2020年度11冊目

Kavan, Anna - Asylum Piece (1940)
アンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』

 

読書期間20.11.29-12.24 1.4掲載


 イギリスの奇妙な女性作家、アンナ・カヴァンの1940年の処女短編集。とはいえ、この作品以前にヘレン・ファーガソン名義で既に6冊の単行本が出版されている。アンナ・カヴァンというのはそのうちの一冊『Let me alone』の主人公の名である由。これら初期の6冊はどれも伝統的なロマンス小説だったというが、読んだことがないので定かではない、いつか確かめてみたいと思っている。そしてヘレン某(最初の結婚時の本名)からアンナ・カヴァンに名義を変更するとともに、作品の中身も異様な変貌を遂げたといわれる。その間に、精神病の発症、ドラッグ中毒、自殺未遂、そして精神病院への入院などの体験が挟まり、作品世界もそれらの体験を色濃く反映したものに変化したのだ。

 私がこの作家の作品を読んだのはこれが三冊目。最初が一部では有名な長編『Ice』、次が短編集『I am Lazarus』で、どちらからも強烈な印象を受けた。カフカを容易に連想させる官僚的な監視社会で、疎外され、わけも分からず追い詰められ、破滅へと向かう弱い個人の姿が執拗に描写されている。精神病の影を強く受けた作品世界は曖昧で、実態が定かでなく、状況を読み取るのがとても困難である。文は比較的平易だがどこか強い癖があって実に読み進めにくい。(思わず別の本に慰めを求め、前冊のトーベ・ヤンソンと並行して読むことになったが、奇妙なことに何か作品世界は多くの部分で重なり合っているような印象だった。一瞬どちらを読んでいるのか区別がつかなくなる瞬間もあった。ヤンソンのほうがユーモアもあり、ずっと読みやすかったとはいえ)。今回なぜこんなに読みにくいのか理由を見つけようと思って読んだのだったが、たぶん、主人公の心の窓から見える景色を情景描写的に書いているので、その情景をイメージするのが困難なのだろうと思った。ジェイン・ボウルズの『Two Serious Ladies』も奇怪な小説だったけれど、こちらは第三者的な視点から記述されるので文は読み進めやすかった(その代わり、主人公たちが何を考えているのかはさっぱりわからなかったが)。

 精神病的で、暗鬱な作品なのだが、不思議なのは全体を通じて非常に透明な印象があり、病的な混濁はほとんど感じられない。身に降りかかる不条理な出来事に対しても、感情的な反応はほとんどなくて一種客観的な態度で、淡々と描写している感じだ。そこにこれらの作品がただの病的な妄想ではなく、芸術作品へと昇華していると感じられる理由があるのだろう。

 短編群はそれぞれ、緩やかなつながりを持ち、それぞれの短編(断片?)を合わせて一つの長編小説を構成しているのかと思える節もあるものの、それにしては構成が緩やかに過ぎ、登場人物たちにも明確な一貫性はないようだ。中でも精神病院の入院患者たちの群像を三人称で描いた連作「アサイラム・ピース」は一個だけ強い独立性を保っており、そして作品としても圧倒的に強い印象を残す。『Ice』でも描かれていた、凍てつくような断絶した孤独な世界で、一瞬でも人間的な、ジカに身を触れ合わすような交流が描かれるとき、読者にもぶつかるように伝わってくる深い深い感動が、この作家の無二の持ち味なんだろうと思う。

 毎回とぼとぼとしか進めない、辛い、困難な読書になってしまうのだが、また、気力の続きそうなときには取り組んでみたいと思わせる作家なのだった。

★★★★☆

 


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