2020年度6冊目

Ballard, J.G. - High-Rise (1975)
J. G. バラード『ハイ・ライズ』

 

読書期間20.06.04-07.09 07.09掲載


 J. G. バラード(1930-2009)はイギリスのニュー・ウェイヴを代表するSF作家。
 私はかなり以前に代表作とされる『結晶世界』を翻訳本では読んだことがあるが、非常に密に書き込まれた文体が難解で(文、語りともにコンラッドの『闇の奥』が下敷きになってると思った。最近読んだシルヴァーバーグの『大地への下降』ほどあからさまではないものの、英語圏の作家たちに対するコンラッドの影響というのはかなり根強いようだ)、字面からその描かれた世界がイメージしにくく、翻訳の文ともども苦手だった。
 もっと以前にバラード原作、スピルバーグ監督の『太陽の帝国』を観たら、子供だましのような代物でひどくがっかりした記憶がある。しかしこれは原作を読んでいないので何とも言えない。
 ところが、バラードは私にとっては中学時代に最も心酔した3人の作家のひとりでもある(あとは、P.K.ディックとシオドア・スタージョン)。その時は短編小説しか読まなかったのだが、まさにmind blowingな作品群で、以来バラードの名は私の中でいつも特別な位置を占めていた。
 バラードというのはそんな、私の中ではよくわからない、評価の定まらない作家の代表格である。英文は概してイギリスの作家のほうがアメリカの作家よりも難しい。なかでもバラードは密に書き込むので読むのが大変だ。原文で読みたくて短編全集をはじめ、かなりの作品を所有しているが、これまで読んだことはなかった。いや、この『ハイ・ライズ』はこれまでにも何度か挑戦したことはあったものの、真っ黒な「地の文」が前途に延々と横たわっているのに恐れをなして、最初の数ページで挫折してしまっていたのだった。
 今年集中して読んでいるシルヴァーバーグも、密に書き込むことにかけてはかなりのものだ。これで真っ黒な地の文にも耐性がかなりできてきたので、満を持してバラードに挑んでみたという次第。

 話は、ビル内に商店街、プール、小学校まで完備した小世界のようなセレブ御用達の40階建て、1000戸の巨大な高層マンションを舞台に繰り広げられる、悪夢的な退行と抗争の記録。1000戸の部屋がすべて埋まった夜、大規模な停電がビルを襲う。それまでにも空調やゴミの問題、住民間の些細な軋轢などで次第に高まっていた緊張が、それを機に噴出する。マンションは低層、中層、高層でいつのまにか格差のようなものが生じており、その「階級」ごとに団結した住民たちが夜な夜な対決を繰り返すようになる。はじめはただの嫌がらせのようなものだったそれが、しまいには略奪、強姦、殺人にまでエスカレートし、ライフラインをすべて失ったビル内は野蛮な混沌へとひたすら退行していく。
 低層の住人であるTVドキュメンタリー作家のワイルダーは、突き動かされるように暴力と野蛮の世界に順応しながら、最上階の40階を目指して上っていく。
 中層の住人である医師のレインは、突き動かされるように暴力と野蛮の世界に順応しながら、中層の自分の居場所を死守しようとする。
 最上階の住人でありマンションの設計者である建築家のロイヤルは、突き動かされるように暴力と野蛮の世界に順応しながら、鳥と犬と女たちをてなづけ、ビル全体を動物園へと変容させる自らの最終構想を実現させようとする・・・

 医師レインを中心に、3人の物語が交互に語られるのだが、読み進みながら、3人とも同じように自然に暴力と野蛮の世界に順応していくので途中かなりダレた。住人たちの中にはもっといろんな対処のパターンがあるはずなのに、主要3人がみなちょっと変わった似たような性的志向を見せながら暴力に身を投じていくのが退屈なワンパターンに思われた。
 とくにワイルダーの部分が個人的には鬼門で、ジャイアンのような単純な暴れん坊キャラが、腕力にものを言わせて様々な悪行を行っていくのが不愉快でならず、読み進めるのが苦痛なほどだった。一方40階に君臨するロイヤルのくだりは神話のようで、ここへ来てようやく先を読み進める気力もわいてくるといったありさまだった。

 はじめは、何か文明批評的な小説なのかと思ったのだけれど、読み進めるにつれてどうやらそうではないらしいと思うようになった。これは、初期の作品では世界全体を舞台にしていた不条理な終末の物語を、一軒の巨大なマンションに舞台を移して語ってみたものなのだろうと。階級闘争とか、反自然的な集合住宅での生とか、文明の堕落とか、そういうものより、押し流されるように破滅へと向かっていく世界の終わりのいきさつと、それに際して無力な人間がどうふるまっていくかを考察した小説なんじゃないだろうか。

 最後にはいずれ、頂点を目指す野生児ワイルダーと、最上階に君臨する王ロイヤルとの神話的な対決がクライマックスとなるのだろうと思っていたら、確かに対峙はするものの、非常に肩透かしな展開となってしまい、妙に家庭的なレインのエピソードで小説は終わる。な、なんだったんだこれまでの200ページは・・

 中高生のころ、英文にまだ慣れていないころに、英文を理解するにはいったん日本語に直してからでないと意味が頭に入ってこないという時期があった。経験を積むにつれて、やがて英語を英語のまま読み取って理解することができるようになっていったのだが、今でもあまりに英文の情報量が多すぎた場合に、脳の許容量を超えてしまって書かれている内容が理解しきれないということが起きる。いったん和訳してやれば母語として理解できるので、これは語学力や読解力とはちょっと違う問題のような気がする。
 今回もそれが起こり、最後のほうにでてくるエレノア・パウエルという人物が誰なのかわからなかった。読み終えてからPCのほうのCalibreというソフトを使って検索したら前半に時々出てきていた赤毛のアル中気味の「魅力的な」映画批評家の女性だということが分かったが、最後のほうで飼い猫に自分を食わせようとしている衰弱して寝たきりになった人物がそれとはわからず、たくさん出てくる老婆たちの一人かと思って読み終えてしまった。そうなると作品の読み取りにも一定の誤差が生じるわけで(老婆では駄目だが、同世代の女性ならレインは恋愛を成就し、家庭を得たということにもなる)、今回はどうも、そういったことが知らぬ間にいろいろと生じていて、かなり誤読しているんじゃないかという心配がぬぐい切れない。

 いちど翻訳されたものも読んでおいたほうが全容がつかめるかもしれない。
 あと、かなり読み進んでから知って驚いたのだが、この作品、数年前に映画化されていたらしい。評判を見るになんだか随分とオシャレな作品になっているみたいだが、機会があったら是非観てみたいものだ。・・ちょっと失望するのが怖いけれど。

★★★★☆


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