伝えられるなら
1985・12・26
伝えられるなら
わたしのあつい
なみだを伝えよう
わたしのいのちの
すべてを伝えよう
わたしの思いの
たかなりを伝えよう
わたしの手の
ぬくもりを伝えよう
受けとめれるなら
あなたのあつい
なみだを受けとめよう
あなたのいのちの
すべてを受けとめよう
あなたの思いの
たかなりを受けとめよう
あなたの手の
ぬくもりを受けとめよう
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二人で──
1985・12・10
(1) 時のむこうに
わすれてきたものを
さがしにいこうか
わたしと
それぞれのかなしみで
やぶりすてたものを
みつけにいこうか
二人で
あなたは いま
おぼえていますか
たいせつにできなかった
思い出のかけら
あなたには
おそすぎますか
色あせてしまった
きのうのいちページ
(2) 常識のなかで
とざされた世界を
ひらいてみようか
わたしと
それぞれのよろこびで
みちあふれたものを
つくってみようか
二人で
あなたは いま
かんじていますか
ありのままのいのちを
生きるよろこび
あなたには
おそすぎますか
しみついてしまった
あしたのいちページ
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海がすき
──下北へ・白保へ思いを寄せて──
1985・2・5
海がすき
海に生きる人間がすき
北の海でも南の海でも
波間にまかせて
生きていく人間がすき
さけもこんぶも
かいもさんごも
生命(いのち)をうたう海がすき
ヒューヒューうなる風も
ざわざわしゃべる波も
一人であるく浜も
人がよりあう磯も
みんな海だから
海がすき
海に生きる人間がすき
北の海でも南の海でも
海と向かいあって
生きていく人間がすき
かにももずくも
えびもわかめも
海に生きるいのちがすき
風もとまってしまう海
波もきえてしまう海
人がいなくなる浜も
いのちがきえる磯も
みんなの海だから
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あなたはいま誰のもの
1985・12・10
捨ててしまったのですか
自分を
にげ出すのですか
自分から
しばりつけているのですか
あなたも
おさえつけるのですか
人を
決めないのですか
自分で
ありのままのいのちは肯定しないのですか
あなたは
否定しつづけるのですか
自分でも
あなたのいのちはいま
あなたの時間はいま
誰のもの
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あなたに出会えたら
1987・2・12
あなたに出会えたら
わたしは伝えたい
心を扉で閉ざすくらいなら
いのちの赴くままに身をまかせ
自由にのびのび
生きていこうと
どうせ死んでしまういのちと
生きとげもしないで
死を考えるなら
いのちを生かしきって
生きれるだけ生きようと
わたしは生きたい
いのちを生かしあって
あなたと
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生きること 1986・9・26
け落として生きあっていると、
思うのはおろかな話。
選ばれたものだけが生きていると、
思うのはうぬぼれ。
いのち、それは、
操られた、ほんの偶然の糸を突き破る、
意志をもって生まれて来るもの。
同じいのちと同じ時間を、
生きあうわたしとあなたは、
いのちを肯定しあうなら、
このいのちただ生かし合えばいい。
生きること、それは、
わたしが、
わたしのいのちを生かそうとするように
あなたのいのちも生かそうとすること。
そして、あなたが、
あなたのいのちを生かそうとするように
あなたもわたしのいのちを生かそうとすること。
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まっさらなページ
1987・2・26
いのちをありのままに生きる
これからの時間の
まっさらなページを
あなたなら何でうめますか
ダメという言葉のかわりに
残念だったねという
ねぎらいと
ほんのささいなことも
よかったねという
共感と
あなたに出会えた
よろこびのありがとうで
わたしは
わたしのページを
うめよう
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『鏡よ鏡』 1986・4・19
世界で一番うつくしいのは?
「──」
鏡が答える言葉──
それは
人に評価されている「自分」
だから自分はうつくしい?
人に評価されていない「自分」
だから自分はみすぼらしい?
