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東京ヘイライド(2)

1    東京ヘイライド(100) Porter Wagoner   真保 孝
●ポーター・ワゴナー。かつてハンク・スノウ、ジミー・ディケンズ、ジョージ・ジョーンズなどで楽しませて貰ったステージでのきらびやかなウェスタン・コスチュームの全盛時代は、いまや終わった感が深い昨今。テレビのカラー時代が始まった頃、誰もが競って着飾り、演奏、歌い回し同様に個性的だった。
 
●代表的なひとりにポーター・ワゴナーがあげられ、彼がそれをトレード・マークにしたのは1950年代の始めだった。以後、2007年10月、肺ガンで他界したワゴナーが老体を押してオープリーに姿を見せるだけで、ステージに活気がみなぎり明るさが増した。会場の年輩のフアンから大きな拍手が湧いた。
上着のボタンをはずして、その裏地をパッ!と開いて見せると、そこにはキャッチフレーズの「ハウディ」(HOWDY)の文字があざやかに刺繍されていることは誰でもご存知で、客席は「わっ!!」と湧く。
 
●「今時こんな衣装を着て、最も保守的な歌手だと言われるかも知れないが、僕がこのスタイルを取り入れたのは1953年のミズリー州スプリングフィールドでのショウ(オザーク・ジュビリー)が最初だった。それ以来、50着以上、すべてヌーディなるデザイナーに担当して貰ってきている。
ヌーディはハリウッドの有名なデザイナーで、ほとんどの有名歌手たちのステージ衣装を担当していた。
 
●「厚手の生地にカラフルな刺繍やビーズ、スパンコールでびっしりと縫い込んだ絵柄で洋服の重さは想像以上です。老兵の肩にはかなりこたえて夏には汗をびっしょりになります。でも、僕のこの衣装を楽しみに来るファンも多いので、今更止めるわけには行かない」(ワゴナー)。
 
ワゴナーが亡くなった2007年は、10月にはフィドラーのクラーレンス・”テイター”・テイト(76歳)、11月にはハンク・トンプソン(82歳)が、二人ともワゴナー同様に肺ガンで他界していた。あの衣装は今どこに?歴史的な遺品として、他の歌手同様に殿堂に寄贈されているかも知れない。
 
 
更新日時:
2011/10/21
2    東京ヘイライド(101)  Kathy Mattea  真保 孝
●キャシー・マティア。今年いよいよ50歳の大台を迎えたマティアのルーツ(原点)はカレッジ時代にのめり込んだブルーグラスにあることはあまり知られていない。
「あの頃、ブルーグラスに夢中で、学友と集まって近くの空き家の玄関先で、何時間もギターの練習をした懐かしい思い出があります」。  通った西ヴァージニア大学ではブルーグラス・バンド「ペンズボロ」(Pennsboro)で活躍した。
 
●やがて途中退学して19歳の時、友達とナッシュヴィルに出たが、なかなか芽のでない辛さに友は帰郷してしまった。残された彼女はカントリー音楽の殿堂のツアー・ガイド、市内のレストランのウエートレス、音楽出版社のデモ・レコードの代役吹き込みなどをしながらチャンスを待った。
 
彼女がナッシュヴィルに出た頃は、今のようにまだ新人女性歌手への道が大きく開かれていなかった。そんな中、ある日たまたま道で出会ったボビー・ゴールズボローのバックに採用されたことから運が開けた。
 
●24歳の誕生日にマーキュリー・レコードから契約の朗報が届き、「Street Talk」でデビューが出来た。しかし第1位ヒットの「Goin’ Gone」と「Eighteen Wheels And A Dozen Roses」(CMA Single of the Year)が出るまでにはなお4年近くの年月がかかった。「私の人生のキャンバスはまだ真っ白で、これから自分の絵筆(努力)で何でも書くことが出来ると考えて歌い続けた」(マティア)。
 
●独特のスリー・オクターブのクリアーなアルト・ヴォイスが武器で、希望としてはこの辺で初心に戻ってブルーグラス系のアルバムを録音して貰えないだろうか?幸いブルーグラスの分野に同じウェスト・ヴァージニア生まれの親しい友人ティム・オブラィエン(ほぼ同年代で、共に大学を中退している)もいる。きっとよいアルバムが出来ると考える。
 
 
 
更新日時:
2011/10/21
3    東京ヘイライド(102)  Johnny Cash   真保 孝
●「ジャクソン」。ナッシュヴィルという地名はテネシー州だけでなく、全米に10位あると言う。Jacksonと云う名の都市(街)もミシガン、ニュージャージー、ワイオミングなど各州にある。人口で一番大きいのはミシシッピ州中部にあり、州最大の都市で鉄道と流通の中心だ。
 
