本駒込・千駄木周遊その2-------- (千駄木3・4・5丁目)

このあたりの地形は、不忍通りの低地(昔の藍染川が流れる根津の谷)を挟んで、本郷台地と飛鳥山から上野に至る細い上野台地が向かい合っている。そのため双方に行き交う坂道が多く、山手の史跡豊富な寺院や邸宅、レトロ感ある下町の商店街など・渾然一帯とした風情が楽しめる。
動坂上から団子坂上までの「暮らしの道」は台地の縁に沿い、千駄木の高級住宅街を抜けて、鴎外や漱石がよく散策したという「薮下通り」に繋がる。文人も多く行き交った地域でもある。


動坂上から団子坂上に至る道に入ると、そこは実験道路「暮らしの道」。俗称保健所通り。

どのような経緯でこの住宅道路が選択されたのか分らないが、車速を抑えるために車道を細く蛇行させ、目障りな電線を無くして歩道を広く-----。

歩いていると、空が広くて気分が良い。車に気を使う煩雑さもない。
しかし、太い街灯柱の上にトランスを置いたのはご愛嬌。

しばらく進むと、右に変わった建物が目につく。「完訳ファーブル昆虫記」の訳者・奥本大三郎氏が自宅を無料昆虫博物館に建て替えたもの。
ファーブルは、南仏レヨンの生まれで、当時忌み嫌われていた昆虫を研究、有名な「昆虫記」を書いた。
江戸時代後期から大正の初期まで活躍した。
この昆虫館は子供重視の為か、金・土・日のみ開業となっている。

http://www.fabre.jp/


千駄木小学校を過ぎると左に林町ガレージが見える。手前を左折するとすぐに林町公園の四つ角に着く。ここから不忍通りに下る坂が、「狸坂」。(右写真)
かってこのあたりは雑木林が多い千駄木山と言われ、俗に「狸山」と呼んでいたらしい。民話にちなむ説明掲示板を読みつつ歩くのも楽しい。

四つ角の右に入ったすぐに、久田宗也の建立した茶室「半床庵」がある。しっとりとした趣きが漂う。
都内でも有数の名席で学術的価値が高いと、東京都の指定有形文化財になっている。


半床庵の前を進むと細路にぶつかる。左に降りる坂が大給坂で相当な急坂である。

この坂の上一帯は、昔は子爵大給家の屋敷跡で、敷地内にあった大銀杏が現在も残っている。
周辺に居住者が増えたせいか、毎年冬場に枝をそぎ落とされ、右写真のように淋しい姿で紅葉に入る。かっては、さだめし見事だったと思うが----。


「暮らしの道」に戻ると、すぐ右手に高村光太郎旧居跡の掲示板が見える。物理的痕跡は無い。

彫刻家高村光雲の長男である高村光太郎(明治16年〜昭和31年。彫刻家・詩人・歌人)の旧居跡。

すぐ横が、宮本百合子ゆかりの地。旧姓中条ユリ(明治32年〜昭和26年)。

昭和初期、プロレタリア文学の作家・民主主義文学のリーダーとして活躍した。ここのレンガ塀は、実家中条家の入口門の名残り。

高村光雲・豊周の遺宅。宮本百合子の掲示板のある路地を奥に進み、「暮らしの道」に平行して伸びる細路にある。旧安田邸の裏角にあたる。

仏師であった光雲(嘉永5年〜昭和9年)は、木彫彫刻に写実主義を取り入れ、江戸と近代を繋げる役割を果たしたという。長男は高村光太郎。豊周(鋳金家協会会長、人間国宝)は三男で、光雲の遺宅跡に昭和33年現邸宅を新築した。


「暮らしの道」に戻ると、すぐ右に旧安田楠雄邸がみえる。財団法人日本ナショナルトラストの所有。東京都の名勝指定文化財になっている。

豊島園遊園地の創設者:藤田好三氏が大正8年に建てた近代和風建築。その後、安田財閥の安田家に移ったが、財閥創始者の孫である楠雄氏没後、平成8年に財団法人日本ナショナルトラストに寄贈されたという。

大正ロマン満ちあふれた見事な邸宅。
現在、NPO法人の「たてもの応援団」が管理運営を委託されており、維持基金募集の意味合いから有料開放されている。

安田邸を見終わったら、正門前の路地の先にあるフレンチレストラン「ブラッスリー・ペルル」でのランチがお奨め。
飲食店には縁遠いこの地区では、珍しい本格派のプチフレンチ店だ。
カジュアルレストランと称して気軽に利用してもらいたいとの店の意向が、、価格も安く、味も良く、親しみ易くしている。


ブラッスリーの前を更に奥に進み、路地を右折すると、左手に「芦葉邸」がある。
昭和9年に建造された石造りの「住宅門」と、鉄筋コンクリート造り二階建ての「倉庫」が、平成17年に「登録有形文化財」に登録告示された。
登録文化財の登録基準は、「建築物、土木構造物、その他の工作物のうち、原則として建設後五十年を経過し、(国土の歴史的景観に寄与しているもの)(造形の規範になっているもの)(再現するのが容易ではないもの)のどれかに該当するもの」となっている。
門柱は、小松石瘤だし仕上げで装飾的な門扉と共に昭和初期に開発された住宅の面影を伝えている。


芦葉邸の奥が須藤公園の上の入口になり、下れば千代田線の千駄木駅に至る。

須藤公園は、江戸時代の大聖寺藩の屋敷跡で、明治の後半に実業家須藤吉左衛門が入手。昭和8年東京市に寄付され、現在は文京区に移管されている。

10mの滝が珍しく、夏場にはしばし一服の涼が楽しめる。


「暮らしの道」に戻り、団子坂上の近くまで歩くと、左に「島薗邸」が瀟洒なすがたを見せる。
昭和7年に建てられた木造二階建の住宅。平成13年に、登録有形文化財に登録公示された。
昭和16年に二階を増築したが、一階の水平軒に陸屋根造の面影を残し、連続した小アーチの装飾帯などの意匠が、「造形の規範になるもの」として評価されている。


「暮らしの道」----(通称:保健所通り)-----の終わりは、団子坂上。やや昇り気味に直進すれば「薮下通り」を経て根津神社。右に進めば向ヶ丘二丁目を越えて白山上。左に下れば、団子坂下を経て谷中霊園・鶯谷へ向う。

坂上の対面左に最近開業した本格的エクスプレッソを飲ませるミニバー。若いこだわりの店主が頑張る格安の店なのがありがたい。

正面の薮下通り。右手の鴎外記念館は現在改築中。
今年は鴎外生誕150年でイベントが多い。[開業予定』

坂上対面右の」レンガビル一階に、珍しい」「アメ細工」の店がある。開業時は子供が大喜び。


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