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アメリカ南部演奏紀行

1.きっかけはイカだった
1.きっかけはイカだった
2012年夏、Western Crooners(以後W.C)の月一回の練習日だった。一連の練習を終え片付けに入ろうとした時、ドラムスのデービッドが突然今アメリカで流行っているアニメの話を始めた。それは変な「イカ」が主人公の「Squid Billies」というタイトルのアニメのことだった。
 
それは、デービッドの幼なじみであるデイヴ・ウィリス氏が制作しているTV番組で、彼はその中に日本語版の主題歌を入れたいと言っているというのだ。「レコーディング゙しませんか」と、デービッドがたどたどしい日本語で切り出した。メンバーも半信半疑だったがOKすると、デービッドは早速iPhoneを取り出し英語版の主題歌を聴かせてくれた。まさにそれはカントリー・ミュジックそのものだった。キーボードのキャンディが即興で日本語の詞を付け、各メンバーのイメージやアイディアを取り入れレコーディングが始まった。2,3種類のバージョンを作ったが、最後にベースのりゅうが私に「酒を飲んだ方がイイんじゃない?」と言った。まじめすぎてアニメのイメージ゙合わないらしい。私は素直に従った(実は飲み過ぎてしまった!)。
 
そして、レコーディングのことなんかすっかり忘れかけていた頃、あるライヴの時にデービッドは、「あれが採用されて既に放映された」と言った。それはなんと最後に酒を飲んだバージョンのものだったのだ。それを聞いてメンバー一同大笑い。数週間後、メンバーと飲んでいる時「W.Cも始めて12年になるか、早いものだな。」「俺も若くはないし、体の動くうちにアメリカへ行ってみたいな」と言った。(恥ずかしながら、私はまだアメリカ本土には行ったことがなかったのである。)イイねーと誰かが言った。りゅうとキャンディは昔、行ったことがあるらしかった。「なんだ、行ったことがないのは大場さんと俺だけか...」  その時、「本当に行きましょう!」と言ったのはデービッドだった。その夜、その話を肴に大いに盛り上がったのは言うまでもない。(そのときは、一週間ぐらいの単なるアメリカ観光旅行だったのだが・・・・。)
 
写真:イカが主人公のアニメ、Squid Billies
 
2.演奏旅行にどんでん返し
2.演奏旅行にどんでん返し
すっかり東京も涼しくなり、秋めいてきた頃、デービッドからウィリス氏が2週間のアメリカ・ツアーを計画していると聞かされた。ただの酒のつまみぐらいに思っていたあの話がまだ続いていたのだ。2週間?しかも観光旅行ではなく演奏ツアー?正直、自分の耳を疑った。どうも本気らしいのだ。その後まもなく、メンバー全員が「ヨシやろうぜ!!」で決まった。行くのはいいが、さて楽器をどうする、宿泊は、留守中店(東京・笹塚・Liberty Bell)はどうしよう。
ライヴ・ハウスのブッキングにはデモ音源が必要だ。CDジャケットのデザインは、バンドのTシャツも・・・・。難題が次々と発生した。本当にブッキング゙出来るのか、みんな真剣になっていた。 特に種々の準備はキャンディとデービッドがよくやってくれた。アメリカ・ツアーの噂が世間に漏れだしたのもこの頃である。
 
クリスマスが過ぎ年末の慌ただしさが漂う中、デービッド゙からメールが入った。一件目のブッキングが成功したという知らせだった。この間、ウィリス氏がブッキング゙作業をやっていてくれたのだ。まさに夢の一報だった。メンバーは大いに盛り上がり、アメリカ・ツアーが現実のものだということを強く認識したのはこの瞬間だったに違いない。その後、続々とブッキング゙に成功していった。その結果、ウエスタン・クルーナーズ初のアメリカ・ライヴ・ツアーが、8カ所で行われることに決定した。場所はジョージア州で2回(@アトランタ、Aアセンズ)、テネシー州で3回(BCナッシュヴィル、Dメンフィス)、テキサス州で2回(Eオースティン、Fダラス)、そして最後はルイジアナ州(Gニューオリンズ)というスケジュールになった。旅程も決まり、年の瀬が迫っていた。
 
写真:アニメSquid Billiesを制作するデイヴ・ウイリス氏
3.アメリカへ出発だ!
3.アメリカへ出発だ!
年が明け(2013年)正月気分もすっかり消えて、あっという間に2月になった。
時が流れるのは本当に早い。色々な人から「もうすぐですね。」と声をかけられるようになっていた。ほぼ問題も解決した頃東京は春、3月11日いよいよ明日は出発だ!
 
3月12日出発の日、メンバー全員が午後1時に日暮里(にっぽり)駅に集合することになっていた。既にスティール・ギターの大場さんが待っていた。キャンディ、りゅう、デービッドがやってきた。皆はもうかなりのハイテンションである。「サー・ハジマルヨー」、デービッドが雄叫びをあげた。京成スカイライナーにて成田空港へ。一行は予定通りデルタ航空296アトランタ直行便(15:30発)に搭乗した。さあこれから13時間の長旅だ。金髪のアメリカ人女性キャビン・アテンダントを見ていると、もう気分はアメリカである。前の座席についているディスプレーで、飛行ルートの現在位置を何回確認したことだろうか。遠い遠い遠い〜い・・・・・!!
 
ジョージア州アトランタの空港に到着したのは、12日の夕方16時30分だった。時差は13時間遅れである。無事、アメリカ合衆国へ入国出来た。デービッドは早速移動用のレンタカーを借りにいった。残りの4人は空港で待機、日本人は我々だけ。周りの人々が自分達を遠巻きに見ている。ところが、そのうち30分、1時間、2時間たってもデービッドが戻ってこないのである。さらに携帯も通じない、さあ、困った。
 
4人に動揺が走る。早くもトラブルか・・・・?
 
 
 
写真:左から筆者(ヴォーカル&ギター)、キャンディ(キーボード) 大場(スチール)、りゅう(ベース)、デービッド(ドラムス)、
4.ウイリス氏に歓待される
4.ウイリス氏に歓待される
そのうち私はウトウトしていた。どのくらい眠っていただろう。「マッター?」突然のその声に私は飛び起きた。そこにはニコニコしてデービッドが立っていた。レンタカーを借りた後、空港内で私達の居場所が分からなくなったらしい。3時間半も・・・・。
それだけジャクソンアトランタ空港は広かったのだ。
 
フォード12人乗りランドクルーザーが外に止まっていた。早速全員荷物を積み込み乗り込んだ。メンバーの表情は打って変わって晴ればれとしていた。 
 
さあ一路アトランタの市街へ。今私たちはジョージア州を走っている。「ヤッホー」歓声が上がる。道路、信号機、街並み看板、やっぱりアメリカだ!。初日はウイリス邸に宿泊する。2時間ほど走った。もう既にあたりは暗くなっていた。ようやくウイルス邸に到着。ウイリス家の家族皆が、温かく出迎えてくれた。ビール、ビール、ビール皆で乾杯。夕食をご馳走になる。初めて会ったとは思えない気さくな人柄に話が大いに弾んだ。明日はデービッドの両親に会いに行く。早く寝よう。
 
写真:前列左からキャンディ、ウイリス氏、後列は筆者、デービッド、りゅう、大場。
5. デービッドのご両親と再会
5. デービッドのご両親と再会
翌朝9:00起床。既にウイリス氏と奥様のリサさんは朝食の用意をしていた。今日は快晴、本当に爽やかな朝だ。広々としたダイニングキッチンに漂うコーヒーのとても良い香り。私たちはアメリカンスタイル(当たり前だが)のとても美味しい朝食をいただく。特にフルーツの色鮮やかさが印象的だ。
 
11時過ぎ私たちは旅支度を始めた。これからデービッドの家へ向かって出発。
 
デービッドの実家はコンヤーズ(Conyers)アトランタから東へ50Kmぐらいのというところにある。途中、ギターセンターによってギターアンプ等を購入。昼食をとったりして、到着したのは夕方4時ぐらいになっていた。デービッドのご両親と会うのは5年ぶりになる。(実は5年ほど前にジャクソン家はリバティーベルに遊びに来ていて歓迎会をやったことがある。)
 
ご両親は元気そうだった。お互いに5年ぶりの再会を祝った。
6.インタビュー後ライブ会場へ
6.インタビュー後ライブ会場へ
ジャクソン邸を翌朝11時ごろ出発。再度、ウイリス邸へ向かった。これはウイリス氏のインタビューがあるためだ。インタビューは2時間にわたった。過去の音楽経験やアメリカの印象等々すべて南部訛りの英語で訊いてくる。かなり疲れた。インタビュー後、楽器を車に積み込み初めてのライブに備えた。アメリカ初のライブ場所「Star Bar」のあるアトランタのダウンタウンに向かった。小一時間ぐらいで「Star Bar」を見つけた。
 
