物心ついてから
物心ついてからこれまでの自分を振り返ってみると、
わたしが繰り返し引き戻されていた問題は、生まれて2
歳にならない時分に出会った小児マヒによる「障害」を
どう受け止めて生きたらよいか?という点にあった。
自分の体に刻まれたしるし(障害)を自覚するように
なってしばらくは、自分にとって負目でしかないし、ま
た、障害者であるということは自分にとって不利なこと
だという思いの中で、わたしは生きていた。
わたしの障害は、15歳ごろのわたしに、重たくのしか
かり、わたしは、おしつぶされそうな気分の中で生活し
ていた。そんなことから、当時わたしは、なかなか自分
の体のことや自分の思いを素直にしゃべったり書いたり
することができなかった。かわりに景色や自然を言葉に
して、稚拙な短歌をたまに書いていた記憶がある。
けれど、たとえ障害をもって生きるということが、自
分にとって、絶望的なまでに不利なことであったとして
も、自分の状況は変わらない。短く、細くなってしまっ
た左足が、右足のように頑丈になるわけもないし、疲れ
やすい体への重圧が軽くなるわけでもない。わたしは、
一生このままで生きていくしかない。だから、いかに絶
望的であっても、自分から絶望するという白旗を掲げる
のだけはよそう、と考えるようになった。
そして、いまから21年前の、19歳の誕生を迎える頃、
わたしは、絶望することに別れを告げようと決意して、
このことを『告別式』という詩に書いた。その時から、
わたしの障害(実はいのちの姿)との対話は始まったと
いえる。
この時、わたしは、障害をもって生きる自分が負目を
しょって生きていると思うことにも別れを告げればよか
ったのだが、いまから思うと、それから20年近くを、わ
たしは、障害をもって生きる自分自身を根本的にいいと
は思わないで生きていた。だから、自分は絶望すること
をやめようと決意して、絶望のかわりに、自分に希望を
持ち、あきらめない自分でいようとしても、わたしの心
の状況は、何も変わらなかった。確かに、わたしは希望
を持ち、あきらめまいとして生きてきたのだが──。
相変わらず心のなかでもがき、悩んで生きていた。
そのなかで、心のおもむくままに、言葉にしたもの。そ
れが、わたしのこれまでの詩であった。
けれど、1985年を前後して、わたしは、わたしの
感情のほとばしるところが、大きく変わっていくのを体
験した。
このキッカケとなったのが、遠藤滋氏との再会やほか
の障害をもって生きる人の言葉との出会いにあった。
それからのわたしは、「障害をもって生きることは、
社会的に見れば、確かに、まだまだ全体にマイナスなこ
とであり、不利なことにされているが、実際に、自分に
なぞらえて考えてみても、わたしのいのちが、死ぬかも
しれないという状況のなかにほうり出された時、わたし
のいのちは、障害とひきかえにしても生きることを選ん
で生き抜いてきたいのちではないか。自分以外のほかの
障害者にしても同じことがいえるわけだし、このことひ
とつ取ってみてもすばらしいことではないか。
それに、何もまわりからわたしたち障害者が、障害を
もって生きることは不利なことであり、ああならなくて
よかったと思われているからといって、自分から同じよ
うに思う必要はなかったのだし、これから先もますます
そう思う必要はないのだから、もう自分から、障害をも
って生きる自分のことを否定して生きるのはよそう」と
考えるようになった。
人は、障害を持とうが持つまいがそんなことにかかわ
りなく生きている。だが、意識は、障害をもって生きる
自分のいのちのありようを否定してきた。このことが、
自分自身のいのちも否定してきたと考える。だからこれ
からは、わたしは、自分のいのちを肯定して、いのちを
生かし合って生きようと決めた。
その時から、わたしの心は自由に、わたしのなかから
飛び出して、わたしのまわりで駆け巡っている──。い
ま、わたしは、わたしの心のおもむくままに、いまとい
う時を生きている。ありのままのいのちを肯定して、い
のちを生かしあう友を道づれとして──。
1987・1・23
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冬の風(手賀の冬) 1963・12・19
一、茶枯れたススキをふるえあがらせ
風はともすると冷たく渡る
遥かにあおげば一片の雲もない空
青く──
広く──
枯れ枝やススキの穂が
心なく風になびいて
冬の日は淡い
二、バッタよ、スズメよ
おまえ達は夜になったら
じっと耐えているのか
今は太陽も暖かい
けれどそのうち
ほんとうの冬の寒さが
おまえ達に襲いかかる
土手を吹き抜ける風は
鳥のさえずりやバッタの羽音を乗せて
どこへともなく走り抜けた
三、風は思いのままに
沼地のアシの頭ごしに吹き抜け
沼の水面にさざ波を運んでいる
わたしの目には寂しく映る
風は冷たく
アシの枯れ枝が空寂となり
小鳥は風に悶えて飛んでいる
四、何の変哲もない唯の凸凹道
けれどわたしは
この道がもっと先まで続くように願った
風はおさまり
時おり鳥がさえずるだけ
遥かな沼の水面が
青空と溶け合っている
五、林の中の道は薄暗く
さすが身震いをするほどだ
梢のざわめきに
けたたましく鳥が鳴く
六、いのちの呼吸が絶えた大地にも
太陽は照り映えて
水がにじみ出たところは
豊かな黒い光を放っている
風は
その光を心なく蹴散らして
通りぬけた
太陽は照り映えて
水がにじみ出たところは
豊かな黒い光を放っている
風は
その光を心なく蹴散らして
通りぬけた
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短歌3首
西方の 山を流るる谷川は
みな集まりて 多摩川となる 62・1・31
秋の野辺 においほのかな菊の花
しずかにさける 秋の夕ぐれ 62・10・31
野辺山に、八が岳より吹きおろす
雲の流れにはや秋の色 63・8・13?