どちらにしても心が
満たされないのは何故ですか
あなたの心を
まわりの人たちの評価に
たくすのは何故ですか
そして心を
人に満たしてもらおうとするのは
どうしてですか
独立しているはずの自分
人からしばられない自分を
謳歌しているはずなのに
もたれあうのは何故ですか
鏡に映っているのが
あなた自身であること、それは事実
だがそれは意識された自分
意識の中の先入観にしばられた
生身の自分の姿
同時にそれは
いのちそのもののありのままの姿
人がこの
いのちそのもののありのままの姿に
どう向きあって生きていたかを
実は正直に
写しているだけのこと
いのちそのものの
自然なありようをいいとは言えない
すばらしいとは思えないで
生きているから
自分でも思いもかけずに
自分から自分のいのちを
否定して生きることになってしまう
自分で自分のいのちを生かしていないから
せめて人に認められたい
評価されたいと思うのです
でも考えてみてもごらんなさい
自分のいのちを
自分で生かせない人が
どうして人のいのちを
生かすことができるのですか
自分のいのちを否定してしまう人が
どうして人のいのちを
肯定できるのですか
そればかりか
いのちを否定して生きているから
自分を守ろうとする意識に
とらわれてしまうのです
誰かひとを否定していなければ
自分を生かせないとでも
思いこんでしまうのでしょうか
でも人が
自分を守ろうとして生きるその時から
自分の周りにぶ厚い壁をつくり
いのちの自由を閉じ込めてきたのです
なのに人は
自分の周りの世界には
あるはずのない自由を
どこまでも追いかける
鏡よ鏡
世界で一番うつくしいのは──
「それはひがみ」
鏡よ鏡
うつくしいものは──
それは
ありのままのいのちを肯定して
生きていくあなた
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ひとり歩き
1987・4・6
ウイルスに侵され
体に刻まれたしるし
小児マヒという名の
だが
このいのちのありのままの姿に
反発して
わたしの自我(自意識)は
歩きはじめた
その時から
わたしの少年は悩み
不安におののき
絶望の淵にも幾度となく立った
けれど絶望することに疲れ
絶望することをやめた時から
わたしは
自分自身のいのちを求めて
たぶん歩き出したのだろう
だがその後も
みじめな運命をしょわされたと
自分のことを思っていたのは確か
でもそれはとんだ思い違い
自分を先入観で縛っていただけのこと
もう先入観で縛るのはよそう
そう言えるようになったのは
わたしと同じ運命を
生き抜いてきたひとに
出会えたことから
障害と引換えにしても
生き抜くいのちがすばらしい
だから自覚をもって
ありのままのいのち(自分)を肯定して
このいのち
生かせるだけ生かして
いのちを生かしあって
わたしは生きとげよう
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いのち 1987・4・6
いくつもの時間を過ごしたいのち
いくつかの時間を過ごしたいのち
いくつかの時間にいどむいのち
いくつもの時間が始まるいのち
いろんな姿をしてきたいのち
いくつかの姿をまとったいのち
いくつかの姿にいどむいのち
いくつもの姿を求めるいのち
このいのち
まずは自分で生かすもの
だからいのちを祝福して
生きよう
いのちを生かしあって
生きよう
そしていのちを
うたいあげよう
もっとおおらかに
もっと自由に
もっと自然に
もっと大胆に
そしていのちを
萌えいだせ
もっとはげしく
もっとひろく
もっとふかく
もっとゆったりと
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いつかきみに伝えよう
1986・5・9
いつの日かわたしが
きみと出会ったら
わたしはきみに伝えよう
わたしはわたしのいのちの限り
自分のありのままのいのちを
心から祝福して生きていくと
そしてわたしは
きみの母さんが
自分のありのままのいのちを
祝福して生きていくように
どんないのちのありようをしても
母さんのいのちを
心から祝福して生きていくと
そしてわたしは
きみの母さんと自分たちの
ありのままのいのちを祝福して
いのちを生かしあっていくと
だからきみが
きみのいのちを結ぶ
その時から
わたしはきみのいのちを
まるごと祝福して生きていく
だからきみは
きみのいのちの赴くままに
きみの自由な意思で
きみ自身の望む姿で
わたしたちの前に現れるがいい
わたしは
きみがどんな姿でいても
心からきみを
祝福することを約束しよう
だから安心して
いのちをむすび
いのちをはぐくみ
いのちとして生きぬくがいい
自分のありのままのいのちを祝福して
そしていつの日かきみもまた
わたしたちがきみの
ありのままのいのちを祝福したように
きみのいとしい人や
きみの子供たちの
ありのままのいのちを祝福して
生きぬいてほしい
いつの日かわたしが
きみと出会ったら
わたしは伝えよう
ありのままのいのちを
祝福して生きることを
伝えてくれ──と
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いのちのバラード
1986・2・22
たとえ心の中だけでもいい
あなたとわたしをむすぶ
いのちの糸がひとつであるなら
わたしはいのります
あなたのひとみのかがやきが
わたしのそばでずっと