車を駐車場に置き、周辺を散策する。結構、黒人が多く日本人らしき人は見当たらない。ときどき黒人から「日本人か?」と声をかけられた。「俺たち中国人には見えないのかな?」とメンバーは大笑いした。いろいろな店を見て周っているうちCDショップの前に立ち止まった。ドアを見るとそこにはいろいろなバンドのポスターが貼ってある。誰かが「あれ?これ俺たちのポスターじゃないか!」と言った。
「おー!ほんとだ」なんとそこには旭日旗をバックにした
「ウエスタンクルーナーズ」が確かにいた。いよいよ今晩演奏するのだ。おそらくこの時、口には出さなかったが、メンバーそれぞれの胸に期待と不安が交錯したに違いない。
7.本番はこれからだ
7.本番はこれからだ
時間は早かったが実際に演奏するところがどんな所なのか見てみようと「Star Bar」の中に入った。
もう既に大音響でBGMが鳴っていた。ただカウンターには数人のお客さんがビールを飲んでいるだけ。 中は薄暗く奥のほうにステージが見えた。まるでディスコのような雰囲気である。
広さは200人ぐらいは入りそうだ。
ロックバンドならいざ知らずカントリーバンドがこんな所で演奏していいのだろうか。
本当にお客さんに受け入れてもらえるのだろうか。不安が走る。
7時ぐらいから各バンドのサウンドチェックが始まった。
お客さんも少しづつ集まり始めていた。「皆いい音だしているな」とベースのりゅうが言った。いよいよ我々の番である。初めて使うアンプのせいかスチールの大場もりゅうも調整にてこずっている。緊張しているのか。その時「Ready?」PAから声がかかった。
8. 緊張のリハーサル
8. 緊張のリハーサル
メンバーの方を見た。大場、りゅう、デービッドそしてキャンディー、それぞれ既に臨戦態勢に入っていた。
私はPA担当者に「OK!」と返事した。
先ず "Your cheatin' heart"をWCのオリジナルスタイルで演奏を始めた。
「♪When tears come down・・・・・・」サビから入るパターンだ。
 
我々の音が出た瞬間、客席で飲んでいた対バンのメンバーやお客さんはステージの方を振り返った。
ウイリス氏も初めて聴くWCの生演奏を注意深く聴いている。私は歌いながらPA担当者の表情を見ていた。
PAの返し(ボーカルの声をモニターする音)もいい感じだ。心配していた現地購入の安いアンプも大場のスティールギターに新しい効果を与え、アグレッシブな音が出ている。ベースも小サイスのアンプ゙ながら低音が良く伸びている。
ドラム、キーボードも本来の音が出ている。対バンのアンプは立派なものばかりだったが負けないぐらいいい感じだ!
 
一曲が終わって私はPAに私のギターの返しを上げるよう頼んだ。
その効果を確認するため、さらに"Silver Wings"を演奏した。ギターのバランスも良くなり日本で演奏しているいつもの音になっていた。
 
異様な雰囲気の中でサウンドチェックは終了した。果たしてアメリカの人々に我々の音楽が受け入れてもらえるのかどうか?私の頭のなかでこの計画の当初から一番気になっていたことである。
 
私たちは楽屋へ入った。今夜は4バンドが出演する。既にそのバンドメンバー達が集まっていた。そこは薄暗く壁は落書きで一杯である。トイレはドアーが壊れていてとても用を足すどころではない。とても日本のライブハウスではあり得ない光景だ。壁の間接照明が妙に怪しい雰囲気を醸し出していた。
 
りゅうがソファーにふんずりかえっていた。おそらく無事サウンドチェックを終えた安堵感から来るものなのかもしれない。そのりゅうの隣に対バンの女子ボーカルが座った。
 
まだ20歳前半の可憐な子である。彼女はなにやら紙に書かれたメモを見ている。どうやらそのメモは今日の演奏メニューらしい。りゅうは早くも缶ビールを飲んでいた。その彼女はりゅうに何か言っている。
 
りゅうは私に言った。「彼女のバンドが"Silver Wings"を演奏することになっているらしい」。我々の「Silver Wings」とダブっていることを気にしているのだ。私は「Silver Wings」はサウンドチェック用の曲で本番にはやらないことを伝えた。彼女は安心した様子で微笑んだ。意外にまじめなのだ。
 
 
9.興奮のステージ
9.興奮のステージ
楽屋はタバコの煙で一杯になっていた。ロックバンドが多い。「今日、ナッシュビルから来たんだ」と一見あのビートルズのようなバンドのメンバーから声をかけられた。私も誇らしげに「俺たちも2日後にナッシュビルで演奏するんだ」と言って握手をかわした。一見怖そうな連中ではあるがすぐにうち解ける。
 
ステージでは他バンドによる演奏が始まっていた。ちょうどこの頃デービッドの両親と兄姉が楽屋に来てくれた。そしてウイリス氏の奥さんリサさんも到着していた。WCは11:00PM開始である。キャンディーはステージ衣装に着替えていた。上は振り袖、下はジーンズという和洋折衷の出で立ちである。演奏中の音がガンガン聞こえてくる。
 
大場と私はステージの方へ様子を見に行った。
「お!お客が増えている」と大場が言った。カウンター以外は全部立ち見で7割は埋まっていた。
2時間ほど経過していた。いよいよ出番である。前のSilverWingsの彼女のバンドと交代し演奏の準備にかかった。ウイリス氏は私が立つマイクスタンドに魚眼レンズの付いた小型カメラを取り付けた。ウィリス氏のスタッフが撮影の準備を完了していた。この様子を他のバンドが不思議そうに見ている。日本のライブとは雰囲気が全く違い凄い熱気に包まれている。もう会場は既に満杯になっていた。ステージから見える顔、顔、顔、白人も黒人も。200人ぐらいはいるだろうか?
 
私は「さー行くぞ!」と叫んだ。キャンディは一曲目の「Swingin' Door」のイントロを日本の「さくらさくら」を交えながら弾き始めた。優雅な日本の調べが流れる。会場は一瞬静寂に包まれた。
私が4小節ほど歌った頃だろうか忘れもしない「ウオーーー」という地響きのような怒濤の歓声が巻き上がった。歓声が続き止まらない。「ワーワーワー」「ヒューヒューヒュー」俄然バンドは勢い付いた。もう一瞬にしてターボエンジンは全開となった。アメリカ人が興奮している!視線が凄い。老若男女、皆体を揺すってノリノリだ。こんなの今まで経験したことがない。
10.ありがとうスターバー
10.ありがとうスターバー
ウィルス氏はカメラをステージ上で持ち回りバンドの面々を撮っている。赤や青の派手なステージ照明がなお一層エキサイトさせる。
スティールギターが珍しいのか大場の周りは人だかりである。メンバーは当然興奮状態のはずだが意外にもクールを装っている。
 
曲が続く。「Hello! I'm Jhony Cash」のせりふからギターで例の"フォルサムプリズンブルース"のイントロを始める。
すると「ウオーーー」これまた怒濤の歓声である。あの映画「Walk the Line]で見た光景を彷彿とさせた。
この頃ライブは絶頂に達していた。
「果たしてアメリカの人々にとって我々の音楽が受け入れてもらえるのか?」という不安はもはやすっかり消え去っていた。
 
50分のステージは興奮のうちにあっという間に終わった。
ステージを降りるときウイリスと私は自然にハイタッチしていた。
彼も安心したに違いない。この夜のTシャツとCDは言うまでもなく売れに売れた。
 
興奮もつかの間、楽器を車に運び、ウイルス邸に帰る準備を始めた。終わってもまだお客さんがビール片手に握手を求めてくる。お客が買ってくれた缶ビールで「乾杯!Thank You Star Bar !」時計は既に3時を回っていた。さあ明日はデービッドが学生時代を過ごしたAthensでのライブが待っている。
 
 
写真:Western Crooners のTシャツ
11.アトランタとお別れ
11.アトランタとお別れ
朝10:00起床。昨日遅かったわりには爽やかな寝覚めだ。普段ならまだボーとしてるはずだが不思議とそうじゃない。メンバーの表情も爽やかだ。まだ昨夜の興奮が残っているようで「昨日は凄かったな」「いやー本当に興奮したよ」とお互いの感想を確認し合っていた。ウイリス氏も奥様のリサさんもバンドの一員のように興奮しながら喜んでくれた。もう立派なサポーターのリサさんにクルーナーズTシャツをプレゼントした。
 
