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管理人のこと

マイク伊藤のブランソン通信

ブランソン通信  1
 
 
アメリカの中央。そしてさらに山奥深く入った町、ミズーリ州、ブランソン。そこには、ほんの片手の指の数ぐらいの日本人がいる。その一人私、マイク・イトウ。
「なにしてんの、そんなとこで?」そこから始めましょう。
 
カントリー、そしてブルーグラスっていうカテゴリーの音楽がアメリカにある。日本で大学時代その音楽に触れ、惚れきってこのアメリカに来てしまった。そして憧れのそのライブミュージックの町ブランソンのショー、ボールノーバーズという劇場にスカウトされ、ミュージシャンとしてこの土地では30年目になる。
ブランソンは今や40軒以上のショーがひしめく町。ここ20年ぐらいの間に全米のテレビ局が数々宣伝し、毎年700万人も観光客が押し寄せるアメリカでは有名な土地になってしまった。
 
カントリー、ブルーグラスの音楽をご存知ない方の為に簡単に説明しておこう。この音楽、日本で言えば「演歌」の世界。惚れた、はれたから始まり、カウボーイ、木こり、無法者などの生活を歌った内容。そして都市に進出する前の土着の生活を描いた歌が圧倒的に多い。ということは元々アメリカ人の真髄を歌った音楽だ。日本でもよく知られているエルビス・プレスリーなども実はこのカントリーミュージックから出発し、彼の音楽はその影響が大なのである。
 
今、ブランソンは全米にライブミュージックの町として紹介されているが、元々釣りで有名な土地だった。そこに50年前ボールノーバーズという名のグループがショーを釣り場の前の掘建て小屋で始めたのが、現在の全米に知れ渡る音楽の町になるきっかけになった。私はそのもっとも古株のショーでフィドル(バイオリン)、バンジョー,マンドリンを担当し、歌も歌う。バンド全員私以外はアメリカ人、そしてほとんどはこの土地の人間だ。
 
まず、ミズーリ州と言えば、なにを日本で思い浮かべるかと言うと、マーク・トウェインという児童作家が書いた「トム・ソーヤーの冒険」。あの冒険談に描かれているロマンにこの辺りは囲まれている。そしてブランソン周辺はこの物語に沿ったアウトドアスポーツのメッカとも言える。探検できる洞くつもあれば、カヌー、キャンピング、ヨット、山を歩き回る乗馬、ショットガン撃ち、そして釣り。
 
キャンプをし、夜になると飛び回るホタルと降り注ぐような星の光はまさにロマンの舞台装置となる。じっと耳を澄ますと草をゆっくり噛みしめるような鹿の足音も聞こえる。昼、夜を通して小動物のオンパレードというのも都会から来る人達にはうれしい。それに危険な動物がいないのもキャンプが人気の一つの理由でもある。
 
次回はここのメッカである音楽をもっと掘り下げてみたい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2009/03/10
ブランソン通信  2
 
 
ミズーリ州って日本で知られているのはマーク・トゥエインの「トム・ソーヤの冒険」なんてことを、一回目の通信で書いたら、「ミズリーって言うと終戦の時、降伏文書調印をしたアメリカ戦艦ミズリー号を思い出す」なんて言ってきた人がいた。
あーあ、そんなことを言うと年がわかりますよ、ホントに。でも、確かにその時が「ミズリー」っていう名を強烈に日本で聞かされた最初ではなかろうか。そしてその時の大統領、トゥルーマンもミズーリ州出身であった。ついでに、このミズーリ州には日本で結構知られている都市が二つばかりあるのをご存知かと思う。カンサスシティとセントルイスだ。これらの町はこれから述べるカントリーミュージックというのはそんなに強くないけど、ジャズが好きな人には欠かせない町である。
 
