経済的に豊かな家庭のシンボルになっ
ていた。近頃の自然食ブームのはしりに玄米は、栄養があるということで、玄米ばかりを
食べ栄養失調になったという話も出た。国によって米の好みが違い、日本ではしっとりし
たねばりのあるものが好まれている。逆に東南アジアやインドではばさばさした米が好ま
れている。だが、戦後しばらく米が自給できなかった日本で輸入した米は、この米だった
ので、日本人からは嫌われ、外米と言ったらおいしくない米の代表のように扱われた。東
南アジアや中国でも米の自給が達成され、輸出国にまでなった近年、輸出専用に作ってい
るアメリカ産米は行き場を失い、日本に市場開放をせまるようになっている。日本列島で
は弥生時代に栽培地が広がる。五穀の一。
 なお『古事記』には、「この人田を山谷(たに)の間に営(つく)りき。」「あしひき
の 山田を作り 山高み 下樋(したび=地中に埋めた木製の水路)を走(わし)せ ─
─」とあり、稲作の初期の頃は、山と山の間の谷筋の水のわき出る処をさがして、田んぼ
を作っていた。
日本では、縄文時代後期中ごろの土器にコクゾウムシの痕跡が残っていたことから、
大麦や稲の栽培が九州で始まっていたことを2006年に小畑弘己准教授らが発表した。
 麦類
 五穀の一。『古事記』の時代の麦は何麦のことか?今のところわからない。
 @小麦
 稲科。粉(小麦粉、メリケン粉)にして、パン・うどんなど麺類・菓子の材料にする。
1955年木原均さんがパン小麦の祖先はタルホ小麦(カラコルム・ヒンズークシ地方原
産)であることを確認。稈(かん・稲科の植物の中空の茎)で帽子や麦稈細工を作ってい
た。
 ほうとう 敬称をつけて『おほうとう』と呼ぶ地方が多い。平安時代に中国から伝えら
れた食べ物であるといわれ、語源は「はくたく」であり、これがほうとうに転化したもの
である。はじめ日本各地にあったものであるが、現在では山梨県を代表する郷土料理とな
っている。山梨は県土の大部分が山地であるため、昔から米作が乏しく、主食として米を
用いることがごく困難であったので、そのため米に代わる食料が平常食となり、小麦粉を
材料とする『ほうとう』はとりわけ、この県の食生活の中心となったため、永い間伝承さ
れてきた。全県的に普及されたたべものであるため、そのいわれはいろいろの形で伝えら
れ、ある所では武田信玄公が川中島合戦の折、将兵の意気を高めるために考えだした陣中
食であったといい、またある地方では凶作つづき農民たちが苦しんでいたのをみた武田信
玄公が、これを救うため指導したたべもので、この材料を細く長く切る際に信玄公自ら伝
家の宝刀で切ったことから宝刀(ほうとう)の名が生まれたなどという、面白い伝えもあ
る。この種の郷土料理に信玄公が出てくるのは、それだけ信玄公の事積が県民に長く親し
まれていたことにもよるが、この料理が中国渡来のものであって、その運搬者が禅宗のお
坊さんたちであったとすれば、禅宗に深く帰依していた信玄公に無関係のものではないも
のといえる。「うまいんだよカボチャのほうとう」という言葉は、今でも県内のどこでも
きくものであるが「ほうとう」のうまさはカボチャにかかわらず、季節の野菜・山菜をふ
んだんに入れて煮込むところにある。いわれがいろいろあるように、呼び名も地方によっ
て異なるところもある。富士山麓の忍野村周辺では「煮込み」といい、富士川沿岸の中富
町では「のし入れ」またその周辺では「のしこみ」と呼んでいる。みそで炊いた野菜類の
中へ、小麦粉を練ってのし、それを切り込むところからこの名が生まれたものであろう。
米飯の代用食であると同時に、寒い地方の冬のたべものとしてはもっとも健康的なものと
いえる。
    材  料           作 り 方
 小麦粉─────300g    1.小麦粉にごく少量の塩を加え、やや硬めに固まる