今日からアトランタを離れて本来のライブツアーが始まる。お世話になったウイルス邸ともお別れだ。朝食を終えた私たちはまた楽器や荷物を車に運び始める。ウイリスも本格的にツアーの用意をし始めた。ビデオカメラ、映像編集用のパソコンなど種々の機材を詰め込んだ。三日間お世話になったせいかちょっと感傷的になっていたのは私だけだったのだろうか。出がけにリサさんがお手製のクッキーを車中でどうぞと渡してくれた。この気遣いは本当に嬉しかった。
 
出発のために私たちは外に出た。先に出ていたウイリスは車の前で何かしていた。なんとボンネットの上に小さなカメラを取り付けているのだ。デービッドも手伝っている。走行中に自動で10分毎にシャッターが切れるらしい。これで完璧なツアー映像が撮れるというものらしい。さー出発だ。見送ってくれるリサさんも後でアセンズ(Athens)に行くと言っていた。
 
デービッドが学生時代に過ごした街、アセンズはギリシャの都市アテネに由来する。合衆国で最初の州立大学であるジョージア大学が在り、芸術、音楽、教育など大変熱心なところらしい。4時間ほど走っただろうか、ようやく市街に着いた。街を数時間ほど散策したが街並みはなんとなくヨーロッパの街を感じさせる。(私は実はヨーロッパには行ったことがないのだが?)とても美しい街だ。しばらく歩いているとまた前回とは違うがWCの手作り感満載の温かいポスターを見つけた。私はこの大都会ではない街が好きになりそうだ。私の人生にも学生時代があった。デービッドの青春時代を想うと何故かこの街に郷愁さえ憶えるのである。友と飲み語りあったあの居酒屋・・・。そんなところがここにもきっと有るように思った。
 
写真:左からリサさん(ウイルス氏の奥さん)、デービッド
12.久々の気持ちいいブルーグラス
12.久々の気持ちいいブルーグラス
気がつくとあっという間にいい時間になっていた。先ず荷物を置きに今夜泊まるホテルに行った。アメリカに来て初めてのホテルである。こざっぱりしたいい感じのホテルだ。しかし自分たちの部屋は二部屋?。一つはキャンディーの部屋、そしてもう一つは男4人の部屋である・・・・・・・・。チェックイン後、男4人は部屋でビールを飲んでいた。コンコンと誰かがドアをノックした。キャンディーかと思いドアを開けたが、するとそこにはちょっと美人のホテルの女性従業員が立っていた。「あなた達、廊下でタバコ吸ったでしょ。ここは禁煙ですよ。以後もう一度吸ったら罰金です。(勿論英語で)」きつく言われてしまった。すぐに私は「私たちはタバコは吸わない。間違いだ。」と反論した。彼女は納得したのか去っていった。その後、小さな声でりゅうと大場が「さっき吸っちゃった。禁煙とは知らなかったよ。」と言って苦笑した。ここ数日自由に喫煙出来なかったらしい。
 
私たちは今夜のライブ場所「The Caledonia Lounge」に向かった。午後5時頃もう既に対バンのメンバーが集まっていた。中は「Star Bar」と同じく薄暗い。広さも同じぐらいだ。ステーシの高さ、PAの場所もよく似ている。ただ天井は高い。デービッドはもう旧友達と再開の握手を交わしていた。それはちょうど10年ぶりの同窓会のようである。デービッドはWCのメンバーを次々と紹介してくれた。昨夜とは違いこの和んだ雰囲気が心地よい。そんな中でサウンドチェックが始まった。昨夜の経験も手伝ってかチェックは順調に且つきめ細かく行われた。
 
サウンドチェック終了後、暗くなったアセンズの街に夕食を摂りに繰り出した。今日はピザだ。WCのメンバーは本当に元気だ。この大きいピザをぺろっと平らげた。私は少し食傷気味だったのだが。早めにライブハウスに戻った。もうお客さんは一杯になっていた。このライブハウスの裏は開放型のレストランになっている。レストランと行き来が自由なのだ。ビールを飲む人、食事をする人で一杯である。まるで日本のビアガーデンの様だ。
 
本番は既に始まっていた。トップバッターはブルーグラスバンド。久々に電気楽器が入らず実に癒しのサウンドだ。
とかく速いテンポの多いブルーグラスだがこのゆったりとした2ビートは自然に体が横揺れになる。10年以上前になるが「Liberty Bell」の初代オーナー飯塚さんが八ヶ岳のポールラッシュ祭にアメリカから呼んだブルーグラスバンドの2ビートがまさにこのノリだった。八ヶ岳近隣の3万人の聴衆がステージの周りを囲むイベントで聴かされたそれだ。演奏が始まったばかりの頃は静かに聴いていたステージ前の子供達だが5分後には、2ビートに合わせて踊りだしていたのだ。
ぼんやりとそんなことを思い出しながら聴いていた。気がついたらデービッドの親族それとリサさんが来ていた。リサさんは私たちを見つけてビールを買って持ってきた。ちょっと私達が元気が無さそうに見えたのかもしれない。いよいよ私たちの出番がきた。今日は昨日と違ってなんとなくリラックスした気分だ。
13.さよならジョージア
13.さよならジョージア
圧倒的に白人が多い。
昨日の再現だ。今までの雰囲気とガラッと変わって賑やかにまさにカントリー音楽の空気一辺倒になっていた。
 
演奏終了後、「ナシスショー!」とたくさん声をかけられた。今日はデービッドが主役だ。彼はとても嬉しそうだった。昨日と同様ウイリスと自然にハイタッチしていた。出演したバンド同士それぞれのTシャツを交換し再開を誓った。ホテルに戻ったのはやはり午前3時を回っていた。やれやれ思ったのも束の間デービッドは車から荷物と一緒に楽器も下ろさなければダメだと言った。やはり治安が悪いようだ。ホテルの大きいキャリア3台を使って楽器はキャンディの部屋に運んだ。ホテルのスタッフはびっくりしながらその様子を見ていた。メンバー一同は男部屋に戻り再度ビールで乾杯だ。デービッドはしばらく今日のステージの余韻に浸っていた。
 
次の朝、朝食を済ませロビーに出ると昨日の出演バンドのメンバー達がいた。偶然同じホテルに泊まっていたらしい。お互いに記念写真を撮り合い、お互いの旅の安全を祈念しながらホテルを後にした。今日はいよいよジョージア州を出る。一路、憧れのテネシー州ナッシビルに向かって出発だ。車にはデービッドの家から持ってきたカーナビ(愛称フランシス)女性のセクシーな声が道を案内してくれる。車内はWCのメンバー5人とウイリスの総勢6人。後ろは楽器と荷物で一杯だ。ウイリスはメンバーの一人一人にこの二日間のライブの感想などビデオを回しながらインタビューする。「興奮したよ。本当に楽しい」誰かが「俺たちローリングストーンズみたいだぜ」と言った。車内は笑いで一杯になった。「ヤッホー!」車はナッシュビルを目指して疾走する。
14.一路ナッシュビルへ
14.一路ナッシュビルへ
車はナッシュビルを目指しひたすら走る。カーナビのフランシスが時折セクシーな声で方向を教えてくれる。「Turn Left !」、「Turn Right !」。もうフランシスも立派なメンバーだ。デービッドはわざと鼻にかかった南部訛りでフランシスの名前を呼ぶ。運転に疲れてくるとフランシスを呼んでいるようだ。ウイリスが何か日本語を覚えたいと言い出した。大場がすかさず「右!」「左!」「魚!」「水!」と大きな声で叫びだした。ウイリスも続いて応援団のような大きな声で「ミギ !」「ヒダリ !」「サカナ !」「ミズ !」。「右」「左」「魚」「水」続いて. 「Migi !」「Hidari !」「Sakana !」「Mizu !」・・・・・・・・・。
 
この大場とウイリスのやり取りは何回も続いた。キャンディーが言った。「やっぱりウイリスは日本語も訛ってる・・・・」。車内は爆笑の渦となった。その後もウイリスは風景を撮りながら「ヒダリ」「ミギ」と何回もつぶやいていた。そして何時間走っただろうか外はすっかり暗くなっていた。遥か遠方に"Nashville"の看板がライトに浮いて見えた時には全員、「ウオー」と歓声を上げずにはいられなかった。今晩は日本からのカントリーダンスチームと合流する。メンバー以外の日本人と会うのはアメリカに来て以来初めてである。何とも言えない懐かしい気持ちと心強さを感じたのは私だけではないはずだ。だが演奏のことを考えると逆に妙に緊張しそうな気がした。
 