カントリーミュージックって、ちょうど日本の演歌にあたるような人間臭い内容を持った音楽であることは前回述べた。それは毎日の生活、恋、失恋から始まり、カウボーイ、ウエイトレス、トラックドライバー他、まったく気取りのない人種を対象にしている。カントリー界の全米スターの中には銀行強盗とか泥棒をやり、刑務所暮らしをしたのも何人かいる。アメリカのすごいところはそういう人達も才能さえあれば立派に受け入れる度量の大きさがある。日本で前科者がおおっぴらに音楽界の世界で大ヒットした人なんてそうざらにはいないでしょう。だからついでに前科者ではないが、日本からやってきた外国人、マイク・イトウもこの世界で受け入れてもらっている。
 
このミズーリ州ブランソンはカントリーミュージックというほんとにアメリカらしい音楽の町として始まり、現在に至っている。しかしこのアメリカらしい音楽をアメリカでも、そして日本でも、もっとも影響を与えた人にハンク・ウイリアムスという人がいる。この人が、かりに今生きていたら85歳。アメリカはまだ若い。まだこの世に生きていても不思議ではない人物が始めた音楽が、このアメリカ中部では主流なのだ。
 
このハンク・ウイリアムス。飲んだくれが原因で29歳で亡くなったのだけど、いわゆるカントリー界のモーツアルト。この29年で一生を閉じる前にほとばしるようにすばらしい人間臭い曲を書きまくった。曲を書くだけでなく素晴らしい歌手だ。その歌の内容をこの人ほど表現できる人は数少ない。
 
アメリカ、そしてアメリカ人を知るんだったらこちらの女性(私は男だから)と恋をしろって誰かに言われ、その言葉を素直に受け入れたのだけど、「恋」もアメリカンスタイルは大陸的だ。
日本の昔の女性のように奥ゆかしいとか、男をたてるとかの感覚はあまりない。自分を主張し、とにかくたくましい。だからこちらもはっきり自分を主張して、はっきり好きか嫌いか伝えないとたちまちふられる。
 
このカントリーミュージックにもそれが反映している。日本の演歌ってマイナー調でじつにウエットなんだけど、このカントリーミュージックでは失恋の歌など運動会の行進曲みたいなものもある。もちろん多くの失恋歌はしっとりバラード調ではあるが、それでも日本のそれのようにじめじめしていない。日本で一般にカントリーミュージックが知られていない大きな原因は、まず歌の対象の生活スタイル、フィーリングが違うからである。このカントリーミュージックをパッと日本に持ってきても「ヨコハマ?、たそがれ?」とか「リンゴ?のはなびらが?」的なフィーリングではない。
 
でもね、アメリカがまだまだ好きな日本人。アメリカのハートランド(中心部)に存在するカントリーミュージックから接してみては?また新しいアメリカを発見できること間違いなしですよ。
 
更新日時:
2009/03/10
ブランソン通信  3
 
 
海外を旅する時、それぞれの国を理解する方法は人それぞれ違うと思う。歴史から入る方法。その国の人間に直接コンタクトする方法。宗教などから分析する方法他、他。
 
私の場合、アメリカを理解するのは音楽から入っていった。アメリカは人種のるつぼ。従って各人種によってそれぞれ異なった音楽があるわけだが、それらの人種を越えた共通の音楽がアメリカにある。私はそれを前回述べたカントリーミュージック。そしてこれから述べるブルーグラスミュージックだと思っている。
 
カントリーミュージックって直訳すれば『田舎の音楽』である。しかし音楽業界が売り込む際、都市の人間でも理解出来るようにかなり一般的なサウンドにした。例えばエレキギターを入れたり、ドラムを入れたり、いわゆる電気楽器を使うわけだ。そして一般のポピュラー音楽から取り入れた旋律も取り入れている。
しかしブルーグラスミュージックというのは違う。電気楽器は一切使わない。元々このブルーグラスがカントリー界に影響を与えているわけだが、この音楽、日本で言えば『民謡』か『浪花節』である。それが演歌に変化したのがカントリーミュージックということになろうか。
アメリカはご存じのようにヨーロッパからの移民が主にこの国を作っている。その過程でこのブルーグラスも当然ヨーロッパの音楽の影響を受けている。バイオリンのことをカントリー、ブルーグラス界ではフィドルという。そしてそこに書かれたフィドルフィーチャーした曲などはまさにアイルランドのフィドルの曲をもじった曲もあれば、スゥエーデンの地方の曲をもじった曲まであるという、まさに私にとって自ら弾きながらパイオニアの歴史を見ているかのような錯覚を起こす。
 