 塩───────少々      程度に水を入れ、手でよくこねる。30分程ねかせ
 水─────1カップ      もう一度こねる。
 かぼちゃ────150g    2.のし板で打粉をしながらのし、うどんより幅広に
 にんじん──── 40g      切って麺を作る。
 しいたけ──── 30g     3.鍋にだしを取り、野菜を入れて煮たて、2の麺を
 ねぎ──────1本      入れてやわらかくなるまで煮込む。
 煮干し───── 20g     4.麺がすきとおって煮えたら、みそで味付けし、お
 みそ ───── 40g       ろしぎわにねぎをいれ熱いうちに食べる。
 やくみ

  小豆ほうとう 味噌で煮る一般的なほうとうに対して、あずき汁にめんを入れるもの
で「小豆ぼうとう」と呼ぶのが普通であるが、地方によっては「粉ぼうとう」とか「しる
こぼうとう」と呼ぶところもある。味噌で煮るほうとうは平常食であるが、これは行事食
で、むかしは正月や盆および村のまつりそれに、田植えや養蚕のあがりなどに祖霊を迎え
るハレの日以外にはつくらなかった。あずきはもともと五穀の中で赤い色をもつ唯一のも
のであり、日本の民間信仰では赤色は悪魔を防ぐ呪色の色とされたことから、ハレの日の
料理には欠かせないものであった。赤飯・だんご・つけ餅などがその例である。

 A大麦
 稲科。穀物として食用の他、醤油・味噌の材料、実を発芽(麦芽という)させてビール
・飴を作る。稈でむぎわら帽子やその他の細工物を作った。合成樹脂が出回るまでのスト
ローは大麦の稈で作っていた。
 日本では、縄文時代後期中頃の土器にコクゾウムシの痕跡が残っていたことから、
大麦や稲の栽培が九州で始まっていたことを2006年に小畑弘己准教授らが発表した。
 Bはだか麦
 稲科。大麦の一種。食料、馬糧にする。
 Cはと麦(鳩麦)
 稲科。熱帯アジア原産。数珠玉(稲科の多年生草本)の変種。果実は楕円形で、食用、
利尿薬、健胃薬となる。四国麦。雌雄同株。
 Dライ麦
 稲科。耐寒性が強い。原産地は黒海とカスピ海との中間地方。欧米で広く栽培され、黒
パンの原料になる。
 あわ
 稲科。果実は小粒でむくと黄色。米とまぜて飯とし、飴・酒の原料、また小鳥の飼料と
する。今でも、年末から新年にかけてあわずけ(いわしやこはだを蒸してあわの酢づけと
唐辛子で漬け込んだもの)として食卓に上っている。粟餅/もちあわを蒸してついた餅、
粟おこしなど菓子の材料として使われている。山陰地方では7700年前の栽培の跡が発
見されている。五穀の一。
 『播磨の国の風土記』には、「鴨波(あはは)の里、昔、大ともの造(みやつこ)らが
始祖(とおつおや)、古理賣、この野を耕して、多(さは)に粟を種(ま)きき。故(か
れ)、粟々(あはは)の里といふ。とある。
 また、『伯耆(ははき)の国の風土記』では、「粟嶋/伯耆(ははき)の国風土記に曰
はく、相見(あふみ)の郡(こほり)。郡の家(みやけ)の西北(いぬゐ)のかたにあま
りべの里あり。粟嶋あり。少な日子の命、粟を蒔きたまひしに、実りて離々(ほた)りき
(穂がよく垂れ下がった)。即ち、粟に載りて、常世(とこよ)の国に弾じかれ渡りまし
き。故、粟嶋といふ。とある。
 『備後の国の風土記』には「備後(きびのみちのしり)の風土記に曰はく、疫隈(えの
くま)の国社(やしろ)。昔、北の海に坐(いま)しし武塔(むたふ)の神、南の海の神
の女子(むすめ)をよばひに出でまししに、日暮れぬ。その所に将来(という名の人)二
人ありき。兄の蘇民将来は甚く貧窮(まづ)しく、弟の将来は富饒(と)みて、屋倉(い
へくら)一百(もも)ありき。ここに、武塔の神、宿処(やどり)を借りたまふに、惜し
みて借(か)さず、兄の蘇民将来、借し奉(まつ)りき。即ち、粟柄をもちて座となし、