ナッシュビルに入ってしばらく走ると今夜のライブ会場「Family Wash」に着いた。繁華街からちょっと離れていて閑静な所にあった。
店の窓から漏れる明かりとそこから見える店内の様子はジョージアのそれとは違いあのワイルド感は全く無く、むしろ優雅なレストランの雰囲気が漂っている。中に入るとステージは一番奥に位置し既にジャズの演奏が始まっていた。大勢の若いカップルが食事と音楽を楽しんでいる。ステーシのすぐ前のテーブルに目をやるとそこには日本のカントーリーダンスチームが既に陣取っていた。私たちは彼らとお互いの旅の無事を大いに祝福し合った。そして演奏の準備をし始めた。ジャズの演奏が終了するまで店内で待つことにした。
15.憧れのナッシュビルそして演奏
15.憧れのナッシュビルそして演奏
私達はビールを買いにカウンターへ行った。ちょうど私の前にベースを持った背の高いミュージシャンらしき男がビールを注文していた。私は彼に私たちが東京から来たWestern Croonersというバンドで今夜ここで演奏することを伝えた。とても気さくな人でお互いに楽しもうと言ってくれた。このナッシュビルで演奏の段取りをつけてくれたのは日本のカントリーゴールドにも出演したことがあるElizabeth Cookという女性カントリーシンガーの夫でもあるTim Carrol であることを知らされていた。まさにさっきのベースマンは今夜私たちの後に演奏するTim Carrolバンドの一員だったのだ。胸が高鳴っていた。
 
やがてジャズの演奏は終わり私たちは交代しステージに上がった。店のMCが「The Western Crooners from Tokyo Japan !」と紹介した。店内は今までの落ち着いた雰囲気は一変し、歓声とともにお客さんはカウンター前に集まりだしそして我々の演奏が始まった。
 
今夜の演奏もこの2日間のジョージアの出し物と同じだ。例の”さくらさくら”から始まった。すぐそばのテーブルに我が日本のカントリーダンスチームが座っている。皆んなこちらを凝視している。私は車の中で思ったあの緊張をいま感じていると思った。店の中のお客さんは明らかに自分たちの演奏を聴いてくれている。そして一曲が終わり歓声と拍手が沸き起こった。その時私はすぐ前のカントリーダンスの人たちの方に目をやった。彼らは何回もアメリカに来て本場のカントリー音楽を聴いている。少なくとも私は初めてのアメリカナッシュビルで歌っているのだ。彼らの眼差しは我が子の学芸会や運動会でみるそれと似たようなものに見えた。
16.久々の日本の肴で乾杯
16.久々の日本の肴で乾杯
演奏は更に弾みがついた。予想以上に店内は盛り上がっていた。ウィリスもいつものようにその様子をビデオに撮っている。やがて演奏は終わって、いつものとおりウイリスとハイタッチしていた。このカントリーミュージックのメッカで多分、日本人初めてのバンドがこんなに.喜んでもらえると誰が予想しただろう。カントリーダンサーの面々は私たちと同様興奮していた。何十年も日本でカントリー音楽をやってきた自分たちが今本場で演奏を終えた。ウエスターンクルーナーズは日本のカントリー音楽の世界だけで演奏してきたがその表現にいつも自問自答し繰り返し悩んてきた。そして今とうとう、ナッシュビルでアメリカの人々と至福の時間を共有できたのだ。私は無類の喜びを感じていた。
 
演奏終了後、ダンスチームの席へ行って一緒に飲みながらTim Carrol バンドの演奏を楽しんだ。先ほどのカウンターで会ったベースマンのファンに対するサービス精神には驚いた。特に日本から来ているダンスチームなどには本当に親しげに接してくる。お客さんの一人を舞台に上げて自分が弾いていたベースをそのお客さんの肩に架けて記念撮影をしたりする。彼にとって旅の貴重な思い出になるに違いない。彼らの演奏が終了し私たちは帰り仕度を始めた。
比較的ステージの近くに座っていた5人組のアメリカ人グループが声を掛けてきた。「明日ブロードウエーの方へ行くんだがあなたたちはどこで演奏するのか」。私は「Layla's Bluegrass Inn」と答えた。彼らはまた明日会おうと言ってくれた。
 
今晩はダンスチームと同じホテルに泊まる。ようやく一人に一台のベッドで寝られるのが嬉しい。一台の車にダンス、バンド全員ギューギュー詰でホテルに向かった。恒例の楽器運びを終えたあと再度ダンス、バンド一緒に祝杯をあげた。日本を離れて五日ぶりの漬物、のり、梅干である。久しぶりに日本のつまみを肴に飲んだ。大場は疲れたのか一足お先に失礼すると早々と部屋に戻った。私は日本に居るような気分でしばらく皆んなと美酒を味わっていた。さて明日はブロードウエイでの演奏が待っている。寝むたくなった私は大場と同じ部屋へ向かった。部屋の扉をそっと開けた。部屋は薄暗い。カーテンの開いた窓から青白い月明かりが差し込む中にスティールギターの前に座る大場がいた。「アレ?大場さんまだ起きてたんですか・・・」
 
写真:応援のダンスグループと一緒にホテルへ帰る車の中にて
 
17.ナッシュビルブロードウェイ
17.ナッシュビルブロードウェイ
大場さんは低い声で囁くように私に言った。「私は学生時代からスチールギターを長い間、弾いてきたが今晩は自分の音楽人生で一番の思い出になると思う。一生忘れない・・・」私はそれを聞いて胸が熱くなった。きっとメンバーの一人一人が今、同じ気持ちでいるに違いない。ナッシュビルの青白い月あかりの中、私は久しぶりにのびのびと手と足を伸ばしベッドにひっくり返った。
 
 疲れていたせいかあっという間に朝になっていた。大場さんは私より早く起きてシャワーを浴びていた。私はテレビのスイッチを入れた。今の日本では珍しく大きいブラウン管の画面にFOX-TVのニュース番組が映っていた。同じ番組をデービッドの実家でも見たことを思い出していた。大場さんと交代し私もシャワーを浴びすっきりした。起床が遅かったためホテルの朝食には間に合わずリュウと大場と私は近所のコンビニに行って朝食を買いに行った。考えてみれば昨日の日本食があるのだが3人ともハンバーガーとコーヒーを買っていた。
私は思った。これはFOX-TVといい朝食といい無意識にアメリカ南部に馴染んでいる。なんだか可笑しかった。
 
ホテルに戻りキャンディーとデービッドの部屋に行った。ダンスチームは一足早く市内観光に出かけていた。我々も楽器を車に運び市街に出かけた。街の中はとても賑やかで観光客でごった返していた。昨日はバスケットボールの大きな試合があって、且つセントパトリックデイという(本来アイルランドの祝日らしい)緑のものをまといお祝いする日らしく家族連れが多い。ブロードウエイのど真ん中で音楽などのイベントが行われている。
 
キャンディーが郵便局を探してくれというので車で市街をぐるぐる廻った。アセンズで買ったブルドッグのはがきを日本でWCを応援し見送ってくれたお客様に送りたいらしい。メンバー全員で車中でメッセージを書いたものだ。しかしなかなか見つからない。30分ほど探して誰かが「今日は日曜日だけどやっているのかな?」と言った。当然のことながら休みだった。はがきはホテルから出すことにし今日の出演先である「LAYLA'S」へ下見に行った。入口のガラス製のドアーから覗いたが店内は暗く開店前らしい。同じ並びのライブハウスを次々と見て廻った.
 
既に開店していてがんがんライブをやっている所もあった。その中に入っていくとカウンターに女性客が3人ぐらいしか居なかったがバンドは私たちと同じホンキートンクバンドであったため親近感を覚えた。ステージの傍へ行ってチップを瓶の中に入れた。するとバンドの一人が私に「チャーリー永谷?」と言った。私はびっくりし「違うよ俺たちはウエスタンクルーナーズというカントリーバンドで東京からきて今日、「LAYLA’S」で演奏するんだ」と言った。彼らはびっくりした様子で「俺たちも2年前に日本のカントリーゴールドにバックバンドとして行ったことがある」と言った。「一曲唄うかい?」と言ってくれたが「有難う」と言って柔らかく断った。この様子を見ていたWCのメンバーは大笑いしていた。私がチャーリー永谷氏に間違われたことが可笑しかったらしい。ちょっと複雑な気持ち??・・・。
18.感激のライマン公会堂
18.感激のライマン公会堂
ちょうど時間は昼食時になっていた。ウイリスは今日はバーベキューにしようと言った。お、今日は肉が食えるな・・・・。おそらくメンバーの誰もがそう思ったに違いない。ところが店に入り注文したのはハンバーガーだった。BBQってこっちではこれのことを言うのか・・・・・。とりあえず腹は満たされた。今日のライブはいつもと違い4:00pmスタートだ。ちょっと時間があるので皆んなでライマン公会堂を見に行こうということになった。
 