そしてパイオニア達がアメリカに渡ってきた時、未知の国に行くのだから当然男連中が圧倒的に多かった。アメリカのレディーファストという習慣ももちろんそこからきている。数少ないものはいつの時代も大事にされるというわけだ。そしてこのブルーグラス音楽の基礎となっているハーモニー。元々ハーモニーなんていうのを歌う時男と女で歌うわけだが、当時回りを見渡せど肝心の女がいない。そこで高音の部分を女性を真似て歌った。そのアイディアがこのブルーグラスの強烈な高音のハーモニーに現われている。
しかしこのブルーグラスミュージックとはいえ、ブルーグラスという名を命名し、世に出したビル・モンローという人間もついこの間まで生きていた。それ以前はマウンテン・ミュージックと呼ばれていた。アメリカ東部の山岳地帯で発達した音楽だからである。しかしながらブルーグラス以前の音楽のマウンテンミュージックっていうのは元々音楽的に才能があるわけではない木こりなどが暇つぶしに集まって歌っていた音楽で、お経みたいな曲が多い。
 
私など大学当時このブルーグラスを始めたのだが、それ以前のこのお経みたいな曲などもかっこいいと思っていたものだった。日本人ってマニアックになる傾向があるのかもしれない。考えてもみて欲しい。アメリカ人が日本にやってきて浪花節をうなり出すのと同じ感覚で我々はやっていたのです。こちらではへんな外人、マイク・イトウ。
 
次回はミュージックビジネスで得る特典みたいなものを紹介したい
更新日時:
2009/03/10
ブランソン通信  4
 
 
あなたが旅に出て印象に残ること。それは何が対象であろうか。
この回で私は巡り会う人たちに焦点を置いてみた。 と言うのも、旅、音楽という仕事もそれに共通点を持つからだ。毎晩平均千人以上のお客さんの前で演奏している。演奏時間2時間のショーであるが、その間黙々と自分だけで自分の演奏に悦に入っているわけではない。演奏の対象として客がいる。その相手が何を求めているか、相手にどうアピールするか常に考えている。
 
まず、全体の客の性格が毎晩違う。 全く同じ曲を演奏していてもその反応が違うのだ。 それはあたかもたくさんの客が毎晩、一人、一人異なる人間の性格のごとく集約、変貌されて迫ってくる。 観客が対象の仕事をする者のみが感じる醍醐味がそこにある。 さらに音楽を通してその中に個々に存在する人間の触れ合いを感じるのである。舞台を降りて具体的に触れる人たちの中にはミーハーもいれば、時間の無駄と思われる人間も存在する。 しかし多くの人から私はスパイスを与えてもらっている。 それが今回私の言いたい音楽の仕事の特典なのである。
 