粟飯(あはいひ)等をもちて餐(みあ)え奉りき。とある。
 また、『古事記』には、「みつみつし 久米の子等が 粟生(あはふ=粟畑)には 韮
一茎(かみちひともと=にらが一本まじってはえている) そねが茎(もと) そね芽繋
ぎて 撃ちて止まむ」とある。
 きび
 稲科・うるちともちがある。食用。きび餅(きびの実を蒸してついたり、きびの実を入
れてついた)にした。山陰地方で7700年前の栽培の跡を発見。
日本では、縄文時代から栽培されていた。
 ひえ
 稲科・これまで2300年前の縄文時代晩期のアワとヒエの種子が佐賀県と鳥取県内の
遺跡で見つかっていたが、北海道渡島支庁南茅部町で縄文時代中期(約3800─4000年前)
の臼尻B遺跡の中から、農耕用に栽培されたものとみられる日本最古のアワとヒエの種子
が確認された(87・8・22朝日新聞)という。古来、備荒作物として栽培。四国びえの品
種がある。山梨県上野原・西原近辺では、いまでも、稲作ができないため、畑で粟・きび
・ひえ・もろこしなどの雑穀を作っている。食用または家畜の飼料とする。あわ・きびと
ともに小鳥の飼料として一般には売られているが、これは食用には向かないという。
 もろこし
 稲科。インド原産。和名・もろこし(唐黍・蜀黍)、中国名・こうりゃん(高粱)。別
称、もろこしきび・とうきび・たかきびともいう。粉にひいて団子(もろこし団子)を作
ったり、搗(つ)いて餅(もろこし餅)を作ったりする。また、これを原料に醸造した一
種の香気ある蒸溜酒を高粱酒という。無色透明でやや酸味を呈する焼酎。
 とうもろこし(玉蜀黍)
 唐もろこしの意。稲科。南アメリカ・ペルー原産。食用または家畜の飼料にする。なん
ばんきび、とうまめ、こうらい、つときび、まきび、ともいう。
 そば
 たで科。現在ではほとんどそば粉にする。山陰地方では6600年前の栽培の跡が発見
されている。江戸時代、小麦粉、自然薯、卵白などを入れ、こねて細く線状に切ったもの
(蕎麦切)をゆでて、盛り蕎麦や掛け蕎麦にして食べ出した。そばはつなぎの割合で味も
変わるが、そば粉だけの10割そばを盛り蕎麦で食べる方が、そばの香りは旨い。
 『古事記』には、「宇陀(うだ)の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る 我が
待つや 鴫は障(さや)らず いすくはし くぢら障る 前妻(こなみ)が 肴(な)乞
はさば(おかずを所望したら) 立ち柧梭(そば=蕎麦)の(そばの木のように) 身の
無けくを こきしひゑね(句意不詳) 後妻(うはなり)が 肴乞はさば いちさかき(
ひさかきのように) 身の多けくを こきだひゑね(句意不詳) ええ しやごしや こ
はいのごふぞ(はやし詞)。ああ しやごしや こは嘲咲(あざわら)ふぞ」と、蕎麦が
うたい込まれている。
豆類
 あずき
 小豆・まめ科。原産地はインド。あん・しるこ・菓子などの材料。赤飯(おこわ)に入
れる。五穀の一。
 いんげん豆
 まめ科。五月ささげ(熱帯アメリカ原産。メキシコとペルーの6千年前の遺跡からも出
土している。)の俗称・国連の熱帯農業中央センターには3万の品種が収集されている。
隠元ささげ(フジマメだったらしい)/隠元(江戸前期の帰化僧。明の福州の人。京都・
宇治に万福寺を創建。)が明国から移植したものを言う。主だった日本の品種に金時、ト
ラマメ、うずら、貝殻豆、大福、フジマメなどがある。そのほとんどは明治以降、日本に
導入されたもの。八百屋ではさやいんげんとして目にする。
 えんどう豆
 まめ科。若いさやは、絹さやえんどうとして春の初めに出回わる。
 そらまめ
 まめ科。やらかいものを塩ゆでにして食べる。干して揚げたり、甘く煮た豆菓子になっ
ている。
 だいず
 大豆/まめ科。種子は蛋白質に富み、豆腐・味噌・醤油・湯葉などの原料にする。若い