公会堂の前に着くとそこには昨夜会ったデービッドの友人3人が来ていた。彼らは「俺たちは以前に見たことがあるのでここで待ってるから皆で見てきなよ」と言ってくれた。ウイリスをいれて5人で入場した。廊下には往年のスターの写真が貼ってある。舞台の周りのウインドーにはジョニーキャッシュやロレッタリンなどの衣装が飾ってあった。ジョニーキャッシュのブーツがでかいのには驚いた。舞台に目を移すと照明が煌々と点けられておりそこにはグランドオールオープリが眼前で行われているように錯覚する。自分たちが舞台上で演奏し・・・夢想していた。今現在もPAシステムや照明システムは完全な形で管理されており温度、湿度もコントロールされている。これがあのライマン公会堂か・・・改めて感激に浸っていた。
 
小一時間が過ぎ退場した。次に私達はデイビッドの友人3人とホールオブフェイム博物館へ向かった。しかしそこは一時間ぐらいでは廻りきれないらしく見学を断念し玄関内のカフェでお茶することにした。それぞれコーヒーを頼み会話しながら一息ついた。私はちょっとした疲労を感じていた。
 
頃合を見ながら私達は「LAYLA'S」へ向かった。相変わらず通りは観光客で一杯だ。午前中見た光景は一変し街中に音楽が溢れていた。私達は「LAYLA'S」の店内に入った。店内はお客で一杯である。ダンスチームも既に店内に日本のはっぴを着て陣取っていた。昨夜の「Family Wash」で会ったアメリカ人グループも座っていた。楽器の準備をしサウンドチェックを始めた。今までのライブハウスとは違いお客の流れがすごい。中には入っては出、入っては出と落ち着かない人たちもいる。
 
19.初めてのピンチ!
19.初めてのピンチ!
いよいよ時間だ演奏を始めた。じっと聴いている人、不思議そうに見ている人、現地のミュージシャンらしき人たちが入口に立って聴いている。こんな明るい時間から演奏するのはアメリカに来て初めてである。なかなかいつもの調子が出ない。4、5曲歌った頃、声が本調子でないことに気づきはじめていた。"Kaw Liga" の張らなきゃいけない部分の声が伸びないのだ。この数日間の疲れが急に襲ってきたように感じた。声はその人間の体調のバロメータだ。声はその人間の生活時間帯にものすごく影響されるのを知っている。私は20年間歌ってきたがいつもこんな難所を乗り切る術を身につけてきたはずだと自分に言い聞かせた。キャンディーに歌を振って足元に置いてあるカンビールを流し込み喉を休めた。
 
カントリーダンスチームはステージの前で一丸となって踊ってくれている。あたかも今の私に「ガンバレ!」と言ってくれているかの様だ。店内のお客さんはカントリーダンスを珍しそうに見ていた。拍手、拍手そして新しく入ってくるお客、そして出て行くお客、ここは音楽の街、観光の街。今初めてカントリー音楽のメッカで洗礼を受けている様な気がした。
 
バックは平然といつもと同様に演奏を続けていた。大場のスティールが店内に響き渡る。昨夜のホテルでの練習が功を奏しているのだろう。自分もいつの間にか普段の調子に戻っていた。そして一時間のステージは終わった。拍手と歓声。この店のハウスバンドのバンマスらしき背の高い男が「Good Job!」と肩を叩いてくれた。ステージの前に置かれた瓶の中はチップで一杯になっていた。「LAYLA'S」の店の社長は恰幅のいい女性で私たちにビールひと箱とTシャツをプレゼントしてくれた。後で分かったことだがチップの瓶は演奏が終わった後、客席を廻って集めるものらしい。そうしたらもっと・・・・・?
 
今夜は市内のカニ料理店でダンスチームと一緒に食事をすることになっている。11人一堂に会しての食事である。「乾杯!」今日の疲れもどこへやら、これまでライブは3時過ぎに終わるのが常だったが今日は8時から食事なのだ。時間はたっぷりある。ビール、ワイン、料理。あー旨い。皆んな満面の笑みだった。
20.ナッシュビル嵐の朝
20.ナッシュビル嵐の朝
朝、目が覚めた。久々にぐっすり眠れたのか体が軽い。カーテンの開いた窓の外はどんよりと薄暗い。いまにも泣き出しそうな空だ。私はテレビの電源を入れた。FOXTVのチャンネルだった。天気予報をやっている。南部の天気図が映っていた。その地図には雨雲の分布と雷発生の分布が表示されていてまさにこのナッシュビルもその範囲に入っていた。
 
突然ドドドーンと天井に何か落ちてきたような轟音が鳴りわたった。私は思わず飛び上がってしまう。そしてスコールの様な雨が降りだした。シャワーを浴びていた大場もびっくりして出てきた。「いやーすごいですね」と二人同時に言って笑ってしまった。稲妻が雲と雲の間を飛び交ったり地上に落ちたりなかなか日本では見られない光景である。これが30分ほど続いた。アメリカに来て初めての嵐だった。
 
 今日はメンフィスに移動する。朝食をホテルで済ませ、雨も上がった頃楽器を車に運び出した。この作業は日課になっていた。今日でナッシュビルともお別れだ。「ありがとうナッシュビル!」心の中でそう叫んでいた。全員、車に乗ってメンフィスを目指す。道路は雨水でアスファルトが光っていた。車内は昨夜の話で盛り上がる。昨夜はデービッドとウイリスは遅くまでブロードウエーで飲んでいたらしい。私には気がつかなかったが二人がホテルに戻ってきた頃、近所でいざこざがあったらしくパトカーも来たという。やはり油断してはいけないのだと思った。
 
車は走り続ける。私は何気なくスマホでメールをチェックした。すると昨夜サポーターのYKさんからメールが届いていた。内容は「もう少しだ。ガンバレー!」というものだった。ライマン公会堂の前で撮った写真を鈴木経二さんの主宰する掲示板「MUSIC ROW」に投稿したのだがそれを見て、いかにも私が疲れているらしく心配したらしい。フェィスブックにも仲間からも激励のメッセージが届いていた。本当に嬉しかった。元気がでてくるから不思議だ。
 
21.メンフィスに入る
21.メンフィスに入る
4、5時間走っただろうかメンフィスに入った。雨は降っていなが曇り空で薄暗い。この街も音楽の歴史がある。サンレコード、エルビスプレスリーなど名前を挙げるだけでもワクワクしてくる。しかし今回は残念だが観光する時間はない。迷わずに今夜出演する「MURPHY'S」に着いた。第一印象はアイリシュパブの雰囲気だ。
既に開店しているが中は薄暗く5、6人ほどのお客さんが居た。彼らは私たちの方を見ていた。入口側にステージがあり共通した造りだ。広さやPA、アンプの有無を確認し、おおよその配置を決めた。ここは5番目のライブになる。いつもそうだが初めて演奏する場所の確認はわくわくすると同時に心地よい緊張も感じる。
 
オーナーに挨拶し私たちは今夜泊まるホテルを探しに店を出た。唯一メンフィスでのホテルが日本で予約出来なかったのだ。ウイリスがスマホでいろいろ検索したが皆満室だった。そこでMurphy'sのオーナーに紹介してもらった。ホテルに空き室があったがまた一部屋に3人である。一人はベッド一台を専有できる?
ジャンケンが強ければ良かったなー・・・トホホ。安心して食事に出かけた。BBQだがなかなか美味しかった。
 
19時に店に戻ってきた。店内には沢山のお客さんが入っていた。今夜は2バンドでどちらもカントリーバンドだ。最初のバンドである「Pap'aTops」はWCと似ていた。既にステージ上でサウンドチェックを行っていた。なんとスティールギターが入っている。大場はその彼に挨拶をしに行った。対バン形式の場合自分たちと似たような場合は得てしてやりづらいものだ。ステージの裏の部屋でメンバーは待機した。
 
そばには今では懐かしいジュークボックスが置いてある。昔映画で見たような雰囲気だ。缶ビールを飲みながらテーブルで待っていた。しばらくすると客席の方から一人の老婦人がやってきて「今日は自分の友達を誘って楽しみにしてやって来た」そして彼女はハンクスノーが好きだと言った。またその友達はドイツ人だとも言った。彼女は握手して席に戻って行った。想定外の出来事にびっくりしていた。
22.ライブはやっぱり元気の源だ
22.ライブはやっぱり元気の源だ
いよいよ「Pap'aTops」の演奏が始まった。
PAの後ろから客席とステージが見える。客層は日本と似ていて今までのところより若干年齢が高いようだ。変な安心感が漂っていた。流れるサウンドは想像通りのもので心地よい。後半女性ボーカルが入りその歌声は伸びのある美しい声だ。なかなかの美貌である。私は知らず知らず彼女をPAの方から凝視していた。彼女が何気なく横を向いた時、目と目が合ってしまった!年甲斐もなく私は一人で照れていた・・・。
 
