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Pueston

Camarón が、 ライブ録音の alegrías (Flamenco vivo 所収) で、 こんな風に歌っています: 「ったぷえっ、とねんばらんさぁぁ。 どっこら、そねなうんてぃえんぽぉぉぉ」。 これを人間が分かるような形に直すと次のようになります。

Están puestos en balanza / Dos corazones a un tiempo

で納得されると話が先に進まないので、納得せずに進みます。 頭から見ていくと「った」が están でしょうか (n はどこに行った?)。 その次の「ぷえっ、と」が puestos だと「ねん」が・・・ en になってしまいます。 じゃ、ほんとは está pueston en じゃないのか (あるいは está puesto nen)? 実は corazones でも同じ問題が起きています。 ここも corazonen acorazones na なら納得できるのに・・・?

アンダルシアのスペイン語では音節末の s が「消える」と言われます。 確かに、上の例でも eStán, pueStoS, doS, corazoneS の太字部分は、 決して s が発音されているようには聞こえませんね。 ただ、完全に消えてしまうことは寧ろまれで、 発音上なんらかの痕跡が残るのが普通です。 上の例で「っ」になっているところは、その痕跡を表わしています。 実際には h のような音が聞かれることが多く、遊びで puehto などと書くこともあります。 また、次の音に同化してしまうこともあり、 その場合はまさに「っ」の音になっています (仮に書くとしたら puetto ぐらいでしょうか。これは見ませんが)。 実際に、カンテのレコードを注意して聴いてみれば、 非常に多くの場合、こういった痕跡が残っているのが分かるはずです。

さて、今のは次に子音が続くときの話。 単語の終わりに s があって、その次の単語が母音で始まるときには、 どうなるのでしょうか。 まず、s が消えずにちゃんと発音されることがあります。 特に冠詞+名詞のように、しょっちゅう組み合わさって出てくるような場合、 そうなることを期待してもいいでしょう。 たとえば los ojos なんかは、結構「ろそほっ」と発音されています。 次に、h の音が出てくることもあります。 los andaluces が「ろはんだるせっ」のようになるわけです。 もう少し微妙な、 「は」とは言い難いけれどただの「あ」でもないような音が聞こえることもあります。 日本語でも「母(はは)」と言ったときの2番目の「は」が、 そんな感じになることがあります。

ここまでの話は、多少詳しい文法書などを読めば書いてあることで、 上の Camarón の例の解決にはなりません。 実は、アンダルシアのスペイン語で消えるのは s だけではないのです。 これもカンテに慣れている人は経験的に分かっていることですが、 単語末の l, r はよく消えます。 そして n も。 そう、最初の estánn が消えているのでしたね。 これらの子音も、完全には消えずに痕跡を残すことがあります。 問題になるのは、 そういった痕跡から元の子音を復活させようとするときで、 候補が複数ありますから、うまく本物がでてくるとは限らないのです。 今見ている例では、s が復活せず、 おそらく近くにある enn にも影響されて n が出てきたのでしょう。 こういうことが繰り返されると nen という前置詞が誕生する可能性さえあります。 corazonen a (corazones na)n に囲まれていますから、 同じように考えることができるでしょう。

ただし、これが完全に「生きた」現象、つまり Camarón がその場でつい 「なまってしまった」のかというと、そうとも言えないんじゃないかと思います。 かの有名な、いわゆる「Perico のアンソロジー」の中で、 同じ歌詞を Pericón が「たんぷえっとねん」と歌っています (最初のバージョンでは 「estánn を1回目はちゃんと歌っているが 繰り返しの時は飛ばしているようだ」と書きました。 実際には1回目よりは弱いけれども発音しているような気がします)。 Pericóncorazones a の方は n を入れずに歌っていますが、 少なくとも pueston (puestos nen) に関しては、 Camarón の口から「自然に」出たというよりは、 この形で伝承されている可能性があるわけです。

そういえば、この Camarónalegrías をヘッドフォンで聴くと、 終わり近く "con pala- ... britas de amor" と歌っているところ、 ちょうど pala- で切れたあたりで「キャー」という声のようなものが聞こえます。 そういう歓声に包まれて歌ってたんでしょうか。 だとすると、ああ、かわいそうな Camarón ...


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2003/08/15 (2002/10/27)

KAWAKAMI Shigenobu