旅も単なる景色を見るだけの旅より、その土地、その土地の『人間』に触れるチャンスを含む旅の方がより印象を深めるのと同じではないだろうか。
 
コンサートはミュージシャンや歌手が勝手に弾いて、歌って、お客さんが勝手に聴いているだけのようだが、じつは人間と人間のコミュニケーションのビジネスなのだ。
 
音楽のプロになるということで、ある著名なオーケストラの指揮者がこんなことを言っていた。 「子供をもし音楽家にしたいなら、芸術家にするのではなく、「芸人」にさせる覚悟でなければならない」と。
これは的を得ていると思う。ここに含まれる意味は深い。 つまり客に受けなければプロという意味はないということである。 常に相手、そこにコミュニケイションが存在しているのである。言い替えれば客に好かれないプロは失格である。 そこがなんでもプロの世界というものは厳しいと言われる所以であろう。
さらにこのプロ、いや『芸人』は人が好きでなければ、音楽業をする資格はないともつけ加えたい。 自分だけの殻に閉じこもり、自分だけの自己満足の音楽では成り立たないビジネスである。
そして芸術家という意味の『芸術』は自分からアナウンスする言葉ではないと思う。 
他人がその音楽家を判断する言葉である。人に喜んでもらい、感動させる演奏が出来た時、そこで他人が『芸術家』と呼ぶ言葉だと確信している。
 
今年もこのブランソンへ日本からのツアーで友人達が来てくれている。 まだまだ12月の半ばまで今年のショーは続く。人の輪がさらに広がるこの音楽の仕事に喜びを感じる毎日である。
 
更新日時:
2009/03/10
ブランソン通信  5
 
 
音楽事情が続いたところで、旅に出た時、誰もがまず興味のある事を述べてみたい。
それは人間の欲の出発点である食べ物である。もちろん普段の生活においても欠かすことが出来ない項目であるが、特に海外に出た時、その国、その国の食事が文化探究 に繋がることは言うまでもない。
ところがである。日本からここに来る方々には不思議な現象が起こる。彼等はこのブランソンに滞在するたった3、4日の旅ですら日本食を断つことが出来ないのである。それはあたかも麻薬に狂ったかのような様相を示す。じつはそんな彼等を見るに見かねて私の家に招待し、私が自ら作る手製の汁でソーメンをごちそうする。すると彼等の顔がとたんに恵比寿様みたいな顔付きになるのだ。仏頂面が恵比寿顔になるのである。同じ神様の顔でもこれはかなり違う。私もそんな顔を見るのが楽しみで招待し続けているうちに、『ブランソンに行ったらマイクのソーメン』というのがいつのまにかブランソンに毎回来る知り合いの中で定評になってしまった。
それはともかく、日本からの客人の中には始めから耐えられないのを見越してスーツケースにインスタントラーメン、インスタント味噌汁のたぐいを持ってくる人達もいる。
でもねえ、なぜその国、その場の土地柄の食事にチャレンジしないのだろうか。インスタントものよりその方がずっと楽しいと思うのだが。そしてその理由は食事そのものだけではないものも得られるからだ。それはこういう意味である・・
 
東京は世界で一番食事のバラエティに富んでいるところかもしれない。とにかく全国のみならず世界の料理、飲み物がなんでも存在する。東京には確かに炭火のステーキ屋も、アメリカンスタイルを売り物にする飲み屋、レストランも数多くある。しかしどんなに味を同じにしても変えることが出来ないことがある。つまりいかにアメリカ風にしても所詮アメリカで食べているのではないのだ。あくまでも日本でのアメリカ風レストランというだけに過ぎない。
 
食事というのは食べ物だけでなく、雰囲気がともなって始めて味も変化してくる。例えば紙コップに紙皿。同じ食べ物がこれだけの変化でいかにまずくなるか試してごらんになったことがあるでしょうか。ともかく日本からはるばるこのアメリカ中央の土地、ブランソンまで来ているのだ。その雰囲気を味わう店というのがここにもある。一例を挙げればこのオザーク山中のテーブルロック湖が一面に目の前に広がるレストランがある。
 
ここには客もウエイトレスももちろん日本人は一人もいない。そして皆さんがよくご存じのアメリカの西海岸、東海岸。そこではないのですよという人間が醸し出す雰囲気が味わえるのである。まずウエイトレスがアメリカの田舎特有の擦れていない人のいい笑みを浮かべて近づいてくる。ホテル以外の人間に接っする最初の土地の人間かもしれない。極端なことを言えば旅の印象を左右してしまう程の力をこのウエイトレスという人間は持っている。
それは『え! アメリカ人のウエイトレスってyesかnoの注文を取るだけの機械みたいな人間かと思ったら、こんなに暖かい人間なの!』って誰もが思う程いわゆるオザーク式歓迎なのだ。食事そのものだけではない発見の始まりだ。そしていよいよグルメの世界へと入っていく。
 