一時間の演奏であった。彼らは演奏を終えWCに謝意を表しステージを降りた。私達はステージに上がりサウンドチェックに入った。チェックが終了しオーナーはWCを紹介した。演奏は始まった。若いお客さんがステージの前にどっと詰め寄ってきた。しめた!と私は思った。もうノリノリだ。「Pap'aTops」の連中は何が起こったのかという感じで自分たちの演奏を見ている。そこにオーナーが客席からドイツ人の女性を連れてきた。私はすかさず次の曲を「フローライン」に決め演奏を始めた。喜んでくれた。オーナーも喜んでいる。
 
バンドにも火が付いた。ウイリスもビデオを回し所狭しと動き回っている。
この雰囲気がさらに店内をエキサイトさせた。ハンクスノーの"Yellow Roses"、キャンディーのヨーデル、大場の"スティールギターラグ"、リュウの"Rocky Top、"デービッドの"アダライダ"ノリのいい曲で攻めに攻めた。
 
あっという間に一時間が過ぎた。「アンコール!」「アンコール!」声がかかった。"Okie from Muskogee"で応えた。大歓声の中ステージを降りオーナーと「Pap'aTops」に感謝を伝えた。オーナーは終えた私たちにテネシーの酒を飲めと「Jack Daniel」をストレートで人数分持ってきた。さすがに誰も一気に空けるものはいなかった。ライブはやっぱり元気の源だ。
23.テネシーとお別れ
23.テネシーとお別れ
今日は曇り空だ。楽器を車に運び一路テキサスを目指す。ライブも半分以上終えた。残り3回のライブだ。本当にあっと言う間であった。一抹の寂しさを感じていた。さー、今日は一日かけて約1000キロメートル以上の移動だ。この長距離に耐えられるだろうか。夜のライブがないことが唯一、私を気楽にしてくれる。デービッドが車のボンネットに例のカメラを取り付けていた。
 
運転はデービッド、ウイリス、それと"りゅう"で交代しながらで行く。さー行くぞテキサス!道路は空いていて気持ちがいい。一時間ぐらい走った所でガソリンを補給するためにスタンドに寄った。皆んな車内で食べるスナック菓子や飲み物を買った。車内でウイリスがスナック菓子の袋を開け私の方を向いてその中身を差し出した。口に入れてみた。初めての味だったが美味しかった。「これ何?」と言うとすかさず運転中のデービッドが「ポークスキン」と言った。まさに豚皮の唐揚げだった。日本の"かっぱえびせん"よろしく皆んなパリパリやっていた。やめられない止まらない・・・・?
 
途中で反対車線が急に混みだした。
事故である。長い長い渋滞だ。日本もアメリカも同じだ。こちらの車線じゃなくてよかったと思った。それでも走っている道路の側溝にはひっくりがえっている車を何回も見た。どうか無事に到着するようにと心の中で祈っていた。
24.アーカンソーのレストラン
24.アーカンソーのレストラン
随分走ったがまだアーカンソー州に入ったところだった。昼食と休憩を兼ねて途中レストランに寄った。西部劇映画に出てくるような建物だ。中に入ると観光地で売っている様なお土産で一杯だ。2階はレストランになっていた。私達はレジの前に行って料理のコースを選択した。食べる前に払うのだ。その時レジの女性が「60歳以上の人はいるか?」と訊いてきた。実は60歳以上の客には割引があるらしい。3人が手を上げた。(あえて誰とは書かないことにしよう・・・)日本じゃ考えられないがなんのチェックも無く割引してくれた。嬉しいようなちょっとがっかりのような。
 
日本の定食屋によくあるような好きなものを自分で持ってくるスタイルですごい料理の種類だ。
キャットフィシュ(ナマズ)の唐揚げは想像を裏切り美味しかった。皆んな満腹のようだ。このツアーで人間にとって食事は大きな喜びであることを実感させられる。人間は食べるために生きている?
 
レストランを出る廊下の壁面一杯にカントリーミュジッシャンの写真が沢山貼ってあった。その中にはシヨージ田渕氏の写真もあった。皆で見ていたらそこにここの女社長という人がやってきて「これらの写真はナッシュビルのホールオブフェイムにあるものと同じ写真なのよ。」と言った。ウィリスがすかさず私達は日本から来た有名なカントリ-バンドで今ツアー中でこれからテキサスに行くところだと紹介してくれた。女社長は写真を送ってくれればここに一緒に貼らしてもらうと言った。そしてお土産をプレゼントしてくれた。リュウが「随分ウィリスは吹くねー」と笑った。そして全員が笑った。
 
随分走った。外はすっかり暗くなっていた。そのうち車は嵐の中に入っていった。横殴りの雨、雹、雷、ワイパーの往復運動が間に合わない。漆黒の空に稲妻が走る。ようやくダラスに入ったが更にオースティンまでが長っかった。結局ホテルに入ったのは夜中の1時を回っていた。皆んなカンビールを飲んで寝た。
 
 
25.オースティンは大都会
25.オースティンは大都会
昨夜とは打って変わって爽快な朝を迎えていた。朝食後ダンサーチームと再開した。今日のライブは夜11時からだ。昼間の時間はたっぷりある。オースティンの街を観光することにした。タクシーを使って繰り出した。オースティンはテキサス州の州都で第4、アメリカ全体で17番目の都市らしい。テキサス大学は美しく規模も大きく大変立派である。全体の街並みもどこか洗練された落ち着いた趣がある。一方でほとんど水着姿のギャルがウエスタンブーツを履いて道端でフラフープしたりする風景がひょっこり現れる。このギャップが面白い。
 
昼食はダンスチームと一緒に摂ることになった。10数人が一度に食事ができるところを探すのは意外に難しかったがタコス料理の店を見つけた。中は広く料理も美味しかった。特にモヒートというライムベースのカクテルは初めて経験する味だった。ギターを弾いて歌ってくれるおじさんがテーブルに来たりして食事を本当に楽しむ文化の違いを感じていた。今日一日が休みだったらと心底思った。
 
酔を覚ますためタクシーでホテルに戻った。今日のライブ場所は「HOLE IN THE WALL」だ。暗くなりいよいよ出発だ。楽器を車に積み店に向かった。市街からちょっと距離はあったが店の周りは意外に賑やかだ。店内では既にライブは始まっていた。窓から覗くと鍾馗様のような風貌の二人組が相当な大音量でロックを演奏していた。聞くところによるとオーストラリアから来ているらしいい。私たちのようなバンドがいるのだ。若いお客さんが5、6人聴いていた。私たちの出番までには時間があるので店内を見て廻ることにした。ここの造りはアセンズの「The Caledonia Lounge」によく似ている。店の裏は飲食ができるビアガーデンのようになっている。地方はこういうスタイルの店が多いのかもしれない。
 
食事をしているお客の中になんとカレーラーメンを食べている人がいた。メンバーは大笑いしたが、しかし美味しそうだなと思ったのは私だけではなかったはずだ。もっと奥にいくと大きい舞台があった。今演奏しているところより2倍ぐらいの広さである。現在は使われていないのかもしれない。なぜなら舞台の前にテーブルもイスも何も置かれていなかった。なんとなく日本の温泉旅館にある増築に次ぐ増築で大きくなったような継ぎ接ぎの感じだ。なかなか時間が過ぎないままとうとう店の裏のフェンスまで来てしまった。飲んでいたカンビールもなくなりもう一度演奏中の店内に戻ることにした。
 
演奏は終わっていた。演奏を終えたバンドの二人はカウンターで飲んでいた。ステージ上はまだ楽器が置きっぱなしだった。ここのブッキング担当者はまだ店に来ていないらしく私たちの演奏の準備をする気配もない。私は自分たちの楽器を搬入するよう指示を出した。メンバーは次々楽器を店内に持ち込み始めたときさっきのカウンターのバンドマン二人はこちらをじろっと見た。
 
26.テキサス最初のライブ
26.テキサス最初のライブ
鍾馗様のような髭モジャの男は缶ビールを置きすくっと立った。それにつられたようにもう一人の男も立った。私達の楽器を見て彼らも解ったらしくステージ上の楽器を運び出し始めた。みるみるうちにステージ上はスペースが出来、楽器をセッティングし始めた。そのうち今回のブッキング担当者が入ってきた。PAの調整が始まり、ようやく演奏する雰囲気になった。その頃既にダンスチームはテーブルについていた。サウンドチェックが始まると今までちょっと寂しかった店内がにわかに騒々しくなってきた。裏のレストランからもお客さんが移動して来ているようだ。
 
年齢層も若いように感じる。テキサス大学の学生が来ているのかもしれない。そしてGoサインが出た。演奏は始まりいつもの調子になっていた。ダンスも始まった。さすがカントリー音楽の州だけに前のステージとは雰囲気が一変していた。ここでの演奏は既に6番目にあたる。メンバーもかなり慣れてきているだろうが本当に毎回、新鮮な気持ちで挑めるのだ。一時間近い演奏は数曲のアンコールの後、あっという間に終わった。楽器撤去後、私はカウンターへ行きビールを頼んだ。隣にいた金髪の女性は私に「ホンキートンクバンドの人でしょ。とってもクールね」この時、私の頬はとってもホットになっていた!。Thank you "Hole in the Wall !"
 