(評)二つの地名もよく知られたもので、読む人に
不自然にはひびかないであろう。一首を通して格別
これというほどのものはないが、句のはこび、調の
ととのえ方が穏やかで破綻がない。
(ぶんきょう歌壇38・11・10土屋文明選)
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告別式 1966・5・16
それはわたしの祈りだった
はじめは忘却することにあった
暗く閉ざされた室の中で
そして沈黙の中で
平然と行なわれた──
ひざまづいたわたしは
ひたすら呪文を唱え
おののきながら
暗闇に向かって
わたしは祈り続けた
それでも死神はのしかかり
それでも恐怖は去りはしない
絶望だけがわたしのすべてを覆い
時空の進行は
わたしを奈落の底深く
沈めていった
わたしは食べることにさえ
意欲をなくしていた
死への一本道
引き裂かれた嘆きで満たされた
風がわたしの胸を強く張り突き進む
わたしは風の吹くままに
世界の果てまで吹き飛ばされていく
絶望の世界へ
二度と抜け出すことの不可能な
意識しないことだけが
人に安息の心をもたらすが
よろこびからも
かなしみからも見捨てられて
自信のない足どりで
死に向かって歩くだけ
苦しみもせず
苦しさと闘うたのしさもない
すべての自然な感覚が
妄想や幻想にとってかわられ
唯、哀愁の中に幻影を見て
時間を消滅させていく
だから絶望の世界が
ますます巨大な力となって
死んだ者も生きている者も
支配する牢獄になる
巨大化した絶望は
忘却へのむなしい願いの中で
さらに大きな山を築く
生まれてからこのかた
意識されなかったその世界が
物心つくころから
絶望として意識され
その自覚症状は
ますます絶望の淵へと
わたしを引きずり込んでいく
自分がなんであるのか
意識したその時から
もがくすべしか持たない自分に
絶望するばかりだった
自分がどうしたら良いのか
わたしにはわからない
ただわかっていることは
わたしが絶望の世界にいて
その世界とわたしは対立しているが
わたしはこの世界から
抜け出すすべを持っていない
このままで良いのか?
