← 動坂上から団子坂上に至る道に入ると、そこは実験道路「暮らしの道」。俗称保健所通り。 どのような経緯でこの住宅道路が選択されたのか分らないが、車速を抑えるために車道を細く蛇行させ、目障りな電線を無くして歩道を広く-----。 歩いていると、空が広くて気分が良い。車に気を使う煩雑さもない。 |
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しばらく進むと、右に変わった建物が目につく。「完訳ファーブル昆虫記」の訳者・奥本大三郎氏が自宅を無料昆虫博物館に建て替えたもの。 |
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「暮らしの道」に戻ると、すぐ右手に高村光太郎旧居跡の掲示板が見える。物理的痕跡は無い。 |
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← 彫刻家高村光雲の長男である高村光太郎(明治16年〜昭和31年。彫刻家・詩人・歌人)の旧居跡。 |
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すぐ横が、宮本百合子ゆかりの地。旧姓中条ユリ(明治32年〜昭和26年)。 |
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昭和初期、プロレタリア文学の作家・民主主義文学のリーダーとして活躍した。ここのレンガ塀は、実家中条家の入口門の名残り。 |
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← 高村光雲・豊周の遺宅。宮本百合子の掲示板のある路地を奥に進み、「暮らしの道」に平行して伸びる細路にある。旧安田邸の裏角にあたる。 |
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仏師であった光雲(嘉永5年〜昭和9年)は、木彫彫刻に写実主義を取り入れ、江戸と近代を繋げる役割を果たしたという。長男は高村光太郎。豊周(鋳金家協会会長、人間国宝)は三男で、光雲の遺宅跡に昭和33年現邸宅を新築した。 |
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「暮らしの道」に戻ると、すぐ右に旧安田楠雄邸がみえる。財団法人日本ナショナルトラストの所有。東京都の名勝指定文化財になっている。 |
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豊島園遊園地の創設者:藤田好三氏が大正8年に建てた近代和風建築。その後、安田財閥の安田家に移ったが、財閥創始者の孫である楠雄氏没後、平成8年に財団法人日本ナショナルトラストに寄贈されたという。 大正ロマン満ちあふれた見事な邸宅。 |
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安田邸を見終わったら、正門前の路地の先にあるフレンチレストラン「ブラッスリー・ペルル」でのランチがお奨め。 |
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ブラッスリーの前を更に奥に進み、路地を右折すると、左手に「芦葉邸」がある。 |
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芦葉邸の奥が須藤公園の上の入口になり、下れば千代田線の千駄木駅に至る。 須藤公園は、江戸時代の大聖寺藩の屋敷跡で、明治の後半に実業家須藤吉左衛門が入手。昭和8年東京市に寄付され、現在は文京区に移管されている。 10mの滝が珍しく、夏場にはしばし一服の涼が楽しめる。 |
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「暮らしの道」に戻り、団子坂上の近くまで歩くと、左に「島薗邸」が瀟洒なすがたを見せる。 |
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「暮らしの道」----(通称:保健所通り)-----の終わりは、団子坂上。やや昇り気味に直進すれば「薮下通り」を経て根津神社。右に進めば向ヶ丘二丁目を越えて白山上。左に下れば、団子坂下を経て谷中霊園・鶯谷へ向う。 |
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坂上の対面左に最近開業した本格的エクスプレッソを飲ませるミニバー。若いこだわりの店主が頑張る格安の店なのがありがたい。 |
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正面の薮下通り。右手の鴎外記念館は現在改築中。 |
坂上対面右の」レンガビル一階に、珍しい」「アメ細工」の店がある。開業時は子供が大喜び。 |
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