白山神社から白山一丁目(旧花街)

都営三田戦線白山駅から薬師坂をあがった白山上で、本郷台地に合流する。その台地西縁から低地にかけて広がる西片町に隣接しているのが白山一丁目で、台地と行き交う細い坂道が多い。
地名の由来となったと言われる白山神社から、戦火を免れた旧花街をのんびりと探索してみた。


白山駅のすぐ後ろに、白山神社がある。
社伝によると、948年に加賀一宮白山神社が本郷元町に奉勅され、後に現在の場所に移ったという。
東京十社(富岡八幡宮、芝大神宮、山王日枝神社、品川神社、赤坂氷川神社、根津神社、神田神社、亀戸天神社、白山神社、王子神社)に含まれる勅祭神社の一つ。

文京区には「花の五大祭り」がある。
・文京梅まつり:湯島天満宮、2月上旬〜
・文京さくらまつり:播磨坂さくら並木、3月下旬〜
・文京つつじまつり:根津神社、4月上旬〜
文京あじさいまつり:白山神社、6月上旬〜
・文京菊まつり:湯島天満宮、11月1日〜

その時期、白山神社境内には10種類3000本の紫陽花が咲き乱れ、見事な景観を愛でる人々が絶えない。


白山下のこじんまりした京華通り商店街----近くに「東京富山会館」があり、北陸銀行がはいっている。その関係もあるのか、富山県八尾町の有名な「おわら風の盆」が、10年以上に亘ってここ白山下の京華商店街で見られるのは有り難い。

毎年10月第一土曜日に、東京富山県人会連合会のおわらの会が協力し、本場からも踊り手を招いて「おわら踊り」が行われる。
心にしみる胡弓の音色や優美な踊りが、ごみごみした都会を忘れさせる貴重なひと時を与えてくれる。


白山下から東に向って本郷台地に登る坂道「浄心寺坂」の途中左に、「八百屋お七」の墓所である圓乗寺がある。(文京区説明掲示板)


圓乗寺の反対に伸びる細い道を南に進むと、洒落た洋風住宅が目に飛び込んでくる。登録文化財の「神明館---三宅家住宅)だ。鉄筋コンクリート造り地下一階地上三階建で、昭和初期に住宅兼事務所として建造された。
50年以上を超えた建築物で、造形の規範になっているものとして平成10年に告示された。


白山下から、白山通りのすぐ東隣に商店街が平行して伸びている。その東奥---白山一丁目の南端の狭い一画にかっての三業地「白山花街」があった。

大正の始めに、新開地であったのこの地域は、私娼窟の排除と地域の活性を求め三業指定を受けたと言う。
三業地とは、料理屋、待合、芸妓屋の三業が集まって営業する公認の風俗地域のことで、警察(戦前まで)の許可が必要とされる特殊地帯であった。

戦前戦後に亘って賑わったこの地帯は、戦災を免れたおかげでその痕跡の幾つかを残している。

この密集した狭い地帯は、南北に二本程の細路が通り、東西から何本かの路地が串刺しのように交差した形になっている。
その路地の何本かには小粋な石畳が残っていて、当時の面影を伝えているようだ。


花街の入口にあたる北端の狭い路地脇に、瀟洒な建物が残っている。以前は「田川」という屋号の待合茶屋だったそうだ。
今は「花みち」として現代版貸席業----趣きある座敷のスペース貸で、撮影や会合などにも使われているらしい。

貸席は、時間あたりの利用料も決まっているようで、かっての粋な待合雰囲気を味合うのも面白そうだ。

(花みちのHP)-------http://www.hanamichi-twins.com/


花街の中程----極端に狭い路地に、妙に小粋な旧家があった。入口上部に竹を配した曲面立ち上げが面白い。
路地を抜けると、堂々とした全景が見える。 現在は個人が住んでいるらしいが、以前は「竹の屋」という料亭だったらしい。 ただ、ここも周囲は建て替えや開発が進んでいるのでいつまで頑張れるのか?---------。


〜粋な黒塀、見越の松に〜 そんな情景が、花街の南端にポツンと残っていた。

狭い路地裏のはづれに、戦前から生き残った瀟洒な木造二階建てが健気に残っている。かっての料亭「浜乃屋」。

残念ながら、今は二階の窓などは釘付けされた状態だ。
周囲は小住宅に囲まれ、古い家屋はどんどん壊されている。ここも、いつまで保つのだろうか?