もちろんアメリカ食の代表はステーキ。日本の霜降りの松坂牛とはまったく違うアメリカらしい、いわゆる肉の歯応えというものがある。改めてアメリカに来たのだなと感じる一瞬である。ブランソンはアメリカの中央だから、海からかなり離れている。従って海の幸は海の近くの海産物を出すレストランにはかなわない。しかしここには湖、そして川がある。そこで取れる魚がある。それは鱒に代表されるが、そのムニエル風、バーベキュー風となかなかの味を醸し出す。それもお試しあれ。
そしてあえてお進めではないが、日本では一般に食べない、見たことのないものも紹介しよう。しかしながらなかなかの珍味である。まずナマズがある。こちらではナマズのヒゲの顔つきからキャットフィッシュ(直訳すればネコ魚)と呼んでいる。料理の仕方は天ぷら風フライが主であるが、この魚のフライの仕方のうまいレストランを見つけるとやみつきになる。そしてフロッグレッグ(蛙の足)。鶏肉よりやわらかくておいしい。さらにフロリダ州から取り寄せるワニの肉。これは固くてちょっと生臭い。最後にアメリカの野性肉も紹介しよう。バイソン(野牛)、鹿、リスなどの肉である。もうここまで試せば否応なくパイオニアの国、アメリカを感じることになる。
 
 食べ物から探る文化の味。海外での楽しみが一段と増すこと、間違いない。
 
更新日時:
2009/03/10
ブランソン通信  6
 
 
海外に行く、いや移住さえする日本人は日に日に増えている。私が大学時代夏休みを利用してアメリカ旅行をしたのは、クラスで私だけだったなんて言うとバカにされるかも。というより『あなた、一体おいくつ?』って聞かれそう。自称26歳で通しているウソがすぐバレる。でもこれをお読みの方々、私に会ってごらんなさい。
26歳だって言ってもちっとも不思議ではない容姿をお見せしますよ。それがすべてとは言わないけど、若さが唯一(?!)の取り柄なんだからそれぐらいは自慢させてもらいます。とにかく化石人間のような話しをしなければならない程、アメリカでの生活の方が日本でのそれより長くなった。その間の日米の違いの話しをほんの一部だけれども進めていこうかと思う。
 
近ごろは誰でもパソコンを使うようになった。 私も日本のニュースはいつも読むことにしている。ある種のサテライトを頼めばNHKテレビ放送も入るそうだが、はっきり言って四六時中日本のことは知りたくない。しかしアメリカのニュース放送を見た後インターネットで日本のニュースを読むと、こんなにも見方が違うのかという比較が出来てたいへんおもしろい。当然のことかもしれないが、それぞれの国はオリンピックと同じで自分の国に関係ないことはほとんど放送しない。ちなみに北朝鮮から家族が戻ったニュースなどは当時日本で毎日のことだったでしょう。でもこちらでは一度ちょっと放送されただけ。後は皆無。イラクの日本人における事件のニュースもしかりだった。
そして音楽の理解の仕方にも日米大きな解釈の相違が生じるのである。
さてどんな相違かというと、こういうことである。例えば私の演奏するカントリーミュージック。こういう感覚的なものも日本では特にこの音楽への近づき方は分析から始まる。まず日本のカントリーミュージックファンは各アーティストについて百科事典ではないかと思われるようなことを知っている。
この歌手は何年に生まれ、この曲は何年にどこで録音され、誰それと結婚して離婚して、ヤギ泥棒で捕まりとか。とにかくすごい。音楽っていうのは感覚が主体。例えば毎日FMから流れる音楽を聞く時、その歌手の歴史とかを分析するでしょうか? ほとんどの人達は単にその音楽を聞いていいなと思うから聞くわけですよね。しかしカントリーミュージックのファンにそういう分析型が多いのはなぜなんだろう。
 