27.テキサスの肉は最高だ
27.テキサスの肉は最高だ
次の朝オースティンは曇りだった。今日はダラスに移動だ。約300Kmの結構な道のりだ。今日の昼食は肉らしい。また例のバーベキューだなと思った。オースティンを出発し40分ほど経っただろうか。レンガ造りの工場の様な建物が目に入ってきた。車を駐車場に停め私達はレンガ造りの建物に向かった。途中、牛の運搬車がありその中には牛が載っていた。突然、キャンディーが「あ、カウボーイだ!」と叫んだ。建物からテンガロンハットをかぶったいかにもという3人組が出てきた。何か自然に格好良いと思った。そういえばアメリカに来て初めて日常でテンガロンハットをかぶった男達を見た。
 
建物の近くに「Smitty's Market,Inc.」という看板が立っている。ウイリスがネットで調べたところテキサスでも有名な肉のレストランらしい。目の前でスモークしたての肉を食べさせてくれるらしい。確かに敷地の一角に大量の木片が保管してあった。店の中には大勢のお客さんが食事をしていた。私達は6人前を注文し出来上がった肉を受け取った。その時デービッドとウイリス以外の4人はその量の多さに「スゲー!こんなに食えるのか?」と思わず言ってしまった。レジの女性が笑っていた。新聞紙のような厚手の紙に無造作に積まれた肉の山をテーブルに運んだ。
 
美味しかった。久しぶりにジューシーな肉を腹一杯食べた。残した者は一人もいなかった。食事を終えて車に向かう途中、店の従業員が追いかけてきてウィリスにサインを求めてきた。ウィリスは気軽に答えて「Smitty's 」の赤いTシャツをプレゼントしてもらっていた。リュウは言った。「ウィリスって有名なんだね・・・・」
 
 28.ダラスに到着
28.ダラスに到着
明るい中を走ったせいか意外に早くダラスに入ることが出来た。ダラスはテキサス州で第3の世界都市らしい。ケネディー元大統領暗殺事件を思い出す。確か「ダラス」というTVドラマもあったような。
今晩のライブは「ADAIR'S SALOON」で対バンなし我々だけでやる。今回のツアーで初めての経験だ。バンド本来の実力が試される。お客さんは最後まで飽きずに聴いてくれるだろうか?いやそれ以前にお客さんが来てくれるのか・・・。
 
いつも通り店の下見に行った。広さは今までの場所とほぼ同じぐらいでやはり入口側に舞台があった。PAもしっかりしたものが設置されている。珍しくBOX席があったがまだお客さんは入っていなかった。我々は楽器の準備に取りかかった。サウンドチェックはいつもより念入りに出来た。これも対バンがいないおかげだ。そうこうしているうちにお客が集まりだしていた。サウンドチェックが終わるや否や4、5人の女性から記念写真をせがまれた。(上々の気分フフフ・・・・?今夜はいいライブになりそうだ)
 
開始時間が来た。もうこの頃、店内はお客さんで一杯になっていた。演奏開始15分後ぐらいには新たに入ってくるお客は踊りながらノリノリで入ってくる。明らかに店内は熱気で一杯になっていた。あの不安はもう微塵も残っていなかった。
29.リクエスト曲にびっくり
29.リクエスト曲にびっくり
45分3回ステージの1回目が終了した。ステージから降りるとお客さん達が近寄ってきた。「僕はここで何年も演奏しているよ」と言ってきたのは一見日本人のような風貌の若い男性だった。またスーツを着てテンガロンハット姿の大男が私の前に立ちはだっかった。いかにもテキサスの大男という感じで2m近い身長だ。演奏が気に入いたようで握手を求めてきた。キャップをかぶった20歳後半の男性は「MY RIFLE MY PONY AND ME」を知ってるかと訊いてきた。「勿論知っているよ」「できるかい?」私は「できるけど今日はやらない」と言ったらがっかりしていた。内心私はびっくりしていた。こんな若い人がこんな曲をリクエストしてくるなんて。2回目のステージを始めた。ダンスチームの踊りが更にお客を巻き込んで盛り上がった。乾杯!私はステージ上でビールを飲み干した。空になった缶をアピールするとなんとさっきの大男が缶ビールを箱でステージに持ってきた。
 
30.テキサスでのライブを終えて
30.テキサスでのライブを終えて
大男がビールをひと箱持ってきたのをきっかけにバンドと客席が一体となり最高のライブとなっていた。バンドメンバーも満足げだ。演奏が終わった後、客の一人がまたここに来るかと言った。私は自然に「I'll be back!」と言っていた。「有難うテキサスそしてカントリー音楽!」皆そんな気持ちになっていた。
 
 
 
ニューオリンズに向かって
 
薄曇空のもとニューオリンズに向かって走っている。ウイリスが車中いよいよ最後の場所に向かっているが今どんな気持ちか訪ねてきた。メンバーは口々に「淋しい、もっと続けたい、でもちょっとホッとした」と同じようなことを言っていた。そして私も同様の気持ちだった。ルイジアナ州に入り途中、給油したり食事を摂ったりと車から降りるたびに少しずつ空気感が変わるのを感じていた。ミシシッピ川に近くなるとそれは顕著で湿度によるものだ。また2005年に襲ったハリケーン「カトリーナ」の傷跡をウイリスは教えてくれた。大きな池のような水たまりがあちこち見られた。なかなか水が退かないらしい。ウイリスは行政の非力を批判していた。また彼は若い頃経済的に苦しい時代がありミシシッピ川で労働者として働いていたことも話してくれた。今は立派な会社の社長として頑張っている。この広大なミシシッピー川を見ながら改めてアメリカを感じていた。
31 ニューオリンズ
31 ニューオリンズ
ダラスからニューオリンズまでは想像以上に遠い。7、8時間ほどかかったかもしれない。ニューオリンズ市内に入ったときはもう既に暗くなっていた。私が先ず驚いたのはこの街の圧倒されるようなエネルギー、これまで見てきた街のどこよりも凄い熱気で迎えてくれるのである。ウイリスの奥様のリサさんがニューオリンズに来るということでホテルを別に用意してあるらしくそのホテルでウィリスと一度別れた。私達は今夜演奏する「Circle Bar」へ向かった。市街の喧騒からちょっと離れたところにあった。フランス映画にでもにでも出てきそうな時を感じさせる天井の高い店の中ではアコーディオン、クラシックギターとマンドリンのトリオバンドが雰囲気一杯に演奏していた。
 
店外に出ると一人の体のがっちりした若い青年が立っていた。彼はウィリスの会社のスタッフで今晩我々の楽器の運搬など力仕事を手伝ってくれるらしい。外には今晩の対バンメンバーが集まっていた。やがてウィリスとリサさんが来た。リサさんは私たちとの再開に本当に嬉しそうだった。後で分かったことだが彼女はニューオリンズの出身らしい。そのうち対バンの演奏が始まった。カントリーバンドだ。マーティースチュアート似?の女性フィドラーがいる。お客も集まりだしていた。淡々と演奏が進行していた。お客さんも淡々と聴いている様子だ。ここは天井は高いが舞台はない。床が舞台でお客さんの目線と同じ高さだ。今回のツアーで初めてである。やがて一時間の演奏は終了した。私達は楽器を店内に運び入れた。音を出すまで何か今までとは違う雰囲気を感じていた。音の感じが今ひとつしっくりこない。しかしお客はもう私達の周り一杯になっていた。私はちょっと焦って「サー行くぞ!」と叫んだ。
32. 想定外の刺激的ライブ
32. 想定外の刺激的ライブ
演奏は始まった。今までの落ち着いた雰囲気はどこへ行ったのだろうか。私は目を疑った。お客が私の周りに押しかけ詰め寄ってくる。一曲終わると抱きついて頬に「チュッ!」としてくるのだ。(ん?・・・勿論女性です・・・・) 舞台の段差が無いからなのかこんな事は初めてだ。この紀行文を長い間読んでくださっている皆様は本当?と思われるかもしれないがまず本人が信じられなかった。昔、東京のウエスタンカーニバルで一世を風靡した山下敬二郎さんが言っていたことと似たような状況をこのジャズのメッカニューオリンズで経験しているのだ。さすがに免疫のない私はたじろぎ後ずさりしていた。ツアー最後のライブがこんな刺激的なものになるとは嬉しい想定外だった。1時間のライブはあっという間に終わった。アメリカ南部ツアー最後のライブはついに終わった。メンバーも充実感と程よい疲労感で表情は晴れ晴れとしていた。ウイリスといつも通りハイタッチしていた。そして気がつけばいつも通り楽器を車に淡々と運んでいた。ああカントリー音楽をやっていて本当に良かったと思った瞬間だった。
 