かがやきつづけることを
どんな姿でいてもいい
あなたとわたしをむすぶ
いのちの糸を祝福するなら
わたしはいのります
二人のいのちのともしびが
二人の間をずっと
てらしつづけていくことを
いつか心の扉をひらいて
あなたとわたしをむすぶ
いのちの糸がひとつになるなら
わたしはいのります
あなたとわたしの人生が
いのちのかぎりずっと
すばらしいものであることを
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時には 1987・4・6
時には母のように
わたしをだきしめて
時には姉弟のように
わたしをいとおしみ
それでもいつも
わたしの前では
女でいてほしい
わたしはあなたの
はだかのいのちが
いとおしい
わたしはあなたの
はだかの心が
たまらない
時には父のように
あなたをだきしめて
時には兄妹のように
あなたをいとおしみ
それでもいつも
あなたの前では
男でいたい
あなたはわたしの
はだかのいのちを
つつみこみ
あなたはわたしの
はだかの心を
だきしめて
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いのちのおわり
1987・4・7
いのちのおわりを
わたしのいとしい人よ
なげき悲しむな
わたしがいのちに生かされ
いのちを生かしつづけたことを
たたえておくれ
死は
それぞれのいのちの
あかしなのだから
この宇宙に
いのちは何故生まれたか──
人の答えはいろいろあるだろう
けれどいのちは
存在する物質の
意志(エネルギー)の造形
だから
在ることを自覚して
在ることを
わたしはたたえたい
そうすればいのちは
それぞれのいのちのかぎり
わたしやあなたを
生かしてくれるだろう
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春 1987・4・7
光を感じます
まぶたのむこうに
朝の光を
ひびきが聞こえます
鳥たちの
すがすがしいさえずりの
時は春
萌え出ずる芽や
花の香りにつつまれて
心はおどる
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わたしの心
1987・5・24
かなでる音はないけれど
わたしの心は
シンホニー
オーケストラの指揮棒を
わたしはふるう
つまびく音はないけれど
わたしの心は
シンガーソング
思いつく言葉のままに
わたしはうたう
はじける音はないけれど
わたしの心は
バレリーナ
思いつくリズムのままに
わたしはおどる
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あしたの夢
1987・5・26
日めくりの
あしたのこよみに
夢を見る 大好きな
しゃぼんのように ことばは未来
消えてしまうの 信じてた
いつもなぜ けれどわたしは
あしたの夢に
とどかない
死を前に
生き抜いてきた
このいのち これからは
なんの因果で こころゆくまで
ダメないのちと このいのち
言ったのか おもむくままに
生かし続けて
生きてゆく
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野辺送りはしたけれど───
1987・6・23
康志くん、君の突然の死に
私は何といえばいいのか
体に潜むガンと
ひとり立ち向かった君は
いのちを最後まで捨てずに
生き抜いたというのに──
いのちを生かしあおうといいながら
私は君との間で
いのちを生かしあえたとはいえない
君の若さは私の思い込みを遥かに上回って
ガンの進行を早めていたんだね
私は、正直いって
君の若さに油断していた
あと少し、時間が──と
君を失って悔やんでみても始まらない
たとえ非力だったとしても
私は君の中へ
もっと遠慮会釈なく入り込んで
私にも君のガンとたちむかわせてくれと
伝えればよかっただけなのに
私は君ともっと生きあいたいから
生涯をかけて君とも
いのちを生かしあって
生きつづけることを誓う
そして私のとなりに
君の席をあけておくから
君は望む時にいつでもそこを占めるがい
あの日(6月20日)、雨ふりのあと
午後の日ざしのもとで
君の野辺送りはしたけれど
私は、私のいのちの終わるまで
君を死なせはしない
康志くん、これからも
いのちを生かしあう農場を創ったり
ケアをしあう仲間として
いっしょに生きていこう
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佐久間康志。一九八七年六月十八日午前2時29分
東京医科大学病院にて23歳で死亡。社会事業大学
に学び、遠藤滋氏の介助者として私とも出会う。
いのちを生かしあう農場の建設計画に賛同し、共
にやらんとしていた。六月二十日に告別式。
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風になれ
1988・3・6
風になれ
風になるなら風そのものになれ
風に吹かれるよりも吹く風になれ
大空にまいあがり
雲をはこんで
雨を降らせる風になれ
木立をふるわせ
大地をわたり
自分と人をつなげる風になれ
人と人を結ぶ風になれ
風になることを恐れずに
風そのものになって駆け巡れ
〔佐野寿伸・朋子〕二人の結婚に際して
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