さやを豆ごとゆでたものが枝豆。大豆の自給率は5%位、枝豆は一部が輸入されている。
大豆をいってひいて粉にしたものがきなこ。また、種子からは大豆油を絞り、食用・灯用
・石鹸の原料にする。五穀の一。
日本では、九州の熊本県三万田みまんだ遺跡や長崎県大野原おおのばる遺跡・礫石
原くれいしばる遺跡から出土した縄文時代後期〜晩期の土器4点にできた種子の圧痕が
、栽培種の偏平型大豆の種子だと突き止めたことを、熊本大学埋蔵文化財調査室の小畑
弘己准教授らがまとめ、9月23日の九州古代種子研究会で発表すると、2007.9.23 の朝
日新聞が報道。
 黒豆
 まめ科。大豆の一種。種子の黒いもの。正月の黒豆がこれ。
 なた豆
 まめ科。熱帯アジア原産。若いさやを福神漬に入れたが、日本での栽培はすたれ、いま
ではほとんど入っていない。
 ピーナッツ
 ペルー北部のアンデス高地で、約7800年前の栽培されたピーナッツの殻が発見されたと
2007.6.29 日付の米科学誌サイエンスに発表されたことを2007.7.2の朝日新聞が報じた。
詳しくは「カボチャ」の項。

芋類(澱粉類)

 里芋
 いえついも・てんなんしょう科。品種が多い。煮物やおでんに欠かせない。葉柄は干し
て煮付にする。なまのくきを湯どおしして塩でもみ、水であらって水きりしたものを三杯
酢にして食べる精進料理がある。いもをまるごとゆでて砂糖醤油で食べたりもする。
 『風土記』の中に、「芋(いえついも)あり。」と、出雲の国では、和多太嶋(現和田
多鼻)・久宇嶋(くう=九島)・粟嶋(黒島の西南方、青島のこと)、小嶋、於豆振の埼
(おつふり=十六島/ウツプルイの岬)などをあげている。
 また、『豊後の国の風土記』に、「豊後(とよくにのみちのしり)の国は、もと、豊前
(とよくによみちのくち)の国と合(あは)せて一つの国たりき。昔者(むかし)、纒向
(まきむく)の日代の宮に御宇(あめのしたしろ)しめしし大足彦(おほたらしひこ)の
天皇(すめらみこと)、豊国の直(あたひ)等(ら)が祖(おや)、菟名手(うなで)に
詔(みことのり)したまひて、豊国を治めしめたまひしに、豊前の国仲津の郡の仲臣(な
かとみ)の村に往き到りき。時に、日晩(く)れて僑宿(やど)りき。明くる日の昧爽(
あかとき)に、忽(たちま)ちに白き鳥あり、北より飛び来たりて、此の村に翔(かけ)
り集(つど)ひき。菟名手、即(やが)て僕者(やつこ)に勒(おほ=勅の通用字で命じ
ての意)せて、其の鳥を看(み)しむるに、鳥、餅(もちひ)と化為(な)り、片時(し
まし)が間(ほど)に、更(また)、芋草(いも=いえついも)数千許株(いくちもと)
と化(な)りき。花と葉と、冬も栄えき。菟名手、見て異(あや)しと為(おも)ひ、歓
喜(よろこ)びて云ひしく、「化生(なりかは)りし芋は、未だ曾(むかし)より見しこ
とあらず。実(まこと)に至徳(みめぐみ)の感(ひびき)、乾坤(あめつち)の瑞(し
るし)なり」といひて、既にして朝庭(みかど)に参上(まゐのぼ)りて、状(ことのさ
ま)を挙げて奏聞(まを)しき。天皇、ここに歓喜び有(ま)して、即ち、菟名手、に勅
(の)りたまひしく、「天(あま)の瑞物(しるしもの)、地(つち)の豊草(とよくさ
)なり。汝(いまし)が治むる国は、豊国(とよくに)と謂ふべし」とのりたまひ、重ね
て姓(な)を賜ひて、豊国の直(あたひ)といふ。因りて豊国といふ。後(のち)、両(
ふた)つの国に分(わか)ちて、豊後(とよくにのみちのしり)の国を名と為せり。」と
ある。
 京いも・やつがしら
 てんなんしょう科。里芋の一種。
 自然薯
 やまのいも・やまのいも科。食べ頃になるのに数年かかる。とろろが最高。あくは強い
が味噌汁やすまし汁でのばして麦(大麦)ごはんにかけて食べるのが旨いとされる。葉の