わたしの求めるものはどこにあるのだろう
すべてが闇の中にあり
うごめきあう人間たちは
大きな流れの中に
のみこまれてしまう
だがそれを意識した生は
怒りとなって再生される
絶望の深淵の底の
暗闇に落ち込み切ったわたしは
わずかに輝く光を
見た
真暗闇の中にいたから
それでようやく
ひかり苔の放ったようなわずかな光を
わたしは見たのだろう
わたしは絶望することに敗北していた
絶望と対立することをやめ
意識の中にあった絶望を
きっぱりと捨てた
生きながらえるだけの生と
巨大な絶望の世界に
告別することで生は
息を吹き返すだろう
滅びることが宿命の生は
常に死に追いかけられながら
強固な生の砦を築くだろう
もはや哀愁や絶望と訣別した生は
よろこびと悲しみを
自分のものとするだろう
たのしさと苦しみを
生きぬくだろう
そして何が真実かを
見つけることだろう
こうして世界は
いまわしい記憶を凝縮して
生まれ変わっていく
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ぼくには踊れない 1975・9・21
ぼくには歌えない
ぼくには踊れない
よろこびをよろこべない
なぜかギリギリのところで
いつも息をしている
ぼくにはあしたがない
ぼくには愛がない
確かなあしたがあると
いつも愛が確かだと
なぜか言えない
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声にならない言葉 1975・12・6
言葉にならない感情と
リズムにならない歌
それがぼくの歌
もやもやとした感情の
いらいらとした亢ぶりを
わずかに突き破って
にじんでくるものは
春を待つ大地の雪のように
沈黙している
それがぼくの歌
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夢と現実 1976・1・30
夢の中のやすらぎ
ひざまくらの夢
疲れ果てた僕は
遠い日の
ひざまくらの眠りを
おいかけている
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虚脱感 1976・2・16
わからないのです自分が
このむなしさは何だろう
ぼくの胸に拡がる深い虚脱感
ぽっかりとあけた空洞が
ぼくを襲う
ぼくは飲み込まれてしまいそうだ
どうすればよいか教えてくれ
ふいに襲ってくる虚脱感に
いまのぼくには
なすすべがない
こんな時ただ無性に
きみに会いたい
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失うものは 1976・2・16
きのうの現実は
もうぼくらのものではない
新しい今日が
ぼくらの行手にはある
きのうの中で失うものは
もうなにもない
だのにぼくらは
新しいはずの今日さえ
なくしてしまう
だから
いま──。
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わからない自分 1976・2・18
意欲をなくしたわけではないのに
すべてをむなしく感じてしまう
けして孤立しているわけではないのに
風をなくした帆舟のように漂っている
わからなくなっているのです自分が
どうすればよいのか
こんな夜ふけは
君の顔を思いうかべてしまう
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いつの日 1976・7・18
あれはいつの日だったろう
浅いねむりのなかで
あなたのぬくもりを感じたのは
ずっと前にもあったような
やわらかい日ざしが
心地好いねむりをさそってくれる
あれはいつの日だったろう
たんぼのあぜ道を
はるかとおくに感じたのは
声をからしておいかけた
ギラギラした日ざしが
振り向いたあなたを強くつきさした
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バッタよ 1976・11・28
バッタよ お前はいま
その死にからだを横たえ
枯葉のふとんの中で
深いねむりについた
バッタよ いつまでも
元気なお前の姿を
ぼくは見つめていたかった
でも部屋の中でお前を見つけると
すぐさま外へ追い出した
バッタよ 覚えているかい
今年はいつになく寒く
夏の日ざしがいつまでも
強くならなかったから
お前が土の中から
顔を出したのは7月になってから
バッタよ お前にとっては
棲みにくい東京のどまんなかの
小さな植え込みの中が
お前の棲みかだ
そこでお前は
この冬の寒さに耐えて
土の中から顔を出す
そのすばらしい生命に
ぼくは感動した
バッタよ それでも
冷酷な季節はやってくる
みじかい夏も去り
枯葉のふとんももう
お前を守ってはくれない
バッタよ すばらしい生命よ
また夏になったらぼくの庭で
お前の姿を見せておくれ
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新しい年 1976・12・25
何もいらないのです
あなたの笑顔があれば
何もいらないのです
あなたの真心があれば
何もいらないのです
あなたの愛があれば
新しい年を迎える
あなたの智恵と勇気に
わたしからの伝言は
「悔いをのこさずに──」
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清水寺にて 1977・4・3
千年のいのりも
わたしの耳にはとどかない
人の足音だけが
わたしの耳をかすめ
そして
すべては風の中へきえる
生活につかれたら人は
しずかに休めばいいのだが──
人のよろこびにかわるものが
わたしにはさびしさで
わらいにかわるものが
なみだしかなかったら
それはあまりに
かなしいとしかいいようがない
でも静寂の中から風が吹きだすように
わたしもまた歩きはじめる
それは求めつづける旅の途上
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あなたの歌を 1976・2・27(86・6・24補作)
