鏡よ鏡・わたしの出会ったひとに贈る
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いのちの赴くままに     
     1978・2(86・4・24補作)
               
たとえば君はかざり石     
たとえば君はわすれ貝     
自分をみがくという君は    
必死になって         
色あせた教養と        
さびついた知識で       
虚栄の衣を着る        
たしかに君は         
生きている          
空虚と充足の間を       
行ったり来たりしながら    
虚栄という自己満足に     
どっぷりと浸るために     
今日を繰り返す。

けれど
君の守ろうとする
家もそして自分も
やがて亡びるもの
朽ちてなくなるもの
この運命にぼくは逆らわない
だからぼくは流れていく
自分から流れていく
ここには
納得しない自分がいるから
納得のいくところまで
ぼくは行く
一滴の水でいい
岩の間をぬいながら
岩と岩とにはじかれながら     
それでもぼくは          
自分から流れていく。       
                 
11歳の夢精に           
戸惑うところから         
ぼくの放浪は始まった       
そして戸惑いながら        
今日まで流れつづけてきた     
だがこれからは違う        
戸惑わなくていい自分を知ったから 
自分に自信が           
持てるようになったのだろう
だがそんなことは         
どうでもいいことなのだ      
ただこれからも          
納得できなければ         
一滴の水となって流れていく    
ぼくにはそれでいい。       
                 
ぼくはいまハンマーになって    
すべてを叩きつける        
貝のように心を閉ざした君に
ある時ははしゃぎ
ある時は外からながめて
「障害児教育」とは?
ふりわけている君が
ぼくにはわからない
なぜふりわけるのか
なぜ区別するのか
君が持っているすべてを
すべての人にぶつければいい
家族にも友人にも障害児にも
そして ぼくにも?

君は
朽ちていくものを守るのではなく
朽ちる前に
いのちの赴くままに
いのちを燃やせばいい
君がいま
自分を守りつづける限り
ぼくは君を笑いつづけるだろう
やがて失うものを
必死に守ろうとするからだ    
そんな君が           
この先どんな生き方をするのか  
ぼくは知らない         
どんな運命をしょっているにしても
そんな運命に自分を       
しばりつづけることもないのだし 
しんどいことだからといって
逃げたり隠れたりして      
生きることもない        
だからぼくはもう逃げない    
しんどさのなかにいて      
それを笑いとばしていくだろう  
ぼくはいのちの赴くままに    
生きていく           
だから君も           
君のいのちの赴くままに     
生きていくがいい        
君はいい人だ          
けれど磨くだけの人生で     
何が生まれる          
何が始まる           
貝になって心を
閉じ込めてしまうだけだ
やがては朽ちてしまういのちに
彩りをそえられるのは
いのちをすばらしいと言って
生きることがたのしいと言って
生きぬくことではないのか。

もう君は
朽ちはじめているのか
朽ちてもいのち
生きてもいのち
君がいのちをどう生かすかは
君自身の問題だ
逃げるな
勝つな
恐れるな
君の守ろうとするものは
何もないはずだ
ただ君は
いのちそのものになって
いのちの赴くままに
自分のいのちを生かせばいいだけだ
しかし君は           
はじめる前から恐れている    
それがぼくにはわからない。
                
いつか君が           
そのおろかさに         
気付くことをぼくは祈ろう。

 
ほんとうは  1984・12・26 
              
母と姉とあなたという    
かりそめの家族の枠に    
つぶされまいと生きてきた  
障害者の女としてのあなた  
重度者でもいいと言える   
愛に生きたいと       
二人のくらしをはじめた   
あなたに別の家族の確執   
愛をつかみかけた      
あなたの手から愛がこぼれる 
負けず嫌いのあなただから
こぼした涙をふりはらって
一人のくらしに戻ったのだろう

ほねがぶつかっている
いたみがわかると
詩にうたったあなたが
いたみからのがれる薬のはてに
ぼくへの記憶もすてた
あなたの詩集づくりに燃えていた頃
岐阜のあなたの部屋に
一人でずいぶん泊まりもしたが
そんなぼくから求められても
本さえできればそれでいいと
後になってフトもらしたあなた
あなたはそんなふうにしか
考えていなかったのかと
ぼくにとってはショックな言葉
幸か不幸か二人の間に
そうした出会いはなかったが
あなたの思いから逃げていたのは
本当はぼくだったのかも知れない

 
あなたの心 1984・12・28 
               
ひっかかっているのですいまだに
本さえできるなら
ぼくに求められたら      
応じてもいいと思っていたと  
ふともらしたあなたの言葉
あなたはそんなふうにしか   
見ていなかったのかと     
始めはショックでしたよ    
でも思い返してみれば     
あなたのぼくに対する思いが  
そう言わせたのかも知れない  
あの頃のぼくには       
そんな気はなかったし     
そして今も          
けれどあなたは愛すべき人です 
ぼくにとっても
愛すべき人としては      
すばらしい女です       
               
なくした記憶の向こうの    
あなたの心をいまでもずっと
ぼくはひきずっている

 
改めてあなたに
     1984・12・29

生まれた事実の前でも
心をはだかにしてほしい
たまらなさやくやしさに
思いわずらったことを
かつて私に話したように
誰の前でも語りきれるだけの
あなたでいてほしい
事実がどうであろうと
そうしたことにかかわりなく
あなたはあなたなのだから