わきに生じる肉芽をむかごといい、生でかじってもよし、ゆでて食べたりもする。いもを
煮物の素材にしてもよい。すりおろしたものを、はんぺんに入れたり、そばのつなぎに使
う。
 『古事記』には、「ここに倭に坐す后等(きさきたち)また御子等(たち)、諸(もろ
もろ)下り到りて、御陵を作り、すなはち其地(そこ)のなづき田に葡萄(は)ひ廻(も
とほ)りて、哭きまして歌ひたまいしく、なづき田の 稲幹(いながら)に 稲幹に 萄
(は)ひ廻(もとほ)ろふ 野老蔓(ところづら=やまのいものつる)とうたひたまひき
」とある。
 『出雲の国の風土記』(意宇の郡・秋鹿の郡)の「諸々の山野(やまの)に在るところ
の草木」の一つに薯蕷(やまついも)を記している。
 ながいも
 やまのいも科。中国原産。一年で成長する。日本では北海道・青森・長野などの砂地地
帯で多く栽培されている。とろろの他、薄く切ったものを酢醤油で食べたり、まぐろの刺
身とあわせて食べる。自然薯にくらべあくは少ない。煮物にしたり、はんぺんの材料にす
る。
 大和いも
 やまのいも科。ながいもの一種。
 かたくり
 ゆり科。この植物の地下茎から作ったでんぷんを片栗粉と言った。今もその名前だけが
残っている。昔は雑木林に群生していたが、少なくなった。花に独特の模様があり美しい
が、栽培は難しいので掘って持ってこない方がよい。
 くず
 まめ科。秋の七草の一つ。アジア原産。明治年間にアメリカに植えられ帰化している。
古来、吉野(奈良)の国栖(くず)地方は葛粉(くずこ)の名産地として知られ、くずの
名はこの地名に由来するという。人の腕ほどにもなる根には良質のでんぷんが含まれ、葛
粉(これから作ったものがほんらいの葛餅)を取る。これで葛切り、葛そうめん、葛湯、
葛餅、葛根湯などを作る。根を乾したものを葛根湯(かっこんとう)といい、解熱剤にす
る。つるの繊維で葛布を織り、つるで籐行李などを作る。
 『出雲の国の風土記』(意宇の郡)の「諸々の山野(やまの)に在るところの草木」の
一つに葛根(くずのね)を記している。
 くわい
 おもだか科。中国原産。おもだかの改良種。平安時代から食べられている。いまでは、
おせち料理の煮物に使われる。日本(主産地は埼玉)や中国、香港、ブラジルで栽培され
ている。ビタミン類でナイアシン(欠乏すると皮膚炎、舌炎、下痢、不眠などを引き起こ
す)が多く、栄養価は高い。
 百合根
 ゆり科。主に鬼ゆりや山ゆりの根を食用。しかし、近年、山に自生する山ゆりは少なく
なっているのでやたら採取しない方がいい。どうしても採取する時は、根の一部(鱗片)
を土に埋める配慮をしたい。甘く煮たり、煮物に入れる。
 はす
 ひつじぐさ科。すいれん科。はちす(古名)の略。インド地方原産。果実を砂糖漬にす
る。根茎を蓮根(れんこん)といい、食用にする。切って、酢連、煮付、てんぷらにした
り、すりおろして、金沢では蒸しもの(蓮根蒸し)を作ったり、だんごを作って味噌汁の
具にしたりする。
 『古事記』には、「日下江(河内の国の日下の入江)の 入江の蓮(はちす) 花蓮
身の盛り人 羨(とも)しきろかも(羨ましいことだなあ)」と歌われている。
 なお、『常陸の国の風土記』には、「其の社(やしろ=鹿島神宮)の南に郡家(こほり
のみやけ)あり。北に沼尾の池(鹿島町沼尾の沼尾社の西にある沼であるらしい)あり。
古老(ふるきおきな)のいへらく、神世に天(あめ)より流れ来(こ)し水沼(みぬま)
なり。生(お)へる蓮根(はちす)は、味気(あぢはひ)太(はなは)だ異(こと)にし
て、甘(うま)きこと他所(あだしところ)に絶(すぐ)れたり。病める者、此の沼の蓮
(はちす)を食(くら)へば、早く差(い)えて験(しるし)あり。」とある。
 また、『出雲の国の風土記』には、「惠雲(えとも)の池、陂(つつみ)を築(つ)く