ひとが歌ってくれないと
自分が歌うことにならないのですか
ひとが生かしてくれないと
自分が生きていることにならないのですか
「ああならなくてよかった」と
自分を切り捨てたように夢も捨てるのですか
そして「ああなったらおしまい」と
いのちも捨ててしまうのですか
生き遂げることもなく
だがいのちは自分で生かすもの
そして自分でいのちを歌うもの
でも旅はいつかは終わる
悩むあなたを追い越して
にげるあなたにおかまいなく
悩むなんてあなたらしくない
死ぬなんてあまりにさびしい
だから歌ってほしい
あなたの歌を
いのちの歌を
|
風にのって 1977・
幾億年もの夜が息づく
高まる感情が爆発し
求めあう肉体の中から
繰り返される生命(いのち)
ぼくがこうしていることは
あまりにも運命的ではないか
そしてポリオ(小児マヒ)になったことも
だから
運命という風に乗って
ぼくは流れていく
ただ自然のままに
たかまる感情のままに
|
少年のころ 1978・(86・4・24補作)
ぼくの小さかったころの
あの目のかがやきは
どうしたんでしょうね
かあさん
物心つくころから
なぜかおとなたちの言葉が
信じられなくなったのです
きっとあのころからでしょうね
不信の目でおとなたちを見たのは
おとなたちはわたしに対して
軽くて良かったわね
足がわるいからといって
五体満足な人に
決して劣らないのだから
がんばるのよ
そういって激励されるたびに
ぼくの小さな心に
人より劣っている自分の体が
大きくのしかかっていたのです
そしてつまずくたびに
自分はダメなんだ
障害者だからダメなんだと
ダメ、ダメ、ダメ、が
ぼくの心をとりまいて
がんじがらめにしていたのです
それがおとなたちには
見えなかったのですね
こうも言いました
世の中には
ぼくより重度の
体の動かせない障害者はたくさんいます
それに比べたら
あなたはましな方なのだから
軽くてすんだのだから
五体満足な人のように
何でもやれるのだから
がんばるのよ
そのひとことが
ぼくの心を動かないように
突き刺していたのです
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愛の道連れ 1982・1・9
1.よわいいのちを 生きた子は
ななつの春に たびにでて
こらえきれずに 泣けました
あなたの胸で ひと夜だけ
わたし泣かせて ほしかった
2.泣いてばかりも いるじゃなし
せめてなみだが かわくまで
だいてくれたら よかったの
なみだこらえて いるなんて
とてもわたしに できないの
3.あなたがわるい わけじゃない
わたしひとりが いけないの
あなたはすぎた いい夫(おっと)
けれどわたしは 出ていくわ
どうかゆるして わがままを
4.はだかの心 ぶつけあう
すがおの愛が ほしいだけ
人生なかばを すぎたけど
わたしを愛の 道連れに
あなた歩いて くれますか
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時よ 1984・6・3
時よ
いまは静かにねむれ
いかりをしずめ
やさしさをとりもどすまで
時よ
おまえは静かによみがえれ
いのちをはぐくみ
新しい時間を開くため
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届かなかった年賀状
(一人の無実を訴える死刑囚への)
1984・12・29
たとえば
新しい年をむかえて
夢の一つも見いだせない
苦しい状況だったとしても
あなたもわたしも
生きていることに
かわりはない
だが──
生きていることこそが実は夢であり
希望そのものだとすることができるなら
また新しい年もいいものだ
確実に新しい年は
あなたの前にも
わたしの前にも
登場したのだから
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パンドラの箱
(竜太氏への年賀状)
1985・1・17
あけたパンドラの箱を
いまだに開けたままで生きている
夢を追うのでもなく
絶望するのでもなく
はじめからにげることのできない体だから
ただにげなかっただけの
時間のてんかいの中で
生きることへの執着だけが
私を歩かせる
たのしさも、さびしさも
みんな私のものだ
ふりかえってみれば
ずいぶん遠くへ
知らずに歩いてきたものだ
新しい道づれとも
出会いを重ねながら──
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生命(いのち)をうたえ 1985・4・8
身にまとっている殻をぬぎすてて
はだかのままの生命(いのち)になって
生命をうたえ
生命とむきあって
すばらしい終わりをむかえるために
すばらしい生を生きよ
自分の生命とひきかえに
時間のすべてを生き遂げるために
生命よもえよ
わが生命
生命と出会い
生命をもやし
生命をはぐくんでいけ
すべては
生命とともにある
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天城・大滝にて 1985・4・8
夏といえ ひぐらしも鳴く 天城かな
大滝の 音にめざめる 宿のあさ
山里を たずねた朝の 湯船かな
山あいの 谷に消えゆく せみの声
山里の 朝にただよう 秋の風
山路に むれてとびかう 赤とんぼ
ひぐらしも すんだひびきの 谷の宿
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ある夏 1985・9・2
夏草や 520の 人をのむ
信じえぬ 事故の話で 盆はあけ
盆がえり むかえる主も いまはなし
夜は明けど 人のいのちの かげもなく
山はだに 人の無念の 夏の朝
こなごなの 機体のなかで 四人生き
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