アメリカの人達の聞き方はそのカントリー歌手の歴史を知ろうとして聞く人なんてほとんどいない。今私が演奏している劇場に来るお客さんも、絶対にカントリーミュージックでなければというより『音楽そのもの』をまず聞く。そしてその曲が受ける時は単純にその旋律、演奏するミュージシャンの出来によって拍手をしてくれる。このブランソンという町は元々カントリーミュージック一色だった。しかし今は半々づつカントリーとポップミュージックに分かれている。そして私が演奏しているカントリーミュージックショウに来た同じお客さんが、次の日はアンディ・ウィリアムスの劇場に出かけ満足して帰って行く。音楽なんていうのはそれでいいんじゃないかと思う。
 
カントリーミュージックというのはアメリカではレッドネック層が主体。レッドネック(直訳、赤い首筋)というのはつまり肉体労働者。それには日本でも有名なカウボーイを筆頭に、トラックドライバー、季節労働者他。つまりホワイトカラー以外の人間がより好んでこの音楽をアメリカでは聴く。そして地域的にも西海岸、東海岸以外の人間がほとんどだ。しかしもちろん歴代の大統領とか、いわゆるアメリカを代表する地位のある人間もこの音楽のファンがいることは確かである。ところが日本は逆である。地位のある人達の方がこのカントリーミュージックファンが圧倒的に多いのだ。このブランソンに来る私の個人的な友人達も大部分、日本では地位のある方達である。
 
私なりの結論として、日本ではアメリカの音楽、特にカントリーミュージックを聞く為の雰囲気と場所が日常は存在しないから自然、分析型になるのだろうと思う。そしてこの音楽が日本に定着しない理由に、地位のある階級層がカントリーミュージック学を学ぶがごとく近づいた結果ではないかと思うのだ。フィーリングが中心のはずの音楽がいつのまにか難しいものになってしまった。それをゴーゴーダンスをやるがごとくの感覚で接していれば、もっともっと日本でも普通 に聴かれる音楽になっていくような気がする。
 
カントリーミュージックは日本で言う演歌みたいなものと以前に書いた。つまり毎日の生活がにじみ出ている音楽だ。そこには飾り気もなにもない。ホワイトカラーとか地位とかを述べることすらほんと言うとナンセンス。 歌に書かれている詩を読めば大部分、惚れたはれたの男女の関係が書いてある。社長もこじきも惚れ合えば同じ。背広を着ている人もTシャツ着ている人もそれを脱げば同じ。気取りもかっこつけもない。例えばエリザベス・テイラーが一番最後(?)の結婚、離婚相手はかなり年下の土方であった。人間裸でつきあえば地位も名声もない、みな同じといういい例である。そしてそれがカントリーミュージックの原点である。
 
 
更新日時:
2009/03/10
ブランソン通信  7
 
 
ブランソンに住んでもう30年目になる。30年前のブランソン、そして今のブランソン。これは私が育った東京の変化よりもっとすごい。この町は不思議な町である。アメリカでもしも七不思議という話が存在するなら、間違いなくそれに含まれる話である。ブランソンに相当するサイズの町、音楽の町は他の州にもいくつか存在する。ところがなぜブランソンだけが発展するのか。
 
ビジネスの発展は『タイミング』とよく言われる。そしてそのタイミングがなにか目に見えない力でうまく合ってしまったというしかこの現象は他に説明出来ない。人口6000人あまりの町に年間700万人以上の観光客がやってくるなんて考えられるだろうか。そして30年前は7軒足らずの劇場が今や40軒以上、そしてその中で120以上ものショウがひしめき合っている町に変化してしまった。
 