(=池に堤を築いてある)。周(めぐ)り六里なり。四邊(めぐり)に葦(あし)・蒋(
こも)・菅(すげ)生ふ。養老元年より以往(さき)は、荷渠(正しくは草かんむりに渠
の字=はちす)、自然(おのづから)叢(む)れ生ひて太(はなは)だ多かりき。二年よ
り以降(このかた)、自然失(う)せて、都(す)べて茎(くき)なし。」とある。
 『肥前の国の風土記』の松浦の郡の記事には、「嶋(値嘉=ちか島)には即(すなは)
ち、──荷(はちす)─あり。」とあり、また、同じ高來(たかく)の郡の記事に、「號
(なづ)けて土齒(ひぢは)の池といふ。──潮(うしお)来れば、常に突き入る。荷・
菱(ひし)、多(さは)に生ふ。秋七八月(ひみつきはつき)に荷の根甚(いと)甘(う
ま)し。季秋九月(ながつき)には、香と味(あじはひ)と、共に変わりて、用ゐるべか
らず。」とある。
 わらび
 うらぼし科。根茎から澱粉を取る。わらび粉で作った餅をわらび餅といい、きなこをつ
けて食べる。山野に自生。
 さつまいも
 甘薯・ひるがお科。中南米原産。さつまいもの原種は、メキシコアサガオであることを
西山市三さんが突き止めた。日本には、十六世紀末から十七世紀の初頭に、初めて琉球に
渡来した。薩摩藩の琉球併合(1609年)で鹿児島にもたらされた。以後、江戸時代の
凶作を薩摩藩はのがれた。藩の主な財源であったサトウキビ栽培を、琉球に過酷なまでに
押しつけることができたのも、さつまいもという食糧が確保されていたからである。富を
蓄え、飢えから解放された薩摩藩は、明治維新の原動力となる。
 塊根を食用とし、酒類・アルコール・澱粉の原料にする。さつまいもはつるも食べられ
る。沖縄や東南アジアではつるも現役の野菜である。いもが太くならず、あくの少ないヤ
エヤマカンダは、沖縄のつる専用の種類。薩摩藩が盛んに栽培したことからさつまいもが
通り名になっている。戦中・戦後の食糧難の時代に日本人はさつまいもでおなかを満たし
た。現在、世界最大のさつまいも生産国は中国。栽培面積は九百万
haで、日本の百倍近い。
年間の生産量は一億二千五百万d。日本の米の十倍であるが、その八割を、1942年に
日本から導入された沖縄百号が占めているという。
 じゃがいも
 馬鈴薯・ポテト。なす科。南アメリカのアンデス山系原産。5世紀ごろには栽培され出
し、当時のティアワナコ文化やそれに続くインカ帝国を支えた。インカ帝国を滅ぼしたス
ペインによって十六世紀の後半ヨーロッパに伝えられた。だが、当時のヨーロッパにはい
もを栽培する食文化はなく、栽培が広まるまで二百年かかったという。日本には、慶長3
年、ジャガタラ(ジャカルタ)からオランダ船が運んだのでこの名がついた。江戸時代は
高野長英らが普及に努めたが、さほど作られなかった。明治以降、長崎と北海道から栽培
が広がった。

根を活用する野菜
 かぶ
 かぶら・あぶらな科。すずなともいう。ヨーロッパ南部からアフガニスタンにかけてが
原産地らしい。春の七草の一。中国の三国時代の蜀(しょく)の智将、諸葛孔明(しょか
つこうめい)は、戦陣を進めた後にかぶの種子をまき、食糧にしたという。若菜つみとは
春の七草つみのことをいい、日本でも、大根とともに古くから栽培されていた。葉や根を
食用。9月にまくと11月には収穫でき、しかも貯蔵がきくので、さつまいもやじゃがいも
が渡来するまでは、代用食としても重要な役割をはたしたという。
 大型の聖護院かぶら(聖護院原産)を漬けたものが京都の千枚漬。赤かぶの漬物も各地
にある。信州の野沢菜はかぶの突然変異種。小松菜はすいな(かぶの一種=京都のすぐき
漬はこれを漬けたもの)の若い時の名前。
 ごぼう
 きく科。根を食用。果実を利尿剤にする。ごぼうは人参とあわせて千切りにして油で炒
めたもの(きんぴらごぼう)が料理の代表格。ほかにけんちん汁に入れる。千葉県の八日
