2020年度9冊目

Murdoch, Iris - The Time of the Angels (1966)
アイリス・マードック『天使たちの時』 

 

読書期間20.10.8-11.26 11.26掲載


 アイリス・マードックという作家は名前だけは知ってはいたものの予備知識が何もない。20世紀イギリス文学を代表する女性作家・・なのかな。なんとなく大物感だけは感じる。積読本をいろいろとあさって今読み進める気分になる本を探していたら、たまたま目にとまったので読んでみた。
 
 第二次大戦後の復興期、爆撃を受けて半ば廃墟と化した司祭館に、新しい司祭カレルが赴任してくる。同行するのは一人娘のミュリエルと亡き弟の娘で非常な美少女のエリザベス、そして使用人兼愛人の混血女パッティ。そのほかに司祭館に先住するポーターのロシア人亡命者ユージンとその息子の非行美少年レオ。信仰を失った司祭カレルは社会との一切の交わりを断ち、周りの者たち全てに悪魔的な影を投げかけながら、悲劇的な結末へと突き進んでいく。霧に閉ざされ、光の差さない冬のロンドンを舞台に繰り広げられる、過去から現在へと繋がる秘密と背徳と裏切りのゴシック・ロマン・・裏表紙の説明文みたいにまとめれば、こんな感じかな。

 なんというか、実に小説らしい小説。物語の前半はもっぱら各登場人物の紹介にあてられ、それぞれの来歴が細かく語られて話が全然進まないのはイギリス小説の伝統的な作法なんだろうか、昔こういうのけっこう読んだことがある気がする、『サイラス・マーナー』とか。こういう語り口、えらく退屈だが、ここを過ぎれば後半怒涛の展開があって面白くなるから・・と我慢したら、果たして後半は面白くなった。

 それにしても、話を構成する手順が実にカッチリしていて、長編小説を書こうとするときにはこの構成をそのままなぞってやれば、ある程度失敗のないものが書けそうな、なんというか、見事に型にはまったうまい小説という感じだった。そして圧倒的な「主流」感。私はどちらかと言えばマイナー作家偏向の気があって、内容も、形式も、余人には真似のできない一点ものみたいな作家や作品を好む傾向にあり、こういう、悪く言えば量産型の小説というものにはあまり馴染みがなかった。伝統的な形式があり、テーマ(神なき現代人の新しい道徳とは?・・みたいな)があり、そこそこ多様な登場人物があって、伏線や小道具を配置する。初めにいろんな背景を説明して、それらを生かしながら物語が展開され、結末と、伏線回収があって、上手〜く終わるという小説。
 正直なところ、とても楽しめた。ドギツイ背徳の性愛とか、レディースコミックみたいなノリだし、全編にわたって流れ続けるチャイコフスキイの音楽みたいに、基本的に感傷的でわかりやすい。準主役の令嬢・詩人志望の24歳処女・そこそこ美人だが他人を見下す癖あり、が使用人の美少年と渋々外出して川を眺め、最後に「キスして・・」とかフンパンモノの通俗的シーンが頻出するが、作者本人が書いてて照れるのか、続く章では生硬な哲学的議論などをぶち込んでくる(作者は大学で哲学を講じてもいた由)。それも神を失ったら倫理観も失われるのかみたいな、日本人にはほぼ無縁の議論でなんか幼稚っぽい。非常に面白い小説だが、日本では受けないのもまあ、納得という感じであった。

 最後の意外な人物の正体にはびっくりしたが、その人物の最後の行動は興ざめだ。そこまで主人公のカリスマ性を強調しなくても・・。また、肯定的人物として描かれる亡命者のユージンも掛け値なしの馬鹿なのには参ってしまった。結局誰の救いにもなっていない。まあ、この作品に出てくる男どもは全員ちょっと珍しいような子供じみた無能力者揃いなのだが、たぶん作者本人はミュリエルに一番近くて、そういう目で男というものを捉えているんだろうね・・

 大ウソつきの美少年レオが、誰に対してもまことしやかな嘘をついて回るが、これはどれが本当でどれが嘘かという、ある意味パズル的な面白みを狙っているのだろうか。そうだとしたら趣向としては面白いが、英文読解的にはちょっと、話の筋が読み取りにくくなってメーワクである。文体はイギリス小説らしくレトリック多め、やや古風な倒置や省略表現多めで易しくはないが、大学の英文科の授業で読まされそうな英語ではある。

 とはいえ、面白かったし、小説作法の参考にはすごくなった。多分この作品が作者の傑作というわけではないのだろう。今後もこの作家の小説、読んでいくことにしようと思ったのだった。

★★★★☆

 


[back]