ジョニー・キャッシュとジュン・カーターの熱唱で知られた歌の題名にもなったジャクソンはその中で、多分テネシー州西部にある都市(人口51,000人)を指すのだろう。
 
ここは自らを犠牲にして乗客を救った国民的英雄、機関士のケイシー・ジョーンズの生地だ。以前はアレクサンドリアと呼ばれていたが、第7代大統領のジャクソンに因んで1822年に改名された。
 
●この曲のステージは2000年2月に公開された映画「ウォーク・ザ・ライン/君に続く道」で「Ring of Fire」(1963年、第1位)と共に再現できた。驚くことに、このシーンは吹き替え無しで、主演俳優の二人が歌った。
 
キャッシュは生前ソロ歌手としては数回のグラミー賞を受賞しているが、これは再婚した(1968年)ジュン・カーターと組んだデュエッ(1967年)でだった。その意味で二人にとっては結婚、受賞と重なり記念すべき曲と言える。実物のバックはお馴染みの「テネシー・スリー」を母体としたマーシャル・グラント(ベース)、ルーサー・パーキンス(エレキ・ギター)、W.S.ホーランド(ドラムス)に加えて、ボブ・ジョンソン(リード・ギター、バンジョー)だった。
 
●曲を作ったのは、ウェスト・ヴァージニア州出身のビリー・エド・ウィラー(ギャビー・ロジャースと合作)だ。 
 
「その頃、僕はニューヨークに住んでいた。ブロードウェイの劇場で『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』が上演されていて、興味があったけど学生の身分で切符が買えなかった。後でスクリプトのコピィを借りて、これはカントリー音楽になるぞ、と考えた。すぐにロジャースと連絡を取ってまとめた」(ウィラー)。
 
1963年の作品で、ウィラー自身(キヤップ盤)も歌ったがヒットしなかった。それが4年後のキャッシュ夫妻によって生き返った。未聴だがナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッズ(リプリーズ盤)もあると聞く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2011/10/21
4    東京ヘイライド(103) End Of The World   真保 孝
●「エンド・オブ・ザ・ワールド」。1956年4月にハリウッドのサンセット通りとヴァイン通りの交差点にレコードの形をした斬新なデザインのキャピトル・レコードの本社ビルが姿を現した。
 
この建築資金の大半は同社の創生期に活躍した人気歌手ナット・キング・コールによる数々のヒットの売り上げでまかなわれ、別名キング・コール・ビルとも言われた。名曲「Too Young」は並みいるコールの大ヒット曲の中でも最も売れた曲だった。
 
●この「Too Young」(1951)の作詞者はシルビア・ディーと云う女性で、この人はスキーター・ディビスの「The End Of the World 」の作詞者でもある。ディーは本名をJosephine De Sylviaと云い、アーカンソー州リトルロックで生まれて、1967年にニューヨークで亡くなった。新聞社でコピィライターとして働いていたが、53歳の若さだった。不確かだが、エルヴィス・プレスリーの「Blue Hawaii」も彼女の作品だったか?
 
●「The End Of the World (1962,第2位、24週間)」はRCAでチェット・アトキンスのプロデュースにより、スキーター・ディヴィスの歌によりミリオン・セラーになった。
 「あなたの愛が終わり、この世が終わりだというのに、なぜ太陽が輝き、波は浜辺に打ち寄せ、鳥はさえずり、星は輝き続けるのでしょうか?」。歌詞の内容からすると、失恋の歌のように考えられるが、そうではなく愛する肉親の死を悼む気持ちが綴られたもの。それは
「この歌詞は私が14歳の時に、亡くなった父を偲んで書きました」(ディー)の言葉からも確定できる。
 
●ナッシュヴィル・サウンドによるこの曲のお陰で、見事に生き返ったディヴイスはプレスリーやローリング・ストーンズ達と肩を並べて全米に広くツアーを続けることが出来るほどに人気を挙げた。
 振り返ればディヴイスの生涯はドラマチックであった。ケンタッキー州生まれの彼女の出発は、高校時代の友人のベティ・ジャック・ディヴイスと組んでディヴイス・シスターズと名乗り、RCAから出した「I Forgot More Than You‘ll Ever Know」(1953,第1位)が大ヒットしたことからで、しかし今後を期待されてそのヒットの真最中に自動車事故に遭った。
 
●ベティは即死、ディヴイスも重傷を負った。再起を図りベティの妹のジョージアとデュオを組んだが成功せず、1956年にソロ歌手に戻り、この曲と出会った。
ヒットが出る2年ほど前に、有名なカントリー音楽番組の司会者のラルフ・エメリーと結婚(1960〜64)したが離婚し、ロック・バンドのベーシストと3回目の結婚をした(1983〜96)。2004年、癌で他界した。72歳だった。熱心なキリスト教の信者で、動物好きとしても知られていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
更新日時:
2011/10/21
5    東京ヘイライド(104) Johnnie Wright   真保 孝
●「ジョニー・ライトの他界」。1940〜60年代の隆盛を支えた2人の歌手の訃報が続いた。ひとりはこのライトであり、いまひとりは来週に予定しているウィルマ・リーである。
 