市場市大浦では直径が二十aにもなるごぼう(大浦ごぼう)が栽培されており、成田山の
精進料理に使われている。
 だいこん
 大根・すずしろ/おほね(おおね)ともいった。あぶらな科。春の七草の一。原産地は
地中海沿岸説が有力。日本にたどりついた歴史は古く、かぶとともに文字に残る日本最古
の野菜。大根の栽培は、面積、量とも日本の野菜のトップで、年間二百七十万d生産され
る(最近の数字ではない)。桜島大根(桜島原産)、聖護院大根、練馬大根(たくあん用
として江戸時代に栽培されだす。練馬原産。連作障害により現在は栽培がすたれた)、秋
づまり大根・三浦大根(おでん用)など各地に適応した品種が多い。葉を食用にする品種
や、また、インドには種のさやを食べる品種もあるという。葉はビタミンAが豊富。塩ゆ
でした葉っぱのみじん切りを御飯にまぜて炊くと美味しい。
 『古事記』には、「つぎねふ 山代女(やましろめ)の 木鍬(こくわ)持ち 打ちし
大根(おおね) 根白の 白腕(しろただむき) 枕(ま)かずけばこそ 知らずとも言
わめ」と、また、「つぎねふ 山代女の 木鍬持ち 打ちし大根 さわさわに 汝(な)
がいへせこそ 打ち渡す やがはえなす 来入り参来(まゐく)れ」とうたわれたことが
記録されている。
 にんじん
 せり科。東洋人参と西洋人参があり、東洋人参はアフガニスタン原産。中国経由で十六
世紀に渡来した。硬く、赤が濃い。大阪の金時人参などがこれにあたる。西洋人参はソ連
南部原産。十九世紀から明治初年にかけてきゃべつとともに渡来した。軟らかく黄色っぽ
い。現在、東京あたりの八百屋にならべられているものはほとんどこれ。
 ラディッシュ
 二十日大根・あぶらな科。大根の一種。明治初年、欧米から渡来。古代エジプトでは、
ピラミッドの労働者の食糧にされたという。
ねぎの仲間など
 あさつき
 ゆり科。日本原産。ねぎ類の中では最も細い。海辺に自生している地方もある。
 ねぎ
 ゆり科。中央アジア原産。古くから栽培された。寒さに強いので東日本に多い。関東で
は白い部分を好んで食べ、関西では緑色の多い葉ねぎを好む。
 下仁田ねぎ
 群馬県西部の下仁田町や富岡市とその周辺の特産。なべものに入れて食べると美味しい
ねぎで、栽培が難しくまぼろしのねぎとも言われている。
 わけぎ
 ねぎとシャロット(東南アジア原産)の雑種。自生地は発見されていない。日本でも平
安時代の書物に冬葱(ふゆき)として記録されている。広島、千葉、沖縄の三県で全国の
半分を生産。酢みそのぬたにわけぎを使うと、わけぎの香りと舌ざわりがよいという。
 玉ねぎ
 オニオン・ゆり科の植物の球根。西南アジア原産。生のものは、ガーリックと似た香り
、いわゆる玉ねぎ臭といわれる刺激性の甘い香りと辛み、ほろ苦みがあるが、調理すると
苦みと辛みがなくなり、甘く食欲をそそる香味に変わる。アメリカ大陸は今や世界でも有
数のオニオン生産国であるが、アメリカに最初にオニオンを持ち込んだ人はコロンブスだ
といわれている。食べると体温が上がる。
 にら
 食べると体温が上がる。
 にんにく
 ゆり科。西アジア原産。食用のほか強壮剤としても有名。
 のびる
 野蒜。蒜を蛭と間違えて伊豆の蛭が丘に源頼朝を流したという話もあるが蒜(ひる)
の自生する原ということであった。山野に自生。
 『古事記』には、「いざ子ども(さあ皆の者) 野蒜(のびる)摘みに 蒜(ひる)摘
みに 我が行く道の 香ぐはし 花橘は 上枝は 鳥居枯らし(鳥がとまって枯らしてし
まい) 下枝は 人取り枯らし 三つ栗の 中つ枝の ほつもり(句義不詳) 赤ら孃子
(をとめ)を いざささば(咲かばの意味か) 良らしな(よろしいよ)」とうたわれて
いる。
 らっきょう

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