白山神社から白山一丁目(旧花街) |
|||||||
都営三田戦線白山駅から薬師坂をあがった白山上で、本郷台地に合流する。その台地西縁から低地にかけて広がる西片町に隣接しているのが白山一丁目で、台地と行き交う細い坂道が多い。 |
|||||||
白山駅のすぐ後ろに、白山神社がある。 |
|||||||||||||
文京区には「花の五大祭り」がある。 |
|||||||||||||
その時期、白山神社境内には10種類3000本の紫陽花が咲き乱れ、見事な景観を愛でる人々が絶えない。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
白山下のこじんまりした京華通り商店街----近くに「東京富山会館」があり、北陸銀行がはいっている。その関係もあるのか、富山県八尾町の有名な「おわら風の盆」が、10年以上に亘ってここ白山下の京華商店街で見られるのは有り難い。 |
|||||||||||||
毎年10月第一土曜日に、東京富山県人会連合会のおわらの会が協力し、本場からも踊り手を招いて「おわら踊り」が行われる。 |
|||||||||||||
白山下から東に向って本郷台地に登る坂道「浄心寺坂」の途中左に、「八百屋お七」の墓所である圓乗寺がある。(文京区説明掲示板) |
||||||||||
|
||||||||||
圓乗寺の反対に伸びる細い道を南に進むと、洒落た洋風住宅が目に飛び込んでくる。登録文化財の「神明館---三宅家住宅)だ。鉄筋コンクリート造り地下一階地上三階建で、昭和初期に住宅兼事務所として建造された。 |
||||||||||
白山下から、白山通りのすぐ東隣に商店街が平行して伸びている。その東奥---白山一丁目の南端の狭い一画にかっての三業地「白山花街」があった。 |
|||||||
大正の始めに、新開地であったのこの地域は、私娼窟の排除と地域の活性を求め三業指定を受けたと言う。 戦前戦後に亘って賑わったこの地帯は、戦災を免れたおかげでその痕跡の幾つかを残している。 この密集した狭い地帯は、南北に二本程の細路が通り、東西から何本かの路地が串刺しのように交差した形になっている。 |
|||||||
花街の入口にあたる北端の狭い路地脇に、瀟洒な建物が残っている。以前は「田川」という屋号の待合茶屋だったそうだ。 |
|||||||
貸席は、時間あたりの利用料も決まっているようで、かっての粋な待合雰囲気を味合うのも面白そうだ。 (花みちのHP)-------http://www.hanamichi-twins.com/ |
|||||||
花街の中程----極端に狭い路地に、妙に小粋な旧家があった。入口上部に竹を配した曲面立ち上げが面白い。 |
|||||||||||||
|
|||||||||||||
〜粋な黒塀、見越の松に〜 そんな情景が、花街の南端にポツンと残っていた。 |
|||||||||||||
狭い路地裏のはづれに、戦前から生き残った瀟洒な木造二階建てが健気に残っている。かっての料亭「浜乃屋」。 残念ながら、今は二階の窓などは釘付けされた状態だ。 |
|||||||||||||