 離婚がスターの人気ステータスのように露出する今日、この2人は生涯をひとりの夫、妻と添い遂げた。ライトの奥さんはもちろんキティ・ウェルズである。9月27日の朝、テネシー州マディソンの自宅で、恐らく?妻のウェルスに看取られて息を引き取った。97歳の高齢であった。
 
●2人が出会ったのは、1936年、ライトは21歳、ウェルズは18歳だった。結婚の少し前にライトは相棒となったジャック・アングリンとチーム「Tennessee Hillbillies」を組んでいた。この縁でアングリンはライトの妹のルウイーズと結ばれた。ライトとウェルズの間には共に歌手のボビーとルビー(あの「At the Town Hall Party」のニタ、リタ、ルビーのひとり)の子供がいる。
 
●第2次世界大戦後、マイナー・レーベルを経て、オープリと契約したとき、「Tennessee Mountain Boys」と改名した。当時、日本では彼等はブルーグラスの分野として認識されていた。つまりそれほど演奏スタイルが(チーム名からして)土臭く、泥臭いものだったからだ。チームはRCA、ウェルスはデッカの専属だったがウェルズのバックは彼等がつけていた。
 
●1993年3月、チームに危機が襲った。アングリンの自動車事故死であった。パッツイ・クライン、ホークショウ・ホーキンズ、カウボーイ・コーパスなどキャムデンでの飛行機事故死の葬儀に出席した帰りの奇禍だった。「驚いてはいけないよ。ライト、アングリンがたった今、帰宅の路上で事故死したんだ」。まだ式場に残っていたライトとウェルズは驚きのあまり絶句した。
無二の相棒を一瞬にして失ったライトはソロとして再出発したが、ヒットには恵まれず、トム・T・ホールが書いた「Hello Vietnam」(1965年)が第1位、21週間のみだった。
 
●2000年1月、2人は思い出多いアーネスト・タブのレコード・ショップで引退、サヨナラ・コンサートを開いていた。功成りとげた2人にはやっと多忙なツアーから開放され、暖かい家庭が待っていた。先年、妻ジュン・カーターに先立たれた病弱のジョニー・キヤッシュは、気落ちしたのかすぐにその後を追うように他界した。相思相愛だったウェルズ(私は大のファン)が心配である。
 
 
 
更新日時:
2011/10/23
6    東京ヘイライド(105) Wilma Lee   真保 孝
●「ウィルマ・リーの他界」。先週のジョニー・ライトの続き、リー他界のニュースを聞いた。1940年代から50年代にかけて夫のストニー・クーパー(1977年、他界)と組んで「Clinch Mountain Clan」と言うバンド名で活躍した。ありふれた「Boys」や「Rangers」「Mountaineers」などとしなかったところに私は興味を持った。「Clan」は辞書を引くと「共通の利益を求める一族」と出ている。いかにも昔風なネーミングであるが1940年代のカントリー音楽がまだヒルビリーと呼ばれていた頃の背景を考慮しよう。果たしてその演奏スタイルは、先週のジョニー・アンド・ジャックをさらに上まわる泥臭さであった。
 
●彼等は日本での知名度はかなり低い、と言うよりもマニア以外は知られていない。記憶では邦盤発売のアルバムはなく、オムニバスでたしか1〜2曲。しかしその魅力の毒素は強烈、レーベルはロイ・エイカフがオーナーのヒッコリー(Hickory)とコロムビアにあり、復刻CDでまだ入手可能と思う。
常にエネルギッシュな演奏は男性顔負けの大声(Big Voice)でフイドルをバックに全力で歌いきる。ローズ・マドックスとはいい勝負である。
夫婦チームには古くはルル・ベルとスコッティ、グランパとラモーナ、近くはジョーンズとワィネット、キャッシュとカーターなどがいたが、最近はギルとグラント、マッグロウとヒルぐらいだ。
 
●なお1941年に結婚した夫妻には娘のキャロル・リーがいる。彼女は以前ハンク・スノウの息子と結婚(離婚)していた。オープリーのバック・コーラスの常連、キャロル・リー・シンガースのリーダーである(第63号参考)。
 
 
 
●「休載のお知らせ」。今回でこのコラム(シーズン2)も予定の回数を終了しました。しばらく休んで、また開幕(シーズン3)が出来ればと考えます。
 
 
更新日時:
2011/11/03

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Last updated: 2016/1/17