 
最後はニューオリンズを楽しもう
 
ホテルに戻りいつもの様に楽器を部屋に運ぶ。もうすっかり日常の作業だ。ライブで疲れた後のこの作業は本当に辛かった。でももう明日からこの作業から開放される。しかしなんだか妙に淋しさを感じている。毎回々のライブはいつも新鮮で全てのライブに思い出が残っている。普通なら毎晩派手に打ち上げをやって喜びを分かち合っているところだが今回のツアーは全く違う。常に車で移動しながら楽器の盗難に気を遣いそして何よりも自分たち自身の体調に最大の注意を払い8箇所のライブをやり遂げたのだ。今晩は缶ビールでささやかに乾杯だ。おそらく今メンバーの一人一人がその思いに感動し喜びを噛み締めながら飲み干したに違いない。「明日は思う存分、飲んで食ってそしてニューオリンズを楽しもう!」そして歓声は上がった。「ヤッー!」
33.ニューオリンズというところで
33.ニューオリンズというところで
ぐっすり眠ったせいか目覚めは爽やかだ。窓から見える空は曇っている。休日の朝のようにベッドからすぐには出ずグズグズしていた。昨夜のライブを何気なく思い出していた。そして、ああ全て終わったのだと改めて充実感と一抹の寂しさをかみ締めていた。メンバーは朝食を摂るため早々と準備していた。このホテルは決して新しくはないがなかなか渋いリゾートホテルのような趣がある。メンバーの顔も休日のその顔になっていた。朝食もゆっくり摂った。本当に久々の日曜の朝食のようだ。そして今日は一日車を使わずニューオリンズを歩こうということになった。デービッドは私たちに言った。「黒人が話しかけてきたら無視し、話しちゃいけない」そして「話すと内容に関係なく靴を磨かれてお金を取られるよ注意して」私達は「ヘーそうなんだ」とうなずいた。
 
 私達はフロントでタクシーを頼んだ。一台に5人無理やり乗ってバーボンストリートへ直行だ。車の中であるカクテルの話が出た。それはハリケーンというらしく2杯以上飲んではいけないと言われている。名前からしてヤバそうである。キャンディー以外の4人は密かに期待に胸を膨らませていた。併せてニューオリンズは食べ物が美味しいことを考えると更に期待は膨らんだ。
 
少しして私達はタクシーを降りた。ちょっと歩くとそこはもうバーボンストリートだった。昨夜初めて感じたニューオリンズの熱気が今は更に増幅していた。立ち並ぶ幾つものライブハウス。そこからいろんなジャンルの音楽が大音響となって放出される。この街全体が音楽の洪水だ。途切れることのない人の波。人・・・・。たった今結婚式を終えたばかりのカップルがウエディングドレスのまま親戚、友達などと一緒に歩いている。そしてその後ろをブラスバンドが演奏しながらついていく。この街と音楽は切っても切り離せないことがよくわかる。この日は本当に結婚式が多かった。
 
薄曇りの灰色の空の下、どこかフランスの香りがする建物、時の流れを感じさせる佇まい、人々のエネルギーそしてそれらと相まって人々の衣服の鮮やかな色彩が一段と映える。これら全てが混ぜん一体となりニューオリンズという街が存在しているのだ。私達は人の流れに従って歩いていた。その時ふっと振り返るとなんとデービッドが黒人に靴を磨いてもらっているではないか。「アレー?」と皆んな叫んでつい爆笑してしまった。
 
私達は通りの右側の店に入った。そこはなんとなく薄暗い店内、怪しさが漂うカウンター。なんとそこは例のハリケーンを売っている店だった。カウンターの前に列が出来ていた。やがて私達の番になりハリケーンを4つ買った。それは大きい紙コップに入っていて首が曲がったストロー2本が挿してある。そして真っ赤な、そう昔食べたかき氷の苺シロップのような色をしている。氷とチェリーがコップ表面ギリギリまで入っている。とてもチャーミングな外観だ。私達は店の奥のテーブルに座りそれを恐る恐る飲んでみた。それは怪しい美味しさ、女性でも好きになれる味だった。ラム酒ベースで旨い!強い!ヤバイ!4人が口を揃えて言った。
しかし私たちにしては珍しくおかわりはしなかった。ちびちび飲んでいたにもかかわらずかなり酔って最高の気分でまた通りを歩いていた。この強いアルコールがなお一層ニューオリンズを刺激的で魅惑的なものにしていた。
 
34.ミシシッピ川を望みながら
34.ミシシッピ川を望みながら
私達はミシシッピ川の方へ向かった。そこには海じゃないかと見間違うほどの雄大な景色が眼前に広がった。曇り空と霧のせいか灰色一色の幻想的な世界に吸い込まれていた。水面にところどころ白い波頭が見え、そしてそこには昔、映画で見た外輪船が絵葉書のように浮かんでいる。私はただただはるか遠くの水面を見つめていた。私の後方には大勢の観光客がいたがその喧騒は今の自分には全く無縁の世界になっていた。少し湿った風が火照った私の頬をなでていく。
 
このツアーの2週間が朦朧とした頭の内に再現されていた。アトランタ空港でデービッドがいなくなって途方にくれたあの時からあっと言う間の2週間だった。本当に短かかった、しかし長かったアメリカ南部ツアー。私の一生の貴重な思い出になることは間違いない。15年のバンド人生がこのツアーに集約されたことを確信する。良き仲間と夢のような日々。これらを共有できたことはデービッドそしてウイリス氏のお陰である。またホテルの予約、現地の下調べ、楽器などの手配などまめにやってくれた縁の下の力持ちキャンディに改めて感謝したい。そして一足先に帰国したダンスチームの声援も忘れない。この夜のメンバーがニューオリンズの食事、酒、音楽を最高に楽しんだことはご想像どおりである。
 
混み合うジャズのライブハウスの片隅で私はある言葉を思い出していた。何年か前のライブで、私が一度もアメリカに行ったことがないとMCで話した時のお客様の言葉、「是非一度アメリカの風に吹かれてきてください。きっと何かが変わりますよ」そして今、私の中にウイリーネルソンの「On the road again」がいつまでもいつまでも流れているのだった。
 
メンバー各4人の感想を最後にこの辺でアメリカ南部演奏旅行記の幕とします。
ウエスターンクルーナーズUSAツアーをご支援下さいました沢山の方々、そして本紀行文の編集にご尽力下さいました「切り抜きカントリー倶楽部」の田口利人氏にもお礼申し上げます。そして読者の皆様、永らくのご愛読有難うございました。また機会があればお会いしましょう。
それでは・・。
 
<マイティ大場>
念願のアメリカツアーとても感動しました。ライブ店の運営の仕方、又ミュージシャンの心構え等、大変勉強になりました。特にミュージシャンは自分の楽器、アンプ、ドラム等全て自分で持ってくるのには驚きました。日本ではほとんど備え付けを使用しますがやはり本場はいつも自分の楽器を持っているのでいつでも同じ音が出せる。(ちなみにギターアンプはほとんどフェンダーでした)
日本のミュージシャンでバンドごとツアーを行ったのは最初との事。バンドメンバーに感謝したいます。
 
<RYU>
実はアトランタのスターバーでアメリカに来て初めて演奏するという時に感動のあまりステージ上で泣いちゃいました!!もちろん他のメンバー、オーディエンスにはわからない様にですが?!このメンバーと一緒に(ウエスタンクルーナーズ)アメリカでのライブをやっているんだと思った途端でした。今でもその時を想うと目頭が熱くなります。このメンバーで出来た事が一番です。また来年あたり行きたいな!!
 
<キャンディ岡田>
この度の演奏旅行では国内外の沢山の皆様にお礼を申し上げます。ネットで簡単に下調べができたり、カーナビを使えたり、そんな時代に本当に感謝です。私達が日々演奏しているカントリーミュージック。その歌手、作者そしてミュージッシャンに改めて敬意を捧げたい気持ちです。なんの縁があってかの、このメンバーとの珍道中、音楽以外にアメリカという国の治安や、人種、慣習など短い期間ではありましたが目の当たりに出来たこと、何よりも貴重な収穫でした。この経験を活かし、これからも皆とカントリー音楽に邁進していきたいと思います。ありがとうございました!
 
<David Jakson>
The Crooners US tour is without question one of the top experiences of my life. I was doubly honored. I was honored to play a role in introducing the band to American folks, both musically and personally. I was also honored by the reception we received from those people in America, especially my friends and family. This tour brought together so many of the most important people in my life. That's the main reason why the Western Crooners 2013 US tour was so amazing. There are many more reasons, but I'll finish with just one. We were awesome. America, you're welcome!
 
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Last updated: 2021/3/9