本駒込・千駄木周遊その1-------- (向ヶ丘2丁目と本駒込1・3丁目)

この地区は、昔の藍染川に接した本郷台地の東縁りで(古代は入江の末端だたのだろうか?)、縄文時代の遺跡が多い。また、江戸大火で移転してきた多数の寺院や下屋敷などを中心に町家なども増えて大いに賑わったと思われ、その時代の遺跡や史跡が豊富。
一富士(富士神社の富士塚)二鷹(動坂上の鷹匠屋敷跡)三茄子(駒込茄子の産地)の駒込と呼ばれ、活気に満ちた面白い地区だったようだ。(今はやたらに寺の多い地味な住宅地区だが---)


本郷通りの向ヶ丘二丁目交差点から団子坂に至る道が「大観音通り」と呼ばれている。その左側一帯(旧蓬莱町の一部)は、元文年間に町家が開かれて賑わい、内側に瑞泰寺・栄松寺・清林寺・光源寺が並んだ様子から「四軒寺町」と呼ばれたという。

最初に目につく二頭の象が門柱を飾る瑞泰寺。チベット仏教では象の装飾が多用されているというが?
豊岡藩京極家の菩提寺でもある。

栄松院境内には、薩摩浄雲(江戸初期の浄瑠璃太夫)や初代松本幸四郎(江戸中期の歌舞伎役者)の墓がある。

清林寺の観世音菩薩は「江戸三十三観音霊場」8番。
現在奈良斑鳩法輪寺の三重塔の双子を建設中。
浄財を貯めては工事を進める繰り返しで、既に20年以上経つと言うが、今時貴重な飛鳥様式建造物の完成が待たれる。

奈良の長谷観音を写した大きな11面観音が、江戸時代から「駒込大観音」と親しまれてきたが戦災で消失。
平成5年に再建された。

境内には見事な紅白の梅樹があり、「梅の大観音」とも呼ばれている。
7月9日と10日には毎年「四万六千日」「ほおずき千成り市」が開かれ、近隣の子供連れ親子で賑わう。


大観音通り光源寺の交差点を左折すると(右折すれば漱石居住跡に向う)、蓮光寺が左手にある。
大垣藩主戸田家の墓所となっている他、江戸時代後期の北方探検家「最上徳内」、江戸時代中期の儒学者「平野金華」の墓があり、東京都の指定旧跡に選ばれている。

蓮光寺の向かいにある養源寺は、近代漢学の礎を築いた江戸時代の儒学者「安井息軒」、明治の啓蒙思想家「西村茂樹」の墓があり、東京都の指定史跡になっている。

更に歩いて動坂方面に向う通りに出て左折、駒本小学校に隣接した「高林寺」にむかう。
江戸時代末期の蘭学者・医学者・教育者の「緒方洪庵」の墓などがあり、文京区指定史跡になっている。
そこから本郷通りにでると、向いに浅嘉町交番が見える場所に出る。


浅嘉交番の先に「駒込土物店跡」がある。
近郊の農家が野菜を担いで天栄寺門前で商いをしたのが元祖でその後発展し、神田・千住と並び江戸三大市場と」言われたという。

地下鉄本駒込駅を過ぎた左手に、「江戸三十三観音札所第九番」の十一面観世音菩薩をまつる「定泉寺」があり、その先に、江戸五色不動の一つ、「目赤不動尊」をまつる南谷寺がある。
駒込土物店跡と並んで、いづれも史跡巡りのポイント。


浅嘉交番から吉祥寺寺に向う旧浅嘉町(現本駒込一丁目の一部)では、井戸・上水道・道路跡などの遺跡が発見されている他、富士神社古墳・道坂遺跡など本駒込一帯は遺跡が予想外に多い。古代の集落の上を歩いているのかと感慨にふけっていると、右手に吉祥寺が現れる。

吉祥寺は、諏訪山と号する曹洞院の寺院で、江戸時代には曹洞宗の梅檀林(駒沢大学の前身)として多くの末寺を持つ格式の高い寺院だったという。

 境内にある「経蔵」は、文京区指定の有形文化財になっている。

また、現代では忘却の果てに追いやられてしまった「二宮尊徳」の墓石など、著名人の墓が多い。

広々した参道----秋の紅葉や、春の桜が見事だ。

吉祥寺の隣りに、こじんまりした「洞泉寺」がある。江戸後期の儒学者原家の菩提寺で、東京都の指定史跡。

洞泉寺の向かい側に、歌人で国学者の「落合直文」終焉の地の史跡が表示されている。設立した歌塾「あさ香社」の跡地でもある。

本郷通りに戻り上富士に向うと、すぐ左手に「やまくさ信濃」という山野層専門の花屋さんが最近開業。可憐な山の草花が目の保養になる。


富士神社入口まで四軒の寺院が左側に散在している。最初の繁栄山養昌寺は、明治の新聞小説家で樋口一葉の師でもあった「半井桃水」の墓所。最後の曹同州洞宗江岸寺にはは、三河譜代の祖を祀るために鳥居忠正が開いた鳥居家の江戸菩提寺と言われている。


富士神社は富士塚を神体とし、通称駒込富士と呼ばれている。
また、富士講発展の中心人物「食行身禄」の影響で、富士講が盛んだったという。

この富士塚は平面が円形ではなく東に張り出し部分があるそうで、おそらく500年代後期の前方後円墳の遺跡と思われている。
すぐ近くの動坂では縄文時代の遺跡や、江戸時代の鷹匠屋敷跡などが見つかっているなど、興味深い地区だ。


富士神社の向かい側に、若夫婦が経営する小さなこだわりのコーヒー店がある。
爽やかな一服が疲れを癒す。

その先右奥が、天祖神社。

新明さまと呼ばれる駒込の氏神様。江戸時代の「鷹匠組」の寄進名が刻まれた石柱がいまでも残っている。樹木が深い参道が長いためか、荘厳さが滲みだしている。

天祖神社の脇に、東京都が指定した史跡「駒込名主屋敷跡」がある。
慶長の頃、駒込一帯の開拓を許可された高木家の屋敷跡で、重厚な表門や主屋、土蔵などが保存されており貴重な文化財と言われている。

富士神社前の通りに戻り右手に進むと、動坂交番のある動坂上五叉路に出る。右手は公園を挟んで、旧鷹匠屋敷跡や貝塚などの遺跡があった駒込病院。
道路際に貝塚遺跡の記念台があるが手入れが悪く中が見えないのが残念。
この辺の動坂遺跡は東京都指定史跡になっている。[写真]


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