まずこの町は20年ぐらい前まではローカル(地元)のミュージシャンが集まって演奏する場所だった。そのうちその一軒の劇場がナッシュビルからスターをゲストとして呼ぶようになった。そしてそのスター達が口コミで仲間に伝えたのがきっかけで、ナッシュビルからさらにほかのスター達が劇場を借りるというパターンでショウをオープンすることになった。それからが雪だるま式である。劇場が増え、人が集まり始めると自然メディアというのが注目し始める。その極めつけが全米3大ネットワークであった。中でももっとも人気のある番組CBS『60 minutes』という番組にブランソンが特集された後ブランソンの発展が決定的となった。
それ以後は全米からテレビ局が次々に訪れ、世界各地からもメディアが訪れることになった。大富豪、ドナルド・トランプがスポンサーになっているミスUSAコンテストまで2年続けて行われることになった。
 
一方自然の中での町の発展には常々ジレンマも生まれる。それはブランソンの場合、全米的なスター的存在の町を求めるのか、それとも自然をそのまま保つかの選択である。しかし現在、その選択は前者のスター的存在の町として全速力で発展している。広大なオザーク山系は、そしてその自然はブランソンの発展を見守るかのように、何事もないかのようにぐるりと静かに存在している。そして発展にともない元々あった劇場はほとんど廃退した。しかし一方では残った劇場のひとつが、新たに出来た劇場が毎年交代する競争の中で依然トップをばく進しているという現象もおもしろい。それはこのオザーク山系地方のオリジナル文化を売るショー、「ボールノーバーズ」だ。そしてそのオリジナルな中にも全く違う文化を持つ日本人のミュージシャンを取り入れ、コントラストとしたこともユニークなショウとして認められている。この文を書いているマイク伊藤はその本人であるが、例えば日本のどこか果ての田舎で、いきなり青い目の白人が民謡のショウに参加していることを想像して頂きたい。ただアメリカでも外国人だからいい加減な演奏でいいということは許されない。ここの音楽、カントリーミュージックの詳細にいたるフィーリングを研究し尽くさないと客も認めてくれない。この土地でもっとも古株の今年50年目のショウ、ボールノーバーズが未だに生き抜いているのがその証である。
 
さて発展ということに関し、今年の変化はまた凄まじい変化が進んでいる。車で、もし他に交通量がなければ通り過ぎるのに20秒かからないブランソンのダウンタウン。そこに大々的に『ブランソンランディング』という名の大都市にあるような雰囲気を持つショッピングモールが出来た。そしてその地区に ヒルトンホテル、1万人収容のコンサートホールを兼ねた会議場まで出来た。その前を流れるタニコモレイクという名の清涼な河沿いのブランソンランディング内部にレストラン、パブもいくつか出来た。ブランソン周辺の湖、緑を堪能出来る大自然、そして都市の雰囲気も同時に堪能出来る土地に変化してしまったのである。
5月にはブランソン空港が完成する。
 
 
この町は変化の天才である。毎年違った顔を見られるのもこの町の人気の秘密の一つであろう。そしてこの間問題のガソリン高騰、そして現在の不況。じつはこれがむしろこのブランソンへの観光客に拍車をかけている。と言うのもアメリカ中部の人間は西部、または東部、そしてフロリダ方面までお金を使って遠乗りをしないで、目の前のオザーク地方に行こうという傾向が増えたからだ。
現在ブランソンの北を半円するバイパスも出来ている。
さてブランソンであいかわらず楽しめることはやはりアウトドアスポーツであろう。私の生活も昼、時間のある時はアウトドアスポーツ三昧につきる。その醍醐味の一つに湖でのボート遊び。湖といっても水温は高い。ちなみに27度前後である。ということはかなりの時間水に浸かっていても気にならないということである。ブランソンにはショーのみならず、ショッピング、アウトドアスポーツ、そして古き良きアメリカが存在する。地元のいわゆるおおらかな人の良さ、その中に存在するアメリカ文化。そしてその文化は古さと、前述した発展の新しさが交差する今日この頃。是非このアメリカの七不思議、ブランソンを共有して頂きたい。
 
 
更新日時:
2009/03/10

PAST INDEX FUTURE

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Last updated: 2022/1/1