こればかりは私が
ナゾときをしても始まらない
あなたがあなた自身で
あなたの事実のベールを
突き破るしかないのです
いつの日か      
女であるあなたの前に 
重ねられる男の事実を 
見つけてほしい    

 
いまでは  1986・10・10   
               
元気でいますか
元気でいるなら何よりです   
いまではわたしは       
あなたと暮らした時間に    
心から感謝しています     
それまでの自分が       
ありのままのいのちを肯定して 
生きていなかったことに    
気づくきっかけになったのだから
               
わたしがあなたと出会う頃   
わたしもあなたも       
自分の心の傷を癒し      
心の空洞を埋めてくれることを
相手に求めていました
そしてあなたの口ぐせは
「かわいそうなレイコちゃん」
しかしわたしはあなたのことを
はじめからかわいそうとは
思いませんでした
障害を持って生きてきた自分を
自分では肯定して生きたかったから

どんな障害があるにせよ
死ぬかもしれない目に会った時
障害と引換えに生きてきたいのちを
あなたも持っているのだから
すばらしいことではありませんか
そしてこのいのちを否定して
生きることに囚われている人々の中で
否定されてきたものを身にしているが故に
自分は否定される何ものも
持っていないことに気づけるのだから
あとは自分のいのち
ありのままを肯定・祝福して
生きていけばいいのだから       
                   
だがわたしとあなたは出会いから    
このことに気づけないまま       
生きあってきたと
あなたとの別れを通して        
気づくことができたのです       
これはほんとうに皮肉なことですね   
                   
ところでいまでもあなたは       
「かわいそうなレイコちゃん?」    
そうだとしたら            
ほんとうにかわいそうな話       
あなたもありのままのいのちを     
否定して生きていたことは       
あなたがわかれ際に浴びせた
言葉が物語っていましたね       
でも自分で否定しているいのちを    
生かすには限りがあるでしょう     
否定して生きるいのちを守ろうとしても 
それはむなしいというもの       
そのむなしさを慰めてくれることが愛だと
思い込んでるとしたら──
だがありのままのいのちを祝福できず
いのちを否定して生きあうことを
ほんとうに愛だと言えますか

あなたがいまもって
ありのままのいのちを
祝福して生きあうことに
踏み切れないでいるとしたら
それはほんとうに残念なこと
しかしそれもあなたの自己決定
それでもいいではないかと
思うこの頃
あなたが自分のいのちのありようを
自分で決めて生きてるのだから

どう決めて生きようと
それだけはあなたの自由──
でもあなたはあなたで
自分のいのちを存分に生かして
生きれるといいねと
いまでは心から思います

 
私があなたの息子だったら
          1987・6・14      
                  
母さん               
はじめて出会った車イスの人への   
「よかったわね」のひとこと     
わたしはうれしく思います      
                  
わたしがあなたの息子だったら    
いまこう伝えたでしょう       
                  
わたしが生まれた時         
母さん               
あなたはとまどいもし        
あぁ悲しい運命を          
しょってしまったなと        
いちどならずも           
思ったこともあったでしょう     
それでも              
「よかったわね」のひとことが    
わたしに対する           
あなたのすべてを語ってくれています
母さん
わたしは歩けなかったことを
少しもうらまないし
母さんが悪いとも思っていません
むしろ母さんに対する
感謝の気持ちでいっぱいです
そして母さんの息子であったことを
ほこりに思います
確かに十九年の時間は
短すぎたかも知れません
でも
わたしはその十九年を
いつ死ぬかも知れないという中で
わたしはわたしのいのちの求めに応じて
いのちのかぎり
生きようとして生きてきたし
母さんは母さんで
そのいのちの求めに応じて
わたしのいのちを生かそうと
共に生きてくれたではありませんか
だから母さん           
わたしには充分すぎる十九年でした
わたしがあなたの息子だったら   
心から感謝の気持ちを込めて    
ありがとう、と          
いったことでしょう
                 
だからこれからは母さん      
あなた自身のいのちの求めに応じて 
いのちのかぎり          
自分のいのちを生かしきって
生きてください
そしてわたしに
かつてそうしてくれたように
いろんな人と出会い
いのちを生かしあうことだけを考えて
あなたのいのちを
生きぬいてください

そうすることが
わたしと共に生きた時間を
さらに生かすことに
つながるからです

だから母さん
十九年のいのちと時間を
ほんとうにありがとう

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十九歳の脳性マヒの息子を亡くしたという母
にあって──もし、わたしがあなたの息子に
生まれていたら、わたしは言葉にしてこうあ
なたに伝えたいと思いました。

 
無実の罪で
     1987・11・11

これから三十三年を囚われの身で
過ごすとしたらあなたは
やれますか?
そんな問いかけに
あの日わたしは答えなかったけれど
あなたにならって一日一日を
無実を訴えてみるしかないでしょう
その先どうなるかは
わたしにはわからない

けれど十一年ぶりにあなたに会った時
いつまでも手を握りしめていたかった
二人の間をさえぎるものがなかったら
言葉にならない思いがあるから
再審が開始されてよかったですねの
ひとことにかえて

 島田事件の無実の死刑囚・赤堀政夫氏に二度目の
 面会(一九八七・十・二十一)をして──

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